第十四話「本当の勇気」












それは過去からの手紙。

たったそれだけで動く俺は馬鹿なのかもしれない。

けど、俺はそんな馬鹿でありたい。












秋人は家に帰ってからというもの、どこか様子がおかしかった。

家の中、人の前だというのに堂々とタバコを吸う。

しかしヴィンセントは何も言わず、ただ黙っているだけ。

それに腹を立てたヴィータは秋人に文句を言うが、秋人は何も返さない。

まるで暖簾に腕押し。

聞いているのかさえ分からず、ヴィータはため息を吐いた。

その後も秋人の様子は変わらず、ヴィータは二階へ行き床についた。





朝起き、リビングに降りた時、秋人は昨夜と変わらない格好でタバコを吸っていた。

灰皿には何本吸ったのか分からないくらいタバコが押し込まれている。



「お前、吸い過ぎだぞ」



そう言うが、秋人は何も返さない。

心ここに在らずといった感じで虚空を眺めている。

瞳に生気はなく、まるで死人のようだ。

怒鳴ろうとしたが、ヴィンセントに口を塞がれてしまう。

モゴモゴと抗議するがヴィンセントは手を退かそうとはせず、そのまま廊下へと連れ出され、そこでようやく手が退かされる。



「ぷぁっ! 行き成り何すんだ!」



ヴィンセントは押し黙り、静かにヴィータの頭に手を置きゆっくりと撫ぜた。

それはヴィータを落ち着かせるためではなく、自分が落ち着く為にやっているようだった。



「今は、そっとしておいてあげてくれないかい」



ただそれだけをポツリと言うと、ヴィンセントは貝のように口を閉じてしまった。

何を言っても無駄だと判断したヴィータは、最後にこれだけを聞くことにする。



「なぁ、アキト……元に戻るよな?」



その質問にはヴィンセントは何も答えなかった。

じっと黙り、ヴィータの頭を撫ぜるだけ。





その日、秋人は学校を始めて休んだ。

美由希には風邪をひいたとヴィンセントが嘘を吐き、休ませたのだ。

このまま外に出しては色々と危険だと判断してのことだった。

この状態になったら何をしでかすか分からないと、自分の体験から導き出した答えだ。

せめて秋人の顔を見たいとせがんだ美由希だったが、ヴィンセントは首を横に振るだけで、答えはくれない。

仕方なく学校へ行く美由希。

それを見送ると、ヴィンセントは壁に寄りかかりため息を吐いた。



「……予想外だった。こんなにも脆いとは思わなかったよ……」



誰に言うでもなく、そう呟いた。




















「駄目よシグナム!」



シャマルはシグナムの腕を掴み引きとめる。

まだ怪我が完治していないのにも係わらず修行に出ると言い出したからだ。



「行かせてくれ。早く感覚を取り戻さねばならないのだ」



シグナムの決意は鋼のように強固だった。

だが、身体はまだ痛む筈である。

それを分かっていながら戦うというシグナムの意思は尊重したい。

しかし、ヴォルゲンリッターの参謀を務めるシャマルの立場からすれば、それは軽はずみに容認できるものではない。

このまま出て行っても返り打ちにあうのは目に見えている。



「ならば、私が共に行こう」



シャマルの足元に居たザフィーラがそう言う。

