朝霞が揺らめく木々の隙間。
「は――――――っ!」
「ふっ」
士郎が突き出した黒い夫婦剣の片割れを、志貴は短刀の腹を滑らせるようにして流す。
そこに、横凪のもう片方の白い刃。志貴はそれを刃に触れぬように片手で叩き落として、その隙に一気に士郎との間隔をとる。
が、それをみすみす許す士郎ではない。
士郎が、黒い剣を志貴に投擲した。が、あっさりとそれは避けられる。
しかし志貴はそれに安心する事は無い。
志貴は、士郎の手の内を知り抜いていた。
その背後で、回避された黒い刃が、まるでブーメランのように軌道を変えて、志貴の背中目掛けて向かう。
だが、それを後ろでに構えた短刀で弾き、右に跳ぶ。と、一瞬前まで志貴が立っていた場所を白い剣を振り落としながら走り抜ける。
そのまま通り過ぎるか、と思いきや、士郎の身体がかくりと崩れ、その倒れる寸前の姿勢から無理矢理に身体を脚の力だけで起こし、速度を落とすことなく白い刃は志貴へと駆ける。
まさかそんな動きをしてくるとは思わなかったのだろう。僅かに驚きながらも、志貴は軽い動きで三メートル近く跳んで、士郎の上を通り過ぎる。その間に、士郎の頭上から志貴の黒い外套の内側から放たれた鉄の杭が降り注ぐ。
だが、それが士郎に触れる事は無かった。
突如として空間に現れた鉄の板が、それらの杭を防いだのだ。
着地した志貴はその動きを止めることなく、さらに前方へと跳ぶ。と、次の瞬間にそこに突きたてられた白い剣。
士郎は突きたてたそれを放棄して、そのすぐ近くに落ちていた黒い剣を拾い、志貴を追撃する。
志貴が空中から放つ鉄杭を剣で弾き、そのまま流れるように士郎は剣を再び投げ放つ。
一直線に、剣は志貴の着地点へと飛翔する。
しかし志貴は、地面に杭を突き立て、それに剣の進行を阻止させる。
さらに着地した瞬間にそれを拾い上げ、逆に士郎へと投げ返す。
恐らくは、士郎よりも速い投擲。だが、それが士郎に触れる事すらなかった。
士郎が避けたわけではない。
剣が、空中で霧散したのだ。
そんなことは百も承知だ、と言わんばかりに志貴は平然と武器を失った士郎へ迫る。
突き出された短刀をかろうじて避けて、士郎が志貴の腕を掴み、その身体を投げる。が、あっさりと志貴は身を翻し、着地。
そして、愕然とした。
士郎が、いつのまにか志貴に弓を向けていた。
速い――!
その行動の速さに眼を見張り、瞬時に志貴は次の行動に移る。
身を低く構え、一気に士郎との距離を詰めたのだ。
弓なら、近距離では役に立つまい。そう判断した上での行為だった。
だが、
にやり、と。
士郎の口の端が、吊りあがる。
それで、気付いた。
弓に、弦がはられていない。
弓に、刃がある。
それは、弓ではなかった。
限りなく弓に近い、剣だった。
しまっ――……っ!
考えるより早く、志貴の腕が跳ねる。
弓の形をした剣と短剣が、火花を散らせた。
それは、一応は正面から打ち合っている、対等には見える。
だが、不意をつけた時点で士郎は優位。
弓の剣で短刀を押し退け、ほぼ零距離からその剣を振り下ろすように投げつけ、空いた手に長剣が現れる。
投げられた弓の剣を弾き、志貴はワンテンポ遅れて短刀を振るう。
志貴の首筋にあてられる長剣の刃。
士郎の咽喉元に突きつけられる短刀。
ここに、勝負が決した。
「……引き分けか」
悔しそうに、志貴が呟く。
「だけど、志貴は本気じゃないだろう? その分俺の負けだ」
「お前だって能力をセーブしてるじゃないか」
二人して、苦笑する。
妙なところで強情な二人である。おとなしく引き分けにしておけばいいのに、わざわざそんな細かいところまで気にするとは。
「そこまでだ」
そこに、恭平が割って入った。
木の陰から不意に現れて、その木によりかかる。
「お前、どこから出てきたんだよ」
