八神はやてとの再会に連音の心は大きく揺らいだ。
それはまるで毒のように染み渡り、連音を苦しめる。
消し去る為に対するのは高町恭也。
彼の流派、御神流は永全不動八門と呼ばれる存在の一派で、その技は完成されれば無敵とも称される程。
もう一度望む忍となる為に、連音は戦いを挑む。
魔法少女リリカルはのは シャドウダンサー
第十話 強さと心(中編)
士郎の始まりの合図を受けて、連音は一気に駆け出す。
ものの数歩で剣の間合いに踏み込む。その勢いのまま恭也のわき腹を狙う。
「はぁ!!」
乾いた音が響き、連音の先制攻撃は恭也にあっさりと防がれた。恭也は左の木刀で受け止め、同時に右の剣を振るう。
連音は真上に飛んでそれを躱し、そのまま蹴りつける。
「くっ!」
寸での所で恭也はそれを木刀で防ぎ、一旦間合いを離す。
木刀を逆手に持ち直し、反撃に移る。板張りの床を蹴り抜くかのような踏み込みから恭也の剣が襲い掛かった。
掠める事さえ許されない恭也の攻撃を、着地したばかりの体勢で躱していく。
一撃目は身を屈め、頭の上を掠める。二撃目を腕だけで体を跳ね上げて躱す。
振り下ろしの三撃目を柄の先を蹴り、止める。
「つぁっ!」
恭也が繰り出した四撃目を木刀がギリギリで受け止める。
ビリビリと腕が引き千切れるのではないかと思うほどの衝撃が走った。
「ふっ!」
身を翻し、恭也が更に攻撃を仕掛ける。独楽のように回転し、押さえていた足を弾き、その勢いのまま突きを放つ。
連音は大きく跳んで、それを躱すと同時に間合いを離す。
床を擦る様に着地し、体を屈めたまま刃を構える。
追撃を警戒したが恭也は意外にもそうはせず、ゆっくりと構え直す。
連音も立ち上がり、構え直す。
時間にして僅か十数秒の攻防を見て、少なからず驚いたのは士郎だった。
幾ら子供とはいえ竜魔衆の一員。しかも本家の人間ともなれば子供といえど油断できる訳はない。
とは言え相手はやはり子供。幼き日より修練を積み重ねてきた恭也とは、どれ程も戦えないだろう。
そう考えていた。だが、連音の体捌きはその予想を遥かに上回るものだった。
そしてそれ以上に驚かせたのは攻撃の精密さだった。
初撃はわざと受けさせ反撃を誘い、それを躱した上での蹴りの狙いは恭也の喉。
迷いなく、正確に蹴っていた。
その後の恭也の攻撃を捌ききった動きも目を瞠るものがあった。
(流石は空也さんと雪菜さんの息子だな……とはいえ少し異常な反応速度にも見えるが……?)
いくら何でも、自分の末娘と同い年の子供がそれだけの反応を見せている事に、僅かに違和感を覚えていた。
士郎がそう感じている中、当の恭也はそれを予想していたのでそれほど驚きはしなかった。
(やはりあの一族の血統だけあって、並みの動きじゃないか……末恐ろしい子供だな…)
そう思いながら恭也の顔は微かに笑っていた。
連音も恭也の強さは想像していた以上のもので、放たれた全てが必殺である事に背中に冷たいものを感じていた。
(もしかしたら兄さんより強いかもしれない……)
連音にとって兄である束音は剣の師匠でもあった。その強さは圧倒的でまるで神の様にさえ感じた事もある。
しかし今、対峙している人物はそれを上回る実力かもしれなかった。
勿論、忍者としての実力と剣士としての実力は違うものだ。だがそれでもそう思わせる強さ、それが恭也にはあった。
似た歴史を持つ存在。それと戦う事で自分の中にある迷いを消せる。
だからこそ、この人に勝ちたい。勝たなければいけない。
二つ確信し、連音の瞳が鋭さを増していく。
全身が冷たくなっていく感覚に連音は身を任せる。
(そうだ、これだ……。里で修行していた時、俺はいつもこうだった……。
ただ、目前の敵を葬る事……それだけを叩き込まれてきたんだ……)
「む…!」
「……!」
連音の雰囲気が変わったのに二人はすぐに反応した。
小さな体躯から気配が徐々に消えていく。
いや、微かに感じるものがある。
氷のように冷たいもの。それが何であるのか、二人は知っていた。
((殺気……))
だが、それは余りにも希薄で、よく感じなければ掴めないほどだ。
その理由を士郎も恭也もすぐに気が付いた。
「見事な気殺……陽炎か」
気殺。その名の通り気配を殺す事。それは捉え切れない速さに対して気配で対応する剣士にとって、目を塞がれる事と似ていた。
陽炎とは竜魔における気殺の術の呼び名である。
目の前にいる筈なのに姿が薄らいでいく。まるで距離をつかめない、蜃気楼のような感覚。
(クソ、何てやり難い…!)
