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                縁の指輪 
    一の指輪 三刻目 血と獣、その踊り


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「お前を、壊してやる」


錬はしごく当然の事のように言った。
それにゼロは笑みを浮かべて言い返す。


「言うな小僧」

「黙れ怪物」


獣から刀を引き抜き、それを蹴り飛ばす。実に錬は楽しく感じていた。
飛び散る黒が、錬には赤に見える。それも生々しい血の色だ。
完全に好戦的に、全身の全感覚と内臓が戦闘状態へ移行した。


「さぁ。 開始と行こうか」


錬は嬉しそうにそう叫んでから走り始める。
それにライオンが前足で地面を蹴り飛ばし襲い掛かった。
あたりまえだが、刀一本の人間が勝てる相手では無い。
その反射神経、身体能力共に人間など足元にも及ばない猛獣だ。
それに立ち向かうために作られた武器といっても、持っているからといって持っている人間そのものが強くなっているわけではない。
しかし、錬はその動きが見えた。
動きだけで無い、何処をどうすればいいのか、それも簡単に分かる。
まるで事前に未来を見たかのように、行動を起こす。
錬は飛び掛ってきたライオンの腹へスライディングでもぐりこみ、その心臓を下から突き壊した。
鈍く、そして確実な感覚が『倒した』と自覚してくれる。
そして勢いがついたままのせいで、後ろに転げ落ちた獣を無視しながら錬は立ち上がる。


「何だ? コレ」


ゼロを馬鹿にするように言う。しかしそれにゼロは何の関心も見せない。すこしだけそれが、錬には気に食わなかった。
それに、どうしても錬には何か可笑しい事が起きている事が分かる。自分が自分では無い。そんな気がする。
そう、まるで夢の中にいるかのように体が軽かった。いや、ここまで来るともう気だるいというべきなのだろう。。
口の中でも、唾液はねばねばして水気を失い始めていた。喋る事も鬱陶しく思う。
ゼロは錬のそんな様子を見てすこし眉をひそめた。
しかし敵の事などどうでもいいと割り切り呟く。


「ライオン」

「見ればわかる。 だから、これで何をしたいんだ?」


錬はそう笑っていった。この程度のなら大丈夫だ。こんな状態でも負ける気がしなかった。
でも、もしかしたらと錬は思う。自分に思考は麻痺しているのでは無いだろうか?
筋肉が弛緩剤を打たれたように自分の思考はこの戦いの感覚で疲れ始めているのではないのだろうかと。
だがそんな思考も、この気だるさの前では海に落とした真水の一滴のように色あせて消えていくのみであった。
すぐに破壊的な衝動にすべてが満たされてしまう。
戦え、存分に自分すらも破壊するように。
それだけが聞こえて聞こえてくる。それから逃れる術を知らない錬は飲み込まれて動く事しかできなかった。
そして、開始の合図のようにゼロは手をただ上げる。
その手には何も持っていない、だが錬には何か危険極まりないモノを持っているように見えた。
しいて言えば、斧とかの類を。
そして、それを振り下ろした。
一瞬だけだが、錬にはまるで拳銃の撃鉄にその動作が見えていた。
錬は後ろへと飛んだ。


―――――!


何か起きた。錬はそれで吹き飛ばされた。
衝撃波。それだけである。
ろくに練り上げていない『破壊の担い手』であったが、普通の人体なら衝撃で骨が折れるはずだ。
しかし錬はどこも異常は無く立ち上がる。
衝撃を後ろに飛んで軽減したのだ。
錬から間合いを取り、ゼロは笑った。
それを合図に鹿や虎………肉食や草食でも高い攻撃力を誇る獣たちが、ゆっくりとゼロの体から染み出してきた。
まるで、ゼロ自身がそんな生物たちの塊に見える。
それに、錬はさらに後退した。
何が出てくるか見極めなければ足をすくわれかねない。
現に、今の見たことも無いような動物も出始めていた。
三つ首の犬、二足歩行の蜥蜴。まるで神話に出てくる怪物のような生物までも、だ。
20ほど出してから、ゼロは『ニタリ』と笑って錬を指差した。


