「あー、帰ってきたぜ我らが地球へ」

 「もう陽が沈んでるね」




  陣耶となのはがミッドチルダから次元転送装置を使って地球に帰ってきた頃には、既に陽が沈み始めていた。

  水平線の彼方から半分ほど顔を出している太陽は世界を真っ赤な茜色に染め上げる。

  夕焼けの光に照らされた二人からは長い影が地面へと伸びていた。

  もうまもなくすれば、陽は完全に沈み夜の明かりが灯り始めるだろう。

  おそらく自分達が街へと帰る頃には人工の光と空に昇る月の光が出迎えてくれる筈だ。




 「戻ったらバイトだなー。厨房の方を手伝わにゃ」

 「私の方は……今日は接客だね」




  片方が接客を担当して、もう片方が厨房に入る。

  頻繁に翠屋の手伝いをしていた二人の間で自然と出来ていたルールだ。

  もう一人、バイトとして入ってくるトレイターは何を巻かせようが完璧にこなしてくるので半ば便利屋と化している。




 『今から徒歩で翠屋へ向かった場合、到着時刻は午後630分と推定されます』

 「ありがと、レイジングハート」

 「んじゃあ、そろそろ移動しますかね」




  レイジングハートによれば少々急がなければ手伝いに入る身としては頂けない時間帯になりそうである。

  ピークが昼頃とはいえ基本的に夜までの営業の翠屋もあと二時間ほどすれば店じまいを始めるだろう。

  その頃になって顔を出しているようではバイト失格だ。

  などと思っていると、クラウソラスから極めて現代的な電子音が鳴り響く。

  次元間通信にも対応したデバイス間でのメールだ。




 『お、トレイターからメールですね。とっとと来なければシュークリームは頂いておこう、との事です』

 「うっし、走るぞなのは」

 「ええっ!?」

 「ばっか野郎だってシュークリームは美味いんだぞ!? そんなもんを横取りされてたまるかっ!」

 「だから私は走るの苦手ー!」




  なのはが悲鳴じみた嘆きを上げるが陣耶は構わずに走りだした。

  このままでは確実に自分を放って走っていくと確信したなのはも、仕方なく続くように走り出す。

  街へと続く道を行き、目指す場所は喫茶翠屋。

  変わりのない、いつも通りの二人の日常。










  それを陰から見つめる者が、一人。




 「―――




  二人が街へと消えていくのを見届けたそれは、影に紛れる様にその場から離れた。

  後に残ったのは―――静寂。

  一陣の風が揺らす草花の音だけがその場に満ちる。










  それは、変わりない、いつも通りの―――嵐の前の、静けさだった。




















  始まりの理由〜the true magic
        Stage.03「クレームつけにきた」




















  ―――午後630分。

  陽も沈み空に夜の帳が落ちた頃、ビルや街灯から人口の明かりがぽつぽつと灯り始める。

  昼時の明るい雰囲気とはまた別の顔を覗かせる夜の町並みの中に、同じように雰囲気を変えた一件の喫茶店があった。

  オレンジの光が店内を明るく照らすその喫茶店の名は翠屋。

  その多くも少なくもない客入りの店内でレジに立つ一人の女性がいる。

  漆を塗ったような艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、海のような蒼い瞳で店番をするその女性はトレイターと言った。