そんな恭平に、志貴が首をかしげる。士郎もまた、それと同じ心境である。
二人して、いつから恭平がそこにいたのか、気配の欠片すらつかめなかったのだ。恭平は元々は特殊な生い立ちの志貴や士郎とは違う、一応は知恵が突出していただけの普通の人間だったはずだが。
「そんなことはどうでもいいだろう?」
いや、どうでもよくない。今の気配の消し方は十分戦力に換算できるぞ。と士郎は言おうとしたが、やめた。
戦力を考えるのは、猪突猛進の士郎やどこか間の抜けた志貴の役目ではない。他でもない、恭平の役目だ。
そこに口を出して、わざわざねちねちと言いくるめられようとは思わない。
言葉では、絶対に恭平には勝てないというのが士郎と志貴の共通意識である。
「で、なんか用か?」
この日は土曜日。三人が通う学校が休みの日である。
だからこそ、士郎と志貴は人気の無い山の中で模擬戦をしていたのだ。
士郎は、不意に嫌な予感を抱いた。
何か、良くないことでもあったのだろうか。
だが、恭平の浮かべる笑みはどこか楽しそうで、とても良くないことが起きたとは思えない。
恭平の笑みにそう思えないからこそ、むしろ嫌な予感は一層強くなった。
「付近の世界で、アースラの戦闘局員と管理局本部の部隊が合流したのだが、そこに現れたぞ」
予感は、具体的な形を持った。
アースラ。なのは達の乗る次元航行艦。そして、彼女らもまた、戦闘局員ではないか。
一体、何が現れたと言うのだろう。
問うまでも無い。
さっ、と場の空気が変貌する。それは、士郎の、志貴の、鋭い敵意。それに混じり、恭平の笑みが零れる。
「魔法士の部隊だ。現在、戦闘行為に入っている。最も、結果はいうまでもないな?」
馬鹿な。
士郎の拳が握り締められる。
志貴の瞳が鋭く細められる。
たかがAAA+ランクの魔導師が三人と有象無象が集まったところで、魔法士の部隊の前で、まともに戦えるはずが無い。
廃れた荒野の光景は、嫌でも一昨日の破壊の荒野を思い出させる。
そんな思考を振り払う事もできず、なのは達はアースラの戦闘局員と共に、本局からの増援が到着するのを待っていた。
本来ならアースラの艦内で合流するはずだったのだが、そこで丁度付近の世界に僅かな異常が見られたのだ。だから、余計な手間を省くために現地合流ということにしたのだ。
空に停滞する部隊の先頭に立つのは、漆黒のバリアジャケットを着込んだ、最近ようやっと背の伸びてきた、フェイトの義理の兄でもあるクロノ・ハラオウン。
神妙な面持ちは、やはりこの事件の重さを理解しているからだろう。
と、なのは達の正面に、光の陣が出現し、そこから何人もの統一されたバリアジャケットを着込んだ局員が現れた。その数三十人。
話によれば、彼らは数々の魔導事件を解決してきた優秀な精鋭ということだ。
「クロノ・ハラオウン執務官だな」
その戦闘に浮ぶ壮年の男性が、クロノに片手を差し出す。
「ええ、ジョシュア・フィグノス一等空尉。以後、よろしくおねがいします」
それは、ただの握手だ。
だが、その握手だけで、アースラ局員たちの表情が僅かに柔らかくなる。先日のあの光景も、これだけの増援がいれば平気だと、そう思っているのだろう。
「一等空尉って、凄い人だよね?」
「うん、そうだよ」
「なのはの将来目指すのはあれか?」
なのは達もまた、それは例外ではなかった。
「わからないよ」
小声でそう言葉を交わして、三人は小さく笑む。
全員がAランク以上で構成された部隊が増援だ。これで安心しない方が、むしろどうかしているのだろう。
だが、それは油断としか言いようが無い。
そんな戦力が、何になるというのか。そこにいる誰もが、次の瞬間までそれを理解する事はできなかった。
冷たい、肌を刺すような空気が、流れる。
こんな荒野で?