恭也は意を決し攻撃を仕掛ける。並みの人間では反応できないスピードで踏み込み、そのまま突きを放つ。
空間ごと貫くかのような一撃だったが、それは虚しく空を切った。
空気に溶けるように連音の姿が消えたのだ。
一瞬の動揺を押し殺し、恭也は辺りを警戒した。
「何処だ……?」
恭也は隙を見せないまま周囲を見回す。
だが道場には人影どころか気配すらも無い。隠れる所のない場所で完全に見失ったのだ。
(だが、ここにいる事は間違いない。なら仕掛けたところを狙う…!)
原理は分からない。が、どれだけ気配を消していようと、姿が見えなかろうと、攻撃を仕掛ける瞬間まで気配も姿も消すことはできない。
そして、恭也の速さはそれに対応できるものだ。
恭也はその瞬間に反応させる為、全神経を集中させる。
「――!!」
背後に気配を感じ、木刀を振り抜く。高い金属音が響いて床に細長い物が落ちる。
それは恭也には酷く見慣れたものだった。
「暗器……棒手裏剣……!?」
棒手裏剣は恭也の使う飛針よりもずっと太い、極めて殺傷能力の高い投擲武器だ。
それを容赦無く放った連音。恭也は認識を改めた。
今戦っているのは剣士ではない。そして、これは仕合いなどではないと。
「本気、そういう意味か………だが…?」
高い身体能力に、自分の攻撃に反応できる反射神経。気配を消しての攻撃。
間違いなく強敵。一瞬の油断も許されない。
そんな相手が今、自分を殺そうとしている。しかし、その中に違和感を覚える。
(まるで別人と対しているようだ……だが、このままという訳にも行くまい)
その認識に恭也の纏った気配が変わっていく。
「ならばこちらも”本気”で行く……!」
腰に一本、木刀を納める。
今まで手を抜いていたのではない。ただ、ここからは一剣士、高町恭也から御神の剣士、高町恭也に変わったのだ。
その様子を連音は道場の壁際に身を潜めながら感じていた。
着替える時、既に自身の力は解放している。
魔力による身体能力の底上げ。そして反応速度の加速。
そして何より隠行の術を用いて姿まで消している。
その不意打ちを防がれた事で相手は更に本気を出している。
連音の心が更に冷たくなる。
勝つ為に、生き残る為に。そこに余計な感情の入る余地など無い。
(殺の瞬間まで気配を殺せ……心を凍らせて、一撃で仕留めろ……それが竜魔の…)
連音の腕が静かに動く。
(母さんの技だ……!)
「――そこかっ!」
「――!?」
恭也は連音のいる場所に向かって腕を振るった。キラリと光る物が一瞬映る。
連音は全力でその場から離れる。刹那、今までいた場所に連続して何かが突き刺さった。
が、それを確認する間などない。隠行の術は解かれ、姿は丸見えになっていた。
恭也は迷うことなく踏み切り、間合いを詰めてくる。
「チッ!」
連音の姿が掻き消える。連音の得意の術、瞬刹だ。
超高速移動で間合いを離し、再び姿を消す。それを狙った。
が、恭也の目はその動きを完全に捉えていた。連音に向けて再び腕を振るった。
「そんなっ!!」
驚きながら木刀でそれを受ける。またも飛び道具だと判断し、受け止めたのだ。しかし今度は違っていた。
刀身に絡みつく細い物。光を受けて尚反射しないそれは黒塗りの鋼糸だった。
恭也がグイ、とそれを引っ張ると連音の木刀がバラバラに切り落とされた。
恭也は床を蹴り跳躍し、袈裟懸けに斬りつける。
空中で躱す事などできない。これで決まった、その筈だった。
「何だと!?」
今度は恭也が驚く番だった。
空中で連音の姿は消えた。再び瞬刹を使ったのだ。
まさかこの状態で移動できるとは予想できず、恭也の攻撃は再び空を切った。
だが、今度も動きを逃してはいない。壁を蹴り、追撃する。
連音は床に降り立ち、飛び込んでくる恭也を迎え撃った。
再び二刀となった恭也の攻撃をバックステップで回避し、逆に間合いを一気に詰める。
至近距離の更に先、密着状態を狙って。
(速い…!)
