午前二時。

 いつもならベッドに入り、まどろみの中にいるであろう真夜中。

 しかし、部屋の主はベッドの中ではなく床の上に寝転んでいた。

 ――否、のた打ち回っていた。


「が……ぁ……!」


 全身を這いずり回る痛みに、苦悶の声が漏れる。

 いっそ大声で喚きまわってしまいたかったが、運が悪いことに今日も母が帰宅している。叫んで気取られるわけにはいかなかった。


「ぃ……っ! ぁ、あ……!!!」


 痛みは突如としてやってきた。

 あの後、傷痕に飛ばされた地底湖で転送機を見つけ出し、俺たちはタウンへと戻った。

 色々と調べたいことはあったが、既に時間も時間であったので落ちるログアウトすることにした。

 そうしてログアウトを行い、現実へと戻った途端―――痛みそれは来た。

 全身を襲う脱力感、そして強烈な眩暈。

 それはまだマシだった。問題ないとは言わないが、まだしも耐え切れるレベルだった。しかし……


「はっ……はぁ、はぁ……ぎっ、あ……!!」


 この、右腕を縛り付ける痛みだけは許容できるものではなかった。

 まるで鋼鉄線でガチガチに縛られた上に、内側から串刺しにされていくような痛み。

 のみならず、灼け尽くように熱い。実際に燃えてしまうのではないかと危惧するほどの、灼熱感。


「あ、ぐっ……や、ばい……、な……」


 いや、やばいなんてもんじゃない。明らかに、これ以上なく明らかに、異常だった。

 痛みは大分治まってきてはいるのだが、それでもこのザマだ。

 痛みが襲ってきた瞬間は本気でやばかった。気絶しないでいられたのが不思議でならない。


「くっ……はぁ……! ぐ………いや……違う、か」


 馬鹿馬鹿しい。気絶など出来るワケが無い。

 あの時の痛みであれば、気絶した瞬間に意識が叩き起こされただろう。

 あの痛みを感じながら気を失い続けられるとは思えない。もし、そんな奴がいるならば鈍感の域を超えている。是非とも神経系の病院を紹介してやるべきだ。


「………なんとか、収まって、きた、な」


 少なくとも馬鹿みたいな皮肉を考えられるレベルにまでは落ちて来た。

 壁時計を見上げると二時十分を指していた。ログアウトしたのが、たしか十一時前……約三時間もの間のた打ち回っていた計算になる。


「……もう、こんな時間か、よ」


 全身汗まみれ。勝手に出てくる悲鳴をかみ殺すために食い縛っていた為か、今度は顎が外れそうに痛む。握り締められていた右腕は所々が痣になっていた。


「……これも、アレの後遺症なのか……?」


 昨日もログアウトをした後、倦怠感が纏わりついていた。

 しかし、あくまで体力の激しい消耗だけで、ここまでの痛みを感じることはなかった。翌日にはほとんど回復し、筋肉痛があっただけだったのだ。

 あれは……三爪痕トライエッジの攻撃によるなんらかの影響が原因だったはずだ。他に原因が考えられない。

 一日立てばそれも無くなるとタカをくくっていたのだが、まさか治るどころかここまで悪化するとは想像だにしなかった。想像できるワケがない。こんな……狂おしいほどの痛みを。


「とりあえず……飯食って、風呂入らないと……」


 いつも夕飯は途中で休憩がてらに食べるか、『The World』を終えてから食べるようにしていた。

 今日はたまたま母に食事に呼ばれたが、こんな状態を見せるわけにはいかない。扉越しに声をかけてくる母に、爪が食い込むほどに拳を握り締め、どうにか平静を装った声で返答することが出来た。

