〜STRATOS4〜
CODE−101b INITIAL POINT
* * *
“地球への衝突コースを進む彗星《キャサリン》は毎秒43kmのスピードを維持しながら接近しています。これに対し、天体危機管理機構は十二時間程前に第七オービタルステーションよりコメットブラスター・チームを発進させました”
液晶テレビののスピーカーが業務的にニュースを吐き出し続ける。彗星の接近という地球の未曾有の危機は大衆にとっても今や日常的なものとなり、それを報じるニュースキャスターにも淀みはない。
“今回迎撃に当たるのはお馴染みのエース、久保千鶴・アネット=ケイリー・ペア、ベティ=ブーゼマン・クリス=カルマン・ペアの四名です。四名は既に地球の上層大気に突入した模様です。迎撃の模様は午前零時頃にお伝えします”
下地島迎撃基地所属、地上迎撃部隊の一次待機パイロット、藤谷圭。端整の取れた顔立ちに赤の強い茶髪、鋭さのある目元を縁の細い眼鏡が誇張し、どことなく狡猾そうな印象もあるが、その実穏和で人当たりが良く、悪く言えば節操のない人間でもある。超高々度迎撃機の後部座席に腰を沈めて気怠そうに仰け反り、耳元のスピーカーから流れ出るニュースを聞き流していた。
「お疲れさまでーす」
「ん………?」
自分たちを労う声が遠く聞こえ、圭は上体を起こす。圭に続いて、前席で静かに機器類のチェックをしていた和馬が声の主を振り返ると、包みを手に駆け寄ってくる翼、その後を追う空の姿が見えた。
「お食事持ってきましたァ」
真っ先にトレーラーに駆け登った翼が、抱えていた弁当を圭に差し出す。
「おお、いいタイミングだ。丁度腹減ってたとこだよ」
「でしょでしょ? だと思って、料理長から直で受け取って来たっス」
「へっ、調子いいヤツ………」
饒舌な二人とは対照的に、大人しい性格の空が大人しい性格の和馬に弁当を手渡す。
「はい、岩崎さん」
短く礼を言って、差し出された弁当を受け取った。
地上迎撃部隊のパイロットであり迎撃基地訓練生の教官でもある岩崎和馬。その顔立ちは精悍、常に冷静沈着で礼儀正しく、技術はトップクラスで人望も厚い。空や翼は知る由もないが、コメットブラスターに所属していた経歴もあり、飄々とした印象の裏は一面謎の多い人物でもある。
「ゲッ、また揚げ物とスパムかよ。こんなんばっかだから広陳が繁盛するんだろうが」
弁当の蓋を開けた圭が露骨に芝居掛かった態度で翼に突っ掛かる。
「俺に言われても………だ、だいたい広陳が繁盛してるのは看板娘のランさんのお陰っスよ」
「あん? 何だ翼、テメェまさか俺のランちゃん狙ってるのか?」
「い、いやそんな………」
暢気なものだ、と空は思う。一つ間違えれば地球に大穴を穿つことになるというのに。訓練生で第四待機の翼はまだしも、一報あれば出撃しなければならない圭でさえも緊張感を感じさせない。リラックスしていると言えば言及の余地はないが、空にはメテオスイーパーという役職がこの独特の倦怠感を催しているように思えてならなかった。
二人の他愛もない遣り取りを横目にしながら、空は夕食に箸を付け始めた和馬に話しかけてみる。
「岩崎さん」
「………ん?」
やや逡巡してから、神妙な口調で問うた。
「今回は上がれそうですか?」
躊躇いがちの空の問いにも、しかし和馬は落ち着いた風采を崩さずに、
「どうかな、上の連中は優秀だ。取り零しの可能性は低い」
淡々と事実のみを、至極客観的に述べた。それを聞いた空は、やはり、と言いたげな体でがっくりと肩を落とす。
「コメットブラスターは世間であんなに持て囃されてるのに、地上の僕らは地味な尻拭い………。なんか、報われないッスよね」
それこそが空を始めとする、地上迎撃部隊関係者の悩みと陰鬱感の種だった。
彗星の迎撃は二段構え。大気圏外でコメットブラスターが一次迎撃を行い、殆どはこれで事足りる。地球の危機を直接その手で退ける任務故に、民衆にとってはヒーロー的存在でもある。