もし無理だと判断したらすぐさま連れて帰るとシャマルを説き伏せ、二人はその場から消える。

残されたシャマルには、モヤモヤとした言葉では言い表せない嫌な予感が胸の中を漂っていた。




















荒廃した大地。

生き物の息吹さえ感じられない、土さえも腐りきった世界。

生臭い腐臭混じりの風を浴びながら、シグナムとザフィーラはそこに立っていた。

二人とも騎士甲冑を纏っている。

この世界には見覚えがある。

それもそうだろう、この世界は先日シグナムが汚染獣と戦った世界なのだから。



「また、奴と戦う気か?」



ザフィーラの問いにシグナムは静かに頷く。

悔しいから等という下らない感情ではない。

ただ、騎士として負けたままではいられない。

武人として、より強い者と正々堂々と戦いたい。

それだけの想いでシグナムはこの地へと再び足を付けている。

汚染獣は常に餓えている。

こうして立っているだけで、匂いを嗅ぎつけいずれやってくるだろう。

今はただ、こうして待つのみだ。





風が匂いを運んできた。

餌だ。

汚染されたこの世界では、食料を探すのにも苦労する。

時には同族を喰らい生き延びるのがこの世の常。

彼らは腹を空かせていた。

先程までは母の腹の中にて栄養を貪っていたが、この世に排出されてからは何も口にしていない。

食べたい。

(ハラワタ)を啜りたい。

腹を満たしたい。

その場に居る全員の思考が一致し、彼らは動き出す。

巣穴から抜け出し、背中から羽根を取り出し空気に晒し乾かす。

やがて、その場には幾重もの不協和音(はおと)が重なり響く。

彼らは飛ぶ。

(シグナム)を求めて。





――――来たか」



瞑目していた瞳を開き、それに視線を向ける。

成人と同じほどの物体が群れをなして飛んでいる。

汚染獣だ。

それらはまだ子供のようで、成獣よりかなり小さい。

だが、油断はするな。

奴等は貪欲に、執拗に生きている。

油断など見せようものならば、その一瞬で命がつきてしまうだろう。

剣の柄を握りしめる。

こちらはいつでも行ける。

さぁ、かかってこい。

シグナムの闘気が伝わったかのように、汚染獣は滑空を開始し飛び込んで来る。

最初の一匹を横凪に屠り、次を縦に両断する。

奴等はまだ甲殻が幾らか柔らかく、敵の速度を利用すれば斬れない相手ではない。

だが、問題はその数。

汚染獣の幼生体はゆうに千を超えている。

こちらの戦力はたったの二人。

しかし、ザフィーラは手を出さないという約束をしているので、実質独りだ。

自分で望んでおきながら、死ぬかもしれない。

いや、もしもは考えないようにしよう。

今は、生き残ることだけを考えることにしよう。

シグナムの剣が光る。

血糊が付いてはいるが、その輝きは微塵も濁ってなどいない。

舞武を踊るかのようにして剣を振るう。

その場に死体が次々と生れ落ちるが、汚染獣の数は一向に減ったようには見えない。

十を斬ったところで息が上がる。

身体中に返り血を浴び、シグナムの騎士甲冑は紅色に染まる。

レヴァンティンに付いた血を切り、再び振るう。

しかし血糊で切れ味が悪くなったのか、はたまた精神の集中が途切れていたのか、甲殻を滑り剣は空を切る。



(しまっ……!)



