Ground over 第三章 -水神の巫女様- その22 明日







少しは危惧していた天候だが、快晴のまま一日が終わった。

雲は一片の欠片も見えず、空は青く澄んだまま。

街の喝采は止まる事を知らず、宴となって夜の静けさを壊す。

あの広場では今でも大勢の人が集って、食事や酒を振舞って賑わいを見せている。

そして俺はというと――


「…うー、眠」


 気疲れと肉体的疲労で、俺は広場からこっそり抜け出してきた。

祭り事は嫌いではないが、せめて日を改めてからにして欲しい。

ただでさえ、葵のせいで質問攻めにあって昼間は身動き一つ取れなかったんだ。

まだ飲んだくれている葵達をそのままに、俺は町長さんの家へ向かっていた。


「タフだよな、あいつらは…」


 葵もそうだが、カスミやキキョウも残っている。

特に葵は絶好調で、街の人々に英雄談を語って得意満面になっていた。

本職の冒険者達っぽい人も残っているのに、大した度胸だと思う。

可哀想なのはむしろ氷室さんだった。

巫女様として正式に迎えられて、何人もの人に感謝の祈りを捧げられていた。

中には人生相談する者や、この街に残って欲しいと懇願する者もいて大変である。

カスミがいるので心配はないだろうが、役割を押し付けた原因の一端としては少し心苦しい。

残った方が良かったかもしれないが、自分の身を優先してしまった。

とにかく眠い、ひたすら眠い。


「…ふう…」


 思えばこの街に滞在して随分になる。

俺は眠気を堪えて角を守り、道の真ん中を真っ直ぐ歩く。

いちいち車の心配なんてする必要もない。

暗闇の中、起立良く並ぶ街灯のランプを頼りに家へと歩いていく。


「…後は船がいつ出るか、だな」


 やるべき事はやった。

依頼はきちんと達成し、河を渡る上での障害は取り除けた――と思う。

このまま晴れが続けば、堤防の復旧も早くなる。

船の行き来を一日でも早く行わない限り、この街の交流も途絶えたままだ。

カスミの話では河の向かい側には、この街の二倍以上の規模がある街があると言う。

ひとまずそこで装備類を整えて、旅の支度を万全にしたいと彼女は話していた。


「…」


 空を見上げる――

真っ黒な天井には星が輝いていて、静謐だった。

星…此処も惑星の一つなのだろうか?