 「お会計は千二百円になります」




  注文された商品の合計金額を計算し、預かった金額から合計金額を差し引いた差分を返す。

  そんな作業を繰り返してはいるもののやっている事はそれだけだ。

  客入りがそれほど多くない今はトレイターの仕事はやる事が少ない。

  待っている客がいるから席の確保を速やかに行う、などというイベントはやってこない。

  やる事が少ないトレイターはあり大抵に言えば暇を持て余していた。




  大体、合計金額の計算やそれから預かり金を差し引いた差額の算出など自身が高性能デバイスであるトレイターには見ただけで暗算できる。

  実際問題、機械を使うより自身の頭を使った方が確実に作業効率は跳ね上がる。

  しかしこの情報社会においては機械を使わなければ人は結果に信用が置けない。

  そのせいでボタンをぽちぽち押す作業に没頭する事になるのだが……それだけではあまりに暇だった。

  時計を横眼で確認する。

  針は635分を指していた。




 「……そろそろか」




  誰ともなくトレイターがそう呟く。

  同時になにやら裏側が一気に騒々しくなった。




 『よっし着いた……って走ったのに何で徒歩以上に時間喰ってるし!?』

 『だって……陣耶くんが、私のスタミナ……無視して走る……から』

 『俺のせいだと言いたいのか己は』

 『どー考えても陣耶くんのせいでしょー』




  どうやら待ち人が来たらしい。

  厨房にいる高町家と二言三言交わした後に真っ直ぐ足音がレジ―――つまりはこちらに向かってくる。




 「やいやいトレイター、俺の分のシュークリーム残ってるんだろーな!」

 「心配せずとも元からそんな物は無いさ」

 「……待てやオイ。じゃああれか、お前は俺を苦労させるためだけにわざわざあんなメールで煽ったと」

 「ああ」

 「そぉい!?」




  隣りの講義をのらりくらりとかわしながら、やはりこうでなくては面白くないと思う。

  自分の主人をからかって弄る日常。

  従者としてそれはどうなのだと突っ込まれる事は少なくはないが、それが双方の納得している形なのだから問題ないのだ。

  だからこそトレイターはその日常を存分に満喫する。

  このやり取りはレジでの単純な計算仕事よりも遥かに有意義だった。




















                      




















  薄暗い場所だった。

  人の気配の感じられないその空間を僅かに灯る明かりがうっすらと照らしている。

  辺りには四角形のパネルが無数に浮いていた。

  単純な四角形の物、それが二つ三つと折り重なった物、浮いている物の形は様々だ。

  だが、その中の一角に明らかに別の形をしている物体がある。

  それは三つのカプセルだ。

  それぞれがTUVとプレートの付いたそれは中身が何か得体の知れない液体で満たされている。

  その下部からはDNAのそれを思わせる螺旋状のコードがずっと下へ伸びていて―――その中に、脳が浮かんでいた。

  大抵の生命体に存在している身体への司令塔が、そのままカプセルに入っている液体の中で浮いているのだ。

  まるで標本のように、脳とそこから伸びる脊髄が浮かんでいるそれは何かの実験のサンプルを思わせる。




  だが違う。




  コレは、確かに生きているのだ。

  流れる血液が無くても、脈を打つ心臓が無くても、動かすための身体が無くても、コレは確かに生きているのだ。

  脳内の電気信号だけが残った、ただ思考をするだけの存在だとしても―――コレは確かに生きている。




  ―――そのとき、

  コツ、と空間に音が響いた。




  音を感じ取る耳が無くてもシステムの電気信号がそれとカプセルの中の脳に知らせてくれる。

  響いた音の正体は足音だ。

  空間の中に浮かぶ四角いパネルを踏みしめる音が一定のリズムで近づいてくる。

  ただ、歩数と近づいてくる距離だけが決定的に食い違っていた。

  ゆったりとした筈の歩調は大人が走る以上の速度で距離を縮めている、そんな奇怪な足音だった。




  やがて足音がカプセルの前に辿り着く。

  その人物は所々が擦り切れて千切れたボロボロのマントのような物を羽織っていた。

  体はマントに隠されているが肩幅からしておそらくは男性。

  かなり跳ねている黒の長髪が揺れていて、その眼は血よりも紅くギラついていた。




 『―――無色か』




  空間に、どこからともなく声が響く。

  生物の発する音声ではなく、機械が発するどこか均質的な音声。

  無色、という言葉を受けたその人物は口の端を僅かに吊り上げる。

  そうして答えた。




 「ああ……久々に顔を出してやったぞ、脳味噌ども」




















                      





