「喰え」


そう、一言だけ単純な命令を下す。獣たちはそれに従い、錬に向かっていった。
対する錬はそれに蒼く染まった瞳で、冷静に観察していた。
二足歩行と四足歩行でははるかに速度は違う。
個体でもかなりの違いがでる、この違いを利用して一体一の戦いに持つ込むのだ。
即座に倒して、また次の敵を倒す。
それにより、連続での一体一の多数に変えるという戦法である。
錬はそんな戦い方を祖父に学んでいた。
祖父は錬より強い。
その強さの一部が、戦法だ。
まずはすばやく飛び掛ってきた三つ首の犬に斬りかかっていく。
口の中にチロチロと火を灯しているその横側にある首の一つを斬り落とし、返し刃で真ん中の首を斬り落とす。
残った最後の首が憎しみで顔をゆがめながら、錬右わき腹に食いついた。


「うぉおお!!!」


錬はその首も刀を逆手に持ち変えて斬り飛ばした。
そして力の抜けた顎を力ずくで外して放り捨てる。この一体が並外れて早いために助かっていた。
無理やり傷ついた部分を余る左手で押さえ出血を抑える。
錬は痛みで顔をゆがめながらも、全く同じ速度で来た犬と豹に左手を離して、それを広げ向かい撃つ体制に入った。
そしてジャンプ。
飛び掛ってきた豹の上に降り、体をよじろうとする豹の行動より先にその背中に刀を押し込んだ。
切れ味が皆無になってしまったが問題なく豹は停止する。
しかしそれにより豹は倒れこみ、錬も横に転がされてしまう。
そこへ『めっけもん』といわんばかりによだれを垂れ流している犬が襲い掛かってきた。
飼い犬だって、無いとは言えないこの本能という動作は単純で明確である、だがそれゆえにすばやく破壊的。
錬は考える間もなく左手で地面を殴り飛ばしさらに横へ転がって行く。
回避行動が遅れた左太ももを爪で抉られ、錬は激痛を感じながら転がる勢いで犬に体当たりをかました。
もう鹿と虎が近づいて来ている。時間は。無い。


「こな、くそぉおおおおおおお!!!」


左手だけで、よかった。
手刀に変えられた左手をその犬、いやむしろ狼といったほうがいいかもしれない存在の口に突っ込み、爪に指を引っ掛けて………
下顎を掴み、引きちぎった。
痛みで叫ぶ暇も与えず、その顎を、骨をその狼の脳天に叩きこんだ。無論、顎骨は砕け散ったが狼も衝撃で壊れている。
錬はその死体の残った上顎を、その顎に残った牙が浅く突き刺さることも無視して引き上げる。


「―――――!!」


飛び掛ってきた虎にその死体を投げつけ、その影響で崩れたバランスを使いそのまま刀で虎の脳天を破壊した。
しかし、乱暴だ。
これでは金棒みたいな扱いである。
錬は刀で叩き潰したのだ、これでは刃物の意味が無い。
だが、それは仕方ない事である。
既に刀身は獣達の黒いコールタールじみた体液で染まってしまい、切れ味を失っていたのだ。
次に襲い掛かって来たのは鹿だった。
その大きな角を持っている、雄の鹿だ。
錬はそんな無駄な観察をしながら、体を下とし石を拾い上げる。
そして体をひねり、戻す反動で石を鹿に投擲する。
鹿は顔面にその石をぶつけられ反射的に目をつぶってしまう。
大きすぎる隙であった。
錬はその隙に近づき、刀で撲殺する。
ゼロは舌打ちした。


「次ぃ!」


剣を持ったリザードと向かい合い、すでに蒼を超え破滅的な何かを思わせる蒼色系統の色へ瞳を染めた錬が笑っている。
ゼロはどうしても、この笑みが狂ってるとは思えなかった。
しかし、確実に錬は一体一体減らしている。自分の痛みなど気にせず。


(何なんだ!? コイツは! 一体!?)