恭也も易々と懐に入られるような腕ではない。だが、攻撃の後の体勢と着地の勢いが反応を遅らせた。
反射的に逆手で木刀を握って一撃を放とうとするが、肩を押さえられて止められてしまう。
零距離。刀の範囲の内側に連音は入り込んでみせた。
武器にはそれぞれ有効な距離がある。銃なら中、遠距離。剣なら接近戦。
それより近い範囲なら短刀、もしくは素手による格闘戦。
「ちぃっ!」
「ハァッ!!」
連音の肘打ちが恭也を襲う。身を逸らし躱すが、その頬に赤い一筋が生まれる。
この距離は圧倒的に恭也が不利だった。攻撃を躱せても反撃が出来ない。
だが踏み込みの速さで互角なら、この間合いを離す事は容易ではない。
(また戦い方が変わった…!?)
その変化に戸惑いながらも恭也の動きに揺らぎは無い。
恭也は逆手にした木刀の柄で連音の横隔膜への打撃を狙う。
が、それを連音はあっさりと押さえ、代わりに恭也の胸に肩をくっつけた。
恭也の全身に嫌な予感が走る。
回避しようとする恭也だったが、連音はそれよりも速く動く。
「ぐはっ!?」
ズシン、という衝撃が恭也を襲う。
勝負を見ていた士郎はその技に驚きを隠せなかった。
連音が使ったのは零剄と呼ばれる密着状態からの発剄だった。
剄力は易々と使えるような代物ではない。それもまた士郎を驚かせた。
「まさかここまでとは…だが……」
恭也は壁に向かって吹っ飛ばされた。そのまま叩きつけられる、そう連音が思った瞬間にそれは起きた。
恭也はくるりと体を回転し、壁に足をつけて着地――いや、着壁してみせたのだ。
そしてその体勢のまま、今までと違う構えを取り、膝を深く折り曲げて壁を蹴った。
恭也の目が猛禽類のようにギラリと光る。
まるで爆発したかのような音が道場に響いた。
全身を駆け抜ける衝撃に恭也の意識が一瞬薄らぐ。
それを気力で踏み留め、瞬時に状況を判断する。
(ダメージが大きい。これ以上喰らえばやられる…!)
強引に体を折り曲げ、壁に向かい足を向ける。ダン!という音と共に足裏に伝わる感触。
張り付くような体勢で構えを取り、恭也の世界が色を失う。
モノクロの世界で、もどかしいほどに全てがゆっくりと進んでいく。
だが、その世界で動いているのは恭也だけだった。
そして恭也は剣を振り抜いた。
その後、何が起こったのか連音には分からなかった。気が付けば奇妙な浮遊感に包まれていたのだ。
そして悟った。
自分の敗北を。
「―――お、気が付いたか?」
連音がぼんやりとした意識の中で瞼を開くと、やはりぼんやりと視界の中に黒髪の青年の姿を捉えた。
「恭也さん…?そっか…俺、負けたんですね………」
「大したもんだ。本気の打ち込みだったのに二撃も防がれた上に、ものの三十分足らずで気が付くんだからな」
恭也は本当に感心しているといった風に頷く。
それに対して連音は苦笑いを浮かべるしかなかった。
自分がどうやって負けたのか、それすらも分からなかったからだ。
恭也は二撃防がれたと言っているが、そんな記憶もない。
「あの…恭也さん……?」
「何だ?」
「最後のあれ、何だったんですか?」
連音に聞かれて恭也は少しばかり困った顔をした。どうやら余程言い難いもののようだ。
少し考えた末、恭也は口を開いた。
「名前ぐらいなら構わないだろう。御神流の奥義、名を神速、そして薙旋と言う」
「神速に薙旋……。凄い技ですね、俺、何がなんだったのか全然分からなかったです」
「だが君は薙旋を二撃も防いでみせた……普通なら骨が砕けていた筈だったんだがな?」
「え…?あっ!」
恭也の言葉で連音は自分の両腕と体に包帯が巻かれている事に気が付いた。
「一応手当てはしたが…君なら、もう平気だろう?」
