それは幼い二人にしてはとても激しく、そしてこの夜の空気よりも冷たい戦いだった。
香奈がシングルアクションで中級魔法を乱発する。一般のハンターが見たら即答しそうなその攻撃は、しかし一度たりとも祐一を掠めもしない。
祐一の作り出すオリハルコンの盾は香奈の魔法攻撃をことごとく防いでみせた。加えて、これは白兵の戦いにおいても最強の武器となる。仮に香奈が白兵戦を行ったところでオリハルコンの盾がある限り、香奈の攻撃は祐一に届きもしない。
オリハルコンはもともと硬さにものを言わせた物質だ。その用途は本来攻撃よりも防御にある。もっとも、硬すぎて溶かすことも加工する事もできないので、武器として使えるのは世界でただ一人、この相沢祐一以外にいはしないが。
 

そして、香奈と祐一の間に硬く立つオリハルコンの壁は、そのまま今の二人の状況を表していた。香奈の祐一に対する想いは、強固な壁によって阻まれ届く事はない。
 

「――――っはぁ!」
 

それでもなんとか届けと決して砕けない壁に攻撃を喰らわせる。傷一つ付かない壁はまさに鉄壁の防御だった。
 

「――――っはぁ!」
 

今度は祐一が魔法を撃つ。祐一とは違い決定的な防御手段を持たない香奈は、何度かに一度、しかし確実に傷付いていく。
それが奇妙といえば奇妙だったし、しかしそれを言うなら今こうして二人が闘っていること自体奇妙なものだった。
 

互いに望みがあった。互いに相手に幸せになってほしかったのだ。
祐一がシオンのところに行くのが祐一の幸せでないのを香奈は知っている。
香奈がシオンのところに行くのが香奈の幸せでないのを祐一は知っている。
だが、香奈は祐一にシオンのところに行くなと言うことはできない。ならばせめて、せめて自分を祐一の傍において欲しかった。それだけが、香奈が望むことだったのだ。
だがそれはできない。祐一の望みが、香奈をシオンのところへ行かせないことだからだ。
互いにもつれ合う思想は、決して一つにならないまま結局こうして互いを傷付けあう事でしか認め合う事が出来ない。同じ日同じ時同じ存在として生まれたはずの二人は、互いを想うあまり互いを傷付け合う選択を選んだ。それが、祐一には悔しくてたまらなかった。
 

だからこうして、自分の想いを魔法に乗せてぶつけ合う。殴り合いのような戦いは一見互角に見え、実際の所祐一が常にリードしていた。
瞬時にデロップでオリハルコン球を別の形へと変え、時に剣、時に盾と自分に有利は状況へことを進めていく。
これが本来の祐一の戦闘スタイルだ。祐一をここまで成長させたのは、その類稀なる頭脳と類稀なる戦闘意欲からであり、その点で言っても祐一は間違いなく天才だった。
 

勝敗など既に決まっている。否、戦いを始める前から勝敗は決まっていたのだ。
これは、香奈の言葉に心を刺され実力行使を選んだ祐一の敗北であり、祐一に自らの思いを届けられなかった香奈の敗北なのだ。
故にこれは互いが敗者であり、敗者復活戦などではない。これは単に、自分の想いが届かないことへの憤りに対する八つ当たりだ。
既に決まっている結果を前に、二人にできることはもはや何も無く、選んだ道はあまりにも哀しかった。
 

「私が――――」
 

祐一の魔法を避けた香奈が、ふらつく足で体を支えながら呟く。
 

「私が――――何したって言うのよ!」
 

あらん限りの力を込めて、魔法を何の工夫も無しに魔力のまま祐一にぶつけながら叫んだ。
 

「私が望んでいる事は、そんなにもダメな事なの!? こんなにも辛い思いをしなきゃいけないことなの!?」
 

香奈は創られた存在。ガーディアンであり、人形だ。その容姿も性格も感情も全て自在に設定できる便利な魂のある人形。
全てが相沢聖一と相沢瑠海によって構成された、ただの情報の塊。
 

