午後七時―――既に陽も沈んだ頃に、陣耶は板張りの空間の中に立っていた。

  右手で木刀を構え、一人の男と向き合っている。

  相手も両手に小太刀ほどの大きさの木刀を握っており、腰を低くして陣耶の様子を窺っている。

  彼の名は月村恭也。

  陣耶の親友である高町なのはの兄であり、ひょんな事から陣耶は彼に剣の指導をつけて貰っている。

  看板を下ろした高町士郎に代わって”永全不動八門一派・御神真刀流、小太刀二刀術”の師範代でもある。

  張りついた空気が向かい合う二人の間に漂っていた。

  互いに一言も発する事はなく、視線は相手の一挙一動を見逃すまいと鋭くなっている。




 「……、」




  ゆらり、と陣耶が動いた。

  虚脱したような足取りでゆっくりと左へ体を傾ける。

  恭也はそれに全く動じない。鋭い眼光で陣耶を見据えたまま地に根を張った大木のように動こうとはしない。

  視線の先でゆっくりと動かされた足が床に下ろされようとする。

  糸が垂らされるかのように頼りなく足裏が床の板を踏みしめて、




  パンッ、と乾いた音がした。




  その瞬間、陣耶の身体が左へと高速で移動する。

  常人ならば完全に視界の外へ逃がしてしまうその挙動。

  だが、恭也の目はそれを確実に捉え切っていた。視界の中には依然として陣耶がいる。

  左へと動いた陣耶はその勢いのままに壁との距離をゼロにする。

  しかし身体がそのまま激突する事はない。今度は飛び蹴りでも放つ勢いで脚を繰り出し、壁へと激突した。

  ダァンッ!! と激しい音が炸裂する。

  壁を発射台にして陣耶が恭也へと突撃した。右の木刀を横に構え、腰を低く保ちながら狙うのは胴。

  それに対して恭也もようやく動いた。

  迫る陣耶を迎撃するために両手の木刀を握り締めて駆け出す。

  そこに一切の遠慮も容赦も存在しない。相手を倒すという純粋な意思を以て標的を仕留めるために、手にした武器が振るわれた。

  二つの影が交差する。

  振り抜かれた木刀と突き出された木刀同士が激しく乾いた音を立てて弾かれた。

  握っていた得物の感触だけでそれを判断した陣耶は脚でしっかりと床を踏みしめて独楽のように身体を回しながら木刀を振るう。

  恭也もそれに応戦する形で右の木刀で陣耶の攻撃を防ぎながらも一歩、陣耶の懐に深く潜り込んで左の木刀を突き出す。

  だがそれも空を切る。防がれたと判断すると陣耶は恭也の方向に跳んだのだ。

  ただ跳んだのではない。恭也が陣耶の攻撃を防いだ木刀をそのまま支点にして潜るように下へと跳んだ。

  そしてそのまま間合いを開けて一定の距離が二人の間に出来た。




 「……やはり、攻め手は長く続かないな」

 「まあ基本はヒット&アウェイを身上にしているんで。殺られる前に逃げ、一撃離脱がモットーですたい」

 「そういうところは俺達よりよっぽど御神に向いているのかもな……というか、何だその奇妙な口調は」

 「あー、何となく口を衝いて出てくるだけなので気にしない方向で」




  呆れた溜息が恭也から漏れる。

  とはいえ陣耶からしてみればこんな事は今に始まった事ではない。

  幼少の頃からこんな感じなのだから今更直しようも無いのだ。




 「さて、そろそろ時間も時間だ。最後にアレを見せてもらおうか」

 「うっす。そんじゃあ頼むぜクラウソラス」

 『All right』




  陣耶がクラウソラスに声をかけるが、別にバリアジャケットを纏ったりデバイスを起動する訳ではない。

  クラウソラスが行うのは単純な身体強化だ。魔力を使用して身体の各器官を強化するというごく初歩的な物である。

  それを今回は少し特殊な箇所に用いるのだ。

  陣耶が再び構えを取り、恭也も応じて構えを取る。




 「そんじゃ―――特訓の成果を見せますかっ!」

 『気を緩めて自爆しないでくださいよ』

 「採点の時間だ。遠慮なく来いっ!」




















  始まりの理由〜the true magic〜
