「……何故だ」
先程から脳裏に浮かぶのはその一語のみだった。
何故、と疑問が絶え間なくハセヲを苛む。
落ち着けとハセヲは自らに言い聞かしていた。こういうワケのわからない状況下では、まず冷静になるのが大切だ。
そうだ、まずは落ち着いて一つひとつ確かめていこう。
俺は『月の樹』のアイツに、無理矢理ここに連れてこられた。連れてきたのは向こうの方であり、俺はこんなトコには来たくなかったのだ。
つまり、目的を持って俺をここに連れてきたアイツが、先導する立場のはずだ。だと言うのに――
「……何故なんだ」
落ち着いて考えても答えは出ない。それどころか、むしろより一層疑問は強くなり、ハセヲ精神を確実に蝕んでゆく。
どうしてこんな事になったのか、なんの理由で俺がこんなことをしなくてはならないのか。何故――
「ハセヲさん、よろしく御願いしますっ!!」
「頑張ってね、二人とも」
何故――無理矢理連れて来られたはずの俺がアトリを特訓しているのか。
「何故だあぁぁー!!」
ハセヲの叫びは虚しく月夜に響き渡った。事の始まりは、数十分前に遡る。
*****
「攻撃は俺とアンタでやろう。オマエは回復と援護だ」
それがハセヲの提案だった。
戦闘経験がまるで無く、アトリは戦力としてはアテにならない。しかし、それでも回復と援護能力に特化した呪療士だ。低レベルエリアでは呪紋を唱えるだけでも十分であり、後衛に徹させるのが得策だと判断した。前衛はハセヲとヴェラの二人が担当する。
「はい、頑張ります!」
「分かったわ」
少々慌て気味な返事と、落ち着き払った返事が返ってくる。
ヴェラの先程のゴブリンを倒した呪紋の威力から察するに、この程度のフィールドなら十分戦えるくらいの実力はありそうだ。落ち着いた物腰といい、まず初心者ではない。これでなんとかなるだろう。
それにしても、連れて来られたはずの俺が何故、こんなことをしなくてはいけないのか……激しく疑問だが今は放置しよう。考えるだけで頭が痛い。
「それじゃ、行きましょうか」
ヴェラが先を促し、三人は先程のゴブリンどもが守っていた橋を渡る。このエリアはいくつかの小島で構成されているフィールドだ。獣神像は恐らく一番奥の小島にあるのだろう。
「ところでハセヲさん、『月の樹』のギルド名の由来って知っていますか?」
唐突にアトリが聞いてきた。
例の『月の樹』のご説明とやらか……先程までアタフタとしていたクセに、こんな時だけハキハキとした口調になる。
「興味ねえ」
「まあまあ、聞いておいて損は無いですよ。ハセヲさん!」
「たしか……ギルドを運営している七人の幹部PC名が、全員「木」の名前から由来されているのよね。『七枝会』だったかしら?」
「そ、そうです。よくご存知ですね」
「ええ、昔に勧誘されたことがあったからね。その時に色々と話を聞いたの」
柔らかに微笑んでヴェラは答える。端々に大人の物腰を感じさせられる仕草だった。
だが、その挙動の一つ一つに、どこか不自然さを感じる。何が不自然なのかは分からない。しかし、何故か自分たちとの相違点、違和感を感じる。
まあ……そんな事を気にしていても仕方がない。今はさっさと獣神像へと辿り着き、クリアするのが優先事項だ。
「さっさと行くぞ」
「あっ、待ってくださいよぉ、ハセヲさーん!」
(聞いてられるかよ)
無視して突き進んでいくが、しばらくもしない内にモンスターと遭遇した。今度は……ゴブリン二匹に、狼型モンスターの「リウファング」がいた。
「モンスターだ……、今度は逃げ回ったりすんじゃねえぞ」
「は、はい!」
(……ホントに大丈夫かよ)
明らかに強張った返事が返ってくる。横目で様子を伺えばどこか引け腰だった。
「そんなに怖がらなくても大丈夫。私もついてるから、ね?」
優しく声をかけるヴェラ。その声を聞いて、僅かなりともアトリは緊張を解いたようだった。それでもガチガチのままだったが、多分解いたはずだ。
「んじゃ……いくぜ!」
地を蹴り出し、一気に間合いを詰める。まず、最初の狙いはゴブリン。雑魚どもに狙いを定めて集中攻撃で倒し、しかるべき後にリムファングを倒す作戦だった。
敵に気づかれた様子はない。そのまま双剣で不意打ちを仕掛ける――
「ギッ、ギギィ!?」
(ちっ!)
