「おじいちゃん、どこへいくの?」




  幼い錬は自分と手をつないだ刀冶へとそう問いかけた。

 疑う事を知らない、純粋な善意のみを信じる子供。

 それに対してなんと自分は醜いのか、一瞬刀冶はそんな事を考えてしまう。




 (ちがう、これはしかたない事…)




  そんな免罪符を心の中で呟きながらも、それは効果をなす事は無い。

 一度考え出してしまえば、考えるほどやってはいけない事をしようとしている気がした。

 錬はそんな刀冶の苦しみなど知らず、ただ単に刀冶と外出するという事に喜んでいる。

 そしてそんな錬をその年齢に似合わない慈愛の目で見つめる子供。




 「行くぞ」

 「はい、刀冶おじさん」




  無機質な機械を思わせる冷たい声。

 それは思わずこれから刀冶のする事を知っており、それを非難しているような声である。

 少なくとも刀冶にはそのように聞こえた。




 「わしを、憎んでいるか?」

 「いいえ」




  刀冶の問いを冷たくあしらい、少女は刀冶より先に歩き出した。

 その足のりはまるでこれから散歩するかのように自然に見える。

 先に何が待っているのか、知っているはずなのに。




 「おじいちゃん、行っちゃうよ」

 「ああ、それじゃ行こうか錬」

 「うん!」




  錬は覚えたばかりのアニメの歌を歌いながら刀冶の手を引っ張って歩き出す。

 その何の迷いの無い無邪気な笑顔を見て、心底自分が外道だと、刀冶は思った。








 










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                縁の指輪 
    四の指輪 二刻目 人形使いの策