        Stage.08「伝説にあるあの赤い糸……!」




















  コトコトと鍋の中にある具材が食欲をそそるコンソメの匂いを醸し出しながら煮だっていく。

  中に入っている具材はジャガイモに始まり人参、キャベツ、ウインナーといった具合だ。

  本日の晩ご飯の主菜はポトフである。

  なのははお玉でポトフのスープを小皿に一掬いして静かにゆっくりと口に含む。

  煮だっていたのでちょっとばかり熱いが、小さい頃からそういう事をやって来たなのはにとってはもはやへっちゃらである。

  なのはは口に含んだスープの味を確かめると『よし』と火を止めた。




 「お姉ちゃーん、中鉢を出してくれるー?」

 「はいはーい、ちょっと待ってねー」




  なのはから指示を受けた美由希が食器棚から人数分の中鉢を取り出す。

  それをなのはの方へとてとてと運んでいき、受け取ったなのはは中鉢にポトフの具材とスープを盛り付ける。

  今現在の高町家に両親は不在である。

  というのも両親が二人で経営している喫茶翠屋の方にかかりきりだという事で別に行方不明だとかそういった事ではない。

  なのはがまだ幼い頃に父親である士郎は瀕死の重傷を負った事もあったが、それも昔の話だ。

  そして、両親が見せの仕事で帰りが遅くなるのでなのはが晩ご飯を作っているのである。

  昔は兄である恭也しかまともな食事を作れる人物が居なかったのでこういう時はインスタントで済ませる事もあった。

  なのでなのはが一人前に料理ができるようになると姉の美由紀は実に喜んだ。

  これでまともなご飯を両親が不在時でも食べられる、と。




 「ご飯は炊けているし、昨日のおかずの余り物も出して……忍さん。そっちどうですかー?」

 「んー、ここまでできれば後は私達で出来るし……なのはちゃん、恭也と陣耶くんに今日はもう切り上げたらって言ってきてくれるかな」

 「はーい」




  それでは、となのはは着けていたエプロンを脱いでから離れにある道場へと足を運ぶ。

  高町家は一軒家と言うよりも屋敷と言った方がしっくりくるような家だ。

  敷地内には家族が暮らす家の他に小さな倉庫、離れには道場が建てられていて、庭の中には小さな池まである。

  花壇には恭也の趣味である盆栽も飾られているからか、外観だけなら昔ながらの武家屋敷に見えない事もない。

  ただ離れにある道場とは庭を挟んでいるために一々外に出ないといけないのがちょっと不便だとなのはは思っている。

  今はまだ良いが、地球温暖化が進む今日この頃は夏がひたすら暑くて敵わない。それでも冬はまだ寒くて敵わない。

  雨が降っていたりしていると余計に不便なので最近は屋根付きの廊下でも作ろうかと思案している。




 「けどコストの問題を考えるとちょっと現実的じゃないよねー……自作ができれば一番なんだろうけど、私にそれはちょっとなあ」




  流石に体力や技術的に問題がありすぎる。

  携帯に電話を掛けるにしても稽古中ではどうせ二人の耳に届いてはいないだろう。

  縁側に出てスリッパを履いてから念のために携帯で連絡を試みるが反応は無し。

  極めて電子的な着信音だけが繰り返されて、なのはは溜息交じりに携帯による連絡を諦めた。

  そのまま道場の方に向かうと断続的に乾いた音がなのはの位置まで届いてくる。

  まだ木刀同士で打ち合っているのだろう。少々離れた位置からでも聞こえてくるのを考えると結構激しく打ち合っているらしい。

  道場に近づくにつれて聞こえてくる音は大きくなり、響く音の間隔もなんだか短くなってきている。

  これは熱が入りすぎない内に止めないとなー、とか考えてなのはは道場の扉を開け放つ。




  が、そこに二人の姿は見えなかった。




 「……へ?」




  思わず口から間抜けな声が吐いて出る。

  二人の姿が見えない。ここで打ち合ってる筈の自身の兄と幼馴染の姿が無い。

  しかしそんな筈はないのだ。

