カリムが預言書を作成して数ヶ月が経った。
管理局が預言を阻止するために走り回っているが、相変わらず成果は無い。
それでも、どの部隊もまだ可能性を信じメディアには何も公表していない。
そして、何も知らないミッドチルダの住民はいつもと変わらない生活を送っている。
朝食前に、自分の部屋に置いてあるテレビをつけた。
いつもと同じ朝のニュース番組。
殺人事件と交通事故。
著名人の離婚騒動。
天気予報は……今日も真夏日か。
どれも、普段と変わらない光景だった。
預言が作成されてから、聖王教会の仕事は格段に増えた。
ほぼ毎日のように、各部隊からのロストロギア捜査の報告を受けている。
また、他にも捜索中に発見され預言に関係ないと判断された一部のロストロギアの保守管理もある。
今の管理局の姿を例えるなら、大規模なゴミ拾い。
中には災害が起こるのを未然に防ぐことが出来た物もあった。
だが、管理局としては本命が見つかっていないため喜びも薄いらしい。
こういう小さな幸せも味わって欲しいと、時折思う。
それにしても忙しい。預言が作成される前のあの頃が懐かしく感じる。
……いっそのこと、仕事を放ってどこかへ抜け出してしまおうか。
浮かんだ邪心を振り払う。この生活も、ある意味俺自身が選んだ事。
それに、他の奴らだってこの預言に巻き込まれているんだ。俺だけ抜け駆けするわけにはいかない。
終わりはまだ先が長い。早く済ませて、楽をしたいものだ。
教会の業務も一息つき、庭園にあるベンチにだらしなく腰掛け顔を上に向けた。
ちょうど木陰の位置にあるのが見つかり、直射日光が当たらず他の場所よりも涼しい。
このところは休む暇もあまり無い。
忙しくとも規則正しい生活はしているつもりだったが、自然と眠気が誘ってくる。
ここで寝たら背中が痛くなりそうだが、体が休息を取ろうとしてまぶたが重い。
目を閉じる。少しくらいなら――
「預言の心配でもしているかと思ったら、なんだか余裕ね。それだけ管理局を信頼しているのかしら」
不意に話しかけられると同時に、自分の周囲の影が濃くなるのを感じた。
木から差し込む僅かな光を遮る見慣れた顔と、聞きなれた声。
スーツ姿のアリサが、ベンチの後ろに立って俺の顔を覗き込んでいた。
「アリサか……どうかしたか」
「近くを通ったから立ち寄ったのよ。
最近バタバタしてたから、たまにはこうしてゆっくりと話したいなって思ってね」
ベンチの前に回り込み、俺の隣に座った。
服装からすると、どこかのお偉方との商談でもあった帰りか。
確かに、俺の周りの人間はヴェロッサを除いていつも忙しい奴ばかりだ。
加えて今は俺自身もその状態に近い。こうした時間は大切にすべきなのだろう。
「あの預言ができてからはどう、教会は忙しくなった?」
「この俺の惨状を見ればわかるだろ」
「ええ、暇でしょうがないのね」
「お前な……人が疲れてバテてるからって好きにいいやがって」
「まあ頑張ってるのはわかるわよ、以前までがアレだったし。
あーあ。あの探査機が使えたら、ミッド周辺の宇宙なんてすぐに探し尽くせるのになあ」
「新聞に載っていたやつか?