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 「弘平さん一体やられましたね、コリャ」




  そんなことを呟きながらその弘平は道を進んでいた。

 人通りが多い道なので目立つ事を避けているのなら攻撃をしてきたとしても行動が制限されると思ったからである。

  道を進みながら、繋がった回路にてダミーの内一体の完全破壊を確認し、次のターゲットが自分だと判断する。

 なにせ破壊された弘平は今、この弘平が進んでいるルートと同じ長さのルートを進んでいた個体なのだから。

 懐に入れた手は無意識の内に月文字の刃の柄を強く握り締める。

  冷や汗が頬を伝って流れる中、ふいに殺気を感じて弘平は横へ飛ぶ。

 そのすこし眼前を何かが走り、運悪くその先にいた男性をビルの壁へと縫い付けた。




 「来たか―――!?」




  飛んできたものの正体は何の変哲も無いベンチだった。

 どこかの公園からもってきたと思われるそれは、破壊された人体と混ざり合い、見たものの精神を狂気へと走らせる危険なオブジェと化している。

 むろんベンチが高速で飛んでくるなど自然でありえるはずが無い。

 周囲を見回した弘平の目が、ニヤニヤ笑ってこちらを見下ろしている少年のそれとあった。

  実際に今の攻撃は当てる気がそもそも無かった。

 少年にとってこの攻撃は弘平への攻撃では無く、それを名前を借りた単なるストレス解消の遊び。

 自分の作り出した芸術作品を見て驚き、作り出した自分を見つけた弘平の呆然とした表情。

 それらが少年にとって最高に面白いジョークであった。

  それに目立つなと命令されていても、それを攻撃という事にしておけば誤魔化せると考えたのである。

 現に攻撃としては失敗だったが、変わりに最高に愉快な遊びと変じてくれたのだ。

 少年はそれで自分を焼いていた憤怒がすこしだけ和らいだ気がした。




 「く―――!」




  怒りでどうにかなってしまいそうな心を静めながら弘平は人通りの無い道へと駆け出した。

 すこし遅れてやっと正気を取り戻した人々の悲鳴が聞こえてくる。

 その悲鳴を背中に弘平は駆け出していく。

  ふと弘平は違和感を覚え、走りながら周囲を見渡した。

 突然悲鳴が聞こえなくなり人影も皆無となっている。

 それに、走っても走ってもこの道を抜ける事ができない。




 「ようこそ」




  いつのまにか道の先に、あの少年が立っていた。

 先回りされたわけではなく、空間が歪められ弘平が少年の方へと走らされていたのである。

 弘平はナイフを振るいルーンを刻む。




 「イーサ!」




  少年に向けて何本もの氷の柱、いやその先端の鋭さからもはや槍といってもよいそれが襲い掛かる。

 だがその攻撃は少年の腕の一振り、それに追随する破壊の衝撃に粉砕されてしまった。

 嘲りの笑い声が響く。




 「馬ッ鹿じゃねぇ。 こんなん効くかよ、すこしは考えろよ馬ぁ鹿」

 「うわ本当の馬鹿に言われてしまいました、ショックですガーン」




  相変わらずの軽口、だがその中の緊張は誤魔化せない。

 圧倒的、そんな言葉がそっくりそのまま当てはまるほどの絶対的な力の差。

 しかしここまではうまくいっている、それがこの弘平の唯一の救いだった。

  手に取った魔剣の刀身を掴み、それを曲げる。

 ゆっくりと融けた飴細工のように魔剣は変形し、一振りの杖に変じた。

 “魔法使いの杖”、そんな名前が似合う不思議な雰囲気を持つ杖。

 その杖を振るって弘平は少年に向き合った。




 「立ち向かってくるって事は、お前もダミーかよ。 いいかげんうんざりなんだよ無意味なんだよゴミなんだよ、この屑!」

 「餓鬼に言われたくありません〜ってね」




  杖を一振り、その先端が壁にぶつかって音を響かせる。