だが
 

「私は、私はただ――――お兄ちゃんと一緒にいたいだけなの!」
 

涙ながらに訴えるその姿の、一体どこが創り物だというのか。
分かっている。祐一だって分かっていた。当たり前だ、祐一ほどの頭の持ち主が分からないはずが無かったのだ。
 

香奈がもし全ての感情を作られていたのなら、祐一だってもちろんそのはずだ。作られた感情に従って、香奈のようにそれだけを考えるようならば、祐一はたとえどんなことがあろうとシオンのところへ行ったりはしない。
仮に相沢夫婦が香奈に『祐一と一緒にいたい』という感情を与えていたとする。すると、それはたとえ自分が創り物だと教えられても、自分の愛して止まない兄に全てを否定されようとも一途にその感情を曲げたりはしなかった。
ならば、祐一だってその筈なのだ。祐一に相沢家やものみへの執着心があるのならば、仮にシオンに真実を教えられようとも香奈のようになんのリアクションもしなかった筈だ。
なのに今こうして自らの感情さえ押し殺して下す決断は、他でもない自分の気持ち故にだ。
 

つまり、それは自分で決めた自分の決断。誰に造られたものでもない、誰でも持っている感情なのだ。
だから香奈もそうでないはずが無い。祐一も香奈も、ただ自分と同じ存在であるお互いに激しく呼応し合い、それが結果として互いの愛情へと変わったのだ。
だからこれは絶対に偽の感情なんかじゃない。これは、紛れも無く自分の、自分だけのキモチなのだ。
きっと相沢夫婦が二人に求めたものなどただ一つだけだっただろう。
 

『私達の子供であってほしい』
 

祐一と香奈は偶然にも完璧に生まれ、偶然にこういう風に育ち、偶然に――――こういう道を選んだ。
 


――――だからこそ、許せない。
 


「――――俺は運命なんて信じない」
 

「……え?」
 

「俺がここにいることも、俺が生きていることも――――俺がこういう存在である事も、全てが神様とやらの気まぐれだとしたら、俺は神を絶対に許さない」
 

それはいつかの夜の、香奈の質問への本当の解答だった。
どうあっても運命には逆らえない。自分の全てを神様が決めているのならば、これほど生き易い世界はない。
そう言っていた何も知らない自分は、全てを知った自分になっても何も変わる事が無かった。ただ現実から逃げて逃げて、結局何も手に掴むことのできないままなのだ。
それは哀しくて悔しくて、祐一はオリハルコンの剣を振った。
 

「だから――!」
 

「きゃっ!」
 

香奈の魔法をかわして懐に潜りこんだ祐一は、そのまま香奈を押し倒した。
 

「これは神様が決めたんじゃない。俺が、自分の意志で決めるんだ」
 

そう自分に言い聞かせて、なんとか自分を保った。
本当はもっと傍にいたかった。抱きしめたかった。もっと、もっと笑って欲しかった。
だが、今の自分に果たしてそんな資格があるというのか。
 

「――――俺の、勝ちだ」
 

倒れた香奈の首筋に剣を這わす祐一は、果たして勝者か敗者か。決して折れないオリハルコンの剣は、しかしその持ち主に限界が来ていた。
どの気持ちが本当で、どの気持ちが偽りなのか。本人にすら分からないその疑問を真っ向から否定された祐一が勝利する道理などありえない。
だからこれは、香奈の首筋に剣を這わせ、抵抗できない状態にして戦闘での勝利を勝ち取った祐一の勝利ではなく、またどんなに否定されようとも決して折れることなく自分の思いを貫き通した香奈の勝利というわけでもなかった。
 

