その笑顔が見たくて

In the white world

 episode 12

「もう4時になってますね。」

瑠璃ちゃんが濡れた髪をタオルで拭きながら時計を見て言った。

「そうだな…そろそろ戻るか?俺、かなり疲れたんだけど…」

「そうね…戻りましょうか。」

言った瑠璃ちゃんはすでに荷物を片付け始めている。俺はパラソルを抜き、閉じて肩に担ぐ。瑠璃ちゃんはビニールシートを畳んで持つ。

「忘れ物は無いよね?」

瑠璃ちゃんに確認を取る。自分も周囲に何かないか見る。

「………ええ。大丈夫です。」

ポーチの中や座っていた場所を確認して、答える。

俺たちは、人の少なくなった浜辺を旅館に向けて歩き出した。5分と経たずに着く。

フロントでパラソルを返し、鍵と財布、カード類を返してもらう。そしてエレベーターに乗って部屋に向かった。

「どうする?すぐにお風呂に行く?」

俺は、ポーチの中のものを出している瑠璃ちゃんに訊いた。

「ええ。浴衣に着替えてから行きます。」

「それじゃあ先に入ってくるといい。俺は瑠璃ちゃんが戻ってきてから行くから。」

俺は、テレビの下にある小さな襖を開けた。中には小さな金庫があった。その中にカードの入っている財布を入れる。

「一緒に行けばいいじゃないですか。……さすがに混浴は嫌ですけど。」

背中に声が掛かる。

「誰か1人いれば鍵が掛かってて入れない、ということもないし、この金庫の鍵またフロントまで持っていくのも面倒くさいからな。」

「それだったら先にどうぞ。私、まだ少し整理したいこともありますし。………」

最後の方の言葉は小さくて聞こえなかったが、気にしないことにして、俺は棚から浴衣を取り出して隣の和室に入っていく。

まだ水着を着たままなので、それを脱ぎ、下着だけ着て浴衣を着る。既に水着は乾いていたが、一応ビニールの袋に入れて、口を紐で閉じる。

脱いだものを自分の荷物の中にしまって、瑠璃ちゃんから洗面用具を受け取って、地下の大浴場(男湯)に行く。

浴衣と下着を脱いで浴場に入る。5時近くになると人も少ないわけではなかった。

20畳ほどの浴場に加えて、外に露天風呂。ここには6人のおじさんと3人の子供がいた。

洗面器でお湯を被ってから湯の中に入る。そのまま壁に寄り掛かって鼻の下まで浸かる。

ふと瑠璃ちゃんの水着姿が頭に浮かぶ。さらに沈みたかったが、これ以上浸かると息が出来なくなるので止めた。

脱衣所の扉の前にいる子供達は知り合いらしく、仲良く遊んでいる。

そのとき、目の前を何かが孤を描きながら通過していった。見ると桶がタイルの上に転がり、やかましい音を立てる。それが、俺には桶が地団駄を踏んでいる音に聞こえた。もちろん木製だ。当たればただではすまない。

