何かとつけて、彼は何もしない男だった。

 いつも寝ているのと、あとはただ夕日を悲しそうに見ている事しか印象に残っていない。

 そんな彼が自分に、初めて決意した姿を見せた日、彼は行方不明になった。

  その前後の状況から、彼は死織に殺害されたと考えられた。

 だが私にとって大事なのは、守ってあげないといけないと思った彼が、もういないという事実だけ。

 大半が機械仕掛けになった体でも、心を蝕む無力感と虚脱感は消えない。

 いっその事、心すら機械化できたらどれだけ楽だっただろうか。










 (なんだ、コレはどういうコトなんだ!?)




  巨大な剣を構えたまま、真は目前の光景に驚愕し、身動きが取れなかった。

 闘っているという事は分かる、だがその相手と相手が異常。

  一人は漆黒の少女。

 異常に長い野太刀を構え、冷たい剣気を研ぎ澄ます。

  相手も漆黒の少女。

 日本刀を構え、焼け付くような死の気配を溢れさす。

  よく似ておりながら、同時に絶対的な差異を持つ。

 その姿と気配に世界すら脅えて震えているような気がした。

 しかしそれは違うと知っている、恐怖に震えているのは――― 自分の体だ。

  怖い、怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!

  ガタガタ震える体を意思で強引に押さえ、真は日本刀をもつ少女に突撃した。

 なぜなら、野太刀の少女はこっちに殺意を向けていない。

 そして日本刀の少女は真に、いやその場にいる者全てに濃厚な殺意を向けていたからだ。

  真のその行動をきっかけにし、野太刀の少女も駆ける。

 偶然の一致とは思えないほど、少女の動きは真と連携している。

  真の一撃が地面を抉った。

 吹き飛ぶ砂塵と残骸に混じって、日本刀の少女が舞い上がる。

 そして真は剣を横にして上に振るった。

 野太刀の少女はその剣の腹を足場にして、日本刀の少女へと飛び掛る。



  これこそが、真が行方不明となった死織との接触だった。








 










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                縁の指輪 
    四の指輪 一刻目 真なる月と黒の魔王



