もしもこの世に地獄というものがあるのなら、目の前に広がるものがそうだろう。
大気を焼き、人を焼き、建物を焼いて紅蓮の炎は明けの空をも焦がす。
暁の光を黒煙が遮り、響き渡るのは人々の悲鳴。

そして、連続する破裂音。

オレンジ色の背景に映る幾つもの人影が、手に持つアサルトライフルで目の前にいる人々を次々に撃ち殺していく。

りんご味の飴をくれた小母さんも、昨日友達になった可愛らしい女の子も。等しく凶弾に命を奪われていく。
「た…助けて……あがっ!」
助けを請う人の頭に無慈悲に弾丸が撃ち込まれる。
奇妙な声を上げて倒れ伏す。

「あ…あぁ……あぁぁアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

少年は手にした刃を握り締め、影に向かう。

その身を染め上げるのは激しい殺意。そして憎悪。
「ウァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」



この日、日本の山奥にある小さな村が地図から消えた。

今より四年前の出来事である。



   魔法少女リリカルなのは  シャドウダンサー

       第十一話   強さと心(後編)



喫茶翠屋。
この海鳴の町で、その名を知らない者は恐らくはいないであろう程に有名な喫茶店。
その一番の売りは、有名ホテルのパティシエも勤めた高町桃子の作るスイ―ツの数々である。

それだけでなく、ここで働くウエイトレスが美人、美少女で、
ウエイターが格好良い、マスターが気さくでやはり格好良い等といった、別の意味でも有名であったりする。


そして、その格好良いと評判のウエイター、高町恭也と初めてやって来た辰守連音は翠屋の前にいた。

「少し遅れたからな、小言は覚悟しておくか…」
溜め息混じりに零す恭也はドアを開け、中に足を踏み入れる。
ドアに付けられたカウベルが軽い音を鳴らす中、連音もその後に続いた。


「すみませ〜ん、まだ準備中で……て、なんだ恭也じゃない。遅かったわね?」
「あぁ、すまないな。仕込みの方は?」
「それならもう終わったから、恭也も早く準備して?」
その人物は恭也が壁になっているせいで後ろの連音に気が付かず、目の前の恭也とのみ話している。

勿論、連音からもその人物の顔は見えない。少しずれれば見えるのだが、そんな必要もない。
余りにも聞き慣れた声なのですぐに分かったからだ。

連音がその人物に気付かれる前に店を出ようと静かに後ろに下がる。
ゆっくりとドアに指を掛けて、静かに少しだけ開けて出て行こうとする。

「あぁ、そうだ」
後一歩のタイミングで恭也が振り返った。
その行動に向こうの人物も顔を覗かせる。
「連音君はどこか適当な席に座っていてくれ。母さんに言って何か出してもらうから」
「ッ!?………イエ、オキヅカイナク…………」
正直それ所ではない。恭也の向こうの人物と完全に眼が合ってしまい、蛇に睨まれた蛙状態である。

「そうはいかん。すぐだから待っててくれ。忍、ここを頼む」
「えぇ…恭也は行っていいから。この子の事は忍ちゃんに任せて?」
にっこりと笑う忍の笑顔に幾分か奇妙なものを憶えつつ、恭也は奥に行ってしまった。

(待って!恭也さーーーーーん!!!)

という悲痛な叫びは全く以って届かなかった。

連音は店の端、壁際の席に座っていた。二面を壁に阻まれ、当然窓も無い。
日当たりも良くないのであまり人気のない席だ。
そういうのが好きという人もいるが。

「……で、何で忍姉は対面に座ってるの?もうすぐ開店でしょう?」
自分の対面にどっかりと座る忍。かれこれ五分はこうしている。
腕を組んだままジッとしている。が、明らかにその顔は不機嫌そのものだった。
その雰囲気に耐えられず連音が言うと、ふぅ、と一息はいて腕を解いた。
「そうね…。でもその前に」
やおら立ち上がり、連音の隣に移動する。反射的に逃げようとするが、すぐに背中が壁に当たった。
ゆっくりと忍の手が連音の顔に伸ばされる。
そして――。

ギュゥ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!