それゆえに、いつの間にかゼロも動き錬へ攻撃を仕掛けていた。
錬はそれを見つけ、移動しリザードを自分とゼロの間に挟むこんだ。その後、リザードがつぶれる。
『破壊の担い手』だ。
リザードを盾に使いしのいだ錬は、ゼロに斬りかかっていく。
ゼロはそれに笑みを隠すことはできないでいた。『内包世界』この完全たる力さえあれば。
不死を生み出す自分の希望さえあれば、子供程度に自分はコロセナイはずだと確信しているから。
しかし、それは次の瞬間、裏切られた。

ブツン!

左腕が、斬り飛ばされた。
絶対のはずの、自分の腕が。


「なぁあああああああああああ!!!!!?????」


―――ピキィ………


血が、漆黒の血が噴出する。まるで噴水のように。

瞬間。ゼロは一気に後ろへ15mほど後退した。
あまりにもあせっていたためか着地に失敗し、地面にひざをつく。
それ以上にゼロは驚いていた。
いや、むしろ驚愕というべきものなのだろう。
ありえない現象を見た人間特有の感情だ。
だが、そんな後に待っている感情などたかが知れている。

つまり、激怒。


「きさまぁっぁああああああ!」

「――――ァ!?」


『破壊の担い手』
その直撃を受け、錬は後ろへ吹き飛んだ。



















もう、夜も深い。
綾美は直射日光を浴びないおかげで、病的なほどに白い頬を指で優しく撫でつつ錬が置いていってしまった鞘を抱えて庭を見つめていた。
すでに錬が走り去って数十の分が立っている。怖いと思っていないといえばそれは嘘になってしまう。
だけど、どうしても本当に怖いのは。


「秋雨錬」


そう、本当に怖いのは錬。
あの笑いは自分に向けられた物ではない。なのに、背筋が冷たくなった。
もし、あの時自分も『変化』していなければ精神が壊れても可笑しくない。
悪い事だけで無かったと言うのは嬉しく思いたくとも、悪い事が大き過ぎてありがたみの欠片もありえない。
けど、助けてくれる。
そんな確信だけはあった。
しかし、彼は命に執着していなかった。
むしろ戦いの中で死のうとしているように綾美には見えた。
それゆえに、もしかしたら。
あのチカラは、生きているものが使ってはいけない物かもしれない………

















「はぁはぁはぁはぁはぁはぁ。 まだ、やる気か!?」


自分の血で服を真紅に染めた錬が、獣が唸るように言う。
しかし言葉とは裏腹に覇気は全く感じられなかった。
既に致死量に近い血液が流れ出してしまっている。
血とともに錬の力も削られてしまっていた。
体が動くのが奇跡のような物だ。


「………うぅう……… く。はぁ………」

「…………何なんだ! 貴様は!」

「貴様が、言うな」


錬は叫びながら、木に背中を預けて倒れこむ。
もう、立ち上がる動作も苦痛である。
木が真紅に染まり、錬の視界も薄汚れた緑で支配された。
すでに、体が悲鳴を超えて壊れ始めていた。


「はぁはは……… じゃあな、化物」


何とか体を木から放して、自分以上にぼろぼろなゼロを錬は見る。
血の流失はすでに止まっている。
勝手に動くのは問題であるが、ぎりぎり出血死は逃れたようである。
しかしそれに関係なく、錬の体はゼロにトドメを刺そうとした。
だが、それを錬はやめる。


「何ぃ………――?」

「ああ。やっぱり本気は無理か……… めんどくさな」


錬はゆっくり空気を吸った。
すでにかなり時間を無駄にしているのだ。
これ以上時間をかけると追いつけなくなる。
だから錬は、ただ一言だけ言った。


「じゃあな。 三下」


以外であったが、その足取りにふらつきは無かった。
錬は死織の気配を何となく感じた方向へと歩き出す。
なにやら後ろでゼロが叫んでいたが、それは無視した。
どうせ悪口にもならないただの声である。
それならいくら言わせてもいい。
しかし、突然世界が傾いた。