和馬の言うとおり、地上のメテオスイーパーがコメットブラスターの取りこぼした彗星片の掃討に出撃する回数は多くない。それも担当海域に隕石が落下して来ない限りその基地からの出撃はなく、しかし彗星が接近するたびに待機が義務づけられ、そして僅かな出撃は失敗すれば後のない最後の砦としての任務。
彼等の立場を端的に象徴する言葉はやはり、尻拭い、だった。
「堅いねェ、空くんは。まるでギャグの通じない俺の相棒みたいだ」
いつの間にか思索に耽っていた空は、圭の軽々しい声に我を取り戻す。
「ふ、藤谷さん………」
得てして自分の任に誇りを持つことの多いパイロットの中で言えば、圭の軽佻浮薄な態度はある種の異端ともとれる。が、彼の言うことも尤もだと、空には感じられた。この任務、常時張り詰めていたのでは確かに心身が持たない。待機が多く出撃の少ない地上迎撃部隊では、圭のように柔軟な切り替えができることが必要かもしれない。
では如何にも律儀で真面目そうな和馬はどうなのだろうか。
「ところで、岩崎さんはどうしてメテオスイーパー部隊に?」
疑問を抱いた空が口を開くより一足早く、翼が和馬に尋ねる。すると、以外にも澄ました顔で惚けた答えが返ってきた。
「フッ。きっと他のヤツより上がるのが上手いからだろうな」
一瞬の沈黙。そして、
「………カッコイイ!」
空と翼が声を揃えた。
岩崎和馬。聡明で礼儀正しいとの世間体と常人離れした内面のギャップ、及び謎の多さに掛けては、不詳者の多いこの基地においても何人にも劣ることはなかった。
「………な? 堅物のギャグは笑えねぇだろ?」
苦笑するしかない、空と翼であった。
*
「何度言ったら分かるんだ!」
下地島迎撃基地、第一格納庫。
美風の至近距離で誰かが怒鳴る声が、しかし朧気な意識のために遠く聞こえた。
「………」
美風は巨大な土管――本来は大型スラスターの噴射口であるものの中に横になり、寝息を吐いていた。先刻まで日光を遮っていたそれは、陽光の角度が浅くなったことで美風の目元まで影の後退を許している。どこか寝苦しそうに、左腕で瞼を覆っている美風。
「それは日傘じゃねぇ!」
二度目の怒号で、美数は細く目を開く。既に見慣れたものとなった如何にも口煩そうな中年男の顔があった。下地島迎撃基地整備主任――
「………なんだ。佐古っさんか………」
ボソリと気怠そうに呟いて、声の主を歯牙にも掛けず再び瞼を下ろす。
「てぁーっ! 寝るなぁーっ! だいたい気安く呼ぶんじゃねぇ。佐古、先生だろうがぁっ!」
――兼、下地島迎撃基地教官、佐古浩一郎。
頭を抱えて捲し立てる。丁度その時シャッターの開け放たれた搬入口から、静羽、続いて彩雲と香鈴が逆光の中に姿を見せた。呆れとも諦めとも取れる風体で、美風の姿を認めた静羽が呟く。
「………やっぱりここだ」
「すいませーん。本庄を回収に来ましたー」
呼びかける彩雲を振り返ることはせず、美風を睨め付けて仁王立ちしたままの姿勢で、浩一郎は煩わしそうに吐き捨てる。
「………ったく。とっとと連れてけ。これじゃ仕事になりゃしねぇ」
「何が仕事よ。ただのがらくた集めじゃない」
体も起こさず瞼も上げないままで、眠そうな美風が刃に布着せずに指摘した。そしてそのまま膝を抱え込み、日差しの中で体を丸める。
「てゃーっ! がらくたじゃねぇって! だいたい若い娘が堂々とパンツ見せるなぁっ!」
再び頭を抱えて捲し立てる浩一郎。
「やだ佐古っさんセクハラ」
「ン何ぃっ!?」
今度は彩雲が、容赦のない指摘を挟んだ。
聞き咎めた浩一郎は、鼻息荒げに反論しようとする。
「じゃあアレは?」
「どれっ!?」
そこへ横槍と入った小さな呟きに、浩一郎は息を継ぐ間もなく荒々しく振り返る。が、その声の主が今まで口を開かなかった香鈴であったことで、突如として一同奇妙に静まり返ってしまった。そんな三人の反応を、香鈴は気にした様子もない。
「アレも飛べるの?」
香鈴の細い指が示す先に、三人の視線が集まる。浩一郎が個人的に収集、保管している器物の多いこの格納庫の中で、一際大きな、ビニールシートに覆われた物体。
「フンッ。あたりきよ。まだ今のシステムができ上がる前の機体だがな。ちゃんと整備してやれば、十分宇宙までいける」