どっちもが敗者ならば、結局の所答えなど一つしかなかったのだ。
 

「…………」
 

「…………」
 

沈黙が二人を包んでいた頃、曇っていた空からとうとう雨が降り出した。
ポツポツとした雨はすぐに終わり、今度は本格的に雨が降り続いた。
大量の水が二人の体中を余すことなく濡らし、祐一の長い前髪は水を吸い込み目を隠した。
草木が揺れる。それに伴って先程よりもさらに冷たくなった空気が二人をなで、そして同時に静寂も訪れた。
言葉など、初めから要らなかった。どんな言葉を並べようともこうなることは、祐一にはもう分かっていた事だ。
実力でなら負けはしないと逃げ道を用意して、言葉では勝ち目がないからと香奈に拒否できない理由を言いつけてこうなるように仕組んだのは(その時本人がどこまで計算していたかにもよるが)、結局の所祐一だ。
 

それもこれも、全て皆のためだと自らさえも偽った。
 

救いが欲しかったわけではない。ただ悔しかったのだ。
自分が勝手に絶望し、勝手に選んだこの道のせいで自分の大切な人たちが傷付くのが、あまりにも悔しくて、そして同時に恐ろしかった。
だからあえて否定した。ものみにも香奈にも、そして聖一にも瑠海にも、皆が皆幸せになればいいと思った。俺みたいなやつの事なんて気にもしないぐらい幸せになってくれれば、それが誰にも優しく最善であると信じた。
 

ものみには香奈がいて、香奈には皆がいて、聖一と瑠海には二人がいる。それでいいじゃないか。その構図のそこに不満があるのか。
そこにはただ祐一がいないだけで、後は全て正常に機能している。ネジが一本無くなったくらいでは、不良品にはなるかもしれないが壊れたりはしない。ネジ一本で皆の幸せが買えるのならばこれほど安い買い物はない。
 

そう、救いなど初めからいらなかった。元々祐一はそういう奴だったし、それはシオンに全てを聞いた時から既に確信していたことだ。自分に救いなどなく、ならばせめて自分の大切な人にくらい救いがあってほしかった。
 

だというのに、香奈は祐一と共に行くと言った。それこそが自分の救いだと。その言葉が、今はあまりにも痛かった。
 


「ねえ――――お兄ちゃん」
 


冷たい風と共に、今度は優しい声が乗ってきた。
雨はおそらく今日一日中降り続けるだろう。それは祐一の心を表すかのように、しばらく止むことなく祐一を責め続けるだろう。
だが、それは祐一にとってはむしろプラスにしか働きはしない。
雨が降ってきて本当によかった。これが今の祐一の素直な気持ちだ。
 

何故なら、雨が降っていなければ言い訳などできないが、雨が降っているのなら、
 


「…………泣いてるの?」
 

「――――雨、だよ…………」
 


涙の誤魔化しくらいは、できるからだ。
 

ようするにそれが結論だ。言葉に表す必要など無く、その涙が、祐一の心の答えだった。
魔法を放つ必要もなかった。水掛け論をする必要もなかった。互いを否定し会う必要も、全くなかったのだ。
ポツポツと雨と共に地面に落ちる涙が、二人の気持ち。どんなに冷たい風も、冷たい言葉も、その涙が全て嘘だと教えてくれる。
 

「…………これっきりだ」
 

そう、涙なんてもう流さない。自分の心で心に蓋をしなければならない。そうしなければ、あまりにも未練が残りすぎてしまう。
だから嘘を心に貼り付ける。香奈にもものみにも、聖一にも瑠海にも未練が残らないように詮をする。
 

