唐突だが。    

        高町なのはの朝は、一家の中でも一番遅い。

    それと言うのも、彼女自身の体質にもさることながら、一家の朝が異様に早いことも原因していた。

    近所でも評判の喫茶店を営む両親は、毎朝早くから店の仕込みや準備を始めている。

    十近く年の離れた兄と姉は、父譲りの剣術を磨くために道場に籠り、汗を流すのが日課であった。

    そんなわけで、両親を手伝うには幼すぎ、剣の才能にも恵まれていないなのはは、生まれてからの九年間、高町家不動のねぼすけだった。

    そんな彼女が毎朝の日課を手にしてから、すでに一月。

    基本的に自分のことは自分でできる人間ばかりのこの家において、なのはに朝の日課があることは今までなかった。

    何しろ、なのはが起きたころにはもう何もすることがない。朝食は完璧に用意され、家族は既に食卓についているのが常であった。

    恐らく、一月前のなのは自身がこれを知れば、大いに驚いたことだろう。

    兎にも角にも、今日も若干遅めの、しかし登校には支障のない起床をしたなのはは、制服に着替えるとその足で兄の部屋へと向かう。

    当然、その部屋の主は既にお目覚めであるから、目的は兄ではない。

    コンコン、と控えめに扉をノックする。

    自分なら確実に目覚めないであろうその振動にしかし、部屋の中の人物が呻いたのをなのはは敏感に感じ取り、声をかけた。


    「お・は・よー。早く支度しないと遅刻しちゃうよ?」


    その声に反応し、のそりと起き上がったであろうその人を待つため、なのはは一歩扉から離れる。

    程なくして扉から現れた『彼』は、目を引く銀髪を寝癖で盛大に暴れさせ、目をこすりこすりしながら、なのはに欠伸混じりの朝の挨拶をした。


    「……おふぁよ、なのは。今日も早いね。」

    「おはよう、ヴェイン君。今日もねぼすけさんだね。」


    この一月ですっかり起こし起こされることが日課になった二人は、並んで食卓に向かう。

    ヴェイン。またの名を、高町ヴェイン(仮)。

    半年と少し前から高町家に加わった、超絶ねぼすけの名である。

    



―――――――――――――――――






                            魔法少女リリカルなのは The imitation
      


                                響く祈りはこの声に:Re
 


                                    第一話 
          


                                『寝癖銀髪と魔法少女(予定)』 










―――――――――――――――――



        