はやてから聞いたよ。あれ、お前もスポンサーをしているんだってな」
「まあね。これでも出資してる額は筆頭なのよ。
皆みたいに管理局には入ってないけど、他の事で役に立てるかなと思ってね」
若干自慢げだった。
アリサの地位も財力も自分の力で築き上げたものだ、だから妬みはない。
ただ、やはりこいつは俺なんかとは違うのだと尊敬した。
二人で他愛の無い談話をする。
特別愉快な話をしているわけではないが、アリサとは自然と会話が弾む。
ちょっとした出来事でも伝えたいと思えるような関係というのは、そう多くは無い。
「そうそう、この間マリアと変身魔法を使ってないあたしで背比べしたのよ。
そしたらあの子あたしよりも大きくなっててさ。
泣いてばかりの子供だと思っていたのに、いつのまにか立派になってるなんてね」
「そうかあ?今でもあいつは泣き虫だろ。
いつもカリムにべったりだし、まだ誰かに依存する癖は治ってないぞ」
マリアが立派だという意見に賛成できず、反論した。
確かに周囲の人間からは、歳の割りに大人びているといわれている。
真面目さと正義感の強さは、大人でも見習うべき部分があるのも認める。
それでも、俺から見ればまだ背伸びをしているだけの自律出来ていない子供だ。
「ふうん……」
「どうかしたか?」
「詳しいじゃない。さすがはお父様ってとこかしら」
アリサがからかうような口調と目つきを俺に向けた。
明らかに、俺の反応をうかがい面白がっているのが見て取れる。
だが、こうも露骨に誘ってくるとそれを翻弄してやりたくなる。
「ああ、俺たちは親子だからな。娘のことは把握していて当然だろ」
一瞬だが、アリサが目を見開くのが見えた。
「……なんか意外。てっきり反論でもしてくるかと思ったのに」
「俺もそれだけ成長したって事だよ」
「その歳になってそんな事言って、恥ずかしいとは思わないの?」
「……実は少し後悔してる」
結局、俺の攻撃は返されてしまった。
アリサと別れて執務室に戻ると、クロノからのメールが一件あった。
艦長としての職務が立て込んでおり、こちら側から出向くことは出来ないので報告を受けに来て欲しいという内容だった。
忙しいのはお互い様のようで、この文章も簡潔にしか書かれていない。
一応重要性のあるものだ、通信で済ませるわけにもいくまい。
俺が出向く事が可能な日を記載し、そのメールを返信した。
クロノが艦長を務める、次元空間航行艦船クラウディア。
あの後指定された日時に、俺は報告を受けに来ていた。
入り口で待っていた局員に案内されながら、応接室へ向かうため艦内を歩く。
その途中、周囲から煩い雑音が聞こえてきた。
人の話し声や、歩く足音。本来はごく当たり前のものだが、それがどうにも耳につく。
あまり頻繁にここへ訪れるわけではないが、以前に来た時と比べて艦内が随分と騒々しい印象を受ける。
この艦船内全体に、緊迫した空気が流れているかのように。
何かあったのかと局員に尋ねると、涼しげな顔で捜査が上手く行かず皆苛立っていると答えた。
この局員はクラウディアの中では比較的冷静な人物らしい。
部屋の前まで送ってもらい、局員が軽く挨拶をして去っていった。
扉の前に立ち、自動ドアが開く。
「グラシア、待っていたよ」
そこから、クロノがソファーに座っているのが見えた。
結婚して名字が変わっても、相変わらずこいつは俺を名前では呼ばない。
大分前から家庭を持っているというのに、未だに執念と警戒心は残っているらしい。
その割に、もて成しのつもりなのか二人分のコーヒーカップが置いてある。
ご丁寧に、その横には砂糖とミルクも付けている。
中途半端な公私混合も変わっていないようだ。
リビングテーブルを挟み、二人で向かい合う状態でソファーに座る。
俺がここへ来たのも、クロノがクラウディアの艦長として連日の捜索があるからだ。
