龍は高く昇る
第六話 A new awakening
―嗚呼、日差しが暑い。やっぱ夏だなぁ。
蓮は枕に顔を沈めたままの状態で目を覚ました。
―そうか。やっぱ夢だったんだ。だよなぁ、ファンタジーな世界なんてマンガかゲームだけだよ、うん。
微笑みながら自己完結すると、蓮はフトンの中へと潜った。
その時だった。はたと自分の部屋の有様を思い出す。同時に背中に一筋の汗が流れる。
―あれ? そういえば俺の部屋って西日当たらないのに何で日差し当たってんだ? それに夏の代名詞である蝉の声が聞こえないぞ? あれぇ? そもそも俺ん家ってベッドだったけか?
蓮は恐る恐る、目を開けると同時にフトンから飛び起きた。
そこには・・・・
「おいおいおい・・・・マジですか?」
たくさんの木製ベッドが順序よく並んでいた。病院だと蓮は直感した。夢ではない。間違いなく、現実だ。
腕を組みながら蓮は通路を歩いていた。
部屋からは出たのはいいものの、一体自分が居る所はどこなのかがサッパリわからない。
部屋に居るべきだった、と今更後悔していた。
「つーか何で俺、無事なんだ?」
記憶が確かなら、自分は渓谷から川に落ちたはずである。
少なくとも高さは100メートル以上あったはず。普通の人間なら生きているはずがない。
それどころかすこぶる体調がよい。10キロ走り続けてもまだ余裕なほどだ。
そうこうしている内に、蓮の視界に出入り口のような扉が見えた。
途端に蓮は駆け足で扉へと向かう。
ただ、外が見たい。陽が見たかった。
いつの間にか、駆け足の速度は速まっていた。
と、
「のは!」
「どひゃあ!」
突如として蓮に黒い服を身に纏った女性が横っ面から激突し、蓮の平均男子生徒より鍛えられた身体は30センチほど横に吹き飛び、脳天から壁に激突した。
そしてぶつかってきた黒い服を身に纏った女性も同じく激しく吹き飛び古びた床へと背中から滑るように吹き飛ぶ。
「いってぇ・・・・」
わずかであるが目の前に星が回り、頭がクラクラする。もう少し当たった場所がズレていたら確実に意識を失っていただろう。
頭を押さえながら、蓮は同じく倒れた女性に手を差し伸べた。
「す、すいません。俺の不注意で・・・・」
「あいたたたた・・・あ、こちらこそすいません〜・・・・」
女性は蓮の手を握り、立ち上がる。
その女性を見て、蓮は一瞬自分の目を疑った。
髪型はポニーテール。真っ黒なローブに木製の杖は多分、俗に言う魔術師の証拠であろう。
ここまでは蓮でも理解できる。
しかし、唯一異様に見えたのは、同じく黒のハチマキで目を隠していることだった。これが原因で衝突したのではないのだろうか?
「あのー・・・・・」
「あ! 君、4日前この街に流れ着いた人じゃない! 身体は大丈夫なの!?」
「え?」
「覚えてないの? あなた、4日前に川から流れ着いて・・・・というよりあの激流でかすり傷で程度済んでたのがすごい不思議だったけどねぇ」
―・・・・・・・4日前!?