  現に木と木がぶつかり合う乾いた音が目の前の空間から響いてきている以上、二人はここに居る筈なのだ。

  だが見えない。

  目がおかしくなったのかと軽く擦るが結果は同じ。頭がぼけたのだろうかと頬を抓ったり頭を軽く小突いても同様だった。

  そんな事をしている間でも相変わらず目の前に広がる板張りの空間から乾いた音は聞こえてくる。

  あれー? おっかしーなー? などと首を捻っていると、首からぶら下げてある待機状態のレイジングハートが端的に言葉を発した。




 『不可視速度で移動する物体二。恭也氏と陣耶氏です』

 「……魔法使える陣耶くんはともかく、ふつーに超人芸をやってのけるお兄ちゃんとお姉ちゃんって凄いを通り越して異常だよね」




  幼い頃から兄と姉、そして父親の稽古を傍で見てきたなのはその超人っぷりを良く知っている。

  魔法も何も使っている訳でもないのに人間の身体能力をあそこまで引き出す荒業は今ですら唖然としてしまう。

  しかもその当人達に言わせてみれば自分たちよりも強い者なら世界中にゴロゴロ居るのだそうだ。

  それを聞いた時には人間の持つ身体能力の途方無さに軽く眩暈を起こしたのを覚えている。




 『管理局で五%以下しか存在しないAAAランクの、その更に上を行く貴方の台詞とは思えませんね』

 「て、手厳しいね、レイジングハート……」

 『失礼しました。少々周りに感化されたのかもしれません』




  こんな苦い事を言う”周り”はクラウソラスとトレイターしかなのはには思い浮かばない。

  自分の及び知らぬ所でもあちらの影響を受けているんだなと頭を抱えて―――




  ガァンッ!! とおよそ木刀の物とは思えない音が飛びこんできた。




  慌てて目を向けると道場の中央で恭也と陣耶の二人が木刀同士でギリギリと力強く鍔迫り合いをやっていた。

  どうやら超人的不可視モードから帰って来てくれたらしい。

  何をどうやればさっきのような音が出るのやらと考えながらも、なのはは全くこちらに気付いていない二人に声を掛ける。




 「二人共ー! 熱中するのは良いけどもう良い時間ですよー!」

 「を? なのはか」

 「ん、そういえば今は何時だ」




  予想通り自分の存在に全く気付いていなかった二人に呆れるなのは。

  ただ、その一方でこういうところは親友も兄も男の子なんだなあと思っていた。




 「今は午後の七時十八分。もう晩御飯は出来たし、陣耶くんもそろそろ帰らないと不味い時間でしょ?」

 「ういうーい」

 『いやはや、ありがとうございます。こっちもついつい稽古の方に熱中してしまいまして』

 「そうか、もうそんな時間か……これ以上は流石に明日に響くし、確かにここらが切り上げ時か」




  あー疲れたー、と木刀を仕舞って肩や腕を回しながら稽古を終える二人。

  なのはは用意してあったタオルを二人に手渡す。

  二人は短いお礼と共にそれを受け取ると、身体を適当に拭きながら道場を出て戸締りを済ませた。




 「それで、陣耶くんは家でご飯食べてかないんだね」

 「おーう。トレイターだけ放って俺一人でメシ食ったら後が怖いしな」

 「なるほど。陣耶くんは見事にお姉さんの尻に敷かれちゃってる訳だ」

 「言ったなコンニャロウ」




  挑発してきたなのはに必殺の梅干し攻撃を喰らわせんと陣耶が迫る。

  だがなのはが素直にそれを受ける筈もなく、結構真面目に逃げだした。

  待てコラー、と陣耶が追い掛け、だって痛い事するでしょー、となのはが逃げる。

  良くもまあ飽きないものだと、恭也はとある二人を思い出しながら呆れていた。




















                    ◇ ◇ ◇




















  ―――三日後。

  少しは新しい生活に慣れてきた午前中、フォワードの四人組は機動六課の隊員オフィスでデスクワークの真っ最中だった。

  部隊に所属している身である以上、何らかの書類には確実に関わる事になる。

