魔法少女リリカルなのは <貫く風>
序章 第一話
ふう、と息を吐いて、はやては読んでいた文庫本を膝の上に置いた。
軽く目を擦り、時計に目をやる。
時刻は既に午後六時を回っていた。
「あ、もうこんな時間か……」
一人で暮らしている以上やらなければならない事は沢山ある。
その一つが――――夕食作り。
他に作ってくれる人はいないのだから、自分が作らない限り夕食は食べられない。
幸いな事に料理を含めた家事一般は嫌いではないし、むしろ好きな方だ。
「ん――――」
大きく伸びをして、もう一度軽く目を擦り、文庫本を机の上に置く。
ベッドに座っていた身体を手に力を込めて動かし、すぐ脇にある車椅子に乗せる。
そのまま車椅子を動かして、部屋を出る。
この家は車椅子でもさほど不自由なく生活出来るよう、バリアフリー構造の住宅となっていた。
恐らく、足が動かなかったはやてのために彼女の両親が建てたであろう家。
――――でも……
と、はやては心の内で呟く。
そんな両親も幼い自分を残して既に亡くなっていた。
両親と一緒に過ごした記憶は無かった。
どんな声だったのか。
どんな人達だったのか。
そんな事すら分からない。
両親の写真は家の中に残されていたが――――それにしても、赤の他人を見ているような感覚があるだけ。
物心ついた時にはもう一人だった。
一人で暮らすには広過ぎるこの家で。
一人ぼっちで迎える朝。
一人ぼっちで食べる食事。
一人ぼっちで過ごす一日。
一人ぼっちで、眠る夜。
そんな毎日が寂しくて、ほんの少し――――
「あかん、あかん……はよ晩御飯の準備せな」
物思いに耽っていた頭をふるふると振り、思考を追い払って台所へと向かう。
台所の入り口に掛けていたエプロンを身につけ、冷蔵庫を開ける。
食材の量はそれ程多くはない。
車椅子での買い物は手間がかかるので、食材を買う時は多めに買い込むようにしていた。
が、それでも一人分、しかも九歳の少女ではその量は知れている。
中々献立が決まらないので、とりあえず先に米を一合だけ研ぎ炊飯器にセット、一時間後に炊き上がるようにタイマーを操作する。
「さて、何作ろっか……」
誰に言うでもなく、はやては一人呟いた。
夕暮れ時の海鳴公園にその青年はいた。
この公園には海に程近い場所にベンチが設置されている。
青年が座っているのは、そんなベンチの一つであった。
昼間などはそれなりに人も多いであろうこの公園も、しかし、日が暮れかけたこの時間帯では、見かける人の数は疎らである。
「そっちの方が都合はいいけどな……」
呟く声はひたすらに物憂い。
公園に設置されたベンチに腰かけたまま、青年は目の前の海に視線を向けていた。
夕焼けに染まる海を見るような顔をして、しかしその実、彼は何も見ていなかった。
その瞳に何も映さず、また何をするでもなく、ただ静かに座り込んでいる。
しばらくの間そのままでいた青年は、ふと視線を下に向けた。
胡乱気だったその顔に人好きのする笑みが浮かぶ。
「よう、リーゼ……アリア?」
「……リーゼ、ロ、ッ、テ、いい加減覚えなさいよ」
足元から押し殺した声が答える。
青年は、悪いな、と肩を竦めるだけでそれ以外の反応は見せない。
彼の足元、そこには一匹の猫がこちらを見上げていた。
何処にでもいそうな普通の――――それこそ、この公園内に何匹いてもおかしくはない――――猫だった。
しかし――――
「どうしてアリアとあたしを間違えるかなぁ……あたしの方が毛並みに艶があるじゃんか」
普通の猫は人語を――――それも自分の毛並みについて――――話したりはしないだろうが。
青年は猫が喋っているという事にさして驚いた風もなく、人好きのする笑みを苦笑いに変えた。
「分からん」
「何だって!? よく見なよ! ほら、この首元辺りの毛並みが特に――――」
「お前の毛並みの話なんて興味が無いんだが……」
近くを通り過ぎた男性が、怪訝な顔をする。
当然と言えば当然である。
夕方の公園でベンチに座り込み、一匹の猫を相手に話しかける青年。
怪しくない筈がない。
しかも、二人の話し声が聞こえるのに、目を向けた先には青年一人だけというのが男性の目にはより奇異に見えたのだろう。
その青年が、苦笑いを浮かべていれば尚更である。