    「ヴェイン君! 私、先に行くよ!」

    「ふぁい! いっふぇらっふぁい!」
    
    「バス停で待ってるから! 早く来てね!」

    「りょうふぁい!」

    「ヴェイン。食べながら喋るのやめなさい。」


    未だ朝食の真っ最中のヴェインを残し、一足先になのはが家を出る。
    
    その姿を見送りながら、トーストを同時並行で攻略するという行儀の悪い見本のようなヴェインの食べ方に、

    高町家の大黒柱、士朗がたまらず口をはさむ。

    ジト目の注意に不穏なものを感じたヴェインは、口の中にあったトーストを一気に牛乳で流し込んだ。


   「……っぷふ。ごめんなさい、急いでた…、というか急いでるから、つい。」

   「だったら早く起きればいいだろう。大体、同室の俺が起こしてもピクリともしないのに、なのはだと一発で起きるとはどういう了見だ?」

   「そりゃあヴェイン君も、年上男子の恭ちゃんに起こされるより同年代女子のなのはに起こしてもらった方が嬉しいでしょ。ねぇ?」

   「いや、そういうこと聞かれるとすごい困るって解って聞いてるよね、姉さん。」


   わざとなのかそうでないのか、士朗と、ヴェインを自室に住まわせている恭也の逆鱗に触れそうな話題を振ってきた美由希の問いに曖昧に答え、

   ヴェインは四枚目のトーストに手を伸ばす。

   その様子に、不老の魔女・高町桃子がため息を漏らした。


   「それにしても良く食べるわねぇ、ヴェイン君。それで太らないなんて羨ましいわ。」

   「それ、桃子母さんの体型で言っても説得力ないよ。」
        
   
   言いながら黙々とトーストを消化するヴェインは、実際は恐ろしく燃費が悪い。

   一応同学年のなのはと比べると、その違いは男女の差を差し引いても一目瞭然だ。

   何しろなのはと同じメニューでは、学校の一時間目が終わるころには腹の虫が反乱を起こす。

   そのため、トースト一枚で満足するなのはと違い、朝から平均五枚はパンを胃に収めていく。

   だからと言って特別早食いなわけでもなく、起床の遅さも相まって朝の時間は非常に厳しい。

   同じ家にいるのだからと、一緒に登校したがっていたなのはも、さすがに遅刻はまずいということで先に家を出るようになった。

   
   「まあいいさ。子供はお腹一杯に食べて、学んで遊ぶのが仕事だ。たくさん食べることに文句はないぞ、私は。」


   うんうんと大きく頷く士朗の姿に気を良くしたのか、ヴェインは普段より少しばかり多めにジャムを塗りつけたトーストを頬張る。

   途端に全身で『美味しいオーラ』を放つその様子に、今度は桃子が気を良くした。


   「ホント、いつも美味しそうに食べるよねぇ。恭也、あの表情の豊かさちょっと分けてもらいなさい。」

   「そこまで無愛想じゃないよ、俺は。こいつが豊かすぎるだけだ。……それよりヴェイン、いい加減時間危ないんじゃないか?」

   「嘘!? …わ、ホントだ! あと十分!」


   壁時計の時刻を確認したヴェインは先ほど同じようにトーストを牛乳で流し込むと、慌ただしく鞄を持って玄関に向かう。

   ヴェインがこの家に来て以来、習慣化しつつある光景だった。  

   トーストを齧りながら通学路を駆けてゆくという、最近は少女漫画でも見かけないことを素でやるヴェインは、ご近所との折り合いも上々。

   身体に似合わぬ大食いっぷりも有名になり、すっかり『高町さん家のヴェイン君』として定着しつつあった。

   今や素直で可愛いと前々から評判だったなのはと並び、ドジで子犬っぽい喫茶翠屋の看板息子と称されるほど。

   並行してその目覚めの悪さもご近所の知るところとなり、高町邸が慌ただしくなるこの時間は聖祥大附属小のバス発車時刻、つまり通勤時刻を程良く知らせる

   便利な時報として隣近所に利用されていた。


   「ヴェイン君、教科書はちゃんと持ったの?」

   「持った! 国語と、理科、算す……、うあ! 算数入ってない!」

   「算数の教科書なら机に置き去りになってたぞ。」

   「兄さん! 気づいたなら取ってきてくれたらいいのに!」

   「生憎お前の時間割を知らないんでな。自分で行きなさい。」

   「うはー。恭ちゃんてば相変わらず鬼畜だねぇ。ホントは時間割知ってるくせに。」

   「……美由希。もたもたしてるとお前も遅れるぞ。恭也はもう支度できてるみたいだが。」

   「うお!?」

   「愚妹め。……それじゃ、俺はお先に。行ってきます。」

   
   一人着々と支度を終えていた恭也に遅れること一分半。

   玄関を飛び出した時点で既に息切れをするヴェインにとって、バスに間に合うことは至難の業であった。





