食事が終わる頃には、亮の体調は八割方回復していた。
何故かサイズがぴったりな借り服に着替えた亮は帰ろうとしたのだが、伊藤と浅見に頑として止められた。
心配だからせめて夕方までは伊藤の家で休んでいろとのことだった。二人の気迫に押し切られ、結局亮はリビングで半分強制的にくつろぐこととなった。
「おーい、亮。ぼけっとしてるのも暇だし、ゲームでもやらねえか?」
そう言って、伊藤が小さなペットボトルほどの大きさの物体とサングラスを持って現れた。
いや、サングラスではない。亮はあのサングラスの形状に覚えがあった。あれは――
「それ『M2D』か?」
「お、良く知ってるな。さすがは優等生」
「……ってことは、ゲームというのは」
「『The
World』ってゲームだ。ゲーム自体初めてだったんだが、なかなか面白いもんだな」
「よりにもよって……」
亮は顔をしかめた。
「ん? なんか言ったか」
「なんでもない……。にしても、旧型の『シングルハンド』を使ってるなんて意外だな」
チラリと、伊藤の持っているペットボトルほどの大きさの物体――コントローラーを見た。
「三崎君、これって旧いタイプなの?」
「ああ、たしか二年前に発売されてたんだったかな。割と人気だったんだけどね、今の主流は『BCI―4』に移行してる」
「びーしーあいふぉー? どう違うんだ?」
「全然別物だよ。まず操作方法からして違う」
伊藤の持っているコントローラー――『シングルハンド』は従来の、手で操作するタイプのものだ。それに対し『BCI―4』は思考読み取り型のコントローラーとなっている。
二年ほど前に、郷戸大学の研究チームが開発した『ブレイン=コンピュータ・インタフェース』――略式名称『BCI』の新型が話題になったことがある。これは人間が思考したり行動したりする際に脳から発信される脳波を、頭に取り付けたマッチ箱程度の大きさの受信機器で解析、指令を伝達し、手を触れずに電子機器の操作を可能にする――といった、極めて画期的な技術だった。
その『BCI』に目をつけたのがサイバーコネクト――CC社である。『BCI』の技術を応用、発展させれば『The
World』などのゲームの新型コントローラーとして使えるのではないかと着目したのだ。
『BCI』とは、言わば人間の思考を形とする機械だ。脳波を正確に読み取ることが出来れば『The
World』のキャラをあたかも自分の身体のように動かすことさえ可能になる。そうなれば、従来のゲームとは一線を画する新型ゲームの誕生だ。こんな大それた技術を、CC社が逃すわけも無かった。
CC社はこの『BCI』に改良を重ね、複雑な操作を必要とする『The
World』でも正誤率1%未満で操作可能なレベルにまで発展させた。この技術を更に応用、発展させたものが『The
World』専用思考読み取り操作式コントローラーの『BCI―4』として発売されたのが去年の春の話だ。
同時に更に詳細な操作を可能とする為の大規模アップデートが行なわれ『The
World』の操作自由性は格段に向上した。なにせ操作者の思考を読み取り、考えている通りに動くのだ。これ以上、操作の自由性のあるゲームなどはないだろう。
それらをある程度噛み砕いた上で、伊藤と浅見に説明した。
「へぇー、そんなコントローラーあったんだぁ」
「……ってことは、なにか? 俺たちの使ってるやつじゃ、あまり動かせないってことなのか?」
「それまでの主流が『シングルハンド』だから、普通にプレイする分には問題ない。『BCI―4』と比べると大分劣ってはいるけどな」
「あっちゃぁ~、マジかよ」
「モンスター相手なら大きな差は出ないだろうけど、実力の拮抗した対人対戦だったりするときついと思う。『シングルハンド』だと可動範囲が限られてるようなもんだからな」
「ふーん……詳しいね、三崎君」
浅見の言葉に、亮は思わず動揺した。
「そういえばそだな。もしかして、オマエも『The
