とらいあんぐるハート3 To a you side 第五楽章 生命の灯火 第二十話







 暗く、重く――悲しい闇。

はやての心を投影する黒い霧は、住んでいた家を完全に飲み込んでしまった。

ずっと、一人だった我が家――

彼女にとって、自分の家は寂しいだけだったのかもしれない。

彼女一人だけの生活空間、皮肉にも彼女本人が破壊した。

夜を埋める重苦しい霧は、周囲一体を覆う。

孤独である事を、隠すかのように。

孤独である事を象徴するかのように――

全世界から自分自身を切り離して、闇の揺り篭の中ではやては眠っていた。

黒い霧は家の周囲、中庭まで恐るべき勢いで広がる…

全身傷だらけ、疲弊し切った身体で逃げ切れない。

不思議と、恐怖はなかった。

俺にとって、孤独は身近な友達。

人は孤独を不幸の代名詞の如く忌避するが、俺は好んで一人を選んでいた。

ひとりっきりの生活は悠々自適で、気ままだったから。

このまま闇に吸い込まれても、俺はきっと躊躇なく受け入れていただろう。



昔の、俺だったなら。



――黒い霧は、はやての心の影。

暴走の引き金は、ジュエルシード。

引き金に指をかけたのは、俺。

このまま、孤独に身を任せる訳にはいかなかった。

竹刀はもう持てない。

無意味な抵抗である事は承知している。

傷つき過ぎた身体に、孤独の重みは耐え切れない。

闇の重力は間もなく、俺を圧壊するだろう。

それが、どうした。

はやては、この闇の中で苦しみ続けた。



耐え続けた――ずっと、一人で。



俺は間もなく襲い掛かってくるであろう、凄まじき圧力に歯を食い縛る。

死ぬまで、足掻き続ける。

あの時ガードレールを掴んだように、竹刀を握り締めて待ち構えた。



俺は――闇に包まれて…



「――っ! 
お前まだ…」

「…ぐぅ…ぅぅぅ…!」


 闇の中の、小さな守護天使。

可憐な表情を苦悶に歪めて、チビスケが両手を広げて仄かな光を放っている。


俺の周囲に浮かぶ、朽ち果てた背表紙――


チビスケの光に反応して、背表紙のレリーフが輝きを放つ。


光が、俺を守っていた――


「馬鹿、本気で俺に付き合うつもりか!?」

「あぅぅ…わ、わたしは…

…あ、貴方なんかとは、違うんですぅ…

選んだ、人を…ぜ、絶対に守るですぅ…」


 アナザマスター。

チビスケは俺にそう微笑みかけて、共に戦う事を誓ってくれた。

勝ち目がない戦いでも…最後まで。

真の主を救う為に。

俺は、苦笑する。


――ここにも強い奴がいた。


どこまでも純真で、主を大切にする従者。

たとえ嫌いな人間でも、受け入れたのなら守る。

俺のように、逃げたりしない。

絶望に満ちた夜の世界で、俺が掴んだ小さな光。

ジュエルシードのような紛い物ではなく――


――俺は本当のお宝を、手に入れたのかもしれない。


「何をニヤニヤ笑ってるですかぁ!?
貴方が駄目駄目マスターだから、私が苦労してるんですよぉ!」


 汗を滲ませて怒るチビスケを、俺は心から可愛く思えた。

上っ面だけ綺麗な女より、遥かに上等な女の子だ。

一生懸命さが、何より好ましい。


…和んでる場合じゃねえけどな。


「…どのくらいもちそうだ?」

「うー、目覚めの前に切り離されて、殆ど魔力がありませんですぅ…
全666頁が白紙の状態、守護騎士プログラムは停止中。
マイスターは眠ったまま、管制人格はマイスターを守るのに精一杯。