静羽、彩雲が軽く目を見開いた。浩一郎の言葉が真実だとすれば、それは彼女達にとっては途轍もなく縁遠い、言うなれば史物であることになる。何故そんなものが、一介の地上迎撃基地に存在しうるだろうか。
しかし静羽達の思索とは裏腹に、浩一郎は一人勝手に悦に入り始めた。
「ふふ、思い出すなぁ。あの頃、美春と出会ったんだ。そして二人はいつか力を合わせて、必ずや宇宙に………」
「でも逃げられちゃったんだよね」
桜舞う春の陽気の中を放浪する浩一郎の意識を、しかし血も涙もなく厳冬の深淵へ引き摺り戻したのは、やはり彩雲だった。
「でぁーっ! それを言うなぁっ!」
ついに涙目になって捲し立てる浩一郎にも、彩雲は悪びれた素振りさえも見せない。
「だって自分で話したじゃない」
「俺はいいの! だいたいテメェ等………!」
と、格納庫の一隅に取り付けられたスピーカーが静聴を促す電子音を吐き出し、徒にヒートアップする口論を遮った。
“待機中のパイロットに伝達。第三待機以降のパイロットは基地内待機解除”
次いで、警戒緩和を示す指令が告知される。
これを機にと無意味な議論は打ち切りにして、浩一郎は静羽等に問う。
「オメエ等は?」
「第五と第六です」
静羽が答える。それに敏感に反応したのは、今の今まで惰眠を貪っていた美風であった。大きく伸びをして、まるで他人事であったかのように、さらりと言って退ける。
「ふわぁ………ん〜、これでやっと帰れるわ」
「でぁからここはお前の暇潰しの場所じゃ、ねぇって!」
浩一郎が拳を固めて怒鳴り散らすが、切り替えの早い美風は既に自分のペースを完全に取り戻していた。
「細かいことばっか言ってると、‘佐古’が取れてただの‘おっさん’になっちゃうよ」
「何ぃっ!」
「ほら、鼻毛もぴょろって出てるし」
「鼻毛………ぴょろっ………」
美風の指摘を受けた浩一郎は慌てて口許を右掌で覆う。それを見た美風は悪戯っぽい笑みを浮かべると、
「じゃあね、佐古っさん」
手をぶんぶんと振りながら、静羽達共々駈け出した。手玉に取られたと知った浩一郎は憤慨し、
「佐古っさんじゃねぇ! 先生と呼べ!」
「きゃぁ〜! 怒ったぁ〜!」
しかし結局いいようにあしらわれてしまった。それを見送る浩一郎はこめかみを震わせて憤悶する。
「ぐ………アイツ等ぁ………く、悔しいよぉ、美春ぅ………」
年甲斐もなく、泣き崩れた。
*
同時刻、第七オービタルステーション。
薄暗い管制室の中でオペレーター、司令官、通信機を経たパイロットの言葉のみが繰り返し響き、司令官、宙美春の研ぎ澄まされた双眸が闇に溶け込むことなく変動するデータへと注がれている。それは、全ての行程がいつも通り、マニュアルと寸分違わず消化されている証だった。
“コントロール、《CB−1》突入三十秒前。オペレーション・ノーマル”
幾らかノイズの混じっているのは、地球の衛星軌道を周回する日本人パイロットからの、抑揚はないが自信に満ちた報告。
“Control、《CB−2》とつにゅうさんじゅうびょうまえ。Operation normal”
同じく大気圏外迎撃機からステーションの管制室へ。外国人パイロットの、しかし全く訛りも淀みもないそれでいて淡泊な報告。管制室のオペレーターが、それに応じる。
「コントロール、了解」
“《CB−1》、アーマメントマスター、セットアップ”
“《CB−2》、armament master、set up”
定められた通り、一糸の乱れも一瞬の滞りもなく。
「《CB−1》、《CB−2》、ミサイルを起動しました」
「了解」
オペレーターの報告。司令官の承諾。
そして作戦は最終段階へと移行する。
「《CB−1》、《CB−2》、エントリー開始」
エリートの中のエリートに相違ない、オペレーター。
“《CB−1》、エントリー”
誰もが憧れる操縦把を勝ち取った、迎撃機《CB−1》のパイロット。
“《CB−2》、Entry”
同じくその名を万民に知らしめた、迎撃機《CB−2》パイロット。
「《キャサリン》経路変化無し」
