―――機動六課、部隊長室。

  設立されたばかりでそれに掛かる書類仕事もまだ残っている中、機動六課の総司令のために用意された部屋に三つの人影がある。

  備え付けてある会議で使いそうな長方形の大きなテーブルに沿う形でソファーが置かれており、三人は座っていた。

  一人は言わずと知れた部隊長である八神はやてだ。

  そのはやてに対する形で座っている二人―――フォワード組を鍛えるために招かれたリーゼロッテとリーゼアリアである。




 「―――それで、四人はどない?」

 「良いと思うよ。それぞれの個性が上手く分かれているし、チームとしての組み合わせでは申し分ない。上手く集めたね?」

 「あっはは、半ばコネを利用した形になってるけど……それでも、自分の目で見て確かめた子達や。自信は持ってるんよ」

 「十年前はまだまだちっこかった娘が随分と大きな事をするようになって、まあ……」




  感心したようなアリアの言葉にはやては少し恥ずかしくなって頬を掻く。

  十年前ははやてもまだまだ子供だった。

  世界なんて知らなかったし、難しい理屈や人の葛藤、社会の抱える問題など全くと言って良いほど分からなかった。

  ただ自分の思った事、感じた事を真っ直ぐに表現してぶつける事しか知らなかった。

  それは自身の親友であるなのはやフェイト、陣耶にも言える事である。

  しかし、十年という時間の経過は大きい。

  あの頃は全く知らなかった事、知ろうともしなかった事も目の当たりにしてきた。それこそ、望む望まざるに関わらず。

  そして知ったからこそはやてには成すべき事、やりたい事が見えてきた。

  だから方々の力を借りて機動六課を立ち上げたのだ。

  過去にどのような確執があったとしても借り受けられる力は全力で頼った。

  その結果が、今はやての目の前にいる二人―――リーゼロッテとリーゼアリアだ。




 「自分もあれから色々と成長したしな。だからこうして二人の力を頼ってる」

 「ま、そう言われて悪い気はしないけど……、よく私達を部隊に入れようなんて思ったもんだよ。過去に酷い事したってのにさ」

 「それはそれ、これはこれや。もう十年も前の事やし、そもそもうちは気にしとらんよ」




  私達からすればたったの十年なんだけどねー、とロッテが肩を竦める。

  実際、リーゼ姉妹ははやてなどより遥かに長生きをしている。少なくとも、はやてが『もう』と言う十年を『たった』と言える程には。

  二人の実力もその長い年月の積み重ねであり、その実績は今では提督に昇りつめたクロノを鍛えた事からも窺い知れる。




 「この三日間であの四人には色々やらせたんだけど、大体の方向性は見えて来たよ」

 「そら頼もしいなあ。クロノくんや陣耶くんを鍛えた二人が言うんならうちも安心や」

 「あっはっは、なに言ってんだか。もっと褒めて?」

 「コラ、調子に乗らない」




  二人が軽いコントをやっているのを眺めながらはやては少し思案に耽る。

  こうやってリーゼ姉妹を招いたのははやてだが、当然二人にもそれなりの思惑があってそれを承諾したのだ。

  この機動六課ははやて自身の夢でもあり、様々な思惑が交錯する事になるであろう場所でもある。

  だからこそ、それ相応の準備を進めてきた。

  それはどれだけ準備を行おうが完璧には程遠い―――それでも、自身にできる精一杯を。

  はやて自身は少なくともそのつもりだし、事情を知っている周囲の人達も力を貸してくれている。




  しかし、やはり懸念事項は尽きないのだ。

  目下最大の懸念事項は―――機動六課の最年少二人組である。




 「なんとかうちの方で拾えたけど……ここでどうにかして身を守るだけの力は付けてもらわな」




  エリオとキャロ。

  二人は幼いながらにして管理局員であるが、そこには少々厄介な事情や生い立ちが関係している。

  それははやてやフェイト、なのはにも言えた事であり……そういった事情の裏側をはやては見てきた。

  口には出していないが、おそらくはフェイトも。