あぅあぅ、死にたくないですぅ…」

「タフなのか、ひ弱なのか、はっきりしろよお前…」


 頭痛がする、色々な意味で。

とりあえず何処からつっこめばいいんだ、こいつの今の台詞。

時間がないっぽいので、手っ取り早く行こう。

情報がまるで周囲の闇のように頭の中で渦巻いていて、はっきりしない。


「質問に答えろ。
書ってのは――はやてが持ってたあの本か?」


 はやての家に初めて行った時、あいつの部屋で見つけた分厚い本。

珍しい古書で中身を確認しようとすると、手を挟まれた。


――不気味な本だと、内心思っていたが…


チビスケは早くも青ざめた顔で、語りかける。


「そうですぅ。あの本は夜天の――っ」

「お、おい!?」


 一瞬光を失って、チビスケが――消えかけた。

咄嗟に手を伸ばそうとした自分に驚く。

チビスケは瞬時に己の姿を取り戻したが…半透明になっていた。

まるで蜃気楼のように存在が薄く、顔色も悪い。



…気付く。



弱まり続けている光――

闇色の絶望が俺の周囲を蝕んでいくのと同時に、背表紙のレリーフに亀裂が生じている。

絶句する俺に、チビスケは照れたように笑う。


「てへへ…

ちょ、ちょっとだけ、無理しちゃいましたですぅ…ハァ、ハァ…」


 ――霞んだ微笑みが、俺の胸をえぐる。

普段なら映像だの何だの言う俺が、まるで乳臭いガキの様にうろたえてしまっている。

どうして、目を逸らす?

何故、現実を受け入れようとしない…?


切った頁、封印された古書、こいつの存在、所有者のはやて――


チビスケは――ミヤは、あの本から生まれた。

本が所有者のはやてを守り、切り離された頁が家族の俺を守っている。

千切れた頁は、もう本ではない。

本という媒体から離れたチビスケは、紙切れ同然の存在。

花が地面から無理やり切り離されたらどうなるか――分かってるだろう、俺?


――枯れるしかない…


「もうやめろ、チビスケ。――もういいから」

「…よくないですぅ」


 首を振る。

くそったれな意地は――俺のように、頑なだった。


「貴方が居る限り…マイスターは、まだ大丈夫なんですぅ…

居なくなったら、マイスターはもう…

だから、だから――約束して下さいですぅ。


もう悲しませないって…


…御願いしますですぅ」


 こいつはどこまでも――


所有者の事を第一、役目を終えれば消えていく運命。

俺達人間のエゴから生み出されて、使い捨てられる宿命を背負っている。

ただ、従順に。



…畜生…どいつも、こいつも…



どうしてこの街は、俺より強い奴ばっかりなんだ!

悔しくて…悲しくて、仕方がない。

キッと、前方を睨む。

はやてが居る場所は、家の中。

状況は、圧倒的に不利。


――だけど…だけど!


