魔法少女リリカルなのは Lastremote

 

 

 Stage.17 Side enemy

 

 最初に目を覚ましたとき、私は透明なガラスによって世界と遮断されていた。

薄暗い部屋の中を銀色の箱が埋め尽くしていて、白衣をきた男たちが箱の前に

立ち、世話しなく指を動かし続けていた。

 私も男たちと同じように手を伸ばそうと、指を動かそうとしてみた。だが両

手が細長い管に縛り付けられてしまっていて、ぴくりとも動かすことができな

かった。

 動かすことができたのは眼球だけ。私は唯一動かせるそれで上下左右を見回

し、必死に現在の状況を探っていった。

 おそらくどこかの研究施設なのだろう。白衣を着た人々は長らく太陽に当た

っていないらしく肌の色まで真っ白で、肉付きの悪い、運動不足の肌をしてい

た。

銀色の箱から伸びた細い管は、紙切れやほこりの溜まった地面を這っていて、

私の足元に集まってきている。

 口を開こうとすると、ぼこぼこと気泡が上がっていった。気泡が上がるとい

うことは、ここは水の中なのだろう。だが、不思議と息苦しいとは感じなかっ

た。水中でも呼吸できる方法、何か、私の知らない技術でも施しているのだろ

うか?

 周囲を探ったことで、自分がホルマリン漬けの死体のように、巨大な試験管の中に入れられていることを知った。

 気泡の音で私が目を覚ましたことに気づいた白衣の男らは、次々に私のこと

を指差し、周囲に集まってき始める。世話しなく指先を動かし紙に何かを記し

ていく様子は、まるで観察記録をつけられているようでひどく気分が悪かった。

 少し、自らのことを思い返してみる。

 セリム・フィリス。ベルカ民族の血を引く魔導師で、生まれは次元フランジ

ュ。ロストロギア関係の研究を一手に引き受けており、近年ではヒドゥンやア

ルハザードといった超古代の事象に関する研究を行なっていた。

 よし、記憶を失っているわけではないらしい。ヒドゥンを調べ、調べ……お

かしい、そこから先の記憶が途切れてしまっている。

 ヒドゥンを調べ、何かに気づいたはずだ。私の故郷、フランジュに関係して

いたような気がするのだが……。

 駄目だ。それ以前の記憶ははっきり思い出すことが出来るのに、ヒドゥンを

調べた以降の記憶を何一つ思い出すことが出来ない。

 いや、思い出せないこと自体は別にいい。おそらく、一時的な記憶の混乱に

よるものだろう。そんなことよりも、私はなぜこんな試験管のなかに、まるで

実験動物のように閉じ込められているのだろう。

 

 

 

 

