On your mark――――>

 

 

 コンバットブーツを履いた自分の足が地面を踏みしめる音と共に、意識が遥か遠くの陣地へと向かうのが分かる。

 

 それと同時に身体に装着した訓練用防具によって乱された魔力が己の身体の内で渦を巻き、一瞬でも気を抜けばそれが溢れそうになるが、今の彼に気を抜く要因などなかった。

 

 魔力は的確に御され、彼の“力”となるのだから。

 

 

get set――――>

 

 

 デバイスの声に合わせ、体勢を低く――――さらに低く落とす。

 

両の手を地面につけたその姿は、陸上競技に望む選手にも見えた。

 

 さらに脚部に魔力を集中、それに伴い足元で風鳴りの音と共に土煙が上がる。

 

 

Ready――――>

 

 

 溢れ出る魔力を制御。

 

 一滴の魔力も無駄にはしない。

 

 脳裏に術式を走らせ、それを(うつつ)に成す。

 

 

<――――Go.

 

 

 何の感情もない冷ややかなデバイスの合成音声と共に、彼の身体は空間を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔法少女リリカルなのは―――くらひとSSS 昔語り 第八夜―――

 

 

 

 

―ある提督と執務官の昔話 後編―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()ち抜く――――

 

 空気が悲鳴を上げ、防御フィールドが大気との摩擦で熱を持つ。

 

 瞬間最高速度は時速三〇〇キロメートルを優に超える。

 

 空中という三次元空間でこそ真価を発揮する空戦魔導師。そのため、地上において陸戦魔導師に及ばない点はいくつもある。

 

 

「――――――――」

 

 

 だからこそ、彼は空戦魔導師でありながら陸戦魔導師としての訓練を行っていた。

 

 貪欲に――――ただ貪欲に“力”を欲する。

 

 それが生きる意味と同義だからこそ、彼は躊躇いなく進むことができるのだろう。

 

 

「――――――――」

 

 

 何の気なしに、彼は周囲の風景に目を向ける。

 

 戦闘領域の確認――――そう言えるかもしれない。

 

 だが、彼の意識はまったく別の事に向いていた。

 

 

「――――――――ここは死んだ街? それとも、眠りについた街?」

 

 

 彼の生まれる遥か昔に廃棄されたという都市は、市街戦の訓練施設として時空管理局の管理下にあった。

 

 その原因は大規模な“災害”。

 

 古代遺物による次元災害だとか、天変地異による大規模災害などではない。

 

 この都市が廃棄された原因は、戦争という“人災”だった。

 

 

「――――――――」

 

 

 廃棄されて六〇年が経っていながら、この都市は比較的風化を免れているように見える。

 

 時空管理局がこの都市を市街戦訓練場として管理しているのだから当然ともいえるが、それでもどこか歪な空気が漂っている気がした。

 

 彼の記憶に従うなら、この廃棄都市は時空管理局が保有する中でも最古の大規模演習施設の一つのはずだ。

 

 

「――――――――」

 

 

 市街戦だけではない。

 

 砂漠や荒野、雪原や氷原という極地での戦闘もまた、時空管理局陸上警備隊の領分だ。

 

 航空武装隊や次元航行部隊と比べ、陸上警備隊の人員数は軽く数倍に達する。

 

 そのすべてを一定以上の技量に保つには、こうした訓練場が必要不可欠だった。

 

 

「――――――――」

 

 

 そして今日、ここでは陸戦AAランクの資格認定試験が行われている。

 

 試験対象は陸士訓練校の陸士候補生であるリュウト・ミナセ。

 

 試験内容は全目標の索敵殲滅(サーチ&デストロイ)

 

 身体に取り付けられたセンサーに一定以上のダメージが検出された場合と、試験官が続行不可能と判断した場合、受験者が試験続行不可能を申し出た場合は失格となる――――

 

 

「――――――――」

 

 

 試験内容を頭の片隅に置いて幹線道路上を全力で突っ走るリュウト。その円形の探索範囲に複数の目標が現れた。

 

 その数、五。探査魔法では試験用のオートスフィアであると認識されていた。

 

 リュウトは無言でデバイスを展開。身体の左右に白と黒の刃が出現する。

 

 右手にサンダルフォン。左手にメタトロン。

 

 どちらの手にどちらの剣が在るかは状況によって変わるが、だからといって混乱するような訓練をしてきた覚えはなかった。

 

 今までのような入局前の暫定Aランクではない、正真正銘のAAランク。それを取得するという事は彼の希望する前線部隊勤務に近付く事を意味する。

 

 だからこそ――――

 

 

「――――目標、確認」

 

 

 問答無用で斬り裂く。

 

 だが、相手も黙って斬られるような存在ではない。

 

 リュウトに向けて、決して薄いとはいえない弾幕を形成していた。

 

 だが、その弾幕の間隙を掻い潜りリュウトは目標に接近する。

 

 そして、剣を握り締める両の手に力を込めた。

 

 

「――――シッ!」

 

 

 煽――旋――尖――穿――閃――

 

 足を止めず、刹那に満たない間に繰り出された五本の剣線。

 

 それは狙い違わずオートスフィアに吸い込まれ、リュウトが通過して数瞬の後、五つの爆炎が幹線道路に花開く。

 

 

「――――――――」

 

 

 だが、リュウトはすでに次の目標を捉えていた。

 

 右手に立つ、二つ並んだ高層建築物の屋上。

 

 複数の反応が固まり、その中心には明らかに他の反応とは異なるものがある。

 

 

(なるほど……)

 

 

 リュウトはそれを敵の陣地だと看破した。

 

 防衛用の砲撃陣地。

 

 射程内に入った目標を有利な位置から攻撃でき、一箇所あれば数倍の戦力を足止めする事も可能な存在だ。

 

 その中心に据えられているのは長距離砲撃用に調整されたオートスフィア。

 

 その射程がリュウトの知識通りだとするなら――――

 

 

「――――!!」

 

 

 その瞬間迫り来る光弾。

 

 リュウトは左右へのステップでそれを躱し、すぐさま反撃に転じる。

 

 

「ブレイズキャノン!!」

 

 

 トリガーヴォイスと共に放たれる高熱量の砲弾。

 

 それはビルの屋上に向けて飛び――――掻き消えた。

 

 

「なッ!?」

 

 

 ろくに驚く間も与えられず、リュウトは再び繰り出された攻撃を回避する。

 

 しかし、砲撃陣地からの攻撃を避け続けるリュウトの脳裏には、一つの答えが浮かんでいた。

 

 

魔力結合妨害(マジックジャミング)装置!)

 

 

 現代の陣地構築に於いて使用される対純粋魔力攻撃用の防御機構。

 

 陣地から一定の距離に展開されるフィールドは、その中に入った魔法を問答無用で無力化する。

 

 装置そのものがある程度の大きさであり、機材一式の運用コストが標準的な陸士部隊一個を運用できるほど高いために一定以上の規模を持つ戦術単位にしか存在し得ないが、純粋魔力が主力の現代戦では重要な防御手段となっていた。

 

 もちろん、そのままでは自分からの攻撃も無力化されてしまうが、ある定められた魔力結合だけを無力化しないように設定する事はそれほど難しくない。

 

 つまり、陣地からの攻撃は素通りし、こちらからの攻撃は無力化されるという状態だ。

 

 

「――――――――」

 

 

 リュウトはいくつかの対抗手段を考えるが、どれも効果的とは言えない。

 

 解除されない結合を探すというのは時間が掛かりすぎるし、魔力結合を解除されながらも相手に届くまで攻撃能力を残していられるほど強力な魔法は今のリュウトには使えない。

 

 

「――――だったら、直接叩くまで」

 

 

 試験用に設置された陣地なら敵の数はそれほど多くない。

 

 AAランク試験とはいえ、受験者は一人だけだ。そう多くの戦力を配置するようなことはしないだろう――――リュウトはそう考え、陣地の設営されたビルに向かって全力で走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 炸裂する魔力弾。

 

 吹き上がる土砂と街路樹の欠片。

 

 リュウトに向けて放たれる砲弾は、彼の周囲に破壊を撒き散らしていた。

 

 そんな中を走り抜け、リュウトはビルの入り口に迫る。

 

 が――――

 

 

「――――まさかね」

 

 

 リュウトはその場で右折。

 

 ビルの側面へと向かう。

 

 

(いくら僕が素人に毛の生えた新人でも、相手のテリトリーに何の考えもなく突入するバカじゃない)

 

 

 探査魔法に反応がないことから考えれば、ビル内部に目標となるものが存在しない事は明白だ。

 

 だが、それとは別に罠が仕掛けられている可能性は高い。

 

 万が一にも建物内という限定空間で足を封じられたら、単独であるリュウトにそこからの脱出は難しくなるだろう。

 

 ならば、機動力を活かせる非限定空間で戦うのがもっとも賢い選択だといえる。リュウトの持ち味はその機動力にあるのだから。

 

 リュウトは並んだ二つのビルの間で砂煙を上げながら停止すると、太陽の光を遮るビルの屋上を見据える。

 

 おそらく高さは二〇〇メートル程度だろう、飛行魔法を使えば数秒で突破できる距離だ。

 

 だが、ジャマーフィールド影響下では飛行魔法の行使そのものは封じられずとも、間違いなく速度は落ちる。

 

 そこを狙われては元も子もない。

 

 

「――――――――」

 

 

 リュウトは無言で身体を沈め、脚に魔力を集める。

 

 その間にも上空から光弾が降り注ぐが、リュウトはそれを完全に無視していた。

 

 

「――――――――」

 

 

 リュウトを中心に巻き起こる風。

 

 それが一定の強さを超えた瞬間――――

 

 

「ッ!!」

 

 

 どごん、という重低音を響かせ、リュウトは地面を蹴った。

 

 放射状にひび割れる地面が、その場に掛かった力の凄まじさを物語っている。

 

 

「ふっ!」

 

 

 直線的な動きでは簡単に捉えられてしまう。

 

 リュウトはそう考え、二つのビルの壁面を交互に蹴ってぐんぐんと上昇していく。

 

 三角飛びによってリュウトの機動は限りなく無秩序となり、相手からの攻撃は彼の身体に掠ることすらできない。

 

 それでも複数の光弾が自分に迫ってくる光景はあまり心地いいものではない。

 

 風を裂く音が頻度を増し、ビルの壁面を蹴るリュウトには光の雨が降っているようにも見えた。

 

 だがそれも――――もう終わる。

 

 

「――――――――」

 

 

 リュウトは無言で両手に力を込め、二振りの剣に魔力を注ぎ込む。

 

 フィールドによって減衰はするが、それでもデバイスという媒体が存在するなら戦闘能力を失うこともない。

 

 灰色の魔力刃が煌めき、リュウトは陣地の只中に飛び込んだ。

 

 それと同時に――――リュウトは二つのデバイスを振り抜く。

 

 

「クレセントエッジ!!」

 

 

 その声に導かれ、夜空に浮かぶ三日月に似た刃が屋上に陣取っていたオートスフィアにめり込む。

 

 たった数秒で結合が解除されてしまう魔法だが、その数秒のうち何割かは戦闘能力を維持していた。

 

 それを利用し、リュウトは次々と目標を切り裂いていく。

 

 

「ッ!」

 

 

 それでも敵のど真ん中にいる事に変わりはない。

 

 四方八方から飛んでくる光弾を硬軟織り交ぜた動きで回避しながら、さらに攻撃を加えていく。

 

 まさに一進一退の様相を呈していた陣地内だが、一撃一撃で確実に敵を屠っていくリュウトに対し、オートスフィアは決定打となる攻撃を命中させる事ができない。

 

 それが差となり、戦いはリュウト優位へと移っていく。

 

 しかし――――

 

 

「っぐ!?」

 

 

 横合いから飛び込んできた一条の光がリュウトを吹き飛ばす。

 

 その小さな身体は、何度も跳ねて屋上に設置されていた何かの装置に激突し、ようやく動きを止めた。

 

 

「ぐ……ぅ……」

 

 

 ぼやける視界。

 

 ガタガタと震える手足。

 

 身体を貫く痛み。

 

 リュウトはそれを無理矢理抑え込んで立ち上がり――――再び自分を狙って放たれた攻撃を、身体を投げ出すことで回避する。

 

 

「どこから……!?」

 

 

 回避運動を続けながら先ほどの一撃が飛来した方向へと視線を巡らせるリュウト。

 

 その視線の先に、もう一つのビルが飛び込んできた。

 

 

「――――!!」

 

 

 その屋上に設置されていた“それ”を確認し、リュウトの目は大きく見開かれる。

 

 

「ジョシュア先生の対空近接防御システム!?」

 

 

 あまりにも馬鹿げた設計思想のためにお蔵入りになったはずのものが目の前にある。

 

 リュウトは今回の試験に己の技術面での師が関わっている事を今更ながらに認識した。

 

 相手の魔力を感知する各種感知機械群と攻撃を担当する多砲身機関砲の組み合わせは、使える場面の割にコストが非常識なほど高いということで制式採用されなかった。

 

 それが今ここにある。

 

 その上、自分を狙って七つの顎門を見せる砲身を回転させている――――

 

 

「って、不味い!!」

 

 

 リュウトが慌てて走り出した途端に回転する砲身から次々と発射される魔力弾。

 

 もはや一本の線にしか見えないほどの連射速度を誇るそれに、リュウトは逃げ惑うしかない。

 

 ――――否。

 

 

「だったら!」

 

 

 リュウトは姿勢を低く保ち、自分を狙っていたオートスフィアの下を走り抜ける。

 

 その瞬間、オートスフィアが魔力弾の攻撃を受けて四散した。

 

 

(やっぱり!)