「――っ、ど、何処行くですかぁ!?」


 歩みだした俺の背に、慌てて声をかけるチビスケ。

俺は足を止めないまま、一言だけ呟いた。


「あの災害女のところに決まってるだろ」

「結界から外に出たら死にますぅ! やめて下さい!」

「やだね」


 こいつの気持ちは、嬉しい。

俺の事が大嫌いなのは本当だろうが、それでも守り続けてくれた温情には感謝している。


でも――俺にだって、譲れない気持ちはある。


俺は他人なんか、どうだっていい。

世界の何処で誰がくたばろうと、嘆き悲しんで不幸になろうとせせら笑える男だ。

自分が幸せなら、それでいい。


「いい加減にしてくださいですぅ!
わたしが何の為に一生懸命こうして――」

「俺はな!!」


 ――逆に。

俺が悲しいのは、嫌なんだ。


「お前を、死なせたくないんだよ!」

「なっ――」

「俺を一生懸命守ってくれている奴を、死なせてたまるか。
借りは返す。

――お前の主は、俺が助けてやる」


 人助けじゃない。

助けてくれた恩を返すために、俺も助けるだけ。

これは貸し借りの問題だ。

俺の生き方とは違う。


「わ、わたしは…貴方が嫌いだって、そう言って…」

「…俺は。

別に、嫌いじゃねえよ」


 身体は傷つき、心は崩壊寸前まで堕ちた俺。

今もきっと、狂ったまま。

異常な世界に酔っ払って、意味不明な事を叫んでいる。


さあ――酔いが醒めない内に、馬鹿な事をしに行こう。


俺は光のサークルから一歩外へ――



「――助ける方法は、あります」

「…?」



 足を、止める。

冗談や強がりとは違う、真剣な声――

血に濡れた右目を拭い、俺は片目をチビスケに向ける。

夏の夜の蛍のように…チビスケはもう、消滅寸前だった。


「わたしの本体は、マイスターが抱く"夜天の魔導書"。
白紙の状態で分断されたわたしに、魔導技術の行使は出来ません。

――でも、若干ですが魔力の発動を行えます。

貴方は魔法はおろか、魔力の感知も出来ない。

――でも、健全な肉体と精神を持っています。

つまり――」

「――互いに、協力しようって事か?」


 魔力とか魔法とか鬱陶しい事は無視して、俺は尋ね返す。

聞き返してなんだが、異論はなかった。

元々、他の誰かに任せて自分はのんびりってのは性に合わない。

無論他人任せで楽するのは大好きだが、これは俺の戦いだ。

俺が少しでも協力することで、チビスケやはやてが助かるなら言う事は何もない。


「はいですぅ、よく聞いて下さい。
これからわたしは――

――貴方の精神にダイブします」

「精神に…?」


 チビスケはちょこんと可愛らしく頷く。


「貴方の精神に直接アクセスして、魔力の管制と補助を行いますですぅ。
魔力の行使は術者の精神や資質、遺伝的素養に基づきますが…

その点は、安心して下さいですぅ。

へっぽこさんの貴方でも、わたしがいれば一人前になれますぅ」

「こんな状況じゃなかったら、てめえを竹刀で殴ってたが…まあいい。

ようするにお前は俺に取り憑くことで、互いの利点が生かせるわけだ。

俺はこの光の力を、お前は堅牢にして磐石なこの肉体と精神を使うって事だろ?」

「こんな状況じゃなかったら、思いっきり文句を言いたいですけどぉ…まあいいですぅ。

でも、取り憑くって言い方はやめて下さい。

貴方とわたしが融合して、マイスターを助けるんですぅ!」

「分かった、分かった。じゃあ、さっさとやろうぜ」


 見栄や意地も吹き飛んだ。

このまま俺一人戦っても、誰も助けられない。

これ以上無茶すれば、チビスケの命も危ないんだ。

融合でも、合体でも、好きにしてくれ。

覚悟を決めて言ってやったのに――チビスケに、不安の色。


「…何だよ…、時間がないって言ったのは、お前だろ。
まさか服が邪魔とか…?」

「ぬ、脱がないで下さい!? あのですね…その。

この方法は、危険なんですぅ…」


 ――何故、最初から言い出さなかったのか?

