――「ガリ」というアダ名の由来は実に単純で、あいつがガリガリだったからだ。


俺が引き取られていた孤児院は、 安定した財源がない中での施設運営だったのは確かだ。ガキ共の衣食住の確保だけで精一杯という施設で、裕福な暮らしなど到底見込めなかった。

学用品の不足も目立っていた悲惨な暮らしだったが、決して栄養のない食事だった訳ではない。最低限の暮らしは確保されており、実際俺を含めた他のガキ共はそれなりには成長していたのだ。


そういう意味では、あいつだけが"特別"だった。針金のようにやせ細った手足、青ざめた皮膚、頬が削げた顔、骨と皮だけだった身体――ガイコツと呼ばれていたのを覚えている。


一応言っておくが、孤児院側から迫害を受けていたのではない。同じ子供達から、イジメをくらっていたのでもない。院長でもない分際で、孤児院を取り仕切っていたあの母親が子供への虐待を許さなかった。

本人に問題があったのは事実だろうが、少なくとも病気の類ではなかったと思う。肉体的には大いに異常ではあったが、診断が困難で栄養状態も芳しくなかった。食こそ細いが本人は食べていたのに、肉がつかない。


こんな話を聞いたことがある。家族に愛されないで育った子供というのは、家族に恵まれた子供と比べて発育が悪くなるケースがあるらしい。愛情不足のストレスで、成長ホルモンのバランスが崩れてしまうのだ。


更に性質が悪い事に、俺と同じ捨て子の分際で俺より遥かに頭が良く、俺より早く他人に見切りをつけていた。誰に何をどう言われようと、何と思われようと一切かまわず、孤児院の中で一人生きていた。

あの母親は教育には厳しい分、育児にも厳しい。本人の主義主張には関与せず、尊重した上で人生を見極める、実に舵取りの難しい育児を行っていた。あいつの個人主義も修正されず、身体面での配慮に徹底されていた。

ガイコツなんぞと呼ばれるのも傍から見ればイジメなのだろうが、本人が全く気にしていないのだから、イジメとはならない。だからあの母親も粛清まではせず、睨みを利かせるのみだった。

こういうのは実に厄介な問題で、過度に取り締まってしまうと悪化する危険性があるし、子供の自主性も損なわれてしまう怖さがある。だから呼び名にまでは不要に干渉せず、言わせるがままにさせていた。



――当時の俺にとって、あいつのこうした事情は死ぬほどどうでもよかった。



「おい、ガリ。めしをのこすのなら、おれにくれ」

「いくらだすのかしら?」

「ただめしなのになぜかねをとるんだ、こら」

「わたしのものであって、あなたのものじゃないわ」

「くわなければごみじゃねえか」

「わたしたちなんて、しょせんごみよ」

「そういうむずかしーはなしはどーでもいいからよこせ、ガリ」

「……ねえ」

「あんだよ」


「どうして、わたしをガリとよぶの?」


「やせっぽちじゃねえか」

「みんなはがいこつとよぶわ」

「がいこつなんて、きもちわるいよびかたできるか」

「……きもちわるい?」

「ふつうにきもちわるいぞ」

「ガリだっておかしい」

「きもちわるいよりはいいだろう」

「そんなに、きもちわるいの?」


「そりゃそうだろう――おんなをがいこつなんてよべるか、きもちわるい」


「……」

「なんだよ、じっとみて」

「これ、あげるわ」

「おっ、くれるのか。いただきまーす」



「おとなになったら、はらってね」















とらいあんぐるハート3 To a you side 第十楽章 田園のコンセール 第十話







 ――久しぶりに、夢を見た。最近は夢を見る機会は結構多くあったが、全て夢だと自覚出来る現実味のある幻だった。今回見た夢は目覚めてからではないと分からない、大昔の記憶であった。

恐らくというよりほぼ間違いなく、あの馬鹿女の仕業だろう。まさか海鳴へ帰ってきて早々に、自分の母親に出迎えられるとはそれこそ夢にも思っていなかったのだ。あんな女と再会すれば、夢見だって悪くなる。