「フガガガガガガァアアアアアアアア!?!?」

意味不明の絶叫が店内に響き渡る。
忍の指が連音の頬を摘まみ、思いっきり引っ張りまわしているのだ。
「おぉ〜、よーく伸びるじゃない」
「ふぁっふぁほははへーーーー!!」
「ん〜?なーに、全然分かんないわよ〜?」
「ふほふひーーー!!」
「お姉ちゃん、ぜ〜んぜん分かんな〜い♪」
その間にもグリングリンと忍は連音の顔を蹂躙し続ける。

「………ふほははぁ」

「………フッ」

グイーーーーーーーーーッ!!

「ふがががが〜〜〜〜〜っ!!ひほへへんふぁふぁいはーーーっ!!」
「ん〜?何にも分かんないわよぉ〜〜〜〜〜?」
そう言いながら、明らかにその言葉の端々に怒気を孕んでいる。

しばらく蹂躙し続けて、ようやく連音は解放された。
ヒリヒリと痛む頬を摩っていると不意に暖かいものに包まれた。
顔に柔らかいものが触れる。

「ちょ、忍姉ぇ!?」
「この馬鹿……!心配したんだから………」
「………ごめん」
「謝るぐらいなら連絡ぐらい寄越しなさい。すずかもファリンもノエルも皆…心配してたんだから」
その言葉にズキンと胸が痛む。

「ちゃんと謝りなさいね。謝んなかったら……こうよ?」

忍は抱きしめていた腕を解いて連音の顔を挟むように掴み、ぐい〜っと潰す。

「ふぶっぶぶぶ!!」
「分かった?」
連音はコクコクと頷く。それに満足したのか忍は手を離し、席を立つ。
「そんじゃ忍お姉さんはお仕事なので」
いつものようにニヤリと笑う忍に苦笑いしか返せない連音であった。


開店の時刻を迎えても店内は意外と静かなものだった。
何人か持ち帰りの客はいたが、店内にいるのは連音だけである。
「やぁ。ここ、いいかな?」
「…士郎さん?お仕事はいいんですか?」
「まだこの時間は暇なもんだし。忙しくなるのは昼頃と夕方だ」
士郎は忍のいた場所に腰掛ける。連音は恭也の出してくれたアイスコーヒーのストローを咥え、士郎も持ってきた水入りのグラスを置いた。

「どうだい、何か少しでも掴めたかい?」
「………生憎と」
「そうか……怪我の方は?」
「はい、大した事は無かったです……」

そして沈黙。微妙な空気が二人の間に漂う。
やがて、士郎は大きく息を吐いた。
「う〜ん…色々上手く言おうとか思ったが、どうにも上手く行かないな」
「……?」

連音は気圧されそうな程に、真っ直ぐに士郎に見据えられた。
「悪い事は言わない。雪菜さんの技を使うのは止めた方が良い」
「――何でですか?確かに俺の未熟な腕じゃ母さんの様にはまだ行きません…でも」
「君には無理だ」
「――っ!?」
はっきりとした否定の言葉に連音は動揺した。ドクン、と大きく鼓動した気がした。
士郎は未だ真っ直ぐに連音を見ている。
全身が震えるのを抑えながら連音は士郎を睨みつけた。
「………覚悟が無いという意味ですか?」
「何の覚悟だい?」

少しの間が空けられる。
「――人を、殺す覚悟です。でも、俺はそんな覚悟とっくに出来てます……」
何かに耐えるように拳を握り締め、言葉を吐き出す。
それを受けて、士郎は口元を歪めた。

「……そんな覚悟、何の価値も無いな」
「っ…!!」
士郎の言葉に連音は殴りかからんばかりの勢いで立ち上がった。
が、それを止めたのはやはり士郎の言葉だった。
「空也さんなら、そう言うだろうな」
「っ!?……とう…さん………?」

士郎の口から出てきた父の名に連音は驚き、さっきまでの怒りは戸惑いに変わる。
(父さん…?何で父さんが……?)

