魔法少女リリカルなのは―――暗き瞳に映る世界―――
第二章
第四話
〈雌伏〉
「では、当初の予定どおりに事を進めます」
時空管理局本局内の一室で二人の人間が言葉を交わしていた。一人は現在も現職で職務を遂行中の壮年の提督、もう一人はかつて幾多の戦場を潜り抜け、今は机に向かうだけの老提督、この二人だった。
「ああ、くれぐれも気付かれぬようにな」
「はい」
老提督はデスクの椅子に腰掛けながら、一つの資料に目を落とす。そこに書かれていたのは夜天の主、八神はやてについてのことだった。内容は管理局内に保管されているもの以外にも、地球での暮らしぶりや家族構成、局内での評判など多岐に渡る。それは明らかに公的な調査で明らかにしたものではないだろう。
老提督に一礼し、目の前にいた提督が部屋を出て行く。
彼は今、この老提督の一番信頼できる男だった。彼も、ある犯罪に巻き込まれ家族の一人を失った人間だ。同類である自分を裏切ることはないだろうと、そう思っていた。
「ふん、あんな若造にいいようにされたままで終われるか」
前回はその若造に勝ちを譲った。しかし、今回の勝者は私だ。そう思いながら老提督は喉の奥で、小さく笑った。
「夜天の王、八神はやてをそのリンカーコアごと封印する」
―――今、リュウトさんは何て言ったんだろう？
彼―――リュウトの目の前にいた少女はそんなことを心の中で思っていた。今、彼は自分の処分のことを口にしているのだと、少し経ってから気づいた。
少女―――はやてより遅れてきたなのはとフェイトは、ブリッジと通路を繋ぐドアの前で立ち止まっていた。
「ッ！？ それは本当なの？ 今になって…」
リンディは目の前にいる青年に問う。しかし、その返答は先ほどと変わることはない。
本当です。と、リュウトはただそれだけを告げる。
「なお、これはすでに本局の決定事項です。異議を唱えても…おそらく認められません」
その言葉を聞いて、まず最初に動いたのはクロノだった。
もう既に彼女の処遇は決まって筈だと、そう言うつもりだった。兄弟子が様々な感情を押し込めた目でこちらを見るまでは。
「ハラオウン執務官、これは正式な決定です。現状では君の意見は無に等しい。分かりますね？」
冷徹。この一言で済ませられるような言葉だった。
その言葉に反論しようとしたクロノを遮るように、はやてが静かな口調でリュウトに問いかけた。
「…私は、どうすればいいんですか？」
闇の書の罪を認め、償う。この少女はそう決めていた。だから、この処分も甘んじて受けようと思ったのだ。
「私の部屋の隣にもう一つ部屋があります。本局に着くまでは、そこで過ごしてください。食事は持って行かせます。尚、守護騎士の方々は別の部屋にいてもらいます」
リュウトは自分の後ろにいたシグレを見る。その意図を明確に掴んだ使い魔は、はやてを促し、彼女をブリッジから部屋へと案内しようとする。はやての背後に立っていたなのはやフェイトは、ただ呆然とシグレ達の進路上から退くことしか出来なかった。
だがそこで、呆然としていた守護騎士の中でただ一人、ヴィータがはやてを追いかけようとする。だが、それは目の前に現れたリュウトの背によって阻まれた。
「くっ！ あたしはまだ認めてねえぞ！！ あたしは―――！！」
青年の背中にヴィータは掴みかかった。リュウトのコートを強く握り締め、反論を幾つも口にする。だが、次の瞬間に彼女の遥か上から向けられた目は、光を帯びていない。そう、ただ冷気を帯びている目だった。
「君はただ一人で管理局全てを敵に回すのですか？」
管理局全て。その中には自分の前に聳え立っている青年も入っているのだと、ヴィータはすぐに気付く。そして、困ったようにリュウトの顔を見上げる。そこに、やはり光は存在しなかった。
「…分かった。お前の命令に従おう」
「シグナム！？」
ヴィータの後ろに控えていたシグナムが静かに告げ、その言葉にシャマルが敏感に反応する。その視線は、自らの将に対する困惑の色が濃かった。
そんな守護騎士たちの様子を気にする事も無く、リュウトは自らの背後に立っていた彼ら方へ向き直り、騎士たちを部屋へと案内した。
部屋へと歩く間、五人に会話は無かった。
「……何故だ？」
艦内の通路を、リュウトは一人歩きながら呟いた。
つい先ほど守護騎士を部屋へ案内し、そのまま自室に戻ろうとしているところだった。