振り直そうと剣を引くが、懐に潜り込んだ汚染獣はその強靭な顎を開き肉を食いちぎる。

刹那、鮮血がその場に散る。

食い千切られた箇所からはボタボタと血がとめどなく溢れ出て来る。

一気に血がなくなったことで、貧血を起こしてしまったようで意識が霞む。

足の踏ん張りが利かず、その場に膝を着くとザフィーラがシグナムの近くに駆けより、汚染獣どもに向かい吠えた。



「大丈夫か、シグナム」

「……少し……粋がり過ぎたようだ」

「念話でシャマルに連絡を入れた。救援はすぐに来るはずだ。それまで持ちこたえろ」

「……くっ」



己を恥ず。

無理に押し切ったクセに、この体たらく。

全く、自分が恥ずかしい。

唇を噛みしめ、レヴァンティンを杖代わりにして立ち上がる。

足はまだふらつくが大丈夫、立てない訳ではない。

両手に剣を握り締め、シグナムは敵と正対する。




「…………」



今は己の恥など考えている場合ではない。

自分が招いたこの結果を覆さなくては。



「おおおおおおぉぉぉぉぉぉッ!」



シグナムの咆哮がその場に響く。

その声によって空気が振動し、汚染獣の動きが一瞬怯む。

だが、それが何だと言うように汚染獣も吠える。

いつ来るか分からぬ救援は無視し、シグナムは汚染獣に向い駆けた。




















ヴィータは秋人に何度も呼びかけたが、秋人は一向に声を返そうとはしない。

ただ黙り、タバコをふかすのみ。

何度目か分からぬ声を掛けようとしたところ、頭の中に声が響く。



『ヴィータちゃん、シグナムたちが……とにかく来て!』



相当慌てているようで要点が全く分からない。

何とかシャマルを落ち着かせ話を聞くと、ヴィータの顔色が目に見えて変わった。

下唇を噛み、何かに耐えているようだ。



「あの馬鹿……」



そう吐き捨てるが、仲間を放ってはおけない。

その時、ヴィータの慌てように気が付いたヴィンセントが声を掛けてくる。

要点を掻い摘んで話すと、ヴィンセントは一つ頷き、秋人を見る。



「それなら、適任者が居るね。対汚染獣のスペシャリストがそこに」



ピクリと秋人の肩が震える。

ヴィータも秋人を見つめる。

二人の視線から逃れるように、秋人は顔を背けた。



「おっさん……アキトが対汚染獣のスペシャリストってどういうことだ?」



ヴィンセントは秋人を見つめながら話す。



「昔、秋人君を育てる為に汚染獣と戦わせたんだ。一か月くらい連続でね」

「でも、アキト独りで勝てる訳が!」

「そう、ない。最初は流石に私も同行していた。だが、一週間が終わってからは何かを掴んだのか、
 汚染獣に対して有効な手段で攻撃し、いとも容易く屠っていたよ」



自分の耳を疑う。

あの貪欲に喰い、生きることに執拗な生き物を簡単に殺せた。

……秋人がいれば、勝てるかもしれない。

だが、しかし
――――



「俺は、もう戦わない……」



そっぽを向きながらそう言う秋人。

その言葉には、自らを嫌悪している節が見受けられた。

ヴィータとの念話で状況を把握したシャマルは、その場にいる全員にチャンネルを合わせる。

だが、秋人だけは何度も呼びかけるが、何も返っては来ない。

どんなに懇願しても秋人は何も返さない。

そんな秋人の態度にヴィータのフラストレーションは高まる。

コイツは何をウジウジしているのだ?

一度刃を交えた者は、仲間ではないのか?

なのにコイツときたら……。

ヴィータは無言で秋人に近づき、その頬を力の限り殴りつけた。

秋人は派手に椅子から転げ落ちるが、動こうとも何か言葉を発そうともしない。

ただ黙ってそれを受け入れるのみ。

それが無性に腹が立つ。

ヴィータは秋人に背を向けると、シグナムが居るであろう次元世界へと転送を開始した。





ヴィータがいなくなったことで、秋人はのろのろと動き出した。

椅子を元に戻しそこに座り、落ちたタバコを灰皿に捨てる。



(俺……何やってるんだろう)



自分を兄のように慕ってくれた彼女を無視し、あまつさえシグナムを助けることを断った。

何がしたいのだろう?

だが、同時に浮かぶ考えは、自分に何が出来る? というものだ。

二つの考えが頭の中でぐるぐると回り、何を考えているのか分からなくなった時、ヴィンセントが口を開いた。



「……こんな状態の君に、これを見せる訳にはいかないか」



ヴィンセントが持っていたのは、一通の封筒。

その封筒には『秋人へ』と書かれている。

そして、その筆跡には覚えがあった。

そう、母
――夏樹――の文字。



「それって……」

「ん? これは夏樹から預かっていたものだ。もしもの時には君に渡してくれってね。でも、今の君には渡せないね」

「何でっ!」

「分からないかい? 分かる筈ないよね? 何も行動できない君には。ウジウジしていることしかできない君には。仲間を見捨てる君には。
 そんな君に、この手紙を読む資格はない」