その言葉に連音は一つ理解した。元々考えていた事だが、ここでようやくその確信を得た。
「知ってるんですね、やっぱり。忍姉の恋人って聞いた時から、もしかしたらと思ってたんですけど」
「君も……夜の一族なんだな?」
「……大分血は薄いですけど、一応は………」
連音は巻かれた包帯を解いていく。恭也が手当てした時、そこには酷い打ち身があったのだが、既にその痕はどこにも無い。
恭也はそれに何も言わずに立ち上あがり、見上げる連音に手を差し伸べる。
「汗をかいたし、風呂にでも入って汗を流そうか」
「……はい、恭也さん」
連音はその手を掴み、引き上げられるようにして立ち上がった。
二人が入るには少し狭い風呂場で連音は恭也に頭を洗われていた。
強い力にさっきから首が右に左に振り回される。
「すまない、こういうのはあまりやった事がなくてな……。昔、なのはと入った時にやったら痛いと泣かれてしまって…それ以来だ」
「は、はぁ…そうですか……」
そんな話をしている間も首はぐりんぐりんと回される。
実はワザとじゃないのか、そんな邪推さえしてしまう。
そんな考えを消すべく連音は話題を探した。
「あ…と、士郎さんはどうしたんですか?道場にいなかったですけど……?」
「父さんなら先に店に行ってもらった。あれを見られるのは都合が悪いだろうからな」
「……すいません」
「いいさ。これも”契約”の内だ」
あれというのは『夜の一族』と呼ばれる存在の力の一つ、強力な再生能力のことだ。
流石に人に知られる訳にはいかない事で、恭也の気遣いに連音は心から感謝した。
ちなみに契約というのは同族となり、そういった秘密を守る事。そんな感じの内容のものだ。
泡だらけの頭に恭也が洗面器でお湯をかけてそれを丁寧に流していく。
「何にも聞こうとしないんですね……」
「君の一族、辰守家がどんな一族かは父さんに少しは聞いた。この世の脅威となる存在…人や人外なるものと戦ってきた忍の一族だと……。
全ては世の為……立派なものだ」
恭也は連音が気を失っている間に士郎から色々と聞かされたらしく、その声は少しだけ寂しさを含んでいた。
連音は背を向けたまま黙っていたが、やがて口を開いた。
「恭也さん……」
「何だ?」
「俺は辰守の者として使命を果たさなければいけないんです……」
「………そうか」
「それなのに、そう決めたのに……」
「……?」
「痛いんです……。戦う時だけじゃない……ずっと…誰かの顔が浮かぶ度に。この町に来た時はこんな事一度も無かったのに」
連音はギュッと胸を押さえた。
言葉を、思いを吐き出す度に今までよりも強く、そこが痛んだ気がした。
「だから……御神の剣士と戦いたかった……。そうすれば、きっとこんなものに心を乱されはしない。そう思ったんです……。
さっき、戦ってる時には確信してたんです……でも、また……」
恭也はその告白をただ黙って聞いていた。
どうして、ここまで強さにこだわるのか。あれだけの強さをこの歳で持っていて、それでも欲する強さの正体。
それを言ってくれるかもしれなかったからだ。
まるで教会の懺悔室の様な空気が浴場を包んでいた。時折ピチャン、と天井から雫が滴る音だけが聞こえる。
少しだけ肌が冷えてきた頃、連音の口が再び動いた。
「俺はならなくちゃいけないんです…」
「何に…?」
「母さんのような……強い忍に」
母のように。その言葉を聞いた時、恭也の中で士郎の言葉がリフレインした。
それは連音との一戦を終えた後の事だ。
「彼は大丈夫か?」
「あぁ…気を失ってるだけだ……それくらい分かるだろう?」
「まぁ、そうなんだがな。一応炊きつけた立場としては…な?」
苦笑する士郎に恭也は抱いていた疑問を思い出した。