「で、計画に変更は……?」
「……ないよ。『予定通り事を運んでくれ』それが父様からの伝言」
話を逸らした、というか本題に入った青年に、納得がいかないといった感じで言う猫――――リーゼロッテ。
「当初の予定通りあんたには、父様の代理人としてあの子の家に行ってもらう。そのための手紙がこれ」
言い終わると同時に、ロッテの足元に魔法陣が展開され、青年の眼前に光の粒子が集まり始める。
拳程の大きさに膨れ上がった光は突如として弾け、次の瞬間には、真っ白な便箋がそこに出現していた――――転送魔法である。
重力に従って落下し始めたそれを掴み取り、ジャケットの懐に捻じ込んだ青年は、おい、と半眼でロッテを見据える。
「こんなところで無闇矢鱈と魔法を使うなよ……誰かに見られていたらどうする気だ?」
「大丈夫だって、ちゃんと周りを確認して使ってるから」
目の前の存在は、一見ただの猫に見えるが、その実、高い魔法資質と技術を持った一流の使い魔だ。
確かに、そのような存在が一般人に魔法を見られるようなヘマは仕出かさないだろう。
「それに、ここを待ち合わせ場所に決めたのはあんたじゃないか。文句を言う資格は無いね」
「あー、そうだっけか?」
「あんたね……」
余りの言い草に、ロッテは疲れたような声を漏らす。
どうもこの青年には何かにつけて物臭なところがあるらしい。
彼との付き合いは一年――――実際に会ったりしているのは十日――――にも満たないが、それだけはロッテにも分かった。
「……全く、どうしてこいつは――――」
ぶつぶつと文句を言い始めたロッテに構わず、青年は口を開いた。
「ああ、それと」
「……何?」
憮然とした声が返ってきた。
青年は苦笑しながらも続ける。
「ジュエルシード、だったか? それで結構この町はゴタついてるみたいなんだが――――」
「分かってると思うけど」
ある種の期待が込められた彼の言葉は、
「あんたはその件については不干渉だよ、いいね?」
あっさりと切り捨てられた。
「今ここで首を突っ込んだりしたら、後々動き辛くなるのはあんただよ? それに、今回の事件にはアースラとそこの執務官――――クロ助が出向してる。あの子達に任せておけばいい」
「頼りになるのかね、そのクロスケとやらは……下手をすれば次元震でこの世界ごとくたばりかねんぞ」
「大丈夫だよ、何たって私達の弟子なんだから」
先程までの不機嫌さは何処へいったのか、一転して嬉しそうに、そして、誇らしげに言うロッテ。
自信たっぷりなその物言いに、青年は、やれやれ、といった顔で後頭部を掻いた。
「仕方ない……ま、それが仕事ならやるだけさ……」
言いつつ青年はベンチから立ち上がると、持っていた旅行鞄を肩に下げて公園の出口に向かって歩き出した。
「手紙を渡した後の行動は任せるけど、余計な事はするんじゃないよ。いいね?」
念を押すようにして背中から掛けられた声に、青年は片手を上げる事で応えた。
公園を出た青年は、更に歩き――――およそ十分後、一つの家の前で足を止めた。
見上げる。
夕餉の匂いが立ち込める優しい雰囲気を持った、だけど、どこか物寂しい感じのする家――――ここに目的の少女はいる。
「八神はやて、ね……」
視線を正面に戻し、“八神”と書かれた表札の下に取り付けられているインターホンに手を伸ばす。
「さて……道化芝居の始まりだ」
誰に言うでもなく、青年は一人呟いた。
冷蔵庫から豚肉の入ったパックを取り出し、必要分だけ切り取ってまた冷蔵庫に戻す。
薄くスライスされた豚肉の上に千切りにしたシイタケ、ニンジン、ゴボウをのせ、胡椒などで下味をつけてから巻くようにして包む。
それを小麦粉、溶き卵、パン粉の順に衣をまぶし、軽く押さえつけながらなじませ、油をいれたフライパンで揚げる。
油のはぜる小気味よい音を聞きながら、真っ先に煮込んでおいたカボチャスープの具合を確かめるべく、はやては隣りの鍋に視線を移した。
小皿にすくい取ったスープを舐める様にして口に含む。
「んー、こんなもんかなぁ……」
言いながら、はやてはコンロの火を消す。
野菜を包んだ豚肉が揚がる頃には、炊飯器が炊き上がりを示す電子音を鳴り響かせていた。
