これは、孤独の剣士に関わる者の物語。
一人の少女の“もしも”の話。
To a you side 外伝 “ if ” ティアナ編
午前――――機動六課 陸戦用空間シュミレーター内
「さあて……じゃあ、午前中の纏め。ツー・オン・ワンで模擬戦やるよ」
言いながら、なのはは上空に浮かび上がる。
地上にいる新人達四人を見下ろし、声をかけた。
「まずは、スターズからやろうか……バリアジャケット、準備して」
「「はい！」」
答え、二人――――スバルとティアナは互いに顔を見合わせる。
“ 作戦通りにやるわよ ”
“ 分かった ”
“ ……スバル ”
“ 何？ ティア ”
“ 頼りに……してるからね ”
“ うん！ ”
念話を終了し、二人はバリアジャケットを身に纏う。
そして、スバルはウイングロードを展開、大空に駆け上がり、ティアナはクロスミラージュの銃口をなのはに突きつけ――――
「いっくぞーーーー！！！」
「シューーートッ！！！」
スバルの叫びと、橙色の閃光が模擬戦の始まりを告げた。
――数日前――
深夜――――ホテル・アグスタ オークション会場 裏通り
スバルが走り去ってから、どれ位の時間が経ったのだろうか。
日は落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。
ホテル・アグスタを襲撃してきたガジェット達との戦闘から数時間。
会場の裏手を警備すると言って、スバルも怒鳴りつけ追い返した。
それからずっと、ティアナはこの場所にいる。
気がつけば、冷たい壁に背中を預け、座り込んでいた。
焦点の合わない虚ろな瞳で夜空を見上げる。
――――私は……
自分が、酷く惨めだった。
スバルが慰めてくれた事は分かっている。
だけど、その優しさが今は辛い。
いっその事罵ってくれていた方がどれだけ楽だったか。
――――私はただ、証明したかっただけ……
自分の力を――――優れた力を持たない凡人でもやれるという事を。
ランスターの弾丸は――――兄の魔法はちゃんと敵を撃ち抜けるという事を。
「……私は……証明……するって……」
呟く声が、遠く聞こえた。
膝を抱え、顔を埋めるようにして押し付ける。
心の奥底にある黒く濁った感情が、胸を締め上げていた。
それは、士官学校も空隊にも落ちたとき、初めて抱いた想い。
必死に否定し続けてきた、自分の迷い。
一番強く感じたのはいつだっただろう。
たぶん、Bランク試験を終えて機動六課に誘われた、あのときだと思う。
各分野のエキスパートが集まるエリート部隊。
そんなところに、自分のような人間が誘われた。
嬉しさは勿論あった。が、それ以上に、
……本当に、私なんかがやれるのか……
そう強く、思った。
それでも断る事はしなかった。
才能が足りないというのなら努力で補えばいい。
それが自分の進んできた道だから――――
挫折を経て入った陸士訓練校。
そこには自分よりも優秀な人間が何人もいた。
だけど、負けるわけにはいかなかった。
その為に休日も返上し、訓練が終わった後もひたすら自主訓練に励んだ。
他人よりも何倍も、何十倍も努力してきた。
そうして、自分は主席で訓練校を卒業し、その後配属された陸士部隊でも優秀な実績を収める事が出来た。だから――――
私ならやれる、そう自分に言い聞かせた。
しかし――――
機動六課に入った事で、その想いは打ち砕かれる。
本当の天才というものを自分は知ってしまった。
比べるのも馬鹿らしい程の才能の差がそこにはあった。
リミッターをかけてもなお圧倒的な魔力量。
精密さの極致ともいえる魔力コントロール。
自分以外の新人達も潜在能力ではひけをとっていない。
皆が強くなっていく中、自分だけが取り残されていく感覚。
心を占めるのは強い劣等感ともどかしいほどの焦り、そして、自分の存在意義への疑問。
それでも、進むしかなかった――――
……お前には無理だ……
……諦めてしまえ……
耳元で囁きかける誰かの声。
それらを無視して、脇目も振らず、ただ我武者羅に走り続けた。
その結果が、今回の失敗。
焦った挙句にカートリッジのオーバーロード。
身の丈に合わない、強力な魔法を行使しようとした。
当然、制御しきれるはずがない。
ガジェットに避けられ、軌道から逸れた魔力弾は、スバルへと向かった。
ヴィータが防いでいなければ間違いなく、直撃していた。
「……私は……わた、しは……！」
握った拳を、何度も、何度も、地面に叩きつける。
本当は、最初に迷いを抱いたときから分かっていたのかも知れない。