 

 

 制式採用されていないような兵器が試験会場にあったのは驚きだったが、ジョシュアが無理やり試験に捻じ込んだと言うなら納得がいく。そのせいで他のオートスフィアとの連携には大きな穴があるに違いない。

 

 おそらくこれはジョシュアからの個人的な試験なのだろう。

 

 試験前に訓練用防具の装着を命じられたり、バリアジャケットの装着を禁じられたり、デバイスの機能を制限されたのは、リュウトに対するジョシュアからの課題だ。

 

 これを突破して陸戦AAランクを取得する事がジュシュアの課した試練であり、リュウトはそれを越えなくてはジュシュアからの協力を得られない。

 

 

「――――――――偏屈オヤジ」

 

 

 滅多に使わないような言葉が思わず飛び出すほど、リュウトは現在の状況に対して憤りを感じていた。

 

 それでもリュウトは回避行動を続けながら、現状を打破するための策を講じる。

 

 

「――――A.M.リミッター解除」

 

 

Yes,my master.

 

 

Anti Material limiter is cancelled.

 

 

 メタトロンとサンダルフォンのコアクリスタルが明滅し、デバイスに嵌めていた枷を取り払う。

 

 対物制限(アンチマテリアルリミッター)――――それはリュウト自身が設定した枷であって、“試験規則には”一切抵触しない事は分かっている。

 

 

「先生がそのつもりなら、僕も遠慮はしません」

 

 

 身体の中で、何かががちゃりと音を立てた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走り抜けるたびにオートスフィアが爆発していく。

 

 それはリュウトの繰り出した剣閃が齎した結果であったり、ジョシュア謹製の近接防御システムが生み出した結果であったりするが、少なくとも試験官と試験に偶々立ち会っていた演習場管理担当部隊の士官が卒倒しかけたのは間違いない。

 

 破壊対象以外の物体に対する物理的攻撃能力の制限を解除された結果、屋上の構造物は輪切りにされ、オートスフィアと壁面は蜂の巣になる。

 

 誰かの迷惑など一切考えない、無茶苦茶な戦いだ。

 

 

「ああああああああああッ!!」

 

 

 給水塔の壁を駆け上り――――空中で姿勢を整え――――二振りの剣で両断。

 

 仲間を三枚に下ろされ、すぐさま攻撃の手を伸ばすオートスフィアだが、リュウトが回避行動を取ると同時に意図しない場所から魔力弾が雨霰と降り注ぎ、いともあっさりと破壊される。

 

 周囲の思惑など欠片も斟酌しない怒涛の攻撃に、ビルは不吉に揺れ、試験官が顔を青褪めさせ、担当士官が胃の痛みに耐えた。

 

 

「スティンガースナイプ!」

 

 

 リュウトが灰色の矢でオートスフィアを貫けば――――

 

 

「ッ!!」

 

 

 そのリュウトを狙って放たれた豪雨が残ったオートスフィアに突き刺さる。

 

 それがオートスフィアを狙った攻撃なら試験中止を宣言できるのだろうが、近接防御システムの攻撃は間違いなくリュウトを指向したものだ。

 

 そして、オートスフィアを破壊できるという事実は、その攻撃が一定以上の物理的な破壊力を持っている事を意味する。

 

 通常試験に使われるオートスフィアならこれ程の攻撃力は必要ないが、この破壊を齎している存在は、つい数日前に試験会場に設置されたものだ。

 

 何をどうしたのかは分からないが、本局が正式に許可を出したといわれれば納得するしかない。

 

 だが――――

 

 

「ッせぇええええええええええええええッ!!」

 

 

 リュウトの一閃で陣地内最後のオートスフィアが破壊された時、試験官は過去の自分を思いっきり殴りたい衝動に駆られた。

 

 今回の試験、結果がどうなっても始末書が待っている。

 

 そんな彼の見守る中、勢いに乗った受験者はもう一つのビルに飛び移っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 獰猛な肉食獣の唸り声にも似た発射音が大気を劈き、空中のリュウトに向けて光条が(はし)る。

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 

 ここまで接近してしまうと、やはりリュウトの身体にも光弾が次々と命中する。

 

 それが命中精度よりも連射性能を重視した設定であっても、的が自ら近付いているのだから当たり前だ。

 

 そして、自分の展開した防御フィールドを髪のように貫くその威力にリュウトは内心驚いていた。

 

 バリアジャケットこそ装着していないが、リュウトの展開している防御フィールドは全部で五層。陸士訓練校でもこれを貫いた訓練生は一人もいなかった。

 

 いくら対魔導師仕様の調整を施しているとはいえ、これ程の戦闘能力を保持しているとはリュウトも考えたことはない。

 

 

(一層目はいくら貫かれても構わない、でも二層目と三層目ですら大した足止めにならないなんて……!!)

 

 

 万が一すべての防御フィールドが貫かれれば、バリアジャケットを持たないリュウトの身はこの光弾にあっさりと貫かれるだろう。

 

 奇襲となった初撃は最終防衛線である五層目で威力のほとんどを食われたが、それでもリュウトの身体にダメージを与えた。

 

 防御フィールドを貫いた物理的な衝撃がダメージとなったのは明らかだ。

 

 それを考えれば、防御手段なしで近接防御システムの攻撃を受ける危険性は嫌でも分かる。

 

 

(――――何て事だよ、まったく……)

 

 

 ジョシュアがとんでもない考え方の持ち主だとは知っていたが、まさか弟子を殺そうとするとは思わなかった。

 

 だが――――

 

 

「―――――ま……け、る……かぁあああああああああああああああああああああッ!!」

 

 

 身体中に魔力弾の衝撃による傷を作りながらも、空気を震わせるような叫びと共にリュウトはようやく屋上に降り立つ。

 

 本来ならもう少し近くに飛び降りる予定だったが、近接防御システムの攻撃力に圧されて予定地点から大きくずれてしまった。

 

 しかし、戦闘の只中で戦士として覚醒しかけている今のリュウトにそんな事は一瞬の足止めにすらならない。

 

 

「ふっ――――!!」

 

 

 樹上から降り立つ獣のように両手と両足を使って着地。

 

 頭上を光弾が通過していく中、そのまま刹那の数分の一という反応速度で再び飛翔。

 

 近接防御システムの頭上を飛び越えながら、己の使用できる幻術魔法の最上級を顕現する。

 

 

「マリオネットワルツ!!」

 

 

 リュウトの招き。

 

 その声に応え、近接防御システムの周囲にリュウトと全く同じ姿をした四人の仮初の踊り手が出現する。

 

 彼らは円舞曲の名に相応しく一個の生物のように動き、近接防御システムの感知器群(センサー)を欺き続ける。

 

 円運動から直線運動、上下左右への一糸乱れぬ動き。

 

 それでいて一つのパターンに嵌らない――――無秩序の美。

 

 あらゆる感知器を欺くほど高度な偽装。

 

 彼の母親たちが丹念に練り上げた息子への贈り物は、彼女たちの願い通りに息子の力となっている。

 

 

<スティンガーレイ!!>

 

 

 五人のリュウトの声が重なる。

 

 それと同時に近接防御システムが魔力の爆光に包まれるが、それが決定打になる程度ならジョシュアがここに設置するわけもない。

 

 

「くッ」

 

 

 煙を貫き、光の槍がリュウトの分身の一体に突き刺さった。

 

 分身はすぐに消え去り、それによって生じた負荷はリュウトの脳に痛みとなって現れる。

 

 しかし、今一体でも分身体を減らす事は危険だった。

 

 制式採用されなかったとはいえ、性能に関しては間違いなく一線級。そんなものを相手に妥協など通じるわけがない。

 

 

「今一度、踊れ!」

 

 

 リュウトは再び分身体を作り上げ、近接防御システムの感知器群に欺瞞を仕掛けた。

 

 それと同時に、リュウトの姿が空に溶ける。

 

 マリオネットワルツの能力は質量すら誤魔化した高位分身体の生成だけではない。術者の姿を消し、あらゆる探知系探査系の魔法からも姿を隠す能力がある。

 

 もちろん魔法の詳細な設定は適宜必要だが、使い方を間違わなければ強大な攻撃力を持つ直接攻撃型の魔法より大きな戦闘能力を持つ事も可能だった。

 

 

<スティンガースナイプ>

 

 

 リュウトは分身体それぞれに合わせて発射位置を調整した攻撃魔法を放つ。

 

 威力の高い魔法なら発射位置を変える事は難しいが、ある程度威力を落とした魔法なら自由自在に発射位置を変更できる。

 

 術者にかかる負担は増えるが、それを補って余りある結果を生み出す事ができるはずだ。

 

 そう、今の状況のように……

 

 

「――――――――」

 

 

 リュウトは近接防御システムの周囲を回りながら、その構造を頭に叩き込んでいく。

 

 その情報を元に対抗策を考えるためだ。

 

 

(相手は魔導師じゃない、スペック以上の動作は不可能、基本構造は先生のデータバンクにあるものとほぼ同一、そしてそれから導き出される構造的欠陥は――――)

 

 

 やがて、限界ギリギリの思考を続けていたリュウトの脳裏に一つの光明が生まれる。

 

 

「――――物理的に発射を止める、か」

 

 

 近接防御システムは機械的動作の結果として魔力弾を発射している。

 

 ならば、その機械的動作を止めればいい――――リュウトはその“結果”を得るために行動を開始する。

 

 

「――――ぶん投げたら怒るかなぁ……」

 

 

 リュウトは分身体に翻弄される近接防御システムの直上へと駆け上がる。

 

 意識の片隅で作った擬似力場の足場に立ち、リュウトは少しだけ思案した。

 

 

(ジョシュア先生の言う事が本当なら、この剣は管制人格のベッドというか寝室になるということで、普段からそれで斬り合いをしている僕が言うものなんだけど――――投げたら後で怒られたりしないかな……?)

 

 

 戦い方としては習っているが、実際に行動に移すのは初めてだった。

 

 ――――己が剣を敵に投げつけるなど。

 

 

(――――まあ、ここで成功しなくちゃ怒られるだけじゃ済まないか……)

 

 

 ここで試験に落ちれば、ジョシュアは自分を不適合と看做して協力に消極的になるだろう。

 

 それでは困るのだ。

 

 だったら、怒られる程度で済む方が良いに決まっている。

 

 

「――――ごめん」

 

 

 思考時間二秒。

 

 リュウトは数年後に目覚めた管制人格に怒られるという結果を自ら引き寄せた。

 

 そして、決意が固まれば後は行動するのみだ。

 

 

「――――目標、捕捉」

 

 

 この時点で幻術魔法の展開が難しくなってきている。

 

 このタイプの魔法は術者にかかる負担が大きいため、長時間の行使は基本的に不可能だった。無論、最初から長時間の行使を前提にした魔法なら別だが、この魔法は違う。

 

 その上、ジャマーフィールドの影響もある。魔力を湯水のように使って、ようやく通常程度の性能を発揮しているのだ。

 

 

「――――――――」

 

 

 リュウトは過負荷を訴える意識を力尽くで抑え、意識を一点に集中させていく。

 

 彼の意識の中心にあったのは多砲身機関砲の機関部分、砲身との接続部だった。

 

 

「――――――――」

 

 

 限界ギリギリまで意識を集中。

 

幻術魔法の展開限界まであと数秒。

 

 そして――――

 

 

「――――――――ッ!!」

 

 

 近接防御システムが分身体を追うために一瞬だけ動きを止めた瞬間、リュウトは圧縮された呼気と共にサンダルフォンを投げ放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒の片刃剣が魔力弾によって生み出された煙を切り裂いていく。

 

 切り裂かれた空気が甲高い悲鳴を上げるが、機械である近接防御システムに空気の振動としてしか認識されなかった。

 

 それ故――――サンダルフォンは何の抵抗もなく狙い通りの箇所に突き刺さった。

 

 

<!!>

 

 

 その瞬間、自己判断のために搭載されていた近接防御システムの人工知能にノイズが走る。

 

 つい先ほどまで自分の周囲を回っていた“殲滅対象”は消え去り、その代わりに自分の身体に突き刺さっているものがあった。

 

 

<!?>

 

 

身体中に取り付けられた感知器からの信号により、彼――或いは彼女は自分の動きを著しく阻害する原因を認識した。

 

それは、“殲滅対象”が保持していた武装。

 

開発コードUAXX‐〇〇〇〇五四‐α――個体名称『サンダルフォン』

 

UAXX‐〇〇〇〇五四‐β――個体名称『メタトロン』と同時期に開発が始まり、ロールアウトした試作型。

 

 

<??>

 

 

 それが、何故ここにあるのか。

 

 自分の感知器群は先ほどまで全ての“殲滅対象”を捕捉していた。

 

 その中の一つとて、自分に『サンダルフォン』を放つ動作を見せた個体は存在しなかったではないか――――その混乱は彼女――或いは彼の電脳を駆け巡る。

 

 そして、その混乱は次の瞬間に大きく膨れ上がることになった。

 

 

「――――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああッ!!」

 

 

 上空から響くその声に、彼――或いは彼女の意識は大混乱に陥る。

 

 大上段に構えた白い剣、それが太陽の光を反射して輝く。

 

 

<――――――――!!>

 

 

 だがそれでもまだ、彼女――或いは彼の意識は戦闘を放棄してなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!!」

 

 

 リュウトは油断していた。

 

 これで相手の戦闘能力を奪ったと考え、回避行動も防御行動も選択肢に存在しなかった。

 

 そのせいで近接防御システムがその巨体を大きく旋回させた時、全く反応できないという結果になってしまったのだ。

 

 

(しまっ――――!!)

