『ドクター、同志トレディアより連絡です』

 「ほう? 別に定時連絡の時期ではないと思うがね」

 『はい、なんでも急ぎの用件だとか』




  ふむ……こちらとしては急ぎの用事は無いので耳を傾けるのも一興か。

  手でこちらに繋ぐよう指示を出す。

  目の前の空間パネルの表示が変化し、多少の砂嵐を挟んだあとに一人の男性の顔が映し出された。




  ―――ふむ。




 「いいだろう、了解したよ」

 『感謝する』




  さて、何やら面白い事になっているようだね。

  ここでぶつけてしまうのも面白いが、ふむ……




  それなら、




 「彼女達に連絡を」

 『宜しいので?』

 「見返りとしてはそれなりの物を用意したからね、これくらいはやってもらっても罰は当たるまい」




  さっそく連絡を取るべく空間パネルを開きアドレスを辿る。

  どのような事態へ転ぶか、見せて貰おうじゃないか―――




















  〜A’s to StrikerS〜
         Act.39「ヒーロー」




















  薄暗い空間に鋼を打つ音が無数に響く。

  白と紅の閃光が幾重にも奔り、交差する。

  戦場に満ちる敵意は際限なく膨らみよりその激しさを増していく。




 「ぁああッ!!」

 「ぉおおッ!!」




  ガギン、と一際大きな音と火花が散った。

  二本の刀と一本の剣は拮抗し、互いに力任せにせめぎ合う。

  戦場の中で俺とは対照的な薄ら笑いを浮かべたそいつは狂気的な雰囲気で刀を振るっていた。




 「はっはは! 良いですよその剣気、その気迫、その敵意!! 実に心地良い感覚です!!」

 「口閉じたらどうなんだよ、この戦闘狂ッ!!」




  互いに弾かれるように距離が離れる。

  同時に刃に宿る光―――




 「血ノ嘆キ―――」




  大きく広げられたケーニッヒの両手に握られる刀に宿る紅い光。

  アレは確か、俺が使うような魔力刃射出型の魔法。

  なら―――!




 「ディバイン―――!」




  着地と同時に両手で剣の柄を握り、肩に担ぐように上段に構える。

  一気に叩き込まれた魔力が刀身を駆け廻り、過剰魔力が強烈な発光現象を起こす。

  慣れた動作に余計な所要時間など必要ない。

  強く一歩を踏み出し、同時に奴も踏み出した。




 「セイバーッ!!」「月牙ッ!!」




  放たれる白い極光と血の様に紅い三日月の牙。

  ぶつかり合った魔力同士が衝撃波と化して周囲の構造体を傷つけていく。

  ともすれば吹き飛ばされそうな衝撃の中、脚を踏ん張って耐え抜く。

  放出され続ける魔力が収まった頃―――辺りは余波でボロボロになっていた。

  だがその中でも悠然と佇む影……




 「良いですねえ……実に心が躍る」

 「俺は別に躍らねえがな。頼むからとっととくたばれ」

 「おや、これはまたつれない」




  おどけた調子で軽い言葉を返してくる。

  一見隙だらけに見えるその仕草でさえ何か裏がある様に思えてならない。

  疑心暗鬼というか、警戒心が無駄に強いというか、とにかくそれくらいに目の前の男には敵意を抱いている。




 「さてさて何が気に入らないのやら。貴方の目的としては順調なのでは?」

 「確かにテメーは気に喰わねえが今はトレディアだ。目的の優先順位は変わらねえよ」

 「これはこれは」




  軽く会釈しながらも人当たりの良さそうな笑いに殺意を乗せてくる。

  パックリと裂けていくような笑みを口元に浮かべ、細い目はギラついていた。

  自然と、剣を握る手に力が籠る。

  その愉快そうな顔に酷く不安を掻き立てられた。




 「では―――そんな貴方のために趣向を凝らしてみましょうか!」




  咆哮。

  同時に刀が振り抜かれ、床に幾重もの閃が奔った。

  まるで豆腐でも切ったかのような手応えと共に床が崩れる。




 「なっ……!」




  崩れ落ちる床に足元をすくわれる。

  バランスを失った体は不安定になり崩れる床の瓦礫に巻き込まれる形で呑みこまれようとする。

  一気に抜け落ちる床。四方には瓦礫ばかり。

  放っておけば四方から圧されて死ぬ。




 「っ、冗談ッ―――!!」




  握る剣に再び魔力を流し込み、振り上げる。

  狙うのは下でも横でもなく真上―――

  下を狙ってもキリは無い、横を狙っても上が邪魔をする。

  なら上を狙って瓦礫を纏めて吹き飛ばす!