かなり忙しいはずなのだが、相変わらずそういった素振りは見せなかった。
クロノが報告内容が記載された画面を空中に表示させた。
「これが今回の捜査報告だ。捜索範囲は広げているが、預言に該当すると見られるロストロギアは見つからなかった。
ミッドも随時監視はしているが、今はまだ特に変わったところは確認されていない」
ほぼ形式だけとなった報告を聞き流す。
クロノが捜索した場所を説明しているが、さほど重要なものでもない。
目的の物は見つからず、いくつか宇宙のゴミがあった程度。
依然として捜査に大きな進展は無く、普段教会で受けている他の部隊の報告とさして違いはなかった。
「以上だ……グラシア、聞いていたか?」
「ん…ああ、もちろんだとも。しっかりと聞いていたぞ」
「なら、今僕が報告した内容を言ってみてくれないか」
「ガラクタしか見つからず、お目当てのものはありませんでした。ほら、完璧だろ」
「その一言だけで終わらせて完璧だというのか、君は。
……まあ、悔しいが実際はその通りだ」
「そう気を落とすな。んで、捜査以外で何か報告はあるか?」
「君という奴は……一応無いわけではないが、これは言うべきかどうか……」
クロノが言葉に詰まる。
「どうした、改まったりして。ロストロギアに無関係な事でも一応受け付けるぞ」
その不審さが気になり、発した言葉の続きを促す。
その俺の反応を見て、数秒間の沈黙のあとクロノが口を開いた。
「……どうもこのところ、捜索に使っている機器の調子が悪いんだ。
単なる故障だとは思うが、ロストロギアの影響を受けているという可能性も捨てきれないと思ってな」
部屋の空気が変わった。
俺がそう思っただけなのかもしれないが、何かが起こっているのは確信した。
「機器の調子が……?
確か、他にも設備の不具合の報告をしてきた部隊がいくつかあったぞ。
時期は多少バラつきがあるが、どれもあの預言ができた後だ」
「本当か?なら、ロストロギアの線も考える必要があるな」
「それで、悪くなったのはいつ頃からだ」
「つい最近だ。それまでは何の問題も無かったのに、突然おかしくなり始めた。
この所は他の部隊から出向してくる人間も多い。
だから機器の扱いに慣れていなくて対処出来ない者もいて、かなり厄介な問題なんだ」
クロノが頭を抱えた。
想定外の出来事が起きてしまい、捜索は難航中らしい。
何かの予兆は起こっているというのに、その尻尾を掴めないまま事態は悪い方向へ傾いている。
そのもどかしさが、表情に表れていた。
それにしても、機器の調子が悪いときたか。
次元航空部隊の設備が簡単に故障するとは考えにくい。
他の部隊の報告も今までは気にも留めていなかったが、裏があるのではないかと思えてくる。
複数で起きている報告があるのだ、きっとただの偶然などではないだろう。
もう、覚悟をしなければならない時期に入っているのかもしれない。
どうにも部屋の空気が重い。
ただの顔合わせ程度と気軽に考えていたが、とんだ発見があった。
お互い沈黙が続く――
「しっかし今回ばかりは仕方ないが、お前も仕事熱心だな。
たまには家に帰って家族に顔を見せてやらないと、そのうち忘れられるぞ」
この場の重い雰囲気を壊したくなり、全く関係ない話を振った。
場の雰囲気を盛り上げるのは得意ではないが 何とか話題を変える。
勤務中であるのは分かっている。けれど、俺はそこまで完全に割り切れる人間ではなかった。
「失敬だな、これでも定期的には帰ってはいるんだぞ。
それに、以前までの君だって騎士カリムやマリアにはあまり会っていなかったじゃないか」
「今は違うだろ、今は。
だいたい、以前も誕生日とか重要な日はちゃんと帰っていたんだ。仕事中毒のお前と一緒にしないでくれ」
「君が仕事に対して情熱が無さ過ぎるんだ。もっと家族を養っているという自覚を持ったらどうだ」
クロノの食い付きは予想外に良く、家庭を持つ男同士で言い争う。
