少年が作り出すウォータードール自体はそれほど脅威ではなかった。

操れる水は自分の体の体積分で、しかも出来る攻撃と言えば自分の体を変化させた物理的攻撃。

しかも、分身はそもそも術者が指示を出して動かすしかないので、分身と共に本体が襲ってくる事は無く、できたとしてもそれは大量の隙が生じ、加えて驚異的なものではない。

更に言えば、分身は元はただの属性だ。水だの氷だの、とにかく元となる物質はあり、それを術者が違う姿として作り出し操っているだけで、それを常に維持するのは難しい。

だから本当はもって最高三十秒以内に使い捨てすることが一般的だ。元々は相手を惑わしたりする事が目的とされた魔法だ。利点は、決して死ぬ事が無いということと、自分の属性を操るだけの魔力がある限りいくらでも量産可能ということだ。

故に、これを発動させ、それで相手を押さえ込んでとどめを刺すというのがもっともポピュラーな使い道だ。

だから、この少年が作り出す分身自体はそれほど脅威ではないのだ。

問題は、この少年が一度に大量の分身を操る事が出来て、さらに言えば分身の扱いに長け、そして攻撃を仕掛けない限り、何十秒たっても分身が死ぬ事が無いということである。

 

だから祐一は、突かれた胸を押さえながら、地面からウヨウヨと生えてくる少年と同じ姿をしたウォータードールを片っ端からなぎ払っているのだ。

 

普通に言って、少年が作り出すほどの分身ならば、祐一が本気を出してようやく二体同時に闘うことが出来るほどの実力だ。少年は明らかに分身に魔力をあまり与えていなく、極限まで手を抜いている。

間違いなく遊ばれている。だが、遊ばれている状況といえども、祐一が出来ることなどたかが知れていた。

 

ようはこの少年から逃げ出す事がこの戦闘での勝利だ。こんな奴とまともに闘って勝てる見込みなどありはしない。つまり、いかにこの少年の包囲からのがれる事が出来るかが重要になってくるのだ。

すこし向こうを見れば、香奈も同じことを考えているのか分身を魔法で撃ち落しながらどうにか逃げ出せないかと走り回る。

分身の発生する数には一定のリズムがあるようで、恐らく五秒に一体がいいところ。増えれば増えるほど不利になるのだから、出てきた端から切り落として、逃げるための作戦を考える『時間を稼ぐ』。

だがそれも時間の問題だ。いくら手加減してるといえ、分身は無限と言っていいほどの数があるだろう。

傷口を氷で塞いでいても限界があるし、分身も攻撃を仕掛けてくる。少年は相変わらず余裕の笑みでこちらを見物しているが、それもいつまでかわからない。

 

少年に魔法を撃っても意味はないだろう。どうせ地面から壁だの分身だのが現れて攻撃を防ぐのだろうし、いや、もっと言えば、分身と闘っている最中に不安定に撃たれた魔法など、少年ならば簡単に回避する事ができるだろう。

八方塞り。どうしろというのか?

だが考えるよりも今は行動に移るべきだ。出てきた分身をオリハルコンで作った剣で切り倒し続けるのにも限界があるし、体力も無くなっていく。

それに、あの水をどうにかしないことにはそもそも戦いにならない。

 

そう考えた時に祐一がぴたっと動きを止める。

 

水? 水だと?

 

「…………よし」

 

相手は恐らく水を操っているのだ。だが、操れるのは水だけだ。

ならば――。

 

祐一は分身を蹴り飛ばし、剣を抜きの構えに入る。そのまま勢いよく剣を抜き放つ。

 

「一閃!」

 

分身にではなく、少年本体に向けて剣風が飛ぶ。

しかし、少年はつまらなさそうに右手をかざす。

 

「バカが、同じことを」

 

剣風が少年に当たる前に、前方に発生した水の盾で一閃を防ぐ。

だがそれにも祐一は懲りることなく魔法をぶつける。

 

「フリーズレイン!」

 

少年の上空に十本を軽く越える氷の柱が発生する。それが一斉に少年に襲い掛かる。

しかしそれも全く動くことなく水の盾が発生し、銃弾のような氷の柱が少年に当たるよりもワンテンポ速く氷の柱全てを防ぐ。少年の周りを完璧に水が守っている状態だ。

だが、それこそがまさに祐一が望んだ展開だ。

祐一はそのまま少年に接近すると、右手で素早く魔法陣を描く。

少年の前方には少年が作り出した色の濃い紫色の水が壁を作っており、本来なれば少年が水を操る事が出来る限り誰であれ少年に触れる事すら出来はしないのだ。

しかし、祐一は特別だった。なまじ強力な水の壁を作ってしまったあまりに、祐一が接近してきた事を気配などでしか探る事が出来ず、今祐一が何をしようとしているのかを見ることが出来ないのだ。

祐一は魔法陣を描いた右手を、そのまま少年の水の盾に当てた。

 

カッ、と鋭い閃光が走る。同時に、少年の周りを冷気が支配する。

香奈が目を見開く。なるほど、その手があった。

香奈は祐一のデロップ、【変化】を知っている。祐一は物体を違う物体に変化させる事が出来るのだ。

水から氷に変化させることなど朝飯前だし、自分の属性である氷をそのまま操ることなど、祐一にとっては何でもない。

少年の周りを守っていた水が、一斉に氷に変化する。

中にいる少年は当然驚愕の表情を浮かべる。自分を護っていた水の壁がいきなり氷に変化したのだ。

しかし、祐一の攻撃はそれだけでは終わらない。

 

「まだだ」

 

もう一度魔法陣を描くと、今作り出した氷に手を触れようとする。そこにきて、ようやく少年は祐一の狙いに気付いた。

祐一が物質を好きな形に変えることが出来るのは今理解した。つまり、今あの氷を変化させればどうなるか?

