ぎりぎり、だった。
前回以上に間一髪。後一秒でも遅れていれば取り返しのつかないことになっていただろう。
だが、なんとか間に合った。いや、間に合わないはずの時間をコイツは自力で生き残ったのだ。
「もう大丈夫だ――下がってろ」
そう告げるや否や、ハセヲは弾かれるように後ろに跳び下がった。
無茶をした反動か、一目でソレとわかるほど身体はボロボロ。満身創痍の一歩手前といったところだ。しかし、それでもコイツは生き残った。のみならず、傍らの女の子も救った。
そこまで根性見せられて……気合が入らないのは男じゃねえだろ。
「いっけぇぇぇぇぇ!!」
抗うための力、神降ろしの祝詞をあげる。
全身に刻印たる紋章が浮き上がり、自己を変革させる為の儀式を始める。
「オレの……!!」
方法はいつも通り。
祝詞に従い、自己に内在する世界に埋没し、具現し、展開し、喚び起こし――!
自らの肉体を寄り代に、内なる神を顕現させる!
「“メイガス”!!!」
――瞬間。世界は無限となった。
今在る世界を分解し破砕し侵食し変革し、神を降ろす三千世界へと創り変える。果たして現実たる実数は虚数へと改竄され、虚数は実数へと還り現る。
幾何学紋様の陣に肉体は取り込まれ、神の容れ物から神の体現者へと変革される。
己を包み込む光を振り払い、自らの創り出した夢幻世界へと光臨する。
生まれ出でしその姿は一個の神。葉緑に彩られた一人の騎士。抗うための力の具現。
「さあて……アイツが『G.U』に入ることになったら、一応オレは先輩ってことになるんでね」
眼前のAIDAへと宣告する。
「とりあえずは……後輩をいたぶってくれた礼、たっぷりさせてもらうぜ!!」
言い放つと同時、夢幻であり無限であり無間となった世界で翔けた。
迎え撃つAIDAは、身体を鳴動させたかと思うと己の核に澱光を収束させ、砲撃してきた。
先程の澱光とは比較にならない密度で、真っ直ぐに穢れた光の尾を引いて迫り来る砲撃。
それを――
「ハッ!」
右手を薙いで作った簡素な防御壁で消し飛ばした。
AIDAはそれに構うことなく、四方八方へと分離させた球体から連続して澱光を撃ち放つ。
それは最早砲撃ではなく、爆撃だった。爆撃の光の中にメイガスが消えても猶、数十の爆撃を放つ。
しかし――
「……終わりか?」
百に達する爆撃に晒されながら、当然のように、神は平然と立っていた。
そんな攻撃など、塵芥に等しいと言わんかの如く。
猶も討ち放たれる澱光を吹き飛ばし、右の一撃を見舞う。
その一撃はたやすくAIDAを捉え、無限となった世界の遥か彼方にまで吹き飛ばす。
AIDAは自身の構成たる光を軌跡として撒き散らし、核を覆う防御膜すら崩壊した。
「もらったあ!!」
右手をAIDAへと翳し、撃ち構える。
右腕に緑光の神紋が刻まれ、忌眼が掌前へと浮かび上がる。
鮮やかな緑光は右腕に纏われ、光が象るは捕食の砲口にして腕輪。右腕に沿って八つの柱が円状に展開し、緑光はその輝きを増して臨界へと達する。
溢れ出した力の塊が暴れ狂い、その全ては忌眼へと集約され――
「『データ・ドレイン』」
――撃ち放たれた。
何処までも深い闇を孕む光弾が這い縫うようにして放たれ、寸分の狂い無くAIDAの核へと命中した。
同時にメイガスの右腕が幾何学紋様状に多重展開し、全てを吸い込み、取り込むようにしてAIDAを文字通り喰らった。
「ふう……」
AIDAを喰い尽し、他に存在する者が居なくなった三千世界は現実へと還り、メイガスもまた光と化して世界に溶け還った。
メイガスの光の中に残されたクーンは、通常の姿へと己を再構成しつつ、宙からゆったりと降り立った。
「今のは……なんだ!?」
そうして降り立った背後、呆然としたアイツが身を起こしていた。
闇一色、或いは光一色に染まり、意味を成さなくなった視界に色が戻ってくる。
どうやら気絶していたらしい。
(……気絶? 何故だ?)