  同じ頃、陸士386部隊の宿舎の中のとある一室。

  基本的に二人一組で使うその部屋の中でスバルとティアナはベッドに転がっていた。

  使い込まれたベッドは特別柔らかい訳でもないが、それでも板張りの床などよりは遥かに快適に体を受け止めてくれる。




 「ああー……やっぱりこうやってベッドに沈んでいる時は気持ちいー……

 「まあ今日は訓練ほどではないにしろ、結構動いたり難しい話もあったからね。今夜一杯はしっかりと体を休めましょ」




  言葉の通り今は休む事に専念するのか、ティアナはベッドに体を預けたまま目を閉じる。

  今日は一日で目まぐるしく先の環境が変わった。

  ここまで劇的な環境の変化は一年ほど前から今現在まで特訓をつけてもらっている二人と出会って以来だろう。

  特訓のおかげで、実戦に対して少しは力を付けられたと感じている。

  その成果は、今回の昇格試験でもしっかり表れていた。










  だけど同時に思う。

  本物の戦場というものは、アレ以降体験していない。




  だから時々不安になるのだ。

  自分は、本当に強くなっているのかと。

  あの―――97管理外世界、地球の日本、海鳴市での死闘。

  スバルと二人で力を合わせて敵を撃退したあの時から、自分達は本当に進歩したのだろうかと。

  実感があっても自信が持てない。

  得体の知れない不安のようなものを、ティアナは漠然と感じていた。




  そんな時だ。

  ベッドの上段にいる同居人から声を掛けられたのは。




 「ねえ、ティア……

 「……ん?」




  同居人にしては珍しい、少し弱々しい声。

  無骨な返事をやると零れるような声が返される。




 「今までいろんな事があったけどさ……迷惑じゃなかった?」

 「迷惑だったに決まってんでしょ」




  あぐっ、と上の方で呻き声が聞こえた。ついでに鋭いナイフでも内臓に突き刺さったような音も。

  あうあうあうなどと慌てふためくような声も聞こえてきたが知った事ではない。

  個人的にかなり迷惑であったのは事実なのだ。




 「うう、そうも即答されると流石に傷つく……

 「自覚があるならまだ良いじゃない。後は改善できるように努力も怠らないこと」




  はーい、と気のない返事だけが返ってくる。

  それから少し―――数秒程の間を置いて、聞こえるかどうかも分からない声で、ポツリと呟いた。




 「……ま、それなりに良い事もあったわよ」




  聞こえたかどうかは分からない。

  自分でも聞きとれるかどうか怪しい程の音量だ。離れている以上は余計に聞き取りにくい筈である。

  だが、しっかりと返事は返ってきた。




 「……ありがと」

 「どーいたしまして。ついでにこっちからも質問良い?」

 「どーぞどーぞ」




  それじゃあ、とティアナは一旦間をおいた後こんなことを言った。




 「あんたってさ……あの二人のどこに憧れたの」

 「……言ったこと無かったっけ?」

 「無い」




  即答だった。

  二人、というのは言うまでもなく高町なのはと皇陣耶の事だ。

  ティアナはあの二人は憧れなんだの強いだのどーのこーのは良く聞いている。

  だが具体的にどこに憧れた、というのは聞いたことは無い。

  そこに思い至ったスバルも具体的にどこから話そうかと首を捻る。

  そして暫しの思考の後にこう切り出した。




 「んー、じゃあさティア。人生の中で一番怖いって思った事は?」

 「怖い?」




  いいからいいから、と同居人に促されるままに記憶を遡る。

  今までの人生の中で一番怖かった事―――お世辞にも胸を張って語れるような人生ではないが、やはり怖い事の一つや二つはあった。

  人生の中で一番ともなるとそれはもうトラウマレベルのものになってくるのではないのだろうか。




  そう、例えば―――




 「お兄ちゃんが、死んだ時かな」




  ポツリと漏らした言葉は自分で思っている以上に重かった。

  死んだ、と聞かされた時の孤独感。

  たった一人の家族に二度と会えない喪失感。

  それ以上にこれからは一人きりなのだという先の見えない将来に対しての恐怖。

  当時は、身が引き裂かれるくらいに怖かった。

  海鳴市での死闘も十分に恐怖体験なのだが、それでもまだこの恐怖には敵わない。




 「今でこそそれなりに自立しているけどさ……最初は、一人で生きていく事が不安で仕方なかったかな」

 「……やっぱり強いんだね、ティアって。私は自立して生きていけるかなー」




  聞き慣れた賛辞に明るい声はスバルなりの気遣いだろうか。

  自分が言い出した事とはいえ、他人のトラウマじみた事を掘り返すのはスバルとしても心苦しいのだろう。

  だからさっさと話を進めさせるために続きを促す。




 「で、アンタはどーなのよ」




  とりあえず思考を別の方向に向けさせよう、そう思って続きを促す。

  うん、と短い返事の後に続けて発せられる音声が静かな部屋に良く響いた。