  訓練をやっている四人はその報告書から備品発注書、申し送り事項の作成などやることは山積みだ。

  今回も四人はそういった類の書類仕事をこなしているのだが―――少々難航していた。




 「あーうー……書く事が纏まらないよー」




  スバルが自分に割り当てられた机でだれていた。

  目の前にはタッチパネルタイプのスクリーンが映し出されていて、そこで書類を作成するのだが、スバルのはほとんど進んでいない。

  特に報告書の『自身で気づいた悪点・改善点』の部分などほとんど白紙に近い。

  パッと見ると『中学生の部活動ノートかよ』とか言いたくなる項目なのだが、かなり具体的に書いておかないと通してもらえない。

  スバルの場合、そういった部分は頭で考えるより肌で感じるタイプなので文章に書き出すとどうしても抽象的になってしまう。

  『腕をスパンと振り抜く』だったり『思いっきり足で地面を踏みしめて』など、大体はイメージできるが具体性に欠いている。

  作業が難航しているせいか『頭の中が花畑』と言われた事もあるスバルにしては珍しく、どんよりと暗いオーラを纏っていた。




 「主席卒業生が何言ってんのよ。こんな基本中の基本を苦手とか言ってるとちびっ子二人に示しがつかないでしょーが」

 「でもでも、私は頭で色々考えるより感じた方が早いというか……そう、体育会系っ」

 「じゃーそのスポーツマンシップの滾りを書類に思うがままに書き綴ったらー」

 「うう、ちょっとずつ頑張ります」




  スバルが悪戦苦闘している最中、すぐ傍でも頑張るちびっ子が二人居た。




 「えっと……ランスター二士。ここはどのようにに書けば良いのでしょうか?」

 「あー、短期校じゃそういったのはやらなかったのか。どれどれ……」

 「あ、私も少し良いでしょうか」

 「良いわよー。どうせだから一通り説明しておくわ」




  エリオとキャロである。

  まだ幼いながらも管理局に所属している二人だが、当然今まで正式な部隊に所属していた例など全くない。

  所属していた例がない以上、それに掛かる書類仕事にも触れた事はない。

  そもそも、どのように書類を作成すれば良いのかを知らない二人は必然的に悪戦苦闘していた。




 「ほらスバル、あんたもさっさとしないとちびっ子二人に追いつかれるわよ」

 「あうっ、善処します……」




  エリオとキャロに触発される形でスバルも何とか書類仕事を終わらせようと作業を再開する。

  と、そこで不意に施設内放送を知らせるインターホンが鳴り響いた。




 『隊員呼び出しですー。スターズ分隊、及びライトニング部隊のコールサイン03と04は一〇分後にロビーに集合してくださいです』




  呼び出しを掛けたのは四人も聞き覚えがある声だ。

  機動六課の設立式でやたらと小さい部隊長補佐の空曹長が居たのは色々な意味で強烈な印象を四人に与えていた。

  見た目妖精な上司というのは何とも可愛らしいのだが、その部隊長補佐が呼び出しとは一体何なのだろうか。

  とりあえず一〇分後にロビーという事なので書類仕事は途中だが切り上げなければならない。




 「うーん、呼び出しなんて初めてだよねえ。一体なんだろうねえ」

 「想像付きませんねえ」




  とはいえ考えたところで答えが出る訳でもない。

  ロビーに行けば呼び出しの理由も分かるのだ。あれこれ気にする必要はない。

  それぞれが作業を中断して準備を整えたのを見ると、ティアナは気だるそうに三人を引率する。




 「それじゃー、行くか……」

 「んー? ティア、なんだか元気ないね。筋肉痛でも患ってる?」

 「まあそーね。色々と経験積んで鍛えてきたつもりなんだけど……あの二人の教導官の訓練はハードだわ」




  ティアナは二の腕辺りを擦りながら二人の教導官について考えてみる。

  リーゼロッテとリーゼアリア。

  双子の姉妹である”使い魔”で、スバルとティアナも良く知る陣耶となのはが認めるほどの実力を誇っている。

