闇。そこは闇だった。そこには、二人の男の姿以外なにもない。
銀色の髪を伸ばし右目を隠すその男は、何度目か分からないこのテストに溜息を吐いた。
 

勝利条件は、目の前の対戦相手から『5秒生き延びる』こと。それが彼に課せられた課題だった。
 

目の前の男は、非常に美しい顔をしている。男は何も持っていない。銀髪の男はナイフを構える。
男の金色の瞳は何も見ていない。銀髪の男の姿が写っているが、見てはいない。
ただ虚ろに、呆然と前を向いていた。
銀髪の男と、その男――相沢祐一の間に、壁が発生する。壁が消えると同時にスタートだ。そこから五秒生き延びれば勝ち。
たとえ心臓だけしかなくなっても、生きていれば勝利だ。
祐一が視界に、銀髪の男を入れる。祐一の金色の瞳が、少しだけ細まった。
 

こんなプレッシャーは勘弁して欲しいものだな……。
 

銀髪の男は思う。もしあの壁が消えたら、自分は世界中の誰よりも『死』に近くなる。
壁に亀裂が入る。壁はもうすぐなくなる。
ナイフを構える。祐一を見る。だめだ。隙を見つけることすら出来ない。どれだけ頭の中でイメージしてみても勝てる案が浮かばない。
五秒生き延びるなど不可能だと、本能が注げている。あれは生物としての根本的なレベルが違う。
 

壁が、消えた。
 


――――!
 


祐一が音もなく一瞬で、10メートルほどあった距離を詰める。
祐一の手が、前に突き出される。
思いっきり力を込めて左にジャンプする。だが、それでも祐一の手の方が何倍も早かった。男の右肩から腕まで、全て消し飛んだ。
左にジャンプして、その片足が地面につくよりも速く、祐一の蹴りが炸裂した。
蹴り飛ばす、などという温い事は起きなかった。祐一の足が、男の腹部を『貫通』した。
 

「グプアァ!!」
 

悲鳴と共に、男の口から大量の血液が吐き出された。
 

――1秒
 

男は左手に持ち替えたナイフを祐一の足に向けて振る。しかし、それよりも速く祐一の右手が左手を消滅させた。
粉砕、破壊、そんなものは生温い。これは完璧は消滅だった。
次は左手を男の胸部に叩き込んだ。
足と同様に貫通した左腕を、男もろとも地面につかせる。完全に祐一のマウントポジションだ。
 

――2秒
 

足を使ったところでもう手遅れだ。祐一は、右手を高らかと掲げた。
その時、男は見た。祐一の金色の瞳を。
その瞳には、なにも写っていない。ただ、その男は一方的な殺戮だけを、望んでいるようだった。
そのまま、祐一の右手は男の顔面に直撃した。
 


タイム 2、247秒
 

 
 
 
 

「まあまあ、ですね」
 

薄暗い部屋に彼女はいた。
紫色の髪を三つ編みのおさげにしているその女性は、薄暗い、あたり一面をモニターに囲まれた部屋の中で、
キーボードに指を打ち続けていた。
全てのモニターがせわしなく文字を映し出す。彼女はその全てを読みとり、キーボードで書き写している。
 

彼女の名は、シオン・エルトナム・アトラシア
 

「やはり本来の祐一相手に3秒はまだ流石に持ちませんか……
そうですね、まだ67、4%しか『彼』は完成していませんからね……
あと5、52%をスピードに変換できればあとタイムが0、3秒は伸びるでしょうが……それには38人の人間が必要ですね。
まだ『魔眼』問題などもありますし、ざっと見積もって300人は必要ですか……」
 

シオンはモニターを見ながら一人呟く。またキーボードに指を走らせる。
複雑な暗号形式を一瞬で解読し、それを文章で表す。一般人が見ればすぐに目が回ってしまいそうな光景だった。
 

そこへ、一人の青年がコソコソと現れた。シオンはまだ気付いていない。そのまま気配を消してシオンの背後まで忍び寄る。
と、そこでシオンが一段落ついたのか、椅子から立ち上がる。
立ち上がって、青年の方を向いた瞬間に、青年がシオンに向かってダイブした。
 


「ショ〜〜〜ン!」
 


ガバッと青年がシオンに抱きついた。うおうっ! とシオンが後ろに後ずさりする。
危うくいろいろと危ないボタンを押しそうになったが、なんとかそれは回避した。
シオンは、青年の姿を見ると、む、と怒ったように眉にしわを寄せた。
 