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 「重いですぅ……… 荷物もって来すぎたよ、くはぁ…」




  汗をだらだら流しながら、一人の男が列車から降りてきた。

 18、9歳ほどに見える青く輝く銀髪の男は巨大なスーツケースごと移動を開始する。

 スーツケースが重いらしく、途中で柱に寄りかかって深呼吸し―――

 その顔は驚愕に凍りついた。

  誰もいない異常な空間の中、彼の左胸から腕が生えた。

 生えてきた手は血で赤く塗装され、心臓が握られている。

 そしていともあっさり、腐ったリンゴを潰すように心臓は破壊された。

  多量の血を流しながら男はゆっくりと地面に倒れる。

 すこししてその死を見届けた後、柱の作り出す影から一人の少年が分離した。

 その少年は男の持っていたスーツケースを開けて、目を驚きで見開く。

 “あれ”が入っているはずのそれには、何も入っていない。




 「何――― ッツ、まさか!」




  ゆっくりと心臓を破壊されたはずの男が起き上がる。

 そして何事も無かったかのようにスーツケースを持ち駅から出て行った。

 残された少年は握りつぶした心臓の残骸を見る、それは生体部品で作られた人工心臓。




 「人形だと、くそ……… バレてやがったのか、ちくしょう!」




  怒りに任せて彼は地団駄を踏んだ。









  駅から離れていく列車の中、男のオリジナルは安堵の息を付いていた。

 嫌な予感に従って、ダミーを使って正解だった。

 でなければ今頃“あれ”を奪われ、殺されていただろう。




 「でも弘平さんはそんなお間抜けではないのです、ハイ」




  聖十字軍所属“天恵のミズチ”こと蛟弘平、それが彼の名前である。

 現在の所二人しか確認されていない魔道士の一人であり、世界でも数少ないアーシアの弟子。

 聖十字軍でも様々な部門で活躍しており、司令からの信頼が厚い人物だ。

  そんな彼が今回与えられた任務は“あれ”を秋雨錬という人物に渡す事である。

 簡単なお使い程度の任務と思っていたら――― とんでもない激務に変身してしまった。

  秋雨家に一番近い駅は、今通り過ぎてしまった。

 自分のダミーはバレてしまい、列車に乗り続けている事もばれているだろう。

 彼はそれをかいくぐり、どんな手を使っても“あれ”を届けなければいけないのだ。

 はっきり言って滅茶苦茶大変な任務である。




 「うへぇ、お使いと思ってたらとんでもない任務になっちまったよ、弘平さん大ピンチ!
  フェンリさんのご好意に預かって一緒に来てもらった事をいまさら大後悔デス」




  そろそろ次の駅が近い…

 彼はそれを確認すると真面目な顔になり、ダミー人形を展開した。











  錬達はネェムレスとの会話により、有意義とは言い切れないが多数の情報を得る事が出来た。

 死織の事を何か知っており、錬とネェムレスを会わせようとした少女。

 アスラルが出会い、姫椿を彼女に預けた謎の男。

 ネェムレスにアスラルが姫椿を保護していると教えた謎の少女。

 吸血鬼の隊長虐殺を行なった錬の母と、エギレティスの言っていた謎の存在。

 そして錬自身が語った、第二の自分。

  どれも驚愕の事実や何か重要な事を知っていそうな人物達であったが、とてもこれで何かを思考するのは不可能だった。

 まるで完全な姿が分からないパズルのようだ。

  とりあえずアスラルに姫椿を預けた男と、ネェムレスに保護した事を教えた少女には何らかの関係性があるという事。

 そして錬の母親がなんらかの力を持った存在であるといった事、そんなことしか思いつかなかった。

 第二の錬である夜月は、彼の言った事から死織と関係性があると思われる。

 だがそれよりも錬にはネェムレスから教えてもらった事が問題だった。




 「秋雨… 死織!」




  死織凛と死織は錬に名乗った、それは偽名だったのだ。

 秋雨死織という名が正しいのであれば、間違いなく彼女は秋雨の家系の者。

 よく考えてみれば、錬は刀冶と両親以外に秋雨家の者にあった事が無い。

 そして死織と刀冶は会っている……… 彼は錬に、彼女の事を隠していたのだ。




 (俺を……… 騙してたのか、それとも―――)




  ―――それとも、知らないほうがいいと思っていたのか。

 だとしたら余計な迷惑だと、錬は心で吐き捨てる。

 そこまで自分は信頼置けないかと、今度会ったら罵ろうと決めた。

  そんな事を考えつつ、錬は家の道場へと足を向ける。

 道場に入ってから鬼殺しが置かれていた場所を見て、すこし胸に空洞があるような気がした。




 「どうしたの?」

 「いきなりいろいろ分かったから、すこし頭が混乱しただけだよ」




  かけられた声に振り向かず錬は言う、別に振り向かずとも話しかけてきたのは綾美だという事ぐらい分かる。

 念のために振り返っても、予想通りの結果が待っているだけだ。

 ただ心配そうな顔でなく、悲しそうな顔だったという事が予想との差異だった。




 「前、俺はおじいちゃんに会いに行った。 だけど死織が秋雨家の者なんて教えてもらってない!」

 「しらなかったっていう事は?」

 「秋雨じゃないネェムレスが知っていたこと、当主であるおじいちゃんが知らないはずが無いんだ」

 「………錬には知って欲しくなかったとか」

 「ッ―――」




  綾美も自分の思いついた理由と同じ事を考えた事で、錬も今更そのことをよく考える事が出来た。

 なぜ知らないほうがいいのか、それこそが重要な事で知らせなかったことを罵るのは次以下のはずだ。




 「そうだな、俺が今考えなければいけないのは――― なぜ俺に知って欲しくなかったのかという事だったな」

 「心当たりとかは?」

 「一つある。 綾美、俺にはな………

  ―――昔の記憶の一部に欠損があるんだ。―――

  そう、ちょうど刀冶おじいちゃんの家に居た頃の記憶の大部分が、削り取られたみたいに無いんだよ」




  そんなとんでもない事を、まるで他人話のように、錬は何気なく言い放った。






 (記憶の欠損、そんな―――)