 「疾ッ―――!」

 「っ、な!?」




  そこに、ケーニッヒが斬り込んできた。

  四方を塞ぐ瓦礫など全く気にも留めず、純粋に俺の首を狙ってくる。

  防ぐか避けるかしなければ殺られる―――!




 「ちぃっ!!」




  無理に剣戟の軌道をケーニッヒへと修正する。

  ケーニッヒの刃がこちらに届く寸前で何とか弾き飛ばすが、無理な機動から繰り出した剣は簡単に押し負ける。

  続く第二撃、左の刃が迫る。

  今度こそ首を狩り獲ろうとする死神の鎌。




 『Shield』




  対して、無防備な左を守るためにクラウソラスが盾を敷く。

  だが本質的には俺の使う盾、強度の心許なさは誰よりもよく承知している。

  そして一瞬程度の時間ならば十分に稼げる事も。




  鋭く刃が奔った。

  首筋を狙った一撃は盾により一瞬動きを阻害される。




 「こ、のっ……!」




  同時に倒れ込む様に肩から前へ。

  狙いは直接的な攻撃ではなく動きの妨害、体勢を崩す事。

  肩から当身を喰らったケーニッヒは大きく体勢を崩す。

  それを踏み台にして、上の瓦礫群へ跳ぶ。




 「ブラストセイバー……!」




  自身の身長の二倍ほどに伸びた長大な魔力刃を振るう。

  魔力刃に触れた瓦礫は途端に爆発を起こしあらぬ方向へと吹き飛んでいく。

  目の前に道が拓けた。




 『下方20m、敵接近』

 「ちっ―――!」




  警告に促されるままに振り向き様に剣を振り抜いた。

  瞬間的に響く鈍い鋼がぶつかり合う音。

  振るった剣はまたしてもケーニッヒの刀を弾いていた。




 「ほらまだですよ、まだ足りないッ!!」

 「しつけえんだよクソ野郎がッ!!」




  振るわれる刃に返す形で剣を振るう。

  致命傷になり得る軌道を優先的に叩き落とし、他の攻撃は出来るだけ身を動かして避ける。




  だがそれでも全ての攻撃は防げない。

  いくら実力が拮抗しようが手数で負ける以上は徐々に傷を負っていく。

  動きに差し支えると言うほどではないにしろ、小さな傷も積み重なれば動きに支障は出る。




 「このっ、バースト―――!!」




  カートリッジをロードし、剣を振るう。

  だが狙いは振るわれたケーニッヒの刀ではなく床そのもの。

  降り降ろされた剣が床に激突すると同時、剣に込められた魔力が爆発を巻き起こす。

  至近距離で起った爆発に防御態勢も取っていなかった俺とケーニッヒは全ての行動を強制的に中断させられ、吹き飛ばされた。




 「づっ……」

 『やはり手数の差がネックですね……アレもまだまともに扱えない状態では』

 「だな……さて、どうすっか」




  目の前のケーニッヒを振り切ろうにも下手に背中を見せれば即座に殺られるのは目に見えている。

  倒すにしても下手に実力が拮抗している以上、簡単に決着が着くとも思えない。

  そうして時間が過ぎていくとトレディアを逃す可能性も大きくなる。

  トレイターは俺よりかなり強い奴ではあるが―――この広い施設だ。いくら全貌を把握しても移動には手間がかかる。

  マリアージュの相手もある……できればこいつの相手はしたくないというのが本音だ。




 「まったく……本当に殺し合う気が無いようですね」

 「くどい。俺の狙いはお前じゃねえって何度も言ってんだろ」

 「やれやれ、こういうのを片思いとでも言うんですかね? 私の熱い想いに貴方は振り向いてはくれない、と」

 「気色悪い例えは止めろマジで……」




  変わらず気味の悪い笑みを張り付けたまま余裕綽々といった様子のケーニッヒ。

  対して俺は所々に斬り傷を負っている状態―――