 目を覚ますと、セリムはガラスケースのなかにいた。

 右腕を動かすと血管や筋肉に食い込んでいた管や針が引き千切れ、異常を感

知した機材が耳障りなブザーを鳴らしていく。

 セリムはブザーの音を気にすることもなくガラスに手をあて、内側から力を

加えていく。汚れ一つついていなかった透明なガラスが破滅的な音を上げ、手

を添えられている部分を中心に、上下左右、でたらめに亀裂が走っていく。

 その状態のままセリムがガラスを強く押すと、ダムが決壊するようにケース

が砕けガラス片が床に散らばっていく。ケースのなかでセリムが浸かっていた、

粘り気のある黄色い液体が床に流れ落ちていき、何一つ衣服を身につけていな

い、まっさらな姿でセリムは床に足を下ろす。

 ガラスケースの隣には鉄製の机が置かれていて、その上に一着の白衣と黒い

宝石が置かれていた。セリムは白衣に手をかけ、しばらくそれを見つめた後、

力任せに十字に引き裂いていく。黒い宝石、デバイス・クラウストルムを起動

させると、セリムはバリアジャケットをその身に纏っていく。

 機材の異常音を聞きつけブラッドが部屋に駆け込んできたのは、そのすぐ後

であった。

「あ、主。気がついたのですね」

 息も絶え絶えに、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべながらブラッドが叫ぶ。

「ああ、すまなかったなブラッド。迷惑をかけた」

 病み上がりでまだ完全ではないのだろう。セリムの声は、少しくぐもって聞

こえた。それを心配してか、ブラッドがもう少し医療カプセルに浸かっていた

ほうがいいのでは? と尋ねてみたものの、

「いや、いい。あの形状は、嫌な記憶を引き起こす」

 先ほどまで見ていた夢の内容をまだ引きずっているのだろう。手を閉じたり

開いたりを繰り返し、腕や指先の感覚を確認しながらセリムは言葉を続けてい

く。

「それより、現状はどのようになっている」

「はい。主と私とで行なった管理局襲撃より十日。高町なのはとフェイト・T

ハラオウンは意識不明の状態を保っているらしく、管理局は未だ大きく荒れて

いるそうです」

「十日か。私が目覚めたということは、高町なのはたちが復活する可能性も、

考慮に入れておいたほうがいいかもしれないな」

 言いながらセリムはクラウストルムを杖の形状に変化させ、フレームにまだ

ダメージが残っていないか確認しなおしていく。

「高町なのはが復活? 主はリンカーコアを破壊したのでしょう? ならば万

が一意識が戻ったとしても、戦闘など無理なのでは?」

「高町なのはそのものが復活する可能性は低い。が、おそらく高町なのはは再

び牙を剥いてくるだろう」

「……?」

 謎かけのようなセリムの言葉にブラッドが首を傾げると、

「それより、バルディッシュの解析はどうなっている」

 セリムは管理局襲撃の目的、ジュエルシードのデータを収集したデバイスに

ついて問いただしていく。

「はい。クアットロの手により、すでに八割方は完了しております」

「クアットロが? 解析はスカリエティに頼んでおいたはずだが」

 セリムが尋ねると、ブラッドの表情が一変する。

「実は、管理局魔導師との戦闘によりスカリエティは戦死したとクアットロか

ら報告が」

「戦死? あの男にはこの艦(ヴァルキリー)を任せておいたはず。艦の持つ絶対

の障壁が、管理局魔導師たちの攻撃により突き破られたと?」

「いえ、艦の障壁に異常はありませんでした。加えて、スカリエティが艦から

降りていたという情報もありません。何か妙なのです。もしかしたら、スカリ

エティは――」

 セリムとブラッドの会話が続いていくなか、突然に医療ルームの入口扉が開