なのはが疑問に思って、風の吹いてきた方を見る。そして、愕然とした。
それは、冷たいなどというものではない。なのははどうしてこれを目の前に自分が冷たさを感じたのかにひどい疑問を抱かずにいられなかった。
炎の波が、押し寄せていた。
なのは達も、他の局員も、それに気付き、慌てて防御魔法を構築する。その速度は、流石というべきだろう。
だが、それでも彼らは、それにすぐに反応することは出来なかった。
炎の中から現れた、小指ほどの太さの槍の群れに。いや、それは槍というよりも、螺子というべきだろうか。
それらが、炎の防御に前面のみのシールドを展開していた局員の背後に回りこみ、そして、
「――っ!」
幸運にも全方位のシールドを展開していたなのは、フェイト、はやては思わずその光景から目を背けた。
助けにいこうにも、未だここは炎の中。シールドを解くわけにはいかない。無理をすればシールドを展開しながら動けるかもしれないが、それは様々な危険を孕む。
それ以前に、三人はその場から動く事ができなかった。その光景が、恐ろしくて。
突然の事だった。
螺子に貫かれた局員のシールドが砕け、そして、その身体が炎に呑まれてしまう。
炎が、それに一瞬遅れて晴れた。
残ったのは、全方位のシールドを解除し、驚愕し、あるいは警戒し、あるいは呆然とする局員と、地面に落ちていく炎の塊と、そして根元の見えない、恐らくは遥か下方の地面から生えているのだろう螺子の槍。
誰が放ったのだろう。いくつかの魔導弾が、その螺子を全て破壊した。あっさりと土くれになって、地面に落ちていくそれらを見つめ、なのはは自らのパートナーであるデバイス、レイジングハートを握り締めた。
見れば、局員の数は先程よりも三分の一は少ない。
その三分の一が、つい今地面に落ちていった炎の塊なのだと理解して、ぞっとした。
フェイトやはやても、凍った表情で自らのデバイスを握り締めていた。
な、何が――
起きたのだ、と周囲を確認することすら、なのはには出来なかった。
なのはのすぐ近くに浮んでいた局員の背後、そこに揺らめくように唐突に現れた、古びたコートを着た少女。
無表情な少女の手元に浮ぶ握りこぶし大の八面体の結晶が、輝き、そして、それが放たれた。
レーザー、というやつだろう。
一条の光は、そのまま局員の胸を貫き、その局員は音も無く崩れ、落ちていく。
次のその虚ろな少女の瞳が向けられたのは、白い魔導師。
「なのはっ!」
『ソニックムーブ』
動く事の出来ないなのはをフェイトが無理矢理抱きかかえ、フェイトのデバイス、バルディッシュの声と共に、数十メートル離れた位置に二人の姿が移る。
「……あ、フェイト、ちゃん」
「なのは! ぼうっとしないで!」
それでやっと正気を取り戻す、なのは。
「皆、下へ行くんだ! 立て直すぞ!」
そこに先程の壮年の男性、フィグノスの声が上がり、その場の全員が全力で地面へと降りていく。
「二人とも、私達もいくで!」
二人に、少しはなれたところからはやてが叫ぶ。
「う、うん」
「わかった!」
その流れに乗り遅れたのが、三人の幸福だろう。
局員達の最後尾を飛びながら地上十メートル辺りになのは達が到達した、その時。
巨大な岩の腕が、地面から迫上がり、そして何人もの局員を握りつぶした。
「なんだ、これはっ!」
クロノが叫ぶ。
その場にいる全員の代弁だった。
何の魔力反応も無く、だが実際にはこんな惨状が起きている。それは、局員達からしてみれば悪夢以外の何物でもない。
だが、魔力を感じないのは当然だろう。
管理局員達を襲ったのは、魔導師。螺子や、腕は、人形使いと呼ばれる物質の変形を得意とする魔法士。空中で突如として現れたり、レーザーを放ったのは重力など時空を操る光使い。前者は地面の岩を材料に空中へとその攻撃を放ち、後者は重力制御と光の屈折の制御、分子などを加速した荷電粒子砲のようなものでそれぞれ攻撃してきたのだ。
だが、それを彼らが理解する事はない。
いつのまにか、局員を握りつぶした岩の拳の上に、一人の少年が、身の丈を越える大剣を背負い、立っていた。
次の瞬間、その姿が消える。
驚く局員の一人の身体が、肩口から深く何かに切り裂かれ、血を噴出す。その斬りつけられた局員が自分がどんな状態なのかを自覚する前に、その身体を踏み台として、超高速の刃は、大剣を手にした少年はさらに次の局員の下へと跳ぶ。
さらに、そこに降り注ぐ光の槍と、下から突き出す岩の槍。
無事な局員の数が、着実に減っていく。
なのは、フェイト、はやてはその光景を、上方から呆然と眺めていた。
自分並、あるいは自分以上の局員達が、こうもあっさりと、傷つけられていく。いや、それは傷つけられるなどと言う生易しいもではない。その光景は、少女達の心を抉るには十分だった。
そんな状態が、何秒続いたろう。
あっというまに、局員はなのは達、クロノ、フィグノス、そして二人の精鋭局員だけになってしまっていた。
速すぎる。
朦朧とした意識で、フェイトはそう思った。
こんなのは、戦いではない。