「――――く…」


そして錬は、自分が倒れていくのをやっと理解した。
悪口が単なる声になった理由もやっと分かる。
音がよく聞こえなくなってしまっているのだ。
だが、そこへ、誰かが近づいてくるのが分かった。
彼は刀を松葉杖にして、やっとの事で立ち上がる。


「無理だよ。もう」


声がした。
錬は、下げていた顔を上げる。
そこにいたのは、短い黒髪の少年だった。
錬は名前を知っている。
正確には、人ではない。
ましてや鬼でもない、元鬼人……… 鬼神だ。
いまごろ、なんで出てきた?


「皇鬼ぃ………」

「もう死織は逃げたよ。もう、手遅れ。今は」


彼は他人ごとのように錬に言った。
いや、死織と錬の関係には確かに他人であろう。
だが血塗れの他人を見て、それをどうとも思わないのは錬には気に喰わなかった。
だがそれ以上に、死織を逃してしまったのが錬にはくやしい。


「くそぉう………何のために…俺は…」

「少なくとも、今回は失敗だった。 それだけだろう?」


そういいながら皇鬼こと、竜太は錬に手を伸ばした。


「助け、要る?」

「……………ああ」

「その代わりに、鬼殺し六号… いや、君は鈴鳴だったね。 ごめん。 くれないかな?」

「なぜ…」

「いや、参号に認められたのに捨てた人がいてね。 それに六号。 もう君は使えないだろう?
 ………違った、使っても意味が無いだろう?」

「………いいよ」

「ありがとう」


既に名前の意味も無い。
鬼殺し六号、鈴鳴はすでに汚れきり、名前による魔術強化も失ってしまった。
すでに唯の鉄の塊である。
それに錬の戦い方では時期に壊れる、それならそれを求める者に錬は渡したかった。
現に、この一戦ですでに壊れそうになってしまった。


「俺ってモノを大事にしないな」

「分かっているなら改善もできるでしょう?」

「分かってる」


錬は『黒月の指輪』をつけながら、手に持っていたナイフを投げ捨てる。
そして皇鬼、竜太の肩を借りて歩き出した。














「――――錬!?」

「やぁ。 こんばんわ」


綾美は帰って来た錬を見て驚きに声を上げた。
血塗れの上、服のところどころが獣の牙のようなもので引き裂かれている。
そしてその傷がまだ、完全に閉じていなくゆっくり血が溢れていた。


「だ、大丈夫!?」

「〜ん。 かなりヤバイ」


錬の視界は濃い霞がかかってしまい、綾美の姿はもちろん、そばの竜太の姿すら認識できていない。
致死量近い血を失っているのは確かだった。


「輸血しますか?」

「平気、『黒月の指輪』が治癒してくれる」


そう言って一番近い位置にいる人物へ指輪を見せた。
これが、錬がすぐに回復できた秘密である。
『黒月の指輪』。
持ち主の過ぎた破壊衝動や殺戮衝動を封印し、代わりに治癒能力を与える指輪である。
一度、肩が抉りとられた事があったが、それもこの指輪のおかげで再生できた。
それほどまでの能力がこの指輪にはあるのだ。


「魔術式ですね」

「はぁ?」

「その指輪は一種の魔道具です。 抑制……らしきものと治癒能力が刻印されていますね」


竜太が悩んだのはその複雑怪奇な魔道式だった。
いうなればコンピューターのプログラムなのだが、感情抑制とはとても思えないほど複雑な式が構成されている。
鬼神特有の魔眼で見てみても、その作用はわからない。
しいて言うなら、抑制の術式が一部使用されているという事だけが分かった。
それだけである。
普通なら一瞬で魔術式を読みとるはずなのだが、この指輪は魔眼の判別能力を上回っているようだ。


