Ground over 第五章 水浜の晴嵐 その13 保護






アリス・ウォン・マリーネット、異世界の御姫様。

御伽話のヒロインに相応しい可憐な容姿と、高貴な名を冠した王女。


――童話の中だけで落ち着いて貰いたかったと、心底悔やむ。


残念ながら、これは現実の物語。

ハッピーエンドが何一つ約束されていない、先の見えない舞台の上。

強引に狂った演劇に参加させられた俺、輝くほどに白く美しい髪の女の子。


悪役は――少女の、母親。


この世に誕生して誰よりも最初の味方が、最悪の敵として美しい姫君の命を狙っていると言う。

純真な子供には聞かせられない童話である。


「……母親に?」

「はい」


 返事はイエス・ノー、忠実に守ってアリスは神妙に頷く。

天真爛漫な笑顔が嘘のように消えて、悲しみに溶けた曇りの美貌を見せる。

少女の大人しい態度は、正直毒気が失せる。

問い質すのも気が引けて、俺はコーヒーを飲んで一息吐いた。


嘘、には――到底聞こえない……


この少女は、自分の親に命を狙われているのだ。

俺はその手の感情には無縁な人生だったのでよく分からないが、さぞ辛かったに違いない。

大の大人でも、三人に一人は助けを求める時無意識に母親を思い浮かべるらしい。

母親に甘えたい年頃には、人生の全てを否定されたのと同じだ。

無邪気な笑顔の裏で、これほどの悲しみを抱えていたなんて……



……。



……おいおい、ちょっと待て。



同情してどうする。

確かのこの娘が置かれている状況は悲惨の一言、親に死ねと言われてさぞ心が痛いだろう。

だからって――俺には何も出来ない。

一般庶民の家庭問題ですら、俺達の国では完璧な対応が出来ていない。

幼児虐待、児童暴行、離婚、夫婦間暴力、非行、思春期問題、親子間の悩み事、子育ての悩み事……など。

世の中に家庭が増えれば、それだけ多くの問題が生まれる。

家庭を育む人間が完璧ではないのだ、完全な家庭を作る事など出来ない。

アリスが一般庶民ならば口出す事は出来るかもしれないが、この娘は王女様だ。


大勢の庶民の命と人生を背負っている、国家の要人だ。


御姫様の母親ともなれば、女王か御后様に位置する女性――

口出しすれば、無礼者扱いされて斬られるのがオチだ。

先日俺達を襲ってきた刺客達だって、問答無用であの時赤の他人だった俺を殺そうとした。

俺一人で対応出来るレベルを、問答無用で超えている。

総理大臣や大統領級の人間を敵に回して、一庶民の俺が生き残れる筈がない。


敵は余りにも巨大過ぎた――


俺は絶望的な心持ちで、悲嘆にくれた声を上げる。


「じゃあ……あの宿は君の滞在先で、俺の部屋に来たのは逃げて来た為?」

「……言いたくない」


 肝心なところをはぐらかす小娘め!

ならば、答え易い質問に変えよう。


「俺が泊まってた宿が、アリス君の滞在先だったのは間違いないよな?」

「はい」


 オッケー、とりあえず安宿に大人しく泊まっておけばよかったって事だけは分かりました。

リッチなホテルだったら安全だって言ったのは誰だ、畜生!

国家丸ごと飲み込む核地雷を踏んでしまったではないか!?