蹂躙だ。
しかもそれを行っているのは、見える限り一人の少女と一人の少年。そこに実際はもう一人加わるが、それでも十分すぎる衝撃だった。
「撤退だ!」
クロノも、そう結論付けたのだろ。
これ以上の戦いは、無駄だ、と。
誰もそれに反対する事は無く、即座に転送の魔法を構築し、そして、
「なっ――!」
その声は、誰の者だろう。
転送魔法が、起動しなかった。
いや、気付いてみればこんな状況にもかかわらずアースラからの連絡も無い。つまり、そういうこと。
今、この場所は完全に孤立しているのだ。
撤退すら出来ない。それは、濃い絶望の色をしていた。
怖い。
なのはは、震えるからだを必死に空中にとどめながら、涙がこぼれそうになるのを必死に堪えた。
「落ち着き、なのは」
それに声をかけたのは、意外なことに、同じようにショックを受けている筈のはやてだった。
「転送は出来なくても、この世界の中を這いずり回ってでも逃げるで」
それは、敗北を認める弱音だった。
だが正論。
「そうだ、逃げるぞ!」
「全員、全魔力を使ってでも逃げ切れ!」
それを聞いたクロノとフィグノスが声を上げ、指示を出す。
命がかかっているのだ、その命令に逆らうものはいない。
だが、即座に逃亡と言う手に出た七人の前に何本もの螺子の槍が突き出して、壁となってゆく手を遮る。
しかし、
「ハーケン、セイバー!」
その壁の一部を、金色の刃が切り裂いた。
「よくやった!」
フェイトが即座に攻撃したのだと理解して、クロノはそういってから螺子の壁を通り抜け、再び加速する。
そこに、尽きることなく殺到する螺子の槍先。
その内の一本が、ついに局員の一人を捕らえた。
「ぐっ!」
「おい――がっ!」
それをどうにかしようとデバイスを構えたもう一人の局員もまた、貫かれる。
「っ……!」
「今は進みなさい!」
それを見て、咄嗟にレイジングハートを構えようとしたなのはの手を、フィグノスが引く。
「で、でもっ!」
「今は自分を優先するんだ!」
そんな剣幕で言われて、なのははフィグノスの手を振り払う事ができなかった。
一度、振り向くと、そこには螺子の槍が殺到し、まるで柱のようになったもの。
その中に飲み込まれてしまった局員の姿を想像する事すら、なのはには出来ない。
強く瞼を一度閉じて、なのはは無理矢理に自分を奮い立たせる。
「レイジングハート! 地面の動きを探って!」
『了解しました』
そして、自らのデバイスに命令を下す。忠実なその制御人格はなのはの言葉に従い、魔力ではなく、地面の質量を計測し始める。
『三十メートル前方下方の地面の変動確認』
「ディバインバスター!」
そして、そんなレイジングハートの言葉に従い、なのはは砲撃魔法を繰り出す。高速移動をしながらのために出力を抑えているものの、しかしその桜色の魔力光は大きくレイジングハートの示した地面を抉った。
『二十五メートル左前方下方から半径三十メートルに反応』
「っ、ディバインバスター!」
次も、魔法を放つが、しかし半径三十メートルという広い範囲。砲撃を落とすが、しかし足りない。
地面が盛り上がろうとした、その時、
「プラスマスマッシャー!」
「フローズンステイク!」
フェイトとはやでが、雷の砲撃と氷の杭を打ち出し、なのはだけでは削れなかった地面を抉る。
「ありがと!」
「それより、速く!」
「あいつ、化物とちゃうんか!」
はやてが、後ろを振り向く。すると、そこにいたのは先ほど、空中で局員を切り裂いては次の局員を切り捨てていた、あの少年が地面を駆けていた。
なのは達は今現在、魔力を前回に放出して、航空機ほどとは言わないが、かなりのスピードを出しているのだ。なのに、その少年は息一つ切らせる様子もなく、見るからに重量のありそうな大剣を担いでそのスピードについてきている。
まさに、化物。
自分と同じ年齢ほどの少年が、しかし今は破壊を撒き散らす化物にしか見えない。
「でも、彼だけだね」
「うん、地面の動きも収まった」
なのはとフェイトが、回りを見回してとりあえず息を落ち着かせる。
光使い、人形使いのスピードではなのは達に追いつけず、大きく距離を離され攻撃可能な範囲から外れてしまったのだ。
だからこそ、今ついてきているのはこの少年、騎士の魔法士のみ。
実際には、少年はもうすこし速く動けるのだが、空中を移動するなのは達へとその刃を届かせる術がないから、追尾しているだけに過ぎない。
人形使いの作る足場なり、人形使いの重力制御なりがあれば、おそらくはなのは達は既に生きてはいなかったろう。
が、だからといって事態が好転したわけではない。
「スティンガーブレイド!」
クロノが、魔力で出来た剣を三本、少年に放つ。が、全く速度を落とすことなく少年はそれを大剣で薙ぎ払う。
「駄目か」
少年を引き剥がさない限り、なのは達が落ち着けることは無いのだ。
「クロノ執務官。アースラと連絡は取れるかね」
「……駄目ですね」
「こちらの通信機を通せば、と思ったのだが、どうやら手元の機械も当てにならんらしい」