「しかし、それでも輸血はいります。 怪我は治っても失った血液の補給まではしないようですから」

「そうなの? まあ、今まで出血死するまで出血しなかったからなぁ……… あぁ血液型はAB型だよ」

「ちょっと待っててください、荷物の中に輸血セットがありますから」


そう言って何かを漁る音を聞きながら、錬は倒れた。
綾美が悲鳴を上げたが、錬は眠気に似た脱力感に逆らえず、意識を手放した。

















(ねぇ、こんなの見つけたよ)


彼女は『それ』を自分に見せて微笑んだ。
とても重そうな『それ』を、地面に何度も下ろしながら、ゆっくり持ってくる。
『それ』は『おじいちゃん』が持ってきて、そのままどこかへ置いていたものだ。
一度探した事があったが、見つからなかったモノ。


(? 何処からもってきたの?)

(蔵! 他にもいろいろ面白いものがあったよ!)

(勝手に入ったらおじいちゃんに怒られちょうよ)

(大丈夫よ、ばれなきゃ平気だもん)

(そう言う問題じゃ無いだろう?)


根拠の無い自信を持って、彼女は言う。
彼女は服の所どころがホコリやすすで汚れていた。
それを自分は叩いて落とす。
きょとんとしている彼女の手から、『それ』を引き抜いた。


(あっ………)

(じゃあ一緒に―――よ 一人より二人で―――――が―――よ)


そして………













「夢………?」


目覚めた時、錬は天井へと右手を伸ばしていた。
その手は何かを掴もうとしているようだが、何も掴んでいない。
むなしく宙を数回つかみ、落ちる。


「………………」


何かは知らなかったが、とても悲しかった。








あと一日。
支配吸血鬼『レイ・ゼフィランス』との戦いまでそれしかない。
向こうは確実に錬へと対抗策を用意しているだろう。
綾美はそう思ながら、作ったばかりの劇的に熱い味噌汁を竜太の前に出した。
それを反射的に飲んでしまった竜太は、その熱さでむせる。
しかし考え事をしている綾美はそれすらも気づいていなかった。


「まず錬の回復が明日に間に合うかしら?」

「けほ… それは大丈夫でしょう。 けほけほ……… あの指輪の式は芸術ともいえます。
 持ち主に負担無く、回復させれるのですから。 けほけほ……」


回復の魔術式は二つに分かれる。
対象の生命力を代価に、負傷などを治癒する。
自己治癒能力を促進させ、回復力を増加させる。
その二つである。
だがどれも、それなりの負担がある。
まず前者は言うまでも無く、命を削って行く。
そして後者も使いすぎれば治癒した部分を異物と体が認識し、壊死を起こす危険性が存在する。
だが『黒月の指輪』は前者の能力をもちながら、同時に生命力までも回復する機能を保有していた。
これがあれば医者知らずだ。
今度は氷が入っている麦茶を出し、綾美は自分の席に座った。
それを飲んだ竜太はあまりの冷たさに絶句し、もう一度味噌汁へと手を伸ばしてしまう。
あたりまえだが、また、むせる。
それを気にもせず、綾美は焼き魚の身をほぐしていく。
何度か咳き込んでから、竜太はやっとご飯へと手を伸ばせた。
白米の飯を数回口にはこんでから、たくあんに手を伸ばしたが、綾美が三つ残ったたくあんを一度に奪い去っていく。
そして三つのたくあんをそのまま口にはこんだ。
そしてそれを問題の麦茶で流し込む。
しかし問題は無いようだ。
恨めしそうに竜太は綾美を見た。