あえて指摘しなかった疑問を、チビスケは自ら明かした。

言わなければ、無条件で身体を差し出していたのに。


「…まず、融合化の成功率はとても低いですぅ。

貴方は――マイスターじゃない」


 俺はあくまで、仮。

はやてを取り戻すまでの、拙い共同戦線。

信頼関係はおろか、お互いの事は何も知らない。


「融合には特別な適性が必要とされますぅ。
無理なアクセスや強引な接触を試みた場合――

――どちらも、無事には済みません。

特に術者の貴方は、精神障害や肉体への悪影響。
少なくとも、融合化における変調は確実に訪れますですぅ。
貴方という一要素に、わたしという要素が融合するので…

…最悪、わたしとあなたの精神が衝突して…消えてしまう可能性も…」


 一つの身体に、二つの精神が内在する――

それは、人間と言う存在を生み出した母なる世界への反抗を意味する。

健全な肉体に宿るのは、あくまで健全な一つの精神だ。

多重人格や分裂症状とは、訳が違う。

完璧に、赤の他人が自分の中に入ってくる。

人間はデリケートだ。

型が違うだけで、他人の血や臓器すら激しい拒絶反応を起こす。

心がどれほど受け入れても、肉体が反発するのだ。

だからこそ、病院側は厳重な検査や調整を行う。

逆も然りだ。

肉体がどれだけ受け入れても――心が反発すれば、精神は拒否を起こす。

俺達がやろうとしている事は、検査や調節もなしに移植手術を行うのと同じだ。


特に、俺達は最悪の相性と言っていい。


俺は魔法や奇跡、幽霊や妖精等の幻想を嫌っている。

チビスケは俺を嫌っている。

俺は一人を愛している。

チビスケははやてを愛している。


結果は、見えていた…


「…まだありますですぅ。
融合化する時わたしが貴方にアクセスするように、貴方もわたしにアクセスする。

――わたしの本体は、真の持ち主以外によるアクセスを認めていません。

無理にアクセスを試みれば…

…。

…マイスターを取り込んで、転生してしまうんですぅ…」

「それって――」

「…失敗すれば、マイスターの命まで吸収されて消えます…
書は、まだ目覚めていません。

あらゆる意味で不確定で、どうなるかは本当に…」


 なんて…こった…


運命の女神は、どこまでも俺に救いの道を与えない。

死を拒絶すれば、生で俺を苦しめ続ける。


綱渡りの連続――


全身全霊を賭けて走り切っても、ゴールに優勝賞品がない可能性があるのだ。

ギャンブルは成功すれば一攫千金だからこそ、己の全てを賭けられる。

この戦いは、もう俺だけの戦いではないんだ。

失敗すれば俺とチビスケの心と身体は消滅。

仮に成功しても――はやてが消えてしまう事だって…



…くそ、くそ、くそ。



どうする――どうすればいい!


何でこんな事になった。

俺のせい? …ああ、そうだとも。

罵りたかったら、遠慮なく罵れよ。


だから、だから…どうすればいいのか、教えてくれ…


俺は、何を信じればいいんだ――?






"俺は――

俺は――赤の他人だぞ!?"

"うん、だから――

少しずつ、仲ようしていこう。

足使えへんわたしと、手使えへん良介。
友達も、家族もおらん二人や。

助け合っていこう"



 はや、て…
 


…助け合っていこう…



 ――赤の他人の俺を、心から信頼してくれたはやて。

何の保証もないのに、無垢な好意を向けてくれた。

家族と言うかけがえのない絆を、俺と結んでくれた。

そんなお前を俺は裏切ってしまったのに――お前は、それでも自分の責任だと…


…は、ははは…あははははは…


ちっぽけな、俺。

なんと、つまらない男か。

あいつはあんなに強いのに――俺はこんなにも弱い。

この期に及んで、俺はあいつをまだ信じないのか?

助かると――助けると、どうして言えない!



「――やろう」



 気付けば、俺はそう宣言していた。

恐怖は、消えている。

希望は今も尚、俺の心にはない。


――あるのは、信頼だけ。


チビスケは何かを言いかけて――静かに頷いた。

こいつもまた、覚悟を決めている。

自分の命をかけて、主を助けようとしている。



身体も心も弱い、俺。

魔力も命も弱りきった、ミヤ。



俺に魔法はなく、お前に身体はない。

未熟者同士、互いに助け合っていこう。


「では――あの剣十字のレリーフに触れて下さい。
 
貴方はわたしに、わたしは貴方へのアクセスを行いますですぅ」

「分かった」


 黒い霧はもう、俺の頬にまで触れている。

俺を包むこの光が消えてしまったら、全てが終わる。

時間はない――

感覚のない手を振り回して、光を放つレリーフに手をぶつけた。




 

――脳髄を、鷲掴みにされる。





瞼の裏側が白い炎で焼かれる。

脳の根幹を殴打する、激しい痛み。


胸の芯へ冷たく走る、急激な違和感――


狂おしい拒絶反応に嘔吐、血反吐を吐き散らす。

視界が真っ白に燃えて、身体が奥底から熱さに震える。



頭の中に押し寄せる、強大な津波…



――に使われている魔法体系は――ベルカ式は近接系――
――化しているのと比較すると、ミッドチルダ――カートリッジ――
――発射シークエンスはファ――文詠唱を必要としない発動速――