結局のところ、自分の力はこの程度なのだと。
自分では証明する事なんて出来やしないのだと。
だけど、それを認めてしまう訳にはいかなかった。
認めてしまえば、自分はもう立ち上がれなくなると、分かっていたから。
分かって、いたのに――――
「私じゃ……駄目……な、の？」
決して口にはすまいと思っていた言葉が、零れた。
体中の力が抜け、視界は色を失った。
それが答え。
努力だけで駆け抜けてきた日々の、答えだった。
そう気づいてしまえば、もう何もかもが止まらなくなる。
視界が歪み、喉が震え、激しい嗚咽が漏れ出す。
肩に指が食い込む程きつく身体を抱きしめ、歯を食いしばり、必死に泣き声を抑えようとしたが駄目だった。
涙は次から次へと流れ落ち、コンクリートの地面を濡らし――――
「何やってんだ？」
と。
頭上からかけられた声に、驚いて顔を上げる。
外灯の薄明かりに照らされた前方の空間、そこに、
「宮本……副隊長……」
「よっ」
一人の男が、立っていた。
――宮本 良介――
機動六課本隊の副隊長にして、部隊長 八神 はやての恋人。
彼の名を知らぬ者は管理局関係者の中にはいない。
かくいう自分の所属していた陸士部隊にもその噂は届いていた。
管理局に所属する前から、フリーの人間として数多くの事件を解決してきた凄腕の魔導師にして、解決した事件以上の厄介事を引き起こす要注意人物。
管理局の誇る三人のエースですら、彼には敵わないと明言したと言われている。
だけど、実際に出会った彼は、そんな噂とは程遠い人物だった――――
眩いばかりの才能を持つ隊長達の中で、唯一の例外。
本隊の副隊長でありながら、ランクはFクラス。
魔導師としては凡骨な自分よりも明らかに低い魔力。
振るう刃だってお世辞にも洗練されているとは言えない。
魔導師としても剣士としても並以下。
才能という言葉の対極に位置すると言っても過言ではないほどに無才。
管理局を揺るがし、エース三人を凌駕する人物とは到底思えなかった。
それどころか、一部の上層部からは嘲笑の対象にさえされていた。
八神 はやての台頭を快く思わない彼らは、聖王教会という強大な後ろ盾を持つ彼女には直接手出しが出来ない。
それ故に、妬みの感情や嘲りの言葉は矛先を変え、全て恋人である彼に向けられた。
しかし、彼は何も言わない。
周りから馬鹿にされても、いつもヘラヘラとしているだけだった。
なんて不甲斐ない男、そう思った。
どうして言い返さない。
なぜ、好き放題言わせておくのか。
貴方にはプライドがないのか。
彼に抱いた最初の感情は侮蔑だった。
なのに、いつしか――――
彼の纏う貧弱な魔力の輝きに。
彼の振るう粗雑な剣が描く軌跡に。
彼の不遜な後ろ姿に。
心惹かれる――――自分がいた。
「何しに来たんですか……」
泣き濡れた顔を乱暴に拭い、良介を睨みつける。
上官に取る態度ではない事は分かっていたが、今はそうやって虚勢を張っていないと押し止めている激情の堰が切れてしまいそうだった。
「お前が何時まで経っても戻ってこねえから、この俺が直々に迎えに来てやってんだよ」
あくまでもぶっきら棒な口調。
良介は近くの外灯に寄りかかり、腕を組んで、
「……盛大に失敗したみたいだな」
ビクッとティアナの身体が震えた。
「笑えば……いいじゃないですか……無様だって」
良介から顔を背け、弱々しい声で答える。
「土台無理な話だったんです……私がこんなエリート部隊でやっていける訳がなかったんですよ……」
「おい、そこまで言う必要はねえだろ」
当てが外れたような顔で良介が言う。
「たかが一度や二度の失敗で落ち込むなんざ、お前らしくもねえ……。次から同じ失敗をしねえように努力すりゃあいいじゃねえか。それに―――」
「違うんです」
「あ？」
「前から思ってた……私でいいのか、私なんかがやれるのかって、ずっと……」
ともすれば溢れ出してしまいそうな激情を抑えながら、ティアナは言葉を紡ぐ。
「お前……」
「それでも諦めずに努力してきました……才能やレアスキルなんかなくたって……多少無茶でも必死にやればいつかは強くなれるって信じて……」
そこで顔をうつむかせ、息を吐き、
「だけど、やっぱり駄目だった……どんなに頑張っても、何も変わらなかった。……昼間の戦闘だって、無茶してもスバルを傷つけそうになっただけ……。結局、私は間違っていたんです……」
「だから……もういいってか？」
「いいも、何も、それが事実です」
良介の問いかけに、笑みを浮かべようとしたが、出来なかった。
