魔法少女リリカルなのは <貫く風>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

序章 第三話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤い。

 

目に映るもの、全てが赤い。

 

ああ、これは夢だ。

 

九年前、“彼女”が死んでしまった――――自分が殺してしまった日の光景だ。

 

今も薄れず、あり続ける過去の記憶。

 

真っ赤に染まった風景。

 

微笑んだ唇。

 

紡がれる事なく散った言葉。

 

何故、“彼女”は笑ったのだろうか。

 

“彼女”は最後に何を伝えようとしていたのだろうか。

 

分からない。

 

分からないまま――――また今日も目が覚める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝――――車椅子を動かし、廊下を進む。

 

見慣れたはずの我が家の廊下も今朝は違ったように見えた。

 

緊張で車椅子を動かす手が震える。

 

心臓は早鐘を打ったように胸の中で暴れまわっている。

 

 

「起こすだけ、起こすだけや……」

 

 

呟いては何度も深呼吸を繰り返す。

 

そうこうしている内に、八神家に数ある客間の一つ――――そのドアの前に辿り着く。

 

数年間、ずっと埃を被ったままだったこの部屋は、今、新たな住人を迎えていた。

 

彼女はその住人を起こしに来たのだ。

 

右手を挙げ、軽く丸めた手の甲をドアに近づける。

 

しかし、残り数センチといったところで、その手はぴたりと止まった。

 

 

「…………」

 

 

俯く。

 

口を開こうとして――――思いとどまる。

 

言う事を頭の中で整理してみた。

 

簡単な事だ。

 

彼を起こして、言葉を一、二言交わせばいいだけ。

 

緊張する事など何も無い。

 

これが普通――――そう普通なのだ。

 

 

「……よし」

 

 

目前のドアを見据える。

 

今までよりも深く、長く、ゆっくりと深呼吸。

 

今度はぐっと拳を握り、しばらくして力を抜いた。

 

また迷わない内に、一気にいく。

 

 

「トモヤさん、起きとる?」

 

 

こんこん、とドアをノックしながら、控えめに声を掛ける。

 

しばしの間。

 

緊張が極限に達する。

 

 

そして――――

 

 

「ああ、起きてるよ」

 

 

返事が返ってきた瞬間、それまで決めていた段取りが全て吹っ飛んでしまった。

 

真っ白になった頭で何とか言葉を紡ぎ出す。

 

 

「あ、えっと……入っても……ええかな?」

 

「どーぞ」

 

 

欠伸を噛み殺したような声が、中から聞こえてくる。

 

緩んだ声音――――はやての頭が、かくん、と下がった。

 

緊張していた自分が阿呆らしくなる。

 

同時に、圧し掛かっていた重圧が消え、心が楽になった。

 

それでも若干の緊張を残してドアを開ける。

 

 

「ん、おはよう」

 

 

部屋の中に入ってきたはやてに、ベッドの上に身を起こしていたトモヤは朗らかな笑顔で応えた。

 

 

「――――っ」

 

 

唐突に――――何故かはやては泣きたい気分になった。

 

窓から差し込む陽の光に照らされた室内で、おはよう、と自分に笑顔を向けてくれる人がいる。

 

一人ぼっちじゃない、誰かがいてくれる朝。

 

そんな平凡で、どこの家庭にもありそうな――――しかし、それはこの家に無かったモノ。

 

ずっと憧れていた、ずっと望んでいた朝の風景。

 

それが今、目の前にあった。

 

 

「――――? どうかしたか……?」

 

 

訝しげにトモヤが尋ねてくる。

 

 

「う、ううん……何でもあらへんよ。それより朝ごはんもう出来るから早う降りてきてな」

 

 

恐らくは赤らんでいるだろう自分の目を、トモヤに見られないように顔を背けて、はやては早口に言った。

 

そして、部屋を出ようとして――――大切な事を忘れていたのに気づく。

 

 

「あの……トモヤさん」

 

 

閉じかけたドアをまた開き、はやては部屋の中を覗き込む。

 

 

「ん?」

 

「お、おはよう」

 

 

照れたような――――はにかんだ笑顔。

 

トモヤはそれに一瞬、きょとん、とするも、やはり笑顔でそれに応じた。

 

 

「ああ、おはよう」

 