つくづく、異世界に来てから俺の運が暴落しているのを感じてしまう。

逆に、大迷惑万歳の葵に運気を吸収されているのかもしれない。

厄介事を回避すればするほど、火種が大きく膨らんで破裂している。

テーブルに突っ伏して、何もかも放り出したかった。


……国を敵に回してしまったのだ、俺は。


王女誘拐の容疑がかかっている以上、半端な釈明では無罪に持ち込めない。

何しろ、誘拐された本人が目の前にいるのだ。

俺は誘拐するつもりはなかった等と、どの口が言えるのだ。

俺達の敵は我が子を殺そうとする外道な母親だが、これまでのように原因を排除すれば済む話ではない。

世間一般的に見れば俺達が悪人、母親が善なる立場にいるのだ。

極端な話、今居る喫茶店の外を歩く人々でさえ敵になる。

指名手配になれば役人全員、賞金首になれば冒険者達も敵に回る。


――国家要人を誘拐した犯罪者、そのレッテルは重い。


異世界に強制的に呼び出されて、まだ浅い。

案内役であるカスミに頼りっきりで、俺はこの町の右左すらよく分からない。

地球の諸外国で迷子になるより、遥かに性質が悪かった。


どうすればいい……どうすれば、俺は助かる……


  ――何で、こんな事に…… 



「おにーちゃん……困ってる?」

「当たり前だ。お前に関わったせいで、こんな羽目になったんだ」



 困った顔をする少女に、正直何の情もわかなかった。

母親に狙われる憐憫よりも、我が身の不幸を嘆く気持ちが大きかった。

当然だ、俺は正義のヒーローではない。

英雄願望もない、科学者志望の学生だ。


他人の――ましてや、王女の運命を背負える器ではない。


身勝手に指名手配されたのだ、自分の事を考えて何が悪い。

誰が、俺を攻められるんだ――!


――そう、考えていたからだろうか……?


少女が次に言った言葉が、俄かに信じられなかった。


「分かった、アリスが何とかしてあげる!」

「へ……?」


 飲んでいたカップを優雅に置いて、アリスは俺に笑顔を向ける。


――悲しみの消えた、天使のような微笑みを。


アリスは俺の手をギュッと握る。


「……ごめんね、おにーちゃん。アリスが困らせちゃって。
大丈夫、おにーちゃんは絶対に助かるよ。

アリスが皆に説明するから!」

「説明って、お前……まさか!?」


 確かに、俺の無実を証明する方法はある。

簡単だ、非常に――簡単だ。


罪そのものを、消せば済む話なのだから。


「アリスを――おかーさんの所へ、連れて行って。
全部、説明する。

おにーちゃんは何にも悪くないって」


 被害者が告訴を取り下げる――事件そのものを無効にする。

他ならぬ王女が釈明を行えば、役人程度簡単に黙らせる事が出来る。

幼い娘だと――御姫様の言葉を疑う度胸のある庶民はいない。

長い時間がかかるのは間違いないが、無罪になる可能性は大いに高まる。


でも――


「危険だ! 真正面から会いに行けば、確かに手出しは出来ない。
関係者の俺を口封じに殺そうとするかもしれないが、やりようはある。

だけど――

母親は必ず、別の機会を狙ってでも君を殺すぞ」


 街中で刺客を仕向けて、関係者を容赦なく殺す類の人間だ。

この町で殺せなくても、アリスを殺す機会は幾らでもある。


常に命を狙われ続ける毎日が、彼女を待っている――


――アリスの手の平は冷たく……向ける微笑みだけが、温かい……

「少しだけど……一緒にいてくれて、嬉しかった。
遊んでくれて、本当に楽しかった。


……ありがとう」


 俺は何も言えなかった。

何か言いたかったが――言葉が出なかった。

助かるかもしれないという安堵と、この娘は助からないという絶望。

天秤は不安定に揺れ動くだけで、明確に示さない。

顔を俯いたまま、俺は手を握り返す事しか出来ない。



アリスは名残惜しそうに、そっと手を離して――外へと駆けて行った。



誰かを呼ぶように、大きな声を出して手を振っている。

見目麗しい容姿の女の子だ、裏通りでもこれ以上ないほど目立つ。

すぐにでも、役人が飛んでくるだろう。

このまま成り行きを見守れば、少なくとも俺は助かる。


俺だけは、必ず――俺だけは。















――御姫様と、庶民。



結ばれる縁など、ありはしなかった。





だって――これは現実なのだから。
















































<第五章 その14に続く>






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