（何故今になって処分が変更される？ あまりにも不自然だ…）
そんなことをリュウトは命令変更の指示を受けてからずっと考え続けていた。
だが、通路を歩く彼の目の前に、はやてを、大切な友人を守ろうとする少女達の姿が現われた。
「「リュウトさん！」」
なのはとフェイトは同じ言葉を口にする。それだけで、リュウトには彼女たちが何を言いたいのか、すぐに分かった。しかし、それでもリュウトには何も出来ないのだ。
出来る事といえば管理局の命令を繰り返すだけ。
「…変更はありません。自室に戻りなさい」
必死な表情でリュウトを見る彼女たちの求める返答は、青年の口から発せられることは無かった。ただいつもの顔で、少女たちに待機を命ずる。
「でもっ！ だって、やっとはやてちゃんは……はやてちゃんはっ！！」
なのはが涙を流しながらリュウトにしがみ付く。ちょうど腰の辺りに抱きつく少女を見て、リュウトは困ったような顔をしながらフェイトの方を見る。
「はやては、やっと幸せを掴めたんです。なのに、どうして貴方達は！ はやての幸せを奪おうとするんですか！？」
貴方達、とは恐らく管理局の上層部のことだろう。フェイトも自分の小さな拳を握り締めながら、リュウトの顔を見つめる。その顔には、抑えきれない怒りがあった。
フェイトはリュウトのことを信頼していた。自分が管理局で働けるようになったのも、クロノやリンディ、そしてリュウトの力添えがあったからだ。
PT事件の後、リュウトと初めてあったとき、彼の管理局での立場が分からなかった事もあってリンディの部下だと思ってしまったこともある。
だが、今ではリュウトの事を信じていた。
なのはに会えない半年間の間、リュウトは地球のことを、海鳴のことを話してくれた。
十年以上前の記憶で、フェイトが知っている海鳴とは異なることも多々あったが、それでも楽しかった。艦船勤務のクロノやリンディがフェイトに面会に来られない時も、リュウトは定期的に会いに来てくれた。
裁判中ということもあって難しい立場にいた自分に、嘱託魔導師試験の勉強を教えてくれたりもした。
だが、今の彼はどうだ。自分の親友が拘束されているというのに、何もしないではないか。
「…それが私の仕事だからですよ」
「ッ！！」
リュウトの言葉に、フェイトはショックを受けていた。そう、これがリュウトの仕事。管理局の脅威となるものを排除するという、彼の仕事なのだ。
つまり、今の彼ははやての敵になってしまったというのか。
「さあ、なのは君もフェイト君も自室に戻りなさい。私は…出来れば君たちに戦闘以外で、命令は下したくはない」
―――だから…
その顔に、リュウトがそう言ったときの彼の顔に、笑みは無かった。今までフェイトやなのはが見たことが無いような、そんな顔だった。
その心が通じたのか、顔を俯かせたフェイトが少しずつリュウトに近づいてくる。その表情はリュウトからは見えない。
そして、彼の腰に抱きついて泣きじゃくっているなのはを慰めながら、彼女をリュウトから引き離した。
「…分かり、ました。失礼します」
そう言って、フェイトは泣いているなのはの肩を抱きながら自室へと戻っていく。その後ろ姿を見つめながら、リュウトは自分の真横にある薄暗い通路に目を向け、そっと告げる。
「シグレ、いますね？」
「は…」
リュウトの使い魔であるシグレが、暗闇の中から現れる。彼女の顔は、真剣そのものだった。いや、これが彼女の本来の顔。本来の姿なのだ。
「管理局に到着したら、頼みたいことがあります」
シグレはただ黙って主の方に向き、そして「御意」と返事を返すと再び闇の中へと溶け込んでいった。
今の彼女に出来る事はない。主の心が精神リンクを通じて流れ込んできても、彼女には何も出来ない。してはならない。
いま彼女に出来る事といえば、ただひたすらに主の命を待つことだけだった。
管理局では、既に帰還するアースラの受け入れ態勢は整っていた。何人もの武装局員がはやて護送のために準備を終え、すでに整列している。
「…来たか」
その中心に立つカーライルがそう呟く。その視線の先には、先ほど帰還したアースラの乗組員の姿があった。
そして、その先頭近くに立っているのは、今までこの老提督が心底憎んできた少女。
「―――お出迎えですか。準備がいいことで助かりますね」