実の親にはゴミ捨て場へ捨てられて、たらい回しにされた挙句の孤児院収容。世間一般から見れば不遇な過去に思われるが、俺は特に不幸だと思った事はない。自慢出来る過去でもなく、物語にもならない。


不自由極まりない生活ではあったが、同時に自由に生きられた時代でもあった。資本主義だの、学歴社会だの言われる今の日本で、剣一本で旅出来るなんて相当の贅沢だ。剣士であることを、許されていたのだから。


巡りに巡って海鳴へ辿り着き、優しい人達と出会えて、油断ならない連中と切磋琢磨した挙句、異世界へと殴り込む。挙句の果てに人外の連中とまでやり合って、"聖王"なんぞと名乗りを上げる始末。

こういう破天荒な人生が送れているのは、親に見捨てられた過去があるからだ。昔があって、今の自分となっているのであれば、どれほど不遇であっても歓迎するべきだろう。今では、そう思っている。

騎士団だの何だのと、訳の分からん連中に取り囲まれた生活を送っているのも、過去からの延長だ。苦労も随分多いが、他人とは違った人生を送れているのであれば、自分の人生にも価値はある。


一人だった過去と違って、他人に囲まれた今は実に忙しいけれど。


「おはよう、アリサ。今日の予定を教えてくれ」

「午前中は、例の入国管理局でリンディ提督招集による捜査会議。事前に聖地における活動報告書を送っておいたけど、アンタ本人から改めて報告を聞きたいそうよ」

「……報告書を作成したお前が、直接説明してくれれば済む話じゃないか?」

「当事者はアンタでしょう、"聖王"陛下。時空管理局側も今相当ややこしい事態になっているみたいだから、顔出して意見交換した方がいいわよ」


 ローゼを聖女の護衛にしたのでひとまず身の安全は保証されたが、グレアム提督が大人しく諦めるかどうかは未知数だ。相手の出方を見る上でも、引き続き捜査チームとの連携を密にした方がいいかもしれない。

聖王教会に身柄を預けた時点でロストロギアを管理下に置いたと言えると思うのだが、奴は封印を強行するべく権力を行使したのだ。聖地でも散々妨害行為に出やがったし、動向は確認しておくべきだろう。

聖地は聖王教会の支配圏だったので、管理局のクロノ達とは連携が取れなかった。捜査官のメガーヌが都度仲介してくれていたが、互いに顔を合わせて情報交換するのも必要だな。


それに――


「俺から先に直接アリシアの事を話しておけば、クロノ達にも角が立たずに済むだろうからな」

「ダーリン、わたしの事を紹介してくれるの!?」


「絶対そういうと思ったわ、この子」


 ニュッと、竹刀袋からアリシアの可憐な顔が跳び出してきた。聖地での事件で魔物や幽霊関連の存在には過敏になっているので、入国管理局での手続き等では顔を出さないように厳命していた。

花嫁の隠蔽に本人は頬を膨らませていたが、思いがけぬ母親との対面を知って照れてしまったので結果的には正しい対応だったようだ。夢見がちな少女に見えて苦労人のアリシアは、意外と礼節を弁えている。

もう一方の母親気取りの聖女は常日頃から口出しが厳しいので、今は同類のアリシアに相手してもらっている。どっちも勘違いなのだが、母と娘という関係で、本人達はそれなりに和気藹々とやっているらしい。


――俺の竹刀で家族団欒はやめてもらいたいのだが。


「会議を終えた後、クイントさんやゲンヤさんとランチの予定」

「何で勝手に約束を入れているんだよ!?」


「自分の事を見つめ直すのでしょう。ミッドチルダへの永住はともかくとしても、シュテル達を含めてあんたの身元をきちんとしておきたいと申し出てくれているのよ」


 実を言うと、俺の戸籍については非常にデリケートな問題がある。"聖王"陛下となった俺に戸籍が必要かどうか、聖王教会で意見が二分しているのである。

聖王は教会にとって神、神様に俗世の身分など不要。管理外世界である地球を天の国と定めている聖王教会にとって、俺の戸籍は人である証明として難色を示しているのだ。

一方で聖王教会の代表である以上、きちんとした身分を持つべきというある種当然の意見も出ている。教義上は神であっても、誰がどう見ても人間なのだ。身元や身分の証明は必要という意見もある。