いていく。

「はぁい、おじいちゃん。あなたの愛しき愛娘、クアットロ改めスカリエティ

ちゃんです。一週間以上も寝ちゃってて心配してたんですけど、目を覚まして

くれて嬉しいです。本当に……死んじゃうんじゃないかと思ってましたから」

 白衣を着込んだ長い髪の女性、クアットロは数体のガジェットドローンを

率いて優雅に挨拶をかわしてくる。

 クアットロがスカリエティと名乗っていることにセリムは疑問を感じたが、

戦死したスカリエティより名を継承したことをブラッドから伝えられ、一応は

納得し、頷いて見せていた。

 セリムにスカリエティ(クアットロ)のことを伝えながらも、ブラッドは両

の拳を握り締めたままスカリエティのことを睨みつけていた。主に危害を加え

ようものなら容赦なく制裁を加える。

ブラッドはスカリエティのことなど一oたりとも信用しておらず、明確に

『敵』として捉えているのだろう。

 にも関わらず、スカリエティ本人はブラッドの見せる気配になど全く気がつ

いていないようであった。あるいは気づいていて尚、それを見過ごせるほどの

余裕を持っているのかもしれない。

「ああそうそう、ブラッド様。エリオ君からお嬢様を保護したって報告が入っ

てますよ。今は近くの次元に身を潜めているんですって。でも事前準備なしで

強引にゲートを開いたものだから、転移先の座標を知ることがとっても簡単。

管理局の皆様が転移先の座標を解析していた場合、回収に行けば管理局の皆様

に確実に艦の位置が特定されてしまいますが、いかが致しましょう」

 それはブラッドに向けての質問であったのだが、それに対し真っ先に口を開

いたのはセリムであった。

「お嬢様を保護だと? まさかシンシアの身に何かあったのか」

「あ、いえいえ。大したことじゃないんです。ただ少しお出かけしていたとい

うか……それで、いかがなさいましょう?」

「ふむ、イデアの力はあとどれぐらい残っている?」

「うーん20%30%か。いずれにしろ、ヴァルキリーを転移させるのは無理そ

うですね。仮にできたとしても、そしたら『扉』を開くためのエネルギーがな

くなっちゃいます」

「ふむ、多少のリスクは残るか。だがシンシアを放っておくことはできん。保

護を最優先に考え行動しろ」

「了解。それでは艦船ヴァルキリーは、これより白馬の王子様作戦を決行しま

す。待っていてくださいお嬢様。いま、あなたの従者がお迎えに参りますよ」

 言って、クアットロは上機嫌な様子で治療室を後にする。

 扉の閉まる音が鳴り響き、周囲に静寂が広まりかけて、微かにブラッドが口

を開いていく。

「主、あの女を放置しておくのはやはり危険です。手を噛まれる前に手を打っ

ておくのが得策かと」

 内に秘めたるは、灼熱色の殺意。全てを燃やし尽くす業火の気配を漂わせ、

ブラッドは拳を握り締めていく。

「いや……スカリエティが消えた以上、艦を制御できるのはあの女だけだ。『扉』

97世界付近にある以上、足を失うわけにはいかん。それに管理局のこともあ

る。いま手駒を減らすのは得策ではない」

「……っ、ですが!」

「だからお前がいる」

 思わず声を荒立てかけたブラッドの肩に、セリムは手を伸ばしていく。

「もしものときは頼んだぞ、ブラッド」

「あ、は、はいっ」

 仕えるべき主から頼りにしていると、信頼していると、そう言ってもらえた

からだろう。ブラッドはその巨体からは考えられないほどの、幼い子供のよう

な笑みを浮かべていた。

「そういえば、保護したのはエリオと言っていたな。あの少年が我々に協力し

てくれるとは、どういう風の吹き回しだ?」

 次元クルーゼでの戦闘の後、セリムは艦船へ負傷したエリオを運び込んだ。