そのままいっそう顔を深く伏せ、
「私がやってきたことって……一体何だったんだろ……」
ポツリと零した言葉と共に、一筋の涙が頬を伝う。
ティアナはそれを拭いもせず、ただぼんやりとした瞳を地面に向けるだけ。
良介はそんなティアナの様子を、暫くの間じっと無言で見つめていたが、
「……なるほどね」
呟き、外灯から背を離してティアナに歩み寄っていく。
「…………？」
近づいてくる足音に、顔を伏せていたティアナはゆっくりと顔を上げ、視線を良介に向ける。
「気に食わねえが、根性はある奴だと思ってたんだがな……」
ティアナの目の前で立ち止まった良介は、失望の色を隠そうともせずため息をつく。
そして――――
「なんだよ、結局お前の兄貴は無駄死にじゃねえか」
そのままティアナを見下ろし、吐き捨てた。
「なん……です、って……？」
「聞こえなかったか？ お前の兄貴は無駄死にだって言ったんだよ」
嘲りの笑みを浮かべた、良介の言葉。
どうして兄の事を知っているのか、なんていう疑問よりも先に――――
「違う――――！」
身体が、動いた。
立ち上がって振り抜いた右手が、良介の頬を張りとばした。
「私の兄さんは無駄死になんかじゃない！！」
涙で、歪んだ声。
溢れる涙を気にも留めず、ティアナは良介に掴みかかる。
許せなかった。
自分に対する侮蔑なら、まだ我慢できる。
だけど、兄の事だけは、誰にも馬鹿にはさせない。
「だから、だから――――！」
兄が殉職したあの日。
兄の上司だった人から、役立たずと罵られたとき。
悔しくて。
悲しくて。
思い出の玩具の銃を握り締めて流した、遠いあの日の、あの涙に。
「私は――――！」
兄の夢だった執務官になると。
兄の魔法は役立たずではない事を証明すると――――
「決めた、だろ？」
確信に近い疑問。
穏やかなその声音に、良介の胸倉を掴んでいたティアナの手が緩んで外れた。
「なのはから聞いたぜ……お前が魔導師――――執務官を目指した理由……」
呆然と自らを見上げるティアナに、普段より幾分か優しい口調で良介は言う。
「兄貴の無念を晴らせるのは、お前しかいない。そのお前が諦めちまったら、それこそ無駄死にだろうが」
「それは……」
「だったら、才能がないだの力がないだのと泣き言言ってる場合じゃねえだろ」
「――――っ！ 貴方はどうしてそんな事が言えるんですか！」
反射的に、ティアナは叫ぶ。
真っ向から良介を睨みつけ――――しかし、すぐにその瞳は力を失い、
「……貴方だって、いつも隊長達と比べられて、誰かに馬鹿にされて……そんな自分が嫌にならないんですか……？」
震え混じりに吐き出された言葉。
良介は虚をつかれたように目を瞬かせるが、次の瞬間には口元を歪める。
「それがどうかしたか？」
そして、小さく笑ってみせた。
「うだつの上がらない駄目人間、小娘の部下に甘んじる情けない男……言いいたい奴には言わせておけばいい……一応、事実だからな」
「でもな」と良介は続ける。
「俺の信じた道は、そんな事で諦められるようなちっぽけなもんじゃねえ」
良介を見つめるティアナの目が丸く見開かれた。
「お前はどうなんだ？」
「私……？」
「お前の誰にも負けない夢ってのは、才能がないから凡人だからなんていう理由で諦め切れるもんなのか？」
良介の言葉に、ティアナは視線をうつむかせ、
「……そんな訳、ないじゃないですか……」
自分が目指した。
果たすと決めた夢は。
断じてそんな事で諦められるものじゃない。
――――だけど……
と心の中で独白する。
諦められなくても、どれだけ夢を果たしたいと願っても、力が足りなければ叶わない。
生まれ持った才能は、どう足掻いても変わらない。
それは変えようのない現実。
――――私の力じゃ――――
「それに、だ」
良介の声が、ティアナの内心での独白を遮る。
「お前は勘違いをしている」
「勘、違い……？」
「お前は、一人で戦ってんのか？」
視線を上げ、上目遣いに良介を見たティアナは、その言葉に硬直する。
だが、良介は構わず続けた。
「大体だな、一人で焦って無茶すりゃそら失敗もするだろ」
「……どういう、意味ですか？」
硬直から立ち直ったティアナは呻くように言う。
「どうもこうも、そのまんまの意味だよ。半人前の人間が一人で無茶してもいつか取り返しのつかん失敗をしでかすだけだ……俺みたいにな」
ティアナは、「えっ？」と目を丸くする。
「昔の俺は力どころか心も弱くてな……。つまらん意地張って一人で馬鹿な間違い起こして大勢の人間を悲しませて傷つけてきた」
「貴方が……？」