 濁った破砕音では無く、音叉のように澄んで美しい音。

 音はそのまま杖に宿ってその澄んだ音を鳴らし続ける。

 間違いなく何らかの力を持った武器へと杖は変化した。




 「ダミーのくせに一体一体変わった武器を持ってるな」

 「全く同じだと面白みが無いですから♪」




  弘平はまるでその杖をゴルフバットのように振るった。

 そして杖より放たれる音衝撃波が少年へとその牙を向ける。

 だがその音の攻撃は少年の展開した障壁に阻まれ手傷一つ負わせる事ができず拡散。

  笑みを浮かべる少年、だがそれよりも深い笑みを弘平が浮かべていた。

 拡散した衝撃で砕かれ、落下してくるビルの壁。

 次の瞬間には少年は全方位から跳ね返ってきた音衝撃波に殴られていた。




 「なに―――!?」

 「反射と共鳴、忘れちゃいけませんねぇ。 やっぱり理科は大事ですエッヘン」




  なんてことは無い、砕け散った瓦礫。

 それに音衝撃波が反射、さらに共鳴現象を起こし威力をあげて少年へと牙を向いたのだ。

 持つ魔法使いの笛はこのような密集した地形でこそ真価を発揮する武器なのである。

  殴られた時に飛び散った瓦礫の一部で切ったのか、少年の額からは止まる事無く血が流れ出している。

 それがゆっくりと流れて口まで血がたどり着く、それを少年が舌で舐めとった。

 顔は無表情、だがそれが嵐の前の静けさであることなどすぐに分かる事。

 弘平の予想通り、次の瞬間には少年の顔は憤怒一色に染まっていた。




 「死んで腐れこのゴミがァアアアァァァァア!」

 「沸点低すぎ」




  少年が走り始めるより早く、弘平は杖を二回振るう。

 二重の音衝撃波が瓦礫と共鳴し増幅しながら走る。

 少年のそれに対して何もせずそのまま突っ込んでいく。

  今度は全方位からの攻撃を想定して張り巡らされた障壁が、音衝撃波を相殺。

 弘平が攻撃の無意味を知ったとき、すでにその首が掴まれていた。




 「Amen(アーメン)」




  力を込められた腕は、あっけなくその首を握りつぶした。

 支えを失い地面に落ちる頭部、それに右足を乗せてからゆっくりと深呼吸。

 その後に足を上げてから一気にたたき下ろした。

  嫌な音を立てて、それは砕け散って中身を地面に撒き散らす。

 その凄惨な光景の中、少年は血を舐めながら呟く。




 「あと一匹………」











  山道はけっして平坦な道ではなかった。

 ある程度は草木が取り除かれて道らしきものは確かに存在はしている。

 たがそれは周囲と比べても注意して見なければ分からない程度。

  綾美はそんな道をかなりの速度で進む錬を見て、ちゃんと道を進んでいるのか心配になった。

 少なくとも錬はそんな注意をしながら進んでいるとは思えない。

 それなのに何の迷いも無くスタスタと進んでいるのだ。

 昼間で本調子ではないとはいえ吸血鬼である綾美ですら見失わないでいるのが精一杯である。

 最近本当に錬が人間なのか分からなくなってきた。




 「綾美、遅れてるぞ」

 「錬が速すぎるのよ!」




  自覚が全く無い錬の言葉に思わず声を荒くして綾美は叫んだ。

 その綾美の言葉でやっと彼は綾美が追いつけないほど自分が速く進んでいる事に気づく。

 錬は驚きながら綾美へと問いかける。




 「そんなに速すぎた?」

 「見て分かるでしょうが!」

 「いや、山歩きとかって刀冶おじいちゃんの家に居た時に皆で一緒に……… あれ?」




  その言葉に違和感を覚えたのは錬だった。

 皆、しかし刀冶と自分だけなら二人で一緒にと言ったはずだ。

 なのに、彼の口を割って出た言葉はそれとは違っている。

 それはまるで錬と刀冶以外に誰かがいたみたいに。




 「……………」

 「錬?」