  言葉は音の波として空気中を伝わり、鼓膜がその震えから言葉を認識する。










  そして、ティアナは自分の耳を疑った。










 「……怖い人に、会ったんだ」










  なにも発言があまりに一般的すぎるから、ということではもちろんない。

  聞き慣れた筈の声がまるで全く別人の声に聞こえてしまったからだ。

  感情の起伏も、感傷も何も感じられないほどに平坦な声。

  無機質を通り越してあまりにクリアーなそれは普段のスバルからはとても想像できないものだった。




 「怖い、人?」

 「訳が分からなかったよ。その人を見た瞬間、色んな事がいきなりごちゃ混ぜになって頭の中を掻き回すんだ」




  あくまで淡々と、どこまでも平坦に言葉は続けられる。




 「火災現場の真っ只中で、恨みや妬み、憎しみや怒りとか、そんな物が一気に押し寄せてきて……ぐちゃぐちゃで、自分が分からなくなって。

  そこまでくると、もう頭の中が真っ白になっちゃって」




  自身の事を語っている筈なのに、ティアナにはまるで他人事を言っているように聞こえてしまう。

  スバルという容れ物が伽藍堂になってしまったような、そんな空恐ろしささえ感じてしまった。




 「ただ、漠然とここで消えるんだって事だけは認識してた。もうまともに考える事も出来なくなって……




  それが私の一番の恐怖、と。

  そこで平坦な声は古びたテープレコーダーのようにプツリと途切れた。

  ティアナは声が途切れても口を開けずにいた。

  平坦すぎた声に戸惑いを抱いているからなのか、それともスバルの話に自分も恐怖を感じてしまったからかは判別がつかない。

  だが、さっきのスバルからは得体の知れない何かを感じたのは確かだった。




 「―――




  口を開く事が出来ない。

  開いたとして、何を言えば良いのかが分からない。

  お互い一言も発しないまま、不気味な沈黙が続いて―――










 「だけどね……それに毅然と、真正面から向き合っていた人がそこにいたんだ」










  スバルの声が元の調子を取り戻した。

  いつものように年相応以上の活発さが見え隠れするスバルの声。

  日常的に聞いている筈の声が、ティアナを酷く安心させた。

  そんな心境も知らずにスバルの言葉は続く。




 「決して目を逸らさずに、それと向き合って立ち向かえる人達―――




  ここまで来ると大体の予想がついてきた。

  スバルが言う、一番の恐怖と真っ向から向き合った者達。

  今までの話からすれば、まちがいない。




 「……もしかして、それが」

 「うん、なのはさんと陣耶さん」




  その言葉に、どこか素直に納得してしまっていた。

  スバルの言う憧れ―――その恐怖が具体的にどういうものかというのは想像がつかないが、ただ得体の知れないものは話だけで感じた。

  そしてスバルの言う通りなら、あの二人はまるでヒーローにように見えたのだろう。

  自分の危機(ピンチ)を颯爽と救いに現れた、この上ない憧れ(ヒーロー)に。




 「なるほどね。それがアンタの憧れってわけだ」

 「うん。だから憧れなんだ……あの怖さに真っ向から向き合える、その勇気が」




  話してるのになんだか疲れちゃったね、と少々照れ気味にスバルがベッドに顔を埋める音が聞こえた。

  スバルの言う通りティアナもなんだか少し疲れていた。




 「じゃあ、私はそろそろ本格的に休ませてもらうわ」

 「目覚ましはちゃんとセットしときまーす」




  その言葉を最後に本格駅に意識を堕とし始めた。

  陽は、もうすっかり沈んでいる。




















                      




















  大きな建物だ。

  単純な大きさで言えばビルやホテルなどの方が大きいのだろうが、二人が最初に抱いた感想はそれだった。

  エリオとキャロは何らかの施設や保育所などに預けられていたことはあるが、こういった集合住宅というものを見るのは初めてだ。

  見上げれば施設のものだけでなく部屋からも明かりが出ている。

  既に自分たち以外にもこの宿舎に入っている人達はいるのだろう。

  空港からここまで付き添ってくれたシグナムは宿舎の玄関先に着くと部屋のキーを渡して軽い説明をした上で帰っていった。




  つまるところ、二人きり。

  いや、使役竜であるフリードもいるので正確には二人きりではないのだが。

  だが諸々の事情がありエリオは今現在、この状況で非常に気まずい思いをしている。

  隣りの民族衣装を着こんだ少女―――キャロ・ル・ルシエはほおー、と目にお星様をキラキラさせながら宿舎を眺めている。

  無論、気まずい思いをしているエリオにはこの少女のように始めて住む場所に対する感動を感じる余裕などない。




 (出会い頭が……出会い頭がそもそもの原因だよっ……!)




