第一話「死は始まりに過ぎず」
あの襲撃が起こった日より一時間も経っていない同日。
極東基地は凄然としていた。
何しろ、連邦軍として所属していた兵士が正体不明の敵を手引きしたのだ。
これにより軍上層部は慌ただしく会議を続けていた。
しかし、今はこれといった解決策は提示されていない。
アキトは破壊された基地を見渡す。
崩れた隊社。
倒壊した管制塔。
生々しい血の臭いがこびり付いた機体。
「俺は……無力だ」
力なくそう呟いた。
あの騒がしくも楽しかった日々は戻らないのか？
たった一人の裏切り者によって壊されてしまうのか？
フェイト・Ｔ・ハラオウン。
あの女の所為で。
あの女は俺の居場所を奪うのか？
しかも、あの女はクレイルと共に去っていった。
宿敵と言うべき男と共に。
懐に手を入れ、タバコの箱を取り出す。
それを咥え、火を点ける。
肺一杯に煙を吸い込み、紫煙を吐き出しながら呟く。
「……いつになっても慣れないな。この味は」
タバコを落とし、踵で揉み消す。
その場を後にし、アキトは医務室へと足を向けた。
医務室の周りでは看護兵が慌ただしく走り回っていた。
頭から血を流している兵士。
片腕がない者。
死んでいる男。
地獄のようだ。
その光景の中でアキトはシックを見つける。
近づくと、こちらに気付いたシックは項垂れていた顔を上げた。
その表情には覇気が感じられなかった。
「シック……ケイスケは？」
首を横に振り「まだ……」と言う。
そしてまた力なく項垂れる。
自分もそうしたかった。
ケイスケを心から心配し、ここで回復を待ちたい。
だが、立場がそうはさせてくれない。
警備隊の隊長として報告に行かなければならないのだ。
シックと二言三言話し、重い足を引きずりその場を去った。
会議は酷かった。
責任の所在がはっきりしていないのか罪の擦り付け合いを行っている。
大の大人が揃いも揃って何だ？ この体たらくは。
アキトの怒りは高まる。
拳を固く握り、歯を食いしばる。
喧騒はやまない。
誰かの罵倒する声。
それを否定する声。
責任は私にはないという声。
胸糞悪い。
吐き気がする。
そんなことは今関係あるのか？
誰かが言った。
「あの小僧が悪いのだ！ あんな新米が居るから連携が崩れたのだ！」
「――――」
轟く驚愕の声。
気付いた時には殴っていた。
拳が男の頬にめり込む。
殴る、殴る、殴る。
何度も、何度も、何度も。
周りで誰かが叫んでいる。
しかし、やめない。
やめる気など毛頭ない。
この男が前線の何を知っているというのだ。
偉い？ 上官？ それがなんだ？
俺は許せないだけだ。
ケイスケを――――仲間を馬鹿にされたことが。
拳が真っ赤に染まる。
汚らしい血だ。
反吐が出る。
「やめるんだ！」
誰だ？
俺に触るな。
俺は奴を――――殺したいんだ。
「――――」
頬に熱い感触。
頬を抑えると、ジンジンと腫れていた。
頭を殴られる。
痛いが、どこか優しい痛みだった。
「少しは落ちついたか？」
「カイ……少佐」
カイのため息。
「疲れているんだ。自室で頭を冷やせ」
「……了解」
自室に籠もり何時間経ったのだろう？
窓の外はもうすっかり夜の帳が下りていた。
ベッドに横になる。
天井を見上げると、今日のことがよく思い出された。
シックやケイスケ――仲間――との他愛ない話。
スバルとティアナの極東基地への配属。
フェイトのハミ噛む笑顔。
カイの説教。
いつも通りの楽しい日常。
拳を握り、歯を食いしばる。
「何で……こうなったんだ……？」
敵の襲撃。
ケイスケの負傷。
クレイルの登場。
フェイトの裏切り。
全てが思い描いていた理想と真逆だった。
悔しい。
何も出来なかった自分が憎い。
力が欲しい。
何者にも負けない力が。
圧倒的な力が。
「…………」
分かっている。
そんなものはないことくらい。
だが、望んでしまう弱い自分が居る。
脆弱な心を持つ自分。
殺してしまいたい。