―――――――――――――――――――――――――――





   案の定、ヴェインはバスに間に合わなかった。

   遠ざかっていくバスの後ろ姿が未だ目に浮かぶ。

   その最後部座席で自分を見る三人の少女の表情も。


   「いやー、朝のアレは傑作だったわね。あそこまで迫っておいて最後に転ぶなんて思いもしなかったわ!」

   「うう、うっさい! 人の不幸を笑うなんてサイテ―だぞ、アリサ!」


   昼休みの屋上。

   奇跡的な追い上げでバス停を目前にしながら、乗車直前で見事にすっ転んだヴェインの武勇伝をネタに、いつものメンバーが弁当をつついている。

   中でも、その光景に一人バスの中で爆笑していたアリサはひどく今日の事件が気に入ったようで、何かにつけてヴェインをからかっていた。

   
   「でもヴェイン君、大丈夫だった? 転んだのに足じゃなくておでこを怪我するなんて、よっぽど派手に転ばないとならないよ?」

   「なのはちゃん、それあんまりフォローになってないよ…。」


   純粋に心配しているのは伝わるが微妙にずれているなのはに、すずかがやんわりとツッコミを入れる。

   アリサの精神攻撃に晒され続けたヴェインは、堪らずすずかに泣きついた。


   「すずかぁ! もうダメ、どうにかして! なんとかしてアリサを止めて!」

   「えっ!? えっと、なんとかって言われても……。」

   「大丈夫! すずかなら平気! 一人じゃ無理でもなのはと二人がかりならなんとかなるよ! だから助けて!」

   「えと、えと……。な、なのはちゃん……。」

   「大丈夫だよ、ヴェイン君。アリサちゃんもずっと同じ話なんかしないもん。今日一日の辛抱だよ!」

   「ほら! なのはは単体じゃ戦力にならないんだから!」
   
   「ふ、ふふ。…あぁ、笑ったわ。毎回笑いの提供ありがとね、ヴェイン。」

   「うっさい!提供したくてしてるわけじゃないですっ!」

   「でもヴェイン君ってちょっとドジだよね。よく転ぶし、今日も寝ぼけて階段から落ちそうになってたし。」

   「な、なのはちゃん!」

   「……ぷっ! 何アンタ、そんなことまでしてんの!? あは、あはははっ! 」

   「なのはぁ!? この裏切り者ぉ!」

   「あああ、落ち着いてヴェイン君! 私もそういうこと偶にありますから! アリサちゃんももう笑うのやめて! ヴェイン君泣いちゃうよ!」

   「……あれ? 私なんか変なこと言った?」

   「もっ、やめてよ、あはは、くる、苦しっ、お腹痛っ、あはははは!」



   結局これといったフォローをもらえなかったヴェインは、弁当を食べ終わるまでの間終始アリサに笑われっぱなしで過ごした。

   このやり取りもまた、ヴェインがこの学校にやってきてからほぼ毎日続く恒例行事だった。








   思い返せば、四ヶ月ほど前。

   『高町と一緒に住んでる転校生』という注目度抜群の前情報を引っ提げて登校初日を迎えたヴェインは、

   当然の帰結としてクラスの悪ガキグループに目を付けられ、悪戯の的にされてしまったのだ。

   そうはいっても、たかが小学三年生の悪ガキの悪戯などずいぶんとかわいいもので、定番の『黒板消しトラップ』に毛が生えた程度のものだった。

   その名も『雑巾トラップ』。滴るほどの濡れ雑巾を床に置き、滑って転ぶのを期待するというもの。要はバナナの皮の代用ということだ。

   普通なら引っかかるはずもない幼稚なトラップにしかし、緊張で初代メカゴジラのようにガチガチになっていたヴェインは見事に引っかかった。

   悪ガキグループの目算に見事に嵌ったヴェインだったがしかし、一つだけ彼らの予想を上回る行動をしてのける。

   予想以上に派手にこけたのである。

   尻餅をつく程度を予測していた悪ガキ連中は、前のめりに転んで勢いのまま教卓に顔から突っ込んで動かなくなった転校生に反応ができなかった。

   一瞬の沈黙の後、教室に響いた笑い声。

   教師も含めたクラスの大半が唖然とし、なのはが顔を青くして口をパクパクとさせている中、アリサだけは腹を抱えて笑っていた。

   ツボだった。無論、笑いの。

   悪ガキが教師に絞られているときも、烈火のごとく怒り狂ったなのはをすずかが止めているときも、アリサだけはただ延々と笑い続けていた。

   それ以来、ヴェインの行動はいちいちアリサの笑いのツボに嵌るようになってしまったのだ。

   ヴェインの顔を見るだけで笑えて来るアリサに対し、ヴェインはそのドジっ娘ならぬドジ男属性で日々新たな笑いのネタを供給する。

   その関係が成り立ってからというもの、昼休みはヴェインにとって試練の時間となっていた。







   「そう言えば今日も塾かぁ。なぁんかやる気しないわねぇ。」