「ミサイル発射予定時刻、スリー・ファイブ・ネクストアウァー」
迫り来る災厄の魔の手から地球を救う、時代のスポットライトを浴びる英雄達。
コメットブラスター。
* * *
日の落ちた下地島の、まだ熱の冷めないアスファルトの上を美風ら四人分の気怠そうな足取りが重なる。
「あーあ。結局今回も出番無しか」
誰にともなく、諦めと苛立ちの同居した様相で彩雲が憂える。
「基地が稼働中にウチに帰れるのって、複雑よねぇ………」
補欠である彼女達に罷り間違ってでも出撃が回ってくる見込みは皆無といっていい。その上で基地に待機を命じられるのは気が進まないが、やはり黒子としての認識の強い地上迎撃部隊の一員としては、その名を世間に轟かせ、大衆にその存在を見直させたい。
だが自分たちの出撃を望むことは大気圏外迎撃部隊の失敗を望むことと同義であり、引いては地球の危機の増大を望むことでもある。それを公言できる筈もなく、報われない努力との間で板挟みになっているのだ。
静羽もまた考えは彩雲と違わないが、それを口には出さず前向きな姿勢を見せる。
「まぁ、その分勉強を………あ」
が、しかし、下宿である中華料理屋、広陳の手前まで来て、四人はハタと足を止めた。ドアの磨りガラスから明かりが漏れ、掛け札は営業中の面を表に見せている。それらの意味するものは――
「げ………」
「お店まだ開いてる」
四人は顔を見合わせて、表情を曇らせた。
「………って、ことは………」
最早どうにもならないと知りつつも、四人はまず、ドアを薄く押し開けて店内の様子を窺うことにした。それが無駄な努力であることを悟ったのは、ドアに吊られたベルを鳴らさないように細心の注意を払って取っ手を押した、そのきっかり一秒後。
ふにゃ〜お。
意地の悪そうな視線と共に低く太い声で出迎えたのは、灰色のふくよかな体躯を持つデブ猫、御厨アリス。その管理職さながらの偉ぶった態度故に、人は彼女をこう呼ぶ。
提督。
「おかえりなさーい。出前よろしくー」
続いて美風等を出迎えたのは、両手に都合四着の色違いのチャイナドレスを抱え、自らも青いチャイナドレスに身を包んで満面の笑みを湛えたランであった。
四人は乾いた笑いを漏らして、肩を落とす。
「や、やっぱし………」
*
「じゃ、第一便出て頂戴。その間に次の注文用意しておくから」
「注文殺到してるから、テキパキやっとくれよ」
ランが手際よく出前を用意し、厨房からは鍋を振るっているリンが檄を飛ばした。基地内待機から解放されて息をつく暇もなく配達に駆り出された美風達を、ランはいつもと変わらぬ屈託無い笑顔で激励する。
「ごめんね。終わったらお夜食作るから」
「働かざる者喰うべからずだよ」
それに乗じて仕事着のリンも彼女達を奮い立たせるように一つ鍋を打ち鳴らした。
「はーい。行って来まーす」
広陳の制服であるチャイナドレスに着替えた四人は、それぞれの受け持った出前を提げて慌ただしく厨房を後にする。短い丈にスリットの入ったその衣装は、四人のプロポーションの良さを引き立てて見事に調和している。
最後尾の美風が去り際に開いた側の手でアリスに小さく手を振った。
「じゃあね、提督」
アリスが太い声で短く返す。
「止しとくれよ。その子には『アリス』ってれっきとした名前があるんだから」
調味料を中華鍋に叩き込みながらリンが抗議するが、それに応える者は既に無く、ランが可笑しそうに小さく笑うだけだった。リンは熟練の手付きで鍋を振りながら、誰にともなく愚痴を零す。
「………ったくもう、みんな『提督』なんて呼ぶから、すっかりその気になっちまって………」
店内の一隅にどっしりと陣取った提督こと御厨アリスは、それを知ってか知らずか、心地よさそうに、目尻を撫でていた。
*
“十時になりました。再び彗星情報をお伝えいたします。中型で低い速力の彗星《キャサリン》は、月軌道の内側を毎秒43kmの速度で地球に向かっており――”
「お待たせしました。広陳です」