そこで、ハタと気付く。
 

――――…………はは、お笑いだ。
 

結局の所、ものみなんかよりも、祐一の方がずっと嘘をつき続けていたのではないか……
 


「俺が、目標になるから」
 


それは、祐一が考えうる最良の選択だった。
 

「…………え」
 

「俺が香奈の目標になる。いつか俺を越える日が来れば、その時は香奈を絶対に否定しない」
 

「ほ、本――――当?」
 

「…………ああ」
 

それは決して嘘ではない。何年か経って、香奈が祐一よりも強くなる日が来れば、その頃にはもう『いろいろと終わっている』はずだ。
そしてその頃にはきっと、香奈は祐一のことなんて忘れものみと楽しくやってくれるだろう。それでいい。それが、この世で最も幸せな光景なのだと信じたい。
 

「大丈夫、香奈なら俺なんてすぐに越す。だってお前は――――こんなにも、強いじゃないか」
 

そう、香奈は強い。強すぎて困るくらいに、強い心を持っている。
それはオリハルコンなんかよりもずっと硬く強い意志。どんなに否定されても折れない強固な壁だ。
そんな強さを持っている香奈が、祐一を越せないはずがない。
 

「お前の力はお前のものだ。使い方をよく考えるんだな。お前の力は――――きっと、誰だって救えるから」
 

そう、香奈はきっと将来誰よりも強く美しく成長する。香奈が一度笑うだけでものみも聖一も瑠海もきっと、俺のことなんてどうでもよくなるくらい幸せになれる。だから香奈も、俺のことなんて放っておけばいい。
 

それが祐一の本心だし、きっと誰にとっても優しい未来であるに違いない。
 

「俺とお前は同じように作られたかもしれないけど、でも全然違う存在だ。香奈の存在には意味がある。皆に必要とされている、強い存在だ」
 

「そんなの、お兄ちゃんだって――!」
 

「――いや、俺は違う」
 

香奈の言葉に祐一はゆっくりと首を振る。
 

「俺が生きていたって何もない。役割を果たせない機械なんていらないだろ? ――――俺みたいなスクラップなんて必要ないんだよ」
 

だから絶対に、香奈だけはスクラップなんかになってはいけない。
香奈が俺みたいな奴といると、それだけで錆び付いてしまうとでも言う風に、祐一は香奈の首に這わせていたオリハルコンの剣を元に球状に戻す。
それで最後。皮肉にも二人を唯一繋いでいたその武器さえも香奈から離れた。これが、決定的な決別だった。
 

「――――お別れだ、香奈」
 

「…………じゃあ、もう一度約束して。私がお兄ちゃんより強くなったら……」
 

「ああ、約束する」
 

「…………うん」
 

雨が降っている。冷たい風が二人を包み、何もかも支配していく。
冷たい空気だった。全てを否定しあった。ただ想いあっただけの二人が、なぜこんな道を選ばされてしまったのか。
そして、こんな状況でさえも頭にちらつくあの少女の顔が、なぜそんなにも嬉しそうなのかがわからない。
 

 
 

わからない? いや、知っている。
そう、俺はこの光景を知っている。香奈の本当の気持ちも、何故こんなことになったのかも、そしてあの少女――――月宮あゆのことも。
神器だとか精霊だとか赤い雪だとかいろいろあるが、とにかく俺は全て知っている。全てを見てきて、全てを教えられたから分かる。その中で俺は、この光景がどれほど悲しいものだったのか知っている。
 

見てきた、全て見てきた。人の死も、ガーディアンの誕生も、それに数々の殺戮も。
過去現在未来が全て一つになって混ざり合う。その中で死んだ人々も、その中で生まれた人々も全て知っている。
浜野裕也が死んだことも知ってるし、アトラシアが死んだことも知っている。
 

――――月宮あゆが死んだことも、もちろん知っている。
 


そしてこれが、
 

「さよならだ」
 

二人が兄弟として話した最後の言葉であることも、『俺』は知っている――――
 

 
 
 
 
 
 
 
 

      ◇◆◇◆
 

 
 
 
 
 
 
 
 