この問題はどちらが正しくて間違っているのか、決められないので性質が悪い。どちらの意見も宗教上でも道義上でも間違えてはいないので、どうするべきか結論は出ていない。


であればいっその事時空管理局員という最強の身元保証人をつければ、管理局との関係も強化出来るので良いという提案をクイント達が出している。一種の政略結婚みたいな感じで、個人的には微妙だけど。

ところがこの提案についても、厄介な問題が立ち塞がっている。メガーヌ・アルピーノまで養子縁組を届けているので、同じ捜査官という身分上ぶつかり合ってひたすら揉めているのだ。


婚約者及び花嫁問題があるのにその上、この母親戦争である。いっその事、全員の関係をぶった斬ってやりたい。


「そういえば、クイント達もこの町に滞在しているのか?」

「不幸中の幸いにもゲンヤさんはご意見役だったので左遷は免れたそうだけど、クイントさんは関係者だったから家族を連れて滞在しているわ」

「家族……?」


「以前に話を聞いていたでしょう。アンタやアギトの捜査協力と博士の司法取引により、戦闘機人製造工場や関連施設、研究所の一切に捜査の手が入ったのよ。
その際にチンクさん達のような人達が発見されたから、クイントさんが身元保証人となったのよ」


「……そんなに扶養家族を抱えているのなら、俺までは不要じゃないのか?」

「"長男"に期待しているらしいわよ、妹達を紹介するそうだから会ってあげなさい」


 ……何が悲しくて花嫁や婚約者、子供達まで連れているというのに、妹まで出来なければならんのか。こうなったら俺が孤児院を作って全員押し込んでやりたい、切実に。

妹達とまで言うからには、複数人のガキ共がいるのだろう。考えてみればチンク達も一シリーズだったからな、戦闘機人というのはシリーズ単位で作るのかもしれない。嫌な言い方だけど。

これ以上子供の面倒なんぞ見たくないが、戸籍問題はどうにかしなければならない。どうやら飯も奢ってくれるらしいので、話くらいはしておくかな。


妹達か……セッテのように大人しい子であればいいけど。


「午後からは、病院で検査」

「検査……? 俺は元気そのものだぞ」


「痴呆でも患ってるんじゃないの、あんた――カウセリングを受けたいと、昨日言っていたじゃない」

「あっ、そういえばそうだった」


 長い間会っていなかったバカ母にまで指摘された、剣への意欲の低下。心の問題であるのならば、カウセリングを受けるべきかと思い立ったのだ。その事をアリサに昨晩、相談したのである。

昨日の今日でもう予約を取ってくれたというのは驚きでこそあったが、別に意外でも何でもない。


どうせ予約先は、決まり切っている。


「検査予約はどうせ海鳴大学病院で午後一なんだろう」

「フィリス先生がお待ちかねよ。フィアッセさんやリスティさんとも連絡を取ったと聞いているわ」


「精神的な問題に悩んでいる俺を、精神的に疲れさせないでくれ……」


 これもまた、俺が置き去りにしてきた問題である。声が戻ったとはいえフィアッセは失恋し、リスティに至っては殺し合いにまで発展してしまった。俺はその全てを収めたが、収めただけで異世界へと行ってしまった。

人助けとはあくまで他人を助けるのが目的であり、助けた人の面倒まで見る義務はない。けれど人間関係というのはそのまま断ち切れず、続いていく繋がりでもあるのだ。

海鳴へ帰ると決断した以上は、どうしても解決しなければならない問題でもある。多分フィリスも有耶無耶になったままの関係に対して、何らかの解決を見出したいのだろう。


少なくとも一度、ピリオドを打った問題ではある。時間が少しは解決してくれていると信じたいものだ。


「夜はお姫様達が待っているので、よろしく。逃げたら会いに行くとまで言っているから、覚悟してね」

「ええい、何かと愛情の深い女共だな」


 スイッチを切るという俺の剣技も、ほぼ確実に対応されるだろう。無駄に才能や財力がある連中だ、果てしなく一方通行な通信をかましてきそうで怖すぎる。スイッチが切れない時点でもうホラーだ。