 運びこんだ正確な理由は不明だが、航行船の近くで気を失ったキャロと違い、

砂漠の只中で倒れたエリオは管理局の人間に発見されない危険があったため、

彼の身を案じて、というところだろう。あるいはプロジェクトFにより生み出

された存在であるエリオのことを、セリムは他人と思うことが出来なかったか

らか……。

「先ほど話したとおり、私はあのクアットロという女を信用しておりません。

艦船を抜け出たお嬢様が、ゲートを用いミッドチルダに向かったことはわかっ

ておりましたが、意識の戻らぬ主をあのような者と二人きりにすることもでき

ず、仕方なくあのエリオという少年にシンシアのことを伝えました」

「ふむ。お前が私やシンシア以外の人間を信用するとは、珍しいこともあるも

のだな」

「申し訳ありません。全て、私の独断による行動です」

 どのような裁きであろうと潔く受け入れる。ブラッドの表情は凛としていて、

そんな覚悟を決めているように感じられた。

 そんなブラッドに向けて、セリムは微かな笑みを浮かべていく。

「いや、責めているわけではない。私が不在の場合、判断は全てお前に任せる

と伝えておいたはずだからな。言うなれば興味本位。以前までのお前なら、間

違っても他人を頼るような真似はしないと思ってな。何かあったのか?」

「いえ、大したことではありません。ただ、私はミッドチルダ地上と管理局本

局での戦いにおいて、スバルという女と二度に渡り拳を交えました。スバルの

実力自体は大したものではなく、速度、火力、魔力量。全てにおいて私はスバ

ルの力を上回っていました。実際二度の戦いにおいて、私はスバルを後一歩の

ところまで追い詰めていたのですから間違いありません。しかし二度とも、ス

バルに止めを刺すまでには至りませんでした。追い詰めるたび奴に味方する者

が現れ、状況が一変したからです」

「スバル? お前を助けたときに飛び掛ってきた、短髪の女か」

「はい。管理局本局での戦いの際、私はスバルと髪の長い女の二人組と戦い、

完膚なきまでの敗北を決してしまいました。なのにいざ止めを刺そうというそ

のとき、スバルは私を庇うような言動に出ました。拳をぶつけ合うたび、私に

対する強い憎しみを指先から感じ続けていたのに、最後の瞬間になってなぜあ

のような行動に出たのか。あれ以降ずっと考えているのですが、いまだ理由は

わかりません。あれは私に対する信頼、敬意の表れだったのか、それとも殺す

価値もないと単に見下していただけなのか……」

 小さく息を飲み、ブラッドは言葉を続けていく。

「ただ、スバルは私を倒すという目的のために他人と協力体制をとっていまし

た。それゆえ私も目的のために他人と協力してみれば、あのときのスバルの感

情が理解できるかもしれない。それが、エリオを信じてみようと思った理由で

す」

「スバル、お前に影響を与えた女か」

 高町なのははフェイト・T・ハラオウンと刃を交え続けることで、フェイトに

かけられていた呪縛を開放したという。事情は違えどスバルもまた、ブラッド

と拳を交えることで、少なからずブラッドに影響を与え続けているのだろう。

「拳を交えし相手、敵にすら影響を与える少女。にも関わらずその少女自体、

力も心も完全なものではない。面白いな、スバル・ナカジマという女。揺れて

揺れて揺れて揺れて揺れて、不完全な心のその先に、その女は……何を見るの

だろうな」

 血塗られたデバイスを手にした自分に、迷うことなく真っ向から立ち向かっ

てきた少女。スバルのことを思い出し、セリムは微かに笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 第18管理世界、ブルトガング。