「ああ、そうだ……。でもな、そんな俺をいつもはやてが、皆が、救ってくれた、支えてくれたから俺は戦ってこれた……。だから、俺は決めたんだよ。あいつらと共に在り、助け合って、最後まで戦い抜くってな……それが――――」
腰に差した刀を見据え、良介は誇らしげに告げる。
「こいつを振るう意味――――俺の信じた……俺の、剣の道だ」
「―――――――――」
「あいつらがいたから、俺はそれを掴めたんだ。だからお前も――――」
そこまで言って、良介は放心したような表情でこちらを見つめるティアナの視線に気づき、「あー、なんだ……」と苦笑めいた表情で頬を掻く。
「俺もそれが分かるのに十年もかかっちまったからな、こんな風に偉そうな事言える立場じゃねえけど……。ま、お前もよく考えてみるこった……お前の目指すものは、一人でしか掴めないものなのかどうかをな」
「私の――――」
それきり、言葉を続けられずにティアナは沈黙する。
どうしたものかと視線を周囲に向けた良介はあることに気づいた。
そのまま視線を眼前の少女に戻し、
「これからどうするかはお前の自由だが、どうやらそれを決める前にお前には行くところがあるみたいだぜ」
「…………？ 行くって、どこへ……」
「お前は一人じゃない。それを証明してくれる奴らのところだよ」
良介は親指で後方を指し示した。
ティアナもつられて目を向ける。
そこには――――
「……スバル……エリオ……キャロ……」
いつの間にか、三人がいた。
不安そうな、心配そうな表情を浮かべて、こちらを見守っている。
「ほれ」
呆けたまま動かないティアナの背中を、良介が優しく押す。
ふらつきながらも歩き、ティアナは三人の前に立つ。
「皆……」
「「ごめんなさい！！！」」
ティアナが何事か口を開く前に、エリオとキャロの二人が一斉に頭を下げた。
「ど、どうして謝るのよ？」
「それは……」
言いかけたキャロはそこでうつむき、グスッと鼻を啜りながら、
「わたし達が後ろに下がったから、ティアさんに負担がかかってしまって……それが申し訳なくて……」
「それは……私が下がれって言ったから……」
ティアナの言葉にキャロは、「そうじゃないんです」と首を振る。
「ティアさんに言われたから下がったってだけじゃないんです。それ以上に――――」
「僕達が、ティアさんに甘えてました」
キャロの言葉を継いで、エリオが喋りだす。
「ティアさんは訓練の時、いつも僕達を引っ張ってくれていました……だから、知らず知らずのうちに僕達ティアさんに頼りっぱなしになっていたんです……」
「それはあたしだって一緒だよ……今まで二人で頑張ってきたって思ってたけど、よく考えたら……あたしティアに頼ってばっかりだった！」
今度は、スバルが声を上げた。
「だから、三人で話し合ったんだ。ティア、あたし達もっと頑張るから！ ティアが無茶しなくてもいいように頑張るから！ だから――――これからはティアにもあたし達を頼って欲しいんだ！」
「そうですよ！ チームは違いますけど……それでも僕にだって何か出来るはずです！」
「わたしも、頑張ります！」
口々に言い募る三人の姿を、ティアナは呆然とした面持ちで見つめていた。
「み、んな……」
気がつけば、視界が滲んでいた。
先の良介の言葉が脳裏を反芻する。
……お前は独りじゃない……
その通りだと、思った。
こんなに優しい相棒や仲間がいたのに、自分はそれに気づこうともしなかった。
ただ自分の事しか考えず、皆の力に嫉妬していただけ。
でも、そんな自分を皆は頼ってくれていた。
ならば――――どうすればいい。
皆の優しさに信頼に応えるには、どうすればいい。
それは――――
「ティア……？ 泣いてるの？」
「バカ、泣いてなんかいないわよ」
瞳を潤ませたままの精一杯の強がり。
ティアナは目尻に溜まった涙を拭い、三人に視線を巡らせ、
「全く……あんた達気づくのが遅いのよ。私が今までどれだけ大変だったかようやく分かったの？」
と、言った。
「うっ」
「あ、その……」
「ごめんなさい……」
途端にしゅんとする三人。
その様子が可笑しく、ついティアナは小さく吹き出した。
――――ちょっと意地悪な事を言っちゃったかな……
込み上げてくる笑いを噛み殺し、ティアナは口を開いた。
「ふ、くく……冗談よ」
「ティ、ティア〜」
「ティアさん！」
「ひどいです！」
「ごめん、ごめん……でも皆、本当にありがとね、心配してくれて」
「もう……そんなの当たり前じゃない、あたし達は仲間なんだから」