「大変だ! 早く合流しな―!」
血相を変えて走ろうとしたその時だった。
「蓮様ぁ〜〜〜〜!」
どこかで聞いた声がした。この特徴的な高い声。
間違いない。この声、ジーナだ。
次の瞬間、蓮の首にわんわんと泣くジーナがかなり力を込めながら抱きついた。
「蓮様ぁ、無事でよかったぁ! ジーナ、心配で心配でご飯もいつもの五倍くらいしか喉を通らなくて・・・・わあああぁぁぁん!」
「それはそれは・・・ぐほぉ・・・・し、心配してくれてありがとう。で、ジーナ・・・・」
「はい?」
「く、苦じい・・・・・」
直後、蓮の視界は暗闇と化した。
意識の戻った蓮は、村の隅にある川瀬でボーッとしていた。
この町は近々魔物が集団で襲ってくるため、外出は禁止されているとあの女性―名をルルア・ファーゲンス。ラクートという都市から派遣された魔術師部隊第8中隊隊長である―が言ったのだ。
つまり、事実上この町から一歩も出られない状況なのである。
「あー・・・・くそぅ、休んでる暇なんて無いのに!」
一刻も早くこの町を出て、自分が生きていることを伝えないと、ウェッドと桃華に置いてけぼりをくらってしまう。
最悪、二度と自分達の世界へと帰れなくなってしまう。そう思うだけで身震いがした。
蓮は頭を抱えながら、大きくため息をついた。
「この街の雰囲気もなぁ・・・最悪だな」
いつ魔物が襲ってくるかわからないせいか、住民や傭兵、魔術師にも緊張感がピリピリと肌に伝わる。夕焼けに染まる空を見上げながら蓮は、恋人の名を呟く。
「桃華ぁ・・・・」
「隊長、本部からの伝達書が届きました」
「そう。どういう命令が下ったの?」
長椅子に寄っかかり、杖を雑巾で磨きながらルルアは言う。
魔術師部隊は今、傭兵と警備をしている魔術師を除いて、村の役所にたむろしているのだ。
伝達書を持った女性魔術師が言う。
「魔物の殲滅が終結次第、第2小隊、第6小隊を村に駐在させ、残りの部隊はラクートへと集結せよとのことです。あと・・・・」
「ん、どうかした?」
「・・・最近、部隊内でリデア族に対する差別的な言及が増えているんです。暴行や嫌がらせもあるようなので調査をしているのですが・・・」
「そう・・・」
ルルアは思いつめた顔で言った。
「・・・ここだけの話、上層部もリデア族を切り捨てるつもりみたいなのよ」
「え・・・!?」
女性魔術師は驚愕した。
リデア族は他の種族よりも魔術や魔法を扱う力が強いため、魔術師部隊には欠かせない存在である。
その種族を切り捨てるというのは、魔術師部隊の戦力を大きく削いでしまうことになる。
そもそも3種族の間で何かが変わったのは16程年前からだ。
王家7人衆の一人、“光”の龍神の加護にある国ナフォクの王が、独自に独裁を行ったことが引き金であった。
ナフォクの王は都に住んでいたリデア族、アミナ族を処刑したのである。この行いは各王家から反感を買い、1年後には民の内乱により命を落とした。
それから、世界は徐々におかしくなっていった。
大陸全土の魔物の大量出現、今までなかった種族間の争い。最近ではガルミアの国王の死と何物かによる王女の殺害。そしてガルミア王国大臣の多種族の排他政策。
まるで世界が部品のかけた積木の城に、すこしでも衝撃が起これば、もう誰にも止められない事態へと発展しかねない状態のような気がした。
「ローナ、その差別的な言及をした隊員を洗い浚い調べて。下手をしたらトンでもない事態になるかもしれない」
「了解しました」
「あ、ちょっと、ローナ」
部屋を出ようとしたローナをルルアは引き止める。
「あなた、目のクマがすごいわよ。ちゃんと休んでる?」
「いえ、ここ最近忙しくて・・・」
「なら今のうちに休んでおきなさいよ。でないと、あとで倒れても知らないわよ」
微笑みながら、ルルアはウインクをする。
「・・・了解。ではお言葉に甘えて一眠りします」
そう言うと、ローナは部屋から出て行った。
一人きりとなったルルアは、長椅子にぐったりと
「・・・・・私も少し寝よ」
そう呟くと、目を閉じ、襲い掛かる睡魔に身をゆだねた。
夜になっても、町を覆っている緊張感は収まらない。
戦闘において夜とは一番危険な状況である。加えて人間は本能的に闇を恐れる。
襲ってくるモノがモノなら、尚更である。そんな中、蓮は病院のベッドで横になり、ボーッとしていた。
夕飯を食べ終えて、ベッドに戻り、ルルアからもらった木綿でできたシャツにズボンを着た後、蓮には何もすることはなく、寝るしかなかったが、眠れなかった。
上半身を起こし、窓を見た。
窓からは傭兵と魔術師達が村の入り口を警戒しているのが見えた。
「俺、帰れないのかなぁ」
ため息を吐きながら肩を落とした、その時だった。
「ぎゃああああああああ!」
男の悲鳴。
蓮はハッとし、外を見る。
村の川瀬から半漁人のような魔物が男に覆いかぶさり、咀嚼している。
それと同時に、村の出入り口から魔物の群れが堰をきったが如く押し寄せた。魔術師部隊も果敢に応戦しているのも見える。
蓮は息を呑んだ。
「あ・・・・あああ・・・」
蓮は呆然としながら床へとへたり込んだ。
同時に、扉の向こうから雄叫びと悲鳴、そして鋭利な物同士がぶつかり合う音がした。
すぐそこで戦闘が起こっているのだ。
蓮は躊躇せず窓から飛び降りた。この病院にいるより、魔術師達のいる場所の方がまだ安全だと思ったからだ。
「ジャッツェン、左に4体よ! ノクアス、ホウン、あなた達は避難所にいる傭兵たちの援護をして!」
喉が嗄れんばかりにルルアが指示を出す。
「・・・正直、一休みしてお茶が飲みたいわね」
息を荒げ、呟く。
と、
「隊長、左に5匹です!」
隊員の声に、ルルアは左を向く。
ムカデに似た気持ちの悪い魔物数匹がルルアに襲い掛かろうとしていた。
「ちぃ!」
ルルアは杖を地面に刺した。同時に出現した魔法陣がルルアを囲む。
紅の矢、今ここに愚かなる者へと天罰を下さん。
紅蓮驟雨!