  捜査官や執務官といった役職に就いているとそんな場面はいくつか目にしてしまうのだ。

  それを見て見ぬふりをするのか、上に屈する事なく信念を押し通すのか―――はやてやフェイトは前者にはなりたくないと思っている。

  そしていつか自分一人の足で立てるようになった時に、そのような社会の闇に負けないように、そのための力を身に付けさせる。

  それがはやてが二人を誘った理由の一つだ。

  そういった諸々の部分も、目の前にいるリーゼ姉妹はきちんと理解を示してくれていた。




 「分かってる……、難儀なものだね。一〇歳程度の子供の身に、プロジェクトFや強大な龍の加護―――」

 「腹黒い事を考えている連中からすれば格好の餌だろうね。

  あのまま自由意思でどっかの士官学校とかに居れば、いらないちょっかいの一つや二つはあったってのは想像に難くないね」




  組織は巨大であればある程、一枚岩ではなくなっていく。

  純粋に市民の平和を護るために局に入る者もいれば、自らの利益を求める者、安定した収入が欲しい者、地位が欲しい者など―――

  そして、純粋に自らの利益のみを求め、そのために手段を選ばない者達にとって二人は格好の餌と言えた。




  エリオはその存在自体が大きな利益とも言える。

  現代におけるクローニング技術の集大成とも言われるプロジェクトFの産物である彼は様々な研究対象になりえた。

  そういったクローニング技術によって生み出された者達を純粋な兵器として扱おうとする者だっているだろう。




  キャロは強大な龍の加護を得ている者だ。

  例えその力の制御が出来なくとも、爆弾として敵地に放り込めば状況を一変させるだけの力を秘めている。




  加えて、二人には身寄りが無い。

  エリオは両親に捨てられ、キャロは里から追放されている。

  周囲との繋がりが薄い者というのはそれに掛かる”後始末”にも大して手間は掛からない。

  そういう手を使う者達からすれば好都合な条件が揃い過ぎているのだ。

  警戒はし過ぎて損をする事は無い。

  管理局が治安を守っている今の世界でも―――所詮、人の世。

  全能の神でもない以上、必ず悪意はどこかに潜んでいる。




 「とはいえ、確かに粒揃いなんだけど……あの子達を育てるにはちょいと苦労しそうなんだよねえ」

 「はえ? どゆこと」

 「なんだかね、全員一癖ありそうなのよ。生まれや経歴とか、たぶんそういった事以外で……そういう点でも良く集めたねって言えるわ」




  当然、話の流れから察するに決して良い意味ではないだろう。

  信頼している教導官殿二人からの辛辣な言葉にちょっとばかりめげそうになるはやて。

  自分部隊長なのにちょっと馬鹿にされてる? いやいやそんな事……、と一人で唸る。

  なにやら外への対応よりも中のちょっとした出来事に頭を悩ませている割合の方が多い気がするが、気のせいだと思いたい。




 「はあ……それで、二人にはそれをひっくるめて面倒を見切れる自信は?」

 「愚問だねー。それこそ、誰に向かって口を訊いてんのって話」

 「あんたは私達二人に任せた……任せてくれた。その信頼には応えるつもりだよ」

 「……そっか」




  その答えに安心して、はやては後ろにある窓から空を眺める。

  青空はまだ、雲一つ見えなかった。




















  始まりの理由〜the true magic〜
        Stage.09「もうそれで万事オッケー丸く収まるっ!!」




















  フォワードチームの四人は呼び出しに従って機動六課のロビーに集合していた。

  放送で言っていた時間は十分後……今は放送から九分経過している。

  つい今しがた着いたばかりの四人だったが、内心では非常に安心していた。

  この部隊が設立してからまだ四日目だというのにもう遅刻などすれば何を言われるか分かったものではない。

  そして十分後、集合を掛けた上司がやってきた。