 

 

 旋回する近接防御システムの砲身が自分に向かって振り抜かれる瞬間、リュウトは防御魔法を展開する暇すら与えられないという事に気付いた。

 

数百キロに達する金属の塊を自由自在に、それも高速で空を飛び回る物体を迎撃するために決して遅くない速度で砲身を稼動させるだけの力を持つ台座。

 

そして、それによって加速された黒光りする砲身。

 

総重量は軽く一トンを越えるはずだ。

 

それが純粋な質量として襲い掛かってくる――――

 

 

「ッ!!」

 

 

 目の前に迫った砲身を前に、リュウトは咄嗟にメタトロンを構えて防御姿勢を取る。

 

 だが、それで受け止められるようなものではなかった。

 

 

「がッ!?」

 

 

 半瞬すら保たずに吹き飛ばされるリュウト。

 

 今度は先ほどのように床に叩き付けられることもなかったが、それは決して幸運な事ではない。

 

 

(――――落ちる……!?)

 

 

 リュウトが飛ばされた先には何もなかった。

 

 屋上から虚空まで何の妨げもなく、このまま飛ばされれば間違いなく落下する。

 

 意識がダメージから回復し浮遊魔法の行使が可能になるまでと、その身が地面に叩きつけられるまでの時間に大きな差はないだろう。

 

 つまり、ここで落下する事は試験続行不可能を意味した。

 

 

「っく!」

 

 

 それに気付いたリュウトが己の手に魔力を集める。

 

 魔法などという完成されたものではない。

 

 ただ魔力を集め、それを鉤爪として手に纏わせただけだ。

 

 だが、今のリュウトにはそれが精一杯だった。

 

 

「止まれぇッッ!!」

 

 

 リュウトはその手を思い切り床面に叩きつける。

 

 床に食い込んだ五本の爪が建材を削り取り、五つの線を穿つ。

 

 弾け飛んだコンクリートがリュウトの頬に一筋の赤を生み出し、それが珠になっていく。

 

 

「だぁあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!」

 

 

 自分の身体が奈落に向けて突き進んでいる事は分かっていた。

 

 だが、不思議と負の未来は考えられなかった。

 

 

「――――――――っ!!」

 

 

 そして紅い雫がぽたりと床に落ちた時――――リュウトの身体は屋上の端で停止していた。

 

 その瞬間、リュウトは床に突き立てていた左手を腰に当て、真っ白い鞘を出現させる。

 

 

「――――――――」

 

 

 納剣。

 

 そして意識を自分の内へと向け、一気に圧縮する。

 

 必要のない感覚も記憶も思考も封じ、ただ目の前に存在するものを“斬る”ことのみに意識を向ける。

 

 

「――――――――」

 

 

 色が消える直前、サンダルフォンが突き刺さっている部分から火花が散っているが見えた。

 

 

「――――――――」

 

 

 音が消える直前、金属が軋むぎちぎちという耳障りな音が聞こえた。

 

 

「――――――――」

 

 

 空気が粘り気を持つ直前、風が機械油の臭いを運んできた。

 

 

「――――――――」

 

 

 斬る事しか考えられなくなる直前、この技を教えてくれた母親の姿がちらりと脳裏をよぎった。

 

 

「――――――――」

 

 

 そして、今のリュウトの中には自分と“斬る”対象以外の何も存在していなかった。

 

 色素が抜け落ちた風景に粘つく空気、無音であるはずなのに自分の心臓の音だけははっきり聞こえる。

 

 そんな世界で、リュウトは一歩を踏み出した。

 

 

「――――――――」

 

 

 否。

 

 

「――――――――」

 

 

 最初の一歩で、すべては決していた。

 

 “雲耀”に届くほどの速さで引き抜かれた“鞘”と繰り出された真白き刃によって未来は決し、リュウトはもはや斬るべきものを認識していないのだから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<!!>

 

 

 自分の身が両断された事を、“それ”は確実に理解していた。

 

 たった一歩、一歩で詰められた距離。

 

 “殲滅対象”はすでに自分の背後にいた。

 

 自分が反応するより早く、自分の身体は二つに別たれている。

 

 それがどのような術によるものか理解できないが、自分の役目が終わったことだけは理解できる。

 

 

<――――――――>

 

 

 ブラックボックスに意識が封じられる瞬間、“それ”に明確な意識が生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きん、という鞘に納められた剣の立てる音がリュウトの耳に入ったと同時に、彼の背後にあった近接防御システムは真っ赤な爆炎を花開かせて砕け散った。

 

 鞘に納められたメタトロンから手を離し、リュウトはゆっくりと身体を起こす。

 

 

「――――――――」

 

 

 そして、空に手を掲げた。

 

 ひゅんひゅんという音が聞こえてきたのはその時だ。

 

 その音は段々と大きくなり――――

 

 

「――――――――おかえり」

 

 

 リュウトの手に、黒い剣となって納まった。

 

 爆発の衝撃で吹き飛ばされ、ようやく今主の下へと帰ったサンダルフォンに労いの言葉をかけると、リュウトはそれをメタトロンとは反対側の腰に出現させた鞘に納める。

 

 

「――――――――」

 

 

 これで終わりではない。

 

 むしろ、まだ序盤のはずだ。

 

 

「――――さあ、往こうか」

 

 

 リュウトはビルの屋上から試験会場を見渡し二振りの愛剣に笑いかけると、彼方にある空へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、リュウト・ミナセ陸士候補生――――陸戦AAランクに合格。

 

 その数日後、空戦AAランクに合格した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とんとんと書類を整え、リュウトはそれをファイルに納める。

 

 そして一つ溜息を吐くと、背後に居座ったまま全く動かない気配に声をかけた。

 

 

「――――――――終わったけど」

 

 

「ホント!? じゃあ遊んでちょーだい!! ――――って、違う違う、お母さんが遊んであげようじゃないか!!」

 

 

「いや、別にいいし」

 

 

「ねぇねぇ、そういえばそれって何? あたしはそんな紙切れに負けたの?」

 

 

「――――――――はぁ」

 

 

 リュウトは再び溜息を吐く。

 

 己の母親の行動に呆れたという事もあるが、それを決して不快に思わない自分に対しての溜息でもあった。

 

 

「――――ジョシュア先生からの宿題。こっちに戻ってるなら、この前のランク試験のレポートを提出するようにって昨日連絡があったんだ」

 

 

「ふんふん、一日で書き上げるとはさすがあたしの息子だ! 書類仕事の早い人材はどこでも生きていけるぞ、ご褒美にキスしてしんぜよう」

 

 

「いや、いらない」

 

 

「即答!?」

 

 

 驚愕の表情のリーゼロッテを放ったらかしに、リュウトはファイルをバッグに仕舞い込む。

 

 

「そういう訳で本局に行ってきます。じゃ」

 

 

「って、ちょっとまてーい!!」

 

 

「――――――――何?」

 

 

 一人芝居を繰り広げるリーゼロッテの横を通り過ぎようとしたリュウトだが、やはりというか件の母猫に捕まる。

 

 

「あたしはね、リュウトと一日遊ぶ権利を賭けてアリアと死闘を繰り広げて勝利したわけだよ! なのにこの扱いはなんだい!? リュウトはあたしが嫌いかこのおやふこーもん!!」

 

 

「――――――――」

 

 

 機関銃のような難詰に一瞬固まるリュウト。

 

 それでも次の瞬間には、顎に手を当てて少しだけ思案するような顔を見せる。

 

 

「もう毎日毎日アリアとリュウトセレクション眺めてお互いを慰めあう必要はないはずなのにどうしてこんな目に遭うのか説明しやがれ畜生め!!」

 

 

「アルバムってあったんだ」

 

 

「おうとも! 現在三四冊、見たきゃ貸すよ?」

 

 

「いや、遠慮しとく」

 

 

 それはともかく、このまま猛獣を放って出掛けるわけにはいかないだろう。

 

 親馬鹿炸裂中のリーゼはオーバーSランク魔導師も真っ青な戦闘能力を発揮したりするらしいとは、普段その被害を被る形となっているグレアムの言葉だ。

 

 そのグレアムが時折愚痴をメールに認めて送ってくるところを見ると、リーゼ達の子離れは急務らしい。

 

 だが、それはリュウトにとってどうにもならない事だ。

 

 

「――――――――じゃあ、一緒に行く? って、もういない……」

 

 

 仕方がないので、猛獣を連れて行く事に決めたリュウト。

 

 もっとも猛獣はリュウトの言葉が終わるよりも早く行動を開始していたらしく、リュウトの目の前にはすでに誰もいない。

 

 

「ええと、リュウトがくれた服ってどこにしまったっけ……!? ああもう! こんな事ならきちんと整理しておくんだった――――って、みぎゃあああああああああああああああああッ!?」

 

 

 どんがらがっしゃんという何かが崩れるような派手な音と家ネコの悲鳴。

 

 その発生源がリーゼロッテの私室である事を確認し、リュウトはこの日何度目か分からない溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行ってきます」

 

 

「いってきマース!!」

 

 

 二人の声が聞こえ、玄関の扉が閉じる音をクロノは自分に与えられた部屋で聞いていた。

 

 目の前には魔法理論の教科書、士官学校で使われているものをリーゼが分かりやすく編集し直したものだとクロノは知っている。

 

 だが、これは本来彼のために作られたものではない。

 

 

「――――アリア、一緒に行かないのか?」

 

 

「――――――――」

 

 

 部屋の隅でいじけている師匠に声を掛けたが、反応はなかった。

 

 

「――――はぁ」

 

 

 本来この教科書を使うべき人間、それは先ほどこの家を出発した兄弟子だった。

 

 基礎の基礎すら知らないリュウトのために、リーゼ姉妹が本職をサボって作り上げたこの世で一冊だけの特別製。クロノはそれをリュウトから譲り受け、こうして普段の学習に活用しているという事だ。

 

 

「――――きれいに使ってある……」

 

 

 リュウトからテキストを手渡された時、クロノはそう言ってリュウトを困らせた。

 

 クロノにそんなつもりはなかったかもしれないが、リュウトには自分の不勉強を揶揄しているように聞こえたらしい。

 

 

「気を使えば、きれいに残せるんだ。教科書は何年も保存しておくものだって言うだろ?」

 

 

「――――分かった、ぼくも気をつける」

 

 

 それだけの遣り取りだったが、クロノはしっかりと約束を果たしていた。

 

 丁寧に扱い、どこかに置きっぱなしにすることもない。

 

 それは借り物だという意識があったからかもしれないが、生来の生真面目さから来るものなのかもしれなかった。

 

 

「――――――――」

 

 

 クロノは時折このテキストが憎くなる。

 

 そしてその感情を認識するたびに、兄弟子はそんな感情すら持たない清廉な人物なのかもしれないと思う。

 

 

「――――――――」

 

 

 ノートにペンを走らせながら、クロノは自分の考えに苦笑した。

 

 清廉潔白な人間ほど人に恐怖を与える存在はないと言う。

 

 自分の穢れをまざまざと見せ付けられ、恐怖を感じない人間などそうそういるものではないからだ。

 

 白いものが目の前にあれば、周囲の他の色は嫌でも目につく。

 

 一際輝く白を目の前にして、確かに自分は恐怖しているのだろう。

 

 クロノはそんな事を考えながら、アリアから出された課題の最後の一文を書き上げる。

 

 

「これで、よし――――アリア、終わったぞ」

 

 

「――――――――」

 

 

 クロノの声にのそのそと動き始める猫一匹。

 

 その目にはどんよりとした澱みが現れ、全身からどす黒いオーラが滲み出ている。

 

 

「そんなにリュウトと居たいなら、アリアも一緒に行けばよかったんじゃ……」

 

 

「――――クロノの勉強ほったらかしたら、リンディに申し訳ないからね……」

 

 

「でも、今のアリアは勉強の邪魔だぞ」

 

 

 クロノはアリアにノートを手渡して、そうぼやいた。

 

 同じ部屋の中にカビを発生させそうなほどのじめじめとした物体が存在すれば、それは確かに勉学に励むどころではないかもしれない。

 

 だが、至極真っ当なクロノの言い分も、今のリーゼアリアにとっては単なる雑音だった。

 

 

「――――大丈夫、今日のお風呂はわたしの番だから、思う存分リュウトを撫でて撫でくり回して……にぇへへへ……じゅる……」

 

 

「――――――――」

 

 

 今日は帰ってこない方が幸せだと兄弟子に伝えたかったが、今のクロノは自分の身を守ることで精一杯だった。

 

 

「さあて、この鬱憤はクロノのシゴ――――もとい、訓練で発散しようじゃないか」

 

 

「シゴキって言ったな? 今シゴキって言ったな!?」

 

 

「気のせいさ! さあ、今日も張り切って必中必殺!」

 

 

「何を殺すつもりだ!? こら、放せ!」

 

 

 抵抗も空しくずるずる引き摺られていくクロノ。

 

 

「いつだったかリュウトが言ってたんだよねぇ。向こうの世界のアニメとかの台詞かな、とわたしは思ったりするんだけど」

 

 

「知るかそんな事!! というか殺伐としたもの見てたんだなッ!?」

 

 

 不思議そうな顔をするリーゼアリアだが、その力が弱まる事はない。しっかりとクロノの襟首を掴み、その身体を荷物のように引き摺る。

 

 

「今日はブレイズキャノンの威力証明から行こうかぁ〜〜」

 

 

「ま、まて! バリアジャケットの対魔法耐力試験の予定じゃなかったのか!?」

 

 

「うん、だからブレイズキャノン」

 

 

「ぼくに撃つつもりかッ!? くッ! はぁ〜〜〜〜なぁ〜〜〜〜せぇえええええええッッ!!」

 

 

「るんたったるんたった、今日は楽しいお風呂の日〜〜」

 

 

「ぼくは関係ないぃぃ〜〜〜〜ッ!!」

 

 

 クロノの叫びも空しく、彼の運命はどう足掻いても変わらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふんふふ〜〜ん、いえいいえい!」

 

 

「大人しくしてないとハウスって言うよ」

 

 

「あたしゃ犬かッ! ――――って、犬でもいいですからその冷たい目はやめて……」

 

 

 本局技術局内の通路にてリュウトの手を握って上機嫌なリーゼロッテ。それを適当なレベルに制するのがリュウトの今の仕事だ。

 