World』やってんのか?」
「い、いや……前にニュースで見ただけだ。世紀の発明だとかで話題になってたから」
嘘ではない。『BCI―4』は一時期、メディアで大々的に取り上げられていた。かといって、ここまで詳しく知っているものなのかと聞かれれば首を振るしかないだろう。気を緩めていた為か、不注意な発言だったと亮は悔やむ。
亮は周囲に『The
World』をプレイしていることを隠している。友人のみならず、家族にも秘密のことだった。最初はなんとなく隠していただけなのだが、最近では事情が変わった。なにがなんでも、隠し通さなければならない。
「ふーん、優等生らしく記憶力いいんだな」
「マスコミが騒いでたからな。そんなことより『The
World』って一人用だろ?」
「あぁ、俺はいいからオマエやってみろよ。最近始めたばっかなんだけどな」
言って、伊藤はM2Dを手渡してくる。
「あ、私ちょっと買い物に行って来るね」
「おぅ、気ぃつけてけよ。亮は俺が見張っとくから安心しろ」
パタパタと浅見が部屋を出て行く。
(他のキャラではやりたくねえんだけどな……。この際、仕方ないか)
気づかれないように溜息をつきつつ、亮はM2Dをかけた。M2Dはヘッドマウントディスプレイに分類されているが、サングラスほどの大きさしかない超軽量タイプだ。『つける』というより『かける』のほうが正しいだろう。
流れ的なこともあるが、伊藤の『The
World』内でのキャラ名を把握出来るのは好都合だった。前もって知っておけば、万が一『The
World』内で遭遇したときも関わらないように対処できる。得体の知れないモノに巻き込まないで済む。
「ほい、コントローラー」
『シングルハンド』を伊藤から受け取る。
片手で操作できるタイプの、軽量コントローラーだ。手操作型コントローラーの中では最も新しく、操作性も優れている。思考読み取り型と比べるとどうしても劣るとこは否めないが、いまだ3割ほどのプレイヤーはこの『シングルハンド』を使っている。操作の簡易性といった点では、手操作型の方に利点がある為である。
「ログインの仕方、わかるか?」
「あぁ、なんとなく判ると思う」
無難な返事をしつつ、手馴れた様子で『The
World』へとログインする作業を行なう。
OS起動。二秒後にメインディスプレイに情報投影開始。プログラム『The
World』を選択、実行。キャラクター選択。
「……なんだ、この名前」
キャラクター選択画面には一体のPCしか映し出されていなかった。2ndキャラといって、二体のキャラクターを作って使用するユーザーもいるが、伊藤の場合は作っていないようだ。その一体きりのキャラクターの名前を見て、思わず聞いた。
「なんだって言われても、なんかおかしいとこあるか?」
「大有りだ。キャラ名が『イトウマサヨシ』って実名じゃないかよ」
「あー、どんな名前つけりゃいいのかわかんなくてな。とりあえず無難にいこうかと思ったんだが――」
「実名でプレイしている人間なんてそうそういないんじゃないのか……?」
そうそうどころか、滅多にいない。稀有な存在ですらある。
「他人じゃやれないことをやってるってことか。さすがは俺」
「まあ、オマエがいいんならいいけどな……」
いつもどおり適当にあしらう。まじめに相手をし過ぎないことが重要だと、亮は一年半の付き合いの中で学習していた。
コントローラーを操作し、街の中――『マク・アヌ』を適当に歩かせる。PCタイプは人間で、長身筋肉質なキャラクターエディットだった。
今まで『ハセヲ』以外で『The
World』に入ったことなど一度も無かった為か、妙な感覚を覚えた。『イトウマサヨシ』という名で『The
World』を知覚している。それは言い表せない新鮮味を強制的に感じさせられるものだった。
いや、新鮮味というのはどこかおかしい。これは違和感ではないだろうか。それも特質な『異常』に分類できる違和感。世界と自分がずれているような感覚だ。『The