何故ここで父の名が出たのか。その事がグルグルと頭を巡る。

生まれた時には既に鬼籍に入っていて声も知らない。姿も写真で見た事があるだけだ。
母にどんな人だったかを聞いても、頭を捻って悩まれるだけで、やはり知らない。

「とりあえず、座りなさい」
「……は、はい………」
連音は素直にそれに従い腰を降ろす。というよりも動揺が大きく他に気が回らなかったのだが。

士郎は連音が落ち着くのを待ってから話し始めた。
「俺が空也さんと初めて会ったのは…まだまだ子供の時分だったな……。
その頃、俺はある事件で初めて……人を斬ったんだ。
自分の技がどんなにも危険なものか分かっていて、覚悟もしていた筈だった。
いつかこういう時も来る、とね。
だが実際に斬った時、手に走る肉の斬れる感触と骨に当たり響く振動。
そして、刃を曇らせる鮮血に俺は真っ白になった。
……覚悟なんてできてなかったんだ。
その後、俺は我武者羅に刀を振った。人を斬る事を知って、それを背負う覚悟…命を奪う事の覚悟をするために……」

士郎はグラスを傾けた。氷が小さく音を鳴らす。
「その頃、御神の家に来客があった。それが辰守宗玄様…そして、辰守空也さん。当時はまだ櫻守だったか…。
空也さんは俺より三つ年上で、同じような道を歩んできた一族同士という事もあって色んな事を話した。
その時に俺は自分の迷いの事を話したんだ。どうすれば人を斬る事の覚悟が出来るのか、とね。そうしたら……」
「そうしたら…?」
連音はいつの間にか真剣な面持ちになっていた。
初めて知る父の姿。それを一言一句聞き逃すまいとしていた。

士郎はそんな連音の姿に苦笑した。そうして、もう一度グラスを傾ける。
「思いっきり笑われた」
「……は?」
「大笑いされたよ。こっちはその事でどれ程も悩んだというのにね。
俺も頭にきて言ってやったんだ。「一体何が可笑しいんですか!」て。
そうしたら何て言ったと思う?。
「だってそんな覚悟、する事自体意味が無いだろう?」だって」
それは正に連音が士郎に言われたままの言葉だった。
(父さんがそんな事を……どうして!?)
務めを果たす為、命を奪う事は珍しくない。
人を殺める覚悟はするべきものの筈だ。だが、空也はそれを笑って否定した。
連音にはその意味が分からなかった。

士郎は話を続けた。
「俺も今の君と同じで訳が分からなかったし、納得も出来なかった。だから手っ取り早く分かろうとした……。今日の君の様に仕合を申し込んだんだ」
「父さんと戦った!?それで…!?」
「………ボロ負けしたよ。全然敵わなかった。何にも出来ず倒されて自身の未熟を思い知らされた。
その後、空也さんに言われたんだ。俺の迷いへの答えを。
「人を殺す覚悟とは、言い換えれば人を殺す為だけの覚悟だ。何の為でもない、ただ殺すだけの覚悟に意味など無い。
そんな覚悟で何を背負えるものか」と。
考えてみれば当たり前なんだがな。御神も辰守も守るため、その結果で命を奪う事もある。それだけなんだ。
分かっていた筈なのに……実際に奪われたものが、奪ったものがそれを見えなくする。
それが大きいものであるなら、かけがえの無いものであるならば尚更だ」
そう言って、士郎はふと遠い目をした。その先に誰かの姿を映し出しているかのようだった。

連音にとって、士郎の言葉はまるで心を全て見透かされているようだった。
そんな筈は無いと分かっていても、連音の心臓はその鼓動をドンドンと早めていった。

「話は戻るが。君に雪菜さんの技を使うのをやめるよう言ったが、それは君がその力ばかりを見ているからだ。
雪菜さんは自分の技……力を真の意味で理解し、覚悟して使っていた。
この先、君がそれを使う覚悟を真にする事もあるだろう。だが、今の君にそれがあるようには思えない。
確かに御神も辰守も、人を殺す技…その力だ。だからこそ知らなければならない」
「知らなければ……ならない?」
士郎は小さく頷いた。

「剣は凶器、剣術は殺人術。だが、それが人を殺す訳じゃない。
殺すのはそれを振るう人であり、その心だ。
力はただあるだけ。善も悪も無い。
殺人剣を活人剣に変えるのも、殺人剣のままでいさせるのも人の心。
良くも悪くも、強さとはそういうものだ。
空也さんに言わせれば「強さと心は表裏一体。力が強さなんじゃない。
心が力を振るう時、そこに生まれるものを強さと呼ぶ」そうだ。
そして竜魔がその強さで守るもの、それが世界。そうだろう?」