 素体となった猫の習性か何かなのか、リーゼ姉妹はどこか刹那的な享楽を好む傾向にあるようだった。それを知っているのはマスターであるグレアムと、一応の息子であるリュウトだけ――――つまり自動的にネコ調教師に就任という訳だ。

 

 

「リュウトの服の趣味も分かったし、あたしとしてはなかなかハッピーな訳。それに水差さないでよ。まあ、リュウトがお喋りしたいって言うならそれはそれでいいけどね!」

 

 

「いや、別に」

 

 

「うん、おかーさん頑張るよ…………反抗期って耐えることなのね…………ぐすん」

 

 

「――――――――」

 

 

 初任給で日頃の恩返しを――――と思ったのは間違いではないと思う。

 

 ブラウンのブラウスとデニムのハーフパンツは目の前の母親には似合っている――――と思う。

 

 同じ時、アリア宛てに贈ったワンピースとカーディガンも見せてもらった限りでは似合っていたはずだ。

 

 

「――――――――」

 

 

 双子だからといって同じ服を贈らなかったのは、こういった種類の事柄に対する知識が著しく不足しているリュウトにしてはよくできたと言えるだろう。

 

少なくとも二人の母親は喜んでいたし、仕事場に着て行って同僚に自慢して回ったともグレアムから聞いている。

 

ちなみにグレアムにはネクタイが贈られ、一時期はそのネクタイばかりしていたらしい。

 

 

「――――う〜〜ん」

 

 

 こんなに早く初任給というものを体験するとは思っていなかったリュウトだが、とりあえず成功裏に事は済んだ。

 

 その結果親馬鹿がひどくなった気もするが……

 

 

「――――まあいいか。ロッテ、早く行こう」

 

 

「はいは〜〜い、ロッテちゃん今日は機嫌がいいから、リュウトの言う事ちゃんと聞くよ〜〜」

 

 

「毎日それならいいのに」

 

 

「はっ!? まさかリュウトにはそんな趣味が!?」

 

 

「趣味……って何?」

 

 

 リーゼロッテの言葉の意味が分からず首を傾げるリュウト。

 

 そんなリュウトを見て、ロッテは慌てたようにばたばたと手を振った。

 

 

「いやいやいやいや、あたしが穢れてただけさ。気にしないでお願いだから」

 

 

「――?」

 

 

 尚も謎は深まるばかりだが、気にするなと言われればそうするしかない。

 

 

「いや〜〜、アレクのバカがうつったかなぁ、にゃはははは……」

 

 

「――??」

 

 

 反対側に首を傾げるリュウト。

 

母親の奇行は彼の目にはとても不思議に見えたことだろう。

 

 そして、アレクといえば航空戦技教導隊の教導官の名前だが、この時のリュウトはそれ以上の事を知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 制御盤にパスワードを入力し身分証を通すと、ジョシュアの研究室の扉はいつもと同じように開いた。

 

 

「――――先生、いますか?」

 

 

「ジョン〜〜?」

 

 

 室内に入ったリュウトとリーゼロッテはぐるりと研究室を見回し、目的の人物の姿がない事を確認する。

 

 

「――――奥だね」

 

 

「ええ〜〜? あたしあの部屋嫌いなんだけど……」

 

 

「向こうも入って欲しくないって思ってるよ」

 

 

「ひどッ!?」

 

 

 奥の部屋には、常に高度な演算を続けている演算機と、貴重なデータの詰まったアーカイブが存在する。

 

 それはつまり、研究者にとっては命以上に大切なものが詰まっているという事になり、部外者の立ち入りにも敏感になろうというものだ。

 

 

「僕が行ってくるよ」

 

 

「はいはい、いってらっさい」

 

 

 近くにあった椅子に座り、リーゼロッテはひらひらと手を振ってリュウトを見送った。

 

 

「――――はぁ、困った母親だ」

 

 

 奥の部屋へと入ったリュウトの目の前にあったのは、いつも通りに薄暗い研究室だった。

 

 大量の資料が整然と並べられ、作業台の上には生物の標本のように見えるものさえ存在している。

 

 壁のボードに一列に貼られたレジュメには古代ベルカ語や先史時代の古いミッドチルダ語が乱雑に書き記され、ゴミ箱には管理局の紋章がでかでかと記された書類が捨てられていた。

 

 

「“一応”綺麗になってるんだけどね」

 

 

 多分あれは命令書だ――――リュウトは自分の見た物の事を忘れる事にした。

 

 知っていて見逃したという事になれば、色々面倒な事になるだろう。

 

 リュウトがそんな思考に耽っていると、部屋の片隅にあるデバイス成形室から彼の技術的な師が顔を出した。

 

 

「ん? いたのか……」

 

 

「いましたよ。できるならこの部屋にもインターフォンを付けてください、先生」

 

 

 今気付いたといった様子のジョシュアに、リュウトはやれやれと頭を振った。

 

 だが、それと同時に行った提案はジュシュアにあっさりと却下される。

 

 

「いらん、必要ない」

 

 

「僕には必要なんですが」

 

 

「わしにはいらん。よって却下だ」

 

 

「――――分かりました」

 

 

 偏屈という言葉がこれ以上ないほどしっくり来る師に、リュウトは大して期待もしていなかった。それでも提案をしたのは、少ない可能性とそれに掛ける労力を天秤にかけただけだ。

 

 

「向こうにロッテが来ています。研究室を壊されないうちに戻りましょう」

 

 

「何!? あのバカ猫が来てるのか!?」

 

 

「はい、付いてくるかと訊いたら付いてきました」

 

 

「お、おまえ……! わしがそんなに憎いのか!?」

 

 

 慌てたように手前の研究室に走っていくジョシュアの後を、リュウトはのんびりと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウトが奥の研究室の確認をして戻って来た時、彼の母親と師匠は応接用のテーブルを挟んで睨み合っていた。いや、正確に言うならリーゼロッテが一方的にジョシュアを睨んでいるといった方が正しい。ジョシュアはそれを受け止めているだけだ。

 

 

「――――ランク試験の事聞いたよ、うちの子になんて事してくれんのさ」

 

 

「ふん、模倣された命が一人前に母親気取りか、可笑しすぎて笑えんな」

 

 

「――――――――」

 

 

 この二人、どうにも相性が悪いらしい。

 

 リーゼアリアならどうということもないのだが、リーゼロッテはジョシュアに会う度にこうして食って掛かっている印象がある。

 

 リュウトが知らない時代の事は何とも言えないが、少なくともリュウトが知っている限りではこのような関係が続いていた。

 

 

「――――おい、この妙な技は何だ?」

 

 

 リュウトが持ってきたレポートはデータと紙の二種類だ。データはすでにここのアーカイブに収められているが、書面でのレポートはジョシュアの手の中にある。

 

 ジョシュアはそのレポートを読みながら、途中で手を止めてリュウトに問うてきた。

 

 その顔が不機嫌そうに見えるのは、自分の理解できないものが存在する事への不満からだろう。だが、弟子に訊いてでもすぐに理解しようとするのは、ジョシュアの美点と言えるかもしれない。

 

 リュウトはジョシュアの示す一文を確認し、ジョシュアから露骨に視線を逸らしているリーゼロッテにちらりと視線を向けた。

 

 それでも反応がない事を確かめると、リュウトは自分で説明を始めた。

 

 

「それは“抜刀術”もしくは“居合”と呼ばれる僕の故郷の武術です。まあ、僕が使ったのは形と結果だけ似た別物だと思いますけど……」

 

 

「ほう……まさか貴様が自分で使おうと思ったわけではあるまい?」

 

 

 ジョシュアはすべてを察したと言わんばかりにリーゼロッテを半眼で見据える。

 

 そんな視線の先でも、リーゼロッテはゆらゆらと尻尾を揺らすだけだ。

 

 

「ロッテとアリアが時代劇のデータを持ってきて、『これ使おう! これ!!』って……」

 

 

「そんなことだろうと思うたわ。こんな馬鹿な事を教えた覚えはないからな」

 

 

「はあ……」

 

 

 心底つまらない、と表情で文句を言うジョシュア。

 

 リュウトはそんな師匠に対して、曖昧な顔で笑うしかなかった。

 

 結局のところ、リュウトが使ったものは“抜刀術”の遠い遠い親戚――――“抜剣術”とでも言うべきものだ。

 

 鞘に剣を納め、意識を圧縮して脳の処理速度を限界まで高める。その上で四肢を魔力で強化し、鞘の内部に斥力場を形成。その後に意識の圧縮でより高速化した高速移動用の魔法で間合いを詰め、鞘という“砲身”で加速された刃を“砲弾”として射出する。

 

あえて言うなれば、『斥力場投射剣』というべき技術だ。表面的な動作と結果は似ていても、中身は全くの別物といってよかった。

 

 

「まあ、これを“居合”だなんて言ったら、きっと本職の武術家の人に怒られますね」

 

 

 結局、魔法の使用を前提に組み上げられた一撃必殺の技に過ぎず、贋物どころか見よう見まねの“ごっこ”遊びと断じられても文句を言えない程度の技術――――リュウトはそう考えていた。

 

 だが、ジョシュアは違う感想を抱いた様子だった。

 

 

「そんな事はどうでもいい。わしは技術者であって魔導師ではないし、武術など知識でしか知らん。だが、使えるモノはすべて使え、お前が進む道はそれができて初めて進める道だ」

 

 

「でも、もう一度やれと言われてできるという保証はありませんが……」

 

 

 訓練中に成功しても、実戦で成功するとは限らない。

 

 リュウトは暗にそう言っていたが、ジョシュアはその言葉を無視した。

 

 

「ならばできるようにしろ、お前にはわしの娘を預けているんだ」

 

 

「――――はい……」

 

 

 そう言われては頷くしかない。

 

 自分の子供の命を他人に預けている者の言葉だ、預けられている側に拒絶する事はできない。

 

 

「まあいい、報告書は受け取った。整備はこちらでやっておくから、お前はこれを頭に叩き込め」

 

 

「――――――――え」

 

 

 そう言ってジョシュアが指し示した先には、作業台の上に積まれた大量の書籍とファイル。

 

 リュウトとリーゼロッテは、その山を見て固まった。

 

 

「古代ベルカ時代の技術文献と魔法資料だ。ベルカの騎士の技法と融合騎の資料としてはこれ以上ないほどのものだぞ」

 

 

「――――うわ……」

 

 

「うげ」

 

 

 二人は資料を開いて顔を顰めた。

 

 古代ベルカ語のオンパレード。読むだけで言語学者の気分を味わえるだろう。

 

 

「あ〜〜……っと、リュウト、あたし先に行って待ってることにするわ」

 

 

「――――――――そう」

 

 

「うん、これはアリアと頑張って」

 

 

 無責任甚だしい母親の言葉に、リュウトはがっくりと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、邪魔者もいなくなったことだし、お前に聞いておきたいことがある」

 

 

「はい?」

 

 

 資料を運び出す手配を済ませたリュウトが戻ってきた途端に、ジョシュアは次の話題に移っていた。

 

 最初の頃はこのテンポに慣れる事ができず苦労したが、今となっては日常的な事だと認識していた。

 

 

「一週間ほど前だったか、わしのアーカイブにメッセージを送り付けてきた若造がいた」

 

 

「はあ、先生のアーカイブに侵入するとはなんとも将来有望な方ですね」

 

 

 管理局内でも上位のセキュリティを誇る技術局、その中でもトップレベルの警備を誇るこの研究室のアーカイブに侵入する――――リュウトはその相手に純粋な賞賛の念を抱いた。もちろん、本人を目の前にしたら逮捕させてもらうが。

 

 ジョシュアはそんな弟子の様子に目もくれず、さらに言葉を続ける。

 

 

「名前はどうでもいい、数年前に人体と機械の融合に関する技術でその名を知らしめた男だ」

 

 

「僕は知りませんが」

 

 

「医療目的以外では積極的に周知される技術ではないからな、お前が知らなくても無理はない」

 

 

 もちろん、技術者であるジョシュアにとっては別の話だが。

 

 

「その男、わしに技術協定を結ばないかと言ってきおった」

 

 

「へえ、そうなんですか」

 

 

 結果など見えている。

 

 だからこそ、リュウトは気楽に話を聞いていた。

 

 

「無論、断った。確かに奴の人機融合技術はわしのデバイスにも応用が効くだろう。だが、今更他人の手を借りる気はないからな」

 

 

「でしょうね」

 

 

 その男がどんな人物か分からないが、ジョシュアに声を掛けたという事実だけでも十分評価に値する。

 

 少なくとも、リュウトにとってはそうだ。

 

 

「ですが、何故僕にその話をするのですか? 話を聞く限り、僕には全く関係ない話のようにも聞こえますが……」

 

 

 リュウトの立場は単なる弟子に過ぎない。

 

 その男との関わりはないはずだ。

 

 

「――――――――そうだな、そのはずだ」

 

 

「――?」

 

 

 珍しく言葉を選んでいる様子のジョシュアに、リュウトは首を傾げるしかない。

 

 そして、そんな時間が数秒過ぎた時、ジョシュアは再び口を開いた。

 

 

「奴から、お前に言伝を頼まれた。『貴重なサンプルをありがとう』――――と」

 

 

「は?」

 

 

「素体がどうとか言っていたが、わしにはそれ以上分からん。そういえば『アスカ・ミナセの兄によろしく伝えてくれ』と言われたな……」

 

 

「!!」

 

 

 ジョシュアの発した妹の名前にリュウトは思わず立ち上がっていた。

 

 何故妹の名前がこの世界の人間に知られているのか――――リュウトは大きく目を見開いて身体を震わせる。

 

 

「――――――――」

 

 

 しかし、今の彼にそれ以上の何かを為す力はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 透明な樹脂を透して見る天井も、今では随分見慣れたものだと思う。

 