  錬の言葉で動揺していたのは綾美だけではなかった。

 道場の襖こしに彼らの会話を聞いていたアスラルとネェムレス、姫椿もその言葉に動揺する。

 その口調の軽さもさることながら、その言葉には重要な意味が込められているのだから。

 もし死織が錬の血縁などに当たる存在なら、その無くなった記憶の中に彼女の正体へ繋がる何かが見つかるかもしれない。




 「刀冶さんに聞きに行けば―――」

 「すこし前に電話を入れたけど、仕事が入ったとき用の留守番に繋がったよ」

 「つまり今、何処にいるか分からない?」

 「昔からそういう人だからね」




  錬はこの家に帰ってきた頃、寂しくなるたびに刀冶へと電話していたが刀冶本人へと繋がるのは10回のうちに1回有るか無いかといった程度だ。

 あの年齢でありながら刀冶はいまだ現役の退魔士だ。

 現在最大の退魔士一族である癒綱家までとはいかないほどの、高い能力を持つ秋雨はかなりの依頼が入り込む。

 そのため、彼が家にいる事はほとんど無い。

 前に錬が家へ言った時に居たのは偶然などでは無く、月に数日決めた休息日だっただけである。

  ゆっくりと夜月の言っていた言葉を思い出す。

 彼は間違いなく錬の失った部分の記憶を持っている、その欠損した記憶を想像するには彼の言葉を材料に思考するしかない。

 そして錬は自分の思い当たった事を言った。




 「俺の中の夜月が“君にとっての死織さ”と言っていた、それが正しいとするなら。
  “けど死織みたいに君に取って代わるなんてできないけどね”……… つまり死織は本来の人格ではない」