ぎりぎりの距離で気づかれた。もう止まれはしない。そのまま双剣を打ち据える。敵が鈍かったおかげで防御されることなく、その一撃はゴブリンを捕えた。
「――“神風の恩恵”――」
続いてヴェラの詠唱の完成を背中越しに聞く。
魔力の流れは鋭さを秘め風を成し、リウファングをも巻き込んでゴブリンを包み、切り裂いた。。
ゴブリンは突風の中へと消えたが、リムファングは無理矢理に突破し、勢いよく飛び出してきた。
ゴブリンどもを倒しきれたかどうか確認を取りたかったが、そんな暇を与えてくれはしない。リウファングは身体を畳み込むように小さく構えたかと思うと、弾けるようにして突撃してきた。
回避しようとするが想像以上に速い。否、想像以上に自分の反応速度が遅い。
(くっ、まだ慣れきっちゃいねえか)
昨日の戦闘で大分慣れたと思ったが、いまだイメージと実際の戦闘力とに差異があるようだ。
到底回避は間に合わない。双剣を構えて防御。
ドリルのようにして回転しながら突っ込んできた。突風を纏ったかのような牙が、防御を貫いてハセヲを捕らえる。
「リ、“生命の萌芽!”」
意味ある言の葉は力を生み、優しき光となってハセヲを包み込む。儚げに光が消えると共に、ハセヲの傷もまた消えていた。
少々……いや、大分慌て気味なのが気にかかるが、とにもかくにもアトリは自分の役割を果たした。
ハセヲは至近距離のリウファングの顎を膝で蹴り上げ、無防備に晒された腹部へと双剣を突き立てる。
だが、いまのレベルの貧弱な一撃では倒し切れはしない。
つくづく自分の今の力量に落胆するが、悔やんでも仕方がない。一撃で倒せないのならば、二撃三撃と倒れるまで攻撃を打ち込むのみだ。
再び襲い掛かろうとするリウファングの機を制し、初撃を一閃。
「“疾風――”」
続く動きで身を回し、逆手に持った右の刃を突きたて、そこから逆回転に身体を回した勢いで左の刃の三撃目を浴びせる。
「“――双刃!”」
攻撃をまともに受けたリウファングは長い悲鳴を響かせ、動かなくなった。
(あとはゴブリンども!)
神風の恩恵で倒しきれたか確認を取れていない。咄嗟に振り向き、見ると一匹はヴェラと近接戦闘に入っていた。
(もう一匹は――どこだ!?)
「キャアァ!?」
悲鳴の元へと振り向く。確認する間も惜しみ疾駆。
視界に入ったゴブリンはかなりのダメージを受け、自暴したかのようにアトリへと剣を振るっていた。アトリは――やはり逃げ回っていた。
心中でため息をつきつつも、アトリとゴブリンとの間に身体を捻じ込み、アトリへと振り下ろされた短剣の一撃を受け止める。そこへ――
「リ、リ、リ……“生命の萌芽!」
混乱の極みに達した主の詠唱に応え、優しき光が生み出された。
光はそのまま主の意思に忠実に従い――ゴブリンを包み込み、癒した。
「…………は?」
なんか背中越しに「あっ、あっ、ま、間違――」などといった声を聞いた気がする。
……気のせいだと思いたい。いや、気のせいのはずだ。いくらなんでも、そんな馬鹿な真似をするわけがない。
しかし、ハセヲのそんな淡い希望は裏切られ、ゴブリンのダメージは綺麗さっぱりと消えて全快していた。先程とは打って変わった、気力の満ち満ちた攻撃をハセヲへと繰り出してくる。
「なにやってやがんだテメェはぁー!!」
全快したゴブリンとハセヲとの一騎打ちが終わったのは、それから十分後のことだった。
*****
「馬鹿かオマエ!? なんで敵を回復してんだよ!!!」
戦闘が終わるなり、ハセヲは怒鳴り込んだ。当然といえば当然だった。
「ハ、ハセヲさんを回復しようとしたら、間違えちゃって……」
「だああぁぁあぁぁ!!!!」
本当にまるで戦闘経験がないようだ。ノコノコとついて来てしまった愚を呪う。いや、ついて来たのではなく連れ去られてきたのだが、どちらにしろ愚かな選択だった。
「フフッ、アハハハッ」
その様子を黙って見ていたヴェラがクスクスと笑う。
「なんで笑ってんだよ……アンタ」
「フフッ、ゴメンなさいね。貴方達があまりに仲が良いものだから、つい羨ましくて」
「……ちょっと待て。どんな捻くれた見方したら仲がよさそうに見えるんだ?」
「気付いていないのがまた微笑ましいわね」
聞いちゃいねえ。
クスクスと笑みがこぼれるのを必死で噛み殺しているような様子で、ヴェラは言う。
「そういえば、貴方達はどうしてこのエリアに?」
「あ――私がハセヲさんをお誘いしたんです」
コイツにとってお誘いとは拉致を意味するのか。是非とも問いただしてみたい。
「そういうアンタはどうなんだ。見たところ、初心者ってワケでもねえだろう。なんでこんな初心者エリアにいるんだよ?」
「私? そうね……散歩みたいなものかしら。このエリアは月が特に綺麗だから」
「そ、そうですよねっ、ヴェラさん!」
食いつくようにアトリはそれに賛同する。
