それは、現れた時と何ら変わらぬ状態でただそこにいた。

  海鳴市湾岸部。かつて闇の書との最後の戦いが繰り広げられたその場所に。

  身に纏う外套はボロボロに廃れており、腰の辺りまで伸びた黒髪も跳ねている。外見的には粗雑と言ってなんら差し支えないだろう。

  瞳は赤く、紅く、朱く、血の色をした深紅の奈落。底のない虚のような、淀み濁った鬱屈とした負が渦巻いている。

  重い。

  存在そのものが質量を持ったかのような錯覚を受ける重圧がそこにはある。ともすれば塗り潰されてしまいそうな、濁った墨汁のようなそれ。

  名を無色という。

  少なくとも本名ではないだろうが、生憎とそれ以外の呼び名らしい呼び名を相対する彼らは知らない。




 「……こんなところにわざわざ出向いて、いったいどういう要件だよ」




  一歩進み出た白の剣士が問いかける。

  これに対しては絶対的に情報が少なすぎるのだ。行動目的も実力も来歴もどこで何をしているのかも、何もかもが不明のまま。

  不気味な事この上ないし、正直なところ相手にされているのかすら分からないのだ。

  路上の石、道端に生える草、飛び回る小蟲―――いやもしかするとその程度の認識にすらなっていないのかもしれない。

  それ程の質量、それ程の規模、それ程の差。芥に対する怪物のような、見上げても果ての見えない巨大な何か。




 「まあ、なんということはない、正直なところただの野暮用だ。呼び出しを喰らったと言ってもいいがな」




  何気ない調子で応える声にすら幾千幾万幾億の呪詛が込められていたのか見当もつかない。

  呪い、呪い、呪い、呪い、呪う。

  雑多な負の感情は最終的にその一念のみに帰結していた。

  ばらばらでまとまりのない、しかしただ一方向にのみ明確な方向を指し示す生としての歪な原動力。

  他者への呪いを糧として生を表すこれは、初めから生命として狂っているのだろう。




 「そうかい」




  律儀な答えを剣士は一言で切って捨てた。

  彼の背には既に歴戦の戦士が立ち並んでいる。

  白い砲撃魔導師、金の執務官、烈火の将、鉄槌の騎士、白夜の管理人格。

  いずれもが彼と生死を共にした仲間であり、絆の象徴。世界であり生きる意味でもある。

  それを背に、




 「しかしまあ、悪いが神妙にお縄についちゃくれないかね。俺としては面倒事は極力避けたいんだが」

 「月並みな台詞だが―――断ると言えば?」

 「当然」




  音も無く、一歩を踏み出す。

  瞬間―――彼の身体は一瞬で掻き消えて、




 「―――力ずく、と。分かりやすくて実に良い」




  ガギンッ、と。まるで鋼と鋼がぶつかったような音を立てて彼の振るった刃が相手の肩口と衝突した。

  無色は動かない。肩口への剣戟など気にも留めず言葉を続ける。




 「さて……野暮用で来たのだがこうも絡まれては反撃せずという訳にもいくまい。ここは一つ」




  ぐらり、と景色が歪む。巨大な蜃気楼にでも捕らわれたような錯覚がその場の全員を襲った。

  圧し掛かる重圧はより重く濃厚に、もはや空間の許容量を遥かに超えた密度の魔力が渦巻いていく。

  ただ一つ、その中心に在る無色の姿だけは歪むことはなかった。むしろより明確に、はっきりとその存在が浮き彫りになっていく。

  口を開ける地獄の釜。

  闘争の予感を、彼に最も近づいていた白の剣士は誰よりも感じ取り―――




 「降りかかる火の粉は、払わせてもらうとしよう」




  気軽な声と緩い腕の一振り。

  それだけの事で生まれた轟音と莫大な衝撃が白の剣士に襲い掛かった。

























  始まりの理由〜the true magic〜
          Stage.23「圧倒的というものを見せてやろう」

























  ただの腕の一振りで陣耶は五百メートルを一瞬にして滑空する羽目になった。




 「がっ、は……!」