 服は汗で完全に湿気ている。この姿で寝れば確実に風邪を引くだろう。身体を動かすのも苦痛だが、仕方がない。

 軋む身体に鞭打ち、階下へと降りていった。










          *****










 ハセヲが痛みに耐えていた頃、『The World』の秘匿された場所である会話が交わされていた。


「お疲れ様、クーン」

「あぁ……パイもお疲れさん」


 お互いの仕事を労いあうが、片方の声にはどこか覇気がなかった。


「……らしくないわね、いつもの軽薄な振る舞いはどこにいったの?」

「あれま、オレってそんなに軽薄?」

「少なくとも表面上は疑いなくね。……で、何があったの?」

「……ちょっと、気になることがあってな」


 答える言葉も歯切れが悪い。


「なあ、パイ。そっちの観測はどうだった?」

「ゲートの作成に気を割いてて完全には採取出来なかったけれど……微小な憑神のデータが検出されたわ」

「微小?」

「この規模では、碑文使いとしての耐性が発現された程度かしらね」

「憑神を喚び出したわけじゃない、ってことか……」


 そのままクーンは考え込んでしまった。パイが焦れたように聞く。


「何があったのかって聞いてるでしょ。些細なことでも報告なさい」

「……気にしすぎかもしれないんだけどさ、憑神を見たときのアイツの反応が気になってな」

「具体的に言うと?」

「うまく言えないんだが……憑神を知っているようで、何も知らないような……」

「要領を得ないわね。そもそも、彼が憑神を知っているはずがないでしょう」

「そうなんだけど、なーんか引っ掛かってな」


 クーンは未だに納得していない様子で唸る。


「ただの杞憂に過ぎないわね。他に気付いたことは?」

「んー……特に無い、かな」

「それじゃ、八咫ヤタ様に報告してくるわ。貴方は休んでおいて」


 パイはそう告げるなり、更に奥の『知識の蛇』への闇へと歩いていった。

 クーンはその背中を見送りつつ、不安げに呟きを残す。


「杞憂ね……だといいんだけどな」










          *****










 日の昇りきっていない早朝、ハセヲは痛みで目を覚ました。

 昨晩のアレで体力を消耗していた為か、ベッドに潜り込むなりすぐさま眠りについた。しかし、それでも三時過ぎだったはずだ。

 時計を見るとまだ五時半だった。七時まではたっぷり寝れるのだが……


「こんな痛み感じながら、寝れるワケないな……」


 右腕の痛みは未だに残っていた。

 体の倦怠感は大分回復したようだが、右腕の痛みだけはさほど回復していなかった。

 とは言うものの、ログアウト直後に比べれば大分マシだ。

 時間経過と共に確実によくなってはきているのだが、右腕だけは他に比べその回復速度が遅く感じる。


「にしても……なんで右腕なんだよ」


 この倦怠感と痛みは、三爪痕の最後の『あの攻撃』の影響のはずだ。

 しかし、それならば右腕だけが集中的に痛む理由に説明がつかない。

 かといって他にこうなる原因に心当たりが在るのかといえば、全くもって無い。


「……左腕は、大丈夫だな。足も……問題ない」


 軽く身体を動かして体調の確認をする。

 全身の倦怠感の残留、それに右腕の痛み以外は問題無さそうだ。

 問題の右腕は……階段で転んで打った、とでも言い訳しておくか。

 ベタ過ぎる気もするが、この際無視する。


「とにかく、今日で最後だ……。明日からは」


 そう、明日からは夏季休みに入る。

 そうすれば学校に行く時間分を『The World』に回せる。身体の回復も出来るはずだ。


「学校は午前中だけだし、行けるな……。少し早いけど、飯食べて準備するか」


 痛む右腕を抑えつつリビングへと降りる。

 窓から差し込む朝日が、やけに眩しかった。










          *****










「また、黄昏を見ているのか」


 そう聞かれたのは何度目だっただろうか。そして――


「綺麗なモノを見るのに理由は要らないわ」


 そう答えたのは、これで何度目だっただろうか。

 会うたびに約束事のように交わされる会話。