   昼休みも残りわずかとなり、屋上から人影が減りだした頃。

   弁当を食べ終え、いい加減笑い疲れたアリサが、生真面目な彼女にしては珍しく気だるげにそう言った。

   曖昧に笑って返すなのはとすずかも心境は同じなのか、否定の言葉は口にしなかった。

   無言の同意を得たアリサは、一人塾通いをしていないヴェインに恨めしそうな視線を送る。


   「アンタはいいわよね。塾になんか通わなくても成績いいからね。」

   「別にそんなでもないよ。授業でやってないことは全然わかんないし。ていうか成績云々でアリサに文句言われたくない。」

   「でもヴェイン君、一回でも教わった事ってすぐ覚えちゃうよね。この前の小テストも百点だったでしょ?」

   「あのテスト、百点だったの!? 私、あんまり点数良くなくて怒られたのに…。」

   「すずかの良くなかったはあんまりアテにならないけどね。…でも百点はすごいわね。」

   「でしょ? 今度から私、ヴェイン君に勉強教えてもらおうかなぁ。」

   「あ、私もお願いしたいです。」

   「いやいや。無茶言わんでくださいよ、お二人。」


   ある意味学生らしい、しかし最近の小学生にはあまり見られない向上心で会話を続けるなのはとすずかに、あまり乗り気でないヴェインが言った。

   一方、向上心は人一倍だが、今日に限ってやる気の出ないアリサは、うー、と唸ってから勢いよく顔を上げた。

 
   「ねえ、今日の塾サボっちゃわない?」

   「ええっ! そんな、だめだよアリサちゃん!」

   「ばれたらお父さんに怒られますよ?」

   「一日くらい平気よ。それに、ヴェインを一人だけ仲間外れにするなんてよくないじゃない。」

   「うう、それはそうだけど……、」

   「ほら、この前言ってた美味しいアイス屋さん行ってみよ!あそこなら歩いて行けるし。ね?」


   ヴェインを引き合いに出すことで正当性を勝ち取ったアリサが、たたみかける様に会話の主導権を握る。

   なのははヴェインに甘いから彼と寄り道すると言えば結局は一緒に来るだろうし、すずかもそうなれば来ざるを得ない。

   寄り道することをほぼ確定させたアリサは、早くも何味のアイスを頂くか考え出していたが、待ったは意外なところからやってきた。


   「あー、申し訳ないんだけどさ。俺、それパス。」

   「…はい?」

   「いや、だから。寄り道パス。」


   なのはやすずかではなく、放課後は確定的に暇人であるはずのヴェインからの『待った』。

   予想しなかった伏兵に、アリサは完璧に出鼻を挫かれた。


   「あれ? ヴェイン君、何か習い事してましたっけ?」

   「全然。お誘いも全部丁重にお断りしましたよ?」

   「じ、じゃあなんでよ!? 私からチョコチップアイスを奪うだけの正当な理由があるんでしょうね!?」

   「アリサ、もう何食べるか決めてたんだ…。」
   
   
   自ら「実は多忙説」を否定したヴェインに、頭の中では既にアイスを頬張っていたアリサが猛然と抗議する。

   その勢いに押されながらもはっきりしないヴェインに、アリサの暴走ボルテージが上がっていく。

   そんなアイスの暴徒と化したアリサをなだめようとしたすずかは、ふとなのはの顔が険しくなっていることに気付いた。


   「なのはちゃん? どうしたの?」

   「あ、うん。…ちょっと、気になって。」

   「気に…? ヴェイン君のこと?」


   その問いに頷きだけで返すと、なのははヴェインに目を向ける。

   既にアリサに胸倉を掴まれていたヴェインも、その視線に気づいた。

   そっと立ちあがってヴェインの目の前に立ったなのはに、アリサも掴んでいた襟を離した。

   二人の間に流れる神妙な空気に、アリサとすずかは思わず口を噤んだ。


   「ね、ヴェイン君。……また?」

   「……そんな睨まないでよ。仕方ないことなんだからさ。」

   「…仕方なくなんかない! ヴェイン君は私の家族でしょ!?」


   突然怒り出したなのはと、苦笑いで応じるヴェインの様子は、蚊帳の外に追い出された二人が状況を察するに十分だった。

  

  

   ヴェインは、高町の子ではない。

   それは明らかに日本人ではない名前からも、肌や髪などの全体的に薄い色素からもよくわかる。
   
   また、学校に通うため、便宜上高町を名乗っているが、養子でもないという。

   ならば彼はなぜ高町の家にいるのか。

   彼の転校以来、教師陣は一様に明言は避けていたが、それだけでも子供たちが答えに行きつくには十分なヒントだった。

   ヴェインは、高町家の縁者でも、正式な手順で高町家に加わったわけでもない。



   高町士朗に拾われた、捨て子である、と。

  
   