「ここの月ってとっても綺麗だから……だから、ハセヲさんにも見てほしかったんです」
(……そんな理由でフィールドに連れてきたのかよ)
心中で深い深いため息をつく。しかし、これほどまでに役に立たないとなると、どうするか……。
「成る程ね。けど――確かにアトリが戦えないと都合が悪いことは確かね」
「す、すいません……」
完全に萎縮するアトリ。
「そうね……。獣神殿までモンスターもいることだし、特訓しましょうか」
「あん?」
「特訓……ですか?」
なんだか妙な流れになって来た。嫌な予感がハセヲの頭をよぎる。
「見たところハセヲは呪紋詠唱のコツもよく知ってるみたいだし、アトリに教えてあげたらどうかしら?」
「えっ?」
「なっ、おい――!」
「アトリもいつも逃げてばかりじゃ、色々と大変でしょう? 私はこれがいい機会だと思うのだけど」
冗談ではない。ただでさえ無駄な時間を食うわけにはいかないというのに、戦闘のど素人にそんなものを教えていては、一体どれだけ時間がかかるか知れたものではない。というのに――
「そうですね……私、頑張ってみます!」
「おい、なに勝手に――!」
「よろしく御願いします! ハセヲさん!!」
帽子が落ちそうなぐらいに、勢いよく頭を下げて頼み込んできた。
「ぐ…………」
アトリは深く頭を下げたまま、顔を上げようとしない。
ヴェラはハセヲを意味ありげな視線で注視し続けていた。
「…………」
沈黙が辺りを支配する。
「…………今回だけだぞ」
プレッシャーに負けた、というわけではない。
ないのだが、気付いたときには既にそう告げていた。
「あ、ありがとうございます! 私、頑張りますねっ、ハセヲさん!」
「良かったわね、アトリ」
パァッ、と明るい笑顔で再びお辞儀をするアトリ。
「今回だけだ! いいな!!」
返事も待たずに歩き出す。嵌められた気もするが……今回だけだ、とにかく今回だけだ、と自分に言い聞かせる。
甚だ不愉快だったが、とにかくこんなことは一刻も早く終わらせるのが先決だ。
だが、何故こうなったのかという疑問、そしてこの理不尽さへの憤りだけは消えることはなく、道中のハセヲの精神を蝕み続けることとなった。
そうして、現在に至る。
もはや獣神像は目の前であり、残る敵も獣神像の門前のリウファング2匹のみとなった。しかし、とにかくここまでが長かった。
戦闘のど素人のアトリに、せめてマトモに援護と回復が出来るように仕込もうと考えたのだが……これに想像以上に時間がかかった。最後の方などは、教える方のハセヲが精神的疲労でダウン寸前となっていたほどである。
勿論、アトリは傍目から見ても必死な様子で努力していた。
しかし、これまでずっと戦闘を避け続けた影響もあったのだろう。アトリは敵が襲い掛かってくると途端にパニックになり、マトモな判断が出来なくなるのだった。
それでも、一応の特訓の効果はあったようで、敵を回復することだけはなくなっていた。……あまり救いにもならないことだが、とりあえずの進歩はあった、と思いたい。
「……とにかく……奴らで最後だ」
疲労し尽した、といった口調でリウファングたちを示す。
とにもかくにも、あれで最後の敵だ。さっさと終わらしてしまいたい。
「リウファングが二匹、ね」
「一匹はヴェラ、アンタが頼む。俺はもう一匹をやる。オマエは俺たちの回復だ」
これまでどおりの役割分担を改めて確認する。
ヴェラの静かに頷く様子を見て、ハセヲはしばし思考にとらわれる。
道中、アトリのあまりのど素人さが気にかかっていたが、それ以上にハセヲは大きな疑問を抱いていた。
――ヴェラだ。
基本的に呪紋使いタイプ――魔導士や呪療士――はパーティを組んでこそ本来の性能を発揮できる職業だ。
パーティにおいて呪紋使いが占めるウェイトは大きく、戦術に幅を生むことが出来る重要な――場合によっては必要不可欠の存在となる。
しかしその一方、防御力が低く、物理攻撃力も貧弱な為に一対一では最弱の存在となる。その基本能力を補って余りある呪紋こそが強みなのだが、一対一では呪紋を詠唱する間がほとんどないのだ。
わざわざ詠唱する時間を与えてくれる相手などどこにもいない。よしんば呪紋を唱えられたとしても、詠唱中は完全に無防備である為にリスクが高すぎる。
しかし――ヴェラは違った。
彼女はまるで軽戦士のように、身軽に攻撃をかわし、僅かな隙を見逃さずに呪紋をぶつけていた。
とにかく、呪紋の詠唱タイミング、詠唱速度が凡庸ではなかったのだ。一瞬の隙を突いて詠唱を開始し、それを瞬く間に完成させ、オマケに近接戦闘も苦にしない。
これほど呪紋の扱いに卓越している人間は『死の恐怖』であった頃でさえ見たことがない。ハッキリ言って、化物だった。
しかし……だからこそ不自然だった。これほどまでに、卓越した呪紋使いであるというのに――
(何故――魔典を使わない?)