  急に黙り、何かを考え始めた錬に不思議そうな顔をして綾美が話しかける。

 その顔を見て錬はふと正気に戻った。




 「なんでもない、それよりそろそろ着くはずだ」

 「こんなに辺鄙な場所にある神社なんて、どう考えても怪しいですね」

 「まあ大体はそんなもんだろう」




  錬は行こうとする神社が山奥に有る事に何か理由があると確信していた。

 神社があると知っていてもこんな辺鄙な場所では誰も来ないだろう。

 絶対にこの先の神社は何かある、それは確実だ。

  綾美が息を切らしながら待っていた錬に追いつき休憩に入った。

 錬はまだまだ余裕があったがこれ以上は綾美の方が持たない。

 人間じゃない綾美が先にへばってどうするんだ、と錬は思いつつもすこしだけ先に進んで周囲を見渡した。

 それで何も無いと確認した後、綾美の所へと戻ろうとする。

  その時、石に座って水を飲んでいる綾美を見たとき、錬の脳裏に何かが横切った。

 弓を持った巫女が、石に座って水を飲んでいる。

 “彼女もこんなふうに山歩きが苦手で、すぐに休んでいたよな”と頭の中で言葉が浮かぶ。

 まるで――― 昔あった光景を、もう一度見ているようで。




 「デジャヴュか?」




  呟きながら錬は目頭を押さえて頭を振るった。

 その見た光景を無理やり払ってもう一度綾美を見る。

 綾美が錬を心配そうに見上げている。

 それに錬はなぜか寂しさを覚えていた。




 「どうしたの錬?」

 「いや……… なんでも、無い」

 「ふぅん… ならいいんだけどねぇ」

 『―――!?』




  錬と綾美はその声に驚愕し、その声の方へ同時に顔をむける。

 そこには漆黒の少年が最初からいたかのように立っていた。

 間違いなくさきほどまで誰も居なかったはずの場所に。

  その少年を見て、錬はさらに驚いた。

 彼は以前、錬が衝動に負けて襲い掛かり、返り討ちにあった少年なのだ。

 その名前を、“黒の魔王”白見裕也と言う。




 「おひさ、前はお世話のなりました」

 「あの時は―――」

 「ああ気にしないで、その眼を持ってるんなら仕方ないって」




  罪の意識を感じている錬に、白見は気楽な口調で言う。

 実際に白見にとってあのような事、日常茶飯事なので別に気にする事ではないのだ。

 初めてあう綾美はきょとんとした顔で白見を見ていた。




 「でもすこしでも罪悪感とかあるなら手伝って欲しいんだ、一人じゃどんなに頑張ってもこの先の神社には入れないんでね」

 「え?」

 「まさか君もこの先の神社へ!?」

 「もしかして君達も?」




  白見は驚く錬達を見て、楽しそうに笑みを浮かべた。











  最後のルートは大回りの上、山道なのでかなりきつい道のりだ。

 だからこそこのルートが敵の予想外の道だと思い、弘平はその道を進んでいる。

 他の二機が破壊された事を知るよりも早く、自分の出せる最大の速度で道を進む。

 囮が全滅するよりも早く少しでも先に進まなければならないのだ。

 焦燥が弘平を身を焦がす。

  二機目が破壊されてもう数十分は経とうとしている。

 敵の速度から考えてももう残り時間は皆無といっても良い。

  ふいに弘平は立ち止まって上を見上げる。

 彼の視線の先にある木、その枝の一本にあの少年が腰掛けて弘平を見下ろしていた。




 「よ、最後の弘平クン」

 「死に底無いの悪夢ごときが」




  自分の持てるかぎりの侮蔑を言葉に乗せて少年を呪う。

 その呪いの言葉に少年は顔に悪意で醜く歪んだ笑みを浮かべた。




 「へぇ、オレ達の事知ってんだ」

 「当然、聖十字はお前ら世界の汚毒どもから世界を守るために『K』が作り出したのだから!」



  それだけ叫ぶと弘平は両手を合わせた後、その手を地面にたたきつけた。