 どこか棺に似た検査台に横になってから、リュウトはそんな事ばかり考えていた。

 

 

「――――――――」

 

 

 今彼がいるのは、技術局に併設されている医療研究所の検査室だ。

 

 そして、身に着けているのは検査用の衣服のみ。

 

 それも、金属はもちろん、合成樹脂などの非金属素材も一切使われていない精密検査用の衣服だった。

 

 

<精神状態に問題はないな?>

 

 

「はい」

 

 

 カプセル内のどこかに取り付けられていると思われるスピーカーから、ジョシュアの声が聞こえてきた。

 

 その声に答えるリュウトの声に、精神的な負担は一切感じられない。

 

 

<では、始める>

 

 

 それが分かったのだろう。ジョシュアはただ一言だけ答えて検査担当の医務官に指示を出した。

 

 

「始めろ」

 

 

「はい」

 

 

 医務官は無感情に制御卓に指を踊らせ、少年を包む棺に命を吹き込んだ。

 

 ヴン――――という低い音が二人の耳に届き、検査機器が正常に起動したことを伝えてくる。

 

 そして十数秒が過ぎ、彼らの前にあるモニターに数値が表示され始めた。

 

 

「――――来ました、平均魔力発揮値八八〇〇〇〇……現在も少しずつ上昇しています」

 

 

「この間は八四〇〇〇〇だったな。この半年足らずでこの上昇率とは……全く恐ろしい素材だ」

 

 

 モニターに映る数値を睨むジョシュア。

 

 その顔には不機嫌ながらもどこか満足気な表情も見え隠れしていた。

 

 

「デバイスからのデータとリンク。瞬間放出魔力を試算します」

 

 

「ああ」

 

 

 再び踊る医務官の指。

 

 それによって導かれた数値がモニターに現れた時、ジョシュアは自分の顔に笑みが浮かぶのを止められなかった。

 

 

「――――出ました。最高値……四九〇〇〇〇〇……!?」

 

 

 医務官が先ほどまでの無表情を忘れたかのように驚いた顔をする。

 

 彼の目の前にある数値は、それだけとんでもないものだった。

 

 

「戦闘時の平均はどうだ?」

 

 

 だが、ジョシュアはそれを予測していたかのように一切の動揺を見せない。

 

 冷静なジョシュアの様子に影響されたのか、医務官もすぐに動揺を抑え込んだ。

 

 

「あ、はい。平均値――――二八〇〇〇〇〇、これでもやはり異常な数値です」

 

 

「リンカーコアの活性は確認できたのか?」

 

 

 医務官はジョシュアの言葉に応え、すぐにリンカーコアの検査データを呼び出した。

 

 その内容を読み取ると、彼は一つ頷いてジョシュアに告げた。

 

 

「ええ、戦闘開始時からリンカーコアが活性化――――これはどの魔導師でも変わりませんが、この子の場合、活性率が異常に高い数値を示しています。これを……」

 

 

 医務官は新たなモニターを作り出し、そこに戦闘時におけるリュウトのリンカーコアのデータを映し出した。

 

 

「この数値は単なる才能の有無では片付けられないものだと思います。リンカーコア自体は未だに謎が残っている器官ですが、これではまるで別の意思を持って――――」

 

 

「あの子を守ろうとしているようだ――――違うかな?」

 

 

「!!」

 

 

 突然聞こえてきた二人以外の声に、医務官の肩が跳ね上がる。

 

 そんな様子に笑みを浮かべながら、突然の侵入者は二人に近付いてきた。

 

 

「ロッテ……か」

 

 

 侵入者――――それは外で待っているはずのリーゼロッテだった。

 

 

「子供の検査に親が立ち会っても問題はないはずだよね、ジョン」

 

 

「ああ、問題はない。妙な事をしなければな」

 

 

 そう言ってリーゼロッテの同席を許可すると、ジョシュアはモニターに視線を戻した。

 

 

「――――――――」

 

 

「はぁ〜〜い、あの子の母親でっす」

 

 

 自分に目を向けていた医務官にウインクしつつ自分の身分を明かすリーゼロッテ。

 

 

「え!? 母親って……」

 

 

 リーゼロッテの耳と尻尾を指差し、医務官は素っ頓狂な声を上げる。

 

 明らかに目の前のリーゼロッテは使い魔、そして使い魔が人間の母親になったという事例は聞いた事がない。

 

 そんな医務官の様子に、これ以上の検査に遅延を嫌がったジョシュアは事も無げに答えを明かした。

 

 

「義理の、な」

 

 

「あ、ああ……! そういうことでしたか……」

 

 

 ようやく納得できたらしい医務官。

 

 だが、リーゼロッテは別の爆弾を投下した。

 

 

「そうそう、だから何をしても問題ないのだよん」

 

 

「ええ!?」

 

 

「――――――――あるぞ」

 

 

「ちぇ」

 

 

 もっとも、その爆弾もジョシュアによって空中で迎撃されたらしく、医務官にはちょっとした冗談として認識された。

 

 それで気を持ち直したのか、医務官はようやく自分の本来の職務に戻る。

 

 

「ええと、リンカーコアに関してはロッテさんの仰るとおりだと思います。自分も決して無知ではないと自負していますが、このような事例は正直……」

 

 

「まあ、あたしもそうじゃないかと思ってたよ。ジョンもでしょ?」

 

 

「うむ、奴のメディカルデータを洗っていると、いつもリンカーコアで引っ掛かる。異常な活性化とそれに伴う異常な回復力。奴の複数魔法同時展開や、常時展開はこの“現象”の賜物と言っていいだろう」

 

 

「――――そうだね……」

 

 

 最初の検査では引っ掛からなかった。

 

 だが、リュウトが魔法を扱うための訓練を始めた途端、彼のリンカーコアは異常な数値を示し始めた。

 

 最初は単なる成長期なのだと誰もが思った。魔法を扱う人間の中には、僅か数ヶ月で大きく数値が変わる人間が時折いるからだ。

 

 しかし、リュウトのリンカーコアが示したその異常な数値は時を経るごとに飛躍的に増大し、一応の小康状態に入った今も変わらずにいる。

 

 それがリュウトの身体に異状を齎していないからこそ、グレアムとリーゼは静観していられる。

 

 万が一リュウトの身体に異状が現れれば、三人はすぐにリュウトから魔法を取り上げるつもりだった。

 

 

「確かに子供の魔力回復は大人より早い、人によっては一晩で回復するなんていうのも聞いたことがあるしね。でも、リュウトは――――訓練で完全に枯渇したはずの魔力を、僅か数時間で回復させた」

 

 

「――――やはり、そうでしたか……」

 

 

 医務官は自分の予想通りの言葉に目を伏せた。

 

 

「あの子以上の魔力量を持つ人間は多いです。ですが回復速度を考えると、あの子も彼らに決して引けを取らない」

 

 

 むしろ長期戦になれば、リュウトの回復力が戦いを決する一因になり得た。

 

 回復力が高いということは、常に身体という器から魔力を溢れさせているという事になる。

 

 その溢れ出る魔力だけでも十分、医療魔法を行使できる。

 

 つまり、こと回復力という点に限れば、リュウトは管理局でも最高レベルに位置する存在という事だ。

 

 負傷した瞬間から回復が始まり、それは戦闘をしていても続く。そして使っているのは余剰魔力だけであるから、戦闘行動に支障が出ることはない。

 

 ある意味では理想的な戦闘能力だった。

 

 だが――――

 

 

「だがそれは、同時に諸刃の剣でもあるだろう。現に奴はその“現象”を完全に過信し、魔力を湯水のように使って自分を魔導師足らしめている」

 

 

 それしか手段がないと言えば確かにそれはそうだろう。

 

 組織の中で戦うという事は、決して甘くはない。

 

 必要と思われれば居場所を与えられ、不必要と判断されれば排除される。そこに人の意思は反映されず、冷たい組織の意思がすべてを司る。

 

 

「奴は魔導師である事に執着している。それしか道がないとでも言うように、他の未来など認めないと言うように」

 

 

 リュウトはそれが最上の道だと考えた。

 

 組織に属し“力”を得て、目的を成そうとした。

 

 

「リュウトは――――大丈夫なの?」

 

 

 リーゼロッテも、すべてを知った上で息子の道を認めた。

 

 だがそれでも、リュウトの現状に関して全く心配していないわけではない。

 

 

「はい、いくつかの外傷が認められますが、どれも命に関わるようなものではありません。むしろ、その治癒のために使われた魔法の方が身体の負担になっているようです」

 

 

「そうなんだ、やっぱり……」

 

 

 自然治癒に頼らない回復は、どう足掻いても身体に負担を掛ける。

 

 それがどれ程優れた治癒魔法であっても、どれ程時間を掛けて再生したとしても、それは変わらない。

 

 

「――――希少技能を持たないあの子にとって、この回復能力は唯一奴に対抗できる“力”なのかもしれないね。多少無理をしても乗り越えられるだけの覚悟もあるし、才能も――――少しはある」

 

 

 だが、リュウトは悪い意味で子供だ。

 

 他人の言葉に耳を傾けるだけの精神年齢は備えているのに、自分の感情のコントロールが歪だった。

 

 本来なら表に出るべき感情までも抑え込み、すべてを制御下に置こうとしているようにも見える。

 

 リーゼロッテが知る限り、リュウトが怒声を上げた事はなかった。

 

 泣き叫んだのも最初のあの時だけ、満面の笑みを見せた事もなければ、子供にありがちな癇癪を起こす事もない。

 

 まるですべてを諦めているように、ただ受け入れ、目的以外の事に対して意味を求めず、生きている実感を得ているかも定かではないのだ。

 

 

「あたしはクロノの方がよっぽど未来に期待が持てるよ。リュウトの方は心配で期待どころじゃないから」

 

 

 いつ死ぬかも分からない息子が憎い。

 

 自分の事など碌に考えないリュウトを、リーゼロッテはどこかで怨んでいた。

 

 

「本当なら魔法を取り上げて、家に縛り付けたいくらいなんだあたしは……! 勝手に陸士隊に入って勝手に怪我して、勝手に帰ってきたかと思ったら勝手に心配掛けて、きっと勝手に戻っていく」

 

 

 そして、いつか勝手に死ぬ。

 

 勝手に戦い、勝手に傷つき、勝手に護り、勝手に満足し、勝手に消える。

 

 息子としては間違いなく最悪の存在だった。

 

 

「何度、あの子の母親をやめたいと思ったか分からない。母親じゃなければこんなに苦しい思いすることもないんだって思って、アリアに愚痴った事もある」

 

 

 だが、どうしてもそうする事はできなかった。

 

 

「リンディとクロノを見て、あの子初めて見るような苦しそうな顔してた。手を伸ばそうとしてたのも知ってる」

 

 

 何に手を伸ばそうとしたのか、リーゼロッテには分からない。

 

 ただ、その手は絶対に届かない。

 

 

「だから、あたしはもういい。リュウトがどんだけ心配掛けても母親だって言い続けてやる。あの子があたしから離れていっても、あたしは絶対離れてやんない」

 

 

 リンディとクロノのような関係にはなれない。

 

 そんな関係になったら、リュウトは間違いなくリーゼロッテから離れていくだろう。

 

 今の不思議な関係だからこそ、リュウトは少しだけリーゼの傍にいる。

 

 べったりくっつく事はないけれど、時折振り向いて微笑みあう距離。リーゼとリュウトの関係は、きっとそんな関係だ。

 

 

「あの子が死ぬまで、あたしはあの子の味方でいる」

 

 

 今更正義を守ろうとは思わない。

 

 次元世界なんて他の人に任せてしまえ。

 

 自分たちが護るのは、自分が護りたいと願う者たちだけでいい。

 

 だからこそ――――

 

 

「――――“奴”もあたしたちが封印する。リュウトを死なせやしない、あんな奴と一緒に死なせない、絶対に……!!」

 

 

 その為に誰を――――何を裏切ろうとも、息子だけは死なせない。

 

 

「“奴”にはもう誰もくれてやらない。クライド君の命は、誰かの命を奪うために消えたんじゃないんだから……」

 

 

 二度と戻らない大切な人。

 

 そんな苦しみはもう二度と味わいたくない。

 

 

「だから、あたしはリュウトを護りきる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっつかれ〜〜!」

 

 

「ロッテ」

 

 

 検査が済んで着替えが終わった頃、更衣室の扉を開けてハイテンションな母親が突入してきた。

 

 

「とりあえずは問題なし、でもこの辺の傷とかこの辺の痣とかはしっかり治療するようにってさ」

 

 

 リュウトの身体をぺしぺしと叩きながらロッテは診断結果を告げる。

 

 

「無駄に魔法を使うより、自然治癒で治せる傷はそっちに任せたほうが長期的には効率的だよん。おかーさんからのアドバイスさ」

 

 

「分かった」

 

 

 素直に頷くリュウト。

 

 退けない理由が存在しない限り、こうしてきちんと順序立てて説明すればリュウトは無理に我を通さない。

 

 

「それと――――はいこれ、ジョンから預かった人工知能のデータ」

 

 

「人工知能?」

 

 

 リュウトはリーゼロッテからデータメモリを受け取り、不思議そうな顔でそれを眺める。

 

 おそらく、ジョシュアから何も聞かされていないのだろう。

 

 

「この間の試験でリュウトが一刀両断した近接防御システムの管制人格だってさ。リュウトの一撃で自我が芽生えたからそっちで責任持って預かれって」

 

 

「――――無責任な」

 

 

「まあ、しばらく眠らせておいて必要になったら起こせばいいってさ」

 

 

「そう」

 

 

 今のところリュウトは人工知能を必要としていないし、学習に付き合う余裕もない。

 

 リーゼロッテに言われるまでもなく、そうするしかないだろう。

 

 そう考えて自宅のアーカイブにこの人工知能用のデータベースを作ろうと決意したリュウト。そんな息子の様子に気付かず、リーゼロッテは自分でテンションを上げていく。

 