 「おいーす。野郎共、集まっているのですかー?」

 「全員集合しています、ツヴァイ曹長」




  四人の目の前で元気良く飛んでいるのは部隊長補佐の職に就いているリインフォース・ツヴァイだ。

  一同を代表したティアナの答えにツヴァイはご機嫌な表情で『上出来なのですー』と答える。




  それにしても、とティアナは思う。




  目の前で飛び回るこの小さな上司は個人的にちょっとだけ面識のある機動六課の部隊長のデバイスなのだとか。

  ベルカにユニゾンデバイスという物があり、それがどういった物なのかを少しは知っているティアナだが……

  こうやって見ていると、ただの妖精さんにしか見えない。

  威厳や貫禄のような人をちょっとだけ威圧するような雰囲気が全く感じられない。

  そういった意味でもこの部隊はかなり異色だ。

  若い世代が多いからなのかフランクな人柄の者も多く、歳が近い故に気楽に話も弾む。

  精神的にやりやすい部隊とでも言えばいいのだろうか。

  少なくとも、ティアナの知るそれとはとことん違っていた。




 「時間通りにちゃんと集合できているな。ここでの調子はどうだ?」

 「あ、ご苦労様なのですアイン姉さま」




  ツヴァイの後ろの方から四人の下へとやってきたのはリインフォース・アイン―――スターズ分隊の隊長だ。

  そしてリインフォースという名前が共通という事とそれぞれのアイン、ツヴァイという名前が示すのは、二人が姉妹だという事だ。

  デバイスで姉妹機、というのもあまり見る物ではないが、ここまで自意識を持ったデバイスの姉妹機など更に珍しい。




 「さて、お前達はリーゼ姉妹による立て続けの基礎訓練でオリエンテーションをやっていないからな……今日それを実施しようと思う」

 「それに合わせて午前中の訓練はお休みなのです。午後からは本格的な訓練を始めるそうですよ」

 「……えっと、今までのが基礎ですか?」

 「基礎だが?」




  ティアナは思わず頬が引き攣るのを止められなかった。

  何か、洒落にならない事を聞いた気がする。

  スバルやキャロは『本格的なのってどう凄いんだろうねー』などと呑気な事を言っている。事の重大さなど分かっていない。

  しかしエリオはティアナと同じように頬を思いっきり引き攣らせていた。どうやら、この子供は思ったより大人らしい。




 「メインは六課の人員と施設の説明だ。今後一年間は世話になるのだからしっかり覚えておくように」

 『はいっ!』

 「よろしい。では行くとしようか」

 「レッツらごー、なのです」




















                    ◇ ◇ ◇




















  昼下がりのとある講義室。

  いつものように聖祥大学で授業を受けている陣耶は……現在非常に困っていた。

  とは言っても、別に陣耶自身が問題を抱えている訳ではない。

  悩みの種は陣耶の少し離れた席で同じ授業を受けている―――




 「えーと……すずかー、大丈夫ですかー?」

 「う、ん……へーき」




  月村すずかである。

  いつもならパッチリと開いている目は何かに堪えるように細められ、息も浅く不安定だ。

  よくよく見てみると顔も少々赤くなっており、どこをどう見ても『大丈夫』という言葉を額縁通りに受け止められる状態ではなかった。

  授業中なのでヒソヒソと声を小さくして呼び掛けたが、同じようにして返ってきた声も普段より弱々しい。

  絶対大丈夫じゃねーし。

  それが陣耶の素直な心境だった。




 (―――さて、どうしたもんか)




  症状は見るからに悪化し始めていた。

  授業が始まったばかりではすずかもまだ普通だった。だが時間が経つにつれて目に見えるほどには変化が出始めている。

  おそらくだが、このまま放っておけば症状はより悪くなるだろう。




 (見たところ、この授業くらいならまだ持つと思うんだが……)