日が暮れて辺りが真っ暗になったところで祐一の昔話は終了した。
午後の授業をほろんどボイコットしただけあってその内容は大変ショッキングな話であったし、祐一の過去が予想以上に悲惨なものだったことや、あとは、リアが記憶している中でのシオンと全然違ったなということで驚いた。
運び込まれた秋子さんとアルクェイドの騒ぎのおかげで、夜遅くまでガーデンの図書館で話をしていても追い出されることはなかったし、幸いな事に図書館の人の出入りは皆無だった。
椅子の上でじっと何時間にも及ぶ話を聞かされた香奈は、しかし欠伸のひとつもせずに真剣に話しに聞き入っていた。それが祐一の過去を、しいては祐一を知ることだと思うと一言一句聞き逃すつもりはなかったし、それ以上に過去の傷を切り開いている祐一のほうが何倍も辛いことを知っていた。
 

喋り終えた祐一とすこし話をして、あとはお互い疲れ切った顔で分かれた。祐一はなんでこんなことを話したんだろうという自問に対する答えを必死に探しているようで、どうも納得のいかない顔だったが、香奈は違う。
収穫はありすぎるくらいあったと思うし、それになにより、祐一がそういう自分の思いだしたくない過去すらもリアに打ち明けてくれた事が嬉しかった。
 

それに、正直羨ましいとも思った。
 

祐一に言えば怒られるのだろうが、それでもそれがリアの本心だ。祐一の話を全て逃さず聞いて尚出した答えだった。
確かに祐一は辛かったかもしれない。苦しくて泣き出してしまいそうだったかもしれない。それは祐一だけに関わらずそれに関係したものみや香奈という人たちにも言えることだが、その人たち全て含めて、リアは羨ましいと思った。
 

何故なら、そこには確かな、断固たる『愛』があったからだ。
祐一も、香奈も、ものみも皆が皆、互いのことを深く愛していたからこそ違えた道だ。その愛こそがあまりにも悲しい道を歩ませた原因だとしても、愛とはそこにあるだけで充分な要素だとリアは考える。
 

それはガーディアンとして生まれ、力を求めずに一つの人として求められた祐一と香奈への憧れだ。
自分にはないもの――――自分には与えられなかったものを持っている祐一達への嫉妬だった。
 

他にも気になることはいくつかあったが、とりあえずそれはもう祐一からは聞けないだろうし、自己完結するしかないと駅前の公園のベンチで休んでいる(どういうわけか誰かが闘ったような形跡があり、それがどういうわけか祐一が闘ったあとに残る状況に酷似していたりしたが気にはしなかった)。
 

今はなんだか水瀬家に帰る気にはなれなかった。もともとあれは自分の戻る場所とは考えていない。旅(という名目)で祐一と一緒に他の国を周ったりするときに取る豪華な高級ホテル(のスイートルーム)の方がずっと居心地がよかったし、なにより水瀬家にはリアが毛嫌いする人間がいる。
 

水瀬名雪という少女は、17歳でBランクとデロップを所持するという中々優秀な成績を収めている。リアから見ればまだまだだが、それでも世間一般で見れば充分優秀だと言えるだろう。
名雪には才能があった。親からもらった才能と親からもらった愛情で成長し、大した努力もせずに今の位置にいる。
それがリアにはどうにも気に入らなかったし、宝の持ち腐れもいいところだと思った。それにとにかく人懐っこいしポケポケしているし、おそらく今後一切好感を持たないであろう人物NO1だ。
 

その母親の水瀬秋子。まあこれは別に問題なしだ。
旅(という名目)で祐一と一緒に他の国を周ったりするときに取る豪華な高級ホテル(のスイートルーム)よりも美味しい料理を出してくれるし、一応理解のある人間のようなのでこちらには苦労しない。今朝起きてみるとなにやら祐一と邪険な空気に入っていたのが気になったが、家を出る頃にはすっかりそんな空気も無くなっていた。
まあその朝から数時間後あんな形で出会う事になるなんて思いもしなかったが。
まあ、もっとも今は何者かに襲われガーデンで治療中とのことで、水瀬家にはいない。ガーデンの保健室(というよりも既に病院の域に達しているが)は下手な病院よりも設備が完備しているので心配ないと祐一は言っていた。
 