「仲間、か……うん、そうよね」
スバルの言葉に笑みを浮かべ頷く。
「「「？？？」」」
急に微笑んだティアナに、三人は不思議そうな顔をする。
それに、「なんでもない」と答え、
「さあ、帰りましょ。いつまでも隊長達を待たせたままじゃ悪いし」
「待たせてたのは、ティアだよね……？」
「はい、確かに」
「……何か言った？」
「う、ううん！ なんでもないよ！」
「な、何でもありません！」
「そう？ じゃあ早く行くわよ」
慌てて両手を振りながら否定するスバルとエリオに、言って振り返り、颯爽とティアナは良介の下へと歩き出した。
「もうちょっと落ち込ませてた方が良かったかも……」
「……そうかも知れませんね」
「スバルさん！？ エリオくん！？」
後ろからそんな会話が聞こえるが、気にせずティアナは歩き続ける。
――――うん、そうだ。
これこそが自分らしい。
これこそが、自分達にはふさわしい。
こんな自分を頼ってくれる皆にこれ以上情けない姿を見せる訳にはいかない。
そんなのは自分らしくない。
自分は自分らしく。
その上で皆に頼るとしよう。
頼った上で、皆の優しさに信頼に応えていこう。
そう決めた。だから――――
迷う必要も、諦める必要も、どこにもない。
誰にも負けない夢がある、その想いのままに進んで行けばいい。
焦りは未だ変わらずここにある。
恐らく、これからもずっとあり続けるだろう。
だけど、それを理由に一人で無茶をする事は、もうしない。
どれほどの時間がかかろうと、いつか必ず夢は果たす。
この心優しい仲間達と共に。
夢への道は、一つじゃないから。
それを――――
「終わったか？」
――――この人が教えてくれた……
先と同じように外灯に背中を預けていた良介が、視線を向け訊いてきた。
その声に先程までの穏やかな雰囲気は微塵も残っておらず、いつものふてぶてしい口調に戻っていた。
ティアナは頷き、良介の前で立ち止まる。
良介の顔をまっすぐ見上げ、目を細める。
知らず、口元に笑みが浮かんだ。
どうして彼に惹かれたのか、その理由がやっと分かった。
彼には才能なんて関係なかった。
そんな事で、彼は立ち止まらない。
どれだけ嘲られようとも、どれだけ罵られようとも、ただひたすらに己の道を走り続ける。
簡単に割り切れる事ではなかったはずだ。
心が折れそうになった事もあるはずだ。
それでも、彼には信じるものがあった。
それでも信じた道があったから、彼は走り続けた。
それが、彼の強さ。
非凡な才能を持たず、多くの失敗を重ね、それでも諦めずに刃を握り続けた。
誰にも否定できない、誰にも打ち破れない、彼だけの強さ。
その強さに、惹かれた――――憧れた。
才能がないと知りながら、高みを目指す彼の姿に、努力だけで駆け抜けてきた自分を重ねた。
この人のようになりたいと、この人のような強さが欲しいと、願った。そして――――
「で、どうする――――つっても、その顔を見りゃ分かるか……。全く、いらん手間かけさせやがって……後でなのはやヴィータにも謝っとけよな」
「はい」
「それにしてもよ――――」
途中で言葉を区切り、良介は真っ赤に腫れた頬をさすりながらジト目でティアナを睨む。
「まだ、痛ぇし……ったく、よくもまあ思いっきり引っ叩いてくれたもんだ」
「柄にもない事するからですよ」
クスッと笑ってティアナは答えた。
「うおい！？ てめえ、さっきまでの殊勝な態度はどうした！？ それが人を叩いた人間の――――」
喚く良介の頬を両手で挟むようにして触れる。
「はい、だから――――」
ゆっくりと顔を近づけると同時に、良介の顔を引き寄せ――――
「お、おい――――」
「これはお詫び――――」
ティアナは、良介の唇を奪った。
遠くで息を呑む気配が三つ。
皆に見られているのだろうが、気にしない。
今、目の前にいる彼が、ティアナの全てだったから。
――――この人に私は憧れた……だけど、それだけじゃ……ない。
憧れとは違う、別の想いもあった。
それは、憧れと同時に、ほんのりと感じた淡い想い。
ひたむきに突き進む彼の姿を目で追っているうちに、強くなっていった想い。
最初はこの想いが何なのか分からなかった。
だけど、今、確信した。
――――私は、この人に恋をしてたんだ……
十数秒にも及ぶ長いキス。
口付けをしたまま、ちらりと横目で三人の様子を伺う。
スバルとエリオはあんぐりと口を開けて、キャロは両手で顔を覆い隠し――――しかし指の間からしっかりと――――こちらを見ていた。
目許に小さな笑みを作り、唇を離す。
「と……私の気持ち、です」