「で、どうやるの?
 アイツは何か、まだ隠しているようだけど」

「そうですよね、けど、さらに悪いことがあるんです」


竜太はいまさらながら、白見から聞いた事を思い出した。


「実は教会の第五聖典『クロード・G・エンセンス』が来てるんです」

「それが何か?」

「吸血鬼限定の殺人狂ですよ、しかも玄人」

「…………………最悪」


そこで綾美は頭を抱える。
それを横目に竜太は大根のつけものを食べた。


「まあ対策にとんでもないものを呼んでおきましたから平気だと思いますが………
 外出は控えめにお願いします」

「嫌」

「………?」


一瞬、竜太は綾美がはいと言ったと思った。
しかし言った言葉を理解して、唖然とする。


「わたしの行動は私が選ぶ」

「ではせめて指針にはしてください」

「……………」


無言で綾美はうなずいた。


「では、頼みます」


それには何のアクションも起こさなかった。
















「………ナゼデス……」


そのころ、第五聖典『クロード・G・エンセンス』は公園で脱力していた。
謎の少年こと、錬以外では吸血鬼のきの字すら見当たらない。
ニュースでも何も言わず、クロードは途方にくれている。
抱えた武器の重さが辛い。
この町に来てはや数日。
まさかここまで苦戦するとは………
彼はまだレイにも綾美にもたどり着けないだろう。














錬はすでに回復した体を動かしてみた。
まだ重い感じがするが、問題は無い。
血はあとで見舞いに来た竜太から、持っていた輸血パックで輸血してもらったらしい。
それを常時持っていることに驚いたが、助かったから文句は言えない。
竜伊と名乗る男に貰ったナイフを探しに、錬は居間へと足を伸ばした。
だが、そこには誰もいなかった。
ちょうどさっきまで綾美と竜太が朝ごはんを食べていたが、すでにかたずけを終えている。
無論、ナイフは置かれていない。


「どこやったっけなぁ………」


錬が持つ昨日の記憶はかなり穴が開いている。
あれだけの出来事があれば無意識の行動など覚えていないだろう。
死織との時は刀を使ったので、ナイフは持っていっていない。
なら、多分家の中にあるはずだろう。
そう思い、錬は道場へと歩き始めた。
頑丈にできた扉を開けて、中に入る。
道場の中には鈴鳴……… 鬼殺し六号を持った竜太がいた。
必死に刀身を布でこすっている。
だがその刀身にこびりついた血や黒い液体は落ちない。
まるで布にしみこんで乾いた液体のように、いくらこすっても変化は無い。
こすっている布にも、汚れは全くついていなかった。


「………やっぱり無理か…」


最初からその結果を知っていたらしく、彼は一人でうなずき刀を鞘に収めた。
錬は、彼の方へ歩いてく。
錬に気づき、竜太は錬を見た。


「……ん。 もう起きて平気ですか?」

「平気じゃなけりゃ寝てる」

「それはそうです」


錬は寝癖がついた髪をかきながら、竜太の持っている刀、鬼殺し六号が置かれていた台を片付ける。
片付けるといっても、腕力に物を言わせて壊すだけだった。
もうこれに物を置くことは無い。
そして、竜太に錬は話すことがあった。


「………皇鬼、お前は何でここにいる?」

「………は?」


唐突に、錬は口を開く。
竜太は『今日は晴れだな』といっているのような、極々自然な口調で錬が言ったため反応が遅れた。
間抜けだが聞き返すのが精一杯である。


「刀を手に入れた、保険とやらもしている。
 おまえが此処にいる理由は何だ」

「簡単だよ、この年になると人の悲しい顔が身を斬るんだ」

「………嘘だ。 そんな理由でメリットが無い事をするのか?」

「メリットはある。 自分の心が満たされる」


大きい音が響いた。
錬が、壁を叩いたのだ。


「…………本当の事を言えよ」

「私は本気ですが?」

「…… なら頼みがある」


錬が、ゆっくりと口を開く。
竜太には見えないが、錬は泣いていた。


「綾美を守ってくれ、俺がいない間に、死なないように」

「死ぬ気ですか?」


竜太が言う。
錬は涙を拭かずに、竜太の方を向いた。


「可笑しいな、なんで俺泣いてるんだろう?」

「…………………」


竜太には分かっていた。
彼の涙が、自分の非力に対するものだろいうコトに。
彼はうすうす、吸血鬼を殺そうとする『聖典』の事に気づいているのだろう。
だが彼は『レイ・ゼフィランス』を相手にしなければならない。
すでに、この日の夜、12時以降が戦場なのだから………
人は独りで出来ることに限界がある。
彼はそれに対して泣いているのだ。