 

何時もと同じで、一つだけ違う――――はやての朝はこうして始まった。

 

ドアを閉じて、今度こそ部屋を後にする。

 

のんびりしている暇は無かった。

 

朝食の準備を急がなければならない。

 

普段とは違い、今日は二人分作る必要があるのだ。

 

そう、二人分。

 

 

――――わたしはもう一人やない……

 

 

胸に湧き上がる喜びを噛み締めながら、はやては台所へと向かった。

 

新しい我が家の住人に、朝食を用意するために――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はやてが出て行った後、トモヤはベッドから立ち上がり――――ふと思いついたように頭を少し動かしてそれを見る。

 

部屋の窓にうっすらと映る自分の顔を。

 

未だに穏やかな笑みを浮かべ続けている自分の顔を。

 

 

「…………」

 

 

はやては気づいていなかっただろう。

 

トモヤの笑顔には温かみが無い事に。

 

喜怒哀楽――――そんな表情の変化に伴う感情的な何かが彼には欠けている。

 

まるで人形のように、あるいは何かの記号のように――――どこか生々しさというか、人間臭さが無い。

 

中身の伴わない薄っぺらな笑顔。

 

そう、彼の笑顔は仮面だ。

 

誰もが思い浮かべる笑顔を忠実に模しただけの仮面。

 

だからこそ、はやては気づかない。

 

今まで他者から笑顔を向けられる事が少なかった彼女は、まだその事に気づけていなかった。

 

 

「偽りの笑顔、か――――」

 

 

これまでの穏やかな表情とは対照的な、自嘲の笑みを唇に刻む。

 

自分の心は死んでいるのだと、トモヤは思う。

 

タチミ トモヤという人間は九年前のあの日に、背負いきれない罪に押し潰されてしまい、今ここにいるのはその残骸に過ぎないのだ――――と。

 

ただの残骸となり果てた今の彼は、表情を取り繕う事はあっても、心の底から感情を表す事はもう出来ないだろう。

 

それを寂しいとは思わなかった。

 

それを悲しいとは思わなかった。

 

そんな想いすら今の彼の中には存在しないのだ。

 

まるで、心の中の器の底がごっそりと抜け落ちたように――――胸の奥を他人の感情だけがすり抜けていく。

 

空っぽな心に何かが芽吹く事はもう無いのかもしれない。

 

だからこそなのか――――何もかもが、どうでもよかった。

 

過去に未練は無く、これから先の未来にも希望は無かった。

 

自分に生きる価値があるとは思えず、とはいえ、わざわざ死ぬ必要も無い。

 

それだけの理由で彼は生きている。

 

 

「――――今の俺にはそれがお似合いなのかもな……」

 

 

そう呟くトモヤの顔には、最早、何の表情も浮かんでいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何処までも青く広がる大空の彼方に一人の少女が浮かんでいる。

 

胸元の赤いリボンが印象的な純白の防護服(バリアジャケット)に身を包み、魔法杖――――レイジングハートその手に携えた少女。

 

彼女の名は、高町なのはといった。

 

 

「…………」

 

 

不気味なまでの沈黙が場を満たしている。

 

知らず、なのははレイジングハートを持つ両手をきつく握り締めた。

 

先程からずっと、彼女は自分の眼前に浮遊する“それ”と対峙していた。

 

“それ”は巨大な物体だった。

 

全長はおよそ十メートル位だろうか。

 

陽の光を反射して光るその白い表面には凹凸はおろか皺一つ見当たらない。

 

形状は絵に描いたような見事な楕円形。

 

十人に見せれば、十人ともが口を揃えてこう言うだろう。

 

 

巨大な卵だ、と。

 

 

そんな物体が宙に浮いて、しかも、その場で回転している。

 

ぐるぐるぐるぐると――――回転速度が速すぎるため一見すると余りよく分からないが――――その姿は、とてつもなく異様であった。

 

 

「――――!」

 

 

不意に――――“それ”が動いた。

 

見た目とは不釣合いな速度でなのはに向かって突進する。

 

 

Flier Fin

 

 

即座になのはは足元で光り輝く桜色の翼を羽ばたかせ、その場を飛び退いた。

 

刹那の後、“それ”は彼女の僅か数十センチ横を、唸りを上げて通り過ぎていく。

 