広陳に下宿している美風達にとって、店の手伝いは当然の日課であった。定刻通り帰宅する殆どの日の夕食時、及び休日の昼食時は店内で給仕の仕事に就く。夕食時を過ぎると殆ど仕事はないが、希に出前の多い時は遅くまで配達の手伝いをしなければならない。夕食時を過ぎても店に明かりが灯っていた今日がまさにそれであり、彼女達の最も難渋する仕事でもある。
外れクジを引いてしまったならば。
「なんだ、補欠ちゃんかァ」
「いいなぁ。おまえ等は待機解除で」
基地への出前を引き当てたのは、緑色のチャイナドレスを着込んだ彩雲だった。その営業スマイルとお決まりの挨拶は見事なものだったが、待機命令を受けて基地に残っている先輩隊員の冷やかしを浴びる羽目になる。
しかし彩雲も負けじと胸を張り、自分たちの気概を主張する。
「い、いえ。今は補欠でも、そのうち必ず結果出して見せますから――」
「その前に出前出せよ。麺が伸びる」
しかしにべもない一言に一蹴されてこの状況下では反論できず、溜息と共に肩を落とした。
「………はぁ」
しかしこれくらいならまだ比較的上位クジであることを、彼女は知っていた。
他方。
「こんばんは。広陳です」
近所に家族三人で住む顔見知りの民家への出前を受け持ったのは、同じく接客商売が見事に板に付いている静羽。
「あら、今日はお店のお手伝い?」
「はい」
人の良さそうな母親が注文の品を受け取り、静羽を労った。日頃の行いの良さが因となったのか、静羽は当たりくじを引き当てた。
「新人さんはみんなやって来たことだもんね」
「母さん、ニュース始まったよ」
家の、恐らく居間から子供の母親を急かす声が静羽の耳に届く。ニュース、という言葉に静羽は一瞬意識を惹かれたが、顔には出さなかった。母親は無言で了解すると、財布から取りだした代金を静羽に渡す。
「はい、頑張ってね。いつか静羽ちゃん達もニュースに出るの楽しみにしてるわ」
それは紛れもなく静羽達を応援してくれる心優しい一人の行為であったが、この時の静羽には愛想笑いで応えるより他になかった。
「は、はぁ………。頑張ります………」
そして。
不運にも今日一番の外れクジを掴んだのは、こともあろうか香鈴であった。
「おお、今日は香鈴ちゃんか」
「ランさんもいいけど、香鈴ちゃんもいい………」
「今日はローテ外れたの?」
「香鈴ちゃん達の出番はいつ?」
「おれ絶対見に来るから」
メテオスイーパー・マニアの集う、基地に面した展望塔。香鈴の持ち込んだ出前には目もくれず、それは口実であると言わんばかりに香鈴に殺到し、感想とも質問とも嘆声ともつかぬ言葉を矢継ぎ早に投げ掛ける。脂ぎった中年男が大半を占めるその集団には、香鈴はおろか気の強い彩雲でも太刀打ちできない。
こうなっては自分の不運を嘆くより他になかった。
誰にも注目されなくなった展望室のテレビが虚しくニュースを報道し続ける。
“第七オービタルステーションを発進した二機のコメットブラスターは、ご覧のように順調に地球の軌道上を旋回し、間もなく彗星迎撃ポイントへと到達します。一方アルゼンチン地上基地でも万一の場合に備えメテオスイーパー部隊が待機しており、地上落下を未然に防ぐ体勢が執られています。ここで――”
ここで。
「こんばんは。広陳です」
美風の配達は、静羽と同じく広陳のお得意さま、気のいい老夫婦の住む民家だった。インターホンを鳴らして名乗った美風を、老婦人が出迎える。
「中華弁当お二つでしたよね?」
「あらあら遅くにご苦労様」
何が幸いしたか、美風は見事幸運に恵まれた。皺の目立つ目許に柔和な微笑みを湛えた老婦人に、美風も笑顔で応じ、出前を手渡す。
「いえいえ。どうせ暇ですから」
老婦人は財布から紙幣を一枚抜き出すと、それを美風の手に握らせた。それは注文の総額より幾らか多い金額であったため、美風は反射的にランに渡された小銭入れに手を伸ばす。
「じゃ、これお駄賃」
「え? 今お釣り………」
が、老婦人がそれを遮る。
「いいのいいの。帰りに何か買ってちょうだい」
美風は口籠もった。下宿での手伝いとはいえ仮にも店の配達に携わっている立場としては駄賃などを受け取るわけにはいかない。
「そんな………」