自らの手で。
消してしまいたい。
この世から。
「出来ないくせに……そんな勇気もないくせに……」
ベッドから立ち上がり、窓の外を見る。
慌ただしく立ち回る警備兵。
その光景を今日何度見ただろう？
何度見ても光景が変わらない。
拳を握り、窓を殴りつける。
ガラスは砕け、キラキラと光りながら散っていった。
それでも、現実は変わらない。
相変わらずの景色。
その時、この部屋への訪れを告げるブザーが鳴る。
億劫だが出るしかない。
足を引きずりながら端末の傍へと近寄り、緩慢に操作する。
「……誰だ？」
「――――」
聞きたくなかった。
望んでいない。
そんなことは……。
「ケイスケが――――死んだ？」
地面が揺らいだ気がした。
白い部屋。
清潔なベッド。
そこに眠るように横たわる死体。
ケイスケ。
信じられなかった。
いつもの冗談だと思いたい。
ひょっこりと目を開け、冗談でしたと言ってほしい。
そして、いつものように叱りつけたい。
しかし、計器類が告げる宣告に嘘はない。
一本線の心電図。
切ってある呼吸器。
暴れたかった。
何もかもをかなぐり捨て、辺りのものを殴りつけたい。
だが、その気力もない。
「ケイスケ……」
ただ、そう言うのが精一杯だった。
頬に触れると、まだ温かい。
生きていると信じたい。
看護兵が告げる。
「すみません……」と。
謝って何か変わるのか？
変わるのなら、俺がいくらでも謝ろう。
神に祈って結果が変わるのなら、いくらでも祈ろう。
「馬鹿か……俺は」
分かっている。
そんなことはありはしない。
神など居やしない。
ケイスケが死んだのは事実だ。
受け入れろ。
いつもそうしてきただろう？
仲間が死ぬのを、傍で見ているしかなかっただろう？
「…………」
頬を伝う、冷たい雫。
それを拭うことで、自分の涙だということにやっと気づいた。
涙は留まることを知らないように、とめどなく流れ出る。
シックが近づき、何かを言おうとするが、その唇が動くことはなかった。
彼もまた、涙を流している。
ケイスケは技量がなかった。
だが、人一倍努力をしていた。
その光景が自分と重なったのだろう。
努力することで、周りに追いつこうとしていた自分と。
シックは暇を見てはケイスケと話をし、色々とアドバイスをしていた。
「ケイスケ……」
ケイスケはアキトの元へ配属となった。
技量がないケイスケ。
だが、度胸はあるケイスケ。
それが好ましく、纏わり付いてくることさえ疎ましくはなかった。
少し馴れ馴れしいが、悪い気分ではなかった。
何と言えばいいのだろう？
弟、というものだろうか？
そのような感じさえしていたのだ。
看護兵がケイスケだったものの顔に、白い布を被せる。
アキトとシックは、自然と敬礼をしていた。
共に生きた、共に闘った、仲間に対して。
ここはどこだ？
暗い空間。
狭いようで果てしなく広い闇。
今、目は開いているのだろうか？
それを確かめようにも手が動かない。
神経がなくなったかのように、感覚が一切感じられない。
寒い。
暑い。
それすらも分からない。
（……ああ、そうか）
これが死ぬというものだと理解する。
予想外だった。
死んだら綺麗なお花畑に行って、脱衣ババアと一戦交えるものだと思っていたのに。
全く、予想外だ。
あんな形で死んでしまうとは。
まだやりたいことが沢山あったのに。
（あれ？ やりたいことって何だっけ？）
考えようとするが、頭が回らない。
だが、勝手に脳内の再生される映像は止まらない。
頑固で、悪戯が好きな
地味だけども、誰よりも優しい心を持っている
笑みが零れる。
そういえば、隊長がカイに殴られるのは日常だった。
逃げた先で、その光景を陰から覗く先輩は、いつも笑っていた。
（あ……スバル）
次に流れてきたのは、幼馴染の女の子。
小さい頃は、いつも一緒だった。
スバルの姉のギンガが羨むほど一緒だったのを覚えている。