  それ以上はたぶん、身体に障るだろう。

  陣耶にとってそれは喜ばしくない事態であるし、すずかもその筈だ。

  この授業が終わったらきっちり事情を聞いて、その上で家に強制送還してやろう。

  授業内容をノートに走り書きしながら陣耶はそう決めた。




















                    ◇ ◇ ◇




















  同じ頃、機動六課の食堂前。

  一通りのオリエンテーションを終えた一同は最後に残った食堂へと赴いていた。

  機動六課スタッフの大半は昼食をここの食堂で摂っている。

  正午前から厨房ではこれまた若いスタッフが精を出して様々な料理を調理している。

  おかげで食堂の中にはもう食欲をくすぐる香りが充満していた。

  当然、食堂の前に居るスバル達にもその香りは届いており―――スバルなどゴクリと唾を呑み込んでいる。

  それを見ていたツヴァイは苦笑と共に残った最後の一ヶ所の説明を簡単に終えた。




 「この食堂で一通りの案内は終わる訳ですがー……四人とも食堂の使い方はもう知ってますよね?」

 「はい、問題ありません」

 「ならば問題ないな。丁度昼休みに入ったところだ……ここで解散にしようか」

 『ありがとうございましたっ』




  挨拶もそこそこにスバルが真っ先に食堂へと飛び込んでいく。

  つられるようにエリオもスバルを追いかけていった。




 「ティアさんも行きましょう」

 「先に行っといて。私はもうちょっと隊長と話がしたいから」

 「お話ですか……分かりました。ではティアさんの昼食はちゃんと確保しておきますからっ」




  待ってますねー、と言い残しててけてけとキャロが駆けていった。

  それを見送ってからティアナはアインの方へ改めて向き直った。




  少し、気になっていた事があった。

  ティアナ自身の知人にトレイターという人物がいる。

  腰に届く程の黒い長髪に蒼い眼を持った、皇陣耶の従者。

  今目の前にいるリインフォース・アインという人物と瓜二つの容姿を持つ女性が。




 「一つお尋ねしたいのですが、差し支えがなければ答えてもらえませんでしょうか」

 「どうした?」

 「えと、純粋な興味なんですけど……トレイターさんとは、どういった関係なのでしょうか、と」

 「ああ、なるほど。あの二人と交流があった以上、お前は奴とも面識があるのだったな」





  それは純粋な興味だ。

  果たして二人はどういう関係なのか、と。

  三日前に始めてアインを見た時、陣耶にも訪ねてみたが『本人に聞け』の一点張り。

  それ以降は訓練漬けで聞く暇もなかったのだが……ようやく機会に恵まれたのだ。




 「さて、どう説明したものか……姉妹、いや仇敵? それとも腐れ縁の方が正しいのか……?」

 「……何か物騒な単語が並んでいますね」

 「ややこしい仲だからな。表現するのも少々難しくて困るのだが……ふむ」




  アインは少しの間、思考を巡らせる。

  自分とトレイターとの関係はそうやすやすと大っぴらにしていいものではない。

  かと言ってあまり突拍子のない設定だとかえって疑われてしまう。




 「……やつについてはどれくらいの事を知っているのだ」

 「古代ベルカの時代から残るユニゾンデバイスの一騎で、あの人の従者だとしか」

 「なるほど」




  ティアナからの説明を受けて、アインは頭の中で素早く情報を纏める。




  ―――ティアナは、闇の書の事を少なからず知っている。

  二年前、ティアナとスバルは闇の書の残骸―――記憶で形作られた者との死闘を繰り広げた。

  その際にアインの主であるはやてが直接謝罪に赴いて事の経緯の説明をしたそうだが―――




 「白夜の書と闇の書―――正しくは夜天の書だが、二つは対になっている」

 「対、ですか」

 「ああ。夜天の書を基にして作られたのが白夜の書でな……対極に作られた故か、姉妹とも腐れ縁ともつかない奇妙な関係が続いている」




  顔を合わせれば痛くもない腹の探り合い、世間話で共感する事もあればとことんそりが合わない事もある。

  要は上手く噛み合わない仲なのだろう。

  自身の中では守護騎士達の次に付き合いが長い間柄なのだが、どうにも相性が微妙らしい。




  それで会話が途切れた。

  本当に純粋な興味からきていたからだろう。質問が終わるとそれで話題がなくなってしまう。

  話が弾む程の話題を見つける事もできないし、更に言えばそこまで仲が良いわけでもない。

  加えて、アインはあまり積極的に会話を交わそうというタイプでもなかった。

  二人の間に妙な沈黙が満ちる。




 「―――」

 「……えー、と。そろそろ昼食を食べに行ってきます……」

 「ああ、しっかりと食べてくると良い」




  結局、ティアナは中途半端な会話を交わしてその場を離れて食堂に向かった。

  先にテーブルに着いていた三人もティアナがこちらに向かうのを見ると手を挙げて場所を示す。

  そんな光景を眺めながら、アインは思う。




 (次回までには何か話題を見つけておいた方が良いか……)




  それほど積極的に会話を交わそうとする性質でないことは自身が良く知っている。

  だが、だからと言ってそれを理由に隊員―――それも同じ分隊のメンバーとのコミュニケーションが疎かになる訳にはいかない。

  なんとか自分が訓練に参加するまでには最低限のコミュニケーションは取っておきたいのである。




 (苦労の方向性は違うが、ヴィータ共々頭を悩ます事になりそうだ)