俺が生活の一側面を指摘し、クロノが的確な反論を返す。
お互い本気で言い合っているわけではなく 今では俺たちにとって一種の儀式みたいなもの。
クロノの真面目さは以前から尊敬しているし、こいつも俺に対して思う所があるはずだ。
「やあリョウスケ、久しぶりだね」
クロノと話していると部屋のドアが開き、ヴェロッサが陽気な顔をして入ってきた。
つい先ほどまで重要な話をしていたというのに、そんなことはお構い無しといった様子で。
――それとも、このタイミングを見計らっていたのか。
他の奴ならそんなことは無いと言い切れるが、この男ならありえる。
「それじゃ、僕はそろそろ艦長の仕事に戻るよ」
クロノが立ち上がり、入れ替わるように部屋から出て行った。
きっと俺とこうやって話すのも、少ない時間から作ったのだろう。
そして、クロノが座っていた場所にヴェロッサが座った。
手を付けず仕舞いだったあいつのコーヒーカップを使い、優雅に満喫している。
「相変わらず気楽な奴だな。まわりは仕事に追われてるっていうのに」
「そうかな?まあ、今は査察官としてはあまり忙しくないね。
でも、捜査について色々協力させられているからそれで相殺って感じだよ」
「お前は預言が気にならないのか?」
「全く気にならないわけじゃないよ。でも、不安になれば解決出来るわけじゃないからね。
出来るだけ、いつも通りでいようと思ってさ」
よく言えば場に流されず、悪く言えばどこか人間味が足りない。
その個性は、こんな時でも変わっていなかった。
「預言のことはさておき、マリアとはうまくやってるかい?」
「なんだ急に。姪のことが恋しくでもなったのか」
「僕も叔父として、マリアのことが気になるからね」
茶化しながらからかい気味に放った俺の言葉が、見事にかわされる。
恐らく、これがヴェロッサが俺に聞きたかった本題。
こいつにとってマリアは親族ではあるのだが、素直に言うのも気が引ける。
一応、今はあいつとの関係はそれなりには考えているんだ。
「俺のまわりにはお節介が多いな。この間もアルフにマリアの事について言われたぞ」
「それだけ、みんな気にかけてくれているんだよ。君の不器用さは知れ渡っているしね」
「おいおい、そんなに俺は頼りないのか」
「そういう訳じゃないけど、心配なんだ。
僕にとっては、マリアも君も大切な人だからね」
軽く、それでいて重みのある口調で言った。
表情はほとんど変わらない。ただ一点のみ、俺を見る目つきが違っていた。
俺の心を見透かそうとしているような、鋭い眼光だった。
「気にしすぎだ、あいつとは今も昔もそれなりにうまくやっている」
「そう言いながら、よく一人で抱え込んでいるじゃないか。
聞き方を変えようか。君は、マリアをどんな子だと思っているんだい?」
「マリアか?あいつは――」
泣き虫で強がりな子供だと言おうとして、言葉を押さえ込む。
俺は、本当にそのことを理解してやっているのか。
今まであいつの傍にいてやらずに、それでのうのうと帰ってきて父親面をしている俺が。
「どうやら気付いたみたいだね。
君は自分が無愛想だからとか、相手が強い子だからって理由をつけて無意識に距離を置く癖がある。
でも、みんなは聖人じゃない。本来いるべき人が傍にいなくても大丈夫なほど、人は強くないよ」
俺の目の前にいる男は、全てを見通している。
マリアのことは分かってやっていた。
それだというのに、俺は目を逸らした。
マリアが生まれた時、自分を捨てた両親のようにはならないと誓ったはずなのに。
「なあ、俺があいつの傍にいても……邪魔にはならないか?」
「僕はマリアじゃないから断言は出来ないけど、ならないよ。
あの子を思いやる気持ちがあれば、背伸びをしていない普段の君で十分だ」
「……断定していない割に、随分と自信のある話し方じゃないか」
「あの子が完璧な人間を望んでいるとは思ってないだろう?
