『アルケノン大瀑布』

通常のフィールドとは異なる、壮大な情景

神殿は水を生み、滝は音を生み、空は光を生む、自然織り成す聖地

溢れんばかりの水が流れ、その只中に橋がかけられているだけの、しかし偉大なる地

ここは失われた都、ロストグラウンド










 “ゲート”を介し、偉大なる地にハセヲは降り立つ。

 辺りを見回すが、人影は見当たらない。待つ、と言ったからには先にいるはずだが……やはりデマなのだろうか。

 いぶかしみながらも、橋を渡る。聞こえるのは瀑布の轟音、そして自分の足音のみ。


「誰もいねえ……デマかよ、くそったれ!」


 予想はしていたが……デマとも知れない情報にすら縋らなければいけない自分に、腹が立った。


(こんなザマじゃ、一体……いつになったら志乃を――)






「――オマエがここにいるとは、驚いたな」






 瀑布の轟音に混じって、一人の重い、静かな声が聞こえた。

 俯いていた顔を咄嗟に上げた。


 ――知っている。


 俺はこの声が誰かを知っている。

 忘れようはずも無い。

 今となっては懐かしさすら感じさせられる声。

 その声は紛れも無く――


「オーヴァン!?」


 ハセヲの唯一所属していたギルド『黄昏の旅団』のギルドマスターのものだった。


「久しぶりだな、ハセヲ。いや、今は『死の恐怖』と呼ぶべきか?」


 以前と変わらない、重苦しくも静かなその声。口元を青く長いマフラーで覆い隠し、丸いサングラスをつけ、無骨にして厳重、かつ巨大な拘束具で左手を封印している、その姿。

 見間違えようはずもない。目の前の人物は紛れも無く、半年前に姿を消した――オーヴァンだった。


「なんで……アンタがここに……」


 想像だにしない人物がいきなり現れたせいか、頭が回らない。

 一体何故、オーヴァンがここにいるのか。

 何故。


「それはこちらの台詞でもあるのだがな……。ハセヲ、何故オマエがここにいる?」

「……ショートメールで呼びつけられたんだ。ある情報を持っている、知りたければ『アルケノン大瀑布』まで来いってな」

「ほう……なるほどな」


 オーヴァンは何かを思案するように頷く。その様子はひどく懐かしく、半年前のことを思い出させられた。瞬時に血の上った頭で叫ぶ。


「そんなことより、オーヴァン! アンタ、なんで半年前に姿を消しちまったんだよ!?」


 半年間、抱き続けていた疑問を、感情に任せて吐き出す。


「……あんたが、突然いなくなっちまって俺たちは――。なんであん時、いなくなっちまったんだ!?」


 ただただ、訴えるように叫ぶ。


「―――」


 オーヴァンは答えない。ただハセヲへ穏やかな眼差しを向け、何かを思案しているようでもある。


「あの後…、志乃は……!」


 俯いて言うその言葉には、沈痛な思いが篭められていた。

 続く言葉が出てこない。言わなければ、伝えなければいけない事実だというのに、それを口に出して言うことを心がひどく拒絶していた。

 まるで……それを言ってしまえば取り返しがつかなくなるかのように。


「――ハセヲ」


 呼ばれ、俯いていた顔をあげる。

 オーヴァンは何かを決心したかのような面持ちで――




三爪痕トライエッジのことを知りたいか?」




 想像だにしなかった、探し続けている者の名を口にした。


「――!! ヤツを知ってるのか!?」


 オーヴァンはただ静かに、それでいて厳しい表情を携えて頷く。

 死に物狂いで捜し求め、それでいて全く得ることの出来なかった三爪痕の情報を、オーヴァンが持っていることに驚愕する。