四方八方から自らが作り出した強力な水が氷になったそれが、たとえば巨大な棘、巨大な剣、巨大な斧になって飛んでくる。水の防御を更に作ることは出来ない。一枚水を張った中にさらに水を張る事はさすがにできないし、そんなことをしても結局また祐一に変化させられることは目に見えている。

 

「ちぃ!」

 

少年は舌打ちをすると手をかざす。すると、祐一の前方に一体のウォータードールが作り出される。祐一が触れようとした氷の前にそれが立ちふさがり、祐一の右手を掴む。

 

「邪魔だ!」

 

祐一はオリハルコンで作った剣でそれを一掃。次に地面から生えようとしていたウォータードールにも剣を突き刺しておく。

しかしその間に祐一の後ろ数メートルの所に実に五体ものウォータードールが作り出される。

魔法陣は書きあがっている。この右手が氷に触れれば、あの少年を黒ヒゲ危機一髪状態にする事は容易だ。

しかし、祐一が氷に触れるよりも分身の方が僅かに早かった。

全ての分身の右手が剣やら針状やらに変化する。それを、風のような速さで祐一に斬りつける――!

 

 

「――フレアボム!」

 

 

少し遠くから香奈の声が聞こえたと思ったら、爆発音と共に分身が五体全て吹き飛ぶ。

香奈が、こちらに魔法を放ったのだ。

 

「フン」

 

軽い笑いが一度。祐一は心の中で香奈に礼をいいながら、しかし手は止まることは無かった。

香奈の炎の球で分身が蒸発して辺りに蒸気が散っていたが、目の前の氷の固まりはよく見えた。祐一はそのまま、右手を氷に叩き付けた。

 

カッと閃光が走り、次の瞬間、氷の塊は姿を変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「奴が負けることはまずありえないな」

 

部屋の一室、本が並べられ、高級な椅子に腰掛ける一人の男。

その部屋には似つかわしくない、よく分からない英語のつづりが書かれた服にジーパンという衣類を着るその男が言った。

 

「屋敷どころかこの一帯半径一キロに渡って強力な結界を張ってあるから誰か邪魔が入ることもないし、あいつの水の盾をそう簡単に破る事なんて出来はしない」

 

それは絶対的な自信の下に告げられた言葉だった。

 

「そもそも、あいつに勝てる奴なんてそうそういない。いや、普通に考えてタイマンであいつに勝つことは不可能なんだよ。それは……分かるだろ? あいつは人間のくせに意味不明に強い。そのくせ行動力があって人を惹き付ける。知識があり頭も回る。あいつの人生に負けなんて文字はない」

 

机の上に開いていた本をパタンと閉じる。非常に分厚い聖書のような本だったが、どうやら半日もしない内に読んでしまったらしい。この辺は彼の特技というかなんというか、だ。

 

「相沢祐一……と言いましたか、彼が『目覚める』ということはないの?」

 

綺麗な長い髪をした女性が言う。

 

「無いね。まずありえない。『アレ』はそもそも突然生まれたものだし、それになによりあいつは人間だから目覚めることはない。そりゃ目覚めたらあいつだってただでは済まないがな」

 

自信たっぷりといったように男が言う。月明かりだけでもうひとつ本を読むつもりらしい。本棚から適当に本を取る。

 

「それを引いてもあの戦闘能力はどう思う? 俺的にあの歳であそこまで闘える奴はそうそういないと思うけどな? 相沢聖一って言ったか? あいつよりは強くなるんじゃないか?」

 

「だからなんだというの? 覚醒しない彼が仲間になったところで……」

 

「まあそうなんだけどな。はっきり言ってまだ可愛い少年だ。水の盾どころか分身にてこずるだろうよ」

 

ああ、と男が何かを思ったかのように頭を振る。

 

「いや実際な、俺らのレベルになるとそれほどあの水の盾は驚異じゃない。水を操れるあいつの能力が非常に厄介だが、あの程度の水なら案外Sランクの奴なら突破できるんじゃないか? 二人居りゃ充分だ。でも、あいつはそれだけじゃないんだ。あいつにはもうひとつある」

 

「……もうひとつ、ね」

 

「ああ、もう一つの防御法。加えて決まれば一撃必殺の攻撃。あいつの能力は本当、強すぎて嫌になってくる」

 

男がすこし歯を噛む。本は開かずにそのまま机に置いた。

 

「見るかい? ほら、あそこだ」

 

男が椅子から立ち上がって女性に言う。女性は男が言う方向へ進む。そこには綺麗に区切られた窓があり、そこから中庭らしき場所が見える。

月明かりに照らされた『そこ』で、二人の男女が一つの戦いを見ている。

 

『そこ』――――遠野家の一室から、相沢祐一の姿はよく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ば……」

 

目の前の現状を見ながら、祐一が呟く。

 

「……バカな……」

 

その刹那、氷の塊から風を切って水が飛ぶ。

 

「――――!」

 

それを間一髪で回避する。

急いで剣を構える。香奈もこちらに寄ってきて氷の塊を見ている。

分身はいなくなり、あるのは目の前の紫色をした氷の塊だけだ。

普通ならば、死んだはずだ。水の盾も使えず、四方八方からの刃物などによる攻撃をかわしきることなど出来ないだろう。

死んだはずだ。もしくは戦闘不能に追い込んだはずだ。

 

では、今攻撃を仕掛けてきたのは誰なのか?

 

答えは一つしかないだろう。そう、わずかな氷の塊の隙間から見える。今まさに殺されかけていたはずであり、しかし今余裕シャクシャクに大口開けて欠伸をしている、そいつしかいないのだ。

 

「いや、実に惜しかった。ドンマイドンマイ」

 

声がする。少年にしてはすこし威圧感のある声。祐一には化け物の声も同じだ。

氷が急激な勢いで溶け始め、やがて水になり、地面に消えた。

生きていた。まるで無傷だった。

体中が紅く染まっている。そう、余す所無く、ペンキで色を塗り替えたかのようだった。

顔も、レンガのような色になり、白い少年の肌を覆っていた。

それはまるで血のように紅く、しかし、けっして血のあるべき姿では無かった。

 

「俺の能力は水を操る事だったりする…………もう分かってるよな?」

 

右手に水の塊を作りながら言う。

水、水というのは液体だ。少年が操る液体とやらに、たとえば『血液』というのは含まれるのだろうか?