「っ!それは………」
士郎の言葉……いや、父の言葉はまるで予言されていたかのように連音の心を叩いた。
何もかも、見通した上で連音の為に残されたかのような言葉。
だが、同時にそれは連音の心を大きく軋ませた。

(なら、俺は……何にもなれない………それを受け入れる資格なんて……俺には無い)

俯いて歯を食いしばる。

(母さんがいれば多くの人達をきっと守れた……俺がいなければ……そんな俺に……!
俺じゃ駄目なんだ。辰守連音じゃなく、辰守雪菜じゃないと……でも…!!)
目が自然に熱を帯びていく。視界が歪み、ポタポタと零れるものがズボンにシミを作っていく。

吐き出せない苦痛に必死に耐える連音の頭に、そっと触れるものがあった。
ゴツゴツとした大きな、温かい手。ゆっくりと心を解きほぐす様に士郎の手が連音の頭を撫でる。

「君と雪菜さんの間に何があったのか、俺は知らない。だが、今の君を見て雪菜さんは絶対に喜ばない。
どれだけ望んでも過去は変わらない。だが、これからなら幾らでも変えられる筈だ。
竜魔の口伝もそれを教えているだろう?」

「っ!?竜魔の…口伝……?」


「空也さんが教えてくれたんだ。
――『我らの血、幾千の昼と夜を重ねて尚、この世界を護る剣と為らん』」
その言葉なら知っていた。竜魔の忍なら誰もが一番初めに教えられる言葉だからだ。
異世界よりやって来た自分達を受け入れてくれた世界への恩返し。それを後世に伝える口伝だ。

士郎が知っている事に驚きはしたが、空也から教えられたと言われ、すぐに納得できた。

だが、本当の驚きはそこからだった。

「『されど忘るる事なかれ。この理、ただ口伝に於いてのみ伝うるその意味を』」
「……!?」
「何故、竜魔の理が口伝のみで伝えられているのか、その意味をどうか考えてくれ。
………君なら、きっとそれに気が付ける」
そういった士郎の目は優しくもあり、そしてとても厳しくもあった。




忍は連音のテーブルから離れて仕事に戻ったが、その視線は何度も連音に向けられていた。
普段ならば連音はそれにすぐ気が付いて、睨むなり頭を抱えるなり色々とリアクションをとるのだが、今日に限っては俯いたままだ。

その姿を見ただけで忍には連音がかなり参ってきている事が分かった。

(まるであの頃みたいじゃない……)

忍の脳裏に浮かんだのは四年前の光景であった。


妹と同い年の、悪戯好きで良く笑う歳相応の子供。
すずかと同じ血を背負いながら、自由に踊る雲の様な少年。
それが忍の第一印象だった。

実際、忍の感じたものは正しく、連音は気ままに日々を過ごす少年であった。
自分の血や生まれも、ただあるがままに受け入れて。

だからだろう。自分の血にコンプレックスを抱き、人と関わる事を怖がっていたすずかが自然と打ち解けられたのは。

だが、それも四年前の事件で失われていた事あった。


その頃の連音が今の連音にシンクロして忍には見えた。


「――忍」
「えっ!?」

不意に声を掛けられた事に驚き、振り返った。
目前には恭也が立っていた。忍を映すその瞳はすごく真剣なものだ。
いつもならば、これ程の視線を受ければ否応無く顔を朱に染め上げてしまう所だが、今はそんな気持ちにはなれなかった。

心の不安を表に出さないように、いつもの笑みを恭也に向ける。
「いきなりどうしたの?そんなに真っ直ぐな眼差しで私を見つめちゃって…。
駄目よ、まだ仕事中なんだから」
忍はできるだけいつもの調子で返す。だが、やはり上手く行かない。
「ちょっと聞きたい事がある……。本来ならお前に聴くべきでないんだがな」
「…何?ノエルのスリーサイズなら」
「あの子の母親の事だ」
「――っ!?」
恭也の視線は忍を外れ、連音に向かっていた。余りに唐突な言葉に、忍は今度こそ自身の動揺を隠せなかった。