（スバル……悲しむかなぁ？ 泣いてなきゃいいけど……）
死んだというのに余裕はあるらしい。
でなけりゃ、自分のことより他人のことを心配する筈がない。
ため息を吐く。
全く、自分は地味な先輩よりお人好しらしい。
一通り映像が流れると、画面は砂嵐に変わる。
もう、思い出さないといけない思い出はないらしい。
色々と思い出したからなのか、なんだか酷く眠い。
身体が消えていく。
感覚はないが、そのような感じがする。
痛みはない。
恐怖もない。
それが当たり前のように感じられ、全てを委ねる。
『これで、いいのか？』
声が聞こえたような気がする。
だが、ここに居るのはケイスケだけの筈だ。
気のせいだろう。
『お前はこれで満足なのか？』
また声が聞こえる。
今度はハッキリと耳に届いた。
声の主は男のようだ。
（うるさい……俺は眠いんだ。後にしてくれ……）
『阿呆か？ 寝たら死ぬぞ』
何を言っているのだ？
もう死んでいるからこうしているというのに。
『貴様には選択肢が二つある。一つは俺と共に生きるか、このまま豚のように死ぬかだ』
（だから、俺はもう死んだっての）
『いいや、まだ死んではいない。俺が殺させない』
（アンタも死んだからここに居るんだろう？ だったら、悪あがきはやめようぜ？ 無理なことはしない方が賢明だ）
男の苦笑。
『ならば……お前の身体は貰ってもいいか？』
（ならレンタル料払え。じゃなきゃ貸さん）
男は頷く。
（え……？ 頷いたことが分かる？）
その考えが脳裏に浮かんだ瞬間、視界がクリアになる。
闇はどこにもなく、自分の身体がハッキリと認識できる。
パニックを起こしそうになるが、アキトから教わった教えの通りに自分の今の状態を確認する。
まずは自分の状態の確認。
身体はある、手足も動く。
目も見える。
次に場所の確認。
白い部屋。
足元を見てみると、ケイスケは驚愕した。
（なっ！？ 俺飛んでる！？）
地面があるのは、今ケイスケが立っている場所よりも低い場所にあった。
そしてその場所には、見慣れたものがある。
ベッドに横たわる自分の身体。
今まさに看護兵が白い布を顔に掛けたところだ。
『どうだ？ 状況は呑み込めたか？』
（……やっぱり死んでいることは理解した）
男は苦笑した。
ついで手をケイスケに差し伸べる。
『俺に身体を貸せ。そうすれば、少しは長生きが出来る』
ケイスケは逡巡し、首を横に振った。
（断る。アンタと一緒に俺の中に入って、俺の意識が残る可能性はあるのか？ そんなリスキーはことは出来ないな）
『安心しろ。しばらくは俺が出ることはない。まぁ、その後はどうなるかは分からんがな』
ケイスケは男の目を見た。
本当のことを言っているように見える。
そして、何かを決意しているような目もしている。
（一つ聞かせてくれ。何故俺なんだ？ 死体なんかここには腐るほどある。その中で何故俺を？）
男は俯き、言い籠もる。
そして、ある一点を見つめ、口を開いた。
『アレを見ろ』
男の視線に自分の視線を合わせる。
そこには、悲しみに暮れる男が二人いた。
見覚えのある顔。
アキトとシック。
（……隊長と先輩？）
『アレを見て、何か感じることはないか？』
（……悪いことしたなぁって思う）
『なら、生き返ることだ。少しでも罪悪感があるのならな』
頭を掻きむしり、諦めたようにため息を吐くケイスケ。
（ああ、もう。分かった、分かったよ！ 貸せばいいんだろう？ だがな、俺の身体でおかしなことしてみろ。直ぐに追い出すからな）
男は小さく笑みを浮かべた。
過去を思い出すように、小さく。
『ああ、それは約束しよう。まぁ、俺が出ていったら死体に戻るかもしれないがな』
そう言うなり、男はケイスケの腕を掴みケイスケの身体へと近づく。
フワフワと頼りない足場を蹴り、自分の身体へと近づく。
そして、身体に吸い込まれるようにして二人は消えていった。
同時刻、医務室。