  スターズ分隊。

  何気に最初から躓いている気がしないでもないアインだった。




















                    ◇ ◇ ◇




















  数十分後、すずかの体調は傍から見ても良く分かる程に悪化していた。

  顔は真っ赤。熱に浮かされているのか息も見るからに荒い。

  周囲から心配の声が上がっているが、すずかは未だに「大丈夫」の一点張りだ。




  基本的に授業の受ける受けないは生徒の自由意思になっている。

  インフルエンザなど余程の流行り病でない限りは体調が悪くても授業を受ける事ができる。

  大丈夫と言っているからには授業を受けるという意思があるのだろう。それが分かっているから周囲も強く言えずにいる。

  加えて、大学生活が始まってからまだ日が浅い上に、この授業を受けている生徒の中ですずかと親しい仲なのは陣耶一人だけだ。




  ―――どうやら授業が終われば、などと悠長な事を言っている暇はないらしい。

  このまま放っておけば体調はどんどん悪化する一方だろう。もう多少無理矢理にでも連れ出して家に強制送還した方が良い。

  そうと決まれば即時実行するのみである。

  陣耶はすずかを強制的に引っ張り出すために、酷く間の抜けた声で教師へと呼び掛けた。




 「せんせー」

 「ん……どうした皇」

 「ちょっと体調が優れないみたいなので、トイレ行ってきます」

 「お前な……そういうモンは授業前に済ましておけ」

 「スンマセン」

 「いいから、とっとと行って戻ってこい」




  陣耶は短い問答を終えると席を立つ。

  おぼつかない足取りを演じてそのまま教室の出口へと向かって―――すずかの席を過ぎたところで足を崩した。

  慌てて手を近場の机に突いて身体を支えるが、無論わざとである。

  教室中の注目が集まる中、不審に思っていたすずかもそれを見て何かを察したのか、表情を教師から隠しながら手を挙げた。




 「先生。一人で行かせると危なそうなので付き添って行ってもいいでしょうか」

 「……あー、なるほど分かった。分かったから早く行ってこい」

 「はい」




  許可を取り付けたすずかは席を立つと陣耶の身体を支える。

  が、実際には支えられているのはすずかだった。

  陣耶は身体を支えられるふりをしながらすずかの身体を支えて教室の扉へと向かう。

  二人三脚の形で今度こそ教室の扉を開けて―――後頭部に何かがコツンと当たった。




 「あん……?」




  振り返って足元を見るとクシャクシャに丸められた紙が転がっていた。

  何だと思って拾ってからそれを広げる。

  中身は、走り書きのような形でこう綴られていた。




 『とっとと家に帰してやれ』




  どうにも全部ばれているらしい。

  下手に慣れない事をするもんじゃないと思いながら、陣耶はすずかと一緒になって教室を出た。













































 「何か、ごめんね。気を使わせちゃったみたいで」

 「アホ。放っておいてお前に倒れられると他の奴らからどんな目に遭わされるか分かったもんじゃないんだよ」

 「うん……ありがとう」

 「はあ……」




  教室を出てから、二人はロビーのベンチに腰かけていた。

  すずかを落ちつかせて体調不良についての話を聞こうとしているのだが、当の本人はそれについて中々話そうとしない。

  教室を出てから既に十分ほど時間は経過している。

  当然、症状は悪化―――気のせいか、教室を出てから悪化する速度が上がっている気がしていた。




 「埒が明かん。とっとと実家に電話して迎えに来てもらうぞ」

 「それは……駄目」

 「何でだっつーの。今のお前を見て授業をそのまま受けろとか俺が言うとでも思ってんのか? だとしたら大外れだ」

 「違うの、そうじゃなくて……、その……」




  すずかの煮え切らない態度は余計に陣耶を困らせた。

  体調不良の原因を聞いても答えはしない、迎えに来てくれと電話を掛ける事にもノー。