  衝撃があったのは丁度みぞおちの辺り。手が振られた同時に目に見えない衝撃がその場所に打ち込まれ、陣耶の身体を轟音と共に吹き飛ばした。

  肺が強打され息が詰まり、なおかつ未だ減速しないままに吹き飛ばされながら陣耶は彼方の無色を睨む。




 「や、ろぉ……、やってくれるじゃねえか……!」

 『分かっちゃあいたことですが、こうも軽く吹っ飛ばされると改めて愕然とくるものがありますね。

  実力差は歴然。軽くいなすような一撃でここまでの威力を叩き出す相手にどうします? 現実的な案としては撤退などを勧めますが』

 「知ったことかよ」

 『……ですよね』




  予想通りの返答に溜息すら吐いてしまいそうになるクラウソラス。

  この主人は最初からこうなのだ。一度決めたら向こう見ず、立ち塞がるものは薙ぎ倒して突き進む唯我独尊な我侭道。

  そして基本的にやられたならやり返すのを流儀としている。そんな彼がやり返すと決めたからにはやり返すまでやり通すのだろう。

  こう見えて結構しつこかったり執念深かったりするのだ、自分の主人は。

  クラウソラスの心情を知らず、陣耶は彼方に見える戦場を見据える。既にいくつもの閃光が瞬いており戦闘の開始を告げていた。




 「今まで散々ばらやられてきたからな。ここらでいっちょやり返してやらぁ!!」




  意識を集中させて術式を起動させる。

  一瞬の浮遊感―――それが消え去った時には既に彼の身体は戦場へと舞い戻っていた。

  五百メートル以上の距離を一瞬にしてゼロにして、再び振りかぶった剣を音すら置き去りにして振り下ろす。

  先刻のものを遥かに上回る速度で繰り出された剣戟はしかし、同じように無色の身体にダメージを与えることはできなかった。

  だが止まらない。ダメージが入らない程度で諦めるような根性はこの場にいる誰もが持ち合わせていない。




 「紫電―――」

 「ラケーテン―――」




  左右から仕掛けるのはシグナムとヴィータ。

  共に必殺の一撃を放つべく装填されたカートリッジが硝煙と共に吐き出される。

  吹き出す炎と纏う炎。打ち砕き、斬るというただ一つを求めた技。それが左右の避けうることのできない必中の距離から全力で放たれた。




 「一閃ッ!!」

 「ハンマーッ!!」




  猛る魔力が鋼鉄すら容易く砕く牙となって無色を襲う。

  まともに受ければいくら非殺傷といえど生身の身体ではどれだけのダメージが行くのか分かったものではない。

  しかし、それでも使わざるを得なかったのだ。

  その答えは簡潔に、予想しておきながらも感じざるを得ない驚愕と共に示される。

  共に完璧なタイミングと威力で繰り出された必殺は―――まるで棒を掴むかのような動作であっさりと止められてしまった。




 「「っ―――!」」




  振るわれた豪炎の刃は鉄を溶かしただろう、如何なる鎧も断ち切っただろう。

  繰り出された鉄槌は楯を、城砦を容易く砕き散らしただろう。

  だが止められた。容易く、それ以上の力でいとも簡単に受け止められた。

  驚愕は一瞬。次の瞬間にはシグナムもヴィータも離脱すべく何らかの行動を行うはずだ。

  しかし、その一瞬を見逃すはずもなく。




 「どうした、呆けている暇はないぞ」




  力任せに掴んだままのデバイスを振り回し、ぶつけるように投げ飛ばした。

  下手な飛行など凌駕する速度で投げ飛ばされた二人はそのまま近場のビルに衝突する。

  しかし止まらない。ビルに突っ込み、突き抜けてはまた別のビルに突っ込んで行く。三つほど突き抜けたところで姿を視認する事はできなくなった。

  無色は追撃することなく、ただそれを眺めている。




 「くっ、ディバイン―――!」




  その体制のまま静止した無色に、狙いを定めたのはなのはだ。

  構えられたレイジングハートの矛先に攻性魔力が集中する。

  チャージは数秒。その間にダメージにはならないが足止め程度にはと一撃を陣耶が見舞いながら離脱し、その直後に光が解放された。