「あたし達の安全を守ってくれる人たちですもの。少しでも応援させてちょうだい」
だが地上迎撃の仕事を引き合いに出されてしまっては、反論のしようがない。そうでなくとも美風達に心から気を遣ってくれている老婦人に対して、過度に頑なな対応はできなかった。
「あ………はあ、すいません………」
美風は精一杯の笑顔を作ると、懇ろに感謝の辞を述べて、老夫婦宅を後にした。
* * *
とうに日の沈んだ下地島の一本道を、広陳の文字の入ったバイクが緩加速しながら走っている。ハンドルを握りサドルに跨った彩雲が、インカムマイクでランの許へと報告を入れていた。
「彩雲、配達終了です」
“出前はもう終わりよ、ご苦労様”
仕事から解放され、漸く一つ安堵の息を付く。急いで夜食の待つ広陳へ戻ろうとハンドルを握り直した彩雲は、丁度その時道路脇に無造作に止められている一台の配達バイクを認め、すぐにブレーキを握った。
「あれは………」
すぐ傍らは土手になっている。薄明かりが残っているため、土手の下、草の生い茂っている中に、短いチャイナドレスのままの美風が座り込んでいるのを見付けるのに時間は要さなかった。
「美風、何やってんの? 早く帰ってご飯………あ」
バイクを止めて土手を下り、美風に声を掛けて、彩雲は彼女の視線の先に気付いた。
「基地はまだ稼働中か………」
フェンスに囲まれた基地の滑走路にはトレーラーに搭載された迎撃機が待機しており、それを投光器の白い光が闇の中に浮かび上がらせていた。滑走路の誘導灯も、未だ明滅を続けている。
その光に誘われ集まっているのだろうか。二人の周囲からは絶えることなく虫の音が澄んだ音で響き、常夏の島に涼しげな情趣をもたらしている。
知らず知らずのうちに彩雲の口許が綻びかけた、その時。
徐に、美風がポツリと呟いた。
「アタシ、何でここにいるんだろ」
「な、何を言い出すの!?」
それは聞き捨てのなる言葉ではなかった。彩雲は覚えずして声を荒げ彼女を叱咤するが、美風は糸の切れた傀儡のように、茫洋とした目をどこか遠くに向けていた。
「アタシさ、親に言われるままに来ただけだから」
風に流れてしまいそうな細い声だったが、それが今の美風の全てだった。
仲間や多くの人が自分を心配し、また自分が迷惑を掛けてしまっていることは分かっている。分かっているのに。
自分でもどうしようもない程の倦怠感と無力感。
そんな時でも脳裏に甦って離れないのは、心の底から自分を応援してくれる人々。その笑顔と期待に応える自信が、今の美風にはなかった。
エリートの家系に生まれ育ち、幼い頃から自分がパイロットになることを信じて疑わなかった美風は、ここに来て自分自信の目標と、勉強し訓練を積んで努力する意義を見失ったのだ。
「アンタ今日はおかしいよ。確かにペナルティ喰らったけど」
しかし全てを否定するような美風の発言を認めることはできない。彩雲が懸命に諫めようとするも、美風の目は明後日の方向に向いたまま戻ることはなかった。
そこへ、配達を終えた静羽と香鈴のバイクが通りかかり、彩雲と同じところで止まる。
「何やってるんだろう、あの二人」
「あ………」
濃紺と漆黒の間を彷徨う空の一点に香鈴が目を留め、二人に気を取られていた静羽もそれに倣って沖縄の澄んだ星海を仰ぐ。一つの――しかし実際は二つであろう光点が、激しく灼光しながら空を縦断しようとしていた。
「もしかして………コメットブラスター?」
*
同時刻、第七オービタルステーション。
「ミサイル発射、三十秒前」
「《CB−1》、《CB−2》、オン・コース」
オペレーターの報告のみが秒刻みで告知される静寂にも似た空間は変わらない。変わらないことこそが彼女達の一流である証であった。
十数時間前にこのステーションを発った四人のパイロットは、大気圏最上層、人間が技術の結晶をもってフロンティアの内となさしめた空間の、灼熱と激震の中にあった。その技術の象徴でもあるコメットブラスター、大気圏外迎撃機はその外殻を赤く灼き、それでも全く勢いを衰えさせずに邁進する。