「そういえばどうして彼と俺を戦わせたんだ?しかも本気で……」
その問いに士郎は一度、倒れている連音に視線を向けた。
大の字に倒れたままでピクリとも動かない。
「何というかな……そうした方が聞けると思ったんだ」
「聞ける…?一体何を?」
「この子の本当の心……かな?」
士郎の言葉に恭也は首を傾げた。
恭也も剣士として自身、まだまだと思っている。だがそれでも打ち合って分かるものは分かるつもりだ。
連音の剣は迷い無く、真っ直ぐだった。それに間違いは無い。
途中、いきなり戦い方が全く変わった事は驚いたが。
だが、それは最初の連音を見ていなかったからこそ抱いた感想だった。
道場に入る時、連音の意識は一瞬で切り替わっていた。
その変わり様に士郎も驚いていたほどだった。
例えるなら天秤が極端に傾くように、連音の雰囲気は一変していたのだ。
それを見て、士郎は自分の抱いた思いが杞憂でない事を知った。
「この子は生まれた時から戦う事を運命づけられているんだ」
「……?」
士郎は恭也に竜魔の事を知る限りで語った。
それは恭也にとって余りにも衝撃的な内容だった。
世界を護る闇の一族。その一族に生まれた事。その使命。
それがどれ程重いものか、不破として生まれた恭也にはよく分かった。
その上、連音が忍と同じ夜の一族の血を引く事も知っている。
なのはと同じ歳の子供がそれだけのものを背負っているのだ。
その衝撃は大きかった。
「だが、この子が背負ってるのはきっとそれだけじゃない……」
「……?」
「似ているんだ、あいつにな……」
「あいつ……?」
士郎は静かに頷いた。
「………美沙斗にだ」
士郎の口から出た言葉に恭也は目を見開いた。
美沙斗――御神美沙斗。
士郎の妹であるその人物の名が出てきた事は、恭也にとってショックだった。
かつて憎悪と殺意に心囚われ、闇に身を投じた美沙斗。
彼女は自身の目的――龍と呼ばれるテロ組織を滅ぼす――その為に自身もまたテロリストとして恭也の大切な家族に狂気の刃を向けた。
美由希、恭也の活躍によってその刃は砕かれ、美沙斗もまた復讐の連鎖を断ち切られた。
だが、その事件は未だ恭也の記憶に新しく、今倒れている少年が美沙斗と似ているという話は到底受け入れられる事ではなかった。
「連音君が……この子が美沙斗さんに似ている!?莫迦なっ!」
「だが事実だ。美沙斗が俺に美由希を託しに来た時、この子と同じ目をしていた」
「っ……!?」
士郎の顔は真剣で、そしてどこか悲しみを含んでいた。
「途中でこの子の戦い方が変わったのに気が付いたか?」
「あ…あぁ……」
「……あれはこの子の母……雪菜さんの戦い方そのものだった………」
「だが、あれは明らかに暗殺の……」
「そうだ。連音君の母親である雪菜さんは……生粋の暗殺者だ。お前も名前ぐらいは耳にしたことがあるだろう…?『アイス・ブルー』というアサシンの事を」
「アイス・ブルー…!?あの冷徹非情の暗殺者…その目は見た者の魂すら凍てつかせ、自身の死すら気付かないという……あのアイス・ブルーか?」
驚愕する恭也に士郎はただ頷く。
「連音君は知ってるのか…?自分の母親が……暗殺者だった事を」
「知っているだろうな。暗殺といってもそれもまた一族の宿命だし、でなければ、あそこまで見事に真似は出来ないだろう?」
士郎はそっと連音の髪を撫で上げる。
「あの時、俺は美沙斗を止められなかった。だから今度はちゃんと止めてやりたかったんだ。
何より、大切な友人の子どもだからな」
「………そういう台詞、一度で良いから自分の子に使って欲しいもんだな?」
「うるさい!」
(母親の様に……か。だが、それならどうして美沙斗さんに似ているんだ…?)