  話は数時間前に遡る。

  空港で人を待っているとその一人であるシグナムがやって来たのだが、もう一人の待ち人……つまりはキャロがまだ来ていなかった。

  キャロは地方から出てきているので迷っているのかもしれないとエリオが探しに行ったのまでは良い。

  問題はその後だった。

  ル・ルシエさーん、とエリオが呼びながら探しまわっているとエスカレーターを駆け下りてきた少女が一人。キャロだ。

  呼び声に応えて急いでやって来たのは良いものの、勢い余ってそのまま転びそうになってしまう。

  それを見たエリオは高速移動魔法を使って助け出したのだが……




 (僕が躓いてむ……胸、を……さ、ささ、触ってしまってどうするんだあああああ)




  エリオ・モンディアル、男性、10歳。

  一般から見ると少し早い悩めるお年頃である。




  そんな事があったせいでどうしたものかとずっっっと悩んでいるのだが、どうにも解決策は見つからない。

  いっそ上司にして年上であるシグナムに相談しようかとも思ったがそこまでの勇気がエリオには持てなかった。

  当の本人は全くと言って良いほど気にしている様子は無いのだが、こちらの羞恥心がそれを許してくれる筈もない。

  結果、一人で勝手に気まずい思いをする羽目になっている。

  そして散々悩んだ挙句にエリオが出した答えはこうだった。




  とにかく謝ろう。

  そでもしなければこの気まずい感じは絶対に拭えない。




  そうと決まればとキャロの方を向いてみるが、いざとなると喉の奥がつっかえてくる。

  が、ここで負ける訳にはいかない。

  ここで屈してしまうと何やら色々とダメになってしまいそうな気がしてならない。

  だからなけなしの勇気を精一杯振り絞って、言った。




 「あ、あの……すみませんでしたっ!」

 「……へ?」




  勇者の 渾身の一撃が 炸裂した !

  天然は ひらりと スルーした !

  勇者は 項垂れた !