「……くっ」



悔しさから拳を握る。

だが、ヴィンセントが言っていることは全て的を得ている。

何もできない自分。

いや、出来ることはあるはずなのだ。

しかし、行動しない自分がいる。



「じゃあ、どうすればいいんですか……!」



藁をも掴む心境でそう訊ねたが、ヴィンセントは首を横に振るだけ。



「それは自分で考えなさい。……私は出掛けてくる」



そう言い残し、ヴィンセントは家を出て行ってしまった。

テーブルの上には夏樹の手紙。

手が勝手に動き、封筒の封を切る。

そこには、母の気持ちが綴られていた。











この手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にはいないことでしょう。

あなたには寂しい思いばかりさせてしまいましたが、どうか許して下さい。

私の想い出の中のあなたは小さいままですが、きっと立派な男性になっていることと思います。

秋人、私はあなたに力は死に瀕した時以外には使うなと教えました。

ですが、それは今日限りで忘れなさい。

力は、愛しい者の為に、正義のために使いなさい。

今のあなたならこの意味をきちんと理解してくれると思います。

そして最後にこの言葉をあなたに送ります。

秋人、生きなさい。

どんなに辛くても、惨めでも、泥水を啜ってでも生きなさい。

そうすれば、あなたにもきっと祝福が訪れるでしょう。



それでは。

私の秋人、愛しい息子へ。



母、相沢夏樹より












「母さん……」



気がつけば涙が零れていた。

そして駆けていた。

靴も履かずに家を飛び出し、駆ける。

通りすがる通行人が何事かと振り向き見てくるが、そんなことは関係ない。

今は一刻も早く向かうだけだ。

愛しい者(なかま)の元へ。




















ヴィータの到着と共に汚染獣はその数を増やしていた。

地は汚染獣に埋め尽くされ、空も同様。

日の光さえ遮られ、三人は息を切らしていた。

ヴィータは吠え、自らのデバイス
――グラーフアイゼン――を変形させた。

グラーフアイゼンは巨人の鉄槌(ギガントフォルム)へと姿を変え、渾身の力を込めそれを振り下ろす。



「轟天爆砕! ギガントシュラークッ!」



その攻撃により地を這っていた汚染獣の大半は消えうせるが、根本的な解決には至っていない。

空を覆い尽くす巨大なうねり。

それらもいつ襲いかかってくるかは時間の問題だ。

やはり目覚めて間もないヴィータも限界に達し、その場に崩れ落ちる。

ザフィーラは二人に危害が加わらないように防御障壁を発生させているが、これもいつまで持つかは分からない。

つい、シグナムはこんなことを考える。



(死ぬな……)