未だに靄のかかったままの頭を振り、思考を洗う。
思い出せ―――俺は確か■■■■を喚びザアァア……ザザ…ァザザァ…
ジジ潰されッ、ザッ記憶ザ……ザア違ァアうァァ、ジジ思いッ、ザアア出ァァせ……
ザア喚び出ァアァメ、イ…ァ、ジ…ガス…ジッ
ザッザ改竄アア…ァァァ修正ァァアァァア完、了。
――そうだ。
俺は確か、黒い泡に襲われて逃げていたところをこの男に助けられたのだ。
黒い泡は現れるなりいきなり攻撃してきた。それを、この男が弾き飛ばしたのだ。
俺には……ハセヲには、あれを防ぐ力などは無い。何故か記憶が曖昧になっているが、それだけは確かなはずだ。
そうして自分が全く抗うことすら出来なかった黒い泡を、コイツは一撃で倒した。ワケのわからない、見たことも無い巨大な人形のようなものになって、瞬く間に消し飛ばしたのだ。
「今のは……なんだ!?」
先程の、黒い泡を消し飛ばした巨大な人形のようなものは一体何なのか。
浮かび上がる疑問をそのまま言葉として放った。
「……今のってのは、何を指してるのかな」
「とぼけてんじゃねえよ……さっきの、ワケのわからないデカイ人形みたいな奴のことだ!」
「ワケの……分からない?」
青い長髪を馬の尻尾のように纏めた、どこか狩猟種族を思わせる風貌の男はいぶかしむ様な表情で考え込んでいる。
「……その質問に答える前に、一ついいかな?」
「何だよ」
「君さ、俺がここに来るまで何してたか覚えてるかい?」
真剣な表情で男は問うてきた。
そんなもの思い出すまでも無い。俺は――
「ワケのわからねえ黒い泡みたいなのに襲われて、逃げてただけだ。それがどうしたってんだよ」
――自らの記憶に従い、そう答えた。
「……成る程ね」
「俺は答えたぞ。さっきの俺の質問に答えろよ」
「…………」
「おいっ!!」
「……判ってるよ。その前に、そっちの子は大丈夫なのかい?」
そう言われ、ハッと気付く。
胸に抱き止めていたアトリは、瞳を閉じたままぐったりとしていた。
「……っ!? おい、オマエ! おい!!」
抱いた体を揺さ振って呼びかける。
「……んっ……、ぅ」
アトリはゆっくりと眼を開けた。
「……大丈夫か?」
「あれ……、私……どうしちゃってたんですか?」
「どうって……」
「なんか、変なモンスターに襲われて……凄い音がして、びっくりしちゃって」
思い返しながら、アトリは身体を起こす。
「記憶……飛んじゃったのかな? なんて、ハハ……」
「――――」
弱々しく微笑いつつ、アトリはそう答えた。しかし、これは記憶が飛んだというよりも――
(気を失ってたのか? リアルで?)
「何はともあれ、間に合ってよかったよかった」
青髪の男が安堵したように言う。
アトリは起き上がると、誰だろう、というような表情で男を見ていた。
「あー、オレ……? ええと……実はCC社の調査員なんだ」
「システム管理の人? GMさん?」
「ま……似たようなもんかな。このエリアのバグ通知を受けて飛んできたんだけど」
「あのモンスター、バグデータだったんですか?」
「そ。データが修復されるまで、ここには近づかないでね」
バグデータ……一応一通りの筋は通っている。
あんな妙なモンスターは見たことが無い。特有の、固定された姿が無く『The World』において極めて異質なソレは、確かにバグのようでもあった。
しかし――
「……嘘だ」
それが、そんな軽々しいものであるはずがない。何故なら、
「アレは……バグデータなんかじゃねえ。そんなもんで、リアルでプレイヤーが気ぃ失うかよ!」
さっきのアレは、極めて異常、悪質な、別の、何かだ。
「アレは、そんなものじゃねえ! アレは――!」
「三爪痕と――同類の存在だと?」
「……ッ!?」
なんでもないように、男はハセヲの心中を代弁した。
「テメェ……何を知ってやがる」
コイツは、三爪痕のことを知っている。三爪痕が、PCを意識不明にすることを、知っている。
「んー、どこから話したものかな……」
男は悩むような仕草を見せ、何かに思い当たったように頷いた。
「よし、こうしよう。俺たちの本部に来てみないかい?」
「……本部だと?」
「そ。ここで話すには、色々と問題があるだろう」
意味ありげな視線で、男は隣のアトリを見る。
(……GMなんかの本部じゃなく、もっときな臭え何かの本部、ってことか……)
恐らく、一般PCの関わる必要の無いモノの……。
「……分かった、行ってやるよ。場所はどこだ?」
「まあまあ、そう焦りなさんなって。とりあえず、コレ」
男は飄々とした様子でメンバーアドレスを渡してきた。
「明日にでもメールで連絡するからさ。んじゃ、そういうことで」
男は言うなり、ゲートを介してエリアから離脱した。後にはハセヲとアトリの二人だけが残される。
「よく分からなかったんですけど……なんか、凄いことになっちゃいましたね」
そんな、困ったように笑う様子を見て、一瞬で頭に血が上った。
「オマエ……なにのほほんと笑ってんだよ!!」
「え? ど、どうしたんですか、ハセヲさん。突然怖い顔して……」
「どうしたもこうしたもあるか!! 一本間違えばオマエ――」
(意識不明者になってたかもしれねえんだぞ!!!)