  実際、陣耶は一時期あの彼女達に師事を仰いでいた事もあったと二人は聞いている。

  それ以前にも某やんごとなきお方とやらを育てた確かな実績もあるらしい。

  自分達もそれを受けている事になるのだが、実際にやってみると訓練校など比べ物にならないほどに容赦がなかった。

  それこそ、訓練校や命懸けの実戦でそれなりに鍛えたと思っていたティアナのちょっとした自負を綺麗さっぱり打ち砕く位には。

  何より身体の筋肉痛が『まだまだだね』と目指す場所の遠さを明確に物語っていた。




 「はあ……所詮はまだBランクって事かしらね」

 「あの、酷いようならヒーリングをしましょうか?」

 「そーいやキャロはそっち方面ができるんだっけか……お願いできるかな」

 「了解です」




  キャロがティアナの二の腕に手を翳すとそこに柔らかな光が灯った。

  そこからじんわりと緩やかな刺激が筋肉全体に広がって行く。




 「あ〜、効くわね〜……」

 「ナカジマ二士はどうですか」

 「私は平気だけど……エリオはどう?」

 「なんとか平気です。そのうちお世話になるかもしれませんが」




  へーまだ小さいのに凄いねー、いえいえまだまだですよー、と前衛組はその身体能力の高さを遺憾なく示している。

  後衛組のキャロも筋肉痛には悩まされるのだが、自身がヒーリングを使えるので直ぐに治してしまう。

  何だかこれからもキャロのヒーリングにはお世話になりそうだとあやふやな未来予想図をティアナは感じたのだった。




 「……はい、できました」

 「あー、大分楽になったわー。ありがとねキャロ」

 「恐縮であります」




  にっこりと笑顔で返すキャロを見て良い子だなー、とティアナは思うのだが……

  少し、引っかかりを感じた。




 「じゃあエリオ、今度組み手とかやってみようか」

 「まだ見習いですが、よろしくお願いしますナカジマ二士」




  向上心があって良いねえ、とスバルは思うのだが……

  少し、引っかかりを感じた。




  どうやら二人が感じた事はこの小さな後輩二人に共通するらしい。

  ティアナは『なんだからしくないかなー』とは思うものの、これから四人一組のチームで一年の間やっていくのだ。

  まだまだ知らない事も多いのだろうししっかり引っ張ってやらねばとティアナは密かに決意を固める。

  スバルに目をやれば笑って返された。

  どうにも、向こうも考えている事は同じらしい。




 「あのさー、二人ともなんつうか、こう……」

 「チームメイトなんだからもうちょっと柔らかくて良いよー。階級付けとかこれから仲良くなるんだし、私達は別にいらないよ?」




  ティアナの言いたい事をスバルが横からフォローする。

  小さな後輩二人は言われた事に対してちょっとばかり面喰っているのか目をパチパチと瞬かせている。

  こういった場合、どうすれば良いのかが分からないらしい。




 「えと……じゃあ、なんとお呼びすれば良いんでしょうか……?」

 「まだ硬いねー……けどいきなり言われて戸惑うのも当然か。それじゃあまずは名前で呼んでみよう」

 「名前、ですか」

 「そう。ナカジマ二士じゃなくてスバル、ランスター二士じゃなくてティアって」




  スバルが花の咲くような笑顔で言うもののエリオとキャロからしてみれば年上、そして先輩なのだ。

  子供なりの敬意と礼儀を心掛けていたのにいきなりフランクになれと言われれば戸惑いもする。

  相手に対して失礼が無いようにと思っていたのだから『これは果たして良いんだろうか?』と首を傾げる。

  当のティアナに目を向けても肩をすくめて返された。これは自分で決めろという事なのだろうか。

  どうしたものかと少しの間逡巡してから……エリオは少し緊張した面持ちで顔を上げた。




 「じゃあ……スバルさんと、ティアさんで」

 「うんっ、それでオッケー。改めてよろしくねエリオ」

 「はいっ」