「分かっています。 彼女は……… 私がアナタに代わって守ります」

「…ああ」


錬は乱暴に上着の袖で涙をふき取った。
そして歩き出す。
途中で、錬は立ち止まった。


「頼んだぞ」

「ええ、覚えておきます」


竜太がそう言うと、錬は今度こそ立ち止まる事無く歩いた。
錬はナイフを見つけてから、久しぶりにあのコートを出そうと思っている。
昔、返り血を浴びることが今よりも多かった頃に使っていたコート。
漆黒の色を持つあのコートが、今はとてもほしく思える。
初めて自分のお金で買った服だ。
それを纏えば、勝てるような気がした。










そして、夜になった。
ナイフを見つけて、錬は自分が愛用しているコートを引っ張り出した。
内ポケットがたくさんついており、無数のナイフや暗器を隠し持てる。
既に複数のナイフと、メリケンサック、スタンガンや鉄線などの武器になりそうな物はほとんど装備した。
頭には鉄板を仕込んだバンダナ、足は隙間が無い安全靴。
服は普段と変わらない。
これだけが普段との共通点だった。


「………… 綾美、か」


ふと、出かける準備が出来てから錬は思い出す。
そういえば、今日は綾美と会話していない。
綾美の部屋に入ろうとして、それを止めた。
こんな殺し屋みたいな姿は、あまり他人に見せたくない。
そう思いながら、錬は扉をノックした。


「何…?」


綾美の声がして、誰かが扉に近づいてくる音がした。
錬は目を細めて、口を開く。


「開けないでくれ」

「………アイツと戦うのでしょう」

「……………ああ」


足音が止まるのを確認してから、錬は壁に身をあずけた。
武器が重かった。
無数の武器が、そして武器では無い道具がコートの中に入っている。
どれも、これから血を浴びる運命にあるのだ。


「………私は追いかけますよ」

「竜太に言ってある。 お前を守ってくれ、と。
 だから、追う事なんてできない」

「いいえ、必ず追いかけます」

「…………………… 黙れッ」

「………!?」


錬がしぼりだすように、悲鳴のような声で叫んだ。
擦れた声を出しながら、錬は夢の中の少女を思い出している。
あの後、あれが悲劇になると、錬は分かっていた。
絶対に、悲しみしか無い結末で、あの夢は終わるのだ。
錬は、もう何度もその悲しみを見ているはずなのだ。
母や父がいない自分の家。
怪物を殺すしか無い自分。
無力な化物の自分。
悲劇の夢を見続ける自分。
もう、悲劇はたくさんだ。


「絶対、来るな。 傷塗れで帰ってきた俺を看病するのはいい。
 だけど、絶対に来るな。 これは化物だけの戦いなんだ。
 まだ人間の、心が人間のお前が見ていいものじゃ無い!!!」

「錬、アナタは人間よ」

「黙れッ!」


開こうとした扉を、錬は力ずくで閉めてナイフで扉を開けなくした。
錬には扉の向こう側で、綾美が驚くのが手に取るように分かる。
そして擦れた声で言う。


「怪物は、化物は俺でたくさんだ」


それだけをいい、錬は歩き出す。
玄関を抜けて、それを見上げればそれは怖いほど月は綺麗だった。
錬は風が冷たいように感じる。
もう、死にそうなほど自分に向けられた殺気には気づいていた。
安全靴の先端に埋め込まれた鉛の感触を確かめ、ゆっくり殺気の濃い方へ歩き出す。
頭がぐちゃぐちゃになりそうなほどの悪意。
今までに感じたことが無いそれに、錬は何も感じることは無かった。
静かに『黒月の指輪』をはずして、自分の上着のボタン付きポケットに入れる。
世界は腐った緑色になった。
小さく微笑む。
錬は、これが世界だと思った。
自分が本当に見ている世界は、こんな悪意と悲しみしかない世界なのだ、と。