まさかあの一瞬の間に、体中の血液を体に張り防御した?

しかしそんなことが――

 

「――お兄ちゃん、後ろ!」

 

香奈の声にハッとする。後ろを振り向いた。

今まさに、地面から生えたウォータードールが俺に斬りかかろうとしていた。

 

「くそっ!」

 

そのまま地面を転がる。それでなんとかその攻撃は防げた。

迂闊だ。あいつが右手に意味ありげに水の塊なんて溜めてるからそこから攻撃が仕掛けられるものとばかり思っていたが、そうだ、こいつにはこれがあったのだ。

今祐一は今までに無いほど動揺している。絶対的な死の恐怖感、それもある。だがそれ以前に、こいつからはなにか他のそれとは違うものが漂っているのだ。

そして恐ろしいのは、そのなにかに、自分のなにかが同調しているということだ。訳が分からなかったが、とにかく今こいつをどうにかしないと狂ってしまいそうだった。

 

すぐに第二激は訪れた。今地面から生えた分身にもう一匹追加を加え、右手を剣に変えて襲い掛かってきた。

祐一は右手でデロップを描く。前方に巨大な壁を作り出してそれを防ぐ。

しかしそれがまずかった。下手に前方に壁なんて作ったものだから、前が全く見えなくなってしまった。

少年はそこに攻撃を仕掛ける。

 

「水神・旋!」

 

少年が右手に溜めていたあの水の塊が姿を変える。水の竜巻としか思えないものがそのまま横に寝転んだように祐一に渦を作りながら飛んでくる。

岩の壁などあってないようなもの。粉々に吹き飛ばすと、その直線上の祐一に向かう。

祐一もそれに今気付く。デロップを書いてる時間などとんでもない。そもそもあれほどの威力のものを防げる程の物質が不足している。

避けるなどという考えは皆無だ。ならば迎え撃つか? 馬鹿馬鹿しい。一閃を撃ったところで同じだ。一閃は元々切断用のものだから、あれを切断しても意味はない。

龍の口のように自分を飲み込むだろう。

到底間に合わない。自分は、あの竜巻に飲み込まれる――。

 

そこに、一枚の紙切れが飛んでくる。竜巻の風に乗ってきたのかそれとも意図的にかは知らない。

その紙が、一瞬光って消える。

 

ドガァッ! と轟音を撒き散らしながら水の竜巻が祐一に突撃する。いや、しなかった。正確には、祐一の前方ほんの一メートルほどのところで、祐一を避けるように弾け飛んでいた。

恐ろしいほどの威力のそれが、祐一の前方に光る透明な壁のようなものに、簡単に防がれていたのだ。

 

「これは――」

 

祐一が呟く。

この結界術は知っている。まだ自分が一度も勝ったことが無いどころか、一発もくれてやる事ができていない相手の十八番だ。

いや、そういえば今日一発くれてやったか。

 

「――呪符結界?」

 

今度は少年が呟いた。

ちッ、と舌打ちをした。

 

そして聞こえる、風を切ってこちらに飛んでくる三枚の呪符の音。

 

少年が手をかざすまでも無く水の盾が発動した。が、一瞬の閃光――その呪符がいきなり爆発した。

轟音をたてながらもくもくと煙を立ち昇らせる。

その煙に隠れながら(当然少年には見えているが)、一人の少女が姿を現した。

赤とピンクが混ざったようなショートヘアーをした、祐一よりも5歳以上年上と思われる女性が、メイド服を着ながらこちらを見ていた。

 

その少女が、水の盾に一枚の呪符を貼る。

一瞬の閃光――その瞬間、水の盾がいきなり少年の後ろに移動した。

 

「おっ」

 

少年が驚愕の声を上げる。それはそうだ。自分を護っていた水の盾がいきなり少年の意志とは関係なく、しかも一瞬で移動したのだ。

これは空間移送といい、呪符を貼り付けた物を違う場所へ移動させるというものである。

ただしその量は決まっており、よくて大人一人分。

だがこれにより、少年の前はがら空きだ。

少女の手が少年に触れると同時に、少年の体が赤く染まる。それを気にすることも無く、その少女は少年に抱きついた。

途端、少女の体から煙が上がる。シューと音をたて、そして一瞬の閃光――次の瞬間盛大な音を立てて爆発した。

手榴弾を五個まとめて爆発させたような音だった。耳が痛かったし、鼓膜が破れるんじゃないかと思った。だがそれよりも、少年が気になる。あれほどの爆発ならばあの血の鎧ごと吹き飛ばせるのではないだろうか?

 

「……ものみ……」

 

言ったのは香奈だった。香奈は祐一の左側に近付いていた。

そう、今祐一に呪符結界を張ったのも、今少年を爆発の中に閉じ込めたのも、祐一の五メートルほど後ろで両手に札を構えている天野ものみだった。

 

「起爆札と札人形を組み合わせました。起爆札を五枚も使ったんです。普通なら肉片も残らないはずなんですが……」

 

ものみが言った。戦場にメイド服とはどういう了見なのか聞いてみたくなったが、だがまあメイドはメイド服を着るものですといういつものものみのあれだろう。

 

未だにモウモウと煙を立ち上らせる中で、何かが動いたような気がした。

 

「…………しつこい人ですね……」

 

「まったくだ」

 

「え、何が?」

 

ものみと祐一が言う。香奈だけ未だに理解できていないようだったが、すぐに状況を理解した。

うそ、と言う風に香奈は煙の中を見る。次の瞬間、ゴウ、と凄まじい暴風が吹き荒れ、煙が吹き飛ぶ。

煙が散り、その中で少年が平然と立っていた。

 