 

「さあ! 今度はあたしに付き合ってもらうよ!!」

 

 

「――――いいけど、どこ行くの?」

 

 

「どこでもいいからさっさと行くべし!!」

 

 

「――――――――」

 

 

 奇しくも弟弟子と同じ体勢で引き摺られていくリュウト。

 

 もっともリュウトには抵抗する意思は全くなかった。

 

 少なくとも今のリュウトに母親の望みを断る理由はないからだ。

 

 

(クロノとアリアのお土産、何にしようかな……)

 

 

 そうだ、ついでに夕食の買い物も済ませてしまおう――――襟が伸びないように体勢を調節しながら、リュウトはのんびりとそんな事を考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま」

 

 

「たっだいま〜〜!」

 

 

「――――――――」

 

 

 玄関から二人の声が聞こえてきた時、クロノはリビングのソファでぐったりと沈んでいた。

 

 身体中が筋肉痛で軋み、顔の前へと持ってきた手が震えているのが分かる。

 

 

(――――ブレイズキャノン、いつか使えるようになろう……)

 

 

 今日の訓練を経て、クロノはそんな決意をしていた。

 

 バリアジャケットの生成すら完全ではない自分に向けて、リーゼアリアは一欠けらの手加減もなしにブレイズキャノンを放ってきた。

 

 今までの訓練の成果が出たのか、それともただ運が良かったのか、クロノは大きな怪我をする事もなく訓練を終える事ができた。

 

 リュウトの事が気になってリーゼアリアが訓練を早めに切り上げた事も要因の一つではあるが、クロノがこうして無事でいられるのは、やはり彼自身の実力が高まっているからだろう。

 

 

「――――母さん、今日来なかったな……」

 

 

 クロノはぽつりと言葉を漏らした。

 

 リンディとて責任ある立場にいるし、クロノもそれは分かっている。

 

 だが、リュウトとリーゼ姉妹の様子を見ていると、どうしてもリンディの笑顔が脳裏に浮かんだ。

 

 父が他界してからその頻度は減ったが、それでも自分には笑顔を見せてくれた。

 

 葬儀の後は明らかに無理をして笑顔を浮かべていたリンディだが、今ではクロノの目から見ても自然な笑顔が増えてきている。

 

 笑顔を向けるその相手はやはりクロノが多いが、リーゼやグレアムも当然含まれる。

 

 そして――――

 

 

(リュウト……か)

 

 

 自分に向ける笑顔とは明らかに違う笑顔。

 

 それはどちらかといえば、父に向けていた笑顔に近い気がした。

 

 もちろんそれはクロノから見た印象であって真実とは異なるが、この時のクロノにそんな事が分かるはずもない。

 

 

「――――ぼくじゃ、ダメなんだろうな」

 

 

 自分は弱すぎる。

 

 母を守ることなどできるはずもない。

 

 

「ぼくがリュウトくらい強かったら、母さんは笑っていられるんだろうか」

 

 

 母には、いつも笑っていて欲しい。

 

 そして、自分はその笑顔を守り続けたい。

 

 

「父さんの代わりに、ぼくが守らなくちゃいけないんだ」

 

 

 父といた母は、いつも幸せそうだったと思う。

 

 自分はそんな両親が心の底から大好きだった。

 

 そして、それが当たり前だと思っていた。

 

 

「――――こんなはずじゃなかった」

 

 

 あの日見送った父は、いつものように帰ってくるものだと思っていた。

 

 帰ってきたらどんな話をしよう、そんな事ばかり考えていた。

 

 

(確か母さんは、食事のメニューを嬉しそうに考えてたっけ……)

 

 

 本局から連絡がある瞬間まで、自分の世界は影など見当たらなかったはずだ。

 

 だが、連絡を受けた母が彫像のように白く、悲しいくらい儚く美しくなった時、自分はこの世がこんなはずじゃない事ばかりだと知ったのだ。

 

 自分を抱いて泣き崩れる母の涙が自分の頬に触れた時、自分はもう二度と父に抱き上げられる事はないと知ったのだ。

 

 遺体すら残らなかった父の葬儀が終わった時、自分の小さな手を痛いくらい強く握り締める母の姿を見た時、母の隣に立っているのがもう自分だけだと知ったのだ。

 

 

(――――ぼくは、強くなりたかった)

 

 

 その想いを糧に、彼はリーゼたちに師事する。

 

 そこで出会ったのが、リーゼの息子として育てられていたリュウトだった。

 

 

(あいつは初めから強かった)

 

 

 最初の訓練の際、リュウトはクロノに手本を見せろというリーゼの指示に従い、誘導操作弾による複数同時射撃を行った。

 

 その命中率は八割超。

 

 すでに現役魔導師の実力を保持していた。

 

 

(リーゼはリュウトを誇りに思っているんだろうな。あんなに強ければ、何があっても大丈夫だろうから……)

 

 

 クロノは気付かない。

 

 リーゼが一番恐れている事が、自身の言葉の中にあることを。

 

 

(ぼくにも、リュウトくらいの才能があったらな……)

 

 

 クロノは玄関で母親二人に抱き締められ、必死にもがいている兄弟子を見ながら、果てしない思考の海に沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(クロノは、僕よりも強くなるんだろうな)

 

 

 食事を終え、自室に戻ったリュウトはベッドに寝転がってそんな思考をもてあそんでいた。

 

 天井のぼんやりとした照明をぼうっとした目で見詰め、訓練中のクロノの様子を思い出す。

 

 

(一つ一つが確実。僕みたいに行き当たりばったりじゃない整然としたロジック。基礎をしっかり積み上げて出される成果)

 

 

 自分は、基礎など踏み台程度にしか考えなかった。

 

 最低限覚えれば次に進み、必要になってから覚えた事も多い。

 

 

(――――進む事を優先する僕と、磐石な足場を組み上げるクロノ。最終的にどちらが残るのか、考えるまでもないじゃないか)

 

 

 正直、この世界で魔法に慣れ親しんできたクロノに勝てるとは思っていなかった。

 

 それ以前に、リュウトにとって魔法は忌むべき力でしかない。

 

 

(――――――――くだらない)

 

 

 人の心など無視した絶対的な力。

 

 選ばれた者だけが使える、華々しい栄光への道。

 

 その力は地を削り、海を割り、空を貫く。

 

 だが――――

 

 

(――――誰が、そんなモノを欲しいと言ったんだ……)

 

 

 ごろりと寝返りを打ち、リュウトは奥歯を噛み締めた。

 

 

(今の僕に、お前は何をさせたいんだ……?)

 

 

 リュウトは気付いていた。

 

 己のリンカーコアに宿る別の意思、リュウトに力を貸す謎の存在に。

 

 

(戦えって言いたいのか? だから、僕にこんな力を寄越したのか?)

 

 

 戦う度に昂る感情。

 

 身体を貫かんばかりに暴れまわる漆黒の魔力。

 

 そして、痛みを忘れさせる悪魔の業。

 

 リュウトはそれを揮い、魔導師として管理局にいる。

 

 

(――――――――寒い……)

 

 

 時折どうしようもなく寒くなる。

 

 そんな時は、在りし日のように妹と両親の寝室に潜り込みたくなった。

 

 妹が父の許へ。自分が母の許へ。

 

 家族四人、暖かい場所で眠った。

 

 

(ここは、すごく寒いな)

 

 

 こうして独りでいる時ほど寒さは増していく。

 

 ふと手を伸ばそうとして、誰に伸ばせばいいのか分からなかった。

 

 

(――――リーゼは、暖かいけど……)

 

 

 その暖かさはすぐに消えてしまう。

 

 リーゼが自分を本当の息子以上に想っている事は分かる。

 

 だがそれでも、戻りたいと願ってしまう。

 

 

(――――こんなはずじゃない事ばっかりだ、この世界は……)

 

 

 あの日の翌日は、幼馴染であるゆりえと遊ぶ約束だった。

 

 頼まれていたお土産も買ったし、入ったばかりの学校の事も話したかった。

 

 だが、そんな日は二度と来ないはずだ。

 

 ゆりえに会う事もなく、彼女のために買ったお土産は今もリュウトの机の引き出しで眠ったまま朽ちていくのだろう。

 

 

(怒ってるかなぁ……)

 

 

 今となってはリュウトに一番近い人物のはずだ。

 

 姉弟のように育ち、お互いの癖まで知り尽くした大切な人。

 

 その顔が見たくないといえば嘘になる。

 

 しかし――――

 

 

(もう、戻れないんだ……)

 

 

 あの日、自分の心は砕け散った。

 

 そして、自分は一度死んだのだ。

 

 

(ここにいる僕は、あの世界の子供だった僕じゃない)

 

 

 ここにいるのは、時空管理局の魔導師であるリュウト・ミナセ。

 

 ギル・グレアムの養い子にして、航空戦技教導隊非常勤教導官であるリーゼアリア、リーゼロッテの息子。

 

 

(もうどこにも、リエちゃんと繋がっていられる場所はないんだ)

 

 

 あの暖かな世界には、もう戻れない。

 

 魔導師として生きていくということは、別の自分になるということだ。

 

 そうでなければ、大切な“ゆりえ”という存在を穢すことになってしまう。

 

 

(――――――――)

 

 

 あの世界に心残りがあるとするなら、それはあの日の約束だけだ。

 

 

(――――ごめん)

 

 

 本当なら面と向かって謝りたいが、それを成すだけの決意がない。

 

 

(――――本当に、ごめん)

 

 

 空しいだけの心の声。リュウトはそれを抱いて、目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウトがその気配に気付いたのは日頃の訓練の賜物といっていいだろう。

 

 彼の部屋の外、廊下を誰かが歩いていた。

 

 

(――――誰?)

 

 

 リュウトはいくつかの候補を脳裏に浮かべる。

 

 まずは家長であるグレアム。

 

 

(違う。ギルは今頃(フネ)の中だ)

 

 

 長期の演習航海だと聞いている、今家にいるはずはなかった。

 

 次にリーゼ。

 

 

(ううん、二人とも違う)

 

 

 リーゼは二人揃って仕事に行っているはずだ。

 

 重要な仕事らしく、休む事ができないと嘆いていたからここにいるわけがない。

 

 

(じゃあ……)

 

 

 そう、ただ一人だけ可能性が残っている。

 

 

(クロノ……?)

 

 

 リュウトがその答えに至った時、トランスポーターの作動に伴う魔力の流れがリュウトに届いた。

 

 

「トランスポーターって、訓練場にしか行けないよね」

 

 

 その二箇所を結ぶだけだからこそ、個人の家に設置が許されているのだ。

 

 リュウトはベッドから降り、寝間着代わりのシャツに手を掛けた。クローゼットから訓練用の服を取り出し、淡々と着替えを済ませていく。

 

 

「――――リンディさんに頼まれたからね」

 

 

 深夜の訓練場で何をするのかは分からない。

 

 単に都市の光が眩しいこの家では見えない星を見に行ったというだけなら、そのまま黙って帰ってくればいいだけだ。

 

 

「僕も見に行ったからなぁ、星」

 

 

 口ではそう言いつつも、リュウトはクロノが星を見に行ったとは思っていない。

 

 その理由も、何故か少しだけ分かった。

 

 

「――――――――クロノ。君は強くなれるさ」

 

 

 その言葉を部屋に残し、リュウトは完全装備でトランスポーターに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の周囲を飛び交う分身に、クロノは全神経を集中する。

 

 イメージするのは兄弟子の姿。

 

 無秩序な動きで射手を翻弄するターゲットスフィアを次々と撃ち落とし、それでも表情一つ変えなかった。

 

 

「――――――――」

 

 

 負けられない、負けるわけにはいかない――――クロノはそれだけを思っていた。

 

 

「――――――――」

 

 

 今までの努力が足りないというなら、より大きな努力をするしかない。

 

 それがこの身を傷つけるものだとしても、どうしても強くなりたかった。

 

 

「――――――――母さん……」

 

 

 その思いを籠めた魔力弾がクロノの脳裏に描かれた軌道に沿って飛び交う。

 

 

(――――よし……!)