当たり前のように星が見えているが、ここは地球ではない。

異世界と一言で今は片付けているが、その実態は何一つ知らないに等しい。

自分と同じ人類がいて、文明があり、生活がある。

人間は人間のままモノを考え、人と話している。

肌や髪の色などの人種の違いがあるが、地球にだってその違いはあった。

むしろ地球では、日本人は世界全体から見れば特別な人種だろう。

ならばあっちとここの最大の違いは何かといえば、やはり――


「科学と…魔法」


 基盤となっている技術が違う。

この世界では魔法が主流で、科学は異端だ。

あっちの世界では科学が主流で、魔法が異端だった。

物語の中でしか存在しない魔法。

俺はそれが嫌で、この世界を拒否している。

価値観の違いと言えばそれまでだが、自分の根底を否定されたくはなかった。


「…さっさと帰ればすむ話か」


 この世界の謎なんてどうでもいい。

俺は重い頭を振り払って、家路へ――





「…お帰りですか?」

「氷室さん…」





 振り返ると、暗闇の中で氷室さんが一人立っていた。

考え事をしていたからか、気付かなかった。

若干の驚きを覚えつつも、平静を装って尋ねる。


「あっちはもう大丈夫なの?」

「…カスミさんが」


 自分にも他人にも厳しい女冒険者――

十人中九人はその評価をつけられる彼女だが、意外に面倒見がいいのかもしれない。

今回の事件でも裏方全般を担ってくれて、街側への対処は全て彼女がしてくれた。

騒動もなく、無事に事を成せたのは彼女が支えてくれたのも大きい。

改めてカスミを誘った選択の正しさを実感し、俺は氷室さんと帰りを共にする事にした。

帰る場所は同じだし――

黙っていても分かってくれたのか、氷室さんも黙って俺の隣に歩み寄る。

そのまま肩を並べて一緒に歩く――んだけど。

その、何と言うか…


「…」

「…」


 か、会話がない。

ここ数日他の仲間を交えて氷室さんと一緒に生活しているが、彼女は静かな女性だった。

カスミもカスミで冗談や浮ついた話題をするタイプではないが、それは実直だからだ。

尋ねれば答えてくれるし、相談の時は積極的に質疑応答をしてくれる。

対して氷室さんは本当に必要最低限しか喋らないし、言葉も少ない。

多分話し掛けたりしなければ、一日に俺達と交わす言葉は挨拶だけだと思う。

自分の事は一切話さず、感情も何も言葉にも表情にも出さない。

それが不快に感じないのは、彼女が放っている雰囲気だろう。

この世界の――俺や葵とも違う、彼女独特の空気。

人柄からなのか、生まれつきなのか分からないが、氷室さんには凛とした美しさがある。

彼女の傍に居ると、言い様の無い劣等感めいたものを感じてしまう。

まさか馬鹿話する訳にもいくまい。

何か話題、何か話題は…


「…天城さんは」

「ひえうっ!?」

「? …なにか?」

「い、いえ、あの…続きをどうぞ」


 ま、まさか氷室さんから話し掛けられるとは思わなかった。

声を聞いただけで、心臓がドキドキするのがちょっと恥かしいが許して欲しい。

彼女は特に気にした様子もなく、


「…ここへは私と同じく、ですか?」

「えー…と、言うと?」

「…突然、連れて来られたのですか?」


 なるほど、そう言う意味か。

一応俺と葵の事情もある程度話したが、きちんとした時間や場所を教えてなかった気がする。

俺は気まずげに頬を掻いて答えた。


「そうです、大学の駐輪所で。 葵と二人バイクで帰ろうとしたところ―――何時の間にかこの世界に来てました」


 同じ歳だと思うけど、ついつい敬語になってしまう。

大学のアイドルを間近で見るのは照れ臭いので、ひたすら道の先を見ながら話した。

月日はそれ程経っていないのに、随分昔の事のように思える。

あの現場に誰か居れば、俺達が突然消えた事になる。

葵流に言えば、まさに神隠しだろう。

…そういえば。


「こんな事聞くのは、責任ある俺としてはどうかと思うんですけど――
氷室さんはどうだったんです?」

「…」

「その…家族とかと一緒だったとか、どこか行かれる途中だったとか…」


 彼女が召還された時、アンティークドールのような漆黒のドレスをその華奢な身に纏っていた。

学校や友達と遊びに行く時に着る服装じゃないのは、オシャレに疎い俺だって分かる。

俺は氷室さんの家柄や家庭環境を全く知らないが、服装や礼節から察して上流家庭なのではないだろうか?

そうすると、もしかして…かなり大切な用事だったのかもしれない。

この世界に来て、氷室さんは一度も不平不満を口にしなかった。

態度にも見せず、動揺も悲哀も何もない。

失敗したキキョウや俺達を責めず、俺達に黙って協力してくれている。

俺は時折思う。

この人はその辺の一般人とはまるで違う。

それはきっと――根底から。

人としての有り様から違う。

俺や葵と同じく――自分の世界に溶け込めなかったのではないか、と。

氷室さんは俺を見ていない。


「…私には婚約者がいます」

「え…?」


 黒曜色の瞳に空を映して――


「…親が決めた相手です。
あの日初めて…婚約者と会う予定でした」


 ――話してくれた。


「…私は…生まれた時から自由を与えられておりません」

「…」


 辛そうには見えない。

自分の人生を、ただ他人事のように話している。

いや――他人事なのだろう。

拙く、辿々しく…彼女はあくまで最低限の事だけを話してくれた。

決められた毎日と、決定された未来。 

積み重ねた過去に自分はない。

どんな人生なのか、想像も出来なかった。

俺には両親はいないが、自由はあった。

自分の道を自分だけで選んできたとは言わないが、足元にレールはない。

先行きに何の道標もないが、歩く道は自分で選べる。

でも、彼女は…


「じゃあ…氷室さんは元の世界に戻っても――」

「…絶縁か、別の方との御婚姻が待っています」


 大よそ理解は出来る。

俺にとってはドラマの世界でしか聞いた事のない政略結婚。

娘の意思を尊重しない親。

これから旅を続け、日本に戻れたとしても…もう遅い。

悲哀も苦痛もなく、同情も哀れみも必要としていない彼女の表情――

俺はゆっくり言葉を噛み砕き、事実を心に浸透させる。

今の話を聞いた所で、氷室さんの何万分の一しか知った事にはならない。

俺には優しい言葉も、慰めの気持ちも彼女に与えてやれない。

どうすればいいのか?何をしてあげるべきか?

次々と頭に浮かび、消えていく――

俺は口を開いた。


「…氷室さん」

「――」

「こんな形になったけど――」


 氷室さんの視線を間近に感じながら、俺は言った。

たった一つのやり方。

そして、俺に言えるたった一言を――


「この旅の間だけでも、一緒に歩いていこう。
きっと、俺が何とかするから」


 何を、どう、何とかするのか…?

分からないが、俺は彼女を少しでも知った。

そして、これから少しずつ知っていく。

事実を知り、探求し続ける――それが俺の科学者としての在り方なのだから。

氷室さんは足を止めて、


「…初めての…家出です…」


 そんな冗談を――口にした。

俺は思わず笑ってしまった。

心の底から――










 明日は――良い天気になりますように。

























<第四章に続く>








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