 土が容を変え、性質すら変質し、一瞬で“月文字の刃”へと組みあがった。

  その能力の名前を少年は知っていた。

 戦術錬金、本来ならゆっくりと時間をかけて物質を自分の思いのままの物に変える錬金術。

 だがあまりにもゆっくりであるため戦闘に使えないそれを、蒼が己の術を使い強引に高速化、戦闘に使えるように鍛えた術だ。

 さすがに鉛を一瞬で黄金に変えることはできないが、土を武器に変えることなどたやすい。




 「蒼の魔法使いか……… て、ことはお前がオリジナルか」

 「さぁね、自分で試してくださいと提案しまぁす」




  月文字の刃が、今までの二人など話にならない速度で振るわれる。

 もはや彼自身の言葉にてそれを起爆させる必要が無い。

  不可視の力が襲い来る前に少年は空に飛翔していた。

 少年に弘平が左手を向ける、その何気ない動作に恐怖を感じて少年は障壁を張る。

 弘平の左手から一枚の紙が飛び出し、それは自ら自分を折り鶴の形をなす。

 それは激烈な勢いで飛び、少年を障壁ごと打ち据えた。




 「式神“闇喰いの鳥”、コイツの力は防御を貫通しますよ」

 「この餓鬼ィィイイイイイイイイ」

 「るせぇよ馬鹿が!」




  弘平の口調がガラリと代わり、敵意に溢れた乱暴な言葉に変わった。

 魔剣が空中からにじむように現れて弘平の右手がそれを掴んだ。

 一瞬でそれは杖に変形し弘平自身の足音を共鳴させて音を鳴らし始める。

 左手に“月文字の刃”、右手に“魔法使いの杖”、今までの偽者とは絶対的な差がそこにあった。




 「吹き飛べ、死に底無い!」

 「チッ!」




  少年は“闇喰いの鳥”を避けるのが精一杯でそれを避ける事ができなかった。

 鳴り響く音は木々と共鳴し絶大な破壊力を発揮。

 少年ごと周囲を吹き飛ばした。




 「いや、まだだ」




  効果を確認するより早く、弘平は逃走に入った。

 この程度の攻撃で倒せるような奴なら、もうとっくの昔に誰かに倒されているだろう。

 自分では絶対に勝てない相手と知っているゆえに彼には逃げるしか選択肢はないのだ。

  そのすぐ後に少年が爆心地の中心で立ち上がった。

 あの衝撃と破壊の中、傷どころか服に汚れ一つついていない。

 ゆっくりと深呼吸してから、少年はクレーターの中から歩いて抜け出した。

 そして周りを見渡して弘平の逃げた方向を探る。




 「たく逃げ足だけはいいじゃん」




  楽しげに呟く。




 「やっぱ狩りっていうのは獲物にもそれなりの実力が無いと、な」




  憤怒に代わり笑みを浮かべて少年は駆け出した。











  神社は、もはや別の世界と思ってしまうほどの静寂に包まれていた。

 実際にはなぜか夏でもないのに蝉の声や、木々が風に揺られて起きる音がある。

 しかしそれでもそれが騒がしいとは思えない場所だった。




 「やっぱりね、本当に簡単な解除条件だよ、本当」




  白見は神社に入った後、そう呟いた。




 「解除条件?」

 「ああ、この神社には魔王ですら壊せない結界が張られていたのさ」

 「そんなもの、感じませんでしたけど?」




  錬と綾美が彼の言った事に驚く。

 実際に三人は何の妨害を受ける事無く、らくらくと神社に入ってこれた。

 今まで苦労していた白見が馬鹿に思えてしまうほどに。




 「隠蔽能力も絶大だよ、なのに突破するのだけは簡単なんだ。
  なにせ“神社に入る目的が違う者が三人以上、一緒に来る”というのがこの結界の突破方法」

 「はい?」

 「よく考えたもんだね、確かに二人なら利害の一致とかでありえそうだけど三人はそううまくいかないさ。
  それにこんな寂れた神社に来る理由は“アレ”だけだろうしそれを狙ってくる以上、この結界は越えることができない。
  考えたのは彼だけど、本当によく考えてるよ」