 

 

 大分軌道が安定してきた――――クロノはその顔に笑みを浮かべた。

 

 しかし、その笑顔はすぐに凍り付いた。

 

 

「――――――――ガトリングブリンガー」

 

 

「!!」

 

 

 何の意思も見えない無感情な声。

 

 その声と共に、クロノの作り上げた魔力弾は消し飛んだ。

 

 

「――――な、んで……」

 

 

「『何で?』――――訓練の時間は終わったはずじゃないか、クロノ」

 

 

「リュウト……!?」

 

 

 慌てて振り向くクロノ。

 

 その背後には、リュウトが陸士隊で任務に就いている時のような表情で立っていた。

 

 

「自主トレーニングを否定する気はないけど、今のクロノにはマイナスにしかならないと思うよ。張り詰めたままの弦はいつか切れるんだ」

 

 

「――――――――」

 

 

 冷め切った兄弟子の言葉と表情にクロノは唇を噛み締める。

 

 そんな弟弟子の様子にリュウトは肩を竦めた。

 

 

「――――僕が言っても説得力はないって言いたいのかな。でもね、人に意見を言う事に資格は要らないと思う。相手に受け容れてもらえるかどうかは別問題だけど」

 

 

「ぼくはそんな事を言いたかったんじゃない」

 

 

「じゃあ、何を言いたいの?」

 

 

 自分を睨みつけるクロノの目を見据え、リュウトは再び無表情になる。

 

 

「夜中に抜け出して勝手に練習して、もしも君に何かあったらリンディさんが悲しむよ?」

 

 

「赤の他人が、知ったような口を利くな!」

 

 

 クロノは感情に任せて吼えた。

 

 まるで当たり前のように告げられた言葉。

 

 それは、リュウトの方がリンディの事を理解しているとでも言いたげだった。

 

 

「母さんは関係ない! ぼくは強くなりたいんだ!」

 

 

「“強くなりたい”という過程にリンディさんは関係ないかもしれない。でも、結果には関係あるはずじゃないか」

 

 

 クロノが求める強さはリンディを守れる強さだ。関係ないはずはない。

 

 

「ぼくは君みたいに強くないんだ! こうやって努力して、それでやっと訓練に付いていける!」

 

 

「――――――――僕は強くない」

 

 

「嘘だッ! お前が強くないなら、ぼくはどうなるんだ!?」

 

 

「――――――――」

 

 

 リュウトはクロノの言葉に黙り込む。

 

 だがそれは、クロノの意見を認めたが故ではない。

 

 自分より強くなる可能性を持った弟弟子が、まるで理屈を知らない子供のように駄々を捏ねているのが悲しかったからだ。

 

 

「陸士隊で空戦魔導師として戦っているお前が強くないわけがない! リーゼだってお前の事は強いって言ってる!!」

 

 

「リーゼは関係ない。ここまで僕の訓練をしてきたのはリーゼだけど、陸士隊にいる僕とは関係ないだろう」

 

 

「そんな事はどうだっていいんだ!!」

 

 

「よくない。クロノ、君は“力”勘違いしてる」

 

 

「かん……ちがい……だって?」

 

 

 思いもよらないリュウトの言葉に、クロノは一瞬怒りを忘れた。

 

 そして、リュウトの目に大きな悲しみがある事に気付いた。

 

 

「ううん、違う。君は魔法という“力”を勘違いしているんだ」

 

 

 自分の言葉を訂正するリュウト。

 

 その目にはやはり、隠しきれない悲しみがあった。

 

 

「どういう、事だ……?」

 

 

「――――――――魔法という“力”は護る“力”じゃない」

 

 

 その時クロノは、リュウトの手が震えている事に気付かなかった。

 

 

「護る事ができる“力”だ」

 

 

「な……」

 

 

 意味が分からない。

 

 弟弟子の顔にそんな表情が浮かぶ。

 

 

「どう足掻いても“力”は何かを護れない。“力”には、護るという意思が存在し得ないから……」

 

 

 そう、護れない。

 

 リュウトの唇が震える。

 

 

「それでも護りたいなら、意思が“力”を使うしかない。護りたいという意思が」

 

 

「だから……だからなんだって言うんだ!! ぼくは護りたいと願っている! それだけで足りないとでも言いたいのか!?」

 

 

「いいや、足りなくはないさ。でも少しだけ間違っている気がする」

 

 

「間違い……?」

 

 

 クロノは兄弟子が途方もなく遠い存在に思えた。

 

 目の前にいるはずなのに、別の世界に居るような不思議な感覚。

 

 それが自分と兄弟子の差のように思えて、クロノは悔しさを感じた。

 

 

「リンディさんを護りたいなら、“力”なんて要らない」

 

 

「!!」

 

 

 クロノは兄弟子の言葉に目を見開く。

 

 それは自分の努力の否定以外の何物でもなかった。

 

 

「リンディさんを護りたいなら、ずっと傍にいればいい。ゆっくり強くなればいい。息子として支えればいい。それだけじゃないか」

 

 

「ち、違う!」

 

 

 クロノは叫ぶ。

 

 

「母さんが傍に居て欲しいって思っているのは父さんだ! ぼくじゃ母さんは悲しそうな顔をするだけなんだぁッ!」

 

 

 リュウトに向け、クロノは渾身の力を籠めて拳を繰り出す。

 

 

「っぐ!?」

 

 

 その拳は、何の抵抗もなくリュウトの頬に吸い込まれた。

 

魔法で強化された拳の衝撃にリュウトの身体が傾き、倒れる寸前で何とか踏み止まる。

 

 

「母さんはぼくの事を父さんにそっくりだって言って悲しそうな顔をする! 父さんの写った写真を見て悲しそうな顔をする! あの日、父さんを見送った場所に立って悲しそうな顔をする! あの日から、母さんは悲しそうな顔ばかりしているんだ!!」

 

 

 慟哭――――衝撃。

 

 魂からの叫び――――涙。

 

 願いは唯一つ――――だからこそ。

 

 もう一度、あの笑顔を――――吹き飛ぶリュウト。

 

 

「だからぼくは、父さんみたいに強くなりたいんだ!!」

 

 

 嘘なんて欠片もない。

 

 それは唯一つを願うひたむきな想い。

 

 だが、リュウトも想いでは負けない。

 

 

「だからどうした!? どれだけ願っても意味はない! 願うだけで叶うならこの世界に悲しみは存在しない!!」

 

 

「がッ!?」

 

 

 想いだけを籠めたリュウトの拳がクロノの身体を吹き飛ばす。

 

 

「願うんじゃない! 叶えろ! 護れる強さがあるなら、護る事の意味を知れ!!」

 

 

 リュウトは知らなかった。

 

 護る意味も理由も、だから護れなかった。

 

 

「誰もが僕には才能があるって言う! だけど、才能に何の意味があるって言うんだ!!」

 

 

 要らなかった。

 

 こんな才能など、欲しくは無かった。

 

 

「僕が欲しいのはあの時間だけだ!! 家族だけだ!! 家族を返してくれるというなら、こんな力なんて要らない!!」

 

 

「ぐう……ッ!」

 

 

「!!」

 

 

 腹に突き刺さるリュウトの拳を、クロノは渾身の力で抱え込む。

 

 

「うう……あ……――――」

 

 

「くッ! 放せクロノ!」

 

 

「――――馬鹿を言うな……!」

 

 

「なッ!?」

 

 

 クロノはリュウトの腕を掴むと、リーゼに叩き込まれた格闘術の動きを身体に流し込む。

 

 

「お前は甘えてるだけだろうがぁっっ!!」

 

 

「くぅあ!!」

 

 

 クロノに投げられ、リュウトは硬い地面に叩き付けられる。

 

 肺から追い出された空気が悲鳴となってリュウトの口から漏れだした。

 

 

「悲劇の主人公を気取って! 自分しかいないと勝手に決めて! リーゼがお前の事をどれだけ心配してると思ってるんだ!!」

 

 

 馬乗りになったクロノは、リュウトの顔目掛けてその拳を叩きつける。何度も、何度も。

 

 

「君が怪我をしたって聞いて、ロッテは震えてた! アリアはグレアム提督に縋り付いてた! なのにお前はリーゼを護らない!!」

 

 

「がっ! ぐ! っく!?」

 

 

 護れる力があるのに、護らない。

 

 

「お前は何をしたいんだ! 誰かを護りたいのか!? 誰かを悲しませたいのか!?」

 

 

「!!」

 

 

 クロノの言葉に、リュウトの目が煌めく。

 

 

「ふ――――ざけるなぁッ!!」

 

 

「っ!!」

 

 

 全身のばねを使って飛び起きたリュウトにクロノは反応できず地面に転がる。

 

 

「僕が欲しいのは父さんと母さんと明日香がいたあの世界だ!! 僕はあの世界に帰りたいんだ!!」

 

 

 クロノの上に飛び乗り、リュウトは心から漏れ出る苦しみを拳に変える。

 

 

「帰りたい! 帰りたいんだ! こんな想いをするくらいなら、僕はあの時一緒に死にたかった!!」

 

 

「!?」

 

 

 初めて聞くリュウトの本心。

 

 クロノは刹那の間、痛みを忘れた。

 

 

「僕はこの世界で何を望めばいい!? 叶わない願いを想い続け、“奴”が現れるまでただ“力”を願えばいいのか!?」

 

 

 それならいくらでも願おう。

 

 “力”を――――滅ぼせる力を。

 

 

「でも、それだけじゃ意味がないんだ! それだけじゃ父さんも母さんも、明日香も! “奴”を滅ぼすために死んだみたいじゃないか!!」

 

 

 そんな事を望む人たちじゃなかった。

 

 一人残った子供が戦う事を望む両親ではなかった。

 

 兄が狂気に囚われ、戦い続ける事を願う妹ではなかった。

 

 それに気付いたリュウトは、自分の進むべき道を知る。

 

 

「だから――――だから僕は人を助ける! 助けて助けて、三人の命が何かを救うためにあったんだって証明してみせる!!」

 

 

 一〇人。

 

一〇〇人。

 

一〇〇〇人。

 

それでも足りない。

 

 

「僕の命は――――救うためと、滅ぼすためにある!!」

 

 

 命を救い、敵を滅ぼす。

 

 正義や悪など知らない。

 

 望みの前に立ち塞がるなら、それは敵。

 

 滅ぼすだけの相手だ。

 

 

「クロノ! 君は何を願う!?」

 

 

「ぐ……」

 

 

 リュウトに襟を掴まれ、クロノは呻いた。

 

 

「護りたいのか!? 滅ぼしたいのか!?」

 

 

「――――ぼくが……」

 

 

 望み、それは一つだけ。

 

 

「――――ぼくが望むのは……」

 

 

 笑顔。

 

 

「母さんが、笑っている事――――だぁッッ!!」

 

 

「!!」

 

 

 決意の叫びと共にクロノの身体から溢れ出る魔力。

 

 リュウトはその魔力に圧され、その場から飛び退さる。

 

 

「お前が望む事なんてどうだっていい! ぼくは――――」

 

 

 護りたい。

 

 善も悪も後でいい。

 

 あの人が笑顔でいるなら。

 

 

「――――――――大丈夫、君は強くなる」

 

 

 クロノの願いにリュウトは血の滲んだ口で笑みを浮かべる。

 

 

「え……?」

 

 

「僕が保証する。君は家族を護れる強い男になる」

 

 

 そう、“力”に意思がないなら、意思が“力”となる。

 

 ならば――――

 

 

「その願いを忘れない限り、君は強くなる」

 

 

 そう言ってリュウトはゆっくりとクロノに歩み寄る。

 

 

「――――クロノ、これの引き金を引くんだ」

 

 

「これは……」

 

 

 メタトロン。

 

 リュウトが使うデバイスの片翼だった。

 

 

「さあ」

 

 

 リュウトはクロノにその銃把を握らせ、銃口を自分の額に当てる。

 

 

「引き金を引くんだ」

 

 

「ま、まて……どうしてこんな……」

 

 

「君は強くなりたいんだろう? だったら躊躇うな、すべてを賭して護り抜け」

 

 

 リュウトは引き金に当てたクロノの指を上から押さえる。

 

 その口調には一切の恐怖はなく、まるですべての未来を知っているかのようだった。

 

 

「護りたいと思うことすらなかった。でも、あの時に戻れたら――――あの時、今ほどの力があればと思ってしまう。それはきっと弱さだ」

 

 

 後悔は決して先にすることはできない。

 

 

「だから、今できるすべてを為せ」

 

 

「ぼくは……」

 

 

 クロノは自分の指が震えるのを懸命に抑え込んだ。

 

 メタトロンに魔力が込められているのは魔導師未満のクロノにも分かる。この引き金を引けば何が起こるのかも分かる。

 

 

「誰かを護るためには誰かを傷付ける事になる。それでも護りたいなら、引き金を引け」

 

 

 そして、兄弟子の言っている言葉の意味も分かる。

 

 

「ぼくは……かあさんを……」

 

 

 護りたい。

 

 父のように――――憧れた父のようになりたい。

 

 父の護ったあの笑顔を、失いたくない。

 

 

「ぼくは……――――」

 

 

 ただ願い、クロノはゆっくりと引き金に力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――」

 

 

 ゆっくりと下ろされるメタトロン。

 

 その様子に、リュウトは顔を伏せた。

 

 

「――――そうか……」

 

 

 それだけだった。

 

 それ以外に、リュウトの口にすべき言葉は無かった。

 

 

「――――――――ぼくには、撃てない」

 

 

 クロノはメタトロンをリュウトに手渡す。

 

 

「きっとリュウトの言う事は正しいんだと思う、だけど――――」

 

 

「いいんだ」

 

 

「え……」

 

 

 リュウトはクロノの拳で傷ついた顔で笑っていた。

 

 これで良かったとでも言うように、クロノの判断が正しかったというように。

 

 

「クロノの強さは“引き金を引かない強さ”だ」

 

 

 自分とは違う、クロノだけの強さ。

 

 

「僕にはない強さ。リンディさんを護りたいなら、その強さを信じないと」

 

 

「リュウト……ぼくは……」

 

 

「僕が護りたいと願った人たちは、もういない。でも、君の護りたい人は君の傍にいる」

 

 

 だから護り抜け――――リュウトの目はそう言っていた。

 

 

「――――――――リュウト……」

 

 

 クロノは何かを掴むように手を伸ばし――――何も掴まず下ろされる。

 

 

「――――リンディさんに頼まれたんだ、クロノを守ってくれって」

 

 

「そうか……」

 

 

 クロノはリュウトの言葉に納得する。

 

 母は自分を心配していたと同時に、リュウトの事も心配していたのだろう。

 

 

「――――それじゃ、僕は先に帰るよ」

 

 

「リュウト?」

 

 

「ここは都市部に比べて星が綺麗だから、見て行くといい」

 

 

 その言葉に、クロノは天を仰いだ。

 

 

「――――ああ、確かに綺麗だ」

 

 

 二つの月が存在を主張する夜空。

 

 その中でも、星たちは輝いていた。

 

 

「――――――――」

 

 

「――――――――」

 

 

 いつの間にか、リュウトも空を見ていた。

 

 帰ろうと思っていたが、少しだけ空を見たくなったから。

 

 

「――――“星たちを見守る者(スターゲイザー)”“……”闇夜に煌めく流星雨(グロリアスミーティア)“……」

 

 

「――? 何のことだ?」

 

 

 ポツリと漏らしたリュウトの言葉にクロノが気付く。

 

 

「――――いや、気にしないで」

 

 

「そう……か……」

 

 

 リュウトの言葉と表情にクロノは再び空に視線を戻した。

 