その少女の背後にいた青年が、完全武装の武装局員を従えたカーライルの姿を見てそう呟く。その声はただひたすらに冷たい。
更にその後ろでは守護騎士の面々がクロノによって拘束されていた。また、その腕には幾つものリングバインドが掛けられている。これはリュウトの手によるものだった。
「では、その罪悪の根源をこちらに渡してもらおうか？ ミナセ提督」
カーライルの横に立っていたもう一人の提督が、武装局員にはやてを確保するよう命令を下す。しかし、その局員の前にリンディが立ちはだかった。
その目には強い意志の光が宿っている。
「提督っ！ 彼女の処遇はすでに決定されていたはずです！」
それはアースラ乗組員の全てが思っていたこと。それをリンディ提督は直接ぶつけた。もちろんいつもの彼女ならばこんなことはしない。しかし、今問題になっている少女は自分の大切な仲間であり、そして、おそらく自分の娘になるであろう少女の大切な友達なのだ。
リュウトはそんなリンディを見ようとさえしない。ただ、カーライルとその取り巻きを見つめているだけだ。
「…これは管理局の正式な決定だ。一艦長である君が反抗することは許されない」
だが、その彼女の質問に答えは与えられなかった。その代わりに、武装局員の何人かがアースラの主要クルーの周りを囲み始める。その装備を見たクルーは不安げな表情を浮かべている。味方であるはずの人間に、武器を向けられるとは思っていなかったのだ。
カーライルがアースラのクルーは闇の書事件での事情聴取をすると告げ、武装局員に彼らを案内するように指示を出した。
無論、クルー達は抵抗しようとするが、クロノとリンディに止められ大人しく武装局員の指示に従った。
「君達は優秀のようだが、今は少々大人しくしてもらおう。………君は職務に戻ってもらってかまわんよ」
「ええ。そのつもりです」
カーライルとリュウトには明確な上下関係がない。カーライルの方が先任だが、リュウトに対して命令を下せる立場でもなければ、要請という形でしか事情を聞くことも出来ない。
カーライルは、これほど早くアースラが帰還するとは思っていなかった。時間稼ぎをして、帰還を遅れされるか。リュウトだけが戻って処分の撤回を求めると考えていたのだ。
しかし、アースラは最短時間で帰還してしまった。その所為でリュウトも事情聴取の対象とするという目論見は外れてしまう。
リュウトが今回の闇の書事件に直接関わっていないという事はカーライルも知っている。そうなれば事情聴取をするという建前でリュウトを拘束する事も出来ない。
或いはリンディたちに命令を下せる立場として事情聴取する事も出来るかもしれないが、手続き等がある以上、現在の状況ではそれも不可能だった。
局員に促されたリンディがリュウトに視線を送っても、彼は何の反応もしなかった。そんな彼を見て、リンディは諦めたような、悲しそうな表情をしながら局員に伴われて去っていった。
アースラの面々が武装局員に連れて行かれる様子を見ても、リュウトだけは無表情で立っていた。その姿を見たカーライルは、ついに笑いをこぼす。
「ミナセ提督、君は反抗しないのかね？ まあ、それが君の本音だろうね！？」
この若造は結局のところ、自分の隣に誰かがいないと動けないのだ、とカーライルは心の中で嘲っていた。そう、何らかの後ろ盾が無ければこの提督は動けないのだと。
「勘違いしないで頂きたい。私は管理局の決定に従っただけです」
だが、そんなカーライルの言葉を否定するかのようなことを告げた後、彼はカーライルの返答も聞かずにアースラクルーに背を向けて歩き出した。その後ろには静かにシグレも付き添っている。
「リュウトさん！」
なのはが必死に青年の名前を叫ぶ。しかしその悲痛の叫びにも、彼は答えようとしなかった。一度もこちらを振り向かずに歩いていく自分の上司に、なのはは少しだけ怒りが込み上げた。それはフェイトも同様のようで、リュウトの背中を彼女は睨み付けている。
そんな少女たちの視線を受けながら、リュウトは自身の執務室へと歩いていく。
だが、彼の顔を見た者がいれば気付いただろう。
その表情は、管理局にその人ありといわれる武人のものだったと。
リュウトは何一つ諦めてはいない。
彼は、自身が生き残った理由を失ってはいないのだ。