 五百回程度までは覚えていたのだが、それ以上は数えるのをやめていた。

 燃えるような夕陽に照らされた、朱の湖。その畔に座り、そうやっていつもどおりの挨拶をすます。

 風が草木と共に踊り、燃えるような光が世界を染める、美しき昼と夜の狭間。

 全身で煌きにも似た朱光を浴びる。白い肌が斜陽に染まり、鮮やかな緋色に輝く。

 まるで幻想のような儚い美しさを放つ、緋に染まったサフラン色の髪。その腰まで届く長い髪は、自分の数少ない自慢であり、お気に入りだった。

 彼とここで自然と待ち合わせるようになったのは、いつからだったか。


「オマエは相変わらずだな。私は人間を見ているほうがよほど面白い」

「相変わらずなのはお互い様でしょ。そのセリフ、三年前から聞いてるわよ」


 よく飽きないものね、と半ば呆れた素振りで彼へと向き直る。


「人間は絶えず変化する、良くも悪くも……な。それで言うと、変わり映えのないこの風景を見続けるオマエのほうが不可解だ」

「優れた芸術品は何度見ても飽きないって言うでしょ」

「限度があるだろう。何百、何千、何万回と同じものを見ていてはさすがに飽きる」

「ま、わからないでもないんだけどね……。それでも、私はここが好きなの」

「……そういえば、オマエが生まれた場所もここだったか」


 懐かしい記憶を思い出させてくれるものだと思う。

 正確には生まれた場所はここでは無いが、産み落とされた場所は何処かと聞かれればやはりここなのだろう。

 あの時も夕陽は美しく、そして優しく輝いていた。


「オマエに欲は無いのか? 何か娯楽を見つけてみてはどうなんだ」

「何言ってるのよ、欲なんてあるに決まってるじゃない」

「……信じがたい」

「なによそれ」


 ちょっとムッとした。

 私にだって欲求という感情はある。生きている限り、それは自然と発生する感情だからだ。

 欲求とは、生命を司る感情の具現であり、一種の集大成でもある。生命は何かを求めて生きるからこそ、自身を生命たらしめることが出来るのだ。

 だというのに『オマエに欲があるとは思えない』と彼は言った。

 その言葉は『人間らしくない』と言われているも同然だった。


「どういう目で見てたのかしら。今の発言すんごく失礼だと思うんだけど」

「そう言われても、な……。オマエが何かを求めた様子を見たことが無い身としては、疑いもする」

「ひどい偏見ね。私はいつだって欲求に従って行動してるわよ」

「…………信じがたい。いや、むしろ信じられん」


 困惑した様子で考え込む彼の表情は、完全に真剣なものだった。

 その様は、まるで森羅万象を把握せんとするかの如し。

 アインシュタインの特殊相対性理論の完全理解に至ろうとする数学者の如し、と読み替えても良い。

 ……ようするに、ほんっきで不可解らしい。私が欲求を持っているという事実が。


「……今、ちょっと傷ついてるんだけど」

「第三者がこの場に居れば私に同意してくれると思うがな。客観的に見ても、だ」

「なんでよ。私って欲求がないように見えるの?」

「欲求という単語を知っていることに驚愕するほどにな」

「……そこまで言う?」


 ちょっとではなく、結構傷ついた。

 私はそんなに非人間的に見えるのだろうか。


「では訊くが、いつ何時欲求を持ったというのだ」

「いつ何時なんてもんじゃないわ。私は常に欲求を持ってるわよ」

「…………」


 そう答えた途端、夕陽に照らされる彼はあんぐりと口を開けたまま固まった。

 整った好青年たる顔立ちがみっともなく崩れている。

 そのまま沈黙が流れ、30秒ぐらいは数える時間が過ぎてようやく彼は言葉を紡ぎ出す。


「……重ねて言うが、信じろと言う方が酷だ。それを信じるくらいならば、私は月にウサギが生息していることを信じる」

「なんでよっ!?」


 あんまりな言い分だと思う。控え目にみても絶対ひどい。私をなんだと思っているのか。


「ではどんな欲求を持っているのか言ってみろ。そうすれば万が一、いや億が一にも信じるかもしれん」

「…………ほんっとに私をなんだと思ってたのかしら…。まあ、いいわ……全然よくないけどいいってことにしてあげる」


 こうなれば言ってやるまでだ。私だって人間味があるのを証明してやろう。