  単純、なのにそう簡単に入る事ができない条件。

 錬はこの神社に記憶の手がかりを、綾美はその護衛を、そして白見は“それ”を求めて。

 三人は三人とも、全く別の目的を持ってこの神社に来たのだ。

 それこそが結界を無力化した。




 「さてと、それじゃさっそく俺は御神体こと“天麒輪”をゲットしてきますか」

 「てん、きりん?」




  その名前を聞いた時、ずきりと錬の頭に痛みが走った。

 何かを思い出そうとしているのに、それを無理に忘れている。

 その矛盾がそのまま痛みになって錬に襲ってきたのだ。




 「うん、天麒輪の事知ってるの?」

 「………聞いた事が、ある。 なのに、記憶に無い」

 「は?」




  錬のポツリと呟く事は白見には分からなかった。

 しかしそれが深刻な響きを持っていることはすぐに分かる。

  そして錬は当然膝を折り、その場に四つんばいになった。

 呼吸ができないように苦しみ、頭を抱え込む。

 それに真っ先に反応したのは言うまでも無く綾美だった。




 「錬しっかりして!」

 「記憶操作、しかしこんな強力なのは…」




  苦しむ錬を見て白見は呟いた。

 この錬の症状は彼にとってよくみなれたものだ。

 強引に消えたように偽装された記憶に気づいてしまい、それにより受けるダメージ。

 記憶操作された人間がそれに気づいたとき起きる症状。

  白見は苦しむ錬に近づき、膝をついて彼の頭に手をかざす。

 それを心配そうにみる綾美に大丈夫と手で表現して、記憶操作を解除しようとして―――




 「駄目よ、その記憶は彼自身で回収しないといけないのだから」




  艶やかな女の声。

 それに反応して白見はとっさに腕をかざす。

 腕に矢が掠り、血が飛んだのはその瞬間だった。

  驚く綾美をよそに白見は矢の飛んできた先を向く。

 その先には奇怪な服装をした女がいた、

 スカートにセーター、そしてその上に着込んだ皮ジャンパー。

  錬が痛みに耐えながらゆっくりと顔を上げた。

 白見が顔を驚きに染めて、その女性をにらみつけた。

 その女性を眼にして錬は驚きが隠せない。

 なぜならその女性は―――

  彼らは同時にその女性の名前を呼んだ。

 錬と白見は互いに叫んでいたが、それに秘められた感情は全くの別だった。




 「昼夜姉さん!」

 「荒神昼夜!?」











 「はぁはぁはぁ………」




  もはや限界だった。

 常人離れした体力を持っている弘平でも全力疾走をそうそう何時までも続けられるわけが無い。

 荒い息をつきながら彼は木の幹に背中を預けた。

 もちろん前のダミーのような事が無いように確認してからである。




 「大した距離はとってない、目的地まであと数回は交戦するんだろうなぁ嫌になりますねホント」




  今更最短ルートを使用しなかったことを悔やんだ。

 ダミーが二体居るのだからそれを弾除けにすればもしかしたら突破できたかもしれない。




 「いや、無理ですよ弘平さんでもそれは、無・理」




  そういいつつ弘平は今回持ってきた取って置きを懐から取り出した。

 ヴァンデッタU。

 フォルサー・カンパニーの開発した対怪物用拳銃シリーズのひとつである。

 全長30p、装弾数5、今までの専用弾しか使えなかったヴァンデッタとは違い、454カスール弾を改造した弾薬を使用する。

 弾丸そのものに儀礼などを施さず、砲身内のライフリングに聖句などが刻まれ、放った弾丸一発一発に儀礼を全自動で施す。

 今までのあまりにも高価で使用が限定されたヴァンデッタシリーズ。

 それを乗り越えてこれからの対怪物用拳銃のベースとなる事となった、まさに最新鋭の武器である。

  今回、弘平はこのヴァンデッタUの先行量産型の一つを『K』からじきじきに渡されていた。

 弾丸は最初の5発だけだが、『K』が製作した“ヤツラ”専用の弾丸が用意されている。

 鬼や吸血鬼などの人外が使うならこの拳銃は軽い。

 しかし人間の弘平ではこのクラスの拳銃を使うのが精一杯だった。

 今までのヴァンデッタなら使用すらできない。




 「肉弾戦は嫌なんです、いやマジで」




  ヴァンデッタUを両手で構えて弘平は歩き出した。

 走れないわけではないが、もう追いつかれている事が実感としてあるからだ。

 それなら無理をして体力を消耗するより、最初の一撃に備えるほうがいいだろう。

 だがその予想は裏切られた。




 「こんにちわぁ」

 「こんにちわ、弘平さん的にはもう二度と会いたくなかったです」




  堂々と少年は道の先にある切り株に腰掛けてこっちを待っていた。

 弘平は彼に慎重に銃口の先を向ける。

 そのヴァンデッタを見て少年は口笛を吹いた。




 「いい銃もってんじゃん」

 「弾丸もいいのですよ、味わってくださいな、死ぬまで存分に」




  大きな銃声、反動も大きく弘平の手は大きく腕に跳ね上がった。

 しかし体が勝手に射撃姿勢をとるほど行なってきた射撃訓練のおかげかその弾丸は少年に外れる事無く命中。