  状況は実に思わしくない。




 「という事で、一つ面白いプレゼンテーションを用意してみました」

 「は?」

 「貴方もきっと気に入るモノですよ―――では」




  パチン、と指を鳴らす音が響いた。

  瞬間に暗転する視界―――照明の電源が全て落ちたのか。

  そうして響いてくる機会特有の重低音―――




 「ではご覧にいれましょう、これが本日のメインイベント」




  謳うように、ケーニッヒの声が響く。

  演技がかった調子で嘲笑うかのように。










  そうして、その光景は現れた。










  回復した視界に現れたのは集落だ。

  各地を転々としていたのか少々大きめなテントを張ったような住居が見える。

  だがそれらは全て破壊されていた。

  布は裂かれ、燃え盛り、吹き飛ばされ―――とにかくそこにあったであろう集落の形など影も形も見当たらない。

  それと同じように、ここに住んでいたであろう住民たちは皆全て酷い有様だった。

  腕はひしゃげ、脚はあらぬ方向へ折れ曲がり、有るべき頭部が失われている。

  一方的な、そして圧倒的な虐殺。




 「これ、は……」




  見覚えがあった。

  その光景に、その地獄に。

  目の前に広がる、人々を襲うその兵器の姿に。




 「丁度あの時の個体に保存されていた映像が残っていましてね、引っ張り出してみました」




  3年前の、俺とケーニッヒが戦ったあの時の、集落―――

  そんなモノをおもちゃを引っ張り出してきたかのような軽薄な声に迂闊にも感情が振り切れそうになる。

  頭の芯を直接ガンガンと叩くかのような衝撃。

  自分のより知らぬどこからか黒い感情が湧き上がってくる。




 「て、め、ぇ……」




  グラグラする。

  思考が乱れる、視界が揺れる。

  異物が頭の奥から這い出て来るかの様な嫌悪感。




  この感覚には覚えがある。

  3年前の集落、更に以前にカリムがテロリストに攫われた時。

  まるで裏表がひっくり返るような、そんな感覚。




 「私の推論ですが―――何らかのショックを与えられた際、どうも貴方は一種の暴走状態に陥るらしい」




  現場を見ていたのかケーニッヒは流暢に述べている。

  頭痛に堪えるこちらに攻撃してくる雰囲気は無い。

  むしろこちらから攻撃して来いと言わんばかりの体勢。

  俺を見ているその眼は、殺戮への期待に満ち溢れていた。




 「それが何なのかまでは分かりませんが―――人為的に以前の光景を再現するとどうなるだろうと思いましてね」

 「ガ、ァ―――」




  全ての音にフィルターが掛かる。

  全ての光景が現実味を失くしていく。

  確信する。

  これは暴走でも何でもなく―――




 「ガァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」




  ナニカに因って引き起こされる、現象。




  そこで俺の意識は黒に沈んだ―――




















                    ◇ ◇ ◇




















  一筋の白い閃光が目の前を薙ぎ払う。魔力砲撃だ。

  ファイアリングロックシステムを無視したその魔力砲撃は物理的破壊力を伴い立ち塞がる全てを薙ぎ払っていく。

  数層にも連なる壁を纏めて破砕し、撃ち抜く。

  幾百と群がっていたマリアージュもその数を数重にまで減らしていた。

  囮としての役割は一先ず達成―――と言いたいところだが、さて。




 (肝心の陣耶は戦闘中―――対してトレディアの方も動こうとする気配がない)