 「バスターーッ!!」




  轟音と衝撃。大気を焼き切り突き進む光の矢が奔流となって標的に迫る。

  逃れる術はなく、標的は光の奔流の中に消えていき―――




 「この程度か? 突風ほどにも感じんぞ」

 「あぐっ……!?」




  突如として奔流の中から突き出された右手になのはは首を掴み上げられた。

  何の変哲もないただの右手。しかしそれが万力のごとき握力と鋼鉄のごとき頑強さで彼女の命を掴んで話さない。

  みしみしとなのはの首が軋みを上げ、苦悶の声が漏れ出る。




 「てめぇっ……!!」

 「なのはを放せッ!!」




  怒号と剣戟は同時に。

  なのはの首を掴み上げている右手の手首を狙い左右から放たれる雷鳴のような二撃。

  渾身の力で放たれた刃はしかし―――




 「言ったはずだが。その程度では効かんとな」




  やはり針の穴ほどの傷を付けるどころか衝撃で腕を動かすことすら出来はしなかった。

  揺らがず、傷つかず、歴然とした力の差を見せ付けられる。

  頑強。圧倒的な力不足。

  この壁を崩すための力が決定的に不足している。




 「来るならば全力で来い。生半可なことでは俺の首は獲れんぞ」

 「ぐぁっ……!?」




  首を掴んだままなのはを振り回し、そのままフェイトへと無造作に投げ捨てた。

  砲弾のような勢いで投げ出された身体を受け止めきることが出来ず、諸共にフェイトとなのはが地上の湾岸部へと豪快に叩き付けられる。

  その衝撃だけで大地が砕け、大小様々な破片が爆竹のように飛び散った。

  あとに残ったのは衝撃によって生じたクレーターと、その中心でなんとか立ち上がろうとする二人だけだ。




 「……足りんな。俺を殺るには何もかもが不足し、欠けている。今のおまえ達では俺に傷の一つも付けられない。

  端的に言って無駄だと俺は思うがな。それでもやると、そう言うか、おまえは」

 「関係ねえ」




  投げかけられた言葉を真っ向から斬って捨てる。

  そう、関係ない。傷が付けられなかろうが相手にならなかろうがここで退く訳にはいかない。

  確信があるのだ。これを放っておけば碌なことにならないと頭のどこかが警鐘を鳴らしている。

  そして同時に、熱がある。

  身体の内側から、奥底から自分を焼き尽くし溶かし尽くすかのような熱が生まれている。

  じりじりと、ちりちりと、身体と脳を熱が犯していく。

  そうして叫ぶのだ。




  ―――倒せ。

  ―――屠れ。

  ―――アレを、壊せ。




  これが何なのかは知らないし、やはりこれも碌なものではないのだろう。

  だがこれはこちらに何の危害も齎さないと妙な確信を得ている。いや、そういうものだと何故か自分は知っている。

  やはり理由など分からないしどういったものかもとんと検討がつかないのが現状だが―――理解できることが一つ。

  この熱は目の前の存在を絶対的に敵視しており―――




 「おまえをここで放っておくと後で絶対痛い目を見るって、そういう予感がするんだよ。

  ついでに言えばそんな恨み辛みのこもった眼で見られて身構えるなって方が無茶な話だろ。

  ああ、ようするにだ―――」




  同じように、自分はこの敵を敵視している。

  敵対の理由などそれだけ。放っておけば絶対的な不幸を見る。だからこの場で奴を処理する。




 「何度かてめえには世話になってるからな。いい加減にその気に食わない面をぶっ飛ばしたいと思ってるんだよ―――!!」

 「なるほど」




  無色の身より魔力が奔る。

  漆黒よりもなお暗く黒い光が軌跡を描き、複雑奇怪な陣を描いた。

  この場に現れてから無色が初めて行う能動的な行動。絶対的な攻撃の意思が殺気となって叩き付けられる。




 「理由は何であれ、戦意を失くすことは無いと見た。俺としてもこれは予定にない事態ではあるが―――是非もない。

  向かってくる以上は対処をさせてもらう」