とにかく水瀬家には帰りたくない。秋子さんもいないのだし尚更戻るのは憚られる。
祐一はもう帰っているのだろうが、あそこはなんとなく温かすぎる。家族の温もりというか、今までそういうものを与えられずに育ったリアには違和感がありすぎて困るのだ。
 

『――お前には雨が似合うよ』
 

いつか祐一がそう言ってくれた。どういう意味かは分からずに聞いてみたリアに、祐一は笑いながら、
 

『――いや、お前の髪って赤いだろ? 燃えてるみたいでさ、火消しには雨が丁度いいかなっておもでぶぉっ!』
 

こんな微笑ましい(?)会話があって、リアは自分のことを『雨女』と思うようになった。
これはあだ名とはまた違う、言い得て妙な言葉だった。
リアはとにかく雨と縁がある。特に祐一が絡めば尚更だ。
 

「…………あ、そういえば」
 

リアはふと思い出す。
 

そう雨と言えば、あの日も、強い雨が降っていた――――
 

 
 
 
 
 
 

      ◇◆◇◆
 

 
 
 
 
 
 

雨が降っていた。
とにかく雨が降っていて、とにかく鬱陶しかった。
シオンに言われたとおりに西の森に足を運ぶ。もうほとんど使われていない森のようで、木や草が伸び放題でろくに整理もされていない。
空が見えないほどに高く伸びた木は視界を隠し、森の中は暗く闇を連想させる。
だがそれでいい。闇なんて今更恐ろしくもなんともないし、むしろ自分を包んでくれるのならば光であろうが闇であろうがなんだって同じ。自分を隠すという意味では闇はむしろ大歓迎だった。
 

湿った空気に湿った草を踏みしめながら歩く。どこを歩けばいいのかなんて問題じゃない。初めて来た森であろうともそんなことは関係ない。
シオンはこの森に来いと言った。定員は二人まで許すとふざけた事を言って、しかし言ったのはそれだけだ。
なら来ればいい。どうせ監視者か何かが今も祐一を監視しているに違いないし、それは当然祐一がものみなどを連れてきていないかを確認するためだろう。
馬鹿げてる。逃げ場も選択肢も与えられずにどうしてそれ以外の選択が出来るというのか。
そんな状況を作り出した張本人は未だに姿を現さず、ただ鬱陶しい雨だけがあたりを覆い隠していた。
 

寒い。そう思ったのは何故だろう。
きっと今雨が降って体を冷やしているからだろう。祐一の属性が氷である故に、祐一はあまり寒さというものを感じない体質なのだが、それにしてもこの気温は寒かった。
ティアやシオンとの戦いでボロボロになった服は風をよく通し、雨を体中に張り付かせていた。
だがそんなことは問題じゃない。重要なのはこのココロの中の虚無感だ。
 

冷たい。そう思ったのは何故だろう。
それは、きっと全てを失った祐一のココロの中の虚無感からだろう。
ものみ、香奈、聖一、瑠海。
シオン、ティア、浜野、セクト、ミリアム。
いろんな考えが頭を巡って、ろくな答えを出さないまま祐一を悩ませる。
頭が痛くなりそうなほどの苦悩で押しつぶされそうになり、祐一はそれらの考えを頭から消去しただ歩く事に没頭する。
雨も風も冷たさも関係ない。ただこうやって歩いていれば何も考えずに済むし、歩いていればいつかはシオンの仲間あたりが自分を迎えに来てくれるだろう。
 

だからただ歩く。それだけで良かった。後ろも振り向かず、過去にも振り返らず、ただ前に向かって歩いていればそれでいい。その先に絶望が訪れないようにと常に気を配りながら歩いていれば大丈夫だろうと、とにかく歩を進めた。
 