  先程、この広大な施設全体の把握は済んだ。

  トレディアの位置も陣耶の位置も把握してはいるが、トレディアに何も動きが無いのが奇妙だ。

  よほど自身の施設に自信があるのか、それとも他の理由で身動き自体が取れずにいるのか……




 「いずれにせよ、まずは目の前の目的を果たすとするか」




  目の前には厳重に閉ざされた扉がある。

  扉を開けようとすればマリアージュが襲ってくるだろうからそれを始末してからになるが……




 「では、姿を拝ませてもらうとするか」




  言葉と共に魔力が体中に循環する。

  構築されていく魔法、標準は目の前に群がるマリアージュ。

  私の方はもう暫く時間が掛かるが―――さて、間に合うかどうか。




  手をかざす。

  狙いを定め、奔る魔力を目の前の敵に向けて解き放った。




















                    ◇ ◇ ◇




















  気づけば、良く分からない場所にいた。




  暗く黒い、全てを塗りつぶしそうな闇。

  ありとあらゆる絶望全てが噴き出したかのような、何も無い空間。

  その中に俺はいる―――と思う。

  断定できないのは自分の体が確認できないからだ。

  余りにも暗いあまり自分自身の体を視認する事すらできていないらしい。

  いや、それ以前に―――自分自身の肉体という感覚すらない。

  手の感覚があるとか、脚の感覚がないとか、そんな事ではない。

  目を開けているのか、閉じているのか。呼吸をしているのか、していないのか。

  自分自身の体の輪郭すら掴めない……文字通り、感覚の消失。




  唯一確認できる事と言えば自分自身の意識―――俺という自我を確認する事だけ。

  だがこんな事態も初めてではないためか自分でも思ったより冷静である。

  普通なら焦っていたところだろうがこうも訳の分らん状況に陥ってしまうと思考がクリアになる。




  まずは状況確認から。

  意識がブラックアウトしたと思ったらこんな暗闇の中に放り出された。

  たぶん、意識だけが。

  肉体の方はどうしているだろうか―――以前のように黒い衝動のままに暴走しているか、それともまだ動いていないか。

  確かめようにもここが夢か現かすらはっきりしないのではお話にならない。

  とりあえず―――




  手を伸ばしてみる―――もとい、伸ばしたつもりになってみる。

  当然、何の感覚も感じられない。

  脚―――同様。

  首―――同様。

  とにかくこの試みは無駄っぽいので中断。




  息を吸い込んで声を出してみる―――しかしまったくもって聞こえない。

  同じように息を肺に取り込んだ感覚も、空気を吐き出した感覚も無い。










  …………………………………………………………………………………………………………………………………………………










  沈黙だけが降ってくる。

  ここまで見事に何もないといい加減に不安になりそうである。

  まともな精神の人間ならここに放られたままなら確実に発狂する。










 ―――眠れば良い










  ……不意に声が響いた。

  声、というには余りにも不自然だったが。

  むしろ思考に直接響いてくるような……










  ―――眠れば良い










  また響いた。

  やはり、聴覚など無い。

  思考に直接響く―――というより、思考に割り込んでくる。










  眠りこそが、安らぎ










  思考掌握―――いや、誘導?

  何かしらの精神攻撃か、もっと別の何かか。

  碌なモノでは無いのは確かだ。










  安息の眠りを―――ああもう、五月蝿い。










  マジでどうすっか……

  そう思考した瞬間、明確な変化が訪れた。

  眼前―――そもそも視界と言って良いのかどうかすら不明だが、とにかくそこに辺りの暗闇が集まってくる。

  漠然とした光景、もしくはイメージ。

  それは徐々に人型を形作っていく。




  ……何だ?