それは諦め。

今の状況を諦観し浮かんだ考えだった。

例え一瞬でも考えてしまった。

(はやて)のこれからもこともあるのにも関わらず。

これでは……騎士失格ではないか。



「悔しいな」

「諦めるのか? お前らしくもない」

「何……?」



声は眼前から聞こえてきた。

黒衣の甲冑を纏ったその姿は、シグナムがよく知る人物だ。



「相沢……」



秋人は三人の前に立ちはだかり、汚染獣を睨みつけている。

その背中には何かが満ち溢れていた。

この間正対した時には感じられなかった
――――自信。

それが溢れている。



「何故、ここに……」



その問いに秋人は苦笑して応える。



「これでも、男の子なんでな……。女子供を守るのは、いつだって男の役目だ」

「……それは偏見だ」



フッっと軽く笑い、シグナム振り向く。



「俺もそう思う。……じゃあ、そういうことで行ってくる」

「あ、相沢!」

「大丈夫よ」



いつの間にかシャマルがシグナムの肩を優しく掴んでいた。

その顔には、憂いや心配な表情など見てとれない。



「シャマル。サポートは任せた」



そう言うと、秋人の足元に魔法陣が浮かびだし、身体を覆う。

そして次の瞬間には秋人の姿は遥か彼方まで駆けていた。

旋剄。

脚に魔力を集中させ脚力を強化する魔法。

旋剄はその性質上、爆発的なスピードを実現できるが、それ故に方向転換などが難しいなどの欠点がある。

だが、ここは周りに障害物などはない。

故に、一直線に駆け抜けるにはうってつけなのだ。

ぐんぐんとスピードは上がり、数秒後には汚染獣の軍勢の前にまで差し迫っていた。

口元に微かな笑みを浮かべ、ロイガーのフォルムを変形させる。

爪が指から外れ、外れた爪と関節部分は鎖で繋がっている。

五本の鎖は無尽蔵に伸び、まるで毒大蛇(ヒュドラ)の鎌首のようにもたげている。

それら五本の爪が汚染獣に向い、最も脆い関節部分に突き刺さり身体をバラバラにしてしまう。

だが、今の攻撃で仕留めた数はたった一匹。

まだ敵は何百匹と居る。

しかし、そんなことにはお構いなしに秋人は爪を振るう。

確実に一匹一匹仕留める。

だが、おかしな現象が起こった。

突如として汚染獣が切り刻まれたのだ。

それも一匹ではなく二匹、三匹と次々と増えて行く。



『ヒャッハーッ! 久しぶりだな、おい! このフォルムはよぉ! この爽快感、堪らねぇっ!』



ロイガーの哄笑。

そのロイガーを中心に複数の方向に微かな光が見てとれた。

それは鋼糸。

爪と鎖は姿を変え、目に見えないほど細かな無数の鋼糸へと姿を変えていた。

これがヒュドラフォルムの真の姿。

ヴィンセントが所有するデバイス(アトラク=ナクア)のヴーアミタドレスフォルムと同じだが、こちらの方が幾分劣るのが欠点だ。

魔力を込めれば込めるだけ無限にその数を増やせるが、その分魔力消費が激しい。

しかし、その攻撃力と汎用性は他に比類するものがないほど優れている。

ヴィンセント曰く、このフォルムを極めれば敵はほぼいないらしい。

鋼糸は空を埋め尽くす汚染獣にも向い伸び、それらをも切り刻んでいく。

次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と
次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と次々と
ズレにズレて二つに分かれ四つに裂かれ千々に乱れて地面の上に転がっていく。

ただ一瞬にして、幼生たちの群れの一角が空白地帯と化してしまった。

その光景を、シグナムは最前列にて見てしまうことになった。



「なにが……」



起こった?

状況が呑み込めず思わず立ち上がりそうになると、シグナムのすぐ前の地面が抉れた。

それは一筋のラインのように見える。



「そこから動くな。久々でコントロールが甘いんだ。お前らごと切り殺すかもしれない」

「待て!」



しかし、シグナムの声には答えず、秋人は先に進む。

秋人が進む度に汚染獣の数は減っていき、後は数えるほどになってしまった。

だが、秋人の動きは止まらない。

数が減ったというのに、焦っているようにも見えた。

だが、焦っているのは隣に居るシャマルも同様だ。

クラールヴィントを展開し、何かを必死で探っている。



(早く、早く見つけないと……。あの話が本当なら、もうすぐ動き出してしまう)