 もっとも、冷静に考えればオーヴァンが知っていることには、どこか納得できる気がした。

 オーヴァンという人物は何を知っていても、何が出来ても不思議じゃない……、どこかそういう達観した雰囲気を持ち合わせていた。

 何かを想う様に空を仰ぎ、オーヴァンは言う。


「半年前……何者かに殺された志乃は、二度と『The World』に戻ってはこなかった……。現実世界の“志乃のプレイヤー”は意識を失い、未だに原因不明の昏睡状態」

「アンタも……志乃のこと、知ってたのか」

「ああ。だが、分かったのはそこまでだ。志乃がなぜ昏睡状態になったのか……。あの日あの時、一体何が起こったのか……。それは判らなかった」


 それはハセヲとて同じだった。あの場にいた人間はおらず、最も早く駆けつけたハセヲでさえ、着いたことにはすでに志乃が殺されていた。だが――


「しかし――PKされて意識不明になるなどという話は聞いたことがない。一つの例外を除いて……」


 そう、ただ一つの例外にして心当たりがあった。

 『The World』においての怪談話にも似た、噂でしか見聞きしたことのない伝説のPK――。


「そう――『三爪痕』を除いて……」


 ――三爪痕・トライエッジと呼ばれる『The World』の都市伝説に登場するPK。PKを行った場所に刃物による三角形の"傷跡"を残していくことから、こう呼ばれている。

 三爪痕の噂話については多々ある。

 いわく、CC社が密かに用意した無敵のPK。『The World』で最もレアなアイテムを所有しているNPC。ハッカーが作り出した違法なチートキャラクター。倒せば最強の武器を手に入れられるレアモンスター。例を挙げればキリがない。

 だが、それらほとんどの噂話に共通したことが二つだけあった。

 一つ。三爪痕はその身に蒼く揺らめく炎――『蒼炎を纏っている』ということ。

 そして二つ目、三爪痕に殺されたPCは『二度とゲームに復帰できない』ということだ。


「アンタも……やっぱりその結論に達したってワケか」


 ハセヲ自身もなぜ志乃が意識不明になったのかは知らない。しかし、志乃が原因不明の意識不明、昏睡状態になったことに三爪痕が何らかの関与があるとみて追ってきた。

 三爪痕ぐらいしか思い当たる節が無かったと言うのも事実である。



 もっとも……その元々の情報源自体が不確かであり、本当に存在するのかは定かではない。

 しかし、実際にゲームをしていて意識不明になりいまだ昏睡状態から回復しないなどという馬鹿げたことが起きたのだ。

 『三爪痕に殺されたPCは二度とゲームに復帰できない』というのは、三爪痕に殺されたPCはリアルで意識不明になるからだと置き換えることが出来ないだろうか。

意識不明になればゲームをする事など出来ない、故に二度とログインすることもない。

 つまり『三爪痕に殺されれば意識不明になる』と解釈できないことも無い。――ハセヲは無理矢理そう自身を納得させていた。


「ハセヲ……俺は、三爪痕が志乃の意識不明の原因なのだと考えている」

「俺も同じだ……。アンタも三爪痕を探してたのか?」

「あぁ……」


 言うまでもないことだが、PKにゲームで殺されたら現実世界で意識不明になる、などということは馬鹿げている。この『The World』はあくまでもゲームだ。

 『The World』で『死ぬ』ということは数値的な擬似表現に過ぎない。

 HPという数値が0になった。それがこの世界における死であり、それ以上でもそれ以下でもない。現実世界――リアルに影響を及ぼすなんてことは有り得ない事であり、ふざけている。