恭也の口から出たその言葉は忍の不安そのものと言える事だったからだ。

「――幾ら恭也でも人のプライバシーを軽々しく聞いていいものじゃないわよ?」
「それも分かっている。だが、そこを曲げて聞かせてくれないか?」

本来、恭也は他人のプライバシーに土足で踏み入る様なマネをする人間ではない。
その恭也がそこまで言う事に忍は驚きと疑問を覚えた。
そして思い出す。
翠屋に恭也が来た時、連音を伴っていた事に。

とすれば推測は簡単になった。

「……何があったの?」
「何が、というか一手交えただけだ。問題はその後だ」
「……?」
「あの子の言葉が妙に引っ掛かってな。俺の知る限りであの子の事を聞けるのはお前だけだ。だから教えて欲しい」

「何を連音は言ったの?」
「――自分の体には母親の血が流れている、と。普通に聞けば血が繋がっているだけとも思えるんだが、
それなら両親と言う方が自然だし、何より、その意味で無いとすぐに分かった。
彼の母親が四年前に亡くなったのは聞いている。ならそこに何かあると思うんだが………忍?」
「え?あ、ゴメン……。そっか…あの子、そんな事言ってたの」
そう溜め息交じりに言う忍の顔はどこか悲しそうだった。

「ここだとあれだから……裏に」
「あぁ……」

翠屋の裏手には、普段使わない道具や大きめの材料の保管庫が置かれている
その保管庫の壁にもたれて忍は空を見上げた。
蒼穹に踊る、白雲。流れて形を変えるそれを見ながら忍は口を開いた。

「恭也はあの子の事、どれぐらい知ってるの?」
「父さんから色々と。後、連音君自身から夜の一族である事を聞いた。それぐらいだ」
「そう……じゃあその辺りは省くね」

恭也は今になって自分がそれを聴くべきでない、その資格が無いと感じていた。
だが、それでも聴かなければならないとも同時に感じていた。
彼が美沙斗のようになるのなら、それをどうしても止めたかったからだ。
そしてもしそうなった時、きっと忍は苦しみ、なのはやすずかもきっと悲しむだろうと思った。
だから、恭也は忍の言葉をじっと待った。

忍もまた、これを自分が話して良いか悩んでいた。
だが連音があの事を少しでも話したのなら、恭也には話しておくべきかもしれないとも思っていた。

だから、忍は話す事を選んだ。

「恭也は私と連音、顔立ち…似てるって思う?」
「何だいきなり?……まぁ、似てると言えば似ているか……」
不意にされた質問に恭也は面食らったが、それも無関係でないと感じ、連音の顔を浮かべながら答えた。
「そう…。でも、それってちょっと違うのよ。私と雪菜おば様――連音のお母さんが似てて、連音はおば様似なのよ。
尤も雪菜おば様は私よりずっと綺麗で、すごく優しい人だったけど……」

忍は雪菜の事を思い出し、切ない笑顔で再び空を見上げた。
忍がそんな表情を浮かべる。それだけで雪菜という人物がどれ程の人だったか恭也にも分かった。

「……でもね」
「――?」
「そう言われるようになったのって本当に最近なんだ。
昔は空也おじ様似だって言われてたのに……。何でだと思う?」
「………むぅ」
言われて恭也は考えてみる。が、それが無駄な事とすぐに気が付いた。
「そんな事、分かる筈がないだろう」
「まぁ、そうよね。辰守家に流れる夜の一族の血は大きく変わってるの。
元々の遺伝子の影響なのか、私達と違って血を摂取しなくても成長は普通にするし、
でも代わりに身体能力や回復能力は純血に比べると格段に弱いの。
尤も身体能力は元から常人を超えてるし、回復能力だって人よりも遥かに高いんだけど。
でも、その一番の違いは血の性質そのものなのよ」
「血の性質…?」
「私達が定期的に血を摂取しないとならないのに対して、辰守は自身の生命の危険時以外、血の摂取を基本として必要としないの。
それと、これも遺伝子のせいなんだろうけど……ある使い方が出来るの」
「ある使い方とは何だ?」

忍は少しだけ間を置いて、深く息を吐いた。
「――死者の復活よ」
「なっ…!?」
忍の言葉に恭也は驚いた。
死者を生き返らせる。それがどれ程馬鹿げているか誰でも分かる事だ。
それが、辰守の血によって可能。忍は今そう言ったのだ。
「ゴメン、ちょっとビックリさせちゃった?」
目を見開く恭也に忍は自分の言葉が足りなかったと言い直す。
「死者復活って言っても条件が多いの。
肉体が生命活動できるぐらいの状態じゃないとできないし、亡くなった直後でしかできないの。
それに何より……」