「いや〜、危なかった危なかった♪」

 

無傷だった。服に火傷のひとつもなく、右手で頭をぽりぽりとかき、アッハッハと笑い、語尾に「♪」をつけるくらい無傷だった。

 

「化け物ですね」

 

「心外だな、これでも人間だぜ?」

 

なんて事を言うんだ、とでも言いたげに少年がものみを見る。

その時に少年の後ろに一瞬うっすらと青白い靄のようなものが見えたような気がしたが、次に瞬きをしたときにはもう見えなくなってしまっていた。

 

「…………貴方、祐一様達が目的でしょう? しかし見たところ貴方ほどの力があれば祐一様たちぐらいすぐに殺せるはずです。しかし貴方にはそういう感じはしない。ということは、貴方は祐一様たちの力を見る、あるいはそれ以外の目的があるのでしょう?」

 

「まあ、そんなところだ」

 

ものみの考えに少年が頷く。それは先程からずっと分かっていたことだ。香奈も当然理解しているはずだ。

この少年がなんのつもりで自分達にけしかけてきたのかは分からないが、それは結局の所この少年が自分達の力を見るなどの目的があっての上の行動のはずだ。

 

「誰にも邪魔に入られたくなかったからあれほど強力で大掛かりな結界を張って他者の侵入を拒んだのでしょう? 呪符師である私ですら結界を解くのに苦労したほどです。だが甘かったですね。あれほど強力な結界だと逆に自然に気付いてしまいますよ。特に『私達』はね」

 

『私達』というところで少年が反応する。

骨董品でも見るような目でものみを見る。ああ、と一つ呟きが入った。

 

「お前、そういえば、そうだな。『天野』だったな、お前」

 

少年が一人で納得したように言う。

ふむ、と顎に手を置いて少し考えた顔をする。

 

「つまるところ、お前は俺に退いてくれ、と言いたい訳だな?」

 

「その通りです。私としては今ここで貴方と戦うことはしたくない。条件があるのなら甘んじて飲みましょう」

 

「嫌だと言ったら?」

 

少年がニヤニヤしながら言う。それは悪役の笑みというよりは、悪戯を考える子供のような笑みだった。

 

「――この身が果てるまで、貴方を殺すことを最優先事項とします」

 

瞬間、ものみの両手の全ての指の隙間にびっしりと呪符が表れる。数にして約二十枚。全て本気で爆発させればこの屋敷を崩壊させるくらいの威力はあるだろう。

しかしその状況でも、少年はククク、と笑って見せた。

 

「おーけーおーけー。分かったよ。俺もそろそろ引き際かな〜、と思ってたのよ。とりあえず『覚醒』ぽい予兆も無かったし、二人の実力も理解した。二人とも優秀じゃないか、よかったよかった」

 

何がよかったのか全く分からないが、少年は一人ニコニコと場違いにも笑っている。

 

「条件は甘んじて飲む、と言ったな? では明日、お前達が調査しようとしている森へ来い。相沢の祐一と香奈、それにお前も来ていいぞ。あとは、そうだな、一人くらい余分に連れてきてもいいだろう。それ以上はダメだぞ? ちなみに武器ももってこい。魔物とか居るかもしれないから」

 

少年のその口調は、いるかもしれないというよりも、「お前達のために魔物を放っといてやるからせいぜい頑張れ」という風に聞こえた。

 

「じゃあね〜」という陽気な声を聞いたと思ったら、次に祐一が瞬きをした間に、少年はどこかへ消え去っていた。

 

その間誰一人として喋る者はいなかった。やけに静けさを増した月の夜。祐一は訳の分からない感情を抑えながら、とりあえず自分は助かったのだと、その安堵感でいっぱいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


作者ハーモニカさんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル掲示板に下さると嬉しいです。

後書き

 

どうも、この前寝てる間にベッドから転げ落ちて、そのまま違う部屋に寝ながら移動して違う部屋で眠っていたハーモニカです。

 

少年(もう誰かを言うまでもないですが)強すぎてどうしようかと思いました。

この少年の能力は一番最初から考えていたんですが、正直ラスボス的なキャラにしてはあまり派手さにかけてありきたりで地味な能力だな〜と思っていたのですが、いざ書いてみると強すぎて逆に困りました。

最後はどうやって倒そうかと真剣に考えてましたよ。祐一の氷の能力もある意味反則気味なんですけどね。

極めて不本意ながらも、天野ものみの介入で撤退させるという方法を取りました。本当はものみとの戦いも書きたかったんですが(メチャメチャ書きたかったです)、それではいつ撤退させるんだと。

しかし久しぶりの戦闘なので気合入れてしまいました。

ああ、楽しかった(ぇ

 

ということでキャラの説明に行きたいと思います。今回はやはり相沢香奈でしょう。

 

香奈にはデロップをつけるという設定はありませんでした。デロップのネタが無くなってきているというのもありますが、もっと重要なこともあります。ネタバレ(?)になりそうなのでやめときますが。

香奈の設定は大抵変わってないですね。祐一にベッタリの美女、という設定です。全ての魔法を使いこなすという設定もそのままです。唯一違うといったらランクですね。

本当はBランクにしようと思っていたんですが、それだと祐一と余り変わらなくなってしまいます。それではいけないので(何故かは言えませんが)、一つ下げました。

 

実力で言えば多分香里と互角? 名雪よりは強いかもしれません。佐祐理さんっぽいですが、佐祐理さんとは違うところがありますね。

正直言うと香里と佐祐理さんのデロップはかなり強いと思いますので(特に佐祐理さん)。

 

香奈も祐一と同様、とりあえず書いていたキャラだったので、それほど深くは決めていませんでした。

アルクェイドと祐一の戦いの前くらいに考えたキャラです。

 

では、これからも応援よろしくお願いします!

