頭蓋骨が軋む、当たり前の鼓動。

夢のまた夢の中で目を覚ましたのはつい先頃のこと。

 

愚鈍の塊の体を起こし、灰色の四肢を伸ばして、腐った吐息を吐く。

抉られた瞳の奥に潜む真っ黒な眼窩が最初に見たのは、意識の壁だった。

 

元は空白だった場所を隙間なく埋めつくした言葉と言葉の奔流――本人の意識から自ら別離した、記憶の保管庫。

記憶は過去となって夢となる。

 

夢はいつしか数え切れない言葉を纏め上げ、一つの意識へと昇華する。

無駄なものはない。

 

全てが無意味なものだから。

あってもなくてもどうでもいい、ただ、それだけの認識しかない。

 

此処は生きてる。

行き場を失くした泥が生き場を求めて、此処に寄せ集まった、ゴミ捨て場だから。

 

夢とゴミ捨て場。

生きる意味を欲する本能に抗えず。

 

盲目の管理人の眼に脅えながら。

盲目の監視役の餌場としての役割を果たすため。

 

盲目の古道具の意味を知るために。

シルクハットの下で三日月の笑みを浮かべる紳士は、嬉しく悲しく、

 

――名も無き獣、野生の狼の俺を食べた。

 

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ある夜半の日。

北から南へと気紛れな風の音に乗って歩き続けること二時間。

いつまで経っても木と森に囲まれた山道を抜けることが出来ない。

真っ直ぐ一本線通りに足を進めても、一向に出口らしきものが見えない。

 

おかしい。これはかなりおかしい。

狐に化かされたか狸におちょくられてるのか。

月明かりの下で首を傾げながら、少しばかり歩を速めてみる。あまり意味はなかった。

 

無駄に長すぎる、舗装責任者出て来い。

今ならその三本毛の髪を毟り取るだけで勘弁してやる。

綺麗さっぱりとなったハゲアタマで残りの人生を歩みやがれ。

 

――なんて性もないことを考えるのはやめとこう。

 

気長にいくしかない。

太陽を拝む時間まではまだ余裕がある。

 

時折、風が運んでくる潮の匂いが鼻腔をくすぐる。近くに海がある証拠だ。

太陽が昇る時間が好きな俺にとって、海から昇ってくる太陽を是が非にでも見たい。

 

やばい。はやる気持ちを抑えられない。

後脚に力がこもるのが分かる。

地面が痛いほどめりこむ。このまま感情に任せて見えない出口まで突っ走るか。

 

そう考えてたら――嗅ぎなれた匂いが鼻っ柱をつついた。

これは、人間の匂い。

今の時代を我がもの顔で徘徊する霊長類の種族。

 

この時間帯でこの場所に人間がいるのか。

ここの地元民だろうか。それとも旅人か。

どちらにしても互いに鉢合わせたら、それはそれで愉快なことが起こりそうだな予感だな。

 

揉め事は極力避けたほうが得策だ。

幸いにも匂いのもとは後方から約百メートル先といったところか。

 

さて、どうしたものやらか。

こちらから干渉しなければ相手は何もしない筈。

ここは定石通りに何処かに身を隠して人間が通り過ぎるまで待つ――それでいくか。

 

月明かりを頼りに辺りを見回すと、木、木、木、木、木、木とそれしかなかった。

この図体を隠すには手頃のいい幹の太さなんだが、天頂にある月の位置がまずかった。

 

左右にある木の後ろに隠れても、月明かりが山道の真ん中に影を落とす。

等間隔で映し出された影の中に全く形が異なる影を、人間は見落としてくれるだろうか。

 

可能性は限りなく低い。

むしろ興味津々に覗き込んでくるかもしれない。

だとすれば、どこに隠れるべきか。

 

くん、と鼻を鳴らす。

匂いが強まってきた。

残りあと五十メートル。

時間はあまりない。

残る場所は――あそこしかないか。

あまり気乗りしないまま、視線の先にある夜風が揺らす木の葉を眺めて、溜息を一つ吐いた。

 

――やっぱり、やめとけばよかったかも……

 