次の瞬間、炎の雨がルルアに襲いかかろうとした魔物へと降り注ぐ。
魔物は一瞬のうちに、焼け、炭化した。
「まったく、キリがないわね」
顔を少し顰めながら言う。これでもう40匹は倒した。
しかし、この村にいる魔物の数は一向に減る気配がない。
これでは退治する前にこちらが退治されるのも時間の問題である。
それに自身の魔力も限界に近づいてきている。上級魔法ならあと一回放てば卒倒は間違いない。
「ルルアさん!」
背後から蓮の声がし、ルルアは振り返る。こちらへと向かってきている。
「っ! 蓮君、伏せて!」
「えっ!?」
駆けろ! 音速の牙よ!
疾風牙!
一瞬、身を伏せた蓮の頭上を、光を発した槍が一閃した。
そして槍は蓮の背後にいた魔物に突き刺り、ドスン、と音とたて倒れた。
「あ・・・・有難うございます」
倒れた魔物を一瞥し、半ば呆然としながら蓮が言った。
「どういたしまして。それより早く避難所に行きなさい。こんな所に居たらいつ死ぬかわからないわよ」
再びルルアは杖を構える。
「それが・・・避難所を護っている人たちが殺されて、今魔術師の人たちが必死に護ってるんですけど、いつまで持つかわからないんです!」
「えぇ!?」
「あ、隊長!」
見計らったかのようなタイミングで、隊員がルルアに報告する。
「隊長、このままではいずれ押し切られます!」
「・・・・・ああ、もう!」
あまりの状況の凄惨さに、地団太を踏んだ。
辺りを見渡しても死体と魔物ばかり。まるで地獄絵図の縮図のようであった。
「蓮様ぁ〜〜!」
両手で頭を押さえる格好でふよふよとジーナが飛んできた。
「蓮様ぁ、村の出入り口が魔物でいっぱいで逃げることができませぇん!」
まさに八方塞。このままでは死ぬのを待つのみである。
「俺もウェッドさんみたいに物質変換の能力があれば・・・」
蓮は歯噛みしながら呟く。たしかに、ウェッドのように物質変換能力を使えば状況を一気に打破できる可能性はある。しかし、仮にジーナが自分に能力を与えてくれたとしても、自分はその責任を真っ当できるのだろうか。
龍神の御使いに選ばれた者は龍神の居る所まで向かい、試練を乗り越え、化身とならなければならない。
蓮にはやってのける自信がなかった。
「あの・・・・蓮様」
突然、ジーナが真剣な面持ちで言った。
「私、物質変換能力の蓮様に授けてしまったんです!」
「「え!?」」
蓮とルルアがほぼ同時に叫んだ。
「蓮様が川に落ちる時、その・・・強制的に力を授けて・・・。ごめんなさい! あの時、蓮様を助けるには、こうするしかなくて・・・・・」
最後のほうは嗚咽であまり聞き取れなかった。
「・・・・そういうことか」
あの高さで川に落ちても軽傷で済んだこと。いつも以上にいい―むしろ良すぎるくらいの体調。
「・・・・・」
蓮は呆然としながらも冷静に考えた。
自分には人を守れる力がある。今この力を使わなければ、みんな死んでしまう。
ならばやるしかない。蓮は、覚悟を決めた。
微笑を浮かべ、ポン、と咽び泣いているジーナの頭を軽く叩く。
「ジーナ、ありがとう」
その一言で救われた。ジーナは涙でくしゃくしゃの顔を手で何度も拭うと、
「はいっ!」
と満面の笑顔を浮かべ、言った。
「よし、行くぞ!」
「了解ですぅ!」
蓮は落ちていた剣を拾い、避難所へと走り出した。同時に、蓮の体が一瞬水の竜巻が起こった。
暫く経って、水の竜巻が止んだ。そこには、水色の鎧を纏った蓮がいた。
同刻、避難所付近は魔物で埋め尽くされ、防衛している魔術師、傭兵もさすがに疲弊していた。
皆、既に死を覚悟しているのか、覇気がなくなりかけている。
「クソッタレ・・・・ここが俺たちの死に場所かよ・・・」
魔術師の一人が口惜しげに呟く。
それを知ってか知らずか、魔物たちはどんどん距離を詰めていく。