悠久の歴史を積み重ねた情報の渦が、俺のちっぽけな脳を飲み込む。

心の奥底で、甲高い悲鳴――

チビスケもまた、苦しんでいた。

本は俺を否定し、俺は本を否定する。

助けを呼ぶ声、助けを上げる声。

互いに互いを否定しながらも、助けてくれと叫んでいた。



「ぁぁ…あああああああああああああ!!」



 侵食される、魂。

決意は紙屑のように破れ、自信は粉雪のように消えていく――

俺の十数年の人生なんて、本の歴史にはまるで叶わない。

膨大な情報とプログラムを前に、俺の剣は折れてしまう。



――泣いて、泣いて、泣きまくった…



この苦しみから逃れられるなら、土下座も平気で出来る。

運命の女神に、許してくださいと頭だって下げられる。

あれほど、誓ったのに。

こんなにも、助けたいと思っているのに――

結局、どこまでも俺は弱かった。

心は脆く崩れ落ち、醜い身体は血と泥に濡れて倒れる。

真っ白な、痛みに焼かれて――



何もかも、白く、白く…消えて…



…。

































――柔らかな、感触…



真っ黒な俺の手に、白い指先がそっと触れる。

握り締めるその手の平はどこか冷たく――優しい…


顔を向ける。


白く染まった世界で――紅き瞳が、美しく輝いていた。

懐かしき、少女。

いつも俺に、心からの微笑みを向けてくれる女の子。



――月、村…



私が傍にいるよ――その笑顔が勇気付けてくれた。



流れる血が、とても温かい――



――俺はしっかりと、背表紙を握り締めた。

もう、離さない。

俺は、お前。

お前は、俺だ――



「往くぞ、ミヤ」

"はい、アナザーマスター・リョウスケ" 



 偽りの主に、聖なる誓いは許されない。

飾り気のない言葉のみを互いに、俺達は笑顔を向け合った。



今、俺とミヤは一つとなる――















 ――気付けば、地面に膝をついていた。

頭痛も、身体の痛みも消えている。

余程もがき苦しんだのか、口の中に土と砂が混じっていた。

血反吐混じりの唾を吐いて、俺は起き上がる。

服の泥を払おうとして――


「――なるほど…肉体への、影響か…」


 炭化しかかっていた手が、綺麗に修復されている。

元通りに、ではない。


右腕に刻まれた、剣十字のレリーフ。


十字架の刻印は仄かな光を放ち、右の手の平に綺麗な模様を描いている。

身体の各所にも、確かな変化が訪れていた。

服や身体はボロボロだが、出血だけは止まっていた。

確実に治癒されていないが、損傷も少なくなり痛みはない。

利点は、その辺。


――無論、悪影響もしっかりあった。


「何だ、この髪は!? 明らかにテメエの髪だろうが!」

"いいじゃないですかぁ、綺麗ですよぉー"


 俺のナイスな黒の短髪が、銀蒼色のロングヘアーになっている。

背中まで伸びていて、非常に鬱陶しい。

他に影響とか出ていないだろうか…?

人生十七年、鏡を気にする年頃になった。


"リョウスケ、来ます!"


 頭の中で聞こえる、少女の警戒。

緩んだ心を引き締めて、俺は竹刀を手に取る。


――結局、俺は融合した時の事を覚えていない…


チビスケの事とかあの本の事とか、何一つ分からなかった。

闇を退けたあの力――今だけは魔法と呼んでやる――の使い方が、俺には分からない。

魔法に力が必要だと言うなら、俺は魔法使いにはなれない。



必要ない。



俺は、剣士。

魔法は使えないけど、剣は使える。

奇跡を、起こせない。


でも、人は――奇跡を願う事は、出来る。


願いが叶うように、祈る事は出来る。

俺の帰りをただ願っていたなのはに、俺は完敗した。

俺の無事を祈り続けたはやてを、俺は自分の意思で取り戻そうとしている。

ジュエルシード、願いを叶える石。

はやてに比べれば、ガラクタ以下の価値しかない。

俺は、空を仰ぎ見る。

はやての家を飲み込んで、闇は急速に拡大している――

町全体を包み込むのは、時間の問題だった。


矮小な俺なんて、あっという間に食い尽くすだろう。


でも、今は一人じゃない。


"――貴方の身体は、わたしが支えます。
貴方は、貴方の戦いを"

「口出ししないのか? 分かってきたな、俺の事」

"貴方の心を、知りましたから"


 …どういうのを、見たんだろう…?