  ダメだった。

  根本的なとこから分かっていない。桁外れである。




 「えっと……モンディアル三士は、何か悪い事をしたでしょうか?」

 「えぇっ? あ、その……えーと……




  どうしよう、予想外の反撃が返された。

  具体的に何が、などと口に出して言うのは相当に勇気が必要だ。

  もう10歳の男の子だとかそんな事は関係無しに羞恥心が全力で悲鳴を上げていた。




 「私、都会にはあまり出てこなかったのでそういう事には疎いんです。よければ参考までに教えてくれませんか」

 「あ、あー……うー……




  いよいよ逃げ道が塞がれてきた。

  善は急げと言うが、確かにグダグダしているうちに何やら引き返す事の出来ない片道切符を手にした気分だ。




  念のため、周りに人がいないかを確認する。

  宿舎の方を見て聞き耳を立てている人がいないかも確認……よし、OK




  一通りの羞恥心の安全を確認したエリオは大きく息を吸って、吐く。

  男の子として非常に勇気がいる事だが、これも目の前の少女のためだ。自分一人の羞恥心ぐらいで都会に馴染めるのなら安いものだ。

  そう自分自身を無理矢理納得させて口を開く。

  そうでもないと色々と挫けそうだった。




 「え、と……む、むむ……胸、を……触ったこと」

 「……胸を触るのは、悪い事なんですか」




  キャロは関心顔で両手を自分の胸に当ててふむふむと頷く。

  一方のエリオはなけなしの勇気を振り絞った事でくたびれていた。

  既に精神的ダメージが限界を迎えつつある。

  9割方、というよりむしろ10割が勝手に自滅していったのだがそんな事に関心を向けられるほど気力は残っていない。

  むしろ残っていてそれに気づいてしまうと更に精神的ダメージを被るのは目に見えているのだが。










  と、今まで関心顔で頷いていたキャロが動いた。

  自分の両手でエリオの胸に触れてきたのである。

  あたかも、出会った時のように。




 「っ、〜〜〜ぁ、なっ、なん、なななななぁあああああああ……っ」

 「これで、おあいこですね」




  何を、と言いたいのだが口は金魚のように酸素を求めてパクパクと動くだけで何も言葉を発してはくれない。

  ついでに顔も茹蛸のように真っ赤になる。




 「どうしたんです? まさか、女の子が男の子に障るのは余計にダメなんでしょうか……




  都会って難しいですねとしきりに頷く少女に言いたい、むしろ悪いのはこちらですと。

  何とかして中途半端な誤解を解きたいところなのだが上手く思った言葉を発する事が出来ない。

  自分でも支離滅裂な言葉の羅列が飛び出てくる。




 「いや別に悪くないというか僕が一方的に悪いというかむしろ男の子は女の子に触られると嬉し……じゃなくて、

  男の子は女の子を触ると嬉し……でもなくっ! つまりは君は悪くなくて僕が悪くて……




  もうぐっちゃぐちゃだった。

  無茶苦茶な言葉の羅列にこんなんで分かる訳が無いと思っているとキャロはまた得心顔で頷いて一言。










 「男の子は女の子の胸を触ると嬉しいけど、悪い事……と。嬉しいなら私は別に気にしないので触ってもいいですよ?」

 「ちがーーーーーーーーーーうッッッ!!!?」




  強敵だ、前途多難すぎる。

  自分は上手くやっていけるのだろうか……出会った初日から色々な意味で挫けそうになるエリオであった。




















                      




