――そう繋げようとした言葉を、ぎりぎりでどうにか呑み込んだ。
これは、言ってはならない言葉だ。
これを言えば、この世界におけるコイツの日常が壊れる。だからこそこれを言うわけにはいかない。
「…………!」
幸いにも、コイツは何が起こったのかを理解していない。
なら、このままこの世界の日常へと帰すべきだ。いや、帰さなければならない。
志乃のような思いは、もう――
「ハセヲさん……?」
「……いや……何でもねえ…」
「でも……こんなことになっちゃって……ご迷惑、かけちゃいました、よね?」
確認を取るようにして聞いてくるソイツに、冷たく返答する。
「自覚はあったんだな」
「……ごめんなさい」
そう頭を下げるソイツの表情は、最も見たくない種類のものだった。
しかし、これで関係を切れば、その表情を見るのも最後に――
「あ、あの……! もう一度、名誉挽回のチャンスを頂けませんか!?」
「……は?」
「お願いします! 次こそはご迷惑かけないように、頑張りますから!」
「…………」
背後の湖へと振り返り、背中を向ける。湖の中には、白く雄々しき大樹。
「……次に誘うときは」
「え?」
「次に誘うときは、経験値を稼げるエリアにしろ」
「………はい!!」
二人を照らす白樹は美しく、朧げに輝いていた。
「まずは――成功、かしらね」
はにかむように微笑むアトリと、ハセヲの姿を鏡越しに見て呟く。
「ま、成功と言っても10点がいいトコかしら」
手順は滅茶苦茶。構成数式はデタラメもいいとこ。ましてや、根本の理解すら間違っている。
しかし……そんな方法でも、片腕だけでも喚び出したことは確固たる事実。
これならば『開眼』もそう遠くは無い。
「けど、よくあんな滅茶苦茶な方法で無事だったものね……。火事場の馬鹿力とでもいうのかしら?」
確か――危機的状況、特に生命に危機の及んでいる状況において発揮される能力の通称名。
自己の身体機能の余剰能力を開放し、自己の損壊を顧みずに普段以上の性能を発揮することが出来る、潜在能力の発現、と定義付けられていたはずだ。
自分には理解することは叶わないが、彼の身にその現象が起こったのかもしれない。
「――自己の損傷と引き換えに発揮される力、か……」
ポツリと呟く。
「……貴方なら、愚かしいと笑い飛ばすのでしょうね」
過去を想って呟く。
「けど……愚かしさもまた、人間らしさと言えないかしら」
消えてしまった、彼へ呟く。
「今思えば、貴方は誰よりも人間らしかったのかもしないわね」
思い浮かべるのは遠い過去。過ぎ去ってしまった儚い残滓。
黄昏に染まった……思い出。
それら全てを振り払って立ち上がる。
「さて……そろそろ私も行かないと、ね」
もはや幕開けは終わった。
駒は自律し、運命は加速を始める。
ヴェラは瞳に確固たる意志を宿し、自らの武器を手に取る。
これから全てが動き出し、恐らくは……全てが始まるのだ。
To be Continue
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