World』はいつもと変わらないのに、自分だけ変質してしまったような錯覚を覚える。当たり前だ。今の俺は『ハセヲ』ではないのに『世界』に存在しているというのだから。
それはおかしい。異常だ。自分にとって世界は二つ。三崎亮の生きる現実。ハセヲの生きる仮想。その二つだ。では今の俺はどちらだ? 三崎亮か? ハセヲか? 答えはどちらでもない。それは矛盾だ。異常、異質、異界、異なる世界の別称。此処は何処だ。俺は今何処にいる。
今在る自身を明らかなものとする為、あるいは此処に在る自身を否定する為に、『イトウマサヨシ』の操縦者であり使用者であり支配者である存在はPCを湖畔の淵に跪かせた。そして、鏡のようでありながらどこまでも透き通る『マク・アヌ』の水を片手で掬う。
「――――え?」
突如として視界が暗転。
ディスプレイが消えた。M2Dには何も投影されてはいない。同時に聞こえていた『マク・アヌ』の雑踏のざわめきも消えた。M2Dが機能を停止している。
「なんだ? いきなりディスプレイが消えたぞ。PCも落とされた」
『The
World』ごと、まるでブレーカーが落ちたような感じだ。強制的にログアウトされたわけではない。自身の存在が世界から拒まれ、放り出されたような既視感を覚える。
「へ? おっかしーなぁ、つい最近買ったばっかなんだが」
伊藤は頭の上に疑問符を浮かべたような表情で、手渡されたM2Dをしげしげと眺めた。
「……最近『The
World』はエラーが多いらしいからな、そのせいかもしれない」
亮は暗に『The
World』は避けたほうがいいといった韻を含ませ、そう言った。
何故か気分が悪い。胃がムカムカする。
「悪い。俺、そろそろ帰――」
「だーめーだ。帰り道に倒れたりしたらコトだろ。夕方まではゆっくりしてけ」
「……気分が悪いんだ。自分の家で寝たい」
「――判ったよ。んじゃ、家まで付き添う。それぐらいはいいだろ」
*****
「今日は悪かったな、助かった」
「へぃへい。そう思ってんならもう少しゆっくりしてけっての」
亮の家の前で、会話をかわす。
帰る道中ではほとんど会話が無かった。ひどい不快感に苛まされていた亮に、会話をする気力が無かったのだ。伊藤はそれを敏感に察し、二人そろって黙々と歩いた。
伊藤家と三崎家までは徒歩で十五分少々といったところだ。傾斜のある坂の頂上、高級住宅地の一角に大きく居を構えているのが伊藤家と浅見家であり、亮の家は坂下の一般住宅地の中心にあった。
「んじゃ、今日一日くらいは安静にしてろよ。また倒れてみろ、俺は浅見に殺されるぞ」
「判ってる。それじゃ、またな」
「おう、またな」
門の前で別れを交わし、伊藤は帰路へつき、亮は帰宅を果たした。
扉を閉め、最近取り替えたばかりの鍵を閉める。
「――――きもち、わるい」
閉じた玄関の扉に体を預ける形で、ズルズルと座り込む。
感じていた違和感は耐え難いものとなりつつあった。耐えられないほどではないが、無視できないものでもない。
「――――くそ」
例の痛みとはまた別物だ。碑文の影響ではない。それが直感で察せられた。
「――――水飲んで、寝るか」
玄関に靴は無い。両親はいないようだ、恐らく昨晩も家に帰れなかったのだろう。
台所でコップに水を注ぐ。一息に飲み干し、胃の不快感を洗い流した。それでどうなるといったものでもなかったが、気休めにはなるだろう。
階段を上り、二階の自室の扉を開ける。
部屋の中は何も変わってなかった。当然だ、半日空けたぐらいで何が変わるというものでもない。
ふと机を見やる。机の上に置いてあったM2Dが、待機状態であることを示す点滅信号を出していた。すぐさまログインできる状態にあるというサインだ。右手で掴み取り、装着する。
その隣に放置していたBCI―4も手に取った。両脚、両腕の特定部位に擬似感覚受動機を取り付ける。布のような超軽量の素材で出来た、額当て形状の脳波受信機――BCI―4の本体を頭部に装着。
