とらいあんぐるハート3 To a you side 第八楽章 戦争レクイエム 第二十九話





 問題山積み、悩み事多し、瀕死の重傷、と心身共に死に掛けていても、夢も見ず熟睡出来る自分の図太さに朝から苦笑してしまう。考えないといけない事は、山ほどあるというのに。

薄情な人間だと、今更のように自分を思う。友人知人を不幸に陥れても、家族に等しい人間に斬られても、安眠出来る。変わったつもりではいるのだが、本質はあまり変わっていないかもしれない。

罪悪感に傷まない心を表すかのように、身体の傷も一晩で塞がっていた。痛みの残滓はあって完全回復ではないにせよ、守護騎士シャマルの癒しの手は悪人でもきちんと治してくれていた。


身体は動き、心は落ち着いている。ならば、動くとしよう。どんなにキツイ、現実が待っていても。


「おはようございます、旦那様。朝食のお時間でございます」

「ノエルか、入っていいぞ」

「失礼いたします」


 部屋の主の許可を得て、月村家のメイドが入室して丁寧にお辞儀をする。穏やかな日本の朝にはややそぐわない、刺激的な美女。息を呑むほどの美貌が、心配げに曇らせている。

憂いの帯びた表情もまた魅力的で、脳髄まで魅了して痺れさせてしまう。皺のない地味なメイド服も、メリハリの効いたボディラインを肉感的に惹き立てていた。

これほどの美女が見せる悲しげな雰囲気を察せないほど、馬鹿な俺ではない。馬鹿げた仕草だが、気軽に手を振ってみる。


「大丈夫、身体はもう治っているよ。心配かけたな」

「お元気そうで、何よりです。忍お嬢様も気にかけておられました」

「あいつが面白がって見舞いに来る前に、とっとと起きておこうかな」

「まあ、ひどい」


 そうは言いながらも安心したのか、静かな表情に安堵の色が伺えた。数カ月程度の関係だが、ノエルとは月村のメイドという立ち位置で何ヶ月も一緒に生活しているのだ。感情表現が、分かる。

そうした交流によるものもあるが、出逢った頃に比べてノエルは少し変わったように見える。自然な表情というか、女性らしい柔和な感情を見せるようになった。

人間なら別に珍しくもないが、ノエルは自動人形。心を持った、人工物。機械に、成長という概念はない。ならば変化、もしくは変化の兆しでもあったのだろうか?


いや、待てよ。変化と、言えば――


「ノエル」

「はい、旦那様」


「……旦那様?」


「はい、旦那様」

「いや聞き返したんじゃなくて、その呼び名がそもそも何か聞いているんだけど」


 初対面時は宮本様と丁寧ながらも苗字、忍と妹さんの秘密を知った後は良介様と名前で呼ぶようになり、世界会議後こうして忍の屋敷で住むようになってまた呼称が変わった。

旦那様と聞けば、誰であろうとこの屋敷の主人を連想するだろう。月村家の現当主は月村忍であり、ノエルにとって絶対の主。断じて呼び間違えていいものではない。

忍は金持ちのお嬢様ながらも庶民的なので気さくだが、海外のカレン達ならばいかに親しくても礼儀の知らぬメイドを叱責するだろう。仲良くなれば、気さくにしていいというものではない。

そうした意味も込めて問い質したが、ノエルは少しも怯まず、そして訂正もしない。


「良介様こそ当屋敷の旦那様ですので、こう呼ばせて頂いております」

「いや、俺はあくまで部屋を間借りしているだけであって、いずれは出て行くぞ」

「お許し頂けるのであれば、どこまでもお供いたします」

「いやいや、忍をもう少し大切にしてやろうよ!?」


 どうしたんだ、ノエル。今まで俺を奉ってくれた事も多々あったが、一線はちゃんと守っていただろう。忍を蔑ろにするような真似はしなかったはずだ。

今時メイドなんて職業の一種でしかないが、ノエルにとってメイドは生き方そのものだ。ましてノエルは自動人形、主は絶対であり、変えなんてありはしない。

他の女性なら、まだ分かる。目の前の女性は、ノエルだ。ノエルほどメイドらしく、そして忠誠心の高い女性を俺は知らない。だからこそその在り方が美しく、性別問わず見惚れてしまう。

アリサをメイドとしたのも、ノエルという美しい女性をメイドにした月村への対抗心あってこそなのだ。


「ご存知かと思われますが、忍お嬢様は旦那様を随一としておられます。当家の主として相応しき御方であると」

「仮にあいつと結ばれる事があっても、婿入りしたところで月村の家は継げないだろう。夜の一族は、あくまで血統なんだから」

「では、問題ありませんね」

「しまった、動揺して余計な念押しまでしてしまった!?」


 孤児である自分では月村の家に相応しくない、で断れるのに血統にまで触れてしまった。俺の身体には忍の血だけではなく、世界各国の名家の血まで流れている。自己アピールにしかならない。