アキトは壁に力なく寄りかかり、シックは椅子に座りため息を吐くばかり。
時間だけが無情に過ぎ去る。
何もしたくない。
なにをすればいい？
そんな考えが頭の中をグルグルと駆け回り、なにもする気になれない。
ふと、アキトケイスケを見た。
「…………？」
それは微かな違和感。
布団の中に入っていた右手がはみ出しているのである。
だが、死体を見慣れた秋人は、死後硬直だと判断し再び視線を逸らした。
「――――」
小さな声。
シックも泣いているのだろうか？
シックに目を向けると、シックも此方を力ない瞳で見ていた。
二人して違和感を覚える。
今この部屋には二人しかいない。
二人は声を出してはいない。
では一体誰が？
ケイスケを見る。
白い布がずれている。
顔を見合わせると、二人はケイスケに近づいた。
「ケイスケ……？」
シックが小さな声で声を掛ける。
ピクリと、身体が反応する。
白い布を外すと、土色だった顔色が微かに紅潮しているのが分かった。
動揺の為か、シックの手が震える。
「……ケイスケ、起床の時間だ」
確かめるように、アキトが声を掛ける。
すると、口が小さく開く。
漏れ出る声は、「……あー」というものだったが、確かに聞こえた。
声を掛ける。
「ケイスケ……」
瞳が静かに、ゆっくりと開かれる。
明かりが眩しいのか、ショボショボとしているが、開いた。
瞳がアキトを捕らえる。
「秋ちー……？」
「秋ちーって呼ぶなって、言っただろ？」
二人は、涙を流した。
仲間の帰還を祝福して――――
「俺、どれくらい寝てたんだ？」
「寝てたんじゃない。死んでたんだ。そうだな、大体三時間くらいか」
アキトとケイスケはそんな軽口を交わす。
だが、そん部屋にいるもう一人の男の顔は渋っていた。
何かを言いたそうにしている。
「どうしたシック？ そんな地味な顔をして」
「地味なのは関係ない！ ……いやさ、二人とも受け入れ過ぎなんじゃないかなって」
秋人とケイスケは互いの顔を見合わせる。
するとアキトはため息を吐いた。
銃を手にすると、ケイスケの眉間に突き付ける。
「だそうだケイスケ。お前は死んでなきゃならんらしい」
「ああ、可哀想な俺。死んだら先輩の枕元で毎晩啜り泣きますからね……」
悲しみに暮れるアキトと、悲観的になるケイスケ。
おいおいと泣いてまでいる。
そんな茶番を見て、シックは苦笑した。
帰ってきた。
いつもの日常が。
ほんの少しだけの日常だが、それが何よりも今は嬉しい。
その日、医務室には三人の笑い声が溢れていた。
惨劇の中の光を祝福して。
翌日の会議場。
昨日の一件により、自らを恥じた上官達の態度は少しは変わっていた。
というより、秋人の姿を見るなり変えたのだ。
畏怖するように見つめ、距離を置く。
それも当然だろう。
また殴られでもしたら堪らない。
囁く声が聞こえる。
アイツは上官であろうと関係ない。
気にくわない者は容赦なく殺す悪鬼だ、と。
所詮、流れ者だ。
この基地には合わんのさ、と。
その囁きを耳にし、アキトは鼻で笑った。
関係ない。
所詮は無能のさえずりである。
そのような輩の下で働いていると考えるだけで吐き気がする。
「昨日よりは顔色がいい。よく眠れたみたいだな」
「ええ、そりゃもう。あのまま永眠するんじゃないかってくらい眠れましたよ」
アキトの冗談に苦笑するカイ。
だが、一変してその顔つきが変わった。
周りを見渡し、誰も聞いていないことを確認するとアキトの耳元で話す。
「実はさっき、ハンス中佐から辞令が下った。お前らはこの基地から出向することが決まった」
「そりゃそうか……。上官殴って、部下が死んだと思ったら生き返る。常識的に考えたら、そんな奴等は傍に置いておきたくはない、といったところでしょう？」
「まぁ、それもあるだろうが……これはお前らの腕を見込んでのことだ。それに、今この基地でまともに動ける部隊はお前らだけだ。
お前らにはハガネへ向かってもらう。知っているだろう？ スペースノア級万能戦闘母艦弐番艦のことだ」