  疑問を抱くこと数秒、それは即座に解消された。

  目の前の人型は俺が良く知る形を採っていく。

  バサバサとした黒い髪、やる気の無さそうな黒い目、その長身の男―――




  俺自身が、俺を見ていた。




  視界でもイメージでもなくもっと別のどこかでソレを見ている。

  俺の姿をしたソレは確実に俺ではなく、腹の底から嫌悪感を催すモノが俺の形を取っているだけというのは理解できる。

  だが、ソレは気味が悪いほどにニタリと顔を歪める。

  口が切り込みを入れられたように、顔が裂けるのではないかと思うほどに開かれた。










  曰く、殺せと。










  一言に纏められた悪意の塊。

  この暗闇の最終帰結地点が簡潔に集約され、俺を打つ。

  圧倒的かつ純粋な殺意―――










  これが望みだろう











  俺の描く結果を、先の結末を示される。

  まるでそれは啓示の様に鮮烈に強烈に俺のイメージに焼きつけられる。

  血に濡れたイメージ。

  幾百もの肉の塊の中に佇み、炎の中で笑う一人の男を見る。










  憎いのならば恨むのならば奪われたのならば報復を復讐を奪略を絶望を

  すべからく悪意へと帰結せよ正しく連鎖する負の感情こそが世の破滅

  内なる死こそが安らぎ故に眠り沈み堕落せよ

  傲慢ならば死を嫉妬ならば死を怠惰ならば死を強欲ならば死を暴食ならば死を憤怒ならば死を情欲ならば死を

  死を死を死を死を死を死を死を死を死を死を死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死










 「が、ぁ―――」




  余りにもの衝撃に出ない筈の声が出た、聞こえない筈の音を聞いた。

  一瞬で思考を潰されかける。

  それから溢れ出した一端の思考の黒さに言葉を失う。

  呼吸器官など感じられないくせに息が詰まった。

  肉体の感覚など感じられないくせに体の全てが硬直した。

  感覚が戻り、それを知覚する。

  圧倒的な絶望。

  人を正しく殺す、死の絶望。

  森羅万象全てを疎む悪意の体現。




  思い出す。

  潰されかけた思考の中で、思い起こす。

  かつての俺もこれに触れた。

  もう何年も前の出来事が鮮明に思い返せる。

  あの時、自身の無力さに歯痒さを感じ憤っていた時に現れた男―――おそらくは、無色。

  奴と接触した事で触れたこの圧倒的なまでの絶望と悪意。




 「ぁ、ああ、ああぁ……!」




  正気を保っていられない。

  狂おしい程の憎悪と悪意に呑まれて理性が粉砕されそうになる。

  こんなモノに人は、生物は耐えられない。

  執拗なまでに押し迫る負の感情が脳を焼き切ろうとする。










  ―――だけど、そこで唐突な疑問が一つ。

  じゃあ俺は、あの時はそもそも、どうやってコレから逃れたのだったか?










  覚えている。

  あいつ、はやての―――大切な人の声を聞いた。

  俺のために泣いていたあいつの声が聞こえて、どうにかしてやりたいって思って。

  だけど違う。

  それとはまた何か、違う気がする。

  コレはそんな生温いモノではない―――愛情や根性とか、そんな領域でどうにかなる存在ではない。

  ならば何故?

  答えの出ない問答を今にも破裂しそうな頭で必死に繰り返す。










  ……何を躊躇う、望むままに殺せば良いだろう。










  また、頭に響く。










  感情の赴くままに気に入らないモノを排除すれば良い。

  斬って、殺して、斬って、殺して、斬って、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して、殺せば良い。