 「勝手にしろ。べらべら喋ってくれているうちにこっちも準備は完了だ―――!!」




  瞬間、白い閃光が視界を焼いた。




 「ぬ―――」




  突如として視界を焼いた光が全ての光景を塗り潰す。

  変化は瞬時に。それを無色は視界ではなく身に叩き付けられる魔力を感じて察知する。




  弓が構えられる。炎を宿し、必殺の一矢が無色を狙う。

  巨大な鉄槌が振りかぶられる。何があろうと諸共に砕き、叩き潰すと鉄槌が吼える。

  雷が鳴り降り注ぐ。桜の光が舞い踊る。互いに高まる魔力が空間の全てを蹂躙し焼き尽くさんと唸りを上げる。




  一瞬にして薙ぎ払われ、戦線を離脱した者たちが戻ってきていた。

  各々が攻撃態勢を整え、無色を取り囲んだ上で。




 「成程―――転移魔法を仕込んでいたか」

 「今更おせえよ。こっちの準備は既に整ってんだ」




  白銀の光と共に剣が掲げられる。万象、あらゆる物を断ち切ってみせると研ぎ澄まされた光が輝く。

  そして、




 「私としても貴様には問いたいことが幾つかある。終わった後に付き合って貰おうか」




  戦闘開始から陣耶たちの更に上空で詠唱を続けていたトレイターの魔法が今こそ解き放たれんとしていた。

  渦巻き、巨大な魔方陣に集う魔力の規模は計り知れず、この場の誰よりも強大な力が顕現する。

  場に満ちるエネルギーは今にも炸裂せんばかりに高まり、波動に海がさざめき立つ。

  もはや逃げ場など無く、待ち受けるのは必倒の結末のみだ。

  それを前に―――




 「―――さあ、来るがいい」

 「っ……!」




  あくまで絶対者として無色は在る。その余裕は崩れず、輝く黒光は激しさを増していく。

  そして、それが引き金となった。




 「駆けよ隼―――!」

 「豪天爆砕―――!」

 「疾風迅雷―――!」

 「全力全開―――!」

 「切り裂け極光―――!」




  矢が放たれる。

  鉄槌が振り下ろされる。

  砲撃と射撃の嵐が襲う。

  極光の刃が振り抜かれる。

  そして、遥か天よりそれら総てを上回る光の雨が解き放たれる。

  爆音に次ぐ爆音。数多の攻撃が秒と待たずに叩き込まれ、連続して響く衝撃すら一つのものと思える規模となる。

  海面が盛大に吹き飛んでいく。上空から距離があるにも拘らず海はその水底を晒し上げる。

  巻き起こる極大の爆発が無色の姿を完全に呑み込む。

  吹き荒れたエネルギーは離れた陣耶たちすら吹き飛ばす勢いで叩き付けられる。

  拡散していく衝撃。収縮していく光。襲い、消えゆくその光景を彼らは最後まで見届けて―――










 「”遥か彼方より手を伸ばす。地の底、奈落の底、地獄の底から這い出る手が追い縋る”」










  朗々と響く声が、敵の健在を何よりも明確に告げていた。




 「くそっ、第二射―――!!」




  それぞれが追撃を掛けるために魔力を解き放つ。

  しかし遅い。

  全力で放った攻撃で硬直を強いられた身での至急など亀にも劣る。そう言わんばかりに無色の声は空間を犯すように響き渡る。




 「”亡者の群れよ、生在る国を食い荒らせ。喰らい、貪り、埋め尽くし、飢餓に餓える餓鬼となれ”」




  渦巻く魔力より暗黒の奈落が開かれる。

  地の底よりなお深い闇の淵より死者の叫びが響き渡る。

  憎い、苦しい、辛い、痛い、妬ましい、許せぬ、死ね―――生在るモノ、貴様ら皆須く死に絶えろ。




 「”肉を引きちぎれ、爪を剥げ、牙を折れ、毛を毟れ、臓を裂け、血を啜れ。生を踏み躙り死の恍惚を刻み込め”」




  数百、数千、数万、数億。数知れぬ怨念が狂気を超える暗黒となって万象総てを塗り潰す。

  今ここに光は無く、死を齎す暗黒の帳が訪れる。

  括目せよ。十年前、かつて成し得なかった闇の総てがここにある。




 「"称えろよ生の者。喜べよ、死の者。求めた終焉はここに、総ては等しく、皆この奈落の内に渦巻くがいい!