「シオン、私は『ション』などと言う名前ではありません。私はシオン・エルトナム・アトラシアです」
 

「だってそれだと俺と名前が被るじゃん。シオンがシオンで、シオンがション」
 

「分かりにくいです」
 

シオンは、とりあえず自分に抱きついている青年――シオンに自分から離れるように促した。
 

「大体、どうしてシオンはそう突発的に行動するんですか。私には理解できません。
もしも私がおかしなボタンを押してしまったらどうするつもりだったんですか」
 

悪いことをした子供を叱るようにシオンがシオンをたしなめる。
シオンは未だにシオンに抱きついたまま、自分の黒いコートにしわを作る。
シオンの金色の髪が、シオンの顔をくすぐる。
女の方のシオンも、こういうのは実際嫌いではなかった。
 

「……で、何か用ですか? 別にドアを開ける音まで消さなくてもいいでしょう」
 

「ん、一応報告を一つ聞いて一つ言ってもらおうかと。とりあえず最初に言ってくれ。タイムは何秒?」
 

シオンはシオンに抱きついたまま言う。シオンは無表情に戻り、すこし首を後ろに回して、タイムを確認した。
 

「『彼』のタイムは、2、247秒でした。前回のタイムよりも0、062秒タイムが伸びています」
 

「それはあいつの完成率が上がった訳じゃないだろう。
多分、あいつ自身祐一に慣れてきたか、それともちょっと祐一がてこずったか…・・・まあ前者だな」
 

そうですねとシオンも同意する。それで、シオンの報告は何なんですか? と女の方のシオンが聞く。
 

「ん? ああ、セクトと、『あいつ』が今華音のガーデンの方に向かってるところだ。大丈夫。
セクトなら殺したりはしないだろうから、とりあえず祐一の情報だけ持ち帰ってくるだろう」
 

「そうですか」
 

シオンはそういうと、また椅子に戻ろうとする。しかし、シオンはなかなか自分から離れてくれない。
と、そこで、ドアがプシュット音を立てて開いた。
 

「シオン様、ミリアムがシオン様のことを呼んでいまし……」
 

中に入ってきた、緑色のロングヘアーの、極めて美しいと言える容姿を持った女性は、抱き合っているシオンとシオンを見て、硬直した。
女の方のシオンが、溜息を吐いた。
 

「よお、ティア。報告ありがと」
 

「な、なん……」
 

ティアと呼ばれた女性は、フルフルと肩を振るわせた。
 

「なんで、抱き合ってるんですか――!」
 

ギンッとティアの目から殺気が部屋中に溢れかえる。一般人がそこにいたならば、それだけで気絶していただろう。
だが、あいにくどちらのシオンも、その程度では怯まなかった。
 

「何故って……愛し合う者同士が抱き合うのは当然だろう?」
 

怯まないどころか、火に爆弾を投げ込んだ。
 

「あ、愛し――そ、そんなわけありません!」
 

「何故?」
 

シオンがニヤニヤと笑いながら聞く。ティアは、唇をキュっと結んだ。
 

「そ、それは、シオン様が愛していらっしゃるのは……そ、その……私――」
 

バッ、とシオンはティアを引き寄せた。
 

「――わかってるじゃねえか」
 

シオンは、フッと笑うと、じっとティアの瞳を見つめる。カァァァッとティアの頬が紅くなる。
シオンとティアは、そのままお互いの唇を重ね合わせ――
 

「――シオン、ミリアムが呼んでいるのではないのですか?」
 

女の方のシオンが二人を呼び止める。
ピタッとシオンの動きが止まる。
ああ、そうだったなとシオンはティアから離れる。その時のティアの女の方のシオンへ向けての殺気といえば凄かったの何の。
 

「じゃ、俺はちょっくら言ってくるから〜」
 

ぐっば〜〜い、と手を振ってドアを出る。
ティアは深々と頭を下げる。
プシュッと音を立ててドアが閉まる。
 

「――シオン、貴女なにか勘違いしてるんじゃないの!?」
 

ドアが閉まるや否や、ティアがシオンに向かって怒鳴り散らした。
さっきまでと随分な変わりようである。
シオンは無表情のまま、何の事ですか? と言った。
 

「ふざけないで! 貴女が今こうやってこの場にいられるのはどうしてだと思ってるの!? 
シオン様が親にちょっと虐待を受けて身も心もボロボロになった『フリ』をしていた貴女に心をお打たれたになって、
貴女がちょっと情報収集・処理の才能があったからシオン様が貴女を神のような優しさで拾ったからでしょう!?」
 

シオンは無表情のまま、そうですね、と適当に流した。
 

「いいえ、それさえも大した理由じゃないわ。本当の理由は、貴女とシオン様の名前が同じだって言う、単なる偶然による物でしょう! 
情報収集・処理だって、私よりもちょっとばかり上手なだけじゃない。貴女、それが分かってるの!?」
 