 
  
 

少年が作り出すウォータードール自体はそれほど脅威ではなかった。

操れる水は自分の体の体積分で、しかも出来る攻撃と言えば自分の体を変化させた物理的攻撃。

しかも、分身はそもそも術者が指示を出して動かすしかないので、分身と共に本体が襲ってくる事は無く、できたとしてもそれは大量の隙が生じ、加えて驚異的なものではない。

更に言えば、分身は元はただの属性だ。水だの氷だの、とにかく元となる物質はあり、それを術者が違う姿として作り出し操っているだけで、それを常に維持するのは難しい。

だから本当はもって最高三十秒以内に使い捨てすることが一般的だ。元々は相手を惑わしたりする事が目的とされた魔法だ。利点は、決して死ぬ事が無いということと、自分の属性を操るだけの魔力がある限りいくらでも量産可能ということだ。

故に、これを発動させ、それで相手を押さえ込んでとどめを刺すというのがもっともポピュラーな使い道だ。

だから、この少年が作り出す分身自体はそれほど脅威ではないのだ。

問題は、この少年が一度に大量の分身を操る事が出来て、さらに言えば分身の扱いに長け、そして攻撃を仕掛けない限り、何十秒たっても分身が死ぬ事が無いということである。

 

だから祐一は、突かれた胸を押さえながら、地面からウヨウヨと生えてくる少年と同じ姿をしたウォータードールを片っ端からなぎ払っているのだ。

 

普通に言って、少年が作り出すほどの分身ならば、祐一が本気を出してようやく二体同時に闘うことが出来るほどの実力だ。少年は明らかに分身に魔力をあまり与えていなく、極限まで手を抜いている。

間違いなく遊ばれている。だが、遊ばれている状況といえども、祐一が出来ることなどたかが知れていた。

 

ようはこの少年から逃げ出す事がこの戦闘での勝利だ。こんな奴とまともに闘って勝てる見込みなどありはしない。つまり、いかにこの少年の包囲からのがれる事が出来るかが重要になってくるのだ。

すこし向こうを見れば、香奈も同じことを考えているのか分身を魔法で撃ち落しながらどうにか逃げ出せないかと走り回る。

分身の発生する数には一定のリズムがあるようで、恐らく五秒に一体がいいところ。増えれば増えるほど不利になるのだから、出てきた端から切り落として、逃げるための作戦を考える『時間を稼ぐ』。

だがそれも時間の問題だ。いくら手加減してるといえ、分身は無限と言っていいほどの数があるだろう。

傷口を氷で塞いでいても限界があるし、分身も攻撃を仕掛けてくる。少年は相変わらず余裕の笑みでこちらを見物しているが、それもいつまでかわからない。

 

少年に魔法を撃っても意味はないだろう。どうせ地面から壁だの分身だのが現れて攻撃を防ぐのだろうし、いや、もっと言えば、分身と闘っている最中に不安定に撃たれた魔法など、少年ならば簡単に回避する事ができるだろう。

八方塞り。どうしろというのか?

だが考えるよりも今は行動に移るべきだ。出てきた分身をオリハルコンで作った剣で切り倒し続けるのにも限界があるし、体力も無くなっていく。

それに、あの水をどうにかしないことにはそもそも戦いにならない。

 

そう考えた時に祐一がぴたっと動きを止める。

 

水? 水だと?

 

「…………よし」

 

相手は恐らく水を操っているのだ。だが、操れるのは水だけだ。

ならば――。

 

祐一は分身を蹴り飛ばし、剣を抜きの構えに入る。そのまま勢いよく剣を抜き放つ。

 

「一閃!」

 

分身にではなく、少年本体に向けて剣風が飛ぶ。

しかし、少年はつまらなさそうに右手をかざす。

 

「バカが、同じことを」

 

剣風が少年に当たる前に、前方に発生した水の盾で一閃を防ぐ。

だがそれにも祐一は懲りることなく魔法をぶつける。

 

「フリーズレイン!」

 

少年の上空に十本を軽く越える氷の柱が発生する。それが一斉に少年に襲い掛かる。

しかしそれも全く動くことなく水の盾が発生し、銃弾のような氷の柱が少年に当たるよりもワンテンポ速く氷の柱全てを防ぐ。少年の周りを完璧に水が守っている状態だ。

だが、それこそがまさに祐一が望んだ展開だ。

祐一はそのまま少年に接近すると、右手で素早く魔法陣を描く。

少年の前方には少年が作り出した色の濃い紫色の水が壁を作っており、本来なれば少年が水を操る事が出来る限り誰であれ少年に触れる事すら出来はしないのだ。

しかし、祐一は特別だった。なまじ強力な水の壁を作ってしまったあまりに、祐一が接近してきた事を気配などでしか探る事が出来ず、今祐一が何をしようとしているのかを見ることが出来ないのだ。

祐一は魔法陣を描いた右手を、そのまま少年の水の盾に当てた。

 

カッ、と鋭い閃光が走る。同時に、少年の周りを冷気が支配する。

香奈が目を見開く。なるほど、その手があった。

香奈は祐一のデロップ、【変化】を知っている。祐一は物体を違う物体に変化させる事が出来るのだ。

水から氷に変化させることなど朝飯前だし、自分の属性である氷をそのまま操ることなど、祐一にとっては何でもない。

少年の周りを守っていた水が、一斉に氷に変化する。

中にいる少年は当然驚愕の表情を浮かべる。自分を護っていた水の壁がいきなり氷に変化したのだ。

しかし、祐一の攻撃はそれだけでは終わらない。

 

「まだだ」

 

もう一度魔法陣を描くと、今作り出した氷に手を触れようとする。そこにきて、ようやく少年は祐一の狙いに気付いた。

祐一が物質を好きな形に変えることが出来るのは今理解した。つまり、今あの氷を変化させればどうなるか?