  スバルの差し出した手をエリオは力強く握り返す。

  年上の手は自分の物よりもやっぱり大きかったのだが、そこにはちょっとした優しさという温もりが感じられた。

  かつて自分を救ってくれた人と同じものを感じてなんだかエリオは嬉しさが込み上げてくる。










  ……が、それを戯画のようガーンといった驚愕の表情で見つめる一人の少女が居た。

  フォワード四人組の中でも一番世間に疎いですと豪語する天然摩訶不思議召喚少女、キャロ・ル・ルシエである。










 「……えっとー、どしたのキャロ?」

 「ま、まさか……こんなにあっさりと決めてしまうなんて。都会って本当に進んでいるんですね……!」




  いや進んでるって何が、と問い質したいがキャロは受けたショックが大きいのかワナワナと震えている。

  その驚愕っぷりは見ているこっちが一体何に驚愕しているんだと驚愕するほどである。

  が、こっちのそんな疑問にキャロは気付く事もなく自己完結した問答を繰り返している。

  見かねたティアナがキャロに声を掛けてみた。




 「おーい、ちょっとキャロー? 戻ってきなさーい」

 「じゃあまさか、二人はもう……!? な、なんていう事でしょう。これは運命の悪戯なのか、それとも伝説にあるあの赤い糸……!」




  全く駄目であった。

  キャロは相変わらずトリップしていて何に対して驚愕しているのかすら分からない。

  なにやら『二人』とか『赤い糸』などという素敵キーワードを口走っている時点で大体の見当は付くのだが……

  しかしそんなアホな間違いがありえるのかと三人の心は一つになる。

  だが確かめようにもキャロは自己完結世界の中。そもそも言葉すら届いてない状態で一体どうしろというのだろうか。

  今こうしている間にも時間は過ぎて行く。

  集合時間である一〇分後まではあと五分。そろそろロビーに向かっておかなければ不味い。




 「……ねえ。誰かキャロをあのトリップゾーンから引っ張り出す自信、ある?」

 「うう、私ない……」

 「右に同じく……」

 「そうよねえ……」




  ティアナもついついあらぬ地平を眺めてしまう。

  だがいつまでもこうしている訳にはいかない。そもそも時間も差し迫っている。

  引き戻す事が出来ないのなら無理やりにでも引きずっていくしかない。

  とにかく最後にもう一度だけ……とエリオが煩悩列車爆走中のキャロに挑戦する。




 「えと、ルシエさん……?」

 「はい何でしょう?」




  即答だった。

  今までのトリップは一体なんだったのかと叫びたいくらいにあっさりとキャロは脳内から現実世界に帰還した。

  しかし戻ってきたのならば話は早い。直接先程のトリップの原因を聞いてみる事にした。

  そして、その原因は次の通りである。










 「だって、名前を呼び合うのは婚姻を取り交わした時って本で読みましたっ!」










  やりやがったー! と三人は予想の斜め上をカッ飛んだ回答に頭を抱える。

  三人とも、精々『名前を呼び合うのは恋人同士だけ』とかそんな程度のものだと考えていたが、甘かった。

  この世間知らずな天然桃色娘はその遥か上を逝っている。




 「ていうか、何、その時代錯誤な勘違い!? 今時どの国でもやってないっての!!」

 「いやキャロ、そんなどっかのお姫様とかお嬢様みたいな決まりは一般世間で無いから! 都会でも無いから!」

 「えっ、無いんですか!?」

 「むしろ無い事に驚いている君にビックリだよ!! そもそもそんな突拍子の無いある事ない事書いている本って何!?」

 「こ、これですっ!!」




  他三人の妙な迫力にややビビりながらもキャロは懐をガサゴソと探って一冊の本を取り出した。

  よくある漫画の単行本程度の本がその手に握られており、表紙には『JSの都会に行くなら知っておきたい常識』とあった。

  試しにページを開いてみる。

  そこには丸っこいフォントでこんな文が綴られていた。