それにリョウスケが教えてくれたんだよ、そんなことをする必要は無いって」
「俺が……?」
「そう。
君が僕たちに、自然体でいることの大切さをわからせてくれたんだ」
俺に自信を付けさせるような言い方で、ヴェロッサが言った。
皮肉でも世辞でもない、こいつの心からの感謝がこめられた言葉だった。
情けないが、それを言われて自分でも気が楽になったのがわかる。
そこまで精神が参っていたのだと、今になって思い知らされた。
無理に大きなことをしなくてもいい。
俺は、小さくても自分にとって十分価値のあることをしてやれる。
なんだ、こんなことなら最初からそうすればよかったんだ。
「ヴェロッサ、おまえエスパーか何かだろ」
「ある意味そうだけど、リョウスケが指しているのとは別だと思うよ。
魔法を使わずにスプーンとかを曲られないしね」
向き直ると、いつの間にか普段のヴェロッサに戻っていた。
こいつといると、クラウディアの張り詰めた空気も消えていくようだ。
悩みも辛さも吹き飛ばしてしまえる、その気の軽さが少しばかり羨ましかった。
クラウディアでの用が終わり、教会に戻る頃には日も落ちかけていた。
自分の部屋に入り、ドアを閉めると明かりをつけずにベッドに倒れこむ。
まだ執務室で業務が残っているが、どうにもやる気が出ない。
……今日は疲れた、夕食まで少しばかり寝よう。
眼が覚め、ベッドから両足を投げ出し体を起き上がらせる。
起きたばかりでまだ意識がはっきりしないが、そろそろ夕食時くらいか。
枕元に置いてある時計を取り、時刻を見た。
……11時?
目をこすりもう一度見るが、時計が指している時間は変わっていない。
念のため窓を開けて外を見ると、空には星が輝いている。
――まずい、完全に寝過ごした。
夕食後にやるつもりだった期限が明日までの仕事も、まだ片付いていない。
仕方ない、面倒だが執務室へ行ってさっさと済ませてしまうか。
仕事が終わる頃には完全に深夜になっていた。
寝惚け気味の頭で作業をしたため、それで余計に時間がかかったのも原因の一つか。
教会内は消灯され、暗闇の中を非常用の懐中電灯を持って歩いていた。
自分の部屋に帰る途中、廊下から光が差し込んでいるのに気付く。
近づいて見ると、マリアの部屋のドアの隙間から明かりが漏れていた。
時刻はもう3時に近い。あいつ、まだ寝ていなかったのか。
「あ…お父様……」
ドアを開けて入ってきた俺にマリアが気付いた。
結っていた髪はほどいてあり、落ち着いた色のパジャマを着ている。
ノックもせずに無神経かと思ったが、あまり気にしていない様子だ。
それと同時に、マリアの部屋の状態が目に入る。
ぬいぐるみ等はもちろんのこと、無駄なものは全て排除したかのように物が少ない。
女の子らしくない、殺風景な部屋だと思った。
「どうした、こんな時間まで起きているなんて珍しいじゃないか」
「いえ……少し読み物をしていたので」
大した事ではないから気にしないでほしい、と言いたそうに答える。
――本心からの言葉ではないと、すぐに分かる口調だった。
それに、確かに椅子に座り机の上で本を開いてはいるが、普段は夜遅くまで読書をするような奴じゃない。
何か他に眠れない理由があって本を読んでいる。
俺が思い当たる節は、一つしかなかった。
「預言が気になるか」
「……はい」
嘘はつかなかった。
マリアも指摘されるのを予想していたのか、言い当てられて驚く様子は無い。
少し俯いた表情のまま、こちらに顔を向けている。
皆が俺たちの関係を心配してくれているというのに。
これでは、俺はマリアを苦しめているだけじゃないか――
「お父様、もしあの預言が本当になったら……」
心の内が漏れ出す。いつに無く、弱気な表情だった。
「マリア、あんなものは忘れろ。悩んだっていいことは一つもないぞ。
時期に管理局が解決してくれるから、あまり気にするな」