忍はもう一度深く息を吐いた。そうしなければ、この後の言葉を言う事ができないかのように。

「……自分の血の全て…命と引き換えなのよ」

「――そうか、そういう事でいいんだな」
恭也はその言葉を聞いて理解した。
連音の言葉の真に意味する事を。
忍が何故あんな事を聞いてきたのか、その意味を。

忍は静かに頷いた。
「連音は一度命を失っているわ。そして…」
「彼の母親の血…命を貰って生き返ったのか……。何故、そんな事に…?」






それはたった半日の物語。

幼い連音を連れて雪菜がやって来たのは山間の小さな村。
冬、深々と降り注ぐ雪の夜に現れる妖を屠る使命を与えられ、
連音に竜魔の使命を実際に目の当たりとさせる為、幾人かの護衛と共にやって来た。

使命そのものは容易く終わり、連音はただ雪菜の強さに無邪気に憧れた。

そして、その明け方にそれは起こる。

村のいたる所から火の手が上がり、そして混乱する村人と竜魔衆の護衛を襲う集団があった。

それは兇(きょう)と呼ばれる組織。
一時は龍という組織とと勢力を二分する程だったが、徐々に衰退の道を歩んでいた。
彼らは裏世界での勢力を盛り返す為、辰守本家の人間を狙った。

元より人の命をどうとも思っていない彼らは村ごと竜魔を襲撃したのだった。


幼い連音は被害のない村長の家に。雪菜は竜魔の忍を引き連れ彼らを迎え撃った。
普段の雪菜であればそれが陽動であると見抜く事ができたであろう。
が、幼い我が子の存在が彼女にそれを気付かせる事を遅らせた。

混乱し逃げ惑う村人達の中、どうにか襲撃者を撃退し、急いで雪菜らが戻ってきた時、村長の家は地獄絵図となっていた。

村長一家、避難していた村人、全てが物言わぬ屍と化し、
そしてそれを為したであろう襲撃者は全て斬り捨てられていた。

だが、そこに連音の姿は無かった。
雪菜は急ぎ足跡を追う。

辰守連音。彼らの真の目的はそれだったのだ。
正確に言えばその身に宿る竜魔の力を欲したのだ。

やがて雪原にてついに追いつく雪菜。その目に映ったのは鮮血を滴らせた刃を持つ男とその足元に倒れる連音の姿だった。

苦戦の末に男を倒し、雪菜が連音を抱き上げた時、既に連音の体は物言わぬものへとなっていた。

胸の傷からはもう流れるものも無かった。


だが、雪菜は諦めなかった。
自分の血の全てを連音に注ぎこんだのだ。

母親として、我が子の命を取り戻すために。




「そして連音は生き返った。おば様の血、命、未来、その全てを与えられて。
そして、あの子は………」

「自分が母親の様に……そのものになろうとしている、という事か…っ!」

恭也は深い憤りを抑えられず吐き捨てる様に言った。
幼子一人を狙った事も、一人を狙う為に村一つを滅ぼした事も、
その結果、一人の子供が余りにも過酷なものを背負わされた事も。
全てが恭也の怒りを起こさせるには充分過ぎた。

それをどうする事も出来ず、恭也はギリギリと拳を固めるのみだ。
指を伝い、鮮血が足元に滴っていく。
それを忍は何も言わずただ見ている事しか出来なかった。

「自分の心を、思いを持つには奪われたものは多過ぎて、
でも、全てを捨てる事もできなかった。
だから、おば様の守りたかったものを、守ったであろうものを守ろうとしている。
おば様の力で…辰守連音としてじゃなく、辰守雪菜として……」


空に浮かんでいた雲はもう散って消えてしまっていた。
太陽はもう真上に近い所にあった。




昼になり、店内は一転して賑やかになった。
恭也と忍は厨房の方に回り、そして連音は未だ同じ席で俯いたままであった。

(あ、邪魔か………)