   「仕方ないんだよ。どんなに主張したって、俺は士朗父さんと桃子母さんの子供じゃない。高町の子じゃないんだから。」

   「違う! ヴェイン君は私の家族だよ! あの人たちに来てもらう必要なんてないもん!」

   「そういうわけにもいかないでしょ。それがあの人たちの仕事なんだからさ。」

   「それは…! そう、だけど…、」


   ヴェインが親の知れない孤児である以上、大人たちには彼の本当の親を見つけ出す義務がある。

   そのために幾度となく高町家に足を運んでいる児童相談員の来訪を、なのはは殊更嫌がっていた。

   彼らはそれが仕事であることは分かっているが、その仕事が達成されてしまったら、ヴェインは親元に帰ってしまうかもしれない。

   同世代ということもあって、高町家で一番ヴェインと親しいなのはは、家族がいなくなることが不安でならなかった。


   「まあ、心配しなくてもしばらくはお世話になるだろうから。俺、非協力的だし。」


   気遣うように笑うヴェインが言うとおり、彼は大人たちに協力的ではなかった。

   士朗に拾われる以前のことはほとんど口にせず、「解りません」「覚えてません」の一点張りを通している。

   あまりに頑ななその様子に、相談員達もよほど高町家が気に入ったのだろう、と最近はあまり深い話をしてこなくなった。

   彼らとてヴェインを無理に高町家から引き離すことが目的ではない。

   本人が望む環境を与えてやりたいのは山々なのだ。

   本当なら養子縁組に積極的な高町家の養子としてやりたいのだが、思惑に反して制度が邪魔をしてそう簡単には実現できない。

   結果、相談員達は乗り気でない聴取をせねばならず、養子縁組を実現できない士朗と桃子は、いらぬ罪悪感を深めている。

   恭也や美由希にしても、大事な『弟』を決して幸福ではなかったであろう生活に戻す気はない。

   誰もが望んでいて、しかし実現しないヴェインの養子縁組が、彼が未だ高町の人間になりきれない原因だった。

   そのことを一番不満に思っているなのはは、度々こうしてヴェインや両親と言い合いになることがあった。

   普段こそ極めて身内的な内容故、積極的に発言をしないアリサ達だったが、今回は自分たちの発言から起こった言い合いだ。

   さすがに場を収めようと、オドオドとしながらも精一杯言葉を絞り出した。

   
   「…え、っとさ。部外者の私達がこんなこと言うのも変かもしれないけど、」

   「あの、ヴェイン君が高町の家の子供になるのなら、きちんと相談員の方のお話を聞くのが近道だと思うよ?」

   「何をするにしたって法律を無視するわけにいかないんだし、プロの人を味方にしちゃった方が効率いいわよ、きっと!」

   「そ、それに、その人たちもヴェイン君には高町の家に残って欲しいみたいだし、えと、…と、とにかく心配しなくても大丈夫ですよ!」


   最後は半ば無理やり明るい方向に話を持って行きながら、二人がなのはを説得する。

   その言葉を頭では理解しながら、それでも不安そうな顔をするなのはの頬を、見かねたヴェインがぶにゅっと挟み込んだ。

   蛸のような口にされても抵抗しないなのはに、珍しく諭すような口調で語りかける。


   「すずか達の言うとおりだよ。あの人たちだって、何も悪い人じゃないんだから。」

   「…だって。ホントのお父さんたちが見つかったら、帰っちゃうかも知れないんでしょ?」

   「それは俺が決めること。…まあ、俺の言うことが全部思い通りになるとは限らないけど、俺は高町に残りたいって言うつもりだよ。」

   
   なのははそう断言するヴェインを上目づかいに睨んだ後、渋々ながらといった感じで僅かに頷く。

   それに安堵の息をはいて、ヴェインは同じ表情をしたアリサ達に向き直った。

   
   「よし、それじゃあアイス屋は無し! 皆はちゃんと塾に行くよーに!」

   「ええっ! なんでそうなるのよ!」

   「当たり前でしょ。俺をダシに使おうったってそうはいかないからな!」

   「ダシになんてしてないわよ!」

   「あれは思いっきりダシにしてたよ、アリサちゃん…。」


   結局先ほどとは一変、多勢に無勢となったアリサが折れ、放課後はきちんと塾に行くことが決まった。