そんな虚ろな状況のままで、『それ』を見つけられたのはどういう奇跡だったのだろう。
 


地面に座り込んで雨に打たれる少女がいた。自分とそう変わらないであろう年齢の、そして自分とあまりのも似た空気のする少女。
擦り切れたバッグの中に二つのペットボトル。ボロボロの服にボロボロの赤い髪。そして、あまりも悲しげなその後姿。
 

何かが反応した。シオンを始めて見た時のように、祐一の中で何かが震える。それはガーディアンとしての祐一か、祐一としての祐一か。
とにかく祐一の中の何かが、『それ』に反応した。
 

――おい、死にたいのか?
不意に出た言葉はそんなものだった。それは別にその少女を案じたわけではなく、本当に不意に口から主の許可なしに飛び出た不届きな声だった。
だがそれはあながち間違いではないと思う。こんな寒い空気の中で蹲って雨に打たれてたんじゃ本当に死んでしまう。ただでさえその少女は――こんなにも死にそうな後姿をしているというのに。
 

……うん……死んでもいいかも
おいおい。
――そんなに簡単に死ぬもんじゃないと思うぞ?
それが本心だ。『俺でさえ』こうやって生きているのに、あんたが死ななけりゃいけない理由なんてどこにある。
 

でも……死にたい。私はもう、生きる支えが無いから……
 

少女はそう言ってしばらく動きを止めた後、ゆっくりとこちらを見た。
それと同時に響く雷鳴のおかげで辺りが光る。それで、初めて少女の顔を見た。
おそらく少女も祐一の顔を見ているだろう。お互いにお互いの顔を見つめあったまま、祐一はその少女の――――あまりに悲しすぎる顔を見て、
 


『――定員は二人まで許してやろう』
 


そんな、一番思い出したくないやつの言葉を思い出していた。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

後書き
 

どうも、今年も一年よろしくお願いいたしますのハーモニカです。
 

今回で後書き冒頭のあれやめて他のにしようと思います。残念。
まあ、というわけで中途半端にスクラップ第二部シュウリョー!
第三部はとにかく難しいです。タイミングが非常に難しい部ですので、かなり慎重にいかなければ意味のわかんない方向に逝ってしまう可能盛大!
ちなみに、第三部はホンッッットウに長い(予定)です!マジ長いです。来年の今頃に終わってりゃいいな、くらいの考えです。他の作品も書くし。
まあ、本当に描きたいのは第四部なんですがね(  ̄ー ̄)+
 

さて、第二部最後なので少し長めに第二部を思い返してみようかなとか思ってます。
 

第二部はスクラップにとっても私にとってもとても大きな話でした。
皆さんもお気づきの通り、文章構成が大きく変わったと(自分では)思っています。
それもこれも全てFate/stay night様様なのですが、とにかくあの人に近付きたくて書いてました。あの人の書き方は楽しいですね。
まあ似せようとするだけで全然似てないんですが…………(死
 

スクラップにしてもとても大きな話だったと思います。
第二部は、スクラップで最も重要な話だと思っています。
第一部は、とりあえずスクラップはこういう話だよという風に理解していくための話みたいな感じで、第三部第四部は確かに必要ですが、無くてもどうにかやっていける可能性のある話です。
が、第二部は違います。
この第二部無しにスクラップは完成しないでしょう。だからこそこんなにも更新が遅れてしまったのです(嘘)。
スクラップに出てくる主な登場人物は本当に重要人物ばかりです。そりゃそうだ。オリキャラばっかりだもん(乾いた笑)
 

しかしまあ、書いてよかったと思います。っていうか、書ききれてよかった……
初めの頃は「多分途中で終わるんじゃないかなぁ」とか思ってたんですよ。いやほんとうに。
本当によかった・・・
 

ではこの辺で。これからも応援よろしくお願いしますね!


作者ハーモニカさんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。