OS起動。同時にM2Dの電源が入り、ディスプレイが点燈。『The
World』のログイン画面が視界に映る。キャラクター選択画面を実行し、『ハセヲ』を選択。ログイン。
「――って、何やってんだよ、俺」
そうすることが当たり前であるかのように、亮は『The
World』のログイン作業を実行していた。感覚が『The
World』に引きずり込まれ『ハセヲ』として再形成されていく。
亮は諦めたように瞳を閉じ、感覚を流れに委ねた。頭頂部から足先まで、ゆっくりと三崎亮からハセヲへと感覚が移し変えられていく。
十秒ほどの時間をかけてログイン作業が終わり、閉ざしていた瞳を開く。目に映るのは『マク・アヌ』の情景。カオスゲート前の広場だった。
右手を握る。現実の三崎亮はその動作を実行することなく、脳波を受信したBCI―4がハセヲの右手を動かす。
「――――」
何も不自然なところは無い。
自分の思い通りに、忠実にハセヲは体を動かし、表情を作り、世界の姿を見る。広場の壁際まで歩いて、天井を支えている支柱の一つに手を触れる。石特有の冷たさ、そして硬さが感触として伝わってくる。
それが普通だと思ってきた。この感覚は皆が共有しているものだと思っていた。
しかしこの感覚は――あまりにも、現実味を帯び過ぎてはいないだろうか?
「特別なPC――その適正者」
他人の感覚など感じ取ることはできない。しかし、使用している機材、コントローラーに差異は無い。全てが同等の性能であるからこそ、市販品――量産品として販売されているのだ。なんら変哲の無い市販品のこのBCI―4は、他のBCI―4と同じ性能であり、同じように感覚を与えてくれている筈だ。
ならば、他の人間も自分と同じようにこのリアルすぎる――いや、本物である質感、温度、感触を感じているのだろうか。空を翔ける時の風を切る感覚、敵に致命傷を負わせたときの武器から伝わる手応え、攻撃を受けたときの衝撃、その痛み。それらを知っているのだろうか。
「だから、なのか――?」
いままでそれを疑問に思ったことなど一度も無い。
そもそも疑問に思う必要性が無かった。その疑問を疑問として見れる機会もまた無かった。
しかし、先ほどの一件。それで気づくことの出来なかったソレが浮き彫りとなり、姿を現した。
「感覚が伝わるはずの無い操作型で、『The
World』での感覚を――水の冷たさを感じたのは」
それは――在り得ないはずの、常識から逸脱した現象。
答えは返らない。答えられる者はこの場に存在しない。
精神との密接な関係。碑文は心と繋がる。碑文への理解。
それら告げられた情報を整理しても、答えを真実として確立させるのは困難だった。
「碑文が精神と密接に関係している以上、休息を取ることも必要――か」
クーンの言葉を口に出して反芻する。
瞳を閉じ、ログアウトを実行した。意識と感覚が再び分解、連結、再構成されて三崎亮へと還っていく。
考えてみれば“コレ”もおかしい。いつのまにかそれが当たり前のように感じていたが、当初からまるでゲームに入り込むような、そしてゲームから抜け出して現実に還るようなこの感覚を感じていたのだろうか。
いや、やめだ。考えても答えは出まい。ともかく今は休息を取るべきだと自分を説得する。
M2DとBCI―4を外し、机の引き出しにしまう。ベッドに倒れこむようにして寝転び、仰向けになって天井を眺めた。
ひどい不快感を与えていた違和感は、欠片が合わさったように消え去っている。五分後には、亮は緩やかな眠りへとその身を委ねていた。
*****
「それじゃ、またな」
「おう、またな」
そう言って別れを交わし、再会を約する。
静かに閉められた扉を数秒ほど見た後、伊藤は振り返り歩き出した。
「見張っとくから安心しろ――そう言ってなかったっけ?」
亮の家から歩くこと二分――坂の入り口で、やけに派手なロゴの入った買い物袋を下げた浅見が待っていた。