  原因事態に心当たりがないのだろうかと鎌を掛けてもみたが、どうやらそれについては心当たりがあるらしい。

  教室から連れ出したのは良いものの、結局何の解決にもなっていない。




 「じゃーお前はどうしたいわけ。俺に何をしろと?」

 「このまま、何も見なかった振りをして授業に戻って―――ああっ、止めてヤメテ無言で携帯を取り出して操作しないでー!?」




  真っ赤な顔で携帯を弄る手を止められる。

  陣耶にはその必死さは苦悩というよりも恥ずかしさからきているように見えた。

  だからってどうした。こちとら自他共に認めるデリカシーのない男だ。




 「俺はお前が困った顔をするより他の奴らから降りかかる被害の方が嫌だ。俺の身の安全のために観念して家に帰れ」

 「そんな殺生な……」

 「第一、原因一つすら話せないような状態の奴をそのまま自由にしておけるか。恥ずかしいかどうかは知らんが体調管理をしっかりやれ」

 「あうう、だってぇ……」

 「だっても伊達もねーの。なーに、家に帰れば一級メイドさんが甲斐甲斐しく世話してくれるだろ。起きているよっか寝ている方が」

 「わ、分かった! 原因はちゃんと話すからちょっと待って!」




  すずかが観念したように出したヤケクソ気味な声を聞いて陣耶はピタリと手を止めた。

  その反応からむしろ原因を聞き出す事が目的だとすずかは気付くが、もう遅い。

  望んでいた反応を引き出せた陣耶は意地の悪い笑みを浮かべてすずかに向き直る。




 「……嵌めたね」

 「さあ? どう思うかはお前の勝手。では待ってやるから原因とやらを話してもらおうか」

 「意地悪だよ、ホント……」




  一度言ってしまった以上もうどうとでもなれとでも思っているのか、すずかの硬さが少しだけ解れた。

  居住まいが正されて、背筋がピンと伸びた。

  そうして少しの間をおいた後にポツリと、すずかが呟くように原因を語り出す。




 「……夜の一族ってね、その、色々と特殊体質でしょ」

 「ああ、運動神経が常人より高かったり血を吸ったり眼が紅くなったり?」

 「他にも、聴覚や視覚が鋭敏だったり、身体の際勢力が並外れて高かったり……それで……その、ね? ……えっと、だから……」




  そこまで話したところで急にすずかが言葉に詰まってしまった。

  よくよく見れば顔など先程にも増して茹蛸のように真っ赤になっていた。

  話から察するに生理とかそういった女性特有のものではなく、夜の一族特有の事らしい。

  言いにくそうなのをこうやって聞き出すのは確かに如何なものかと陣耶は自分でも思う。

  しかし帰りたくないと言っているなら最低限原因が分からないと対処のしようもない。

  だから、ここは心を鬼にしてすずかから体調不良の原因を聞き出そうとしていた。




 「で、何があると」

 「あぅ……えと、その……ち、血が足りないのっ!」

 「―――わーお、またヴァンパイアちっくな話題が飛び出てまいりましたぜ」




  だが陣耶としては予想の範疇だった。

  元々、あの闇の書事件の後にすずかの口からその事を聞かされた際に『人の血を吸うう』という事は聞いている。

  何故血を吸うのか、というところまで聞いてはいないがそれなりの理由はあるのだろうと当たりはつけている。

  よくフィクションなどで見るのは血が美味いからだの血を飲まないと死んでしまうだのがあるのだが―――




 「夜の一族は、確かに普通の人とはかけ離れた力を持っているんだけど、体内で生成される栄養価―――特に鉄分のバランスが悪いの」

 「なんか貧血とか頻繁に起こりそうだな、それ」

 「あはは……まあそれは置いといて、それで血は私達にとっての完全栄養食なの。栄養価のバランスが悪すぎると、身体が―――」

 「つまり、なんだ? お前の体調不良は栄養バランスが極端に崩れたせいで起きているもんだと」




  陣耶の言葉にずすかはややあってからしっかりと頷いた。

  その時、すずかの顔に安堵の表情が浮かんでいた事に陣耶は気付かない。

  気付かない陣耶は、吸血沙汰など確かに公共の場で堂々と言えるものではないかと一人で納得してしまう。