ふと見回せば、徐々に空いている席は少なくなってきた。
連音は少しふらつきながら立ち上がろうとしたが、その目前に差し出されたものがあった。

花をイメージしたデザインの皿に乗せられているのはシュークリーム。
唐突に出されたそれに唖然とする連音。視線を上げれば、そこには優しく微笑む桃子の顔があった。
戸惑う連音に桃子は「サービス♪」とだけ言い残して去っていった。
その背を追う様に視線を動かすとカウンターに立つ士郎と目が合った。
士郎もまた優しく微笑み、仕事に戻る。

視線をシュークリームに戻す。

連音は士郎を訪ねた事を少しだけ後悔していた。

気を使わせてしまった事もそうだが、それ以上に気が付いてしまったから。

連音の心に走る痛み。
本当はずっと感じていた。

自分のせいで多くの人が殺されてしまった時、母を殺した時から生まれていた歪み。

逃れられない罪を背負い、それでも生きる為に選んだ道。
母のように…母になる事。
自分という存在を否定し、思いを否定し、守りたい世界も無い。
その自分が母の守りたかった世界を守る。母の思いを叶える。

その為に母と同じ技を修める事。

絶対的な矛盾。それでもひたすらに走ってきた。
母の技を修めようと、ただ我武者羅に。

その果てに救いなど無い。それで良かった。自分は許されてはならないのだから。
この命は母のものだから。辰守連音という存在は在って亡きものだから。


だが、それでは母にはなれない。
技だけでは成れないのだと。

なら、自分は何に成れるのだろうか。
何にも成れない自分に、何を守れるのだろう。
その資格も、思いも無い。

心が軋む。
矛盾がバランスを崩していく。

痛みはそのブレが大きくなっているから。

自分が戦う者は滅ぼすべき悪。そう信じていた。
だが現実は違う。

出会ったのは自身の罪を知らない少女。
出会ったのは戦いを望まない少女。
出会ったのは純粋な眼差しを向ける少女。


戦う度、雪菜より連音が強くなっていく。
少女の叫びに自身の心を映し、言葉をぶつける。
向けられる眼差しに心が吐き捨てる。

―お前にはそんな資格はない―


気が付いた。気が付いてしまった。

唯一つと信じて進んできた道。
それは今、完全に閉ざされていた。

(いや、まだだ……)

ただ一つ残ったものがある。
竜魔としての使命。

ジュエルシードの封印。

そして、その先にいる悪意ある者。

それを滅ぼせれば……きっと終われる。

この痛みを、終わりに出来る。



連音は一つだけシュークリームを摘まみ、齧りついた。

舌先と口元にしっとりとしたものが触れた。
中身はホイップクリームのようだった、が。

「…甘く…ない………?」

甘くないシュークリームなどという物が存在するのかと考えたが、現にあるのだから仕方ない。

連音はそれを食べ終えると、今度こそ立ち上がった。

カウンターの士郎と奥から顔を見せた恭也にお辞儀をして、連音は翠屋を後にしたのだった。


連音は公園に向けて走った。
そこにいるであろう人物に会う為に。


心の痛みは不思議と無かった。




桃子は連音の残したシュークリームを厨房に持ち帰っていた。
それを見ながら首を何度も傾げていた。

「おっかしいわね〜?」
「何がおかしいんですか?」
バイトの子がひょいを顔を出して桃子に尋ねた。
桃子はその子の鼻先ににすっと手にした皿を差し出す。

「ちょっとこれ、食べてみてくれる?」
「はぁ…?」
何の事だろうと思いながら、皿の上のシュークリームを摘まみ、食べてみる。
「うぅ〜、甘くて美味しぃ〜っ!流石は桃子さん!」
「そうよね…甘いわよね……?」
「え…?どうしたんですか??」
自分が変な事を言ったのかと思い、桃子に聞き返す。
桃子は慌てて「何でもないわ」と返した。

(どうして連音君…甘くないなんて言ったのかしら……?)

桃子は連音のテーブルにシュークリームを出した後、すぐに店内に戻っていた。
その時、連音の呟きが耳に入ったのだ。

最初、自分が砂糖の配分を間違えたのかとも思ったのだが、
シュークリームは作り置いてあった物で、クレームも無いし、実際に食べてみてもちゃんと甘かった。
連音が食べた物だけが甘くないなんて事は勿論無い。


なら一体どういう事なのか。
桃子はしきりに首を傾げた。







作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板
に下さると嬉しいです。