ガキの投力恐るべし。側頭部に当たれば気絶して、あっという間にドザエモンとなりかねなかった。

体から体温が急激に下がっていくのを感じた。身体はお湯に浸かっているというのに。

俺は、その子供たちの親に謝られ、居心地が悪くなって露天風呂にも行かずに、早々に風呂から上がった。

軽く体と頭とを洗って、脱衣所に入り、着替えを高速で済まして、あの親子に遭う前に浴場を後にした。

「あれ?早かったですね。」

部屋に戻ると、浴衣に着替えた瑠璃ちゃんが瑠璃ちゃん用の洗面用具を用意してテレビを見ていた。

「ああ。子供のたくましさに逃げ出してきた。」

「………つまり、子供に溺死させられそうになったから早々に退却してきた、ってこと?」

しばらく考えた後、どこか控えめな口調で言った。

しかし、たったあれだけの台詞から理解したことをさすがだと思う。

「大体合ってる。ガキの投げた桶が俺の側頭部をあと10センチほどで襲うところだった。木製だから即死か気絶して溺死だな。」

「縁起の悪いこと言わないでください。…じゃあ、私、お風呂入ってきます。」

瑠璃ちゃんは青筋を額に立てながら立ち上がった。

「子供には注意するように。…あ、テレビは俺このまま見てるから。消さなくていいよ。」

無用な忠告を、テレビの電源を切ろうとした瑠璃ちゃんに言う。

「…それは楓さんだけでしょ。じゃあ、テレビは消していきませんから。」

あきれた視線を一瞬だけ向けた後、瑠璃ちゃんは出て行った。

洗面用具を片付けて、テレビの前に座布団を2つ折りにして、それを枕にして寝転がる。

テレビを見る、とは言っても、5時はニュースが多い。全チャンネルを回してみたが、どれもいまいちだった。

当然睡魔が襲う。俺はそれに抗う意味もなく、なすがままに俺はそれに委ねた。

目が覚めたとき、身体にタオルケットが掛かっていた。欠伸をし、目を擦りながら上体を起こす。

「あ、おはよ〜」

瑠璃ちゃんが軽く手を振るので、俺はそれに答えて同じように手を振る。

傍では女将がテーブルに料理を並べている。

「もう6時半か…?」

カバンまで四つん這いで這って行って、携帯を取り出そうとするが、カバンの中にはなかった。

「あ、楓さんの携帯は私が持ってます。」

そう言って、瑠璃ちゃんが携帯を手渡す。

「お、どうも。………何で瑠璃ちゃんが持ってるの?」

思いたくもないものが頭を過ぎる。別に見られてまずいものはないが、いい気はしないものだ。

「電話が掛かってきたから出ただけです。」

低いトーンで言う。

着信履歴を見ると、557分に東から着信があった。履歴に『東 雄貴 5:57』と書いてある。出たことになっているので、瑠璃ちゃんが代わりに出たのだろう。なんだか申し訳なくなった。

「…ごめん。」

「…別に誤らなくても。私だってそうされたら疑ってしまいますから。それより、あとで電話させてくれって頼まれたんですけど…」

瑠璃ちゃんは軽く笑って、テーブルに置かれていく料理を眺める。

俺は、着信履歴からリダイヤルをかけて東の携帯に電話する。

暫しコール音が続く。

………出た。

「ただいま電話に出ることは出来ません。ピーと言う音の後にメッセージをお入れください。」

女の人ではなく、東の声でわざとらしい留守電アナウンスが流れる。

「留守電か…」

そうわざとらしく呟いて電話を切ろうとする。

「わー!!待て待て!俺が悪かった。だから切るな!お〜い!」

耳から離したのにはっきり聞こえるぐらいの大声で東が叫ぶ。

「……で、何?わざわざ瑠璃ちゃんに伝言までして。」

「明日、海にでも行かないかと思ってな。無論4人で。あ、5人でもいいぞ。」

4人とはおそらく、俺と瑠璃ちゃんと東と茜さん、5人はそれに姉さんを入れるのだろう。しかし、明日と言われても、今日はここに泊まるのだからどうしようも出来ない。

「…悪いが明日は無理だ。」

「…なぜ?瑠璃ちゃんの水着姿を見れるチャンスじゃないか!………まさか…お、お前…」

勘がいいとは不幸である。あいつ自ら導き出した答えに声が震えていた。

俺は、電話したままテラスに出る。

「お前…もう瑠璃ちゃんを喰ってしまったのか!?