 『やあ、初めまして。JSだ。

  まずはこの本を手に取ってくれてありがとう。そして読んでくれる事に感謝しようじゃないか。

  あまり長ったらしく前書きを書き連ねるのもなんだし、早速本題に入っていく事にしよう。

  都会に行くなら知っておきたい常識と銘打って出版されたこの本だが、都会の常識と言っても様々だ。

  それぞれの世界や国によって大きく違ってくるし、革命なんかが起きて急にひっくり返る常識だってあるだろう。

  この本はそんな破天荒に満ち溢れた次元世界を生きるために知っておきたい常識を記してある。

  今まで知らなかった事実に驚愕するも良し、既知の常識にどや顔でいるのも良いだろう。

  溢れんばかりのクレイジーに満ちた常識をその眼に焼き付けてくれたまえ』




  パタン、と本が閉じられた。

  前半はまだ良い。まだまともな書き出しだった。

  しかし文を読んでいく内に色々と噛み合わない何かが顔を出してくる。

  極め付けに、最後の一文だ。自らクレイジーの一文を書き記すなどよっぽどだ。

  場に痛い沈黙が降りる。




 「……何、このあからさまに怪しい本」

 「著者不明だし、誰なのJSって。値段は……あ、意外と良心的かも」

 「ていうかこんな本が売っている所を見た事ないんですけど……ルシエさん、これどこで?」

 「あ、貰ったんですよ。都会に慣れていないのでちょっとご教授願おうかと思ったら『これを読みたまえ』って」




  この本は別にキャロが自分で購入した物ではないらしい。

  良かった、変なのを自分から買うような子じゃなくてと三人は妙に安堵して胸を撫で下ろす。

  そして、自然とキャロにこの本を渡した人物が気になった。




 「じゃあさ、キャロはこの本を誰にもらったの? こっちに来る前に所属していた所の人に貰ったとか、そんなん?」

 「いえ、そうじゃなく教導官さんです。リーゼロッテさんに貰いました」




  沈黙。

  確かに、あの教導官ならやりかねないと全員が思った。

  三日ほど前にはわざわざ空間シミュレーターのパラメータまで弄ってこちらをおちょくりにきたのだ。この程度は不思議でもなんでもない。

  むしろ嬉々としてやるだろう。歯を見せて親指を立てながら『はっはっはー』と笑う姿が目に浮かぶ。




 「……さ、疑問が氷解したところでとっとと行くわよ。あとそれ没収ね」

 「ええっ、もったいない!!」




  なんだかデスクワークをしている時よりも疲れた気がする一同。

  いつか意趣返しをしてやる―――頭に浮かんだ天邪鬼な猫に対して、ティアナは固く決意した。





















  Next「もうそれで万事オッケー丸く収まるっ!!」






















  後書き

  新年初本編。なのポ2に出てくる双子姉妹の妹がなんかイイとか思ってるツルギです。

  恭也の性は悩んだ末に原作のとらハ基準に。子供の性が思いっきり月村だし、夫婦別姓じゃないし。

  キャロの事は親愛を込めて純粋無垢と言ってあげて下さい、無知とか言っちゃだめ。

  執筆速度を上げたい今日この頃なのですが、次の話の執筆に詰まってモチベーションが……

  あと少しなのですがちょっと難産です。

  ではありがたい拍手の返信を



  >最近、更新が早くて嬉しいです。

    このシリーズだとなのは第三期も随分違った展開になりそうですね。

    そういうのは二次創作の醍醐味だと思いますので、なんにしても連載頑張ってください。


  ご声援ありがとうございます。

  終盤はもう思いっきり別展開なのは確定なんですけど、序盤がどうなるか……難しいです。

  が、ご期待に添えるように頑張っていきたいと思っています。

  なので生温かく見守って下さると嬉しいですw



  それではまた次回に―――






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