アリサから今日の予定を聞くだけで、もう既に疲れてしまった。とりあえず朝飯を皆で食べて、早速行動開始。気分転換に歩きたかったのだが、容赦なく車が用意されてしまう始末。俺は何故VIPになったのか。

体制が整えられて妹さんとアギトは護衛、午前中の警護はセッテ達騎士団。午後からは聖騎士アナスタシヤと交代、騎士団や忍者達は町の見回りを行うとの事。彼らは俺の生活環境に至るまで、徹底して守ってくれる。


つまり、一人で自由行動が一切ない――流石に気が滅入るので午前中の会議が始まるまで、入国管理局でしばしゆっくりさせてもらう事にした。護衛を連れて、施設内を歩き回る――と。



最初に発見したのは、ポケットに陣取っていたアギトだった。



「あそこ、何だか騒がしいぞ」

「どれどれ……あっ」


 ――女が、本を読んでいた。


この施設は海鳴に建設された国際文化会館。国際相互理解のための文化交流施設で、数多くの国から研究者、文化人、芸術家、企業人等が集って、情報交換等の交流を行っている。だからこそ外国人も多い。

そうした外国人が注目しているのが、一人の少女。騒ぎ立てているのではなく、魅了されている。文化や芸術を愛する彼らだからこそ、日本芸術に等しい大和撫子には目を奪われて当然だった。


背に落ちるストレートな黒髪、欠点のない顔の輪郭、美しく通った鼻すじ、血の色が透けた唇、真珠貝のように艶やかな肌。大人びた印象さえ風流な、美しい少女だった。


周囲の喧騒に左右されない理知的な物腰が、かぐや姫の如き淑女を想わせる。たとえ日本贔屓ではなくても、日本の美を感じずにはいられない瑞々しさが少女にはあった。

白旗に所属する麗しき女性陣を目の当たりにしてきたアギトも、綺麗な日本人女性を見せられて目を奪われている。あろう事か、妹さんまで何故か身を乗り出して少女の顔を伺っていた。


視線に気づいたのか少女は本から顔を上げて――俺を、見た。


「……」

「……」


 今更外国人に偏見なんぞないが、俺とて日本男児である。綺麗な日本人の女を見せ付けられたら、やはり注目してしまう。忍やアナスタシヤ達とは違う、同種ならではの魅力があるのだ。

不躾な目を向けられても、少女は特に何も言わない。平然と見返すのみだ。それだけでも胆力の強さを窺わせるが、豪胆というより知性による判断力の強さなのだろう。あらゆる対応を行えるゆえの、精神性。

そのままゆっくりと、歩み寄っていく。美しさに心を奪われたかのような行動に、アギトが目を見開いて俺を見つめている。妹さんも本当にどういう事か、そわそわし始めた。


外国人達が注目する中で――俺と少女が、向かい合った。



「まさかとは思うけど……お前、ガリなのか!?」



「……私なりに変わった自覚はあったのだけれど――唯一私を女の子として見てくれた貴方には、見透かされて当然ね」

「変わりすぎて、全く面影がねえよ。ずっと痩せっぽちのままだったのに、たった数年でどうしてそんなに変われたんだ!?」


「この数ヶ月で世界を騒がせた貴方に言われたくはないけれど、そうね――

何も言わずに出ていった誰かさんをずっと想い続けたから、とでも言っておこうかしら」


 ――愛情不足のストレスで成長ホルモンのバランスが崩れたのであれば、愛を知ってしまえば女らしさを取り戻せる。

そんな詩的なジョークを恥ずかしげもなく言えるこの女の名は、"空条 創愛(ソアラ)"



俺が昔ガリと呼んで付き合っていた女である。











<続く>








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