 「つまり…」

 「死織の本来の人格、それが秋雨の誰か………
  今の死織は彼女の人格に取って代わった人格だ」




  そして残った言葉、“俺がどうして君を支配できないのか、そんな事をしないのか、それが死織と違う所”というのがどうしても引っかかる。

 もう1ピースで完成する絵画を前に、最後のピースがはまらない。

 そんな感じがして、どうしても気になる言葉。

  夜月の言葉の意味を知るためにも、欠損した記憶を手に入れなければいけない。

 しかしその記憶を手に入れるための材料は何一つ―――

  そこまで考えて錬は記憶の中に引っかかるモノを見つけ出していた。




 「そうだ、あの場所だ」




  幼い錬を連れて刀冶が行こうと言った場所を思い出した。

 行く場所というのが実家のある町ではなく、この錬がいる町にある山奥の神社だったのだ。

 なんでわざわざかなり遠いこの町の神社に来たのか、それに何か違和感を感じる。

 そして問題なのが、その神社の記憶が無いという事だ。

  思い出せる限り、一番昔の記憶の欠損。

 そこにもしかしたら、欠損の理由が存在するかもしれない。




 「………すまん、今すぐ行くところができた」

 「ついて行っていいですか?」

 「ご自由に、というより一緒に来てくれないか綾美。
  今の状態じゃ戦うことすら出来ないからさ」



  錬はそういいながら綾美に自分の指輪を見せた。

 もはや壊れていないのが奇跡に見えるほど、黒月の指輪は罅という毒に犯されている。

 治癒の力は錬の怪我を治したところで限界が来て消滅し、封印もかなりガタが来ている。

 まだ封印の機能そのものに支障は無いが、もう一度開放したら間違いなく終わりだろうとアスラルは断言した。

  その瞳の力を解放できない以上、錬には戦闘力が無いも同然だ。

 もし敵と遭遇した場合には戦う方法が無い。




 「一緒に行きますけど、どこに行くんですか?」

 「近くの神社、どうもその神社に行くと言った記憶はあるんだけど神社そのものの記憶が無いんだ」

 「それは怪しいですね」

 「この家から行ったから道順は覚えてるし、そう遠くは無いから今日中には帰れると思うけど、後は頼んだよアスラル」




  錬は隠れていたアスラルへと言い、綾美と共に道場を後にした。

 その姿を見送った後、ゆっくりとアスラルは呟く。




 「ばれてた?」

 「みたいだな」




  ネェムレスも呆然と呟いた。

 実際のところ、彼らはかなり高度な技能を使って気配を消していたのだ。

 それが今は能力を使えない錬にばれていた事に驚いたのである。




 「もしかしたらあの錬という奴、『破壊の瞳』以外に何かあるのかもしれない」

 「まさか錬が人外だとでも、退魔の一族である秋雨の子が?」

 「…………………そのはずなんだがな」




  そんな正論では覆せないほどの嫌な予感がネェムレスの心の中に、まるで雨雲のように渦巻いていた。











  鬼に変じた鬼人を、人間に戻す事はできない。

 それが生命を支配する魔法、深緑の魔王たる草月春樹が断言した事だ。

 たしかに鬼と人では肉体そのものが全く異質の物に変容する。

 だがそれ以上に、世界がそれを認識するための存在が違うのだ。

  竜魔法という世界に誤解をさせて異常な現象を引き起こす能力がある。

 人と存在が違うという事は、世界そのものがその人が人間では無いと認識してしまうという事だ。

 世界がその存在を人ではないと思っている以上、それは人にはなれない。

 つまり人間が鬼になる事はできず、鬼が人になることはできない。




 (しかしそれでは矛盾が発生する)




  黒の魔王、白見裕也はそれが違う事を知っている。

 かつてある男が、人でありながら無数の鬼を殺したあげくに鬼と変じた事があった。

 この時点でさきほどの理論が崩壊してしまう。

  実際のところ、鬼も人も案外と簡単に変わってしまうものなのだ。

 男は鬼を超えた力を持った挙句、人であることすら諦めてしまう。

 世界そのものが力を持っている時点でその男が人でないと思ってしまう可能性が生まれる。

 自分という一つの世界が人でなく、自身を鬼と認識してしまった。

 そして彼は世界すら彼を鬼と思うようになってしまったのだ。

  そしてここにもう一度思考する。

 鬼と変じた鬼人を人間に戻す事が可能であろうか?

 鬼人という存在は、最初から鬼の血と人の血を持っており普通の人より鬼に近い。

 つまりそれは既に鬼になってしまう可能性を持っていたという事だ。

 その可能性すら断絶し、別の可能性に変えることができれば。




 (そのための天麒輪だ、白の魔王たる彼が作った彼の能力の端末)




  白の魔王は自身の能力の行使のために、よく道具を作っていた。

 その一つ、天麒輪は彼の能力の一部を借り受けて白の魔法の力を使えるようにするというとんでもない魔具だ。

 そして白の魔法を使えるようになるという事は、その存在が“白の魔法使い”であるという可能性が生まれる。

  そうなればあとは存在支配の黒の魔王たる白見の出番だ。

 可能性が生まれれば、それを自身が拡大させればいい。

 そうなれば鬼である可能性より“白の魔法使い”としての可能性が大きくなる。

 後は本人の心しだいだ。




 (問題は此処をどうやって突破するかという事なんだよなぁ)




  白見は自身の前に広がる結界を前に、珍しく諦めていた。

 魔王である彼ですら解除できないほど強固でも複雑でもない。

 だがそれが何度解除しても突破できないのだ。

  解除して結界が崩壊した瞬間、いやそれにも満たない極々短い時間で結界が何事も無かったかのように復活する。

 それで解除ができないので復活する瞬間に強引に式へ割り込んで自壊させようとしたが、それすら間に合わない。

 魔王ですら解除できないとはやはり白の魔王の生み出した天麒輪を守る結界だなと、場違いながら白見は感心してしまう。




 (そのくせ、突破する方法自体は簡単なんだよな…)




