『想いの行き先』
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「あ、暑い・・・・・」
「もう・・・それ何度目?」
眩しい夏の日差しの中、俺たちは高校の帰り道を歩いていた。
隣を歩く女子とはいつも一緒にというわけでもないが、幼馴染の縁なのかよく一緒に帰る。
「も・・・もうダメだ。 武田商店で何か・・・・」
「『冷たい物でも飲もうじゃないか、神奈君。つきましては財政援助を要請する』・・・でしょ」
最高の笑顔で、制服姿の神奈が笑っていた。
「・・・・いつから読心術を?」
「これも何度も聞かされてるの。今日は無理だよ」
「理由は?」
「私も財布忘れちゃった」
「・・・・・・・・あちぃ」
頼みの綱が絶ち切られたこともそうだが、こうも見透かされていると苛立ちが沸くものだ。
神奈の非の打ち所のない笑顔はそれに鎮静作用を見せるどころか火に注いだ油となる。
上空から鳴り響く蝉の声が、一層俺の心拍数を高くしている気さえする。
「明日から夏休みだってのに、俺たちには夢も希望もないんだな」
「柳也。それ大げさ」
「あぢぃ・・・・」
だが、恨めしく武田商店の前を通った時、俺たちは自販機の前で意外な人物を見ることになる。
「あ・・・・・。こんにちは、神尾先生」
神奈がその人物に笑顔で挨拶する。
「あんた・・・神奈、か。もうあんたも高校生なんやな。
けど、あんま変わっとらんな〜」
いたずら的な笑顔で振り向いたのは俺と神奈のいた幼稚園の保母である『神尾晴子』だった。
この関西弁の女に、問題児だった俺はトラウマの残るくらいしごかれた記憶がある。
小さい町なのでこうして久々に会うことは別段、特別なことではない。
しかしこんなのでも恩師は恩師、軽い挨拶でも交わしておくか。
「よう、晴子」
・・・少し軽すぎたかもしれない。
「・・・・あんたもほんと変わっとらんな。柳也」
「柳也、呼捨てにしちゃ駄目でしょ」
「しょうがないだろ、ガキのころからそう呼んでたんだから。
今更、『晴子せ〜んせ』なんて呼べと?」
「もう、柳也」
「ほんと・・・変わってへんな、あんたらは」
なぜか俺の代わりに神奈が小さく謝っている。
晴子が神奈に哀れみの視線を送った気がするが、きっと気のせいだ。
「ま、ここで会ったのも何かの縁だ。晴子、何か奢ってくれ」
俺の目は既に獲物を見つけた狩人のものとなり、光を放っている。
曲がりなりにも社会人であるこの女から何としても搾り取ってみせよう。
「阿呆、誰が奢るか。けど、この『どろり濃厚』なら構わんで」
畜生、にこやかにその自販機を指差すんじゃねぇよ。
「慎んで辞退しマス」
俺もにこやかにそう返すしかない。
『どろり濃厚』とは、男友達の間ではもっぱら罰ゲームに使用されるジュースである。
味は決して不味くはないが
金と時間の無駄遣いとしか思えないこのジュースを全部飲んだヤツを俺は知らない。
ちなみに、ここには『ゲルルン』なるものもある。
小学生の頃、コレを飲んだヤツは『勇者』として崇められる事となったが
挑戦者全員が脱落した伝説のジュースである。
「けど、確かにここで会ったのも何かの縁や。家、近くやから来ぃや。冷たい麦茶くらいは出したる」
「せんせぇぇぇぇ!!」
「うわっ・・離れんかい! 暑苦し!!」
後に神奈は語った。
熱血ドラマのワンシーンみたいだったと。
<夢を見る
それが何処なのかも何時なのかも分からない
神奈に似た少女が遠ざかってゆく夢を
哀しいくらい一生懸命な笑顔の彼女に
夢の中の俺は必死に叫ぶが届いてはくれないだろう
対照的に少女の声がよく聴こえてくる
それは聴覚に訴えた物ではなくて脳を
いや心を直接揺さぶる声
聴こえるのはただ一言だけ
『幸せに・・・暮らすのだぞ』
それを残して『神奈』は消えてしまう
俺は大切な人を護れないまま