駄目元で聞いたのだろう、さして残念そうでも無く、フィグノスは手に握っていた四角い通信機器を少年へと投げつける。
それも、大剣によって粉々にされてしまう。
「物理攻撃ならあるいは、などという考えも甘いか」
ふむ。と、魔力を前回にしていて疲れていないはずがないだろうに、流石と言ったところだろうか。
クロノはそんなフィグノス、ランクS魔導師を心強く思いながらも、しかし焦燥を拭えずにいた。
クロノも、まだ問題は無い。あと十分程度ならこの速度を保つ事は出来る。が、問題はなのは達三人だ。
AAA+とはいえ、まだまだ実戦経験も浅い、人死になど今日初めて見るような子達なのだ。そんな精神面からくるダメージは馬鹿にならないだろうし、それによって不安定な魔力の消費も大きいだろう。
持って、あと五分か。
クロノは、奥歯を噛み締めた。
「驚いた……な」
その光景に、士郎は思わずそう呟いてしまった。
「五人も無傷とは、私としても驚きだ」
「だけど被害はその何倍だろうな」
三人の目の前のモニターには、荒野を飛翔し、騎士から逃げる五人の姿が映っていた。三人がいるのはアヴァロン艦内、つまり次元空間。
現在、様々な妨害が敷かれたその世界を、しかしアヴァロンの監視機能は平然とそれを打ち破り、世界の映像を映し出している。これもまた、そういった類のロストロギアの力である。
「ジョシュア・フィグノス一等空尉にクロノ・ハラオウン執務官。さらにはAAA+の三人娘。これはまた、随分と豪勢な顔ぶれだことだ」
五人の名前を口にして、恭平が笑む。
「あの人のこと、知ってるのか?」
その名前のうちの、最初の一つ。フィグノスの名前に反応して、映像の中の彼を指差して志貴が尋ねる。
「ああ。少しばかり有名な人物だ。三年前、彼は空の中将だったのだが、とある任務中に部隊の壊滅を察知して、彼はその場から撤退。結果として一つの無人世界を崩壊させてしまったんだ」
「ってことは、つまり、左遷されたのか?」
「そういうことだ。しかし、当時、あれ以上世界に部隊が留まっていた場合、ほぼ間違いなく部隊は全員消滅してということは明白であったし、彼の判断は正しいものだったのだ。だが、局の上層部は世界崩壊の責任を全て彼に押し付け、彼を降格させた。自分の地位を犠牲にしてでも一部隊を救った。そんな彼は、一部の局員から信頼され、そしてその信頼の厚さから上層部からは忌避されているのさ」
「凄い人なんだな」
感心したように、志貴が呟く。
「ああ。一時期、多少の連絡を取った事があるのだが、」
「それ、初耳なんだが?」
志貴の言葉を無視して、恭平は続ける。
「“魔王”と名乗った私に、彼は随分と落ち着いて対応していた。Sランクという能力の高さも評価できるが、それ以上に私が気に入ったのは彼の冷静な思考だな。本来ならば組織の上に立つべき器だと言うのに、嘆かわしいことさ」
どうやら、志貴はあえて何も言わない事にしたらしい。無言で机の上から一つの指輪をとり、指に嵌める。それこそが、志貴のデバイス、ヤタノカガミの待機形態である。
「どうするつもりだ?」
「そりゃ、助けるのさ」
「当然だ」
志貴の言葉に、士郎も指輪を嵌める。やはりこれも、デバイスの待機携帯である。
「顔をさらすつもりか?」
だが、そんな二人の行動を、恭平は良しとしなかった。
二人が、恭平を信じられないようなものを見る目で見た。
「恭平、お前……っ」
「見殺しにするつもりか!」
根は優しい二人だ。そんな、殺されると分かっている人間を何もせずに眺めていることなど出来ない。
「そうは言ってない」
二人の剣幕に怖気ずくことも無く、恭平は淡々と言う。
「つまり、顔を出すな、と言っているのさ」
志貴と士郎は、恭平が一体何を言いたいのかが分からなかった。
「なに、安心しろ。頼もしい事に、貴様らの頭脳はこの私なのだから」
そんな二人に、恭平は妖しく笑った。
それは、突然だった。
空間が震えだす。
「な、なんだ?」
跳びながら、クロノはその振動の原因を突き止めようと、視線をめぐらせる。
「――なっ!」
そして、それを見つけた。
空間が歪曲し、暗く開いた穴から現れた、鋭いシルエットの時空航行艦を。
それは穴から全貌を現し、そしてなのは達に並行して飛行し始める。そのスピードは、そこらの次元航行艦の比ではない。
緊張の糸が、引き千切れんばかりに張り詰める。
敵の増援か!
こんな状況だからこそ、五人はそう、思い込んだ。
あれが敵ならば、最悪の状態に他ならない。
規格外の、正体不明の少年に合わせて、小型らしいとはいえ、戦艦である。
その火力は、計り知れない。見たところあからさまな火器を装備している様子は無いが、それでも安心などできるはずもない。
どうする。
この状況を打破する術を、しかし、誰も見つけることが出来ない。
ふと、その戦艦の船頭から船尾までを結ぶようにある楕円の環が、淡く赤い光を纏い始める。
それが何を示すのか、本能的に五人は察する。
攻撃だ。
だが、一体どんな?