スペースノア級万能戦闘母艦。
ＥＯＴを用いて建造された戦艦。
建造目的が「地球脱出用」と「地球防衛用」の正反対の意見に分かれており、その両方を満たす為もあって船体は建造しやすいブロック構造を採用しており、
艦首部分は必要に応じて様々なオプションと交換できるなど戦艦らしからぬ柔軟性を持つ。
ハガネは艦首に大口径のトロニウムバスターキャノン――小型化できなかった――を装備しており、攻撃力は高い。
そしてＥＯＴとは外宇宙からもたらされた超技術であり、未だに謎が多い。
研究は進められているようだが、全てを解析するには至ってはいないのが現状である。
だが、聞いた話ではまだハガネはロールアウトしていない筈である。
そのことを訊ねてみると、
「ああ、まだ戦える状態じゃない。だが、着々と準備は行われている。この間の襲撃が起きて以来、急ピッチで進んでいるらしい」
この間の襲撃、ディバイン・クルセイダーズであるクレイルとテンザン、そしてフェイト。
ディバイン・クルセイダーズの目的、思想がハッキリしていない今、いつ、どこが攻撃を受けるか分からない。
そして何よりもあの起動兵器――リオン――を見る限り、技術は圧倒的に向こうの方が上である。
そのような輩が集団で攻撃してきた場合、対抗できるのはハガネのみと判断してのことであった。
だが、腑に落ちない点もある。
何故今、アキトたちが此処を離れなくてはならないのかだ。
この間の襲撃が最後だとは思えない。
しかし、もし奴等の狙いがこの基地ではなかったとしたら。
その目的は自ずとタイプＴということになる。
ゲシュペンストの新型機。
念動力者専用の機体。
この機体が欲しいのならば納得がいく。
「成程……俺達にタイプＴを運べ、ということか。あの襲撃の際、タウゼントフェスラーの爆発は大して大きくなかった。それは何故か。
答えは簡単だ、燃料があまりなかった。あのタウゼントフェスラーは給油の為にここに寄っただけ。
そうなると……本当の目的地は極東基地ではなく、ハガネがあるミッドということになる。違いますか？」
カイは頷く。
そして苦い顔をした。
すまなそうに顔を俯かせる。
「本当はお前らには任せたくはない。頼りないからじゃない。だが、どうしてもあの機体を見ると思いだしてしまうだろう。
ケイスケの怪我のことを、フェイトのことを……」
その言葉を聞き、アキトは鼻で笑った。
カイが不思議そうに見るが、アキトはクツクツと笑う。
一通り笑うとアキトは言った。
「何だそんなことか。大丈夫ですよ、アイツ等は。そんなに柔じゃない。それは少佐が一番よく知っているでしょう？ 大丈夫ですよ。次遭ったら――――殺しますから」
「すまない……部隊編成で不都合があったら言ってくれ。都合しよう」
「なら……ケイスケは置いていきます。アイツは怪我が治った訳じゃない。足手まといになる。俺とシックだけで十分だ」
そういうとアキトは席を立ち、その会場を後にした。
残されたカイは苦渋の表情をし、テーブルに拳を叩きつけた。
言葉が漏れる
「そうじゃ、ない……！ 俺が言っているのは……お前だ、アキト。お前が、一番不安定なんだ……」
その言葉は喧騒に呑みこまれ、誰の耳にも届かない。
秋人に呼ばれ、シックはブリーフィングルームへと足を向けていた。
一体何の用なのだろう？
ケイスケのことではないのは確かだ。
ケイスケの身体に異常が見つかったのなら、隠さず本人に直接言うのが秋人である。
では、あの襲撃犯の正体が分かったのだろうか？
いや、それは早すぎる。
それに、シック独りだけに話すのも不自然だ。
そんなことを考えながら歩いていると、見知った顔があった。
そっと近づき、背後から声を掛ける。
「どうしたの？ スバル」
スバルはシックにやっと気づいたようで、恐る恐る振り向きホッと息を吐いた。
その態度に思わず笑みが零れてしまう。