 「んー、てことは誰かから血を貰えればそれでオッケー? 俺の血でも良いのか?」

 「え? ぁ、うん……そうなるの、かな?」

 「……おーい、信憑性に欠けてきましたよー」

 「だっ、大丈夫だよ、うん! もうそれで万事オッケー丸く収まるっ!!」




  実に挙動不審なすずかに疑問を抱くものの、この場ではそれを気にしない事にした。

  一から十まで疑っていると纏まる物も纏まらない。

  どこか引っかかるのは確かだが、それで問題が解決するならそれに越した事はない。




 「えっと……それじゃ、人目につくといけないから……場所、移そうか」













































  そうして、すずかが陣耶を連れてきた場所は大学の屋上だった。

  今の時間帯では大抵の生徒は授業に出払っており、適当な物影にでも入れば滅多な事で人目にはつかない。

  昼前である今の時間帯、空の太陽が優しく辺り照らしているが―――二人はその光から逃れるように物陰に入った。

  時々吹きつける風が少し肌寒く感じる。

  そんな中で―――陣耶は壁に背をつけて座らされていた。




 「あのー、すずか。つかぬ事をお聞きしますが」

 「何かな」

 「この体勢に一体どういった意味があるのでせう?」




  現在進行形ですずかは陣耶の脚を跨いで、まるで抱きつくような形で迫っていた。

  すずかはちょっと前に出ればたわわに実った部分が触れてしまいそうな位置で、ゆっくりと顔を近づけてくる。

  赤くなっている顔は熱に浮かされているのであろう表情を悩ましく魅せて、荒い吐息がこちらを扇情的に挑発しているように見える。

  指は首筋に這わされて、脚には太股が直撃、腰はたまに浮き沈みする。

  予想していた構図とは全く違う状況に陣耶はかなり面食らっていた。




 「えっと、俺はてっきり指にでも噛みついてチューチュー吸い出すものだとばかり……」

 「どうやるかなんて、どうもで良いでしょ……? それとも、嫌なの」

 「あっ、いや、そーいう意味ではなく……構図的に不味くないかとだね。俺は喰われるより喰う派なのだが」

 「それこそ、どうでも良いでしょ……ん、」




  とにかくその色っぽい仕草やら呻き声をどうにかして頂きたいのですがー! と陣耶は声にならない声を上げる。

  このままでは何か越えてはいけない一線を越えてしまいそうな予感がする陣耶は、この状態から抜け出そうともがき始める。

  しかし、身体は全く動いてくれなかった。




 「なっ、何だこれ、身体が動かんだとうっ!?」

 「夜の一族だから、筋力も結構凄いよ……」




  正確には両腕だけ動かせるが、前代未聞のパニック状態に陥っている陣耶はそこまで考えが及ばない。

  すずかが陣耶を押さえつけるために身体全体を使っているために女性的な部分がここぞとばかりに押し付けられ、それどころではないのだ。

  もう触れそうな位置ではなく明らかに触れている。というより押しつけられている。

  リアル過ぎる感触に男としてちょっとした幸福を感じるものの、状況が異常過ぎて素直にそれを喜べなかった。




 「とりあえず落ちつけすずか。こんな体勢で大丈夫か?」

 「大丈夫、問題ない」

 「違くてっ!?」

 「いただきます……」




  カプリ、と陣耶は首筋に噛み付かれた。

  口が当たっているので唇の感触が味わえるのかとほんの少し期待していたが―――実際は、そんな感覚などありはしなかった。

  血を吸うためには血管に穴を空ける事になる。

  当然、神経は体中に張り巡らされているので穴が空けば痛みを感じる。

  唇の感触など肉と血管に穴を空けられた痛みで吹っ飛んだのだ。

  だが、それを痛いと思う暇もなかった。




 (あ、り……なんか、頭がクラクラと……)




  急に頭が重くなって思考が纏まらなくなった。

  なにやら頭の中で霞でも掛かったかのような感覚が襲ってくる。

  急に大量の血を吸われて頭に血が巡りにくくなった結果なのだが、そんな事を考えられる状態ではなかった。




 (あー……こりゃ、なんかピンチっすか)