 

「――――いつか、そんな大人になりたかった」

 

 

「――――――――」

 

 

 父が言っていた、人を護れる大きな人になれと。

 

 母が言っていた、人を導くことができる人になれと。

 

 どんな時でも人々を護り、どんな暗闇でも光を失わない人になれと。

 

 

「僕は、少しだけそんな大人に近付けたのかな」

 

 

「どうだろうな……」

 

 

 兄弟子の言葉の意味など分からない。

 

 だが、星空を見る兄弟子の姿は今までで一番気高く見えた。

 

 だから――――

 

 

「――――いつかなれるだろう」

 

 

「そうかな……」

 

 

「そうさ」

 

 

「そうか……」

 

 

 こうして、隣で星を見た事を忘れないでいようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その翌日、リーゼが帰宅した時リビングは彼女たちの弟子二人による舌戦の場になっていた。

 

 

「――――だから、この術式じゃあまりにも効率が悪すぎるんだ。魔力だって無限じゃないんだよ」

 

 

「だからってこんな術式にしたら性能ガタ落ちじゃないか! せめて現実的な意見を出してくれ!」

 

 

「これ以上現実的な意見はないと思うよ。非現実的なのはクロノの方だ」

 

 

「バカにするな! 魔法に関しては僕の方が長く付き合いがある!」

 

 

「付き合いだけじゃないか! 知識だったら僕だって負けない!」

 

 

「だったら実践証明といこうじゃないか! それぞれの術式を試して、より確かな方を選べばいい」

 

 

「いいよ、付き合う。でもやるからには手加減なしだよ」

 

 

「構うもんか! さっさと行くぞ!!」

 

 

「ふん!」

 

 

 つい昨日まではそれなりに親しい間柄というだけだった二人が、まるで本当の兄弟のように角を突き合わせて意見をぶつけ合うという光景に、リーゼはただ固まるしかなかった。

 

 やがて二人がトランスポーターに消えると、ようやくリーゼたちが動き出す。

 

 

「――――――――何かあったの?」

 

 

「――――――――知んない」

 

 

「――――――――“お帰り”って言ってもらってないよね」

 

 

「――――――――気付いてもらってないし」

 

 

「――――――――異性の親ってこんなもんかな」

 

 

「――――――――かもね」

 

 

「――――――――あ、ちょっと泣きそう」

 

 

「――――――――あたしなんてもう前が見えないよ、ぐす……」

 

 

 結局その日、リーゼ姉妹は息子と遊ぶ事はできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 加速。

 

 雲を突き抜け天を貫く漆黒の矢。

 

 リュウトは衝撃波を作り出しながら、ひたすら高く高く昇っていた。

 

 

「――――――――」

 

 

 いくつもの雲を突き抜ける度、空の色が変わっていく。

 

 明るい青だった空は、今は海のような深い群青にその姿を変じていた。

 

 だが、そのどれもがリュウトにとっての空の姿だ。

 

 

「――――――――」

 

 

 悲しいくらい綺麗な空。

 

 人の感情などすべて飲み込んでしまいそうな深い蒼。

 

 誰よりも早く目にする黎明。

 

 誰よりも長く目にする黄昏。

 

 そのすべてが空にあった。

 

 

「――――――――」

 

 

 あの頃はこうして身一つでここまで昇れるとは思っていなかった。

 

 それ以前に、地から見上げる以外に空があるなど思っていなかった。

 

 

「――――――――感傷、かな」

 

 

 リュウトは呟くと同時に制動をかける。

 

 高度二八〇〇〇――――通常の航空魔導師が到達できる限界高度を遥かに超えた天の御座。

 

 ここまで到達できる魔導師は、リュウトを含めても空戦魔導師全体のほんの一握りに過ぎない。

 

 戦技教導隊でも僅か十数名の者だけが昇れる場所だった。

 

 

「――――――――綺麗だ」

 

 

 そんな場所で漂いながら、リュウトは空と大地の境界を見遣る。

 

 星と惑星が同居する狭間の世界。

 

 ここは、ここに昇れる者たちだけの聖域だった。

 

 

「――――――――」

 

 

 初めてここに昇ったのは、航空戦技教導隊に配属になってすぐの頃だっただろうか。

 

 最初は独力で昇る事ができず、戦技教導隊の指導教官に引っ張り上げられた。

 

 何故自分をここに連れてきたのかと問うリュウトに、教官はただ一言答えた。

 

 

「『ここは、受け継がれるべき場所だから――――』」

 

 

 受け継がれる力。

 

 受け継がれる願い。

 

 受け継がれる場所。

 

 受け継がれる――――世界。

 

 

「――――――――」

 

 

 真空間に輝く星たちを見詰めるリュウトの通信機が、着信を知らせる。

 

 通信機に指を這わせ、リュウトは自分の前にモニターを映した。

 

 そこに映っているのは、彼の友人である一人の少女。

 

 

「――――――――どうしました、エイミィ」

 

 

『どうしたって訊くかねぇ、あんたは』

 

 

「他にどうしようもないでしょう」

 

 

 心底呆れたといった様子のエイミィに、リュウトは苦笑を浮かべた。

 

 

『――――また、そこにいたんだ』

 

 

「分かってたんでしょうに」

 

 

『まあね、珍しく高高度飛行許可申請があったって聞いたから、こんなことだろうと思ってた』

 

 

 この世界にいる魔導師の中で唯一高高度を飛行可能な技量を持っているのがリュウトだ。

 

 他の魔導師が高高度飛行許可など申請するはずはない。

 

 

「それで、何かご用ですか?」

 

 

『いんや、別に』

 

 

 エイミィの言葉に困ったような顔を浮かべるリュウト。

 

 邪魔されたとは思わないが、何の理由も無く一人の時間を潰されたとは思いたくなかった。

 

 

「――――――――」

 

 

『綺麗なもんだねぇ』

 

 

 そんなリュウトの想いなど、エイミィには何の関係もないのだろう。彼女はリュウトの周囲にある天空の景色に目を向ける。

 

 

「――――アースラに乗っていれば、こんな高度など無と変わらないでしょうが」

 

 

『ば〜か、安心安全快適な場所で見る風景なんてモニターの向こうの偶像と一緒』

 

 

「これもモニターですよ」

 

 

『でも、モニターの向こうにリュウトって言う現実が存在するでしょ』

 

 

「まあ、そうですね……」

 

 

 エイミィの理屈に苦笑を深めるリュウト。

 

 だが、一人よりも少しだけ心地よかった。

 

 

「――――それで、本題は?」

 

 

 だが、それも偶像なのかもしれない。

 

 

『――――――――先輩から聞いた、主席執務官の仕事を各部署に分散する手筈を整えてるって』

 

 

「――――――――」

 

 

『先輩怒ってたよ、何も聞いてないって。どうしてこんな事してるの?』

 

 

 理由など決まっている。

 

 そのために生きて来たのだから。

 

 

「――――――――」

 

 

『――――――――だんまり、か……』

 

 

 この友人は恐ろしく聡い。

 

 士官学校を卒業しているのだから当然かもしれないが、それでも余計なことを言いたくなかった。

 

 その代わりに別の言葉を口にする。

 

 

「――――――――クロノを、よろしく」

 

 

『は……? な、なに突然?』

 

 

「彼は君の傍にいる」

 

 

『――――――――』

 

 

 空を見上げ、リュウトはただ想いを口にする。

 

 エイミィはその言葉に、先ほど帰ってきた年下の上司の姿を思い出した。

 

 明らかな怒りを瞳に宿し、執務室に引っ込んでしまった少年。

 

 その少年と目の前の青年に何かがあった事など、彼女には手に取るように分かる。

 

 

「――――――――」

 

 

『もっと構ってあげなよ。可愛い弟でしょ?』

 

 

「それ、クロノに言ったら触覚引っこ抜かれますよ」

 

 

『触覚言うな!!』

 

 

 怒鳴るエイミィの頭の上でひょこひょこと揺れる癖毛をちらりと見遣り、リュウトは口の端を持ち上げた。

 

 そんなリュウトの様子にエイミィが尚も怒声を上げる。

 

 

『直しても直しても出てくんだからしょうがないじゃん! クロノ君にやってもらっても直んないし!!』

 

 

「――――実は人間じゃなかったりします?」

 

 

『あたしは妖怪かコラァッ!?』

 

 

 こんな騒がしい妖怪だったら、きっと人々に愛されるだろうな――――リュウトはそんな事を思った。

 

 

『はぁはぁ…………――――もういいや、そのまま干物になってしまえ!!』

 

 

「あ」

 

 

 怒ったエイミィがモニターを切ったのだろう、リュウトの前から騒がしい姿が消える。

 

 

「――――――――」

 

 

 怒らせてしまっただろうか。

 

 間違いなく怒らせただろう。

 

 リュウトは後でフォローを入れる事に決めて、もう少しだけ昇ろうと魔力を高める。

 

 そんな時、リュウトの耳にエイミィの声が飛び込んできた。

 

 

『――――リュウト』

 

 

「――!」

 

 

 切られたのは映像用のモニターだけだったようだ。音声は生きている。

 

 

『黙って聞いてくれればいいよ』

 

 

「――――――――」

 

 

 その言葉に、リュウトはぐんと加速する。

 

 何故か分からないが、無性に飛びたかった。

 

 

『あんたはあたしたちの事なんてあまり気にしてないのかもしれないけど、あたしたちはあんたの事気にしてる。あんたの事大切だって思ってる』

 

 

「――――――――」

 

 

 リュウトにとってもエイミィたちは大切な者だ。

 

 この命を懸けるに相応しい大切な者たちだ。

 

 

『海鳴っていうあんたの故郷があんたの目の前に帰ってきて以来、あんたはどこかに消えようとしてる。あたしたちを忘れようとしてる』

 

 

「――――――――」

 

 

 そうしなくては、もう生きていけない。

 

 罪を罪として、罰を罰として――――

 

 

『――――――――あたしは、あんたの事一生忘れてやんないから』

 

 

「――――――――」

 

 

 それもいい。

 

 消える記憶もあれば、残る記憶もあるのだから。

 

 

『――――先輩、泣きそうだったからね』

 

 

「――――――――」

 

 

 ああ、そうだったのか――――リュウトは少しだけ後悔した。

 

 どんな理由があっても、悲しい涙だけは作りたくなかった。

 

 

『――――――――いつかさ、そこになのはちゃん連れて行ってあげなよ。きっと喜ぶと思う』

 

 

「――――――――」

 

 

 そして、また受け継がれる。

 

 それも、またいいものだ。

 

 

『――――――――それじゃ、切るから』

 

 

「――――――――」

 

 

 何かを口にしようとして、できなかった。

 

 空しく開かれた口は、何も生まずに閉じられる。

 

 

『…………――――――――』

 

 

「――――――――」

 

 

 気のせいだろうか。

 

 通信機の向こうでも、エイミィが同じように口を開き――――閉じたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 切れた通信を忘れるように、リュウトは限界高度で何度も失速し、再び昇るという事を繰り返した。

 

 星と惑星(ほし)の狭間に、声無き慟哭がいつまでも響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 END

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〜あとがき〜

 

 皆さんこんにちは、悠乃丞です。

 

 いや、無事に終わってよかった。

 

 九月は色々面倒があって執筆が遅れてしまいましたが、こうして皆さんにお届けできて一安心です。

 

 いや、遅れた分はちゃんと取り戻しますとも。

 

 

 

 それはともかく、リュウトの過去にようやく一区切りが付いたという感じで、これからの執筆にも影響を与えそうです。

 

 背中合わせで立つリュウトとクロノ。

 

 第三期ではすっかり後ろでどっしりなクロノ君ですが、この頃はやはり子供だったのではないかと思って書きました。

 

 いや、結構喋り方とか考えたんですよ。でも、クロノ君は意外と昔からこんな喋り方だったんじゃないかなぁと思ったりした次第です。

 

 公式ではあんまり語られていないので、リンディさんだとかクロノ君だとかのクライドさん逝去直後の話は完全空想なのであしからず。

 

 

 

 さて、ここで拍手の返事と参りましょう。

 

 遅くなって本当にすみません、毎度言ってますが本当にすみません。

 

 

※悠乃丞さん、執筆頑張ってください!

 

>応援ありがとうございます。皆様の応援が日々の活力となっております。

 

年内に終わる事を目指していますので、これから一気に書き進めたいと思っておりますので、応援よろしくお願いいたします。

 

 

悠乃丞さん!くらひとSSS見ててニヤついてる自分がぁぁぁ

 

ニヤついていただいてよかったです。いや、本当に。

 

 あれでニヤついて貰えなかったら私にはコメディは無理だということになってしましますので、ホッとしています。

 

 ですが、他の人に見られて不審者に間違われないよう、気をつけてニヤついて下さい(笑)

 

 

※悠乃丞さんの小説「暗き瞳に映る世界」読ませていただきました。一気に読んだせいで睡眠時間がぁ〜

 

ありがとうございます。ですが、睡眠時間削って大丈夫でしたでしょうか?

 

 かくいう私も小説の先が気になって徹夜するタイプですので、そのお気持ちは分かります。

 

 そこまでして読んでいただけるという事に、感謝の念が湧き上がってきます。本当にありがとうございます。

 

 

 

 以上拍手返事でした。

 

 これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 さあ、次回の話は――――リンディさんです。

 

 何気に人気が高く、一緒に風呂入ったのかこの野郎とか怨嗟の篭った声が届いていたりするリンディさんです。

 

 第三期ではお祖母さんになったというのに若いリンディさんです。

 

 そう、リュウトにはリンディさんとデートをしていただきます!

 

 全国のリンディさんファンを怒らせるんだ! さあ行けリュウト!

 

 

 それでは皆さん、次のお話で会いましょう。

 

 

 




作者悠乃丞さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板
に下さると嬉しいです。