シックの視線が自然と下がり、その胸元に視線が当たる。
決して胸を見ている訳ではない。
そこにある花束を見てるのだ。
「その花はケイスケに？」
「はい。……でもケイスケ喜ぶかな？」
「喜ぶも何も、こんなに可愛い幼馴染から貰ったんなら嬉しいに決まってるよ。大丈夫、きっと巧くいくって」
シックの言葉を聞くと、スバルはキョトンとした顔をした。
やがてその言葉の意味が分かったのか、顔を紅潮させた。
「ち、違います！ あたしとケイスケは、その……とにかく違います！」
「そうなの？ 俺はてっきり二人は――――」
「あ、ああの！ し、失礼します！」
そう言うや否や、スバルは脱兎の如く駆け、その場から消えていった。
頭を掻き「悪いことしたかな？」と言うが、悪びれている様子は見受けられない。
「……ま、いいか。後はケイスケが巧くやってくれるだろ」
そう結論付けると、シックは再び歩き出した。
「失礼します」
ブリーフィングルームに入り敬礼をする。
アキトとは友人といえど、今呼ばれている自分は軍人としてのシック＝クローツェルである。
その証拠に、アキトも敬礼で返していた。
「貴官を呼んだのは他でもない。我々に任務が命ぜられたからだ」
端末を操作し、モニターを起動させ淡々と説明する。
目的はタイプＴの輸送。
タウゼントフェスラーだけでは先のような事態が起こった場合、どうしても対処ができないのでその護衛が任務だ。
輸送ルートを入念に説明するアキト。
シックは全て聞き洩らさないように聞くが、なにか疑問を感じた。
シックの瞳に映るアキトは、まるであの日のような眼をしている。
初めて逢ったあの日。
あの日は雨が降っていた。
傘も差さずに隊舎の中へ入ってきた男は、冷たい瞳をしていたのをよく覚えている。
シックには、まるで眼だけがあの日に戻ったかのように感じられた。
「――――という訳だ。理解したか？」
「え……？ ああ……すみません。ボーとしていました」
アキトはため息を吐くともう一度同じ説明をした。
やはりおかしい。
こういう時、真面目に聞かないとアキトは必ず怒る。
なのに、今日はどうだ？
怒るどころかため息まで吐いている。
明らかに異常だ。
「……ん？」
アキトが発した言葉に違和感を覚えた。
「隊長。何故ケイスケを外すのですか？ 戦闘は無理でも、管制くらいには使えると思いますが」
「いや、アイツは連れて行かない。これはこの作戦の責任者である俺の判断だ」
「ですが……！」
「お前は……いつから上官に歯向かうようになった？」
ゾッとする声。
そしてこの射殺さんばかりの瞳。
声が出ない。
肺は空気を求めているが、呼吸の仕方を忘れたかのように息ができなかった。
眼を背けなければと思うが、脳とリンクしていないのか身体は一向に動かない。
そんなシックを見て、アキトはふっと視線を外した。
「作戦開始時刻は明朝四時。遅れるな。以上」
アキトはシックを残し部屋を出ていった。
「――――っは！ はぁはぁはぁはぁ、ん……はぁ……」
重圧から解放された脳は新鮮な空気を求め、呼吸することを最重要課題としていた。
口から空気を入れるが、勢いが良すぎたのか咳き込んでしまう。
「なんだよ……アレは」
「なるほどね……」
医務室のベッドの中で、イヤホンを片耳に当て頷くケイスケ。
聞いているのは勿論ブリーフィングルームの会話である。
いつかシックが冗談で仕掛けた盗聴器が役に立ったと、ほくそ笑む。
アキトがおかしいのは間違いなく自分のせいだろう。
だったら、その自分が元に戻すのがセオリーだ。
そう考えるとケイスケは瞑目し、どうやってついて行くかを考える。
だが、ドアがノックされる音がし、思考は中断された。
「どうぞー」
「あたし、入るよ」
スバルはドアの隙間から中を覗き込み、ケイスケだけだということを確認する。
確認が終わり、スバルはおずおずと入ってきた。
手を後ろ手に隠し、もじもじと落ち着かない。