  開け、ジュデッカ―――!!”」




  ―――そして、地獄の釜が開かれた。




 「なっ……!?」




  滲み出た暗闇―――その奥底から何かがこちらを覗き込んでいる。

  赤だ。

  細く鋭い幾つもの赤がこちらを睥睨している。十や二十の話ではなく、百や千できくものでもない。

  数え切れない赤―――それと同規模の悪意の奔流が穿たれた穴より流れ出た。




 「うおぉぉおおおおおおおおおおおっっ!!?」




  溢れ流れ滂沱の滝の如く襲いくる奔流より幾つもの牙が伸びる、爪が伸びる、手が伸びる。

  紅いそれの正体は眼光だ。正気を失くし、悪意と怨念と狂気に染まったこの世ならざる亡者が生在るモノを引きずり下ろそうと襲いくる。

  剣を振るい切り払うが、一を切り払ううちに十が襲いくる。十を払えば百が、百を払えば千の物量が。




 「く、そっ……! トレイター!? なのは、フェイト!! シグナム、ヴィータッ!!?」




  名を呼べども返ってくる返事は無い。

  盾で防ぐも呑まれ、離脱しようとも呑まれ、打ち払おうとしても呑まれ―――全員が成す術もなく亡者の只中へ引き込まれる。

  とっくに視界は黒の一色に染め上げられていた。

  頭に響く怨念の狂騒合唱。意識も理性も散り散りに毟られ、心を剥されていくような感覚に猛烈な嫌悪感と吐き気を覚えた。

  同時に、脳裏にある光景が映りこむ。




  赤い光景。燃え盛る灼熱地獄の中、建物は崩れ、瓦礫は落ち、せめてこの命だけはと小さな子供を抱き締める一組の男女―――




  そこまで認識した瞬間、反射的に彼は手に握る相棒へと喉が張り裂けんばかりに叫んでいた。




 「クラウソラスッ!!」

 『shift』




  瞬いた白の燐光と共に陣耶の姿は消え失せる。

  飛び出したのはそこから百メートルほど下方の地点。周囲が普通の海原であることを確認した陣耶は空を見上げ―――




 「よく逃れた。だが亡者どもはしつこいぞ? その脚でどこまで逃げ続けることができるかな」




  その瞬間、曇天の空から再び悪意の群れが陣耶目掛けて降ってきた。

  無色の手によるものではない。あふれ出た濁流が自ら陣耶を襲ってきたのだ。

  明らかに自立した行動―――これをもはや魔法と言っていいのかどうか彼には分からない。

  何かを召喚した訳でもなく、純粋な砲撃や変換系統のものとも違う異質なナニか。

  耳に鳴り響き、血の底から響くような怨鎖の声が得体の知れない恐怖をもたらす。




 「くっ!」




  生半可なことではこれは防げない。

  即座に身体を翻し魔手から距離を取ろうと飛翔を始める陣耶。

  しかし、逃げ惑う獲物を亡者の群れは逃がさない。

  海を切り、空を駆け、それでもなお追い縋ってくるその執念は凄まじいの一言に尽きた。




 「しつこい……!」




  離れない、差は広がらない。いくら飛ぼうとも速度を出そうとも追い縋ってくる。

  逃げろ逃げろ、どこまでも逃げろ。だが逃がさない、地の果て世界の果てであろうと追い縋り捕まえて同じ場所まで引きずり込んでやる。

  頭に響く怨念は際限を知らずに増殖する。心の許容量を超えた負の想念にすぐにでも気が触れそうになる。

  ―――だが、




 「う、る……せぇ!! さっきからグダグダとネガティブなことばっかり叫びやがって! いい迷惑だとっとと失せろッッ!!」




  圧倒的な狂気に翻弄される中でも熱を感じる。

  折れるな、負けは許されない、奴を倒せ、破壊しろ。

  そう命じる何かがある、そう求める何かがある。

  ああ、おまえが何なのかはこれっぽっちも知ったことじゃないんだが―――この狂気の渦の只中で自分を見失わずに済むのには感謝しよう……!




 「切り裂け極光―――ッ!!」

 『Divine Saber』




  水面に突っ込み、滑るようにブレーキをかける。その際に派手な音を立てながら水柱が飛び散った。

  注ぎ込まれた魔力が恐るべき速度で循環、収束、加速を繰り返し束ねられた力が光を放つ。

  海の上に立つ剣士が、亡者の闇を払わんと光の刃が振りかぶる。

  それはさながら闇夜に輝く月光の如く―――鮮烈な輝きが、絶対の切断現象として放たれた。




 「おおぉぉおおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」




  極光の刃と亡者の群れが激突する。

  刃に触れた端から断末魔の叫びを上げて散らされていくそれは醜悪の一言に尽きるものだった。

  おぞましく、気味が悪く、だというのに頭に残り響き続ける。まさしく妄執の絶叫だろう。

  そんなものに晒されながらもなお濁流を切り裂こうとする陣耶は、しかしそこで歯噛みする。




 「どうした。威勢よく啖呵を切ったところは褒めるが、もう限界か?」




  押し込めない。

  刃は亡者を切り裂き続けるが―――そこまでだ。拮抗するばかりで濁流を押しこむことが全くできていない。

  それどころか斬り散らされながらもなお光の刃と拮抗して見せる亡者の想念はより一層激しさを増していた。

  許さない、憎い、逃してなるものか、その輝きを引き摺り下ろしてやる―――

  陽だまりから奈落の底へと堕ちたからこそ彼らはその輝きを許しはしないし容認しない、憎み抜く。

  のたうつ亡者の群れの嘆きは増悪の叫びとなって光を喰らい尽くそうと進撃の速度を更に上げた。




 「くそっ……! クラウソラス、他の奴らは!?」

 『……あの得体の知れない奔流に呑まれてから反応が一切返ってきません。魔力反応、生命反応、熱反応その他諸々ノーシグナル、です』

 「な……」




  何だそれは、と思わず口にしかけたが、しかしそれすらも言葉にならない。

  反応が返ってこない。それはつまり何らかの阻害効果がアレにはあるのか、それとも既に反応の元自体が無くなってしまったのか。

  ―――最悪の光景が脳裏を過る。

  みんな、あの手に捕まり、二度と戻れないところにまで引き摺り下ろされてしまったのか。

  物言わぬ物体に、引き摺り下ろす亡者の一員に……?