“ミサイル発射十五秒前。9………,8………,7………,6………、5………”
熱は装甲が撥ね退けても上層大気と真空圏の狭間が催す振動は彼女達の体を揺さぶり続ける。だが流石は鍛え抜かれたパイロット達、トリガーに掛けた指は微動だにさせず、その視線もただ一点、ミサイルの照準に固定されている。
“4………,3………,2………,1………,《フォックス・ワン》”
「トライデント・ミサイルの発射信号を受信しました」
「光学系は、発射を観測しました」
二機のコメットブラスターのもとより抱えていたミサイルが切り離され、重力から解放され白煙の尾を引いて、迫り来る彗星へと伸びる。それは即時に管制室へと伝わり、モニターの表示を注視する司令官の目許が、ほんの少しだけ鋭さを増した。
“ミサイル、オン・コース。爆破、十五秒前。弾頭分離”
単身星の海へと躍り出た弾頭はパイロットの操作で三つに分離し、誘導レーザーに随って基軸から三方向へと展開しながら対象に迫る。その姿はまさに暗黒の世より降臨する脅威に対し、海神の繰り出す《三つ又の矛》さながらであった。
パイロット達は目視で、管制室の面々は数値とグラフメントで、その様を見守る。
「爆発、5秒前、4,3,2,1,」
オペレーターのカウントダウンに従って、パイロットが起爆トリガーを絞る。
刹那。
三つの矛先が淡橙色の炎へと姿を変え、あらゆるものを貪り食わんが如く球形に膨張すした。三つの火球は三面で接触し、一点で一つとなり、その非可逆的なエネルギーが原子の構造を破壊してプラズマの刃を生み出す。
超重量を破壊し、無に返す。形容するならば壮大な歴史の終端であり、起源でもある、超新星爆発。
守るための破壊と、生きるための回帰。
その光景を網膜に灼き付けることができるのは、それが最早日常の光景となった四人の人間のみ。
「彗星の破砕を観測。最大破片は基準を超えません」
オペレーターの分析報告を受け、司令官が僅か一言。
「作戦完了」
その口調に別段の重みはなく、また何の感慨も見られない。
それがコメットブラスターであり、そこに集う稀代のエリート達だ。
「《CB−1》、《CB−2》、帰還してください」
余韻に浸ることもなく、マニュアル通りにオペレーターの指示が飛ぶ。
“《CB−1》、了解”
そこには、一大任務をやり遂げたような達成感はなく、
“《CB−2》、りょうかい”
地球を自分たちの手で守り抜いたというような誇らしさもない。
指定された通りの軌道と手順で、すぐさま帰投の体勢に移行する。
“帰還軌道突入。OMS噴射五秒前、4………,3………,2………,1………”
上層大気の摩擦に、再び迎撃機の装甲が赤く灼熱し、凄まじい振動音が轟き始める。
“噴射”
*
「………了解」
下地島迎撃基地、管制塔。
ブザーに喚起されて受話器を取り上げた沙弥華は、二、三度頷いて、ほぼ無言のまま再びそれを下ろした。
一瞬安堵と落胆の入り交じった影が彼女の表情を過ぎったが、一秒を要さずに掻き消し、司令官に向き直って襟を正す。
「本部より連絡。全地上基地の警戒態勢、解除です」
「うむ。分かった」
銀髪のイギリス紳士もまた然り。短く答えると、迎撃機の待機するランウェイの方向へと視線を戻した。
ややあって、けたたましいサイレンと共に、沙弥華の声で指令が基地全体へと伝達される。
「警戒態勢解除。各員撤収作業に移行して下さい」
聞き慣れたフレーズに、基地全体から様々な溜息が漏れる。
「はぁ。今日も出番無しか」
浩一郎の呟きが、その殆どを代弁していると言ってもいい。
滅多に回って来ない地上迎撃の任務。期待すればそれを裏切られた時が辛い。だから誰も表に出しはしないが、やはり自分たちの名を立てる機会を期待しているのだ。言いようのない疲労感と脱力感が、一同を襲った。
「やったー。帰れるー」
圭は、本心か否か、迎撃機に腰を据えたまま大きく伸びをして、軽口を叩く。
その隣で機体に凭れ掛かっていた浩一郎も、滅入りかけた気分を振り払うように大仰に圭の背中を叩いた。
「おい圭、宮古に飲みに行くか」