 鬱蒼とした樹木が果てしなく広がる、次元そのものが広大な針葉樹林と言え

るほど、緑一色に染まった小規模な次元世界である。

 哺乳類はほとんどすんでおらず、森のなかで暮らすのは大小様々な形を持つ

虫たちのみ。

 樹液をすすろうと甲殻虫たちが集まっていた針葉樹のふもとには、二人の子

供が座り込んでいた。金色の美しい髪をたなびかせた少女と短髪の少年。

 子供たちは樹木の巨大な根をベンチ代わりにしているようで、少年の足元に

は蒼銀の槍が置かれていた。

「ほら、シンシア。少し飲んでおいて」

 短髪の少年、エリオは水筒を開けて蓋に水を入れると、それを隣で休んでい

る少女、シンシアに手渡していく。エリオの顔にうっすらとした疲労感が見え

隠れてしているのは、ゲートをくぐり針葉樹林に移動してくる直前まで、ミッ

ドチルダにおいて慣れない空中戦を繰り広げていたからだろう。

「ん、ありがと……エリオ」

 シンシアはエリオから手渡された水筒の蓋を受け取って、ゆっくりと喉を潤

していく。シンシアの膝元には三角形の黄色いデバイスが置かれていて、シン

シア自身も、ミッドチルダで身に纏っていた黒のバリアジャケットを解除して

いるようであった。

 赤色のリボンがついた白地のブラウスに青地のミニスカート、焦げ茶色のブ

ーツ。彼女の服装はとても森林を歩き回れるようなものではなく、魔導師が身

なりとしてあまりに不釣合い。まるで戦いや魔法のことなど何も知らない、ど

こにでもいるような一人の少女のようであった。

「それと……ありがとね」

 シンシアの指先は小さく震えていた。キャロを傷つけ、命を奪いかけたミッ

ドチルダでの戦い。その影響が、まだ心に残っているのだろう。

「気にしなくていいよ。傷つけたり傷つけられたり、そんなことを平然とする

ことが出来る僕たちのほうが、たぶんよっぽどおかしいんだ。それより身体は

大丈夫?」

「身体? うん、平気だよ。エリオが守ってくれてたから、全然、怪我とかな

かったしね」

「そ、そっか」

 エリオの話し方はどことなくぎこちなく感じられた。怪我そのものを気にし

ているというより、身体に異常を感じるようなことはないか、そんな風に尋ね

ているようでもあった。

 腐葉土が絨毯のように敷き詰められた地面はぐっちゃりとしていて、ぬかる

んでこそいなかったものの、一歩足を踏み出すたび、靴後を地面に残し続けて

いた。

 湿り気を帯びた空気が衣服をやんわりと濡らしていくなか、エリオはシンシ

アが座る樹木の根に蒼銀の槍を突き刺す。顎を高く上げてみると、編みこまれ

た緑が視界いっぱいに広がっていた。

 目を細めると、強い陽光が降り注いでくる。

 その光が、数年前に出会った女性の姿と重なって見えて……エリオは、幼い

ころの出来事を思い出していた。

 モンディアル家の一人息子、エリオが病死した際、息子の死を受け入れられ

なかったモンディアル夫妻は違法技術にすがりついた。

 オリジナルの人間の記憶を受け継いだ、オリジナルと全く同じ人間を作り出

す技術。人間が、いや、命が生まれるために必須ともいえる行為、男女の交わ

りを無視し、怪しげな機械や薬を用いて新たな命を作り出す。

 違法技術プロジェクトFにより、エリオはもう一度この世に生を持つことが

出来た。だがプロジェクトFが、いや、技術がどれだけ発達したとしても、死