四方八方から自らが作り出した強力な水が氷になったそれが、たとえば巨大な棘、巨大な剣、巨大な斧になって飛んでくる。水の防御を更に作ることは出来ない。一枚水を張った中にさらに水を張る事はさすがにできないし、そんなことをしても結局また祐一に変化させられることは目に見えている。

 

「ちぃ!」

 

少年は舌打ちをすると手をかざす。すると、祐一の前方に一体のウォータードールが作り出される。祐一が触れようとした氷の前にそれが立ちふさがり、祐一の右手を掴む。

 

「邪魔だ!」

 

祐一はオリハルコンで作った剣でそれを一掃。次に地面から生えようとしていたウォータードールにも剣を突き刺しておく。

しかしその間に祐一の後ろ数メートルの所に実に五体ものウォータードールが作り出される。

魔法陣は書きあがっている。この右手が氷に触れれば、あの少年を黒ヒゲ危機一髪状態にする事は容易だ。

しかし、祐一が氷に触れるよりも分身の方が僅かに早かった。

全ての分身の右手が剣やら針状やらに変化する。それを、風のような速さで祐一に斬りつける――!

 

 

「――フレアボム!」

 

 

少し遠くから香奈の声が聞こえたと思ったら、爆発音と共に分身が五体全て吹き飛ぶ。

香奈が、こちらに魔法を放ったのだ。

 

「フン」

 

軽い笑いが一度。祐一は心の中で香奈に礼をいいながら、しかし手は止まることは無かった。

香奈の炎の球で分身が蒸発して辺りに蒸気が散っていたが、目の前の氷の固まりはよく見えた。祐一はそのまま、右手を氷に叩き付けた。

 

カッと閃光が走り、次の瞬間、氷の塊は姿を変えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「奴が負けることはまずありえないな」

 

部屋の一室、本が並べられ、高級な椅子に腰掛ける一人の男。

その部屋には似つかわしくない、よく分からない英語のつづりが書かれた服にジーパンという衣類を着るその男が言った。

 

「屋敷どころかこの一帯半径一キロに渡って強力な結界を張ってあるから誰か邪魔が入ることもないし、あいつの水の盾をそう簡単に破る事なんて出来はしない」

 

それは絶対的な自信の下に告げられた言葉だった。

 

「そもそも、あいつに勝てる奴なんてそうそういない。いや、普通に考えてタイマンであいつに勝つことは不可能なんだよ。それは……分かるだろ? あいつは人間のくせに意味不明に強い。そのくせ行動力があって人を惹き付ける。知識があり頭も回る。あいつの人生に負けなんて文字はない」

 

机の上に開いていた本をパタンと閉じる。非常に分厚い聖書のような本だったが、どうやら半日もしない内に読んでしまったらしい。この辺は彼の特技というかなんというか、だ。

 

「相沢祐一……と言いましたか、彼が『目覚める』ということはないの?」

 

綺麗な長い髪をした女性が言う。

 

「無いね。まずありえない。『アレ』はそもそも突然生まれたものだし、それになによりあいつは人間だから目覚めることはない。そりゃ目覚めたらあいつだってただでは済まないがな」

 

自信たっぷりといったように男が言う。月明かりだけでもうひとつ本を読むつもりらしい。本棚から適当に本を取る。

 

「それを引いてもあの戦闘能力はどう思う? 俺的にあの歳であそこまで闘える奴はそうそういないと思うけどな? 相沢聖一って言ったか? あいつよりは強くなるんじゃないか?」

 

「だからなんだというの? 覚醒しない彼が仲間になったところで……」

 

「まあそうなんだけどな。はっきり言ってまだ可愛い少年だ。水の盾どころか分身にてこずるだろうよ」

 

ああ、と男が何かを思ったかのように頭を振る。

 

「いや実際な、俺らのレベルになるとそれほどあの水の盾は驚異じゃない。水を操れるあいつの能力が非常に厄介だが、あの程度の水なら案外Sランクの奴なら突破できるんじゃないか? 二人居りゃ充分だ。でも、あいつはそれだけじゃないんだ。あいつにはもうひとつある」

 

「……もうひとつ、ね」

 

「ああ、もう一つの防御法。加えて決まれば一撃必殺の攻撃。あいつの能力は本当、強すぎて嫌になってくる」

 

男がすこし歯を噛む。本は開かずにそのまま机に置いた。

 

「見るかい? ほら、あそこだ」

 

男が椅子から立ち上がって女性に言う。女性は男が言う方向へ進む。そこには綺麗に区切られた窓があり、そこから中庭らしき場所が見える。

月明かりに照らされた『そこ』で、二人の男女が一つの戦いを見ている。

 

『そこ』――――遠野家の一室から、相沢祐一の姿はよく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ば……」

 

目の前の現状を見ながら、祐一が呟く。

 

「……バカな……」

 

その刹那、氷の塊から風を切って水が飛ぶ。

 

「――――!」

 

それを間一髪で回避する。

急いで剣を構える。香奈もこちらに寄ってきて氷の塊を見ている。

分身はいなくなり、あるのは目の前の紫色をした氷の塊だけだ。

普通ならば、死んだはずだ。水の盾も使えず、四方八方からの刃物などによる攻撃をかわしきることなど出来ないだろう。

死んだはずだ。もしくは戦闘不能に追い込んだはずだ。

 

では、今攻撃を仕掛けてきたのは誰なのか?

 

答えは一つしかないだろう。そう、わずかな氷の塊の隙間から見える。今まさに殺されかけていたはずであり、しかし今余裕シャクシャクに大口開けて欠伸をしている、そいつしかいないのだ。

 

「いや、実に惜しかった。ドンマイドンマイ」

 

声がする。少年にしてはすこし威圧感のある声。祐一には化け物の声も同じだ。

氷が急激な勢いで溶け始め、やがて水になり、地面に消えた。

生きていた。まるで無傷だった。

体中が紅く染まっている。そう、余す所無く、ペンキで色を塗り替えたかのようだった。

顔も、レンガのような色になり、白い少年の肌を覆っていた。

それはまるで血のように紅く、しかし、けっして血のあるべき姿では無かった。

 

「俺の能力は水を操る事だったりする…………もう分かってるよな?」

 

右手に水の塊を作りながら言う。

水、水というのは液体だ。少年が操る液体とやらに、たとえば『血液』というのは含まれるのだろうか?