――――――――――――――――――――――――




   放課後。

   相談員との面会のために真っ直ぐ帰宅するヴェインと別れた三人は、塾への通り道である公園を横切っていた。

   
   「まったく、いつまで縮まってる気なのよ。」

   「…うぅ。ごめんね、二人とも…。」

   「気にしないでいいよ、なのはちゃん。アリサちゃんだって怒ってるわけじゃないんだから。」


   昼休みの騒動に責任を感じてか、なのははトボトボという表現が合いそうな様子で歩を進めていた。

   もちろん、アリサもすずかも怒ってなどはいなかったが、それでもいらぬ心配と迷惑をかけたことを自覚しているなのはは、

   校門を出てからずっとこの様子だった。

   
   「まぁ、自分の家族のことで一生懸命になるのは分かるけど。だからって暴走しすぎよ、最近のなのはは。」

   「でも、それだけなのはちゃんが家族のことを大事にしてるってことだもの。あとはもう少し余裕を持てればそれでいいと思うよ。」

   「うん…。」

  
   力ない返答を返したなのはに、アリサは小さくため息をつき、すずかも困ったように曖昧に笑った。

   しかし、自身の暴走を自覚して反省しているなのはに、それ以上何も言わなかった。

   
   「……あ、ちょっと二人とも! こっちこっち、ここ通ると近道なんだ。」

   
   不意にそう言うと、アリサは指差した先―――目立たないうえに木々も多い、半分獣道のような小道に進みだした。

   たださえ日も落ちかけ、その上鬱蒼とした広葉樹が並ぶその道は薄暗く、いかにも何か『出そう』な感じの道だ。

   
   「道は悪いけど、このまま公園を突っ切って行くより断然早いから。ほら、行こ!」


   ずんずんと進みだしたアリサを、すずかとなのはが追いかける。

   その中はやはり薄暗く、茂る樹木を住処とした鳥たちの鳴き声も響き、ちょっとした恐怖心を誘うものがあった。

   ギィギィという不気味な鳥の鳴き声に、すずかは思わずびくりと肩を震わせた。


   「こ、この道、ちょっと怖いね……。」

   「そう? すずかの家にもこんな林があるじゃない。」

   「お家にあるのは別だよ。ここ、なんだか怖い声の鳥もいっぱいいるし……。」

   「カラスでしょ、多分。心配しなくても、ここまだ公園の敷地内だもの。危ない生き物なんていないわよ。」

   「でも、やっぱり何だか怖いよ。ねえ、なのはちゃん。……なのはちゃん?」

   
   なのはに話しかけたすずかが立ち止ったのを感じて、アリサも歩を止める。

   彼女たちの後ろには、落ち着かない様子であたりを見渡すなのはの姿があった。


   「なのは?どうかしたの?」

   「も、もしかして何かいたの?」


   怪訝そうにするアリサと怯えるすずかの声に、しかしなのはは振り向かない。

   そのまま何かを探すようにキョロキョロとしながら、説明する時間も惜しむように小さく答えた。


   「夢で、見たの。」

   「……夢?」

   「うん。誰か知らない子、……たぶん男の子が、助けてって言ってた。」

   「その夢で見たのが、ここなの?」

   「多分、そう。はじめに入った時から、なんか見たことがあるような気がして……。」


   その間、一度も自分達に目を向けずに辺りを注意深く見回すなのはに、アリサが呆れたため息をついた。


   「いや、夢なんでしょ、それ。別にそんなに気にすることもないじゃない。」

   「それに、早くしないと塾遅れちゃうかもしれないし……。」


   時計を気にしながらすずかが呟く。

   実際にはまだ相当の余裕があるのだが、彼女としては一刻も早くこの薄暗い小道から脱出したい一心からの言葉だった。

   その心情を見抜いたアリサが、クルリと背を向けて目的の方向へ進みだした。


   「ほら、早く行くわよ。遅れないにしたって、こんなところにずっといることないでしょ。」

   「そ、そうだよ。なのはちゃん、行こ?」

   「……うん。そうだね、気のせい、だよね……。」


   前を行く二人に従い、なのはもそわそわとしながら歩き出す。

   しかしその足は、ほんの数歩も進まないうちに止まってしまった。


   