「シグレ、私が本局を離れてからの連中の動きを探りなさい」
艦船ドックからある程度離れた所で、リュウトは斜め後ろを歩いていたシグレに指示を出した。しかし、その命を受けたシグレの表情は冴えない。
「どうしました？」
リュウトが心配そうにシグレの顔を見る。だが、その次の瞬間にはシグレが動いていた。
「主殿…。私は、主殿が主殿だからこそ、お慕い申し上げているのです」
シグレが立ち止まり、そんなことを口にする。リュウトも足を止め、少し後ろの方で止まっているシグレを見つめる。
「ですが、最近の主殿はまるで自分から破滅に向かっているような気がしてなりません…」
この目の前にいる青年は、今までずっとこうした生き方をしてきた。自分が恨まれても自身の道は曲げない。それが他人の為でもそれは変わらないのだ。そんな彼だからこそ、そこに存在するだけで管理局の一部から疎まれ、嫌われたりもする。
「主殿はたとえ管理局が間違った判断を下していようとも、それに従います。ですがそれでは、あまりにも悲しすぎる…」
今回の件もそうだ。あくまで証拠を掴むまで彼は管理局に抵抗しようとはしない。ただ命令に従うだけだ。それが仲間の為になると信じている。
だがそれは、今の仲間に敵視される可能性もある。
今までの信頼を失う可能性もある。
「はやてさんが今の貴方様にとってどのような存在なのか、私には分かりません。ですが…」
ただ無言でこちらを見ているリュウトに目を向け、正面から彼女は自分の意見を言っていた。今までこんなことはなかったが、今彼に伝えておかなければ手遅れになってしまうのではないか、彼女はそう思ったのだ。
主こそが自身の全て。主の過去を知り、想いを知り、覚悟を知っているからこそ、この最愛の主人を失いたくはない。
「貴方様が斬れと仰られるならば、私は…」
そう、自分はリュウトの矛なのだ。
主が命令さえしてくれれば、どんな存在でも排除する。たとえ、今まで仲間として、友人として接してきた者だとしても、だ。
「…主殿。私ではお力になれませんか…？」
シグレはいつ泣いてもおかしくないような顔で、リュウトを見つめ続ける。これが自分の純粋な思いなのだと、シグレはその言葉に込めていた。もちろんそれが、自らの主に届くかはシグレには分からない。
「…私はすでに、自分の気持ちを整理したつもりです」
今まで黙っていたリュウトが、少しずつシグレに歩み寄る。
「ですがっ！ ですが…！」
近づいてくる青年の顔には、いつもの笑顔があった。だが彼女は知っている。この笑顔が本当の笑顔でないことを。彼の心の奥にある気持ちを、本当の想いを。
「私は、主殿に、リュウト様に心から笑ってほしい……」
作り物ではない笑顔。それをシグレは見たいと思った。リュウトの本当の笑みを、自分に向けてほしいと、何度も願った。
だがその想いを込めた言葉は、涙声になって聞き取る事は出来ない。
「…ありがとう、シグレ」
リュウトは自らの使い魔に礼を言った。だが、その顔にある笑みは、やはり心が伴わない作り物の笑みだった。
シグレはこれ以上話してしては自分が耐えられないと思ったのか、俯きながら後ろに数歩下がると、再びリュウトへ顔を向けた。そこには、武人のシグレがいた。
「では、私は調査に向かいます。緊急時の報告は、念話にてお知らせいたします」
「…ええ。いつもどおり、抜かりのないようにお願いします」
リュウトの言葉に返答すると、シグレはリュウトに背を向けて歩いていった。その背中を見ながら、リュウトは自分の顔を右手で覆う。
それはまるで、自分の顔を何かから隠すかのような仕草だった。
「私の心からの笑みですか…。シグレ、それが叶う前に、私は私で無くなっているかもしれません…。その時は―――」
そう呟いた後、リュウトは少し速い速度で無限書庫へと向かっていった。
「ちくしょう…ちくしょう…」
ヴィータは自分たちが閉じ込められている部屋のドアを小さな拳で何度も叩きながら、そう言っていた。自分たちは騎士なのに、主を守れないという自分への叱咤のように。
「ヴィータ、やめろ。お前がそんなことをしても状況は変わらない」
そんな騎士たちの将は、今もまだ冷静だった。隣席ではシャマルが何か考え込んでいる。彼女は元々この騎士たち、ヴォルケンリッターの参謀だ。こうした時には一番頼りになる存在でなければならない。