 「っ……んな訳あるかっっ!!!」




  叫び、恐慌しかけた精神を正常な域に無理やり引き戻した。

  死んだだと? 一瞬だけでも想像してしまったことに自己嫌悪する。

  そうだ、死ぬはずがない。この程度で死ぬようならこれまでに自分達は何度も死んでいるだろう。

  だから生きている。自分が考えたようなことなど在り得ないと言い聞かせる。

  まだあの中でしぶとく抵抗しているはずなのだ。だから、自分に今出来る最善を尽くせと彼は意識を切り替える。




 「クラウソラス、リミットブレイクは……!」

 『調整が不十分過ぎて話になりません。起動したらすぐにオーバーフローで自爆確定ですので、とても使える代物ではありませんね』

 「なら現状の最大戦力で良い、全部ぶつけてとっとと終わらせてやるッ!!」

 『All right』




  クラウソラスがその姿を変える。

  刀身が伸び、刃はより薄く研ぎ澄まされ、細身の長い西洋剣へと。

  デバイスと術者で循環する魔力がその速度と濃度を増す。限界値ギリギリにまで強まったそれはドーピングと言っても差支えがないだろう。

  それでも輝きは増す。

  尊く、荘厳で、幻想的な白銀の燐光。煌きは高く、凄烈な鋭さと共に光は剣へと宿った。










 「フルドライブ―――フォルム、レイヴェルトッッ!!!」










  瞬間、光が爆ぜた。

  爆発する超新星の如く勢いを増した光の刃が濁流を瞬く間に押し戻す。

  極大にまで膨れ上がったそれはもはや断層。空間と空間を分かつ無謬の刃だ。

  触れた先から濁流が断たれ、焼かれ、塵すら残さず消え失せる。

  光条は一直線に、濁流の本流すらも断ち切りながら余裕の笑みを浮かべている無色へと。




 「ほう……」




  漏れた呟きは全く似つかわしくない感嘆だった。

  亡者の群れを薙ぎ払う光の刃。向かうそれを前に無色は手を翳し、




 「仲間を、友を信じる―――その意気や良し」




  飲み込まんと迫った刃を無造作に引き裂いた。

  全くの無意味―――という訳ではない。少なくともこの戦闘が始まってから初めて相手がとった防御らしい行動なのだ。

  ただただ無防備に受けられていただけの状態から見れば格段な進歩と言える。

  無敵ではない。効かない訳ではない。あれにも強度があり限界があるのだ。決して倒せない敵ではない。

  だが、それは逆に―――




 「あれを直視してなお心を奮い立てる……一度は呑み込まれながらも脱却したのは伊達ではないということか。

  それとも、あるいはおまえの持つ物の性質ゆえか―――。何にせよ、おまえ自身の力であることに変わりはない。流石と言おう、反逆者。

  その在り方、その名に違わぬ反骨精神、実に見事だ」




  今の陣耶をして、その程度でしかないということだった。

  フルドライブを使用し全力で放った必殺の一刀―――それでようやく防御らしき行動をとらせただけ。

  互いの地力に埋めようのない圧倒的な差が隔たっているのは明白だった。

  もしこれ以上を求めるのなら二つに手段は限られてくる。

  一つは自爆覚悟のリミットブレイク。一つはトレイターとのユニゾン。

  前者は論外であり後者も現在は不可能だ。

  となれば、そのためにやることは一つだった。それができる状況を作り出す。




 「いい加減―――!」




  流れ出る濁流。今も溢れ続ける亡者の群れ。

  その根源である描かれた魔方陣に狙いを定めて―――




 「その声が耳障りなんだよ!! さっさとあいつらを離しやがれってんだ―――ッッ!!」




  放たれ続けていた白の刃がその切っ先を濁流の源泉へと向けた。

  白銀の剣が闇を切り払う。粘りつくような濁流はその妄執が嘘のようにあっさりと根元から切り裂かれていた。

  同時に、払われた濁流の只中から見覚えのある者たちがこびり付いたモノを払うように飛び出してくる。

  誰も彼もが目に見えるほど疲弊し、傷ついていたが―――生きている。死んでいない、亡者の群れに囚われてなどいなかった。




 「っ、揃いも揃って遅いんだよおまえら! おかげで思わず手が出ちまったじゃねえかよ!!」

 「悪かったなっ! 情けないってのはこっちも自覚してんだからほっとけよっ!!」




  思わず漏れた安堵の息を誤魔化すような悪態にヴィータが同じような悪態で応える。

  どこか苛立ちも含まれるそれもそのままに、彼女は射抜く如きの鋭さで無色に視線を向けた。