「……待て。何想像してるんだ。」

「既に瑠璃ちゃんは手篭めにされてしまったのか……まあ、そういう冗談は置いといてだ。」

「…切っていいか?」

「駄目だ。」

即答だった。

「正直に言うと今、旅館にいる。」

「旅館?何でまた?」

東の顔が手のように分かる言い方だった。

「一足先に海に来たんだ。今日はここで泊まって、明日帰る。」

「なんだ。そうか…もう一足先に海に行ってたのか…ってえぇー!!」

微妙な乗りツッコミだ。

「ま、いいや。今度4人で行こうな。」

「ああ。」

「今夜。瑠璃ちゃんをかわいがってやれよ。」

「うるさい。切るぞ。」

「ああ。また今度。いつかお前んちに行くわ。」

「別にいいが来る前に連絡はしてくれ。それじゃあな。」

東の「ああ。」と言う声を確認して電話を切る。夏と言えども夜風は気持ちよい。まだ日没まで時間がありそうだった。俺は、テラスから部屋に入った。

部屋に入ると、瑠璃ちゃんが既に座って待っていた。

「すまん、待ってた?」

瑠璃ちゃんは、静かに首を振った。

「それじゃ、食べるか。」

割り箸を手に取る。瑠璃ちゃんも早速食べ始める。

料理の味はまあまあだった。

食べ終わって、2人でテラスに出た。もう少しで完全に日が沈む。7時を少し過ぎたくらい。

前かがみに手すりに体重を預けて、目を細くして夕日を見る。

水面がオレンジ色に輝く。波の音だけが響く世界。風が瑠璃ちゃんの髪をなびかせる。言葉なんて不要だった。ただ沈んでゆく夕日を見ているだけでよかった。

ゆっくりと日が落ちてゆく。少しずつ海の果てに身を隠してゆく。全てが見えなくなって…闇が訪れた。

「…戻ろっか。」

小さく呟いた。

「…うん。」

瑠璃ちゃんは笑顔で答えた。

「きれいでしたね。」

「ああ。家じゃあんなの見られないしな。…あと30分ほどか…」

携帯の時計を見て言った。

「?ああ、花火の時間ね。…確かにあと30分ですね。何します?」

「何します?って言われてもなぁ…」

何もすることが思いつかなくて頭を軽く掻く。すると、瑠璃ちゃんが、左の袖を軽く引っ張った。

「楓さん…ひとつ…お願い…いいですか?」

どこかいつもより控えめな口調。後ろを振り返ると、瑠璃ちゃんが、袖を引っ張ったまま俯いていた。

「…俺にできる範囲でなら。」

「………今夜だけでもいいですから…私、楓さんに甘えても…って言い方変かな?なんかさ、そういうの…いい…?」

顔を上げて、潤んだ、勇気を秘めた目で、言った。袖を握る手に力が入るのが分かる。

「…別に…今夜だけじゃなくてもいいけどな。」

瑠璃ちゃんがきょとんとした顔をする。

「今夜だけじゃなくても…さ。人目に付かない時なら別にいいけどな、俺は。でも、姉さんとか雄貴の前とかじゃ、恥ずかしいから勘弁ね。」

一瞬の間を置いて、瑠璃ちゃんが笑った。

「そういえばさ、ずっと気になってたんだけど、瑠璃ちゃんってハーフ?」

俺は、会った時からの疑問を打ち明けた。

「……分からないんですよ…ハ−フかもしれないし、クォーターかもしれないし、たまたまこうなったのかも…親の顔も知りませんから。」

瑠璃ちゃんは、自分の髪を撫でながら呟く。

「…この髪の色のおかげで、昔はいろいろされましたけどね。」

どこか懐かしむかのような口調。

俺は座って、中央にあるテーブルに寄り掛かる。

「…俺んとこに来る前は何処にいたんだ?」

瑠璃ちゃんを見上げて訊く。

瑠璃ちゃんは、俺の横に足を伸ばして座って、ゆっくりと話し始めた。

「私ね、昔は孤児院にいたんです。院長先生と後2人の女の先生と、子供が10人前後くらいの…ね。私が物心付いたときには私は既にそこにいました。分かっていたのは名前だけ。ゆりかごの中に『七瀬 瑠璃』って書いてあるカードが入っていたそうです。勉強は院長先生が教えてくれて…でも、実用的な算数とか漢字とかでしたけど。もうそのときから私に対する嫌がらせはありました。掃除や洗濯を私に全部押し付けたり…髪の毛を引っ張ったり。何度も私、この髪を恨んだんです。でも、院長先生が、親からもらった大切なものなのだから、って言われて…それから私、髪を伸ばすようになったんです。」