すかさず、飛ぶ方向はそのままに体勢だけを反転、振り向き様にレイジングハートを突き出し、

 

 

Divine Shooter

 

「シューートッ!!」

 

 

お返しとばかりに、四つの光弾を自分の周囲に生み出し、撃ち放った。

 

放たれた光弾は、個別の意志を持ったかのようにそれぞれが思い思いの軌跡を描き、“それ”に向かって殺到する。

 

着弾――――四重の衝撃が“それ”を襲う。

 

 

だが――――

 

 

「やっぱり、効かない……」

 

 

“それ”に直撃した魔力スフィアが一瞬の拮抗の後、弾かれたように四方に飛び散っていく。

 

 

「ディバインシュータじゃ駄目……それなら、今度こそ!」

 

 

レイジングハートの形状を射撃・砲撃形態(シューティングモード)に変化させ、その先端を振り向ける。

 

 

「ディバインッ!」

 

 

環状魔法陣は既に展開され、先端部の宝玉に桜色の光が収束し球状を形作る。

 

周囲を帯状魔法陣が取り巻くにつれ光球はその大きさを増していく。

 

なのはの十八番――――直射型砲撃魔法(ディバインバスター)

 

純粋な魔力を放出するだけという単純極まりない攻撃魔法だが、それだけに対物、対魔力ともに絶大な効果を持つ。

 

彼女の膨大な魔力も合わさってその威力は正に一撃必殺。

 

が、どれだけ高威力であっても、発射する事が出来ない以上は宝の持ち腐れに過ぎない。

 

視界の先、三十メートル以上は離れていたはずの“それ”が、先程までとは比べ物にならない猛烈な速度のブレを起こして近づいてくる。

 

 

――――また……!

 

 

僅かな苛立ちを感じながらも砲撃の発射を断念、光の翼を輝かせて上方へと飛翔、回避行動を取る。

 

距離が十分に離れたところで対峙――――また沈黙が訪れる。

 

“それ”と戦い始めてからは、ずっと同じ事の繰り返しであった。

 

得意の誘導操作弾(ディバインシューター)は回転に弾かれ効果を成さず、一撃必殺の威力を持つ直射型砲撃魔法(ディバインバスター)も突撃によって、発射の隙を与えてもらえない。

 

元々、細かな機動は苦手としていたなのはにとって、この状況には厳しいものがあった。

 

相手との速度差は自分がやや上回っている程度しかない。

 

現在は瞬間的な加速で難を逃れているが、紙一重の回避に否応無く精神は磨り減っていく。

 

なのは自身強固なバリア出力、堅牢な防御魔法を持っているが、流石にあの巨体を受け切る自信は無かった。

 

受け止めた瞬間、弾き飛ばされるのがオチだろう。

 

回避はギリギリ、防御は不可能、しかもこちらの攻撃は通じ難い。

 

このような不利な状況を覆すには、やはり――――

 

 

「なのは!」

 

 

第三者の介入が必要である。

 

突如、虚空に出現した魔法陣から、幾条もの鎖が飛び出し“それ”を拘束する。

 

 

「ユーノ君!」

 

 

その顔に喜びの色を浮かべて、なのはは介入者の名を呼んだ。

 

彼女が見下ろした先――――そこには自らが生み出した鎖型拘束魔法(チェーンバインド)を制御する一人の少年の姿があった。

 

ユーノと呼ばれた少年はなのはの声に、一瞬、表情を緩めるもすぐに真剣な顔つきに戻り、

 

 

「僕が抑えている間に封印を!!」

 

 

そう叫んだ。

 

 

「レイジングハート!」

 

 

少年のアシストに感謝しつつ、なのはは己の相棒(デバイス)に声を掛ける。

 

 

all right  Sealing mode, setup――――>

 

 

レイジングハートから光の翼が広がり、先の直射型砲撃魔法(ディバインバスター)を遥かに凌ぐ魔力がチャージされていく。

 

一撃で決める。

 

なのはの目にはそんな意志の光が見て取れた。

 

レイジングハートも今までの鬱憤を晴らせる事を喜ぶかのように、爛々と真紅の宝玉を輝かせていた。

 

 

しかし――――

 

 