  おもわずその簡単すぎる突破方法を思って白見は笑みを浮かべてしまう。

 彼は昔からこういうユーモアが豊富だとは知ってはいたが、こんな方法、自分では思いつかない。

 もしここに彼がいれば、突破できない自分を微笑みながら見ているだろう。

 まるで自分の子供が遊んでいるのを見ている親のように。




 「そういう奴だったよなぁ、ネイ。 お前ってさ」




  半分呆れながら、半分懐かしみながら白見は空を見上げる。

 白見が出来る事はもう全てやった、もはやできる事は何も無い。

 機会がくるのをゆっくり待つとした。











  駅からでた弘平は、路地裏に入ってから先に待っていた自分のダミーと再会した。

 待ち伏せは無かったという事が分かり、すこしだけ安堵の吐息を吐く。

 残ったダミー人形はたった今回収したのを含めて二体。




 「駅での待ち伏せが無かったってことは、別の場所で待ち伏せしてるって事ですね、ルン」




  ふざけた口調で言いながら、口調とは逆に冷静に考える。

 目的地までのルートは大雑把に分けて合計で四つ、短いルートと、同じぐらいの長さを持つ二つのルート、そしてかなり遠回りで森のあたりを通る最後のルート。

 どれに待ち伏せがあるのか、分からない。

 ダミー人形は二つ、それをうまく使い、敵の目をかいくぐって秋雨錬の家へとたどり着く。




 「さぁ、楽しい楽しいゲームの始まりだ」




  スーツケースに入る容量をはるかに超えた人型が、スーツケースより吐き出される。

 それは弘平と何一変わらない外見を持つ生きたダミー人形だ。

 それらの人形に思考パターンを刻み込み、時間を置いて一体ずつ路地裏から押し出していく。

 彼自身もかなり長く待ってからゆっくりと歩き出した。










 「動いた」




  ダミーを破壊した少年はビルの屋上で佇んでいた。

 世界に展開していた感覚を収束させ、自分へと取り戻す。

  少年の鋭敏すぎる超感覚は同じ存在を複数の場所に感知していた。

 数は三、おそらく二つはさきほど彼が使用したダミーと同じものだろう。

 先に予測していた四つのルートのうち、同じ長さを持つ二つのルートと遠回りのルートを進んでいる。

 最短ルートに自分がいると考えたのであろう。




 「馬鹿が――― クァハハハ」




  たとえどのルートを使おうが、弘平が秋雨家に着くよりも早く三つ全てを殺す事が可能だ

 少年は何処からか漆黒のコートを取り出してそれを纏った。

 太陽が照らす中、切り取られたかのようにコートの黒が存在する。

  少年はいっきに駆け、ビルから飛び降りた。

 空中でコートを翼のように広げ浮力を得る。

 その空中で止まった所で外を見ていたサラリーマンと視線が遇い、悪戯心で笑みを返す。

 サラリーマンは悲鳴を上げて逃げ出してしまった。




 「クァハハハ、ハハ、アァハハハハハハハハッ!」




  その様があまりにも愉快で笑いが止まらない。

 彼は順々に弘平のいる三つの場所を指差してから笑みを止める。

 かわりにゆっくりと口を開いた。




 「ど・れ・に・し・よ・う・か・な・か・み・さ・ま・の・言・う・と・お・り、っと」




  そんな言葉と共に決めたルートは、同じ長さを持つルートの一つ。

 瞬間、少年は宙を蹴って加速した。

 推進力を得てまるでミサイルのように空中を飛翔する。

 そして数分の後にそのルートを進んでいた弘平の上空へとたどり着いた。

 都合よく、弘平以外の人影は皆無だ。




 「―――見っけ」

 「――――!?」



  弘平は上空の少年を見て驚く、こんなに早く見つかったのが想定外だったのだろう。

 少年はそう考えて嘲りに醜く顔をゆがめた後、一気に降下した。

 対する弘平はふところから美しい装飾がなされたナイフを取り出して構える。




 「ウルズ!」




  そのナイフで彼は空中にルーンを刻み込んだ。

 同時に少年は何かにぶつかったかのように吹き飛んでいた。

 不可視の野性的で純粋な力が少年を打ち据えたのだ。




 「ルーンだと、この距離で!?」




  ウルズは野性的で原初的な力が渦巻いていることを示すルーン。

 それによりこんな攻撃が来るのは分かるが、こんな離れた位置でルーンによる攻撃ができるはずがない。




 「あのナイフか」