  漠然とちょっとした危機感を抱くが、身体の末端に力が入らない。

  そのまま成す術もなく血を吸われて、意識が遠退いて行って―――




 「あ、ん……はふぅ、ん……」

 『マスター? あれ、気をしっかり持って下さいよ』




  すずかの妙に色っぽい声を聞いたような気がして、ついでに小憎たらしい相方の声を聞いた気がして、

  意識が落ちた。




















                    ◇ ◇ ◇




















  体を密着してから数分―――

  最低限の衝動を満たしたすずかは、そこでふと気が付いた。




 「あ、れ……?」




  目の前で陣耶がぐったりとしていた。

  心なしか顔が青く見える。いや、確実に青い。

  自身は衝動を抑えるのに必死になって全く気付かなかったが―――これは所謂、血が足りないという状態ではないのだろうか。




 「もしかして……やっちゃった?」

 『ええ、やっちゃいました。貴方がうんうんと夢中になっている間にそりゃもうチューチューと』




  応える声は無いと思っていたが、陣耶のデバイスであるクラウソラスが律儀にも反応してくれた。

  しかし、多少呆れているように聞こえてしまったのは自分の気のせいだろうか……?

  そんな事をすずかは思うが、それよりも目の前で顔を青くしている陣耶である。

  軽く頬を叩いたり揺すったり呼び掛けたりしてみるが反応は無い。

  もしかしなくても、これは確実に自身が血を吸い過ぎた結果だ。

  結果的に体調はそれなりに回復したのだが、何とかしようとしていた本人がダウンしてしまっては本末転倒な気がする。

  しかしそれすらも自分自身が原因なのであり―――今度はすずかがパニック状態に陥った。




 「あ、あわわ……どどどどどーしようどーすれば」

 『とりあえず貴方のご実家に連絡して頂けると助かるのですが』

 「わ、私の家だね、うん。今ならファリンかノエルがいる筈だし―――!」




  まんまと帰りたくないと言っていた家の方に連絡を入れさせたクラウソラスだが、パニック状態のすずかはその事に気付かない。

  そしてすずかに適当な指示を出す片手間で思考する。

  クラウソラスはデバイスであり、その機能はただ単に魔法を出力するだけに留まらない。

  メールを送ったり電話として使用出来たりネットにアクセスしたり―――その用途は多種多様だ。

  その中に、状態をパラメータ化するというものがある。

  簡単に言えば脳内物質の分泌率、脈拍や呼吸の間隔や速度を数値化するものだ。




 『こういう事は、言った方が良いのでしょうか……』




  目の前で携帯を取り出し迎えを寄越して欲しいと言うすずかを眺めながら、クラウソラスは思考する。

  こういった事象には全く縁が無いためにちっとも判断がつかないのだ。

  自身よりも『人』に近い主のもう一つのデバイスならば、こういった事にも対処できるのだろうか?

  どうにも判断がつかない問題について考えながら、クラウソラスは主の一応の安全を確保するために指示を出す。




















  その後、陣耶は定期的に血を提供する事になった。

  その影響からか、その日の食事には血を補充するための品が多くなり、逆にすずかは年中血色が良くなるのだが特に関係はない。

  世界は本日も平和である。





















  Next「今、改めて実感しました」





















  後書き

  どうも皆様、おしさしぶりです。どうにか期末を終えたツルギです。

  最後のテストだったのでもうホントに苦心してテスト勉強にのめり込み……一段落ついたので投稿します。

  あとは結果を待つばかりなのですが、怖いですねー。普通に人生左右しますし。

  で、すずかです。前から指摘されていた発情期です。

  もー書いていると何をどうやってもギャルゲにしかならない……他作家様のギャグネタをお借りしたい心境ですネー。精進しなければ。

  というか書き出し部分だけで二〇〇〇字オーバーとか前代未聞の事態に。会話が怖い……

  次のお話にはアラート出るところまで進めたいところですが、キャラが暴走してどうなる事か。下手すればもう一話ほど日常続くかもしれません。

  しかし、いい加減にNWも続きを投稿しないとなあ……


  では最後に拍手の返信を―――



  >雷刃の襲撃者の名前のレヴィに吹いた。「BLACK LAGOONか(笑」と思いました。


  同志発見。(ぇー

  「レヴィ」って聞くと真っ先にそっちが浮かぶ作者です。

  ちなみにどっかの言語で「レヴィ」は「雷」の意だと聞きました。



  >いつも楽しませていただいております。頑張ってください。


  応援ありがとうございます。

  ちょっとネタに詰まってスランプ気味ですが、めげずに頑張りたいと思います。



  それではまた次回に―――






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