「え? これからッスかぁ? ………佐古さん脱ぐからなぁ」
「なにぃ!? 靴下だけじゃねぇか」
そんな相変わらない二人の遣り取りを、前方の操縦席の和馬は、飄然とした面持ちで聞き流していた。
「フッ………」
*
「あ、明かり消えた」
四人は基地が沈黙していく様を、心地よい風の吹き抜ける土手から眺めていた。
待機していた迎撃機がその役割を果たすことなく格納庫へ戻っていく様は、パイロットを目指し日々訓練に励む彼女達にとって悲壮窮まりない。
照明が落ちると、そこには基地全体が出撃に向けて高めていた緊張感が嘘のように、生い茂る草の上を駆け抜けていく風鳴りと虫の音のみが支配する、物淋しい空間へと一転を見せた。
「あーあ………ったく地味だよねぇ、あたし等のポジション」
彩雲があからさまに愚痴を零す。普段ならばムードを立て直す側に回る静羽も、この時ばかりはそれを肯定した。
「地味だし報われないし………ん」
基地の喧噪があった空間を名残惜しそうに見詰めている二人の下、土手に腰を下ろしていた美風が徐に立ち上がった。
そして静羽達に背を向けたまま、囁きに近い声量で。
「また退屈な日常の始まりだ」
悲壮感漂う呟きは、彼女の本心であったのか。
ともかく、静羽達にはその後ろ姿が痛ましくてならなかった。
「美風………」
四人の間に沈黙が訪れる。
その落ち込んだ空気がいたたまれなくなった美風は、無理矢理貼り付けた笑顔を三人に向け、トーンの高い声を張り上げる。
「まぁ、何にせよ無難に過ぎてきゃ平和ってことよね?」
達観したような言葉だったが、その笑みは乾いていた。
「そんな言い方無いでしょ?」
彩雲にも、いつものような覇気はない。
「そうよ。いくら何でも………」
そして、静羽にも。
茫洋と虚空を見詰めていた香鈴は、
「あ………」
やはり最初に、それに気付いた。
それに促されて静羽、彩雲、そして美風も空を見上げる。
放射状に降り注ぐ、無数の流れ星。
「わぁ、彗星の破片だ」
恍惚とした瞳で、宇宙の神秘を眺める。
それぞれの想いは胸の裡だけに秘めて。
「キレイ………」
その時、
微かに風が吹いた。
《TO BE CONTINUED》
* * * * * * *
あとがき
沙弥華:遅い! 前半がアップされてから何日経ったと思ってるの!?
鳳蝶:無茶言わないで下さい。我が家に一台しかないテレビのチャンネル選択権は、私にはないんですよ。そもそもウチではストラトス・フォーが映らないし。
沙弥華:はい、これ。
鳳蝶:そんな自然な動作でピンクカード出さないで下さい。
沙弥華:さあ、答えて。
鳳蝶:こ、コード17。執筆態度を反省し、全力疾走でランウェイ二十周せよ………であります。
沙弥華:はい、よろしい。
鳳蝶:よろしくないです。だいたい滑走路って………大阪の伊丹まで行けって言うんですか?
沙弥華:もし良かったら下地島までいらっしゃい。
鳳蝶:ははは。天体危機管理機構の下に下地島迎撃基地ができるのは一体何年後のことでしょうねぇ
沙弥華:そう残念がることも無いわ。国内線オンリーだけど、ちゃんと空港はあるのよ。勿論それくらい調べたでしょ?
鳳蝶:………沖縄ですか。取材ってことで経費落としていただけます?
沙弥華:バイトでもして、彼女連れていらっしゃい。
鳳蝶:・・・。
沙弥華:どうしたの?
鳳蝶:停まるべき花を持たない蝶に、酷いことを………いえ。もういいです。他に何か仰いたいことはありますか?
沙弥華:あるわよ。
鳳蝶:どうぞ。
沙弥華:だぁ、かぁ、らっ! 初稿書く時にしっかり調べなさい! あたしの名前は『沙也華』じゃなくて『沙弥華』! それから空くんと翼くんの名字が逆! あと四バカの中で最年長は土井じゃなくて中村!
鳳蝶:すいませんすいませんすいません今すぐ訂正稿出しますすいません(四バカ?)
沙弥華:さぁ、急ぎなさいよ。近々もり監督の執筆で本家ストラトス・フォーの小説が出るらしいわよ。
鳳蝶:まじっスか!?
鳳蝶
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