                                 『助けて』






   「……! 今の…!?」

   「もう、今度は何よ?」

   「聞こえたの! 夢の、男の子の声!『助けて』って!」

   「え? なんにも聞こえなかったよ?」

   「私も。気のせいなんじゃないの?」

   「ううん、まだ聞こえる! 近くにいるの!」


   尋常ではない慌てぶりを見せるなのはの様子に、胡散臭そうにしていたアリサ達も少しずつ不安げな表情になっていく。

   日も落ち始め、一際薄暗くなりだした小道の様子が不安を大きくさせていた。


   「ちょ、ちょっと。それでどこから聞こえてくるのよ。」

   「助けてって言ってるってことは……。もしかして、危ない目にあってるのかな…?」

   「そう…かもしれない。さっきから、だんだん声が小さくなってきてる。」

   「ええ!?」

   「ちょ…!? ど、どうするのよ! でっかい生き物とかに襲われてたら、私たちじゃどうにもならないじゃない!」

   「あ、アリサちゃん、落ち着いて! さっき大きい生き物なんていないって誰かが……、」

   「それ言ったの私! すずかこそ落ち着いてよ!」


   怯えのあまり我を失いかける二人を尻目に、なのはは焦る気持ちを抑えて聞こえてくる声に耳を澄ます。

   そもそも耳から聞いているのかも定かではない謎の声はだんだんと弱まり、声の主が危険な状況にいるという想像を余計に掻き立てる。

   そうして、確かに聞こえていた声はどちらから聞こえているのかも分からなくなり、とうとうフツリと聞こえなくなった。


  「……聞こえなく、なっちゃた。」

  「そんな……!」

  「もしかしてホントに、大きい生き物とかに襲われたんじゃ……、」

  「す、すずか! やめてよそんな」


  縁起でもない、と続けようとしたアリサの言葉を、ガサリ、という音が遮った。

  途端、三人はビクッと一瞬だけ震え、それっきり固まってしまった。


  「……ね、ねえ。このあたりって野良猫とか多かったけ……?」

  「えと…。確かこの間、公園の野良猫とか野良犬は、みんな愛護団体の人が保護したって聞いたけど……。」

  「……なのは。その、例の声が聞こえたのって、どっち……?」

  「……途中から小さくなっちゃってよくわかんないけど、多分」


  こっち、と指差そうとしたなのはの動きが、その指が示した方向からまたしても聞こえてきた葉っぱの音でピタリと止まる。

  今にも泣きだしそうになりながらも、恐る恐る振り返った三人の動きを待っていたように、視線の先からガサガサと音が聞こえ出した。

  しかも近い。最初より明らかに近い。『何か』が来る。

  正体の見えない何かに完全に怯えきり、三人には既に逃げるという選択肢すら思いつかない。

  へたり込んだ彼女らの目の前で、ガサガサ音は最早目の前に迫ってきていた。

  一番強気だったアリサの目にうっすらと涙が滲みだした時。

  ついに目の前の草むらから、人間大の何かが姿を現したのを見て、三人の我慢は沸点を超えた。


  「ぃぃいやああぁぁぁ!! こっち来るなぁぁぁ!!」
     
  「ごめんなさいごめんなさい! なんにも見てません、聞いてません!」

  「私たち、美味しくないです! きっとお腹壊します! だから食べないでくださいぃ!」


  相変わらず震えたままの足の代わりに、喉だけは復活したようで、三人思い思いに声を張り上げる。

  しかし現れた何者かはその声に臆さず、しばし彼女らを見つめた後、悠然と歩みよってきた。

  そして、アルマジロのように丸まって震えるなのはの肩にポンッと手を乗せる。

  その感覚にビクリと怯え、思わず目を開いたなのはが見たものは―――なんだか見覚えのある靴。

  続いて聞こえてきたはぁ、という溜息もなにやら聞き覚えのある声。

  その声を聞いたすずか達も顔をあげて、呆気にとられたような表情を見せていた。

  ぽかんと口を開けたまま固まっている三人の目の前で、無造作に跳ねまわった銀髪が風に揺れる。


  「……何してんの、三人とも。」


  心底不思議そうに、ヴェインが言った。










―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





  「……よしっ、と。これでもう大丈夫よ。」


  公園から少し離れた動物病院。

  なのは達三人とヴェインはそこにいた。

  
  「それにしても良く見つけたね、君。この子、鳴き声も満足に出せないくらいに弱ってたのに。」