 そして少年は硝子細工のように木っ端微塵に砕け散る。

 そんなありえない破壊の姿を見て弘平はまずいと思った。

  弘平の首に後ろから手がかけられる。

 そして足が後ろから激烈な一撃を喰らって叩き折られた。

 足が折られて弘平は地面に四つんばいになる。

 その背中に足が叩き込まれ、弘平は倒れ伏せた。




 「いいできだろう、屑」

 「十八番が……… とられちゃったんですか」

 「あぁ、偽者使いを殺すのに偽者を使おうって考えてたんだ」




  心底楽しそうに、本物の少年が言う。

 弘平は武器を呼ぼうとするが、それより早く伸ばした右腕が振り下ろされた足で粉砕される。




 「がァ… あ」

 「この糞野郎、唯で死ねると思うなぁ……… ぐずぐずの肉塊にして親が見たら吐く様な姿にしてやる!」




  何度も何度も足が振り下ろされた。

 左腕が踏み抜かれ、背骨が叩き折られ、肺がつぶれ肉がつぶれ血が飛び散り、どんどん原形をとどめないほど破壊されていく。




 「クァハハハハハ、アァァァハハハハハハハハ、ヒヒ、クヒヒ、クヒィィハハハハハハハ、やぁぁぁぁハァアアアアア!」




  醜い笑い声がやっと終わり、少年は怒りに任せての処刑を終えた。

 そこにはもはや死体とは到底思えない単なる肉の塊しかない。




 「いいざまだ、僕を馬鹿にするからだ!」




  高笑いを数分ほど続けて、やっと彼の笑いの衝動が収まった。

 そして彼は今度こそ“あれ”を手に入れようと少年は彼の遺体へと手を伸ばして、気づく。

 この弘平はどこに“あれ”を持っていたのだろう。

  思えば他の弘平もスーツケースをもっていなかった。

 あのとき殺した弘平だけが“あれ”の輸送のためのケースを持っていた。

 この弘平は何も持っていない。




 「え…… まさか」




  彼は肉塊に手を突っ込み、強引に中を調べた。

 そして硬い金属の感触を見つけ、それを取り出す。

 それには、こう掘り込まれていた。

 ―――製造番号03番。




 「あァァァアアァァァアァァア!?」




  すぐに感覚を広げる、その感覚はすぐに最短ルートを走る弘平を捕らえてた。

 やっと弘平の作戦が少年にも分かった。

 なぜすぐに弘平は移動を開始しなかったのか、それこそが答えだったのである。











 「やった、やったぞ、やったぞ弘平!」




  最高速度で疾走しながら、弘平はそう呟き続けている。

 たしかにあの時に弘平のダミーは二つしか残っていなかった。

 だから彼は前に展開していたダミーを次の列車にて自分に追いつかせたのだ。

 そして三体のダミーを展開して、自分は自身に施せる最大の隠蔽を行なう。

  ダミーはどれも捨て駒だったのだ。

 二つのルートを進む弘平は最後の弘平が本物と思わせるための芝居。

 彼らの破壊により最後の弘平が本物という可能性を少年に思い込ませるために展開されていたのだ。

 そのために遠回りする弘平はダミーの中でも最高の武装を施した特別製にして、他のダミーよりはるかに本物っぽくした。

  今、その芝居は彼の道を開いていた。

 あの遠回りの道からではこの最短ルートに追いつくのは不可能だ。




 「やったぜ弘平!」











  少年はもう一度、コートの翼を広げた。

 心中は抑えきれないほどの怒りが支配していたが、数少ない冷静な部分がある事実を少年に告げている。

 追いつける、と。




 「今までのが最大速度だと思ってたんなら、馬鹿餓鬼だ!」




  そう、いままでの高速の移動も彼にとっては朝飯前程度の速度だったのだ。

 彼は仲間の内でもその身体能力は群を抜いている。

 弘平との距離ですら、本気の彼ならものの数分でたどり着けるのだ。




 「今から会いに行く、君が絶望する顔を見るために!」




  少年は駆け出す。

 助走をつけて、翼を広げて、飛びたつ―――

 その瞬間にその足を氷のように冷たい腕が捉えていた。




 「―――へ?」

 「反応が、鈍い!」




  その腕を始点に少年の体が回転した。

 飛び立つ力はそのまま、少年を地面に叩きつける力と変わる。

 地面に全身を叩きつけて、数メートル吹き飛んだ。

  自分を攻撃してきた者の姿を、少年は一瞬の間に捉えていた。

 首の位置で切られた薄青色の髪、冷めるような藍色の瞳。

 そしてその者が着込んでいる黒いコート、聖十字の聖十字派遣隊の制服。




 「おまえは―――」

 「始めまして、トロメア」




  その女性は倒れこんでいる少年、トロメアを冷めた目で見下ろしていた。

 トロメアが咆哮する。




 「フェンリ=アレクシア!」




  聖十字の切り札たる女がそこに居た。









次回 縁の指輪 
四の指輪 三刻目 白の陣(魔王の結界)/氷狼の歌(レプリカ・コキュートス)












作者蒼夜光耶さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル掲示板に下さると嬉しいです。