 どう考えようとも、馬鹿馬鹿しいただの怪談話だ。

 しかし、それでも――それでも三爪痕以外に、志乃が意識不明になった原因が見当たらなかったのだ。

 どんなに愚かしくとも、三爪痕を探し、見つけだす事だけが唯一の解決手段と信じるしかなかった。

 本当に……他に原因が見当たらなかったのだから。

 故に、それをただ盲目に信じ――いくら周りから憎まれようと、いくら罵られようと、いくら馬鹿げていると言われようとも、ただひたすらに三爪痕を探し続けた。






 志乃が意識不明になったなど許容できない。



 原因がわからないなど許されない。



 二度と目覚めないなど――絶対に認めない。



 故に、自身の手で助けると誓った。



 助けなければならなかった。



 その為に探した。



 ずっと探し続けた。



 いるかどうかさえわからない存在をいると信じて。



 そいつに会えれば志乃が意識不明から回復すると信じて。



 ただひたすらに探し求めた。



 しかし、三爪痕に会うことも、情報を得ることすらも……出来なかった。






「俺の調査が正しければ――」


 オーヴァンは一息を置き、意を決したかのようにして――


「今日、ヤツは戻ってくる。あの……悲劇の舞台にな」


 衝撃的というには、あまりに突然な事実を告げた。


「……悲劇の舞台……? まさか!?」


 悲劇の舞台――。覚えがあるどころではない。

 果たしてオーヴァンは、その場所の名を口にする。


「『隠されし 禁断の 聖域』――半年前、志乃が殺された場所だ」

「……グリーマ・レーヴ大聖堂……!!」


 そこは、志乃にとって……ハセヲにとっても悲劇そのものが起きた、忌むべき地にして聖域。


「やっと、この手で……!! 絶対に志乃を取り戻してやる…! なあ、オーヴァン!」

「……ああ。これは俺たちにしか出来ないことだからな……」


 その言葉を受け、見ると手が震えていた。

 無理も無い。この手で奪り返すと決めた、あの時の誓い……それがようやく果たせるのだから。


「ハセヲ……俺は下準備を済ませてから向かう。……聖域で落ち合おう」


 ハセヲは黙って頷き、ゲートへと向かった。

 その表情には、喜びに打ち震えた狂気が浮かんでいた――。










          *****










 ハセヲが光となってゲートの奥へと消え、橋に独り残ったオーヴァンは大瀑布の轟音に混じり、呟く。


「……ハセヲをここに呼んだのはオマエか?」


 その姿を見下ろす、遥か高い天に“立っている者”へと向けて。


「――気付いてたのね」


 燃えるような美しい紅髪を風に靡かせ、その女は降りて来た。

 オーヴァンは目にも止まらぬ早さで銃剣を引き抜き、女へと構える。すでにトリガーに指はかけてある。後はトリガーを引くのみの状態だ。


「答えろ……何の目的でハセヲをここに呼んだ?」


 混じり気のない、本気の殺意を篭めてオーヴァンは問う。


「――私は時計の針を進めたいだけ。そろそろ、時間が無くなってきてしまったからね」


 その殺意に晒されながら、女は平然と答える。どこか、おぼろげな女だった。


「……オマエは……“観察者”なのか?」

「さあ? けど……少なくとも“傍観者”じゃないことだけは確かね」


 一触即発の状況下、あくまで落ち着き払った口調で女性は言う。

 まるで、自分が撃たれないことを見通しているかのように。


「……オマエが何を考えているかは知らない……。だが」


 銃剣を突きつけたまま、射殺すような視線に意思を篭めて告げる。


「……俺の邪魔をするな」


 それは警告だった。それも、絶対的な意思を秘めた警告。サングラスに隠れた双眸から殺気混じりの視線を放ち、その言葉の重さを宣告する。

 その視線を身動ぎもせずに受け止め、女は静かに――決意を以って言の葉を紡いだ。


「――そのことで、貴方と話したいことがあるの」










          *****










『グリーマ・レーヴ大聖堂』

昼と夜の狭間、黄昏に染まり続ける時の止まった理想郷

今は無き"最初の世界"から存在し続ける、始まりにして終わりの聖域

神が創った揺り篭にして誕生の地

ここは失われた都、ロストグラウンド






 聖なる領域に、ゲートを介して一つの黒い影が降り立った。

 影はどこまでも深く、どこまでも重く、どこまでも嬉しげだった。

 大聖堂を見据え、影はオーヴァンの言葉を思い返す。


(今日、ヤツは戻ってくる。あの……悲劇の舞台にな)


「奴が……帰ってくる!」


 口元を歓喜に歪ませ、呟く。


(半年……そう、あれから半年だ! やっと……奴に会える!!)