  それだけの力があるのに自由に振るえないなんて嫌だろう、束縛されるのは誰だって嫌いだろう。










  蝕まれる。

  意識が傾いて別の方向に働き始める。










  ほら、丁度目の前に敵がいる。

  あいつなら思う存分斬っても問題ない、殺せる。

  死んだって誰も悲しまない……いやそもそも殺しにそんなモノを考慮する必要が無い。

  ああそうだ、なら良いか、殺しても―――





  ぐちゃぐちゃになる。

  思考が混濁してどちらがどちらか判別がつかなくなる。

  思考の寸断と感覚、距離が縮み掻き回される。

  俺という自我が負の感情のサイクルの一部に呑まれる。










  全にして一、一にして全―――これは存在する全て、森羅万象に属する悪意の塊。

  決して切り離せぬ表と裏の片割れ。

  コイツはどこにだって存在する、どこにだって現れる。

  あの場所を通じて全てに繋がっている―――否、アイツが繋げている。

  全ての絶望を糧にして、その時を待って、あの悪意は胎動している。

  それはまるで、母親の子宮で生まれる時を待つ赤ん坊の様に―――










  統合性が取れなくなってきた。

  意識という意識が寸断されて悪意というエネルギーを回すだけの回路に作りかえられていく。

  やがて、奴のサイクルにそれが組み込まれて―――




















 「―――まったく、どこまでも手のかかる主だな」




  そんな声が、俺の意識を再構築した。

  ……思考に理性が伴ってくる。

  俺という自我が構成されて現在と現実を認識する。




 「またけったいなモノに関わっているなお前は……何だコレは?」




  そうやって語りかけてくる声を、知っていた。

  今、俺の目の前に不敵な笑みを浮かべて暗闇に佇む人物―――目を惹く腰まで届く黒髪と、深い海の底の様な蒼い目。

  純白の騎士甲冑に身を包むそいつの名は……トレイター。




 「お前……何でここに」




  突飛な状況に思わず疑問が先行する。

  が、そこで更に気付いた。




 「あり……まともに感覚がある」




  おまけにちゃんと実体も確認できる。




 「感覚の有る無しは脳髄と電気信号の問題だ。大方、一発で意識を掌握されたな?」

 「う……」




  言い返す言葉が無い。

  言葉に詰まる俺をトレイターが腕を引っ張って立ち上がらせる。

  ……座りこんでたのか、俺。




 「で、結局コレは何だ? 何がどうしてお前の中がこうなっている」

 「俺の中……てことは、ここは精神の中な訳か」

 「……お前、それすら分かっていなかったか」




  呆れた様にトレイターから白い目を向けられた。

  くそぃ、傷つく。

  というかトレイターは平気なのか。




 「そういやお前、ここにいて平気なのか」

 「管理人格がそう簡単に前後不覚に陥ったのでは話にならんだろう」




  もっともであった。

  ともあれこの場に誰かが傍にいるというのは心強い。

  一人ならばまた簡単に呑まれている所だった。




 「駆けつけてみればお前は絶叫を上げている最中でな、急いでユニゾンすればこれだ」

 「俺にもさっぱり……碌でもないもんである事は確かだが」




  とりあえず辺りをぐるっと見渡してみるがやはりただ暗闇が続くだけ。

  出口らしきものは見当たらない。見たところ空間に果ても見えない。

  詰まる所のどん詰まり……




 「なあトレイター、ユニゾンして入って来たなら出る事って出来ないのか」

 「無意味だな。ここはそもそもお前の中……”出る”ではなく”排除”でなければ意味は無い」

 「……それは、また」




  我ながら厄介な事になっている。

  こんなところで踏みとどまってたら時間が無いどころかケーニッヒにバッサリと殺られかねん。




 「ああ、それならば心配はいらん。ここは精神―――要は神経の中だ。私達の行動一つ一つは電気信号と変わりない」

 「訳が分からんのだが……」

 「要はこちらの一挙一動が現実の一瞬、だから焦らずに状況を把握しろ」




  良くは分からないがとにかく納得しておく事にした。

  辺りをもう一度見渡す。




  俺たち以外には影も形も見当たらず、むしろあったとしてもそれを全部塗り潰してしまいそうなまでの暗闇がただただ続いている。

  濃厚な負の気配のみが漂っており、ともすれば吐き気を催しそうだ。




  ……人の気分は色によっても左右されるとか言うがどうにもアレは真実らしい。

  ここまで完璧な毒々しい暗闇ばっか見ていると気分が陰欝としてくる。




 「こいつを除去するっても……流石に途方に暮れるなあ」

 「一定範囲に張り付いているならともかくここは精神……下手に剥がそうとすれば廃人だな」




  さらっとトンデモナイ事を言われた。

  けどどーにかしてここから出ないといけないのも事実。

  そしてその手段が見当もつかないのも事実。

  手に……一応クラウソラスはある。だけどそこから意識は感じ取れない。

  俺の精神世界だからか?




  考えていたって埒が明かないのでとりあえず行動する事にした。

  突き当たりに行かないかと飛行してみたり、反響しないかと叫んでみたり、どっかこわれないかと攻撃してみたり。

  だが全てが徒労に終わった。

  出口の無い閉塞空間に精神がガリガリと削られていく。

  普段なら疲労を感じない程度の行動でさえ、この空間では重労働に感じられて仕方がなかった。




 「はぁ、は……くそっ」

 「まるで埒が明かんな……」




  トレイターも顔には出さないものの今の状況に辟易としているのは窺えた。

  息を落ちつかせるために一旦座り込む。




 「……」




  目の前の闇が、まるで諦めてさっさと楽になれと嘲笑っているようで腹が立つ。

  更にはこうしている間にも現実ではどんどん時間が過ぎていく。

  正直、焦りのあまり感情の赴くままに暴れたい。

  そんな事をやっても徒労だというのは良く分かっているが、それでもこのストレスのはけ口は欲しかった。




 「くそったれめ……Fuck」




  だから、こうして目の前の暗闇に悪態を吐く事しかできない。

  暗闇はまるで生き物みたいな生々しさで相変わらずそこにあり……?