様々な攻撃手段が、五人の脳裏を駆け抜ける。例えどんな攻撃であろうとも、それは脅威でしかない。
「こうなったら、全力で……!」
「駄目だよなのは!」
「こんなスピードでディバインバスターよりデカい攻撃を撃てるわけがあらへんやろ!」
レイジングハートを構えようとしたなのはを、フェイトとはやてが押しとどめる。
「それよりも回避を優先するのだ!」
フィグノスの声に、全員が移動魔法の構築を始める。あるいはフラッシュムーブやソニックムーブならば、攻撃を回避できるかもしれない。
そんな希望に縋った行動。
だが、その行動が起きる事は無かった。
『ジョシュア・フィグノス一等空尉、久しいな』
その艦から、中性的な声の響きが五人へと向けられたのだ。
「なんだと?」
その声に、フィグノスが首を傾げた。
『忘れてしまったのなら、再度名乗ろうか。私は、“魔王”だ』
途端、フィグノスはその人物が誰かを思い出した。
「君か……」
その声は、どこか安堵しているように聞こえる。
だからこそ、他の四人も思わず力を抜いてしまった。敵でないとは限らないのに、フィグノスのその態度だけで、だ。何と甘いことだろうか。
『フィグノス一等空尉、貴方はここで死なせるには惜しい。他の子供等も同じだ』
「ということは……」
『ああ。援護させてもらおう』
その言葉と共に、アヴァロンの艦体が大きく旋回し、丁度騎士の少年と向き合う形になる。少年の方も狙いをアヴァロンに定めたのか、一直線にそちらに走り出す。
その瞬間。
アヴァロンの赤く輝く環から、何かが放たれた。それは、細かい砂状の金属、砂鉄だった。
その砂鉄は環から放たれると、即座にその砂鉄という形態を保つ事が出来る温度を空気摩擦により超越し、溶解。赤い刃となって、騎士の少年へと迫る。
騎士の少年の速度と、赤い刃のスピード。
後者が、ここで勝る。
低重音が、世界をとどろかせた。
消えたのは、騎士の少年の姿。
現れたのは、赤い刃の爪跡である、あまりの高熱によって大地が溶岩のように溶けて流れる長大な溝。
アースブレイドと呼ばれるロストロギアから放たれた攻撃は、騎士の少年を跡形も無く溶かしてしまった。
「そん、な……」
なのはが、呆然と呟く。
五人ともが、移動を止めて空中に停滞した。
「これは……一体」
クロノが、僅かに警戒心を篭めた瞳をアヴァロンに向ける。あれだけの力を持つ相手を警戒するのは、至極あたりまえのことだろう。
『安心するのはまだ早い』
そこで、再び“魔王”の声。
その声に応じるかのように思えるタイミングで、
『地面の変動を感知。異常重力場確認』
レイジングハートが告げた。
「っ――!」
「はぁっ!」
「ソロウブレイド!」
なのはを貫かんと迫る螺子の槍をフェイトが切り裂き、光の槍をはやての剣十字から放たれた黒い刃が飲み込む。
『人形使いと、光使いか』
「なんだと?」
アヴァロンからの声に、フィグノスが眉をひそめた。
「君は……“魔王”彼らの正体を、知っているのか?」
『ふふっ、さて』
ふざけた答えだった。
笑みながら、“魔王”は悠然とした口調で、明らかな誤魔化しを口にする。
「まさかとは思うが、」
『勘違いしないで貰いたいが、ハラオウン執務官。私は彼らの味方ではないよ。それは、先程の攻撃で証明できないだろうか?』
「……」
クロノの声を遮って“魔王”が言う。
『それよりも、早くそれなりの対応したほうがいいのではないか?』
「え……?」
その“魔王”の言葉に、次々と襲い繰る螺子の槍を切り裂くフェイトが、光の槍に黒の刃を放つはやてが、その二人を援護するなのはが、まさかという声をあげた。
「敵ではないが、僕等の味方でもないということか」
『理解が早くて助かる』
クロノが苦々しく言う。
それに対する“魔王”は、あくまでも余裕だ。なのは達の、この状況を目の前にしても。
『まあ、サービスとしてアドバイスくらいはしておこうか。君達の真下、地面のさらに下に現在空洞があるのだが、そこに一人、人形使いという、まあ君らの言葉で言うのであればレアスキル持ちがいる。それと、前方五十メートルのところに光使いという敵が光の屈折率を操作し、姿を隠して攻撃を加えている。君らならば冷静に対処すれば十分相手になるだろう』
「……」
今度は無言で、クロノはアヴァロンから視線を逸らし、“魔王”の言った二ヵ所に視線を移す。どちらも、敵の姿は確認できない。“魔王”の言う事が正しければ、片や地面の下、片や透明なのだ。見えるはずも無いのだろう。
信じて、いいのか?