魔典――攻撃呪紋に特化した魔導士の専用武器。それ自体が魔力の塊である魔導の書物、魔典を媒介にすることにより呪紋の威力、性能は格段に増す。言わば、一種の増幅器だ。
魔典によってもたらされるメリットは多大であり、デメリットはほとんどない。にも関わらず、ヴェラはこれまでの戦闘で一度も魔典を使っていないのだ。
道中、何度かそのことを問おうかと思っていたのだが……何故かそれが躊躇われた。
(……まあ、いい)
軽く頭を振り、思考を切り替える。どうしても聞かなければならない、というわけでもない。とりあえず、今は一刻も早くクリアしてこの状況から抜け出さなければならない。でなければ、精神疲労で倒れる。
ここまでの間、妙にモンスターが多かったおかげで多少なりレベルはあがっていた。今のレベルならリウファングが相手でも、そう遅れを取ることもないだろう。
(どっかの誰かが、何かやらかさない限りはな……)
「が、頑張りますっ!」
「……敵を回復するのだけはよせよ?」
「はいっ!」
アトリはハキハキと返事をする。やる気十分といった様子だ。しかし、今までことごとく、そのやる気がパニックという形で空回りしているのだ。期待は出来ない。
(……とりあえず、さっさと終わらしちまおう)
「んじゃ……いくぜ!」
リウファングはこちらと正面切って睨みつけている。地形的に先制攻撃を仕掛けられないのは百も承知。どちらからの不意打ちもない、真正面からの激突で勝負は始まった。
二匹は連携することもなく、単独で突っ込んできた。素早く横へ飛び退きながら、すれ違いざまに双剣で斬りつける。
元々レベルで上回っている敵だ。対処の仕様はいくらでもある。
とは言え、防御も回避も考えずに、ただ攻撃を繰り出すことに全力を注ぐリウファング。くみし易い相手ではあるが、これだけ攻撃に特化されるとノーダメージでやり過ごせる相手ではない。回避しきれず、その爪に、牙に切り裂かれる。
「“生命の萌芽!”」
アトリの回復呪紋が唱えられる。慌てた様子だったが、先程より幾分かは落ち着いていた。
リムファングは反転して追撃することなく、ハセヲを睨みつけたまま身体を震わせる。あれは――
(呪紋か!?)
リウファングの両眼に鈍い光が灯る。魔力は迸り、瞳が大きく見開かれると同時に解き放たれた。
「“アオオォォォォン!!”」
魔力は水へと姿を変え、奔流となって押し寄せてきた。水圧で切り裂かれ、叩きつけられる。
ハセヲは咄嗟に防御して耐えしのぎ、反撃に打って出た。
元々レベルで上回っている敵だ。呪紋を一発くらったぐらいではやられはしない。被弾覚悟で真正面から
突撃し、身体ごとぶち当てるようにしてリムファングを斬りつけた。
腹部と頭部に一撃ずつ双剣で斬りつけ、トドメを刺す。
(二匹目――ヴェラの方のやつは)
振り返った直後、向こうもケリがついたようだ。
これでようやく終わりだ。思わず気を抜く。
「よし、これで終わりだな。とっとと獣神殿に――」
「ハセヲ! 後ろ!!」
ヴェラの叱責が飛ぶ。
咄嗟に背後に振り向いた眼前、どこに隠れていたのか三匹目のリウファングが襲い掛かってきていた。
(や――ばい!)