管理局に帰還する途中のアースラでは守護騎士たちも比較的大人しく過ごしていた。ヴィータも最初こそ暴れていたが、シグナムやシャマルに宥められているうちに大人しくなった。
だがそれは、管理局に着くまでにリュウトが何らかの対策を講じてくれるかもしれないという期待があったからだ。
しかし、それは叶わなかった。
それどころか、リュウトは積極的に管理局の決定に従っているようにさえ見える。
だからヴィータは一時も落ち着く事が出来ないでいるのだ。
「はやてちゃん…、本当に封印されちゃうのかな…」
シグナムたちの正面にあるソファーに座りながら、なのはは先ほどからずっと沈んでいた。それははやての事もあるが、リュウトの事もあった。
「リュウトさん…とても怖い顔をしてた」
怖い顔といっても、彼は無表情で居ただけだ。そして、いつもなのはたちを見つめる優しげな目ではなかった。
そう考えるなのはの耳に甲高い聞きなれた声が飛び込んできた。
その声でなのはの思考は中断されてしまう。
「ちょっと！ 変なとこ触んないでよ！！」
「触ってませんよ！？ いいから早く入ってください！ 私もバレると面倒な事になるんです」
ドアが開き、外からエイミィが押し込まれてくる。彼女は必要な資料を揃えるという名目で部屋の外に出て情報を集めていた。
この外に立っている警備員はレティ提督の部下であり、今のアースラの現状をよく知っていたから可能だったのだ。
「それで、どうでした？」
今まで黙って考え込んでいたシャマルがエイミィの方を見る。だが、エイミィは頭を振って答える。その内容はやはり最悪のものだった。
「本当みたいだね。はやてちゃんの封印の件は…」
与えられた時間は少しだった。そのためエイミィはあまり深く情報を知ることはできなかったが、それで得られた情報はあった。それははやての封印が事実だということだった。
「上層部の動きも調べてみようと思ったんだけど、さすがに時間が無くてさぁ」
後頭部を掻きながらエイミィはため息をつく。そんなエイミィの目の前にコーヒーカップが現れた。
「はい、エイミィ」
「ありがと、フェイトちゃん」
お盆を抱えながら、フェイトは手渡しでエイミィにカップを渡す。だが、中身は緑茶だった。そう、先ほど誰かから差し入れとして届けられた緑茶。
日本茶で使うような茶碗はこの部屋には無かった為、この部屋にあったカップで代用していたのだ。
しかし、カップの中を見たエイミィはその贈り主に瞬時に思い至った。
「あ、これって…」
それを届けにきたのは一般の局員だが、確かにそのお茶はリュウトの自室にあったものだった。
それだけで、付き合いの長いエイミィはリュウトの意図を掴みかけていた。
幼馴染は戦い続けているのだ。彼は、はやてを見捨てていない。
ならば、彼は今どこに居るだろうか。
―――無限書庫
「なのはちゃん！ ユーノ君ってどうしてる？」
「え、一度だけここに来て、その後は無限書庫に行くって…」
確かに、この部屋にユーノの姿無かった。彼はアースラが帰還して以来、無限書庫で情報収集を続けている。最初はなのはもついていく気だったようだが、それもこの状況では不可能だった。
その返答を聞き、エイミィはリュウトが独力で状況を打開しようとしていると確信した。
お茶を贈ってきたのは、おそらくその意思表示だろう。確信はないが、幼馴染としての勘がそう告げていた。
「くそっ！ 呑気に茶なんて届けやがって！」
だが、エイミィの内心とは裏腹にヴィータの怒りは消えなかった。今まで信頼できる奴だと思っていた青年が、実は自分たちの敵だったのだ。
少なくともヴィータはそう思っていた。
しかし、リュウトに対する憤りを吐露するヴィータに怒りの声が向けられた。
「ヴィータ！ いい加減にしろ！！」
今まで黙って様子を見ていたクロノがヴィータを怒鳴りつけたのだ。普段の彼とは違うその声を聞いてヴィータは一瞬怯んだが、すぐに反発する。
「うるせぇ！ はやてが封印されちまうんだぞ！ 地獄と一緒じゃねえか！！」
凍結封印は、その封印対象を生かしたまま封印する。そのため永遠に死ぬことは無い。だが、その封印対象の意識は半覚醒した状態で封印されるため、その暗闇の世界で永遠に生きなければならない。
はやてが意識を持っていなければ、リンカーコア内の闇の書が再び暴走するかもしれない。そういう恐怖が、上層部をそうした手段に走らせたのだろう。