  ヴィータだけではない。他の者も程度の差はあれ嫌悪と苛立ちと怒りが入り混じった視線を向けていた。




 「全員が全員、アレの見せる光景を前に心を折らなかったか」

 「トラウマとか、自分の嫌なところとか、そういうのを見るのは別に初めてじゃないから」




  普段より強い語調でなのはが応える。

  単純な怒りや憤りで敵意を発露しない彼女ですらその視線には僅かばかりの敵意が見えた。

  何があったのか、何を見せられたのか、それを推し量ることは陣耶にはできない。

  しかしそれだけのものを見せられたのだということだけは理解できる。




 「負の想念をぶつけ、心の傷を抉りだし、直面させ、塩を塗り込むかのように怨念を聞かせる……なるほど。下種の使う手だ」

 「しかし生憎と図太さにかけては人一倍自信があってな。あの程度では折れはせんよ」




  シグナムは苛烈に、トレイターは相変わらず不敵に笑いながら、だが同じように射抜くかの如く無色を見る。

  今度こそ無様は晒すまいと、一挙一動を見逃すまいと万全の態勢を整えている。

  だが、しかしだ。




 「その意気は買うが……実際、どうする? 奴が今はなった全力の一撃ですら俺には傷一つ付けられん。

  そのような状態で、結末の見える戦いに興じる暇などおまえ達にはないと思うが」




  現実問題、勝つための手段がまるで見当もつかない。

  攻撃は通らず、あれでは生半可な拘束魔法や捕縛結界など腕の一振りで容易く破壊するだろう。

  攻撃方法も得体の知れないものがあり、この場の全員が束になってもはたして正気らしいものが見出せるかどうかなど分かりはしない。

  可能性としては極小だろう。そもそも存在するのかどうかすらも怪しい。

  だとしても、ここで退く訳にはいかない。

  理由など公務執行妨害だの管理外世界違法渡航だのいくらでもあるが―――もうそんなことは関係ない。

  危険だ。

  あの男を放っておけば遠からず極大の厄災が訪れると全員がそう直感で感じていた。




 「方針は一つだ。今この場で最も火力の出せる者―――陣耶とトレイター、そしてなのはを攻撃の軸として陣を敷く。

  我らはその間、奴の攻撃を何としても凌ぎきる盾となろう」

 「元々、あたし達ヴォルケンリッターは守護の騎士だ。本業がどれだけ得意かってのを見せてやるよ」

 「だから―――頼むよ、三人とも」




  紡ぐ言葉に迷いは無く、勝つための最善手を彼らは即座に選択した。

  増悪に塗れた亡者を垂れ流す者など今の世には必要ない。地獄など平和な世界には歓迎されない。許さないし、認めない。

  今在る世界が、日常が、踏み躙られることなどあってたまるか。

  どうしようもない状況の中、それでもなお足掻いてやると昂り―――




 『―――だったら、あなたとまともに戦えればいいんですよね?』




  その時、空間に声が響いた。




 「んなっ……!」

 「この声……」

 「カリムかっ!?」

 『はい、あなたのカリム・グラシアです♪』




  実に場にそぐわないふざけた口調で各々の空間パネルにカリムの顔が映し出された。

  状況が分かっているのかいないのか、いつものにこやかな笑顔は画面越しでも健在である。




 『一部始終、きっちり見届けさせてもらいました。随分と苦戦されているようで』

 「おまえはこの場を煽りにでも出てきたのかよ……!? 正直構ってる暇はないから後にしてくれ!」

 『まったくもう、陣耶さんってばせっかちさんですね』

 「ほっとけよ! ったく、もう切る―――」

 『シグナムさん、ヴィータさん、フェイトさん。あなた達三人のリミッターを解除します』




  その言葉に目を見開いたのは無色とトレイターを除いたその場の全員だった。

  リミッターとはすなわち、機動六課の隊長陣に課せられた能力の制限である。

  一部隊への戦力の集中を防ぐための物であり、これにより隊長陣のランクは大幅に落とされて能力を大きく制限されている。

  それの解除には一定の権限と申請が必要であり、しかしそれが受理されたとしても申請できる回数には制限がある。

  切り札とも言えるそれをここで切ると。彼女はそう宣言したのだ。




 「思い切ったな。―――だが、他に手もないか」

 「やるからには全力全開。中途半端にやったことなんて、大抵が手酷い失敗で終わるのが常なんだから」




  そしてそれを受けてやる気を漲らせる二名。

  これだけの人数がいてやれないことはないと、何よりも信じるものを背にした二人の気迫は際限なく高まっていく。