  すぐにその理由を思いつき、憤怒で顔が歪んだ。

 “月文字の刃”と呼ばれるナイフ、それは空中にルーンを刻み対象へその効果を及ぼす事ができる。

 かなり上級のルーン使いでないと使いこなす事ができない特殊な武器だ。

  少年は痛手を食らった事に腹を立てて怒り狂った。

 一気に弘平へ向けて動力降下をしかける。

 その行動を見て弘平は素早くルーンを刻む。




 「舐めんな、馬鹿が!」

 「ティワズ!」




  少年の一撃が来るよりも早く、放たれた電撃が少年を襲った。

 だが今度は少年が眼前に展開した障壁により別次元に転移させられ、少年の体をすり抜けてしまう。




 「世界の障壁、やはりお前は―――」

 「くたばれクソ餓鬼!」

 「弘平さんピンチ、なんてね。 アルギズ!」




  超高速でルーンが刻まれ守護の壁が生まれる。

 だが壁は少年の手刀の前に脆くも砕け散った。

 手刀は壁を越え、そのまま弘平の腹を貫通。

 内臓を後ろへと吹き飛ばす、だがそれは―――




 「こいつもダミーかよ!?」




  飛び散った内臓に見えたものは赤い人工血液と人工の内臓。

 一瞬だけ見ていれば人のモノと見間違うほどそれはよく本物に似ていた。

 だが人間では即死の一撃の前に、今もなおこの弘平は動いている。

  弘平のダミー人形は隠し持っていたナイフを少年のわき腹に押し付けた。

 少年を襲う戦慄、だがそれに反応し障壁を張るより早く一撃が彼を襲う。




 「魔剣よ吼えろ」

 「がぁつぁ!?」




  ナイフは一瞬で変形し、長い刀身を持つ魔剣へと変化していた。

 刀身は変形のさいに少年の腹を貫通し、その刀身を出現させている。

 傷口が広がるのを覚悟の上で少年は弘平に蹴りを加えて後ろへと跳ね飛ぶ。




 「クソ、人形ごときが!」

 「それは酷いですね、その人形に手傷を追ったくせにデス」




  弘平、いやそのダミー人形は本物そっくりな口調で少年を笑う。

 その簡単な挑発に一瞬にして少年は憤怒で思考が焼け付いた。

  とんでもない俊足でダミー人形に接近し、その顔面を掴む。

 次の瞬間、人形の首は180度回転していた。

 少年はそのまま頭と首に手をかけて力を込める。

 ギチギチと嫌な音を立てて、首の皮膚が千切れていく。

 断末魔の痙攣がダミー人形を揺らし、そしてその首は引き千切られた。

 さすがのダミー人形でも首がとられてはたまらない。

 大量の人工血液を地面にぶちまけながら、人形は自ら生み出した血の池に倒れこむ。

  人形が機能停止する様を見届けてから少年はそれにつばを飛ばし、侮蔑の言葉をブツブツと呟きながら次のターゲットを捜索し始めた。

 次のターゲットを同じ長さのもう片方のルートを進んでいる弘平に決定し、今度はビルの壁面を蹴って上へと駆け上がる。

 少年は屋上へついた後、ゆっくりと深呼吸していまだ鎮火しない憤怒の火を収めようとする。

 だがそれた大した効果をあげず、その効果が無い事に腹を立ててさらに憤怒の火は強まった。




 「不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ不愉快だ―――ッ!」




  怒りは口を割って怨嗟の言葉として吐き出される。

 思わずこのビルの天井を崩して中に居る人間を皆殺しにしてやろうかと思ったが、すこしだけ残っていた理性がそれを阻止した。

 いやそれを理性ではなく恐怖だった、目立つなと命令されている、それを破れば―――




 「ひッ――――!?」




  “あのお方”に逆らった仲間の末路を思い出して、恐怖により少年の表情が凍りつく。

 その恐怖の前には死すらもこの上ない幸福に思える、絶対の恐怖。

 思い出したそれに歯の根がかみ合わないほど体が震える。




 「くそ、くそくそくそくそくそくそくそ!!!
  あの餓鬼、餓鬼、餓鬼ィィィィィィィイイイ!」




  恐怖から逃れるために少年は憤怒を燃やす事に集中した。

 そうでもしなければ恐怖に囚われ、いつまでも脅える事になっていただろう。

 絶対的な恐怖を瞬間的な激怒で中和し、少年は空を翔る。

 次の弘平を殺すために。








次回 縁の指輪 
四の指輪 二刻目 人形使いの策










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