シャマルは地下に潜らせた意識に集中した。

奥深く、歪な地下の空洞、ねじけた通路の奥深くで、シャマルはついにその姿を確認した。

醜いまでに膨れ上がった腹部を破裂させ、死んだように佇んでいる巨大な母体の姿がそこにある。

しかし死んでいない。

強力な熱反応。

なにより幼生などとは比較にならない強大な生命反応が地下を支配していた。

すぐに秋人に声を送る。



『見つけました。一○○の方向。距離五十メートルの窪地に向って下さい。地下二十三メートルにいます』

『ありがとう』



その言葉が返ってきたと同時に、秋人の姿が地面から消えた。

空を飛んでいる。

いや、実際に飛んでいるわけではない。

窪地の外縁部に引っかけた一本の糸に引っ張られているのだろうとシャマルは推測する。

魔力によって強化された脚力も利用して、秋人は最速で移動する。

宙を舞っている間も、鋼糸の操作を怠っていない。

二桁になった幼生は、外縁部に着くよりも早く一桁になり、やがて零となる。

窪地に到達した秋人に、シャマルが声を掛ける。



『制限時間は五分です。それ以上はあなたの肺が保ちません』

『わかってる』



気負う様子のない秋人の言葉に、シャマルは逆に心配になった。

ただでさえ汚染物質が蔓延しているのに、汚染獣の生体、つまりは出産したばかりの汚染獣からは、汚染物質が身体中から溢れている。

密閉した地下空間には汚染物質が逃げる場がない為、必然的に澱のように溜まることとなる。

そんな場所では騎士甲冑の効果も半減、いや、役に立たないだろう。

通常汚染物質が人体に触れた場合、その肌は焼け爛れ、肺は腐り、目は落ちる。

だから五分なのだ。

それ以上は秋人の身体が持たない。

時間稼ぎだけならば、当に果たしている。

しかし、転送魔法が完了する前に襲われでもしたら一大事になってしまう。

だから、秋人は母体をも潰すとシャマルに言ったのだ。

どうしてそこまで危険なことに自分の身を置けるのか、シャマルには分からない。

才能があるからか?

それが出来るだけの才能を……。



「望んだわけでもないのに……」



秋人には聞こえないようにポツリと呟く。

人のため、それが自分の為になる。

そんな甘いことはシャマルには理解できない。

でも……。



「死なないでくださいね」



通信を介さず、シャマルはクラールヴィントが届ける秋人の横顔にそう告げた。






外縁部に足を掛け、汚染獣が沸きだした裂け目に秋人は落下した。

その裂け目に向って、秋人は鋼糸を先行させた。

無数の出っ張りに鋼糸を引っ掛け、秋人の身体を運ぶ。

大地との接触は最低限に、呼吸も最低限に。

騎士甲冑が剥がれる感触は独特だ。

汚染物質に耐えきれず、騎士甲冑がボロボロと崩れていく様を眺めながら、秋人はそう思った。

本来身を守る為の騎士甲冑が濃厚な汚染物質の前では形無しとなる。

騎士甲冑が剥がれたことにより障壁がなくなり、目に砂粒が入り激烈な痛みが走る。

こんな思いはしたくない。

だが、いまさら止まれない。

鋼糸の感触……鋼糸に走らせた魔力を神経代わりに、秋人は暗い穴を進む。

鋼糸から伝わってくる地下の雰囲気は独特の湿気に覆われていた。

騎士甲冑に覆われていない肌にちりちりとした痛みが走る。

鋼糸からの情報とシャマルの先導を頼りに、秋人は急ぎつつも慎重に進むという神経が削られるような作業に集中していた。

残り時間はどれくらいだ?

喉の奥がちりちりと焼ける。

呼吸を最低限にしても、汚染物質の流入は止められない。

息を止めては、呼吸が乱れ、身体の動きに不調が出てしまうため出来ない。

じりじりとした焦りは、いつになっても慣れるものではない。

これがこの世界の常識。

汚染物質に耐えれないものは強者(おせんじゅう)に喰われるしかない。

この世界も昔は地球のように豊かな星だったのだろうか?