まさかあの一瞬の間に、体中の血液を体に張り防御した?

しかしそんなことが――

 

「――お兄ちゃん、後ろ!」

 

香奈の声にハッとする。後ろを振り向いた。

今まさに、地面から生えたウォータードールが俺に斬りかかろうとしていた。

 

「くそっ!」

 

そのまま地面を転がる。それでなんとかその攻撃は防げた。

迂闊だ。あいつが右手に意味ありげに水の塊なんて溜めてるからそこから攻撃が仕掛けられるものとばかり思っていたが、そうだ、こいつにはこれがあったのだ。

今祐一は今までに無いほど動揺している。絶対的な死の恐怖感、それもある。だがそれ以前に、こいつからはなにか他のそれとは違うものが漂っているのだ。

そして恐ろしいのは、そのなにかに、自分のなにかが同調しているということだ。訳が分からなかったが、とにかく今こいつをどうにかしないと狂ってしまいそうだった。

 

すぐに第二激は訪れた。今地面から生えた分身にもう一匹追加を加え、右手を剣に変えて襲い掛かってきた。

祐一は右手でデロップを描く。前方に巨大な壁を作り出してそれを防ぐ。

しかしそれがまずかった。下手に前方に壁なんて作ったものだから、前が全く見えなくなってしまった。

少年はそこに攻撃を仕掛ける。

 

「水神・旋!」

 

少年が右手に溜めていたあの水の塊が姿を変える。水の竜巻としか思えないものがそのまま横に寝転んだように祐一に渦を作りながら飛んでくる。

岩の壁などあってないようなもの。粉々に吹き飛ばすと、その直線上の祐一に向かう。

祐一もそれに今気付く。デロップを書いてる時間などとんでもない。そもそもあれほどの威力のものを防げる程の物質が不足している。

避けるなどという考えは皆無だ。ならば迎え撃つか? 馬鹿馬鹿しい。一閃を撃ったところで同じだ。一閃は元々切断用のものだから、あれを切断しても意味はない。

龍の口のように自分を飲み込むだろう。

到底間に合わない。自分は、あの竜巻に飲み込まれる――。

 

そこに、一枚の紙切れが飛んでくる。竜巻の風に乗ってきたのかそれとも意図的にかは知らない。

その紙が、一瞬光って消える。

 

ドガァッ! と轟音を撒き散らしながら水の竜巻が祐一に突撃する。いや、しなかった。正確には、祐一の前方ほんの一メートルほどのところで、祐一を避けるように弾け飛んでいた。

恐ろしいほどの威力のそれが、祐一の前方に光る透明な壁のようなものに、簡単に防がれていたのだ。

 

「これは――」

 

祐一が呟く。

この結界術は知っている。まだ自分が一度も勝ったことが無いどころか、一発もくれてやる事ができていない相手の十八番だ。

いや、そういえば今日一発くれてやったか。

 

「――呪符結界?」

 

今度は少年が呟いた。

ちッ、と舌打ちをした。

 

そして聞こえる、風を切ってこちらに飛んでくる三枚の呪符の音。

 

少年が手をかざすまでも無く水の盾が発動した。が、一瞬の閃光――その呪符がいきなり爆発した。

轟音をたてながらもくもくと煙を立ち昇らせる。

その煙に隠れながら(当然少年には見えているが)、一人の少女が姿を現した。

赤とピンクが混ざったようなショートヘアーをした、祐一よりも5歳以上年上と思われる女性が、メイド服を着ながらこちらを見ていた。

 

その少女が、水の盾に一枚の呪符を貼る。

一瞬の閃光――その瞬間、水の盾がいきなり少年の後ろに移動した。

 

「おっ」

 

少年が驚愕の声を上げる。それはそうだ。自分を護っていた水の盾がいきなり少年の意志とは関係なく、しかも一瞬で移動したのだ。

これは空間移送といい、呪符を貼り付けた物を違う場所へ移動させるというものである。

ただしその量は決まっており、よくて大人一人分。

だがこれにより、少年の前はがら空きだ。

少女の手が少年に触れると同時に、少年の体が赤く染まる。それを気にすることも無く、その少女は少年に抱きついた。

途端、少女の体から煙が上がる。シューと音をたて、そして一瞬の閃光――次の瞬間盛大な音を立てて爆発した。

手榴弾を五個まとめて爆発させたような音だった。耳が痛かったし、鼓膜が破れるんじゃないかと思った。だがそれよりも、少年が気になる。あれほどの爆発ならばあの血の鎧ごと吹き飛ばせるのではないだろうか?

 

「……ものみ……」

 

言ったのは香奈だった。香奈は祐一の左側に近付いていた。

そう、今祐一に呪符結界を張ったのも、今少年を爆発の中に閉じ込めたのも、祐一の五メートルほど後ろで両手に札を構えている天野ものみだった。

 

「起爆札と札人形を組み合わせました。起爆札を五枚も使ったんです。普通なら肉片も残らないはずなんですが……」

 

ものみが言った。戦場にメイド服とはどういう了見なのか聞いてみたくなったが、だがまあメイドはメイド服を着るものですといういつものものみのあれだろう。

 

未だにモウモウと煙を立ち上らせる中で、何かが動いたような気がした。

 

「…………しつこい人ですね……」

 

「まったくだ」

 

「え、何が?」

 

ものみと祐一が言う。香奈だけ未だに理解できていないようだったが、すぐに状況を理解した。

うそ、と言う風に香奈は煙の中を見る。次の瞬間、ゴウ、と凄まじい暴風が吹き荒れ、煙が吹き飛ぶ。

煙が散り、その中で少年が平然と立っていた。

 