どうかしたのだろうか？
「なにか用か？ 花ならいらないぞ。沢山ある」
「え……」
ベッドの横にあるサイドテーブルに視線を移すと、確かに色取り取りの花束があった。
しかもスバルが持っている花よりも鮮やかである。
唇をキュと結び、手を更に隠す。
「それで、なにか用か？」
こっちの気も知らないでケイスケは質問してくる。
心配するんじゃなかった。
泣いたのも間違いだった。
こんな奴………。
「そうだ！ お前に頼みたいことがある」
ケイスケはそういうと手招きをした。
そのまま近づくと、顔を近づけてきた。
（え……？ ここで！？ で、でも……ケイスケがしたいんなら、やぶさかには……）
勘違いを起こし、目を瞑るスバル。
心臓はドキドキと早鐘を打ち、落ちつかない。
そんなスバルにケイスケは耳打ちをした。
「――――という訳だ。協力してくれるか？」
「……うん」
スバルは少し残念そうな顔をしながらも頷いた。
項垂れるスバル。
その時、手が前へと来てしまった。
「ん？ その花束どうしたんだ？ 誰かの見舞か？」
「こ、これは……その」
先程いらないと言われた花。
見劣りする自分。
渡せるわけがない。
こんな物を。
「ティ、ティアが持って行けってくれたの！」
口から漏れ出た言葉は偽り。
よりにもよって親友の名を騙るとは自分が嫌になる。
「ランスターさんが？ そりゃ嬉しいな」
嬉しい。
スバルにはいらないと言っておきながら、ティアナの花は嬉しいと言った。
肩がワナワナと震える。
涙が溢れそうになる。
「どうしたスバル？ どうかしたのか？」
後ろを振り向き涙を拭い、また振り向きと満面の笑みで、
「なんでもないよ。それよりよかったね。ティアからお花貰えて。あ、明日の朝三時に集合だね。遅れないようにするから。それじゃあ！」
そう捲くし立てると、スバルは医務室を後にした。
誰もいない廊下。
その暗がりの中で、泣いている影がある。
スバルだ。
壁に背を当て、さめざめと泣いている。
泣いている理由は、先ほどのケイスケとの会話だ。
「う……あぁ、うっく……あう……」
悲しい。
ケイスケが自分より親友の花が嬉しいといったことが。
悔しい。
親友の名を騙ってしまった弱い自分が。
「ああぁぁぁぁぁぁっ！」
誰も居ないのをいいことに、大声で泣く。
だが、聞いているものが居た。
闇の中で赤い小さな炎が揺らめいている。
その炎は静かに動き、スバルに近づく。
やがて隣まで近づき、スバルと同じ恰好で背を壁に掛ける。
「どうした？ そんなに大声で泣いたりして」
「うあ……あ、アキトちゅ、うい……？」
アキトはタバコの煙を吐き出すと頷いた。
「そうだ、アキト中尉だ。文句あるか？」
首を横に振るスバル。
上官の前で泣くのは拙いと、涙を拭おうとするが涙は後から後から溢れ出て来る。
アキトは横目でスバルを見て、一言。
「お前に命令を与える。これはとても大事な任務だ」
「は、ふぁい……？」
涙でくしゃくしゃの顔のままで敬礼する。
アキトはスバルから顔を背け、静かに言う。
「ケイスケを頼む」
「え？ 今、なんて……？」
タバコをくゆらせながらアキトは頭を掻いた。
「俺じゃ無理なんだ。俺は、その……口下手だ。だから巧く言えないが、ケイスケと一番近いお前ならケイスケの支えになってくれると思っている。
だから俺達が居ない間、ケイスケを頼む」
そう言うとスバルの頭に手を置きクシャクシャと撫で、その場を離れた。
その場に残されたスバルは呆然としていたが、やがて脳が動き出す。
「ケイスケを支えられるのはあたしだけ……」
口の中でそう反芻すると、気力が漲ってくるようだった。
だが、先ほどケイスケから聞かされたことを思い出す。
「……あれ？ じゃあ……駄目なんじゃ？」
あとがき
ケイスケは無意識です、どうもシエンです。
今回スバルがヒロインのように感じました。
でも、ケイスケの態度はやり過ぎでしょうか？
ではまた次回。