「リリカル・マジカル――――」

 

 

……ぎぃぃぃぃぃぃぃっ!!……

 

 

詠唱途中のなのはの耳朶を異音がかすめる。

 

金属と金属が擦れ合うような耳障りな音。

 

見れば、魔力の鎖で拘束されている“それ”の表面――――鎖に覆われた部分――――から魔力のぶつかり合いによって生じる火花にも似た光が迸っている。

 

如何なる作用が“それ”の表面に働いているかは不明だが、恐らく“それ”の回転による摩擦が鎖型拘束魔法(チェーンバインド)に物理的な干渉を引き起こしているのだろう。

 

 

「く、ぅぅぅ……っ!」

 

 

ユーノが苦悶の表情を浮かべ、その額には汗が流れている。

 

鎖にも罅割れが生じ、軋み始めていた。

 

 

「なのは……! い、急いで!」

 

 

焦りのためか、やや上擦った声。

 

ユーノは何とか拘束を維持しようと鎖型拘束魔法(チェーンバインド)に大量の魔力を流し込もうとする――――が。

 

 

「――――しまった!?」

 

 

それよりも早く拘束は破られてしまった。

 

拘束していた鎖が粉々に砕け、魔力の粒子となって大気に霧散する。

 

鎖型拘束魔法(チェーンバインド)を破った“それ”は、先程と同じようになのはに向かって突撃を開始した。

 

 

「ジュエルシード――――」

 

 

だが、その時には既になのはのチャージは完了していた。

 

レイジングハートの先端に収束した光球が、ひと際大きく膨れ上がり、

 

 

「――――封印!!」

 

Sealing

 

 

開放された魔力の奔流が“それ”に向かってまっすぐ進んでいく。

 

目標を貫かんと突き進んだ光の柱は“それ”の中心に寸分違わず命中した。

 

 

「やった!」

 

 

喜悦にそう叫ぶなのはの表情は、しかし、次の瞬間には驚愕に歪められた。

 

 

「封印……されてない!?」

 

 

封印用の砲撃が命中したにも関わらず“それ”が封印される気配は無かった。

 

全身に亀裂が走り回転も止まっているが、黒煙をくゆらせながらも“それ”は悠然と宙を浮いている。

 

 

「そんな……魔法はちゃんと当たったのに――――」

 

 

そこまで言って――――なのはは首を振り、弱気になりかけた自分を心から追い払う。

 

 

「ううん! まだ……!」

 

 

そして、両手に構えたレイジングハートの先端を“それ”に向けながら、自らを叱咤するように声を張り上げた。

 

効果が無い訳じゃない。

 

現に“それ”は傷ついている。

 

もう一度、魔法を撃てば今度こそ決まる――――決まるはずだ。

 

魔力が高まり、なのはの足元に描かれた魔法陣から眩いまでの光が発せられる。

 

なのはの身体に充満していく魔力に呼応するかのように“それ”は再び――――くるくるくる、と――――先と比べるとややゆっくりとした速度で回り始め、そして――――

 

 

「え――――?」

 

 

一瞬にしてなのはの視界から消えた。

 

何を思ったのか、“それ”は地上に向かって真っ逆さまに落下し始めたのだ。

 

その落下地点の先に広がるのは――――海鳴の町並み。

 

 

「あれじゃ、町の中に落ちちゃう!?」

 

「なのは、追って! 僕は町に結界を張るから!」

 

「ごめん、ユーノ君……! お願い!」

 

 

ユーノの言葉に頷いて、なのはは地上に向かって全速力で降下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 

こんにちはこんばんは、HiRoです。

 

今回の話ははやての想いと主人公の心の問題とのすれ違い――――両者の心の温度差を描いてみました。

 

上手く表現できていたかは微妙です……

 

主人公のはやてへの接し方がただの演技だけではつまらないだろうと思い、このような感じに相成りましたが皆さんはどのように感じられたでしょうか?

 

 

そして後半部、やっと戦闘シーンが書けました。

 

がしかし、主人公ではなくなのはが戦うという罠(ぁ

 

次は主人公が戦う……といいなぁ……

 

 

それでは、今回のあとがきはこのあたりで終わりとさせて頂きます。

 

また、次回お会いしましょう。

 

 

 

 

 




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