「いや〜、危なかった危なかった♪」

 

無傷だった。服に火傷のひとつもなく、右手で頭をぽりぽりとかき、アッハッハと笑い、語尾に「♪」をつけるくらい無傷だった。

 

「化け物ですね」

 

「心外だな、これでも人間だぜ?」

 

なんて事を言うんだ、とでも言いたげに少年がものみを見る。

その時に少年の後ろに一瞬うっすらと青白い靄のようなものが見えたような気がしたが、次に瞬きをしたときにはもう見えなくなってしまっていた。

 

「…………貴方、祐一様達が目的でしょう? しかし見たところ貴方ほどの力があれば祐一様たちぐらいすぐに殺せるはずです。しかし貴方にはそういう感じはしない。ということは、貴方は祐一様たちの力を見る、あるいはそれ以外の目的があるのでしょう?」

 

「まあ、そんなところだ」

 

ものみの考えに少年が頷く。それは先程からずっと分かっていたことだ。香奈も当然理解しているはずだ。

この少年がなんのつもりで自分達にけしかけてきたのかは分からないが、それは結局の所この少年が自分達の力を見るなどの目的があっての上の行動のはずだ。

 

「誰にも邪魔に入られたくなかったからあれほど強力で大掛かりな結界を張って他者の侵入を拒んだのでしょう? 呪符師である私ですら結界を解くのに苦労したほどです。だが甘かったですね。あれほど強力な結界だと逆に自然に気付いてしまいますよ。特に『私達』はね」

 

『私達』というところで少年が反応する。

骨董品でも見るような目でものみを見る。ああ、と一つ呟きが入った。

 

「お前、そういえば、そうだな。『天野』だったな、お前」

 

少年が一人で納得したように言う。

ふむ、と顎に手を置いて少し考えた顔をする。

 

「つまるところ、お前は俺に退いてくれ、と言いたい訳だな?」

 

「その通りです。私としては今ここで貴方と戦うことはしたくない。条件があるのなら甘んじて飲みましょう」

 

「嫌だと言ったら?」

 

少年がニヤニヤしながら言う。それは悪役の笑みというよりは、悪戯を考える子供のような笑みだった。

 

「――この身が果てるまで、貴方を殺すことを最優先事項とします」

 

瞬間、ものみの両手の全ての指の隙間にびっしりと呪符が表れる。数にして約二十枚。全て本気で爆発させればこの屋敷を崩壊させるくらいの威力はあるだろう。

しかしその状況でも、少年はククク、と笑って見せた。

 

「おーけーおーけー。分かったよ。俺もそろそろ引き際かな〜、と思ってたのよ。とりあえず『覚醒』ぽい予兆も無かったし、二人の実力も理解した。二人とも優秀じゃないか、よかったよかった」

 

何がよかったのか全く分からないが、少年は一人ニコニコと場違いにも笑っている。

 

「条件は甘んじて飲む、と言ったな? では明日、お前達が調査しようとしている森へ来い。相沢の祐一と香奈、それにお前も来ていいぞ。あとは、そうだな、一人くらい余分に連れてきてもいいだろう。それ以上はダメだぞ? ちなみに武器ももってこい。魔物とか居るかもしれないから」

 

少年のその口調は、いるかもしれないというよりも、「お前達のために魔物を放っといてやるからせいぜい頑張れ」という風に聞こえた。

 

「じゃあね〜」という陽気な声を聞いたと思ったら、次に祐一が瞬きをした間に、少年はどこかへ消え去っていた。

 

その間誰一人として喋る者はいなかった。やけに静けさを増した月の夜。祐一は訳の分からない感情を抑えながら、とりあえず自分は助かったのだと、その安堵感でいっぱいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


作者ハーモニカさんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル掲示板に下さると嬉しいです。

後書き

 

どうも、この前寝てる間にベッドから転げ落ちて、そのまま違う部屋に寝ながら移動して違う部屋で眠っていたハーモニカです。

 

少年(もう誰かを言うまでもないですが)強すぎてどうしようかと思いました。

この少年の能力は一番最初から考えていたんですが、正直ラスボス的なキャラにしてはあまり派手さにかけてありきたりで地味な能力だな〜と思っていたのですが、いざ書いてみると強すぎて逆に困りました。

最後はどうやって倒そうかと真剣に考えてましたよ。祐一の氷の能力もある意味反則気味なんですけどね。

極めて不本意ながらも、天野ものみの介入で撤退させるという方法を取りました。本当はものみとの戦いも書きたかったんですが(メチャメチャ書きたかったです)、それではいつ撤退させるんだと。

しかし久しぶりの戦闘なので気合入れてしまいました。

ああ、楽しかった(ぇ

 

ということでキャラの説明に行きたいと思います。今回はやはり相沢香奈でしょう。

 

香奈にはデロップをつけるという設定はありませんでした。デロップのネタが無くなってきているというのもありますが、もっと重要なこともあります。ネタバレ(?)になりそうなのでやめときますが。

香奈の設定は大抵変わってないですね。祐一にベッタリの美女、という設定です。全ての魔法を使いこなすという設定もそのままです。唯一違うといったらランクですね。

本当はBランクにしようと思っていたんですが、それだと祐一と余り変わらなくなってしまいます。それではいけないので(何故かは言えませんが)、一つ下げました。

 

実力で言えば多分香里と互角? 名雪よりは強いかもしれません。佐祐理さんっぽいですが、佐祐理さんとは違うところがありますね。

正直言うと香里と佐祐理さんのデロップはかなり強いと思いますので(特に佐祐理さん)。

 

香奈も祐一と同様、とりあえず書いていたキャラだったので、それほど深くは決めていませんでした。

アルクェイドと祐一の戦いの前くらいに考えたキャラです。

 

では、これからも応援よろしくお願いします!