白米を茶碗によそい、レタスとトマトを盛りつけた皿に一口大に切り分けた豚肉をのせ、そしてスープをカップに注げば――――準備完了。
出来上がった料理を運び、自分もテーブルにつく。
玄関のインターホンが鳴り響いたのは、食べ始めようとしたその時だった。
「こんな時間に誰やろ? 石田先生かな……?」
はやての脳裏に一人の女性の顔がよぎった。
何時も足の病気でお世話になっている病院――――そこではやての主治医をしている女性。
その人は、時々一人暮らしのはやてを心配して、様子を見に来てくれる事がある。
本人は往診に来ただけだと言い張っていたが、それは嘘だとすぐに分かった。
まあ、診療もそこそこに世間話を始めれば、誰だって分かる事ではあるが。
時計を見れば、時刻は七時半。
仕事を終えて、この家にやって来る時間としてはおかしくない。
「そや、材料もまだある事やし先生にもご飯食べて行ってもらおっと。仕事終わったばっかりでまだご飯食べてへんやろうし」
持っていた箸をテーブルに置き、玄関へと車椅子を動かす。
そして、玄関のドアを開ける。
「はー……い……?」
そこにいたのは、予想を大きく裏切って、一人の青年だった。
歳は――――十代後半から二十代前半といった感じ。
黒のシャツとジーンズに身を包み、シャツの上には同色のジャケットを羽織っている。
その面立ちは柔らかく、穏やかな容貌をしている。
体格は比較的がっしりしているが威圧的なイメージは湧かない。
妙に緩やかというか――――悪く言ってしまえば、枯れた老人のような雰囲気がその青年にはあった。
無論、見覚えのない相手である。
「えっと……あの……?」
無言で見下ろしてくる青年に、居心地の悪さを感じてはやては声を掛けた。
確認もせずにドアを開けたことを後悔する。
もし仮にこの青年が、何らかの害意を持っていたとしたら、わずか九歳の――――しかも車椅子に乗った――――彼女ではどうする事もできない。
――――ど、どちらさんやろ……
そんなはやての内心を知ってか知らずか、青年は人好きのする笑顔をその顔に浮かべ、
「君が八神はやて、ちゃん……?」
と言い辛そうに『ちゃん』をつけて尋ねてきた。
「え? その、そうですけど……あなたは?」
突然の笑顔に面食らいながらもはやては返事を返す。
「俺は君の両親の知人のおじさんの知り合いで、ってややこしいな……んー……」
言葉を途中で止め、顎に手を添えて――――青年は悩み始めた。
恐らく、何と説明すれば良いのか迷っているのだろう。
どことなく愛嬌のあるその仕草に、はやての中にあった警戒心は消え去っていた。
それと同時に、青年の言葉に気になる単語が入っていた事を思い出す。
「今、『両親の知人のおじさん』って言うてはりましたけど……それは、わたしの家の財産管理とかしてくれてはるグレアムおじさんの事ですか……?」
「そうそう、何だ名前知ってたのか。そのグレアムおじさんに『私の代わりに様子を見てきてくれ』って頼まれてね……その証拠に――――」
そこまで言って青年はジャケットの懐に手を入れ――――そこから真っ白な便箋を取り出し、はやてに差し出した。
「ほい、おじさんからの直筆手紙」
「あ、どうも」
便箋を受け取ったはやては封を開けようとして、青年が未だ玄関の外で立ちっ放しのままという事に気づいた。
「あの、立ち話も何ですし……中に入ってください」
「ん? ああ……それじゃあ、遠慮なくお邪魔させてもらうとしますか」
はやての言葉に頷いて、青年は家の中へと足を踏み入れた。
あとがき
どうも、あとがきでははじめましてのHiRoです。
今まであとがきなんて書いた事は無かったのですが、やっぱり書いた方がいいかと思い書くことにしました。
さて、この物語は一応、無印の九話あたりから始まっています。
時間軸的に、なのはがアースラに乗り込んでから二日後という設定です。
文才の無い私ですが、せめて読み易い文章を書くよう、気をつけて物語を書いていきたいと思います。
もしおかしなところがあったら遠慮なく掲示板などで突っ込んでください。
感想、指摘はいつでも大歓迎です。
最後に、お読みくださった読者の方々、本当にありがとうございました。
しばらくは地味な展開が続きますが、よろしければ次回もお付き合いください。
それでは。