んだ人を蘇らせることなど不可能なのだ。複製をどれだけオリジナルに近づけ

ようとしても、所詮は複製。他人が他人になれないように、例え本人の記憶を

受け継いでいたとしても、記憶だけで人間を形勢することはできない。視覚、

触覚、聴覚、味覚、嗅覚。五感で物事に触れて、考えて、自分のなかで情報を

整理していく。それを何年、何十年と繰り返していくことで、初めてエリオと

いう人物が作られていくのだ。

記憶とは所詮結果論でしかなく、その結果に至るまでにどのように考え思っ

てきたのかは、結局のところエリオ本人にしかわからないのだ。そしてその過

程こそが他でもない、エリオ・モンディアルという人間を形成する根本となる。

 過程を持たず結果だけを引き継ぐことで『エリオ』は生み出された。

 『エリオ』がどれだけ死んだエリオそっくりの外見をしていようと、オリジ

ナルのエリオとは何かが違う。死んだエリオと親しかった人物であればあるほ

ど感性の違い、微妙な違和感に気づいてしまうのだろう。

 息子の死という現実を否定するために、『エリオ・モンディアル』は生み出さ

れた。だが皮肉なことに本人と全く同じ容姿・声をしているがゆえ、本来なら

一度しか味わうことのないはずの寂しさ、エリオを失ったという悲壮感をモン

ディアル夫妻は何回も、何日も、何年も味わうことになってしまったのだ。

 プレシア・テスタロッサがフェイトに対して行ったように、モンディアル夫

妻がエリオの存在の全てを否定していれば、彼らの心はもっと楽でいられただ

ろう。だがモンディアル夫妻はそこまで非情にはなれなかった。

「この子はエリオだ、この子はエリオだ」

 自己暗示をかけ続けることで、なんとか自分を見失わずにいられたのかもし

れない。

 だがそんな暗示を、研究機関の人間たちは無慈悲に踏みにじった。

プロジェクトF。特殊クローン。

研究機関の人間たちに事実を突きつけられたそのとき、モンディアル夫妻の

なかにいたエリオは本当の意味で死んでしまったのだろう。だから『エリオ』

が連れ去られそうになったそのとき、彼らは抵抗をあきらめた。いや、長年偽

り続けてきた最愛の息子の死に直面し、抵抗を起こすだけの気力が残っていな

かったのかもしれない。

 だがエリオにそんな両親の心を知るすべなどなく、捨てられた、という事実

だけが残酷なまでに心を蝕んでいってしまった。

 研究施設での非人道的な扱い、完全な監禁状態が続き、当時のエリオは星す

ら見ることができなかった。目に映るものすべてが敵であり、憎むべき対象で

あった。

 そんな重度の人間不信に陥っていたエリオを救った人こそ、他でもない後の

機動六課ライトニング隊隊長、フェイト・T・ハラオウンである。自分と同じ境

遇。いや、自分よりさらに過酷な人生を歩んできたフェイトに対し、エリオは

少しずつ心を開いていき、人を、世界を憎まなくなっていった。

フェイトはエリオが『エリオ』であることを認めてくれた。

 心まで擦り切れかけていたエリオにとって、それはどれほど嬉しいことだっ

ただろう。エリオにとってフェイトは母親、いや、それ以上の人物であったこ

とは間違いなく、だからこそエリオはフェイトの期待に応えたかった。認めら

れたかった。エリオにとって、フェイトこそが世界の全てだったのだから。

 それなのに……

 

 

 

 