薄く頬を染めてティアナは言う。
「な……おま……」
「貴方が、はやて部隊長のことを好きだって事は分かっています」
絶句する良介に畳みかけるようにティアナは言った。
恋敵は、若干１９歳にして自分の部隊を持った才媛。
しかも二人は相思相愛。
状況も相手も最悪な、勝ち目なんてない戦い。
「でも――――」
逃げるわけにはいかない。
夢も、恋も、何一つ諦めたりなんかしてやらない。
それだけの理由が今はあるから。
それだけの想いが今はあるから――――
「私は諦めません」
良介の瞳を覗き込み、咲き誇るような笑みを浮かべて、
「必ず貴方を――――振り向かせて見せます」
ティアナは再び良介の唇を奪った。
「ティ、アァァァッ……！」
なのはのプロテクションに渾身の一撃を防がれたスバルが、苦しげにパートナーの名を呼んだ。
それに答えるように、離れたビルの屋上で砲撃魔法を撃とうとしていたティアナの姿が掻き消える。
「あっちのティアさんは幻影！？」
「じゃあ、本物は！？」
遠くで観戦していたエリオとキャロが、困惑気味に叫ぶ。
「あそこだ」
同じく観戦していたヴィータが指差す先。
そこには、クロスミラージュを構え、なのはの背中から頭上にかけて展開しているウイングロードを駆け上がるテイアナの姿があった。
――――私はなのはさんのような馬鹿げた威力の砲撃も、精密と言えるほどの射撃も持ってない……でも！
クロスミラージュの銃口から魔力で形成された刃が出現する。
そのままティアナは足元のウイングロードを蹴り、なのはへと飛びかかった。
「あの馬鹿っ！ なのはが言った事、全然守ってねえじゃねえか！！」
「……レイジングハート」
ティアナの行動にヴィータは罵倒し、なのはの表情には影が差した。
「モード――――」
なのはがレイジングハートを待機状態に戻そうとした、その時、
――――私には“これ”がある！
「リリース――――え？」
なのはの頭上から斬りかかろうとするティアナの姿が陽炎のように揺らめき、また、掻き消えた。
「な――――！？」
「ロードカートリッジ！」
なのはが驚愕の声を漏らすよりも早く、スバルは拳を限界まで引き絞りカートリッジロード、リボルバーナックルに膨大な魔力を込め、
「やああああああああああああああああっ！！！」
全力で拳を撃ち放った。
なのはは咄嗟にプロテクションを強化――――しようとしたが、一瞬の驚愕がその行動を鈍らせる。
至近距離から放たれた強力な魔力拳が、中途半端に強化したプロテクションを粉砕し、なのはを豪快に殴り飛ばした。
間髪入れずにスバルはウイングロードを駆け抜け、なのはへと肉薄、両の拳による拳打の嵐を見舞う――――が、なのはは不安定な姿勢ながらもレイジングハートを巧みに操りそれらを次々と捌き、打ち払っていく。
かすりもしない自分の拳に、しかし、スバルの表情に焦りの色はなかった。
それどころか口元に笑みさえ浮かべて、彼女は拳を振るい続けている。
“ かかった！ いくよ、ティア！！ クロス・シフト―――― ”
“ ――――バージョンC！！ ”
相棒からの合図を受け、ティアナが今の今まで潜んでいた物陰から駆け出した。
スバルを挟み、なのはと相対する場所で立ち止まる。
空中にいるなのはとの距離は――――ミドルレンジ。
中距離射撃において、最も理想とされる位置。
そこにティアナは立っていた。
「頼むわよ！ クロスミラージュ！！」
『お任せください』
クロスミラージュに声をかけ、両腕を左右に突き出し、引き金を引く。
――――見せてやる……！
軽い金属音を立ててカートリッジの薬莢が一つずつ、ツーハンドモードのクロスミラージュから排出される。
同時に魔方陣が展開され、橙色の光がティアナを照らす。
それに気づいたなのははティアナの魔法を妨害しようとしたが、雪崩を打って襲いかかるスバルの拳がその隙を与えない。
その間にも魔方陣の光は激しく迸っていく。
「クロスファイアァァァァッ……！」
――――これが、私の……！
ティアナの体内を巡る魔力が加速し、増幅していく。
魔力の高まりと共に、虚空に数個の輝く球体――――魔力スフィアが顕現する。
その数は三つと、少ない。だが、
「バリアブルッ……！」
――――兄さんの……！
その輝きは普段のクロスファイアーの比ではなかった。
太陽が如き煌きを纏い、魔力スフィアはその輝きを増していく。
その光景に、エリオとキャロが悲鳴じみた声を上げた。
「クロスファイアーの多重殻バージョン！？」
「無茶ですよ！？ そんな複雑な魔法、制御しきれる訳が――――」
