お忍びアイドルと押しかけ妻







 永遠に続く、たった一日の恋。1953年に製作された、王女と新聞記者との切ない一日の恋を描いている外国映画を表現した言葉である。名作に位置づけられる、名高い映画である。

テレビや映画にはあまり興味のない俺のような武骨者でも知っている、身分違いの恋物語――彼女と俺との間も、この映画を思わせる絶対的な差があった。


ヴァイオラ・ルーズヴェルト、この世界で彼女の名前を知らぬ者はいない。英国が誇る美しき妖精、その歌声は神々さえも魅了すると言われている。


王室とも深い関係にあるとされている、イギリス貴族の末裔。英国を支配する女帝の孫娘であり、あのクリステラソングスクールの卒業生でもある。

容姿端麗という言葉さえも色褪せる美貌の持ち主であり、匂うような気品を漂わせている華人。在るが儘に美しく、望むがままに凛とした女性。

身分を問わず多くの男性が彼女を狂おしく求め、その魂までも焦がして欲している。彼女こそ、おとぎ話のかぐや姫。月の姫君は、下界の人間には決して届かない。


まして英国人でもなく、そして金も身分もない一般市民には、望むことさえも罪。高嶺であるからこそ、華なのである。


「ただいま帰りました、あなた」

「……思うんだが、クリスマスは毎年時間通りに帰ってくるな。お前って」

「夫を待たせる訳にはいかないもの」


 クリスマス。白く彩られる華やかな日に彼女の歌が日本中に流れ、彼女自身が俺の家に帰ってくる。ごく普通に、当たり前のような顔をしてただいまの挨拶を口にする。

彼女とは、夜の一族の世界会議を経て婚姻を結んでいる。恋でも愛でもなく、血で結ばれた関係。婚約者でありながら、彼女は妻のごとく振る舞う。

元々の身分の違いに加えて、夢を叶えた彼女は英国を代表する歌姫となっている。スポットライトを一心に浴びて、ヴァイオラは栄光ある道を歩んでいる。


成功者と失敗者――社会に当然のように存在する落差さえも、俺達の間にはあった。


「こらこら、早速エプロンを付けて何をしようとしている」

「お夕飯の準備がありますから」


 正確に言えばある、はずだった。目には見えなくても、誰にでも分かる圧倒的な差。肌で感じられる男女の壁を、彼女は平気な顔をして飛び越える。

クリスマスという恋の歌を世界中が望む日であっても、彼女は必ずスケジュールを開けて帰宅。無理をさせているのではないかと最初は思ったのだが、毎年やられるとそう思えなくなってくる。


麗しき黒髪を三角巾でまとめて、家の大掃除をする歌姫。着古したエプロンを付けて、夕飯を作る華人。世界中のファンが見たら泣きそうな、平凡かつ異様な光景を見せられるのだ。


「別に今日くらい、外食したっていいんだぞ」

「外食ばかり食べていると栄養が偏りますよ、あなた」


 一応婚約者だし気を使ってデートに誘うのだが、婚約者であるがゆえに気を使っているのがバレて家で過ごす羽目になる。特別もクソもない、まったくもって平凡な日常である。

夢が実現に向かいそうな時にまで、ヴァイオラは兼業夫婦となることに強く懸念をしていた。家庭に入ると何度も言っていたのだが、俺は何度も断って無理やり背中を押して世界に羽ばたかせた。

身分違いでありながら、身分違いを望まないうちの奥さん。ならば愛に生きているのかと思いきや、特別な気持ちも感じさせずに彼女はこうして俺の傍に居るばかり。


ただ、夫を立ててくれる。彼女はどこまでも、妻であった。


「……何か、いつの間にか流されているんだよな……」


 忍んだ恋であり、見せることのない愛である。この関係が世に触れ回れば、世界中が大パニックを引き起こすであろう。絶対に、バレてはいけない。

緊張感が漂う、堅苦しい関係に世間的には見えるであろうが、現実はこうして作ってくれたカレーライスを二人でのんきに食べている関係である。


というか、クリスマスの夜にカレーライスを作る英国のお嬢様ってのもどうなんだ。


「お味は、いかがですか?」

「いや、美味いけどさ……」

「けど?」

「美味しいです」

「そう、よかったわ。たくさん食べてね」


 ちなみに、ケーキも買っていない。買おうとしたら自分で作ろうとしたので、もうやめておいた。日々疲れているだろうに、手間隙かけてケーキまで作らせるのも悪い。

クリスマスの夜につつましい食事をしながら、お互いの近況を語り合う。愛もへったくれもなく、ただ単純に自分の事を伝えるのみ。俺達は、それで安らげている。

自分自身こうして違和感を口にしてはいるが、世間とのズレこそあっても解消する気はなかった。別段、直す必要もない。


こういう夫婦がいても、別にいいだろう。


「お茶をくれ」

「はい、あなた」


 冷たいシャンパンではなく、熱い日本茶を飲んで吐息を吐く。世間は慌ただしいが、ここだけは実にゆっくり時間が流れている。

窓の外は雪も何も降っておらず、クリスマスといえど平凡な夜であった。恋の神様は、俺達の恋を祝福してはいないようだ。その気持ちは、実によく分かる。


だって俺達に、特別なイベントなんて必要はないのだから。


「来年の正月は、帰ってこれそうなのか?」

「今年は正月まで、貴方と一緒に過ごすつもりよ」

「おっ、珍しいな。年末はいつもコンサートとか、色々あるのに」

「ほとぼりが冷めるまで、休みを取るように言われたの」

「ほとぼり……?」


 眉をひそめる。嫌な予感どころか、不吉しか感じさせない。当人は全然何とも思っていないようだが、この英国風日本妻に芸能界の常識を期待してはいけない。

恐る恐る聞くと、夫に嘘などつかないとばかりに正直に語ってくれた。


「イギリス俳優との熱愛が報道されて、インタビューを求められたの」

「……それで?」

「それだけよ」

「いや、その内容を」


「俳優は私との関係を肯定したそうなので、事実を言ったわよ。私には夫がいます、と」


 ちゃぶ台の上で、頭を抱えた。ローマの休日を100回見ろと言いたい。アン王女は恋を忍んだからこそ、瞳を涙で濡らしたというのに。


「それを言ったら駄目だと、あれほど!?」

「そうね、特別に広める必要はないわ。私達はこうして、もう夫婦ですもの」

「そういう認識だったのか、お前!?」


 恋人に贈る、花はない。愛人に捧げる、宝石はない。何処にも行かないし、誰も求めない。クリスマスであろうと、何も特別ではない。

二人がこうして、一緒にいる。単純に、それだけ。聖なる夜に、日常の喧騒を繰り広げる。笑い合うことさえなく、傍に居るだけ。


俺達は今日も、同じ夜を過ごす。















 


















































<終>







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