その痕跡はあちらこちらにあるが、今は一人も見かけることはない。

痛みはやがて喉を過ぎて肺にまで辿り着いたようだ。

胸やけに似た不快感が、喉の奥から迫り上がってくる、

これが耐え難いまでになれば手遅れらしい。

手遅れになったことがないから確かなことは分からない。



『そこを曲がれば、すぐです』



シャマルの声が届き、秋人は鋼糸を巧みに操って裂け目のような横穴に飛び込むと、開けた空間に出た。

全ての糸を解き放ち、一度、デバイスを基本形態である爪に戻す。

大地の感触、湿り気の混じる柔土の感触を確かめながら、秋人は目を開けた。

痛みとともに光景が秋人の前に現れる。

汚染獣の母体。

体躯の三分の二を構成する腹部は無残に裂けている。

そこが胎内であり、千に及ぶ幼生達に永い安息の時を与えていたのだ。

円錐のような胴体には殻に守られていない翅が生え、今は土をかぶってピクリともしない。

幼生に比べれば遙かに比率の大きい頭部には赤い複眼があり、二つに分かれた顎が絶息を零すように動いて、殻が擦れ合う音が地下に充満していた。



「生きたいという気持ちは同じなのかもしれない」



呼吸の無駄遣いを恐れず、秋人は母体に語りかけた

それは、戦場に身を置く者としての礼儀。

たとえ人語を解さぬ者だとしても、そうしなければならないのが礼節。

ロイガーは黄金色に光り輝き、いつもとはまったく違う、厳かな雰囲気を醸し出していた。



「死にたくないという気持ちは同じなのかもしれない」



語りかけながら歩を進めていく。

爪の輝きは歩を重ねるごとに増していき、地下の暗闇を追い払う。



「それだけで満足できない人間は、贅沢なのかもしれない」



汚染された大地に適応して生きる汚染獣たち。

この世界の主は彼らなのかもしれない。

近づいてくる秋人に気が付いたのか、それとも秋人が放つ魔力に危機感を覚えたのか、顎の動きが早くなっていく。

殻を打ち合わせる乾燥した音が辺りに充満していく。

仲間を呼ぼうとしている。



「でも生きたいんだ」



呟くと、秋人は爪を構えた。

もしかしたら
――――いや、間違いなく、今回の被害者は彼らの方だ。

ただこの世界の摂理に則って行動していたのにかかわらず、自分たちのせいでその生を終えようとしている。

だが、こちらも死にたくはない。

我ながら随分と身勝手な理由だと思う。

だから、と言う訳ではないが、せめてもの謝罪を込め秋人は呟いた。



「命がけなんだ」



悪く思うなよ。

心の中でそう呟くと
――――貫いた。




















静けさを取り戻したその場に、乾いた風が吹く。

初めから何もいなかったかのように感じられるその風は、無性に悲しく感じられた。

無数の幼生の死骸を見つめるシグナムは、その場に立ちすくみただ固まっていた。

先程まではあんなに蠢いていた幼生たちが、たった一瞬で動く者がいなくなった。

相沢がこれをやった?