完全に不意を突かれた。回避も防御も間に合わない。身構える間すら与えず、リウファングの牙が、爪が、ハセヲへと襲い掛かる――その刹那。
「や、やぁー!」
ガァン! と、フルスイングされた祝杖がリウファングを打ちのめした。
――アトリだった。
「あ、当たっちゃった……!?」
おっかなびっくりに、アトリは両手に握った祝杖を見る。それを見てハセヲは――
「はっ、上出来じゃねえか」
笑みを浮かべ、思わぬ反撃に怯んだ敵の隙を逃さずに双剣を叩き込んだ。
「ふぅ……」
今度こそ終わった。
もうこのエリアには一匹の敵も残っていない。後は獣神殿の宝箱を取るのみだ。
だというのに……何故かアトリの表情はすぐれない。
「あ、あの……ハセヲさん」
「なんだ?」
「勝手に攻撃しちゃって……すいませんでした」
「あん?」
「その……回復に徹してろって言われてたのに、ハセヲさんが襲われるのが見えて、つい」
アトリはしょんぼりと頭を垂れて謝る。
確かに、ハセヲはアトリに回復に徹しろとは言った。しかし――
「馬鹿か、アレでいいんだよアレで」
「……え?」
不意をつかれたように、アトリは呆けた表情になる。
「なんでもホイホイ人の言うこと聞いてて、強くなれるはずがねえだろうが。さっきのオマエは、自分で考えて行動したんだろ? なら、それで正しかったんだよ」
そう告げると、アトリは感激した面持ちで、
「あ……ありがとうございますっ!!!」
耳が痺れるほどの大声量で、満面の笑みを浮かべてそう言った。
「とりあえず、これで完全に終わりだ。獣神殿に入んぜ」
「はいっ!」
先程までとは打って変わった明るい声でアトリが答える。だが――
「……おい、ヴェラはどうした?」
ヴェラの姿が見えなかった。
「あら? そういえば……」
おかしいな、と辺りを見渡すアトリ。
紅の髪を纏った彼女は、いつの間にか姿を消していた。
*****
「さて……ここから、ね」
ハセヲたちの様子を、天高くから見下ろしながら女は想う。
そう、ここから全てが始まり……一つの結末が終わりを告げる。
平穏という名の結末が。
「残る結末は……三つ」
ここからは、誰にも予測できない。
干渉することは出来ても、望むべく結末まで導くことは出来ない。
既に『運命』は独り歩きを始めているのだ。
「でも、それでも……」
「あぁ。それでも……だ」
無骨な拘束具を纏った男が、それに相槌を打つ。
「俺たちはもう戻れないところにいる……。ならば――」
「無駄だとしても……それに抗うことが、私たちの義務」
たとえ、それが不可避の運命だとしても――黙ってみていることなど、受け入れることなどは、断じて許されない。許されるワケがない。
「例えその結末が誇れないものだとしても……『 』を護る為なら、私は方法を選ばない」
「それが、オマエの行動理念か?」
「いいえ。私の全てよ」
「……そうか」
眼下の二人は訝しみながらも、獣神殿へと入っていった。
それを見届けた後、男は――オーヴァンは立ち上がり、拘束具を右手で抑える。
「……俺は、もう行く」
「そう」
「止めるのなら、これが最後の機会だ」
女に背を向け、オーヴァンはそう告げる。
それに見向きもせず、女は静かに返答する。
「自分で言ったことでしょう? 私たちはもう、戻れないところにいる」
「自分で言ったことだろう? 無駄だとしても、それに抗うことが俺たちの義務だ」
背中合わせに、言葉を交し合う。
「貴方……、性格悪いって言われたことない?」
「さあな……」
その声にはどこか楽しな響きが混じっていた。
まるで……哀しみを隠すように、押し殺すかのように――楽しげな韻を含んだ、そんな声だった。
「じゃあね」
「ああ」
オーヴァンの姿は掻き消えた。恐らく、扉を刻みにいったのだろう。
独りとなった『そこ』で、女は遠くを見て想う。
「さあ……ここからよ、ハセヲ」
嘆くような、願うような、慈しむような表情で――詠う。
「覚悟を決めなさい」
そして、その女――ヴェラは決意を秘めた紅い瞳で――
「貴方の物語は――ここから幕を開ける」
開幕を宣誓した。
To be Continue
作者蒼乃黄昏さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル、投稿小説感想板に下さると嬉しいです。