特に驚くことは無い。なんとなく予想していたことだ。
「少なくとも夕方までは家に居させるつもりだったんだがな……アイツ、また体調悪くしたらしい」
「同じ症状?」
「いや、似て非なるって感じだ。よく判らねえけど、直感で帰らせた方がいいと思ったんでな」
「将義ちゃんの直感か……なら、仕方ないね。許してあげる」
二人並んで坂を上り始める。太陽が照りつける中を徒歩で歩くのには、いささか抵抗を覚えるような距離と傾斜だ。その坂を二人は平然と登っていく。幼少から親しんだ道だ、今更どうというほどのものではない。
「んで、それなんなんだ?」
視線でそれ――浅見の持つ買い物袋の中身を指す。
「三崎君の言ってた『BCI―4』ってコントローラー。商店街のショップで買ってきたんだ、二人分だよ」
そう言って、浅見は手にしていた買い物袋を胸元に持ち上げ、伊藤に見せた。その様子を見た伊藤は思わず表情を綻ばせる。
二年前――あの何かと意地っ張りな変わり者に会う以前の浅見なら、一人で商店街に買い物に行けただろうか。
答えはNoだ。行けるはずが無い。他者を恐れていた浅見が、自分を――伊藤将義を連れずに一人でそんな所に行けるわけがない。対人恐怖症というわけではない。それでも自分と浅見は、程度の差はあれど他者を恐れていた。
正確には、自分達が紛れてはいけない群れに一人で居るのが怖かった、というべきか。
自分達は周囲の人間とは違う。あの頃は本気でそうだと感じていた。そして、それはあながち間違いでもなかった。違いというのは身分の上下差異などでは決してない。ただ単に、自分達は社会の輪の外側の存在だっただけの話だ。
社会は異質を拒む。群れは自身に属さぬ存在に対して拒否を示す。それは何故か。決まっている、群れを守る為だ。それは社会、群れを保護する正当な自己防衛手段である為だ。
商店街を往来する人々は、一個の巨大な群れに属する人間だ。その中に、群れに属さない人間が入り込むには強い抵抗がある。そこは『自分達』とは違う人間達の『世界』だ。そこでは、まるで異世界にただ一人迷い込んでしまったような、ひどい孤独感を感じる。
二人は時には、世界には自分しか存在しないのではないかとの錯覚さえ覚えた。順応性の高い幼少時代でさえ、周囲に属することが出来なかった彼らだ。その錯覚を錯覚だと完全に否定しきることができなかった。
だから、群れた。たった二人きりの群れを作った。自己を防衛する為の――周囲と自分達を隔てる防壁を作り上げた。そうして中学生までの時を二人で生き延びてきた。
(だってのに……苦労して作り上げた頑丈なはずの壁を、ものの見事にぶち壊してくれやがったヤツがいたんだよなぁ)
それが一年と半年前の出来事。始業式の日の、桜散る公園での出会い。二人が二度目の生を迎えた生誕日。
その日を境に自分は変われたと思う。いや、はっきり変われたと自覚できる。それは隣を歩く幼馴染も同様だった。
「……どうしたの?」
浅見は首を傾げて、不思議そうに伊藤の顔を覗き込んだ。そんなにおかしな顔をしていたのだろうかと、伊藤は苦笑する。
傍らの幼馴染は、自分と比べても劇的に変わった。二年前までの浅見は表情らしい表情を滅多に作らなかった。感情はどうにかあったようだが、それを表に出すことは稀だった。無機質に、ただ日常を廻し続けるだけの毎日を送っていた彼女に、まるで人生の終わりを視た老婆の姿を幻視したことすらある。それが今や――
「ねえ、どうしたのってば」
こんなにも変わってくれた。
泣き、笑い、怒るといった表情を作るようになってくれた。
不思議そうに首を傾げる、などといった人間味溢れる仕草を取れるようになった。
年相応の人間へと、掛け替えのない今この時を謳歌出来る少女へと生まれ変わってくれた。
浅見は自身の箱庭に閉じこもっていた為に常識を知らない。その影響で、今でも時折周囲を驚かせる行動を取る。それは無理のないことだ、十五年の年月で培うべき知識を一息に獲得することは出来ない。