そう考えるべきなのだろうと思う。

しかし、そう考えると身体が震える。

血が足りない寒さの為か、それとも凄いと思う興奮か……。

それとも恐怖か。

だが、そこではたと気が付いた。



「相沢……相沢!?」



汚染物質は騎士甲冑をも貫通し侵食してくる。

その濃度がここよりも遥かに高い地下などに行ったら、生きていられる保証はどこにもない。

その場から走り出そうとするが、腹部に痛みが走りその場にうずくまってしまう。

しかし、視界の隅にあるものが映った。



「相沢……」



相沢秋人は、そこに立っていた。



「ああ、シグナム。無事だったんだ。良かった」



そう言いながらこちらに近づいてくる。

だが、その足元は定まっていない。

ふらふらと今にも倒れそうに歩いてくる。

シグナムは腹部の痛みを忘れ、立ち上がっていた。



「相沢、お前……」

「ハハハ。少し無茶したかも……」

「まったく。汚染物質用の魔法もあるのだぞ」

「……そうなのか」



秋人の唖然とした表情がおかしく、シグナムは笑った。

秋人も苦笑気味に笑う。

そしてシグナムに母体のことを告げると、彼女は神妙な面持ちとなった。



「……そうか」



彼らにも家族と言える者がいた。

それを壊したのは、殺したのは、紛れもない自分たち。

言い逃れはできやしない。

そのことを胸に刻みつけ、シグナムは彼らにせめてもの償いとして、彼らに向け深々と頭を下げた。

二度と自分本位の為に戦わないと。

二度と無益な殺生はしないと。

既に何も言わぬ死体となり果ててはいるが、彼女の気持ちは伝わったのだろうか。

それを知る術はどこにもない。

……と。

ドサッ。



「おいっ!」



秋人が唐突に倒れた。

しかもその倒れた先が問題で、シグナムの上に倒れ込む形となってしまった。

声をかけるが起きる気配はなく、必然的にシグナムが支える形となる。

そのシグナムだって血が足りなく立っているのが精一杯なのだ。

二人は後ろ向きに倒れてしまう。



「お、おい……こんなところで寝るな!」



狙ったわけではないのだろうが、秋人はシグナムの胸を枕にする形で眠ってしまった。

慌てて押しのけようとするのだが、重くてできない。



「ひょろっとしているくせに……重いぞ!」



どれだけ押そうともビクリともしない。

傍で見ているシャマルたちは手を貸そうせず、ただ笑っているだけ。

腹が立ってシグナムはジタバタと暴れるが、秋人が起きる様子はなかった。

とても安らかな寝息を立てている。



「……全く」



抵抗するのも馬鹿らしくなり、シグナムは息を吐いた。



「まあ、お前はよくやったよ」



ざらついた秋人の髪を撫でてやる。

違法な賭け試合で賞金を稼ぎ、恩返しのためと嘯いていた秋人が、そんなものは関係ないとばかりに危険を顧みず戦ってくれた。

それは魔導師として正しい選択ではないか。

秋人の性根は決して悪ではない。

ただ、自分では気付いていないだろうが、どうしようもないくらい真っ直ぐなのだ。

気付いてしまえば、疑問を抱きもせずにまっすぐ突き進んでしまうくらいに。



(私が、コイツをなんとかしてやればいいのだ)



そう思って、髪を撫ぜ続ける。

しかし、その寝顔に在ってはならぬ物がたらー、と流れていることに気がついた。

血だ。

口から血を流している。

この事態にさすがに慌てた面々はどうにかしようと騒ぎ立てた。



(うるさい……眠れないじゃないか)



それらの騒音をまどろみ中で聞いていた秋人はぼんやりと考えた。



(今度……コイツらの為にケーキでも焼こうかなぁ……クッキーの方がいいかな? シャマルとヴィータはいいだろうけど、シグナムは甘いの苦手そうだよなぁ。
いや、案外そういうの好きかも。じゃあ、可愛いデコレーションしないと
――――



今までと何も変わらない日々が来るかもしれない。

だけど、前より少しだけ楽しい毎日がきそうだ。

そのことをちゃんと亡き父母に報告しよう、そう思いながら秋人は騒音を排除して眠りの中に落ちていった。




















デバイスフォルム

ヒュドラフォルム

爪を指から外し、指から鎖を伸ばし、爪を鎖で繋ぐフォルム。

更にコントロールする事で鎖を目に見えないほど細い鋼糸にすることも可能であり、爪を割り裂き、何本もの鋼糸を繰り出すことも出来る。

増やした分だけ魔力を消費するというデメリットがある。

ちなみに、クトゥルー神話の『ヒュドラ』とは、ギリシア神話のヒュドラの原型らしい。




















 あとがき

安定しません、どうもシエンです。

自分の作品を色々と見返してみたのですが、書き方が安定していませんね。

地の文が滅茶苦茶になっているところや、表現がおかしな所が多々見受けられました。

このままではいけません。

精進します。

今回の話の後半……これどう見ても『鋼殻のレギオス』じゃないか……すみません。

何度も修正したのですが、これ以上にシックリくる文章が浮かびませんでした。

『だったら投稿するな』、御尤もです。

誠に申し訳ありません。






拍手返信

※番犬?番蜘蛛?なにげにキワモノな家に…

>番蜘蛛……? ……はっ! 奴のことですか!?
ヴィンセントが聞いたら喜びそうです……確実に狂喜乱舞します(汗)



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