「でも、私達家族が一緒にいられなくなったりしたらと思うと」
「大丈夫だ。何があっても、俺たちが離れ離れになるなんてことは無い。
それに、ミッドにしか住めないってわけでもないだろ
ここじゃなくたって、人が住んでいる世界はたくさんあるんだ」
「けど、そこが良い場所だなんて保証はないじゃないですか」
「今より悪い環境だと決まっているわけでもないだろ」
「そう、ですけど……」
マリアの表情は浮かないまま変わらない。
この、今の生活が壊れてしまうのが怖いのだろう。
思考を巡らせる。
こいつを元気付けるとしたら、どうするのが一番効果的か――
「……そうだな、ミッドに住めなくなったら地球にでも行くか。
リンディやエイミィもあそこに住んでいるんだし」
「地球に……?」
「ああ、それで聖王教会をあそこにも布教させるんだ。
新たな地で、信者を増やそうっていう計画。
異世界から教徒が教えを広めにやってきたなんて、面白いと思わないか?」
「地球で聖王教会を……」
「まあ、あそこにも宗教は色々あるんだ。
でも、うちの奴はそんなに取っ付きにくくないし、多分あっちでも受けはいいぞ」
マリアが感心しながら聞いている。
普段のこいつなら、完全に興味を持たないような下らない話題。
それでも、今はこの話に耳を傾けてくれている。
話を広げ、創造する。この、絶対に叶うことの無い未来を。
「海鳴っていう場所があってな。そこに新しく聖王教会の本部を建てるんだ。
それで、あそこになのはの家族がやってる喫茶店があるから、そこと提携しよう
あの店のシュークリームは美味いから、それ目当ての信者や観光客も増えるだろうし、なのはの店の売り上げも伸びる。
結構いいアイデアだろ」
「そんなに人が増えたら、なのはお姉様のお店が大変じゃないですか?」
「なに、だったらあの店を改装すればいい。
もっと広くして従業員も増やして、そのうち支店も出して聖王教会の繁栄に力を貸してもらおうじゃないか」
「それ、なんだか物で釣って信者を集めていますよ」
「聖王教会を身近に感じてもらうだけだよ。
そのうち雑誌やテレビにも取り上げられて、大ブームになるぞ。
それでもって、新しい風を巻き起こす。
思想や生まれも関係無く、みんなで盛り上げていくんだ」
「ふふっ…そうまでなったら、もう聖王教会は関係ないじゃないですか」
やっと、笑った顔を見せた。
俺もマリアも、そんな事が無理なのは分かっている。
管理局や管理世界の住人と繋がりの深い聖王教会が、管理外世界に本部を置くなど出来るわけがない。
俺たちの会話は、永遠にかなうことの無い「もしも」の話。
それでも、少しでもマリアの気を紛らわせてやりたかった。
こいつには、何の心配もさせたくない。
俺たちは話を広げた。
あの時、別の場所でカリムにページを渡していれば、預言を知られるのを遅らせる事が出来たかもしれないと後悔しながら。
ベッドでマリアが眠るのを見届け、音を立てずに部屋を出る。
寝るまで一緒にいたのは久しぶりだった。
それだけあいつが思い詰めていたのだと思うと、心が痛んだ。
いつ頃からだろう。
俺とマリアの間に距離が生まれ始めたのは。
そして、そんなあいつが本心を話してくれて嬉しいと感じた自分がいる。
ああ、そうか。
ヴェロッサが言っていた通りだった。
自分を隠さなくていい。
俺たちがすべき事は、家族への理解。
預言の件が解決したら、あいつらともっと向き合ってみよう。
そうすれば、何か変わるかもしれない。
風に当たりたくなり、廊下の窓をあけた。
季節の変わり目なのが分かる、涼しい風が入ってくる。もう夏も終わりだ。
そして、もうすぐ今年の預言書ができて半年が経つ。
あの預言に書いてあることが起きるのも、そう遠くはないかもしれない。
作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル、投稿小説感想板、