「大丈夫だ、ミナセ提督が何とかしてくれる」
「なっ！！ あいつを信じろってのかよ！？」
「ああそうさ！ あの人は、約束は守ると言ったら守るんだ！」
「そんな事信じられるか！」
「信じろ！ リュウトは僕に嘘をついたことはない！」
クロノは以前からリュウトと過ごしてきた。そして、いつも彼はクロノにとって良い上司であり、兄だった。だからこそ、クロノはリュウトを信頼することができた。
それは守護騎士の将たるシグナムも同意見だった。
リュウトは自分たちに嘘をついた事はない。嘘になってしまう可能性があるときは、絶対に約束しない。ただ、努力すると言うだけだ。
だからこそ、リュウトは信頼できる。
シグナムはリュウトと以前、力という概念について話したことがあった。
魔導師や騎士は、大きな力を持っている。だが、それは強さと等しいわけではないという話だったはずだ。
そして、リュウトはそこで、自身の力に対する考え方をシグナムに話していた。
―――力を恐れるだけ者は、力を手に入れる事は出来ない。
―――力を恐れないだけ者は、力を御する事は出来ない。
―――力を恐れ、恐れない者が、真に力の主となる事が出来る。
シグナムはそう話すリュウトに、純粋に武人として尊敬の感情を抱いた。
この若さでその言葉を言える強さと、覚悟に彼女は心からの賞賛を送った。
そう告げるシグナムに、リュウトは照れ笑いを浮かべながら、自分が出来ているとは思えないけど、と言っていた。
あれだけの事を言える男だ。そう簡単に我らを裏切りはしない。もしも裏切るような事があれば、それは彼なりの信念に基づいての行動だろう。それならば、自分は彼と全力で戦う事が出来る。
そう考え、シグナムが二人の言い争いを仲裁しようとしたとき、シグナムではない凛とした声が二人の口論を遮った。
「クロノもヴィータさんも、少し冷静になりなさい」
奥の部屋からリンディがゆっくりと歩いてくる。
彼女は今までずっと職務を続けていた。この部屋に事実上軟禁されてはいたが、彼女の仕事が出来るよう、誰かが端末を置いておいてくれたのだ。
リンディはそのような気遣いをする人間を何人か知っているが、おそらくは一人の青年だろうと思っていた。彼が警備の人間に伝えて用意させたのだろう。
そして、レティも今回の件では特別な事は言ってこない。ただ、これからの予定を確認しただけだ。
リュウトをよく知っているレティが、リンディに何も言わないという事は、リュウトはおそらく自分たちの為に動いているに違いない。
レティにはおそらく監視がついている。だからこそ、彼女はリュウトについて何も言ってこなかったのだ。そう考えれば、自分のすべき事も自ずと見えてくる。
まずは、この場を収める事からだ。
「今はただ、信じて待つしかないわ。さぁ、二人ともお飲みなさい。美味しいわよ」
そのリンディの手には、二つのカップがあった。その中身は、やはりリュウトが届けてくれた緑茶だった。
「私は…まだあの人が何を考えて動いているのか、分からない」
少しずつお茶を飲み始めたヴィータに、フェイトは話しかける。先ほどまで、フェイトもヴィータと同じ気持ちだった。あの青年を信じていいのか、だめなのか。それが分からなかった。
「でも、なんとなくだけど大丈夫のような気がするの。なんとなく、だけど…」
それでも、フェイトは信じたかった。自分たちを、自分を救ってくれた、あの笑顔を。
半年間、自分の為に時間を作って会いに来てくれたリュウトに、自分は確かに助けられた。管理局に居るとき彼に会いに行くと、必ず笑顔で迎えてくれた。
闇の書事件のとき、なのはの見舞いにも何度も来ていた。魔法の制御を誤り、自身のリンカーコアが衰弱してしまったときのことも話してくれた。
考えれば考えるほど、リュウトが自分たちを裏切ってしまったのかどうか、分からなくなる。それは、自分がリュウトを信じているからだろうか。
「…うめぇじゃん、くそ…！」
そんな話を聞きながら、ヴィータは緑茶が自分の考えていた以上に美味だったことに、少し驚いていた。
淹れる人間が違うのに、確かにそれはかの青年が笑顔で出してくれたお茶と同じ気がした。
執務室に遊びに行く度に、お茶菓子と美味しいお茶を出してくれた。