  「いやぁ、たまたまですよ。寄り道もたまにはいいですね、うん。」


  曖昧に笑いながら、ヴェインが答える。

  三人を恐慌状態に追いやった遭遇の後、寄り道をしていたヴェインが見つけたという傷ついたフェレットを、四人は病院に運び込んだ。

  そのフェレットは病院の院長先生が言う通り弱り切っており、今はすっかり気を失っていた。


  「あの、それでどうなんですか?その子の怪我。」

  「心配しなくても安静にしてれば平気よ。ただ、傷の割には衰弱が激しいわね。もしかしたら、ずっと一人きりだったのかも。」

  
  たとえ比較的安全な公園の中とはいえ、一人きりであったというフェレットを哀れに思ったのか、すずかがその頭をなでた。

  
  「あんな所で一人ぼっちなんて…。きっと寂しかったんだろうね。」

  「おまけに怪我までして。不安だったよね、きっと。」

  「……私としては、なんであんなとこにヴェインがいたのかも気になるんだけど。」


  なのはたちの言葉に同意しつつ、アリサが据わった目でヴェインをじろりと睨みつける。

  入学以来染みついた上下関係が反応し、ヴェインは僅かにたじろいだ。


  「私の誘いを断っておきながら、公園で寄り道する暇はあったと。いい度胸してるじゃない。」

  「や、ホントにただの寄り道だったんだって! これから面談に臨む精神的ヨユーを生み出すために、」

  「昼にあれだけ偉そうに語ってたやつが何言ってんのよ! 見苦しい言い訳しない!」

  「はい! 申し訳ありません!」


  同い年からの一喝でいとも簡単に敗北したヴェインの姿に、呆れ半分の様子の院長先生がすずかに問いかける。


  「……いつもああなの?」

  「えと、はい。アリサちゃん、男の子相手でも遠慮しないんで、いつの間にかああいう風に…。」

  「ヴェイン君は逆に女の子に優しいからね。男の子にも優しいけど、……あ、起きた。」


  傍から見れば情けない様子のヴェインをさりげなくフォローしたなのはの目の前で、フェレットが小さく身じろぎした。

  そのまま数回瞬きををするとゆるゆると顔を上げる。

  近寄ってきた人間の顔を一通り見渡すと、フェレットはなのはをじっと見つめだした。


  「あら、気に入られたみたいね。」

  「え? 私ですか?」

  「助けてくれたってわかってるんじゃないかな。」

  「でも、見つけたのは私じゃないし、」

  「いいから、ほら。撫でてあげなさいよ。」


  アリサに言われたなのはが、そろそろとフェレットに手を伸ばす。

  しばし迷ったような様子を見せたフェレットも、心を開いたように指を一舐めした。

 
  「わ、わ!」

  「ああ! いいなぁ、なのはちゃん。」

  「やっぱりかわいいなぁ、フェレット。ウチでも飼いたいんだけどなぁ。」

  「あらら、ホントに気に入られたみたいね。」


  本格的に気を許されたような仕草にひとしきり感動していたなのはだったが、視界の隅でフェレットがまた気を失ったのを見て、思わず声をあげた。


  「あっ!」

  「せ、先生!」

  「……これは、ちょっと安静にしていた方がいいかもね。皆、申し訳ないんだけど明日また来てくれる?」 

  「でも……、」

  「先生の言うとおりにした方がいいんじゃない?俺たちじゃ何にもできないし…。ていうか三人とも、時間。塾。」

  「え?…うわ、やば!」


  ヴェインの忠告で差し迫った時間を確認した三人はフェレットを先生に任せ、慌ただしく帰り支度を始める。

  朝とは違い、一人悠々と支度を終えていたヴェインが余裕の表情で三人を急かした。

  
  「ふっふーん。置いてくぞー。」

  「ま、待ってよヴェイン君!」

  「こんの、調子に乗って……!」

  「アリサちゃん! 怒ってる暇ないよ!」


  支度を終えると、四人は揃ってフェレットをお願いしますと頭を下げ、一目散に駆けていった。

  その場に残された院長先生はポカンとした表情のままそれを見送った。


  「なんていうか……、感心だけど変な子たちね。」


  そう言えば院内では走ってはいけないのだったと、今更ながら思い出した。






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  後書き―――――は、二話の分と合わせて二つ分を次回のこの場に置いておきます。






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