  ―――午後743分。

  翠屋でのバイトを終えた陣耶とトレイターは現在、マンションのエレベーターの中にいた。

  一気に高度を上げるエレベーターの中にいると気圧の変化で鼓膜を圧迫されたりする。

  目指す場所はこのマンションの15階だ。




  海鳴市の駅の近場に立つ全20階建ての高層マンション、ベオパレス20

  家具を完備し、電子ロックなどの最先端セキュリティーに守られているこのマンションの人気は高い。

  20階建てともなると上の階では窓から海鳴市全体を一望できたりもする。

  そのマンションの15階に陣耶とトレイターの住んでいる部屋があった。




  チン、という音と共に開いたドアからエレベーターを降り、タイル張りの床を踏みしめる。

  オレンジの蛍光灯で照らされた廊下が夜の雰囲気をより一層醸し出していた。

  そのまま正面から右に向かって数歩進めば陣耶の部屋……なのだが。




 「……ん? 何この山のように積まれた段ボール」




  玄関口に大きな段ボールが二段三段と積まれていた。

  が、何も陣耶の部屋の前ではない。その隣の部屋の玄関口に段ボールが積まれている。




 「そういやこないだお隣さんが引っ越して行ったっけか……

 「となると新しい入居者という事になるな」




  どんな人物が来たのか気になるところではあるが、今は部屋の中で荷物の整理でもしているのか姿は見えない。

  放っておいても隣り同士なのだからそのうち顔を合わせるだろうと考えて二人は自分達の部屋に入る。

  履いていた靴を適当に脱ぎ捨ててそのまま真っ直ぐにロビーへ。

  まず備え付けの電話に留守電が入っていないかを確認する。

  特に何も無いことを確かめるとそのまま冷蔵庫の中身を物色、適当に調理するために食材を引っ張り出す。




 「んー、キャベツがそろそろ切れそうだな……明日の卵の安売りと一緒に買っとくか」

 「食パンはどうする? 残りは一斤だけだが」

 「あー、じゃあもう一斤追加しとくか。今なら安いのってどこだっけ」

 「ますおスーパー」




  冷蔵庫を物色しながらこれからの食生活の計画を立てる。

  家系や財布の中身と要相談なのだが、今月はまだ余裕があるのでヨーグルトぐらいは買えるかもしれない。

  玉ねぎや人参などが余っているのを見て今日はカレーとサラダでも作ろうかと思ってルーを棚から引っ張り出す。




 「トレイター、サラダ用にキャベツ刻んでくれい。あと適当にツナ缶とトマト放りこんで」

 「何々、今日のメニューはサラダと……ああ、カレーか」




  福神漬けはあっただろうかとトレイターが再び冷蔵庫を物色し始める。

  が、その時だった。

  ドガシャッ!! と。

  盛大に重量のある物が崩れる重い音を二人は聞いた。

  しかし陣耶達の部屋にある何かが崩れた訳ではない。

  音は何かの遮蔽物を通して聞こえてきているようであり、発生源は別の場所だ。




 「……何事?」

 「どうやら隣りの部屋からのようだが……




  トレイターの言葉に合わせるように再び重い音が響いてくる。

  意識的に聞いたので今度は方角もはっきりと分かった。

  発生源は隣りに引っ越してきた人物の部屋からだ。

  大方、この音は段ボールの中身でも盛大にぶちまけたのだろうか。




 「何やら荷解きの作業が難航しているようで」

 「どうする、手伝ってやるか?」

 「いんや、わざわざそこまでする義理はねえだろ。他人に見られたくない荷物の一つや二つはあるだろうし」




  流石思春期の男は言う事が違うなどと言うトレイターを放っておいて陣耶は作業を再開する。

  4個ほどネットに纏まって入っている玉ねぎのうち2個を取り出して皮を向く。

  芽と根の部分を切り落とした後は筋に沿って半分に切り、再び筋に沿って薄切りにしていく。

  玉ねぎを切っていると目が沁みたりするのだが、流石にそれには慣れていた。

  特に目を拭う事もなくトントンと玉ねぎを切っていく。




  そしてまた、盛大に者が崩れる重い音が響いた。




  ドザァッ!! と不意に響いた音に陣耶も思わず手を止めてしまう。

  音はやはり入居者が引っ越してきた部屋から聞こえてきた。

  また引越しの荷物が崩れたのだとすると……入居者はかなりどんくさいのではないのだろうか。




 「まあ……なに、気にする事はない」




  音など空気と思えば良いのだと思い作業に戻る。

  だがその後も音は断続的に響いてきた。

  それに眉をヒクつかせながらも作業に集中する陣耶だが音がやむ気配は一向にない。

  終いには、ドゴンッッ!!と何を落したか分からないような轟音まで響いてくる。




  流石に、作業の邪魔だった。




 「……ちょーっと、新しいお隣さんにご挨拶してくるわ」




  包丁をまな板に置いて真っ直ぐ玄関へと向かう。

  早めに済ましてこいよという声を背にサンダルを履いて外へ。

  目指す場所は未だに段ボールが積まれている隣りの部屋だ。

  ドアのカギは開いているというより扉その物が開け放たれていた。

  そして、中から見えた部屋の惨状は―――お世辞にも片づいているとは言えなかった。




 「荷解きでコレって……相当どんくさいなオイ」




  段ボールが積まれている所もあればそこらに転がって口が開いているのもある。

  当然、口が開いている物からは中身が転がり落ちていた。

  そして、廊下のそこいらに散乱した荷物の中心に座り込む人物が一人―――




 「ううう……いつもながら荷解きは致命的(ファンブル)ばかり。このままじゃあまたお隣さんから―――

 「残念、もうクレームつけにきた」

 「……あ」




  陣耶の言葉にその人物の動きが見事に停止する。

  壊れたからくり人形のように首を動かして振り向いたのは―――くすんだ金髪を腰まで伸ばした女性だった。

  玄関口で自分を見ている陣耶を認識した女性は稲妻でも落ちたかのような衝撃を受け、慌てて荷物の整理を始める。




 「ああっ、もしかしなくてもお隣さんですかっ!? ああああスミマセンすぐに片付けますのでー!」

 「……また、なんというか」




  面倒な事になりそうだ、と。

  なんとなく、これは厄介事の種になると予感した。




















  Next「行動方針は職探しかしら」




















  後書き

  誰かキャロを止めろ……

  どうも、ツルギです。相変わらずグダグダです。

  キャロとトレイターがstsに入って初めての顔見せ。これからもっといろんなキャラを出したいですなあ。

  しかしちょっと会話を垂れ流しただけでこの始末。だれか勇者エリオを救ってあげて……

 

  ではまた次回に―――

 





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