最悪の目覚めを迎える>
「ほうほう。こちらが神尾家ですか」
「お邪魔します」
どこか評論家モードの入った俺と神奈は風通しのいい和室に通された。
「じっとしときや、特に柳也」
そう言って晴子は台所に消えた。
「へいへい」
口だけ返事をして、物色すべく早速辺りを見渡す。
火をつけて使う懐かしの蚊取り線香、ダイヤル式の黒電話・・・・・
「日本家屋の典型的かつ庶民的な部屋だな。なあ、かん・・・」
隣に座ったはずの神奈の姿がない。
「・・・神奈?」
反対側に首を捻ると棚に置かれた写真立てを見る神奈がいた。
「何やってんだ、お前。こういうのは俺の役目・・・・」
「ねぇ、柳也。誰かな、この女の子」
「女の子?まさか晴子の青春時代じゃないだろうな」
興味を駆り立てられた俺も、神奈の横から俺も写真を覗く。
砂浜をバックにして写っているのは髪の長い、笑顔の少女。
俺はこの写真から奇妙な感覚を覚えていた。
『懐かしい』
これが心の中での第一声だったからだ。
『どこかで会ったかな?』といったレベルではない、確信に近い感情。
ただ、知っているという否定しようのない事実が俺の中で広がってゆく。
「俺たちと・・・同い年くらいだな」
「うちの高校の制服着てるもんね」
「というか、この辺りに高校なんか一つしかないけどな」
呆れ顔の晴子がコップを載せた盆を持って戻ってきたのはそんな時だった。
「じっとしとき、言うたやろ」
確かに言われたが、今回はどちらかと言うと神奈に非があり、
晴子自身もその効果は期待していなかっただろう。
だから、俺の好奇心を削る理由にはならない。
「なぁ晴子、これ誰だ」
写真立てを指差しながら尋ねた俺に返ってきた答は驚愕的なものだった。
「ああ、うちの娘や」
「「・・・・・・・」」
俺は学んだ。
本当に驚く時、人は驚きのリアクションすらとれず機能停止に陥ることを。
「あんたら・・・・なんや。そろってその沈黙は?」
「だって晴子、あんた生涯独身の予定だろ?一体、何処から未来ある若者をさらって来たんだ?」
この時、そろそろ拳が来るかもしれないと思い俺は防御体制を敷いていたが、
代わりに来たのは穏やかな口調の言葉だった。
「・・・確かにうちが腹痛めて生んだ子やない。せやけどな・・・この子はうちの子なんや」
静かな笑み(彼女にしては)で俺と神奈は麦茶入りのコップを渡された。
「『観鈴』いうてな・・・・死んでからもう10年以上経つ」
「死んだって・・・病気か何かか?」
「多分病気やろ。けど実際のところわからん」
言い回しが気にはなったが俺は聞くことができなかった。
人の、ましてや娘の死因など聞かれて、あまりいい気持ちはしないだろう。
「夏休みに、すっと逝ってしもうたわ」
なんとなく重くなってきた空気を打開すべく、俺は別の話題を探す。
「そうか・・・で、こっちの、その・・・・えらく年月を重ねている人形と黒い羽根はなんだ?」
写真には『観鈴』の写真に寄りかかるようにして、正直かなり古臭い布製の人形が鎮座していた。
更にその傍らには、間違いなく出身はカラスであろう黒い羽根も自己主張している。
女の子の写真に、怪しげな人形、カラスの羽根・・・・・ぱっと見、怪しい宗教の儀式である。
「ああ。そっちは居候と、そらのや」
「居候・・・ですか?」
神奈も興味を惹かれたらしく、話に参加してくる。
「ああ、観鈴の死んだ年にこの家に少しの間、厄介してた男や。
ふっと現れて、ほんま風のようなヤツやったわ。名前は・・・・・思い出せへん。
『そら』っちゅうのは同じ年の夏に観鈴が飼ってたカラスの名前で、羽根は部屋に落ちてた」
「「・・・・・・・・・」」
名前を忘れられて存在感においてカラスにすら負けた、その『居候』が憐れでならない。
隣に座っている神奈も思うところは同じだろう。
というか、カラスって飼えるもんなのか?