「いや、いける」
二人の言葉を、ヴィータが視線をティアナに向けたままで否定した。
「「えっ？」」
「多重殻弾処理をクロスミラージュに任せて、自分はクロスファイアーの数を最小限に抑えて一発一発の威力を高め、且つ確実に制御する事だけに専念してやがる……」
感心と呆れが入り混じった声でヴィータは言う。
そして――――
「シューーーーートッ！！！」
――――ランスターの、弾丸！！！
交差させるようにして、ティアナは両腕を振るった。
撃ちだされた三つの光球は、三重の螺旋を描いて互いに絡みつき、一条の光と化して突き進む。
離れた位置でも感知できる程の魔力の強さに、ヴィータが目を見開く。
「なのはにプロテクションを張らせる余裕を作らせない上での、多重殻弾処理を施したクロスファイアーの一点集中射撃。……確かにこいつはリミッターをかけた今のなのはのフィールド魔法じゃちっとばかしキツイな……。ハン、あの二人にしちゃあ考えたじゃねえか」
「でも！ あのままじゃ―――――」
「――――スバルさんにも当たっちゃいますよ！？」
エリオとキャロの言葉通り、橙色の流星は空中でぶつかり合うなのはとスバルへと命中――――
「マッハキャリバー！！」
『ウイングロード解除します』
――――する直前に、スバルがクロスファイアーの射線上から外れた。
足元に展開していたウイングロードを消失させ、地面に向かって落下する事によりスバルはクロスファイアーを回避した。
それは、互いを知り尽くした長年のパートナーだからこそ成し得た絶妙なタイミングでの回避だった。
残されたなのはは回避不可能と判断したのか、レイジングハートを掲げたまま――――
轟音。
巻き起こった爆発が大気を震わせる。
その衝撃は周囲の建物の窓ガラス全てが砕け散る程。
更には放射状に発生した余波が、落下途中のスバルを軽々と吹き飛ばした。
「わぁぁぁっ！？ マ、マッハキャリバー！」
『了解』
主の声に応え、マッハキャリバーがウイングロードを再展開。
スバルは姿勢を崩しながらも、なんとかウイングロードの上に着地、地面への激突を免れる。
「ハア、ハア……や、やったの？」
息を荒げて、ティアナは疑問を発した。
フェイクシルエットの連続使用にクロスミラージュの補助なしでの最大出力のクロスファイアー、加えて多重殻弾処理。
多重殻弾処理はクロスミラージュに任せていたとはいえ、魔力は消費する。
今のティアナの魔力は空の状態に近い。
最早、射撃魔法の一発も撃てないだろう。
荒い息のままティアナは上空を見やる。
爆心地であるなのはがいた場所は、轟々とした黒煙に覆われていた。
「ティア！ 大丈夫！？」
「なんとか、ね」
ウイングロードから飛び降り、駆け寄ってきたスバルに呼吸を整えながら答える。
「だけど、魔力はほとんど使い切った。今ので決まってくれないと――――」
言いかけたその時、
「フェイクシルエットの二段構えか……騙されちゃったなぁ……」
未だ晴れぬ黒煙の中から、そんな声が聞こえる。
次の瞬間、黒煙は吹き消え、なのはがその姿を現した。
咄嗟に身構えるスバルとティアナ。
しかし、なのははその場を動かず、レイジングハートに話しかける。
「レイジングハート、今のは……」
『はい、カートリッジを使っていなければ直撃していました』
「そっか……」
なのはは所々が黒く汚れた自らのバリアジャケットを見下ろし、嬉しそうに頷く。
そのまま二人の前に降り立ち、
「これで、スターズの模擬戦は終了」
「えっ？」
「それじゃあ……」
「うん」
満面の笑みを浮かべ、なのはは告げる。
「私が撃墜されて終了……二人の勝ちだよ」
二人の勝利を――――
おまけ
同時刻――――首都 クラナガン
道路を走る一台の黒い車。
その中には、
「終わったみたいだね……」
車を運転する一人の女性――――フェイト・テスタロッサ・ハラオウンと、
「やれやれ……なんとかなったな」
「そんなに気になるのでしたら、見に行けば良かったですのに……」
「良介は素直やないから……と言っても、行かれたら困るんやけどな」
後部座席に座り、目の前に映し出された仮想ディスプレイに映るなのは達を眺める二人の男女と一人の妖精――――宮本 良介と八神 はやて、そして、ミヤの姿があった。
で――――
「ところで、この作戦は良介が教えたんか？」
とはやて。
「何の事だよ……？」
「ティアナが二回目に使ったフェイクシルエットの事や。わざとなのはちゃんを逆上させて隙を作る……良介が考えそうな手やんか」