 「……あり」

 「どうした」

 「いや、今一瞬、そこに何か……」




  いたような、と続ける前にソレが現れた。

  暗闇の中からまるで吐き出されるように滲み出て来た―――人影。

  それは間違いなく俺の姿をしていた。

  先程も見た、暗闇を粘土の様に練って形作られた―――俺が。










  ―――何故、拒む










  まるでガラス玉のように無機質な目で語りかけてくる。

  今度は、さっきの様な変に負の感情が流れ込んでくるような事は無かった。

  おそらくはトレイターのお陰だろう。

  隣に立つトレイターに感謝しながら、目の前の俺と向き合う。




 「そんなもん嫌だからに決まってんだろ、それ以上に何があるってんだ」

  欲望を、願望を、何故抑制する、抑え込む




  向き合う。

  隙あらば飛びかかってきそうな雰囲気を出している奴を相手に、真正面から立ち向かう。




 「やりたい事だけやってりゃその内つまらなくなるからな、社会ってのはそうそう自由にできてねえ」

  ならば奪え、略奪して踏みにじれ、望むままに思うままに




  そういう類は全てトレイターがシャットアウトしている筈だが、どこかがぐらりと傾きそうになる。

  だがそれでも、根っこの部分だけは繋ぎ止める。




  何故―――あの者達にお前は深く憎しみを抱いている

 「……」




  瞬間、何か琴線に触れてきた気がした。




  憎しみは拭えない、無から有は生まれない、有は無へ還らない

  故に負の感情は消えはしない、これこそが自身の求めるモノだと理解せよ




  瞬間、また脳裏にアカイ光景がフラッシュバックする。

  ズキン、と頭がまた痛んだ。

  それは秒を追うごとに増していき俺を呑み込もうとして―――




 「くだらん」




  横から聞こえた声によって一瞬で引き戻された。




 「貴様の言い分はただの獣の理論だ。人というのは理性で本能を制御しているからこそ定義づけられている」




  痛みが引いていく。

  混じりかけていたこちらとあちらの境界が元に戻る。




 「そんな事は関係ない人種もいるだろうが……生憎と主はそんな人種ではなくてな。下手な言葉遊びで惑わすのは止めてもらおうか」




  あいつの言葉が頭に響く。

  その一つ一つの意味が当り前の様に染み渡っていく。

  ……ああそうだ、その通りだよちくしょうめ。




  人は負の感情から逃れられない、表と裏切り離せない自我と無意識本能と理性は想起し連鎖し束縛し解き放つ

 「―――そうだな、全くもってその通りだ」




  腹は括った。

  ずっと中途半端だったどこかが噛み合った。

  それだけで、こんなにも気持ちが軽くなった。




 「ああそうだ、認めてやるよ。俺は確かにあいつらを憎んでいるし恨んでいる。正直なところ首を刎ねてやりたいくらい」

  ならば―――

 「けどな、それとこれとは話が別だ」




  そもそも俺は何のために戦っていたのか。

  何を理由にして戦っていたのか。

  躊躇う必要も、迷う必要も無い―――そこを止めていたのは果たして何だったか。




 「俺には戦う理由がある。こんな身勝手で自分勝手な俺でもな、戦う理由なんて言う言い訳はあるんだよ」




  俺の戦う理由。俺が戦い続ける意味。

  権を握り、役目を終えて、それでもまだ手放さなかった意味は―――




 「だったらそれを通さなきゃ嘘だろうが。例えどれだけ無様だって、蔑まれたって、その真ン中だけは譲らねえ」




  そう、皇陣耶の意義。

  剣を振るい、戦場へ踏みいるその理由。




  ―――遠い日に交わした約束。

  お前を護ると、支えると……俺が俺で在れるように、俺が俺自身を許せるようにと。

  だから、俺は俺の日常を護る。

  そのために、剣を握る。




 「俺は俺の日常を壊したくない。あいつらと他愛のない会話して、馬鹿やって、そんな時間が好きなんだ」




  俺は弱い。

  そんでもって臆病だ。

  日常が楽しければ楽しいほど、それがすぐにでも崩れそうで怖くなる。

  それでもあいつらは大丈夫だよって笑って―――




 「だから、俺はあいつらの泣くところは見たくねえ。だから戦うんだ、だから抗うんだ」




  からからと空回りしていた歯車が全て噛み合う。

  今まで動かなかった全部が動いて、中心に一本の芯が入る。

  そうだ、だからこそ俺は戦える。

  戦うのは大義とかそんなご大層なモノじゃない。




  どこまでもあいつらの―――そして、俺自身のために!