「それじゃ言うわよ」

「覚悟は出来ている。来い」


 なんだか決闘じみた返答を返される。が、努めて気に留めないことにした。

 死闘に赴くかのような彼の瞳を見据え、毅然として告白する。


「私の欲求は――『美しいものを見ること』『風を浴びること』『生きること』――この三つよ」


 小さな胸を張って、堂々と言い放つ。

 しかし……


「……………なんで黙るの?」


 先程以上にポカンと口を開けたまま石化されてしまった。

 ……現実を認められない大人はダメだと思う。

 そうして石化した彼を無視して夕陽へと視線を戻すことにした。

 昼と夜の狭間に、黄昏に、少しでも長く染まっていたい。

 そうして夕陽が半分ほど沈んだ頃になって、ようやく彼は自失状態から立ち直った。


「……………………………すまないが、もう一度言ってくれ」

「私の欲求は『美しいものを見ること』『風を浴びること』『生きること』」

「…………………それだけか?」

「うん」


 本当はもう二つ在るのだけれど、言いたい内容でも無かったので黙っておいた。


「…………よく解った。やはり私の認識は正しかったようだ」

「……なんで? ちゃんと答えたでしょ」

「オマエのそれは欲とは言わん。そもそも、それは欲求に従って行動しているとは形容しがたい」

「それでも、私がそれを求めている限りは確固たる欲求よ。その欲求を叶える為に私はここにいるのだから、私の言ったことは間違いじゃないとは思わない?」

「先にも言ったが、物事には限度という概念が存在する。オマエは多種多様な意味で限度を超越している」

「……もういいわよ、フン」


 これ以上言っても無駄のようだ。向き合っていた視線を外し、再び落ち往く夕陽を見つめる。


「そう拗ねるな。勧めておいて言う言葉ではないが、オマエらしい答えで逆に安心したぞ」

「……さっきも訊いたけど、私をどんな風に見てたのよ」


 戯れに尋ねる。

 ふと口からついて出た、さして気にも留めない疑問。だというのに……


「………そうだな。オマエという存在を表現するに相応しい言葉は、なかなか見つからないのだが」


 答える彼の表情は、今までに見た事の無いほどに真剣なものだった。

 夕陽はもうほとんど沈んでいた。

 斜陽の最後の輝きをその身に受け、謳うように紡がれた答えを聞く。


「一言で言い表せば―――女神といったところか」


 そう紡ぎだした彼の表情には、微細な羨望と畏怖が浮かんでいた。


「そう、女神だ」


 躊躇いがちに彼は言葉を紡いでいく。


「オマエは――純粋すぎるのだ」


 夕陽は既に沈みきっていた。



























 掃討の丘、まどろみから目を覚ます。

 またしても赤茶けた、懐かしい夢を見ていたようだ。


「全く……いつになったら見ないですむようになるのかしら」


 あの日以来、忘れた頃になって計ったように見てしまう斜陽の残滓。


「未練がましいったらないわね……」


 身体を起こす。

 まだまだ仕事は残っている。のんびりと眠っている暇は無い。

 空を見上げると既に月は霞み始め、新たなる日が昇ろうとしていた。


「…………」


 去り行く月を見て、ふと呟く。


「――指が月を示しとき 愚かなる者 指先を見ん――」


 原典はここに。廻り巡る改編は悠久を紡ぐ。

 月はどこに消え逝くのだろうか。








To be Continue










作者の蒼乃黄昏あおのたそがれです。

小説を読んでいただきありがとうございました。

簡単な一言でいいので、ご感想を頂けると嬉しく思います。

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『第零話:終わり逝く世界』をお送りさせて頂いてます。









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.hack//G.U 『三爪痕を知ってるか?』

第十五話 :灯火の記憶










祈り想うは遥かな故郷


遠き昔に去りゆく故郷


未だ還れぬ生まれし故郷