仕事で忙しいのに、自分のつまらない世間話に付き合ってくれた。
訓練中に施設を壊してしまったときも、謝る自分の頭を黙って撫でてくれた。
リュウトは自分たちを認めてくれていた。だからこそ、リュウトが自分たちの敵なのか分からないのだ。
だが、少しは信じてもいいかもしれない。
はやてはまだ、封印されたわけではない。
だったら、ここで英気を養うべきだろう。リュウトを殴るにしても、その力を蓄えなくてはならない。
「…おかわり」
ヴィータはそう言って、リンディにお茶のお代わりを求めた。
「しっかしまあ、ユーノ君も大変だねぇ。今も情報集めてるんでしょ？」
エイミィが、やっと静まった部屋で話題の転換を図ろうと殊更明るい口調で話し始める。その言葉にクロノもお茶を飲みながら頷く。
「無限書庫の情報は当てになるからな。頑張って鍵のことを調べてもらわなければ、この件が終わった後の仕事に響く」
クロノはリュウトが裏切ったなど考えてもいない。日頃冷静な彼だが、リュウトの事に関しては頑なまでに兄弟子を信じていた。
自身よりも努力を欠かさず、ただひたすらに目標に向かって進む。
クロノはそんなリュウトに憧れていた。だから、ヴィータの言葉が許せなかったのだ。
「そうね。でもユーノ君、大丈夫かしら…」
「そう、だな…」
「無限書庫って言っても、探すのは人間だし」
リンディとクロノの言葉に、黙ってお茶を啜っていたアルフがそう呟く。無限書庫に入ったことがある彼女からしてみれば、ユーノの苦労がよく分かるだろう。
しかし、ここで放棄することは出来ない。
リュウトを信じているのなら、先を見続ける必要があるのだ。
「ええと、これがこれで、あとは…」
「あ、あとこっちもですよ」
「おっと、そうでしたね。ありがとう」
無限書庫の中で、今二人の男が書庫に収められた資料を相手に格闘していた。一人はリュウト・ミナセ、もう一人は司書のユーノ・スクライアだった。
「なんとなくですけど、情報が繋がってきましたね」
今まで情報を集めていたリュウトたちは、やっと鍵についてのことを把握し始めていた。そして、その鍵の本来の目的もまた、明らかになり始めた。
「ですが、今分かっているだけの情報でもあの鍵がどれだけ危険なものか分かります。仮に鍵が迷走を続ければ、被害は拡大するばかりですし…」
「―――いえ、もしかしたらもう遅いのかもしれません」
ポツリと告げられた言葉に思わずユーノの顔が強張る。そのリュウトの言葉が本当なら、はやての件で揉めている場合ではない。
「今まで管理局があの鍵に対して行った調査と研究、そして鍵の消失。恐らくは研究の実験か何かの影響で、鍵が本来の機能を維持できなくなっているのでしょうね。でなければ、研究ブロックが共に消えることなど、まず有り得ない」
今までまとめた資料を見ながら、リュウトは涼しげな顔で話す。だが、隣にいるユーノは顔を引き攣らせたままだ。
管理局が鍵に何を求めているのか、リュウトは既に知っていた。
瞬時に全ての世界への扉を開ける鍵の特性を、自分たちの力としたかったのだ。
時間差無しで戦力を投入できる意味は大きい。しかも、同時に複数の世界に通じるルートを確保できれば、次元世界での超高速交通網を確立できる。
それを管理局は求めていたのだ。
だが、それは一部の上層部の行動だった。はやて封印に動いた一派閥とは別の一派が、自分たちの権勢を拡大するべく、ロストロギアの危険性を無視して今回の件を推し進めた。
結果は鍵の消失とそれに伴う混乱。
これで、鍵の利用など出来るものではないと、分かった事だろう。
バカな事をしたものだと、リュウトは内心嘆息していた。
研究施設の職員は彼らの権力欲の犠牲者というべきだろう。しかも、その犠牲はさらに増える可能性がある。
鍵が本来の目的が明確になれば、その対処も可能になるのだが、それには至っていない。
理由は分からないが、鍵が造られた当時の資料が無限書庫にもそれほど無いのだ。
何かを封印しているようでもあるが、それでは鍵の用途と一致しない。
扉を開く。鍵の用途はそれのはずだ。
だからこそ、鍵は全ての世界への扉を開く事が出来る。
しかし、何かが間違っているような気もする。
管理局の認識と、鍵の存在理由に決定的な差異がある気がしてならない。