クロノは自問する。
ここで信じて、果たしてこの五人が無事でいられる保障があるだろうか?
「迷っている時間は無い」
そんなクロノに、フィグノスが声をかけた。
「私は地面を砕く。君は、光使いとやらを頼む」
「……了解しました」
クロノは、考えるのをやめた。
どうせこんな状態なのだ。ならば、もうどうにでもなれ。という自棄のような感情に身を任せて、クロノは自分のデバイス、デュランダルを構える。
「スティンガーブレイド、」
そして、そのクロノの周囲に現れた大量の剣が、
「デストラクション、」
フィグノスの生み出した強大な魔力の塊が、
「エキスキューションシフト!」
「フィスト!」
空を駆け、虚空を貫き、振り下ろされ、地面を砕く。
剣は、その何本かが空中に突き刺さり、そして揺らめくように、腕や脚に剣を突きたてられた少女の姿が浮ぶ。穂解した地面からは、一人の少年が瓦礫など何でもないように迫り出してきた土の台の上に立っていた。
どちらも、非殺傷設定であるからこその、その被害だ。
だが、
それは、たったそれだけの被害でしかなかった。
たしかに非殺傷設定は相手に魔力的なダメージや痛覚のみを与える、極めて安全かつ効率的な攻撃ではあるが、しかし、それが今回は仇となった。
「なっ……」
人形使いも、光使いも、まるで自分が何のダメージを受けてないかのように、平然と動き出したのだ。再び現れた螺子の槍と、光使いの周囲に浮ぶ八面体の結晶から放たれたレーザーが、五人を襲った。
『言い忘れていたが、彼らに自己の意思や痛覚は無い。人格の崩壊した、いわば一つの兵器だ。殺さぬ限り、止まることはない』
「言い忘れ、だと……っ!」
もはや、クロノの視線にはあきらかな敵意すら篭められていた。
それに、殺さなければ止まらないというのなら、どうしろというのか。
バインドやケージで捕獲するか。だが、それは確実ではない。いや、むしろ逃げられる可能性のほうが高いだろう。
ならば、他の手段だ。
考える。襲いくる攻撃を弾き、砕き、回避しながら、必死にクロノは考えた。
だが、何も思い浮かばない。
『さすが管理局の魔導師はお優しい。殺す、という選択肢はないのだろうな?』
「当然だ!」
クロノは今まで人を殺した事がない。
これまでも何度も荒事は経験してきたが、その度に相手を無力化し、捕縛してきたのだ。それが、クロノの誇りである事は確かだった。
だが、その誇りが今回ばかりは裏目にでる。
誇りというものが、クロノの行動を縛り付けていた。
『殺さねば、殺されると言うのに?』
「……っ!」
答えることが出来ない。
ふと、その視線が一人の少女を捕らえる。
フェイト。クロノの義理の妹である彼女は、バルディッシュを振るいながら、不安そうな目をクロノに向けていた。それは、なのはやはやても同じ。
彼女を、彼女達を傷つけていいのか?
そんな想いに、クロノは駆り立てられる。
仮に、殺そうとして、それが出来るか出来ないかというのであれば、クロノは出来ると判断している。さきほどの騎士の少年ほど早い動きを持つわけでも、攻撃力を持つでもない人形使いと光使いだ。その攻撃だって冷静に対処している現在はちゃんと防げている。
簡単なことだ。非殺傷設定を解除して、攻撃すれば、きっと彼らを殺すことは可能。
どうすれば……っ!