  目を見開いていた三人もそれを受けて前を向き、先程とはまた違った気迫を漲らせる。




 『みなさん、気合は十分のようで』

 「おかげさまでな。で、おまえはいったいどこまで見えてんだ?」

 『ふふ……秘密、です』




  彼の傲岸不遜な白い従者に負けず劣らずに不敵な笑いでカリムは答える。

  その答えに、答える気はないのだと判断しそれならそれでいいと納得する。

  大事なのは現在であり、目の前の大敵をどうやってしょっぴくかなのだ。負けるつもりも退くつもりも毛頭ない。

  ならばこそ―――




 「トレイター……全開、いくぞ」

 「承知した、我が主」

 「こっちも……レイジングハート」

 『Exceed Mode, Drive Ignition』

 「いくよ、バルディッシュ」

 『Zanber Form』




  各々のデバイスがその真価を発揮する。

  主と一つとなり、形を変え、姿を変え、持てる全力を振るうための形へと回帰する。

  命じられ、願うことはただ一つ。

  目の前の敵を倒す―――そのための爪であり、牙であり、矛であり、剣でありたい。




 「来るか―――」




  先程までとは比にならぬ規模で膨れ上がる魔力と気迫を前に、無色は変わらず不敵な笑みを湛えている。

  それは強大な力を持った傲慢か。なんにせよこの先訪れる展開に変わりはない。




 「ならば良し。そちらが本気ならばこちらも応えねば失礼というものだろう。

  総てを振り絞り、全力を賭して来い。怒り、憎しみ、矜持、使命感、悲しみ、憐み、勇気、希望……何でもいい。

  力を燃やし、心を奮わせ、この俺に挑んで来い」




  渦巻く魔力が旋転する。

  黒、白、桜、黄、紫、紅、様々な光が入り乱れ戦場を駆け巡る。

  海が猛り、大気すら音を立てて弾ける中、まるで天上に君臨する者のように……開戦の号砲が告げられる。




 「圧倒的というものを見せてやろう」




  この戦闘が行き着く先を、今はまだ誰も知らない。


























  Next「予言なんて、私は認めません」


























  後書き

  なんのギャグだこれ。みなさんおひさしぶり、ツルギです。

  今回は溢れ出る中二臭とオリキャラ無色さんによる無双回。というより無双させていたらいつの間にやら一万字に達していた、なんぞこれ。

  紫電一閃やラケーテンハンマーを片手一つで苦もなく受け止めたりディバインバスター喰らっても無傷でぐばぁっ、と出てきて首絞め上げたりとやりたい放題。

  終いには中二病の代名詞とも言える詠唱まで始めちゃう始末。もうギャグだろこれ。ギャグだからこんなに消費速かったんだうんそうなんだきっと。

  え? 黄金の獣? ヴェヴェルスブルグ?

  何ですかそれ。そんな愛すべからざる光とか修羅道とか自分は知りませんよ。ええ、グラズヘイムなんて初めて聞きました。

  そのせいで原作じゃ海鳴探索編で主役張ってるはずのフォワード組がこれっぽっちも出てこなかった……ほんとにドラマCD第一巻部分なのかコレ。もう決戦なノリじゃなかろうか。

  あと、映画見てきました。劇場版クオリティは素晴らしい。

  リインフォースさんマジチート。バインドの使い方が素敵すぎる。ユーノマジ縁の下の力持ち。そしてグレアムsェ……

  なのはさんはどう見てもヒーローでしたありがとうございました。リリカルチャンバラなんて俺は知らない。



  それで、メールボックス漁っていたら随分前に貰った拍手を未だに返していなかったことが発覚。



  >リリなの物だけでなく、ナイトウィザード物も個人的に好きです。

   両方大変だと思いますが、続き待ってます。


  うん、馬鹿か俺は

  普段でさえ拍手とか皆無に等しいのに送ってくれる方への返信忘れてるとか馬鹿だろ俺。

  この場を借りて謝罪します。返信が遅れて申し訳ありませんでした。そいでもって感謝感激です。これからも地道に頑張っていきます。



  >何気なく読んで、物語に熱中してしまいました。

   ぜひぜひ完結までお願いします。


  馬鹿か俺はパート2。

  ほんとすんません、マジすんません。お待たせいたしました続きです。

  完結するまですげえ時間かかると思いますが、長い目で見守って下さるとありがたいです。



  それではまた次回に―――







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