「どうせ死ぬなら・・・・戦って死んでやらぁ!」
一人の傭兵が捨て身覚悟で魔物の群れへと突っ込む。
しかし、薙いだ剣は魔物の一撃で破壊され、傭兵自身も衝撃で吹き飛ばされてしまった。
「こンの・・・・・」
辛うじて傭兵は立ち上がった。
しかし、その傭兵を魔物たちは群れを成して襲おうとしていた。
傭兵が諦めかけた、その時だった。
「てやっ!」
掛け声と共に、先頭の魔物の群れがどす黒い血を吹き上げ、強烈な異臭が辺りに広がる。
その魔物を斬ったのは、水色の鎧を纏った蓮である。
瞬きする間ほどの速さで、次々と魔術師と傭兵を囲んでいた魔物は次々と腹を掻っ捌かれ、首を裂かれ、倒れていく。
それはもはや一方的な蹂躙であった。
その凄惨な蹂躙は、ものの数分で終わった。
町を埋め尽くさんばかりの魔物は、今や無残な死体を残すのみである。
その中心に息を荒げながら蓮は立っていた。
一部始終を見ていた魔術師達と傭兵は堰をきったように駆け寄る。
そして蓮を囲み、歓声を上げた。
「蓮君、蓮君!」
人ごみを掻き分け、ルルアが現れた。
「ありがとう! あなたのおかげよ!」
「え・・・・・あ、はい・・・・・・・」
収まらぬ息をなんとか抑えながら、蓮は答える。それ以前に、頭がクラクラし、立っているのすら危うい。
「・・・・大丈夫?」
ルルアは蓮の顔を覗き込んだ。かなり青白い。
「多分・・・ダ・・・・・メ・・・で・・・」
次の瞬間、蓮は糸が切れた操り人形の如く、ドサッと音を立て倒れた。
小さく揺れる馬車の中で、蓮はうつらうつら、眠っていた。昨日の戦闘の疲労が残っているのだろう。
あの戦闘の後、蓮は気を失い、また病院へと戻された。そして朝になり、外へ出てみれば、第2小隊と第6小隊を除いた部隊が村を出る準備をしていたのである。
そして本部であるラクートへと向かうとの事であった。
それを知った蓮は、急いでルルアに言った。
自分も乗せてほしいと。
魔術師部隊の本部なのだから、都市には間違いないだろう。ならば、ノルヴァンにはすこしは近いはず。それに馬車なら徒歩よりも着く。
だが、蓮は断られると半ば踏んでいた。
しかし、なんと予想に反し、魔術師たちはアッサリと蓮を乗せてくれたのだ。
「村を救ってくれたんだから、礼をしないとね」とルルアが言ったのだ。この言葉にほかの魔術師たちも同意であったようで、反対しなかった。
そして今に至るわけである。
「ぶはぁ。疲れたぁ」
蓮が寝ているのを横目に、ルルアは倒れるように座る。
無理もない。つい昨日、命を懸けた激戦をくぐり抜けたのである。命があるのが不思議なほどだ。
しかし、蓮とジーナがいなかったら部隊と村の全滅は免れなかったであろう。その点では彼らには感謝せねばなるまい。
「ラヅ、ラクートまであとどん位かかるっけ?」
「あー・・・・・順調に行けば一週間半で着きますね」
「そう。じゃあ、しばらくは馬車で寝るのが続くわけね」
「文句言わないでください。地面で寝るよりかはマシでしょう、隊長」
ラヅが厳しいツッコミを入れる。
「はいはい。わかったわよ」
不貞腐れた様子で、ルルアは口笛を吹き始めた。
太陽がほんの少し西に傾いた頃、馬車は止まった。
物資補給のために、イシュリーという、ヴェネチアを髣髴させる町に立ち寄ったのだ。
「蓮君、起きなさい」
寝ている蓮の頭を、ポンと叩く。
「んう・・・・・・ふあああぁあぁぁあああ・・・・」
軽く体を伸ばすと、大きなあくびをした。
「はれ? どうしたんですか?」
寝ぼけ眼で蓮は言う。まだ寝足りない。
「イシュリーっていう街で泊まることになったの。宿に移動するからあなたも降りてちょうだい」
「あ・・・・は・・・・ひ」
これまた大きなあくびを掻きながら、蓮は馬車から降りた。
この町でひと悶着がおきるのも知らずに。