――セリムは、世界を壊した。

なのにエリオはまだ世界に存在し続けている。そればかりか世界を壊した者、

セリムに手を貸そうとしている。

「バルディッシュ、シンシアのことを頼む」 

『……? 了解した』

 多少の疑問はあったのだろうが、シンシアを主とするよう設定しなおされて

いるせいだろう。バルディッシュはエリオの言葉の意味を問い詰めもせず、周

囲への警戒を強めていく。

 バルディッシュとシンシアの様子を眺め、エリオは蒼銀の槍、ストラーダ・

ラフィカを根から引き抜くと、ふわりと身体を浮き上がらせて上空へと浮かび

上がっていく。

 木の枝を身体に引っ掛けながら緑の網の合間を潜り抜けると、力強い光を放

つ太陽の下にたどり着いた。

 放たれる光はまぶしく、濡れていた身体を暖めてくれる。

 その光は、世界<フェイト>と同じ色をしているように感じられた。

 エリオにとって、フェイトは太陽だった。輝きを与えてくれる、優しい光を

注いでくれる。憧れであり目標であり、そして……初恋の人でもあった。

 幼い頃は、本当の母親のように思っていた。だけど思春期を迎え、フェイト

に対する感情が母親に向けるそれから、異性に向けるものへと変化していった。

 次元クルーゼでの戦いの後、意識の回復したエリオがセリムから聞かされた

計画。それは驚くべき内容で、同時にロストロギアの無断使用を始め、管理局

の法を幾つも破るようなものであった。

 それでも、心が揺れ動いたのは確かだった。その話が本当ならフェイトをア

リシアやプレシアに会わせられることが出来るから。母親や姉と再会すること

が出来れば、フェイトはきっと、それを喜んでくれるだろうから。

 けれど、逆を言えばそれだけだった。矛を収めセリムの元に下ったものの、

実質的な協力をしたわけではなかった。フェイトはアリシアやプレシアの死を

受け入れている。そのことはエリオにもわかっていたのだから、今更掘り起こ

すような必要もない。

 そう思い続けていたはずなのに、結果的にエリオはセリムやブラッドの行動

を止めようとはしなかった。セリムたちが襲撃事件を企てていることは知って

いたのに、エリオはそれを止めなかった。

 そしてその結果、フェイトとなのはの二人が倒れた。

例えその理由が、セリムやブラッドの言っていた通りの内容、もう一つの世

界を守るためだったとしても、セリムが世界を壊してしまったことは事実だ。

そのことは十二分にわかっているはずなのに、結局エリオはキャロや管理局と

敵対する道を、世界を壊したセリムに協力する道を選んでしまった。

 消えゆく運命にある世界は、エリオを救ってくれた世界にとてもよく似てい

たから。それはまるで、合わせ鏡のようによく似ていたから……。

「シンシアもフェイトさんも、アリシア・テスタロッサを元に作られた人造魔

導師。だから似ているのは当たり前のことなんだ。当たり前のことで、何もお

かしくなんてない。なのに、」

 ぎりりと唇をかみ締めて、エリオは太陽のほうに視線を傾けていた。

 キャロを傷つけてしまったことにあれだけの過剰反応を見せたあたり、シン

シアはフェイトと同じ、いや、もしくはそれ以上に優しい性格をしているのだ

ろう。でもシンシアはフェイトと違い活発な性格をしている。フェイトとは違

い、エリオを同年代の異性としてみてくれる。フェイトと違い……。

 フェイトとシンシアとの決定的な違い。それを意識した直後、エリオは空に

向けて吼えていた。身体のなかに溜まった鬱憤、思いをどこかに吐き出さずに

はいられなかったからだ。

「エリオーーー」

 声が聞こえてきたのは、足元に広がる森林のほうから。木々の合間から黄色

い髪を持つ少女、シンシアが飛び上がってくる。

「ほら、見てこれ。ヴァルキリーから通信が入ってきてるの」

 バルディッシュが起動し、シンシアの手元で映像が映し出されていく。

 映っていたのは身長に比べると大きめな白衣を着込んだ、腰まで伸びた長い

髪を持つ女性であった。

「やーと見つけましたよシンシアお嬢様。勝手に船から降りちゃ駄目じゃない

ですか。白馬の王子様もそんなに暇じゃないんですから、あんまり迂闊なこと

ばかりしないでくださいね。でないと、管理局の眠り姫たちみたいになってし

まいますよ?」

「あ、はい。ごめんなさい、クアットロさん」

「わかればいいんです、わかれば。あ、それと私の本名はクアットロでなくス

カリエティですから、今後はちゃんとスカリエティさんと呼んでくださいよ?」

 言って、スカリエティはシンシアの隣にエリオがいることに気づくと頬を緩

ませていく。

「あらあらあらあら、失礼しましたお嬢様。もう白馬の王子様はお越しになっ

ていたのですね。なら、ガジェ子ちゃんたちをお出迎えに行かせる必要はなさ

そうですね。でーーーは、気がすんだらお船に戻ってきてくださいね」

 スカリエティとの通信が切断されるとその途端、シンシアはあっかんべーっ

と舌を出していた。

「やっぱり私あの人きらーーい。いっつもふざけてばっかりいるんだもん。そ

れに、なんだか他のみんなのことを馬鹿にしてるみたいだし」

「まあね。僕もあの人のことはあんまり好きじゃないな。けど僕たちを心配し

てこの次元まで来てくれたんだから――」

「それはそうだけど、でも、それとは違うの嫌いなの!」

 一息に叫び続けたことで、気持ちが少し落ちついたのだろう。シンシアは声

を抑え、小さく言葉を口にしていく。

「ただ……あの人ちょっとだけ、ちょっとだけだけど、何だか寂しそうな声を

してたような、そんな気がするの」

 

 

 

 

 あとがき

 タイトルを見てもわかるとおり、今回はいわゆる『敵側』の話をお送りしま

した。セリムサイドの話はいつか書こうと思っていたのですが、読者の皆様に

スバルを始めとする管理局の人たちと同じ視点で話を楽しんでもらおうと思い、

今まではあえて敵の素性をぼかして書いていました。

 ただセリムの素性などが判明し、謎になっていた部分がある程度解けてきた

ため、そろそろいいかなーっということで今回のエピソードに踏み切りました。

 クアットロがスカリエティの名を引き継ぐ、奪うというのは最初から予定し

ていたことではあるのですが、いざ地の文におこしてみると少しわかりづらい

ですね。もう少し判りやすい書き方を考えておきたいところです。

 

 最後にちょっとした報告になりますが、最近色々忙しくなってしまったこと

もあり、執筆の時間があまり取れないため来月の更新はお休みさせてもらいま

す。読んでもらっている方々には申し訳ありませんが、18話はしばらく待っ

てください。時間はかかるかもしれませんが、この作品をきっちりと完結させ

るつもりはありますので。

 

 

 




作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板
に下さると嬉しいです。