「暴走、と言えばいいんでしょうか。鍵の力が、鍵の制御力よりも上回っている。そして、鍵は必死に機能を維持しようとし、力の制御が出来なくなり始めている」
「じゃあ…まさか、もう！？」
ユーノはリュウトの顔を見る。そして、ユーノの視線の先でリュウトは静かに頷いた。ユーノの言葉を肯定したのだ。
そこまで話したとき、リュウトの脳裏に一つの思念が入ってくる。それは調査を命じていたシグレからの念話だった。
『主殿、すぐにこちらにお越しください。至急、お見せしたいものが…』
『分かりました、そちらで待機していてください』
『は…』
短いやり取りを交わして、リュウトはユーノに今まで自分の持っていた資料を渡す。
「これを早めに整理しておいてください。私はそろそろ…」
ユーノはハッキリと「はい」と答える。それを見てリュウトは笑みをこぼすと、シグレの待つ部屋へと向かった。
管理局は途轍もない化け物を呼び起こしてしまったのかもしれない…そう思いながら、リュウトは通路を歩く。
だが、今は自分に出来る事をするしかない。
「主殿、お待ちしておりました」
リュウトがその部屋に着いたとき、シグレはすでに部屋の中で直立不動の姿勢で待っていた。
「それで、見せたいものとは？」
リュウトはそんな彼女の仕草を見て少しだけため息をつくと、すぐに本題に入る。シグレに頼んだのは管理局上層部の最近の動向の調査。
こうして直接呼ばれたという事は、何か重大なことが分かったという事だろう。
「これです。かなり念入りに隠蔽されていましたが…」
リュウトは入り口から中に入り、その部屋―――情報統括室の大型モニターを見る。そこには上層部の一派閥とそれに関わる者たちの最近の行動が細かく記されていた。
そして、その中に一つだけ明らかに他と違うものがあった。
それはある団体に所属する被害者遺族たちの動向。そして、リュウトの知る限りでは上層部にもその団体の人間はいる。
その団体が、ここ最近管理局に対して異常ともいえる行動に出ているのだ。
「これは…。彼らはここまであの子を消したいのか？」
その画面の横に書かれている文字を読み、リュウトは目を細める。その記された内容は、本来彼らが、管理局員ですらない彼らが知るはずも無いものだった。
「…これで、この騒動も終わりそうですね」
そう確信したリュウトは、今から始まる会議での反撃を誓った。
管理局での騒動など関係ないとでもいうように、次元世界の裏側で蠢くものがあった。
―――“それ”は古の夢。
―――“それ”は古の傷。
―――“それ”は古の墓。
―――“それ”は古の声。
―――“それ”は古の力。
―――“それ”は古の業。
人が人である限り、目覚めは定められたもの。
―――“それ”は目覚めようと身を捩じらせていた。
それが、人々の目に触れることになるまで、時間は僅かしか残されていない。
―――“それ”は目覚めようとしていた。
声を上げ、この世界に出でようとしていた。
―――ああ…わたしは………
第五話につづく
〜あとがき〜
皆さんこんにちは、悠乃丞です。
やってしまいました。本来なら第四話で会議のシーンを終わらせる予定だったのに、一話延長です。おのれカーライル…。
なので、もう一話多くお付き合いください。というか、後何話で終わるんだろうか第二章…。
不安になりつつも、気合で書いてます。
そして、書いている途中で気付いた事。
アルフの存在を忘れてた…（ぉ
マリーすら出てるのに…。
レティさんもちょこっと出てるのに…。
いや、大体はフェイトと一緒に居たんですけどね。書き忘れただけで（？！
フェイトの使い魔で、一期、二期と活躍していたアルフをユーノ以上に忘れていました。
仕方がないので、アルフで短編でも書こうかなと思っています。もちろん、第二章が終わってからですが…。
さて、次回ははやてを救うべく、リュウト君が頑張ります。
そして、ついに動き出す真の敵。
リュウトとはやて、そしてなのは達の運命や如何に！
………。
やっとここまで来たよおっかさん…。寝てもいいかい親父殿…（ぶち壊し
気を取り直して、アニメ第三期も随分明らかになってきましたが、きっと見れないんだろうな…。武装隊って独自の階級かよと叫んだのは秘密です。まあ、今のところは関係ないんですけどね。
でも、デバイスはカッコイイなぁと思ったり思わなかったりです。
それでは皆様、次回のお話で会いましょう。