つらい話のはずなのに、瑠璃ちゃんは笑っていた。瑠璃ちゃんにとってはこれが大切な思い出なのだろう。どんなものであったとしても、それが瑠璃ちゃんの最初の家族だったのだから。

俺には、何も言う言葉がなかった。適当な言葉が見つからない。何を言うべきか分からなかった。

「そろそろ外に出よ。もうすぐ始まると思うよ。」

それを察してか、瑠璃ちゃんが立ち上がってテラスに出た。俺もそれに続いた。

「忘れて下さい。さっき私が言ったこと。あまり過去のことみんなに知られたくないから。」

そう言って手すりに寄り掛かる。

「…ああ。分かった。言うなと言うのなら言わない。」

俺はその隣に寄り掛かる。

海水浴場があるとはいえ、田舎の花火大会なのか海岸に夜店の数は数えられるほどしかなかった。人の数も、まあそこそこはいるだろうが、ここからでは暗くて分からない。

「そろそろかな…。あ…上がった…」

1つだけ、大きな花が夜空に咲いた。それが消えてしまう前に、青や緑の小さな花が夜空を覆っていく。

「…電気消してくるな。」

瑠璃ちゃんは、花火に見入っていた。

俺は一度部屋に入り、電気を消す。玄関の鍵を確かめてから、テラスに出る。

俺は、さっきと同じ場所に寄り掛かろうとしたが、瑠璃ちゃんの後ろから――手すりと腕と身体で瑠璃ちゃんを囲むようにして――手すりに手を置いた。

身長差で、俺の顔の下にちょうど瑠璃ちゃんの顔が来る。

「ちょ…楓さん…?」

花火の光で照らされた瑠璃ちゃんの顔は赤かった。

「嫌か?」

小さく耳元で言う。瑠璃ちゃんは小さく首を振った。

今度は大輪が4つ。赤、青、緑、オレンジ。どこか下から感嘆の声が上がる。

「楓さん…足、もう大丈夫なんですか?」

少し顔を上に向けて訊いてくる。

「ああ。でも、完治じゃないからまだ激しすぎる運動は止めとけとは言われてるけど。」

こんな時まで嘘をついてしまう自分が情けなかった。

「そう…よかった…」

瑠璃ちゃんが俯く。しかし、俯いたことで瑠璃ちゃんの身体との密接度が増した。浴衣ごしにも体温を感じる。

心拍数が上がってきた。こうしていただけでもどきどきしていたのに、瑠璃ちゃんに心拍音を聞かれないか心配だった。

「瑠璃ちゃん…」

俺は俯いた顔を振り向かせ、その唇を覆った。

「楓さん…」

瑠璃ちゃんは、その唇を離して器用に身体を半回転させて、俺と向き合う形になる。花火の光が風に揺れた瑠璃ちゃんの髪を照らす。そしてもう一度。

「瑠璃ちゃん―――――」

俺は耳元で訊くと、瑠璃ちゃんは戸惑いながらも小さく頷いた。

 

それから、俺は瑠璃を抱いた。

それは俺たちにとって、また俺と瑠璃の2人にとっても、それは初体験だった。

 

翌朝。8時に朝食を食べて、10時にチェックアウト。

フロントに頼んで呼んでもらったタクシーに乗り、駅に向かう。

お土産は旅館で余った時間に買ってしまった。もうあとは電車に乗って帰るだけ。

「来てよかったな。」

駅のホームで電車を待っているとき、隣に座っている瑠璃ちゃんに訊いた。どこかで鳴いているセミがうるさいくらいに感じる。

「…うん。」

ホームに電車が入ってくる。昼の太陽を一身に受けて、銀色の車体がまぶしい。

電車が動き出した。ゆっくりとホームを離れていく。

「明日香さんとか東さんに、ばれませんよね?」

ボックス席に座って、すぐに瑠璃ちゃんが訊いてきた。

「いつも通りにしてたら大丈夫だよ。」

風景は、少しずつビルが増え、いつもの風景へと戻ってゆく。

夏の1ページが、今終わろうとしていた………

 

 

 

 

To be continued

 

 

 

 

この話はフィクションです。

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