 嬉しくて仕方がなかった。



 ようやく憎しみを晴らせる。



 ようやくこの手で、奪り返せる。



 憎しみに体を染め。



 哀しみと罪悪感を押し殺し。



 数え切れない恨みを抱え続けてもなお探し求めた相手に―――



 ようやく……会える。



 それは紛れもなく歓喜。それはよどいもなく憐憫。それは絶えることのない憎しみ。それはあまりに純粋がゆえに……、それはどこか『  』に似ていた。

 時が来たのを感じ、自然と笑みが零れる。

 憎しみと喜びが入り乱れた――狂気にして狂喜の笑みが…

 影は身を翻し、復讐者と化して聖堂へと歩みを進めた。




 この時、ハセヲは歓びと憎しみに満たされていた。故に他の感情が占める隙間などどこにもなく、疑問をも感じることは無かった。

 ショートメールで呼びつけた相手は誰だったのか。アレは本当にデマだったのか。そして呼びつけた場所にオーヴァンがいた理由。

 ハセヲはそんな疑問も感じることは無かった。





 大聖堂の扉は荘厳な音を立て、来訪者を招き入れる。

 黄昏の木漏れ日が差し込む大聖堂の中に、人影はない。オーヴァンはまだ来ていないようだった。


「あの日と、何も変わってねえな……」


 ハセヲは聖堂の天蓋を見つめ、想う。


「なに考えてだか。変わるはずねえってのにな……」


 そしてあの日の彼女を――想い返す。






          ***






「――ここには昔、少女の像があったんだって……」


 一息をおき、彼女は紡ぐ。


「アウラ……、そう呼ばれてたらしいよ」


 あの日の俺は心に浮かぶ疑問を、そのまま口にする。


「なんでいなくなっちまったんだろう?」


 彼女――志乃の声は少し哀しげだった。


「さあ……愛想を尽かしちゃったのかもね」


(愛想を? 何に?)


 司乃は、そんな俺の心を見透かすようにして……言った。


「この『世界』に……」








コォーン










「ッ!?」


 聖堂に響き渡った音が、ハセヲを回想から呼び覚ます。


「何の音だ?」


 『The World』で聞いたことのない音だった。音叉が鳴らした音のような、頭に響く高い音。

 幾度の修羅場をくぐり抜けて来た直感が、未知に対する警報を告げる。

 周囲を素早く見回す。人影は無く、音を立てるようなものは視界に映らない。背後、聖堂の入り口へと向き直る。が、やはり誰もいない……。

(気のせいか……?)

 振り返り、再び大聖堂の正面を向く。


「なっ!?」




 振り向いたそこには、玉が―――。




 淡く光を零す玉が―――。




 見たことも無い――“蒼い玉”が浮かんでいた。





(何だコレは!?)

 疑問が声となって放たれる直前――玉が“弾けた”。


「ぐぁあっ!?」


 余波たる爆圧がその身に襲いかかり宙を舞う。一気に後ろへ吹き飛ばされるが、空中で身体を捻り右手を付いて受身を取り着地。

 すぐさま姿勢を正し、眼前に現れた何かを凝視する。



――“そいつ”は蒼い炎を揺らめかせ、その姿を顕した――



 戒めを破るように……蒼の衣を振り払うかのごとく、腕を振る。神々しく――雄々しく。

 蒼玉より顕れ出でるは、赤の衣装を身に纏い、蒼炎の加護を受ける一人の神。




 心臓がひときわ強く跳ねた。

(蒼い……炎!?)

 心が凍った。

 玉より生じた蒼の炎は消えることなく、衣の如く主を纏う。



――“そいつ”は蒼炎を纏っていた――



 その“神”は背中……腰元へ両の手を廻し、虚空へと両掌を差し込む。

 虚空より引き抜かれたるは三重の刃。その刃は例えようもない禍々しさを撒き散らす。

 ハセヲに向けられるその眼差しが示すは敵意。敵意が招くは殺意と死臭。他者を殺害する存在。



――“そいつ”は蒼い炎を纏った伝説のPKだった――



 鈍い音を響かせながら、三重の刃は三つ又の双剣へと姿を変える。それは禁扉の開け放たれる音にして、破滅を誘う死神の音色。

 蒼炎を纏ったPK――それは紛れも無く探し続けた仇の姿。



――その名は『三爪痕』――




「テメェが……」


 感情が――溢れる。

 憎しみに心を焦がし、恨みの刃にその身を晒し、幾多の死骸を踏み越えて来た。

 そこまでして、なお求めてきた奴が、目の前にいる……!!


「三爪痕……!!」


 激情が――駆け巡る。

 大切なものを奪われた怒りが、失った悲しみが。

 そして行き所を一つしか持たぬ憎しみが! 全身を! 駆け巡る!!



「テメエェェエェェェェェ!!!!」



 激情は咆哮と成り、放たれ――




 ――憎しみを、ぶつけた。











To be Continue




作者蒼乃黄昏さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。














.hack G.U 「.hack//G.U.Chronicle」

第二話 : 再会











僕は常しえに歩み続ける


歩みを止めれば得られぬが故に


二度と歩み出せぬが故に