「一時期はうちと観鈴とそらと居候の大所帯やったけどな。
その年に皆いなくなってしもうたわ」
『居候』なる男の呼ばれた順番がカラスの後だったとか、3人プラス1羽が大所帯かは置いといて、
晴子に、風のような居候、さらにはカラス・・・・・さぞかし凄まじい所帯だっただろうな。
そんなことを考えながら俺はコップに口をつけていた。
晴子を見ると、怪しげな色をした物体入りのコップを写真の傍に置いている。
「これな、『どろり濃厚』やねん。あの子の好物やった」
揃いもそろって凄まじい所帯だと再認識した。
結局、思い出話に花を咲かせた晴子と神奈に付き合って夕方になってしまった。
風が涼しくなってきたし、帰るなら日の暮れかけの今が頃合いかもしれない。
「さてと、そろそろ行くぞ神奈」
「わ・・・もうこんな時間。先生、お邪魔しました」
「ああ、また来ぃや」
部屋を出ようとした時、俺の足は晴子の(あいつにしては)穏やかな声に止められた。
「なぁ、柳也」
「ん?なんだ」
体全体ではなく、首だけ振り向く。
「さっき話に出た居候の名前は思い出せへんけど、覚えてることがあるんや」
「へぇ・・・どんなことだ」
「あんたみたいに目つきと口がごっつ悪かったことや」
「それはそれは」
どうせそんなことだろうと思っていたさ。
今度こそ部屋を出ようとした時、晴子は付け足すように言った。
「それと、根はいいヤツってこともや。あんたみたいにな」
「それは、それは・・・」
今度は振り向かなかった。
きっと、照れ笑いしていたとからかわれるから。
「また、来ぃや・・・」
「ああ、またな」
こうして俺たちは神尾家を後にした。
半分なりゆきで言ってしまったが、本当に『また』来るのもいいかもしれないと思いながら。
帰り道、少しは落ち着いた蝉の鳴き声の中で先に話し掛けたのは俺だった。
「なぁ、神奈。明日・・・海行くか」
神奈は不思議そうな顔をしている。
唐突の提案というのもあるだろうが、その内容自体も実は珍しいからか。
「どうしたの、急に。
いつもは私が誘っても『海ぃ?そんな珍しくもないもの行きたきゃ一人で行け』って言うのに」
皮肉ではなく、俺の日頃の言動から見れば本当に不思議なのだろう。
実際、ここ数年で俺が神奈を海に誘うなんて全くなかったことだからな。
「いいから・・・遊ぼうぜ」
「うーん、いいよ。明日から夏休みだもんね」
そう言って神奈は笑ってくれる。
(そうか・・・『みすず』か・・・)
夕暮れの中で俺はようやく思い出していた。
まだ今より更にガキだった頃を。
夏の浜辺で神奈と遊んでいる時、俺たちは『神尾観鈴』に出会っていた。
ちょうど今日のような夕焼けの中で俺たちに手を振って笑ってくれた人、
それがあの写真の少女に間違いなかった。
ぼやけた当時の記憶の中でもそのシーンだけは鮮明に思い出せる。
太陽の沈み具合や潮の流れ、そして幼い神奈の顔。
ついでに言うと『観鈴』の隣には謎の男がうずくまっていた。
何だろう。
あの写真を見た時の違和感は。
眩しい笑顔とは対照的な儚さ、刹那さ。
ここにいるのに触れられないような哀しさは、写真だからというわけではないはずだ。
現実に戻れないまま、俺は呟いていた。
「消えたり・・・・するなよ」
口調はほとんど独り言だったが、音量は神奈に届いてしまうものだっただろう。
神奈の顔を見ることが出来ない。
その違和感を覚える人間を俺はもう一人知っていた。
一緒に笑って手をつないで、いつも一緒にいるのにふっと消えてしまいそうな、
そんな感覚を、そいつから感じていたから。
『神尾観鈴』の死はその不安を増大させるのには十分すぎた。
だからそんなことを言ってしまった。
言わずにはいられなかった。
本当に自己中心的な性格だと少しだけ自己嫌悪する。
「わたしは・・・・ここにいるよ」
それでも、神奈は笑ってくれる。
こんな俺を笑って許してくれる。
「悪い、変なこと言ったな」
気を抜いた直後、俺の安堵は再び不安に凌駕される。
「幸せに・・・」
一瞬、本当に心臓が止まったかのような感覚に襲われる。
指一本動かせないような硬直の中、必死に何かを喋ろうとする。
この続きを言われたら本当に神奈が消えてしまう気がしたから。
だが
「幸せに・・・なろう」
「え?」
「私はずっとここにいるよ。だから幸せになろうよ」
小さな文末の違い、その違いに俺は救われた。
「ごめんね。私も変なこと言っちゃって」
「全くだ」
「あ〜」
それから俺は神奈の方を向かなかったし、神奈もそうだったろう。
俺たちは気の毒なくらい照れていたし、お互い笑顔だと分かっていたから。
もう、俺たちは離れたりしないから。
久しぶりにつながれた手は、そう言っていた。
二人の通学路の分岐点に入った時、俺たちは同時に言った。
『また明日』と。
夏は続く
新しい想いを刻んで
無限の広がりを見せて
海辺の町の物語は続いていく
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今回の作品は、作者ミカゼの個人的な期待も多分に含めた後日談です。
これが、生涯初の投稿になるわけですが、難しい・・・・っす。
書きたいことは上手くまとまんないし、文字数多いし、何度見ても誤字見つかるし・・・
多くの不満を残しながら最後まで読んでくれた方は慈愛と慈悲に溢れております。
ご意見がありましたら一つ一つ骨身に染み渡らせ、勉強にします。
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