「違えよ。あいつ自身の考えだろ」
良介の返答を聞いたはやては、「ふーん」と疑わしげに良介を見る。
「……んだよ？」
「別に……ただ、真面目やったティアナがこんな悪知恵を働かすなんて、一体誰の影響やろと思うてな」
「知るか」
「……ティアナと何かあったん？」
「別に何もねえよ」
「本当に？」
「ああ」
「本当の本当に？」
「しつこいぞ！」
「そっか……正直に言ってくれれば、まだ許したったんやけどな……フェイトちゃん」
「……うん」
はやての呼びかけに、フェイトが車を停止させる。
いつの間にか車は都市部を離れ、辺りには随分と閑散とした景色が広がっていた。
「あれ？ おい、行き先は確か――――」
「私達、リョウスケに聞きたい事があったんだ……」
感情を欠落させたフェイトの静謐な声が良介の言葉を遮る。
その声に数多の“修羅場”を潜り抜けてきた良介の経験が、本能が、警告を発した。
今すぐ逃げろ、と。
「ホテル・アグスタで起きた事件……あの日からエリオとキャロの様子、というか二人の良介やティアナを見る目がおかしかったんだ……。それで、心配になってちょっと問いただしたら――――」
運転席に座っているフェイトから禍々しいオーラが噴き上がるのが見えた。
その手には金色に輝く物体――――待機状態のバルディッシュが何故か握られている。
フェイトの尋常ならざる雰囲気に思わず後ずさろうとする良介。しかし、
「なぁ、良介……」
はやてが良介の腕を掴み、それを阻止。
「これはどういう事なん？」
そのまま万力で締め上げるかのように力を込めていく。
腕に走る痛みと正体不明の恐怖が頭を混乱させる中、良介はなんとか状況を打開しようと口を開いた。
「い、いや……そ、それよりも、早く中央管理局にいかねえと！ 用事があんだろ？」
「それは、嘘や」
「はあっ！？」
「リョウスケに聞きたい事があったから、嘘吐いてここまで連れ出したんだよ」
「何だよそれ！！ ふざけ――――」
「黙り」
「……はい……」
フェイトの返答に激昂しかけた良介だが、はやての射抜くような視線にすごすごと引き下がる。
「もっかい聞くで……良介、これはどういう事なん？」
ぞっとするような笑みを浮かべて、はやては詰め寄ってくる。
狭い車内。
すぐに良介は壁際へと追い詰められる。
進退窮まった良介は車の外へ飛び出そうと、はやての腕を全力で振り払い、ドアの取っ手を掴み――――
「何ぃっ！？ オートロックだとぉ！？」
「逃がさないよ……リョウスケ」
「……きっちり説明してもらわんとなぁ……」
「くそっ！ ミヤ、融合だ！ こうなったら車をぶち壊してでも逃げるぞ！！」
「…………ぷいっ」
「ミヤ？ ……ミヤ！？」
「……はやてちゃんというものがありながら……不潔です」
「お前もかっ！」
「はやてが相手なら仕方ないって諦められたのに……酷いよ、リョウスケ」
「泣きながらバルディッシュを突きつけんな！？」
「これじゃあ……リョウスケを諦めきれなくなる……」
「――――っ！？ あ、あかんで、フェイトちゃん！ 良介は私だけのものやねんから！」
「お前も真顔で恥ずかしい事言ってんじゃねーよ！ そもそも俺が悪いんじゃなくて、あいつがいきなり――――」
「あーっ！ 責任転嫁ですー！！」
「何故そうなる！？」
「女の子の唇を奪っておいてどうしてそんな事が言えるですかー！」
「あのガキ共、どんな説明をした！？ 奪ったんじゃなくて、奪われたんだよ！！」
「じゃあ……私も奪っちゃっていいよね……？」
「は？ 何言って――――むぐっ！？」
「フェ、フェイトちゃん、何やってんの！？ 早く離れて、って何やのその不敵な笑みは！？」
「――――ちゅっ……んん……」
「あーーっ！？ 舌入れたらあかん！ ちょっと、良介ぇっ！ じっとしとらんで少しは抵抗しなさーーーーい！！！」
「―――――――――――――」
「あわわわ、すご過ぎますぅぅ……はうっ」
良介の咥内を蹂躙するフェイト。
突然の事態に思考が追いつかない良介は凍りついたように動かず、フェイトのされるがままに。
目の前に繰り広げられている光景の余りの淫靡さにミヤは顔を真っ赤にして気絶する。
押しても、引っ張っても、一向に良介から離れようとしない――――いや、それ以上に口付けを深めようとする――――フェイトに、はやては涙目でシュベルトクロイツを取り出し――――
「響けぇっ！！ 終焉の笛――――！！！」
この数分後、首都クラナガン郊外において大規模な攻撃魔法の発生が確認されたという報告が中央管理局に入った……