 「てめえが俺の事情何か知らないように俺だってお前の事情何か知ったこっちゃねえ。だがな、覚えてろ」




  これは宣戦布告だ。

  どこかで必ず向き合う事になるであろう目の前の暗闇への、敵対宣言。




 「お前が何を使用が勝手だ。けど俺の日常に手を出すってんならその時は―――」




  トレイターと踵を返す。

  視線の先に一条の光が見えた。

  いつまでもここにいる理由は無い。




 「必ず、潰してやる」




  明確な宣戦布告。

  ここに一瞬の会合は終わりを告げ、俺は暗闇を抜けだした。













































  光を抜けた先はちゃんとした現実が待っていた。

  切断されて無残に散らばっている残骸―――目の前に立つ一人の男、ケーニッヒ。

  少々拍子抜けな顔で出迎えられた。




 「あの時の様に暴走状態になってくれるかと思いましたが……中々どうして、目論見は外れましたか」

 「何でもかんでも思い通りに行くと思ってんじゃねえぞ」

 「ふふ、これは失敬」




  言いながら、互いに得物を構えなおす。

  内部にはトレイターがちゃんといる。クラウソラスも正常だ。

  腹は決まった。

  後は、一直線に進むだけ。




 「迷いのない目だ―――だが、同時に殺気まで失くしている。私を殺す気は失せたという事ですか」

 「その通りだよ。誰が好き好んでテメエなんかの血で手を汚さなきゃなんねえんだ」

 「ならば、殺さずに事を収めると」

 「ああ」




  迷いない寸断。

  それをケーニッヒは皮肉の様に笑った。




 「ここに来てその様な物言い……貴方はヒーローにでもなるのですか?」

 「馬鹿言ってんじゃねえよ。俺はそんな柄じゃねえし、なれと言われてもなりたくねえ」




  ヒーローってのは文字通りの英雄だ。

  愛と勇気と希望を力に変えて、何もかもを救っていく。

  敵も味方も纏めて救ってハッピーエンド―――そんな、普通の子供なら一度は憧れた存在。




 「俺みたいな自分勝手で身勝手な奴にヒーローなんざそもそも勤まらねえ。ヒーローってのは大馬鹿がなるもんだ」

 「なるほど、それは確かに」




  そう、大馬鹿。

  敵も味方も救って見せるなんて胸を張って言い張れるような大馬鹿だ。

  そいつはきっと眩しい。

  冷たい現実を知ってしまった奴からしてみれば、触れる事の出来ない太陽の様な存在。

  だけど、だというのなら―――




 「それにな、俺がヒーローってんなら相応しい奴はもっと別にいる」

 「ほう……? 貴方が評価する人物なら骨がありそうだ」

 「ああ、実に骨があるだろうさ。お前なんざ足元にも及ばないくらいに、な」




  軽い挑発には乗ってこない。

  だがそれでも、殺気は俺を殺したいと物語っていた。




 「しかし、貴方たち二人だけで乗り込んでくるというのも中々に無茶ですね」

 「ああ、それは俺も思った。なにせマリアージュの数が数だ……途中でガス欠が精々だろうな」




  ふと、上を見上げる。

  硬い素材で覆われた鉄の天井―――大きく穿たれた穴。

  先程、ケーニッヒが切り崩した床―――ここからしてみれば天井が見えた。

  その何階層も上にはトレイターが空けた大穴がある。




 「なあ……一個言っておくが」

 「何でしょう」




















 「いつ、俺とトレイターだけで乗り込んできたなんて言った?」










  瞬間、目の前を桜色の閃光が貫いた。










 「なっ……!」




  ケーニッヒから驚愕の声が漏れる。

  遥か上方から纏めてフロアを撃ち抜くなんて芸当、到底できる筈が無い。

  だが、それをできる人物を俺は知っている。

  純白のバリアジャケットを身に纏い、魔法の杖を手に、争いを止めるために力を振るう。




 「なるほど、これは一杯喰わされましたね……!」




  そして、穿たれた穴から更にこちらへ迫る閃光が二つ。

  桜と金の魔力光を纏った人影。

  それは、実に俺の良く知る人物の物だった。




 「さあ―――」

 『ユニゾン・イン』




  内部のトレイターと完全にユニゾンする。

  目が蒼に染まり、背に一対の白い大きな翼が現れる。

  それと同時に二つの閃光がその姿を現した。










  高町なのはと、フェイト・T・ハラオウン。










  一歩を、踏み出す。




 「さあ、ヒーローのご登場だ」




  ここに、真に決戦の火蓋が落とされた。





















  Next「リミット」





















  後書き

  増援到着。

  私闘だけど個人的な気分は戦争です。野望を潰しにかかるので手段なんて陣耶も選んでません。

  爆撃とかすればもっと早いだろうけどそこはやらない。何故なら日常が潰れるかもしれないので……なんてのは言い訳ですかね。

  もうそろそろ受験勉強で死にそうなワタクシ。でも負けない、だって馬鹿だから(爆

  Angel Beats! も次で終わり、禁書の二期が決定。

  このお話もやっと終端まで書きあげる事が出来ました。

  残すところあと二話、この空白期にお付き合いくだされば幸いです。



  ではまた次回―――






作者さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板
に下さると嬉しいです。