我ながら、真っ黒な心ではないかと邪推する。

妙に優しいというか、態度が丁寧になったのが気になる。

俺は笑って――見上げる。



――世界を飲み込んでいく、絶望の闇。



 闇を払うは、光。

なのはの明るい笑顔が、浮かぶ。

もしも本当に魔法が存在するなら――あいつはきっと、光を選んでる。



暗い夜空を美しく照らし出す、星の光スターライトを――



 ――俺は一人を望む者。



八神はやてと同じ闇を抱く――孤独の剣士。

優しい人々が暮らす光の世界では生きられない。

眩しすぎて、目が開けられないから。



――だけど、優しさは知っている。



この世界が、この街が教えてくれた。

街に生きる人々が、冷たい俺を包んでくれた。

まるで――春の、そよ風のように…温かく。


イメージ、する。


優しさを持つ事は叶わないが――優しさを、武器に出来る。

奇跡なんか、望まない。

祈りを、願いに出来るから。

魔法なんか、知らない。

願いを、力に出来るから。

優しさなんか、必要ない。

俺には――優しいお前達が、いるから。

心を空白に。

はやてから貰った祈りと――俺の願いをこめて、俺は剣を掲げた。



見せてやる。



つまんねえ幻想を吹き飛ばす――



――大いなる、風を。



「――"疾風はやて"――」



 はやてだけに捧げる剣、"疾風"。

俺だけの奇跡を乗せて、激しい旋風が気高く上昇する。

頭上から迫り来る闇を、吹き飛ばす風――

旅人は風に身を任せて、孤独の旅路を楽しむ。

…どれほど重い絶望でも、同じ。

それが"はやて"であるならば、きっと誰にでも吹いてくれる。


優しさに満ちた、祝福の風を――


剣の先から吹く風は、黒い霧を鮮やかに消し去る。

中庭を綺麗にして、家内を侵食する孤独すら吹き飛ばして…



"ち、ちょっと!?

僕は彼女を守る為に此処へ残っ――うきゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!"



「…? 何か聞こえたか」

"可愛い動物さんが飛んで行っちゃいましたですぅ。
苛めちゃ駄目ですよぉー"

「どうせ野良猫かなんかだろ。知るか」


 俺はそのまま地面に転がる。


――黒い霧は、あっという間に消えた。


家の中の隅々まで浄化して、夜は落ち着きを取り戻していく。

流石に、疲れた…

俺は横倒しになって――


「――ん…?」


 ――ひらひらと舞う、一枚の紙…


優しい風に煽られて、緩やかに地面に落ちた。

確か、あれは背表紙と一緒に千切れたページ――だよな…?

何気なく拾って、俺は覗き込む。



「――っぷ…くくく…」

"どうしたんですかぁ、リョウス――え…ええええっ!?

そ、そんな…嘘…


どうして…書の頁が…書き換わって…"

「はやての願いって事かな、これは。
ははは…ほんっと、馬鹿だよあいつは…」



 これが優勝商品か、運命の女神…?


脳内で動揺するチビスケを無視して、俺は目を細める。



真っ白な紙に浮かぶ、一枚の絵――



御飯を食べる俺と、俺を見守るはやて。



はやては、本当に幸せそうな笑顔を浮かべている。

俺はきっと、不味くはないと言っているだろう。

はやてはきっと楽しそうに、俺のお代わりを待っているのだろう。



あいつの、心からの願い。



世界で一番優しい頁が、写し出されていた――




















































<第二十一話へ続く>







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