何なんだ、ノエルのこの妙なゴリ押しは。メイドは主を立て客人を迎える存在、当主の大事な客人に自分の本意を押し付けたりはしない。明らかに、逸脱していた。

彼女の粗相に失望したりしないのは、彼女の業務意識の高さを知っているから。何か理由があって、望んでいるのだと推測出来てしまう。

拒否するだけでは埒が明かないので、理由を聞いてみた。


「……先月。旦那様がテロリストの凶弾により死亡されたと、世界中でニュースが流れました」

「日本でもこぞって騒ぎ立てられたんだ。爆破テロ事件が起きた現場のベルリンでニュースとなるのは当然だな」


「旦那様がお亡くなりになられたのだと知った時、私は涙を流しました」


 主である月村忍の想い人であり、自分の知人でもある人間が死亡した。冷静沈着な女性でも、悲しみの一つを覚えるのは自然な感情だろう。人間で、あれば。

思えば、俺はノエルが自動人形であると聞いただけで、どういったタイプなのか知らない。ファリンのような自動人形のオプションではなく、ローゼのような最終機体でもない。

感情の揺れ幅――人間の脳が感じ、心が生み出す源泉を、ノエルははたして持っているのだろうか。


答えはイエスであり、ノーでもあった。


「忍お嬢様より、私は涙腺に当たる器官をつけていただいております。涙を流す行為そのものは可能なのですが――
私はお嬢様に改修されてこの世に生を為した時から一度も、泣いたことがありませんでした。

多少なりとも疑問に感じましたが、必要性も感じなかったのも事実です」


 分かる、気がする。何しろ他の誰でもない、俺自身が人でなしだ。人間でありながら、優しさといった人間らしき心を持ち合わせていない。泣くなんて、軟弱だと思っていた。

悲しみを感じたとしても自分を憐れむ為でしかなく、泣くことで何か変わるわけでもない。そんな風に思ってしまえば、心も乾いてしまうだけ。

その内どうすれば泣けるのか、分からなくなる。他人が死んでも、泣かない。しまいには、身の回りの人が死んでも他人事になる。悲しみを示す涙が、流れないから。

アリサ・ローウェルという存在を喪って、俺はようやく泣くことを思い出せた。喪ってから、ようやく悲しみを感じたのだ。人非人にも、程がある。


もしノエルが俺と同じであるのなら、それは――


「だからこそ、自分の流す涙の熱さに衝撃を受けました。貴方という存在を喪って、私は初めて貴方の存在の価値を知ったのです。
この胸の内に空いた空洞を埋めるかのように、私は涙を止めることが出来ませんでした。忍お嬢様が感じられていた悲しみを、失礼ながら共有出来たのです。


旦那様。ファリンと同じく、貴方が私を人間にしてくださいました」


   ――違う。過小評価でも何でもなく、違うと断言できる。自分は女には好かれない、などという愚にもつかない自己評価ではなく、明確にノエルの気持ちを否定できた。

ノエル・綺堂・エーアリヒカイト、この女性は元々優しい心を持っていたのだ。月村忍との日々は心を促進しただけで、本来より持っている感覚だったのだろう。

俺という存在は彼女にとって、初めての異性でしかない。忍の取り巻く人間関係があまりにも狭かったので、俺という異端児が際立って見えているだけ。


そもそも俺との交流も、忍を通じてのものだ。俺個人を意識し始めたのは、月村忍と同じ時期だろう。彼女は忍を通じて、俺を知り始めている。


ノエルの人生は、月村忍という女の人生に沿って成り立っている。忍が俺に好意を抱かなければ、彼女も俺個人を特別視したりはしない。

もしも月村忍とノエルの伝記が描かれれば、恐らくエンディングに至るまでほぼ同じ物語となるだろう。主従あってこそ、ノエルという存在が成り立つのだから。


そんな彼女の気持ちを、偽りだとは思わない。俺という人間だって、他人の支えがあってどうにか成り立っているのだから。


「ゆえに、宮本良介様こそが私の旦那様なのです」

「忍にとっても、だろう?」


「はい」


 そして、ノエルも肯定した。忍がいてこその自分であると、この思いもまた同じであると、自信を持って頷いた。人間のような、輝かしい笑顔を見せて。

旦那様か……まさか、アリサより早くそう呼ばれる日が来るとは思わなかった。ノエルのような女性に敬われて、嬉しくないはずがない。


けれど、何よりも嬉しかったのは、


「ありがとう、ノエル」

「と、いいますと?」

「俺の訃報は他人を不幸にしただけではないと、自分の想いまで告白して証明してくれたんだろう。
だから、本当に感謝している。本当は――ちょっと、朝から参っていたからな」


 体の傷は言えて、心も落ち着いている。けれど、痛い。怪我は治っているのに、痛かった。身体も心も、傷がないのに痛みを発している。

何も感じていないから、何も苦痛を覚えないのではない。他人を不幸にして何とも思わない、自分。そんな自分を思い知らされたら、ショックだって受ける。


悲しんでいる暇はないのに、なかなか起き上がれない。


「旦那様、私がついております」

「……っ」

「ヒトではない私になら、悲しみも思う存分ぶつけられるでしょう」


 優しく抱きしめてくれたノエルの感触は、朝焼けよりも温かかった。















 ――部屋の外に出ると、護衛が一人立っていた。昨晩のことは、よく覚えている。

家族に等しい人に斬られて、俺は取り乱していた。主である俺の命に背いて、彼女も取り乱していた。お互いに、言いたいことは山ほどある。


でも、必要ない。


「今日もよろしくな、妹さん」

「お任せ下さい、剣士さん」


 俺達は、忍とノエルの関係と同じだから。
















<続く>








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