「分かってますよ」
 

「いいえ、分かってないわ! 分かっているならあんな、シオン様と身体を密着させるなんて恥知らずな行為が出来る訳ないわ!」
 

ティアはヒステリックに叫ぶ。シオンは、それでも無表情だ。
 

「お言葉ですが、先程の行為はシオンから行ったものです。私から求めた訳ではありません」
 

「言い訳なんて聞きたくないわ! いい!? シオン様が本当に愛しているのは私なの! シオン様に触れていいのは私だけ。
私だけがシオン様に触れて。私だけがシオン様に抱きしめられて。私だけがシオン様の体温を感じる事が出来るの。
貴女なんて、シオン様に触れる権利すらないわ」
 

「それは貴女が決める事ではありません。シオンが触れる相手はシオンが決めます。私はシオンの要求を飲んだに過ぎません。
シオンが私の身体に触れる事を望んだから、私はシオンに抱きしめられたのです」
 

遊びだとしても、とシオンは心の中で付け加えた。
 

「そんなわけないわ!」
 

ティアは近くの椅子を蹴り飛ばした。椅子は粉々に砕け散って、その破片がすこしシオンに降りかかる。
ティアはとうとう癇癪を起こし、シオンに掴みかかった。
 

「そうよ! 貴女なんてシオン様にとっては遊びですらないのよ!」
 

「…………ミルン様も、ですか?」
 

「――――!」
 

ティアは、シオンの喉に手を掛けた。
 

「ぐっ!」
 

「……私の前であの女の名前を出すなんて……いい度胸してるじゃない。貴女相当死にたいようね……?」
 

「か、勘違いしないで、ください。私、は、まだ、死にたくなんて、ありま、せん」
 

「……」
 

ブンッとまるで軽いゴムボールを投げるかのように、シオンの身体をドアとは逆の方へ吹き飛ばす。
シオンはけほけほと息を吐き出す。その中には赤い液体が少し含まれていた。
 

「あ、貴女が……ミルン様の名前を、聞きたくないの、は……ミルン様には勝てないと、わかっている、からでしょう?」
 

「黙って! 本当に殺すわよ!?」
 

ティアはシオンを睨みつける。
だが、どこか怯えているのはティアの方に見えた。
 

「これ以上ここにいたって時間の無駄ね。貴女もせいぜいシオン様に捨てられない程度に足掻いていればいいわ」
 

ティアは床を踏み破るような勢いでドアに歩く。
ドアが自動で開く時間さえ許せないというように、ティアはほとんどドアを蹴り破るような勢いで外へ出て行った。
 

シオンはその部屋で一人、またモニターを見た。
 

「シオンが見ているのは貴女ではありませんよ。まして私でもない。ミルン様です。
それに、捨てられているのをシオンに拾われたのは、貴女もでしょう……」
 

シオンは無表情のままモニタの前に座る。まだまだやる事はたくさんある。速く仕事を終えなければならない。
速く終わらせなければ、ありえないことだけど、もしかしたらシオンが私とティアを情報処理班から後退させるかもしれない。
そうなっては私は終わりだ。
シオンは、そのままキーボードに指を乗せた。
 


だがそれよりも、シオンはガーデンに向かったセクトと、
本当の命の恩人、セクトと一緒にガーデンに向かったミルン・マクスターのことのほうが、気になって仕方がなかった。
 

 
 
 
 
 
 

後書き
 

やっと出てきてなんだおい。
ただの女たらしやろうじゃねえかシオン。ティアのほうもぶっ飛んでたし。
それに漢字の名前のキャラがいないじゃねえかよう。
 

さて、正シオンをちゃんと書けたか心配です。とりあえず第三話辺りまでシオンの存在を知らなかったのですが、
いると知ってからしばらくシオンの話し方や容姿などを調べていました。今日出せてよかったです。
さて、一番最初に無敵祐一と戦っていた男。あれがだれか分かる人がいたらその人は神です。まさに。
その男の特長を良く見れば分かってくるかもしれません。
しかし祐一がやたらと強かったな……ちなみに誤解されてる方もいるかもしれないので言っておきますが、
あの祐一は今ガーデンにいる祐一とは無関係ですので。いえ、完璧に無関係というわけではなくてですね……
え〜、これ以上言うとネタバレになりそうですね。
さて、次回はようやく戦闘です。今回は一方的になりそうな予感が……。
 

では、これからも応援よろしくお願いします!




作者ハーモニカさんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル掲示板に下さると嬉しいです。