左右に揺れる枝の上に四肢を乗せて、後悔の涙が胸の内を満たしてます。

流石に頂上近くまで登れば、地上より凶暴な強風が灰色の左側を情け無用に殴ってくる。

これがまた痛い。

鉄筋コンクリートに叩きつけられてるような感覚だぞ、これは。

 

お、落ちてたまるか。

怖いけど落ちたら何もかもお終いだぞ。だから頑張れ、俺。

恐怖と戦いながら下を覗きこんでみる。

体を覆い隠す木の葉が月明かりを遮断してくれるおかげで、地上に影が生じることはなかった。

 

視神経に小さな黒点の情報が流れ込む。

鷹ほどの視力はない。

代わりに嗅覚と聴覚で確かめる。

土を踏む足音、人間味のある匂いの中に潜むのは――窮屈な鋼鉄の街の中で住んでる人間とは違う、自然と共に過ごした野生の孤独の匂いだった。

 

珍しい。今まで出会った人間とは違う。

けど、匂いだけでは全てを知ることは不可能。

直に触れて直に感じないと分からない。

だが、それは無理なことだ。

 

興味はあるけど馴れ合う気はない。

種族が違う同士が出会ってもあまりいいことはない。

線の外側から関わることも交わることもなく、俺はただ静観するだけだ。

 

柄にもなくしんみりとしていると、人間が真下を通るところだった。

木の上にいることに気付く様子はない。

どうやら何事もなく通り過ぎてくれるようだ。

 

安堵の息を吐き、前脚に少し体重を乗せた。

 

――それがいけなかった。

 

ぱきん、と乾いた音が鼓膜を叩いた。

気付いたときには既に遅かった。

重力に従って一直線に落ちていく折れた枝が痛々しいほど眼に映る。

 

着地点は人間の足元。

大地に突き刺さったその様は、一振りの剣だった。

目を点として呆然と見てる人間の顔が容易に思い浮かべた。

 

さあ、どうする。

最大の失敗を犯してしまったこの時点で最悪のフラグは立った。

逃げようにも隣の木に飛び移る勇気がない。

まして降りたら完璧に鉢合わせする。

 

なら最後に残った選択肢は、祈りしかない。

目を瞑って普段は信じていない神に見つからないようひたすら祈る。

 

「――――っ。――――」

 

声が聞こえる。

発音源からして真下にいる人間からみたいだ。

そっと瞼を開けて下を見ると、もぞもぞと何かをしていた。

よく見えないが、俺が落とした枝らしきものに夢中になってる様子だった。

 

五分後。息を潜めてひやひやと見守ってる中、

 

「――うしっ、完成だ」

 

満足げな声が聞こえた。

遅れて風を切る音が耳に届く。

力強く甘さがある心地よい音色だ。

それに意志の鼓動も感じる。

再び瞼を閉じてその音に少し酔いしれた。

 

足音が遠のいていく。

匂いも大分遠くにいってしまった。

地上に降りた俺は地面に散乱してるそれらに目を傾ける。

 

無残に散らばる木の葉と削り取られた木の屑。

あの人間が何らかの作業をした痕跡だった。

作業対象されたのは言うまでもなく、さっきの枝だ。

 

何を作ったのだろう。気になる。

人間が去った闇の向こう側、夜風に誘われるまま歩もうとしたら、

 

――突然視界がぼやけ、四肢の毛穴から力が空気のように抜け落ちた。

 

体が気だるい。

頭の中を濃霧が浮かんでる。

意識が朦朧としてきた。

忘れていた、それはもう綺麗さっぱりと清々しいほどに。

睡眠と睡魔の二つの言葉を。

 

三日前から一睡もせずに旅をし続けた代償が今きた。

無理もないか。

仕方ない、今回は海で朝日を拝むのは諦めよう。

 

不眠は流石に体にこたえる。

ここは素直に小悪魔の誘いに甘えるとしよう。

 

近くの木に身を寄せて、四肢を折畳み式の椅子のように折る。

根元を寝床にして、灰色の毛並みの尾を布団代わりに丸めた体に回して、完成っと。

久しぶりの睡眠だ。

骨の骨の先までじっくりと味わせてもらおう。

 

お休み――――良い悪夢が見れますようにっと。

 

 

 

そして夢の夢の中で目を覚ます。





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