しかし、本人はそんなハプニングさえ楽しんでいる節があった。周囲と自分との違いをまざまざと見せつけられても、そこに楽しさを見出せるまでになった。
「……ホントにどうしたの? 急ににやにやしちゃって」
「――いんや、なんでもねえよ」
「もしかして若年性痴呆症? 太陽にやられて壊れちゃった? 病院行く? あ、精神の方ね。風邪の心配はしてないから」
…………この毒舌まで同時に身に着けたのは、自分の人生の中でも永遠の謎だった。
先ほどまで抱いていた感傷やらなにやらが粉々に砕けてしまいそうなので、聞かなかったことにする。
「なんでもねえっつの。ちょいと考え事してただけだ」
「考え事?」
「ああ、大事な考え事だ」
今更ながらに思う。
全く以って感謝しきれない。感謝に属する言葉を片っ端から並べ立てようと、今の気持ちを表現しきることは出来ないだろう。
アイツにはでっかい借りがある。これまで生きてきた自分の人生の価値、それに倍するほどの借りがある。
借りは返す。それがアイツの流儀だ。ならば自分もそれに倣い、則ろう。返しきれないほどのでっかい借りを、利子つきで付き返してみせようではないか。
「んじゃ、帰ったら早速やるか」
「うん。三崎君に貸してた方のPCは、お金貯まった?」
「コツ掴んだからな、そこそこ貯まった。十万GPちょいってトコだ。これでしばらくはもつだろ」
「カオスゲートあたりで受け取ろうか?」
「あぁ、渡したらもういっちょの方でログインする」
「判った。あ、コレ将義ちゃんの分のコントローラーね」
おう、と言ってコントローラーを受け取る。
たどり着いた坂の頂上、ここが二人の分かれ道となる。右が伊藤家、左が浅見家だ。
「じゃあな」
「うん、向こうで会おうね」
去り行く背中を見る。そして、一層の覚悟を心に刻み付けた。
命に関わる危険だと承知した上で『私達の友達を助けよう』と自らそう言い出した幼馴染。それを護ると決めた。
そして、二つもの掛け替えの無い宝物を与えてくれた、優等生のくせにどこまでも意地っ張りな親友を助けると決めた。
危険は承知の上。引き返せるのはここまでだと警告も受けた。伊藤将義という人間を形成する本能であり知識であり蓄積であるモノが関わってはやばいものだと警鐘を鳴らす。それを受け止めた上で、そうすると決めた。
「しょうがねえよなぁ……。なんつっても、どっちも宝物だしなあ」
苦笑するその表情には一片の後悔も無かった。
踵を返し、伊藤は自分の家の門へと歩き出す。
必ず護る。
必ず助ける。
必ず借りを返す。
伊藤将義は誓った。
他の誰でもなく己自身に誓った。
太陽の燃え盛る、夏のある日だった。
To be Continue
愛読者様へのコメント
>G.U.の第二十八話拝読しました。
>原作とはまた異なる展開で、パイとの不器用な会話がまた良い感じですね。何より、待ちに待ったスケイス開眼っ! 描写が物凄>く雰囲気出ていて本編でのあのシーンの興奮が蘇りましたっ!
>続きを楽しみにお待ちしています。
ご感想ありがとうございます! ようやく……よ~~やくスケィスが登場しました。長かったです。
掲載までの時間差がありますので、返事が遅れてしまい申し訳ありません。何を楽しんでいただけたのかが判るご感想で大変参考になりました。
コツを掴んだのか、以前より速いペースで投稿できていますので、このままの勢いを維持しつつ兄貴の魅せばまで突っ走って生きたいと思っています。引き続き応援をよろしくお願いします、ありがとうございました!
作者の蒼乃黄昏です。
小説を読んでいただきありがとうございました。
簡単な一言でいいので、ご感想を頂けると嬉しく思います。
ご感想をメールで下さった方には、お返しに
『第零話:終わり逝く世界』をお送りさせて頂いてます。
作者蒼乃黄昏さんへの感想、指摘等ありましたらメ-ル、投稿小説感想板に下さると嬉しいです。