「覚えておきたまえ、クロノ君」
その焦燥するクロノのかたを、厳つい掌が掴んだ。
「我らは時として、残酷で無ければならないのだ」
フィグノスが、無表情にデバイスを構える。
「ディストーションディスロケーション、シークエンスエクスプロージョン」
世界すら歪めるほどの大爆発が、光使いと人形使いを包み込んだ。
殺傷能力のある、死の炎。
クロノを始め、はのは達もまた、その強大な火を見つめることしか出来なかった。
アースラとの連絡が繋がったのは、その数秒後のこと。
アヴァロンの影は、いつのまにか消えていた。
「今回は様子見だったんだろうな」
「ああ」
恭平の言葉に、士郎が頷く。
「最初の、あの炎の波。炎使いの攻撃の筈だけど、それ以降に炎使いの姿は確認できない」
志貴がモニターに流れる映像を見つめながら呟くように言う。
「それに、この熱量。多分粗製なんかじゃない、適正魔法士の攻撃」
「恐らくは攻撃の後に撤退したのだろうな」
「ふざけた真似を」
あれだけの人を殺して、それで去った敵を思い、士郎が皮膚に血が滲むほどに強く、拳を握り締める。
「これは私達への布告でもあるのだろう。あちらには、こんな瑣末な戦闘にさえこれだけの戦闘能力を送り込む余裕がある、とな」
流石に今回ばかりは笑ってもいられないのだろう。
敵の戦力は未知数だ。だが、それが強大ということだけは恭平はよく理解していた。
適正魔法士が、三十人もいれば、それだけでミッドチルダの地上本部すら、壊滅的打撃を受けるだろう。
「だが、これでもう加速は止まらないぞ」
志貴が、真剣な顔で呟く。
「ああ」
士郎も、それに頷き、恭平も軽く肩をすくめて応えた。
「これだけの被害をたったの四人――いや、彼らは敵を三人と認識しているか。ともかくそんな少数にもたらされたのだ。もう、上層部の生温い対応ではすまさないだろうな」
おそらくは、今回の精鋭部隊すら霞んで見えるような、とんでもない部隊が編成されることだろう。
それを、なんと表現するべきか。
「始まるぞ」
それは、そう。
「戦争だ」
正に、戦争だ。
「申し訳ありません、リンディ・ハラオウン艦長」
アースラ艦内に転送されしばらくして、フィグノスはリンディに頭を下げていた。場所はメインブリッジ。
だが、普段ならそこに居る何人もの通信士や操舵士は、どこにもいない。
「貴重な部下の方々を、助けることも出来ず」
リンディが、休ませたのだ。
いくらなんでも同じ艦に乗っていた仲間が殆ど死んでしまったのだ。それを、誰もが酷く悲しんでいる。そんな状態で、リンディは彼らを働かせることなど到底出来なかった。
「いいんです、フィグノスさん」
リンディ自身もまた、悲しみを堪えた表情で首を横に振った。
「こんな状況で、貴方を責められるはずがないでしょう?」
「……申し訳ない」
頭を上げで、だが再度フォグノスは謝罪の言葉を口にする。
「……っ!」
リンディが、フィグノスに背を向ける。
そして、歩き出した。
いつもよりも静かな廊下を、リンディは早足に、通り過ぎた。
フィグノスは、その背中をただ見つめるしか出来ない。
はやては、自分に割り当てられた部屋にあるベットのうえで、膝を抱えていた。
その身体は僅かに震えている。
現場では、比較的冷静に対処できたと、はやで自身は自分をそう評価している。
そのツケが、これである。
今更に、恐怖心が身体を削っていた。
なんや、あれ。
目をつぶれば、すぐに蘇る。螺子の槍に貫かれ、炎に包まれ落ちていく局員の姿。光の槍に胸を貫かれた局員の姿。岩の拳に潰されていく局員の姿。剣で切り裂かれた局員の姿。
その全員の表情を、高い状況把握能力の高いはやては、見てしまっていた。
才能があるからこその、苦痛。
あれが、死というものか。
はやては、一層強く膝を握り締めた。
あんなもんは知らん。なんなんや、あれは。
ふと、思い出されたのは、雪の日に分かれた、悲しくて優しい、一つの姿。
だけど彼女は、最後、存在が消滅するその瞬間まで、笑顔だった。
だから、違う。
あの別れと、この死は全くの別物だ。
歯が震えて、小さな音を鳴らせる。
「マイスター……」
と、不意に、部屋の扉が開き、そこからリィンフォースが入ってきた。
しかし、はやてはいつものような態度を取ることができない。
「なあ、リィン」
その代わり、か細い声で、話しかけた。
リィンフォースにしてみれば、それは始めて聞く主の弱々しい声だった。
「少しだけ、側にいてくれへんか?」
顔を俯かせて、言う。
リィンフォースは、ゆっくりとそんなはやてへと近づき、そして、その手に触れる。
「マイスター」
それは、はやての為だけの言葉。
「リィンは、ずっとマイスターと一緒です」
「……ありがとな」
動くことは出来ない。
だが、はやての震えは、収まっていた。
「ありがとな」
何度も、何度も。
はやては、リィンフォースに礼を言った。
あとがき
まず最初に、今回登場したロストロギア、アースブレイドは電撃文庫「とある魔術の禁書目録に出てくる武装です。
と、説明した所で早々にネタがつきました。
今回は比較的、人の命が軽く扱われてしまった話ですが、決してこの作品は人が大量に死ぬような構成ではありません。
ただ今回は、敵の戦力を考えるとどうしても生き残ることが出来ないのでこうさせていただきました。
では、ここらで。
あとがき短いから、次回からはなんか趣向を凝らそうかな、とか思います。
多分、ですけどね?