復讐鬼となる前の美沙斗を知っているからこその疑問。
そうなる原因が大切な人達の死であったならば、連音も同じ思いをしたということなのだろうか。
湯船に浸かり、体を温めながら恭也はずっと考えていた。
二人が入ると流石に狭く、恭也は自然と足を折り畳み、出来たスペースに連音は向かい合うような格好で湯船に入っている。
先程と異なり、連音の様子は今までと同じように見えた。だからこそ分からない。
士郎の言葉を疑う訳ではないが、やはり美沙斗と同じとは思えないでいた。
考えていると連音が尋ねてきた。
「そういえば、恭也さんはあの時どうやって俺の場所を分かったんです?」
「え、あぁ…分かったと言うか……一瞬、波紋のような気配を感じたんだ。そこに飛針を投げただけさ」
いきなりの問いかけに少し動揺しながらも恭也は答える。
「そうでしたか……。ダメだなぁ、母さんだったら絶対に気付かれなかっただろうに……。
まだまだ上手く行かない、か……」
そう呟いて笑う連音の顔は言葉とは裏腹にとても辛いものだった。
「なぁ…どうしてその……お母さんの技に拘るんだ?君は君の……君だけのものを探せばいいじゃないか?」
不意に思い出される、かつて父士郎の背中を追い続け、犯した過ち。
その頃と同じような事を言う連音を自分が止めようとしている事に、若干の違和感を覚えつつ、恭也は言った。
「駄目なんです。俺は母の様に………いや、母にならなければならないんです。
どんな悪も一瞬で消し去り、世界を守る……そこに俺はいらないんです」
「何でそんな事を言う!?どうしてそこまで…!?」
恭也の怒りの篭った声が浴室に響き渡る。僅かに残る余韻の中、連音は自分の胸に手を置いた。
そして笑った。
「だって、この中には母さんの血が流れてるんですから」
苦笑でもなく、微笑でもない。普通に今までと同じ笑顔。
だが、その顔から恭也が今まで感じた様な温かみは無かった。
一際寂しく、一際悲しい笑顔。
恭也はその顔に何も言えなくなっていた。
一瞬だが、恭也は連音の心を垣間見た気がした。
「そろそろ、上がりましょうか?」
「あ、あぁ……」
連音は返事を聞く前に湯船から出て脱衣所に出て行く。
恭也もその後に続いた。
風呂場を出ると既に時間は十時を回るところだった。
「随分長湯しちゃいましたね…」
「そうだな。俺はこれから翠屋に行くが君はどうする?」
「ん〜…どうしようかな……」
グ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。
恭也の提案に少し考えた瞬間、腹の虫が不意打ちをかましてきた。
その見事な合唱に恭也の目がビックリして見開かれる。
「く…くくく……っ…」
背を向けて必死にこみ上げるものを耐えている。
連音も恥ずかしさで顔を赤くしている。
「今日はこんなんばっかか……」
連音は腹の虫で二度も笑われるという貴重な経験を二度もしてしまい、いっそ誰も知らない地へ行ってしまいたい気持ちに駆られた。
「一緒に行くか。店に行けば何か出せるだろうから」
「………ご迷惑をおかけします」
玄関に向かおうとした所で恭也が気が付く。
「ちょっと待て」
「はい?」
恭也はおもむろに連音の服を脱がせた。
「これを巻いとかないと父さんに何を言われるか」
そう言って腕に包帯を巻きつけていく。
既に治っているので巻く必要はないのだが、それを知っているのは恭也一人だ。
一瞬は驚いたが、連音もすぐに分かり、大人しくされるがままになっていた。
腕が終わると、今度は体にも巻いていく。
「こっちはいいんじゃないですか?」
「いや、父さんなら服の上からでも気が付く」
「透視能力でもあるんですか、あの人」
「――あるかも知れんな」
偽装の包帯も巻き終えて、今度こそ二人は翠屋に向かう事になった。
その道中、恭也はずっと考えていた。
風呂を出た後の連音の様子は恭也の知る連音のものだった。
だが、あの時に見せた笑顔が勘違いだとも思えない。
(四年前……一体、何があったんだ?)
恭也は先行する連音の背に複雑な思いの篭った視線を投げかけていた。
喫茶翠屋まで、半分ほどの距離に迫っていた。
次回は長い半日の後編です。
矛盾だらけの連音の言葉。その裏にある一つの悲劇。
そして出番の無いヒロイン達!(笑)
次回はどうなる!?
拍手レスです。
>忍さん、連音の目的知ってるのに邪魔するような真似しちゃまずいでしょ、
存在知られたのも忍さんのせいだし
忍さんは連音の過去を知るただ一人の人物なので、色々と気を使ってます。
とは言え、悪戯心は常に全開ですがwww。存在を知られたのは不可抗力ってヤツです。
次回はそんな忍さんも見られます。
作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル、投稿小説感想板、