「ならそれはそれでいい」


すでに自分のうえには、悪意を放つ黒い何かが飛んでいる。
蝙蝠だった。
小さな漆黒の蝙蝠が錬を先導するように飛んでいる。


「よ、来たぜ」


錬はその蝙蝠に話しかけた。
それがどんなモノなのかは簡単に分かる。
使い魔、もしくはあの吸血鬼の変身した姿。
どちらにせよ、もう錬の位置はばれただろう。
経路がどうであれ、この結果が訪れる事はよく分かっていた。
蝙蝠の後を追いかけて、歩き続ける。
その道は錬はよく分かっていた。
なぜなら。


「なるほど、決戦の地は学校か」


自分の学校への通学路なのだから。
蝙蝠が高度を上げて、錬から遠ざかっていく。
錬は校庭の真ん中に立ち、校舎の屋上を見上げた。
そこに漆黒の影が立っている。
黒い、黒いコートを守った吸血鬼が。


「レイ・ゼフィランス、お前を、お前の存在が気に喰わない」

「ほう、怪物よ、お前が言うか」


嘲るように、レイは言った。
屋上から飛び降り、マントをはためかせ着地する。
その顔は、妙に生気にあふれていた。


「あの後、何人喰った」

「これだけだ」


錬の問いに、レイは手を振るう。
それを合図に、錬の回りに黒い何かが現れた。
生気が全く感じられない、青白い顔をした4人の人間が。


「………もう言う事も無い。 化物が、失せな」


錬が武器を引き抜いた。
右手には巨大なグルカナイフ。
左手には使い捨ての銃型スタンガン。
黒いコートが闇の中広がる。
その中に秘められた無数の武器が、銀の反射を見せた。


「そんな玩具で私と戦うつもりか?」


レイが嘲るように言う。
その整った顔に、錬はスタンガンの銃口を向けた。
放たれた弾丸が、マグネシウムが燃える時の青白い閃光をレイに当たったと同時に放つ。
違法改造で大幅に強化された弾丸は、ホンの一瞬、一秒にもならない時間内に数万ボルトの電撃をレイに流し込む。
すぐにレイは衝撃で崩れた体勢を立て直すが、気づいた時には目の前に錬が立っていた。
グルカナイフが顔面に突き刺さる。


「言ったろう? もう戦いは始まっている」


そのとき、錬の足に何かが撒きついた。
錬はそれに気づくが、攻撃する前に錬は投げ飛ばされる。
着地地点には牙を輝かせる大人がいた。
とっさに引き抜いたミスリル製のナイフで『何か』を斬り、スタンガンを牙付きんの大人に向けて撃った。
残り4発。
衝撃で倒れこんだ、牙付きの首をナイフで斬りとばす。
すでに化物となった大人でも、ミスリルのナイフの前では死が待っている。
こうして牙付きは二度目の死を迎えた。


「何だ―――ッ」


錬は顔を上げてレイを見る。
レイはナイフを引き抜き、傷が再生するのを待って微笑んだ。
そのマントから、黒い平べったいモノが伸びていた。


「これが私の力だ、黒の呪蛇《サーペント》、血を糧に稼動する魔術兵器」

「自分の力じゃねぇじゃねぇか…… 大体俺は、お前が――」


恨めしく錬は呟く。
すでにミスリル製のナイフによる奇襲はできない。
切り札を、あっさりと使わされてしまった。
魔術兵器。
錬はそんなモノを初めて知った。
しかし、何であれ関係は無い。
する事は変わらないのだから。
錬はワイヤーを引き抜き、それを振るう。
そして体を回し、勢いを使ってワイヤーをレイへと飛ばす。


「気に喰わない! 綾美を苦しめたところ! 気に入らない口調! 気に喰わない性格!
 その三つだけで、キサマが消える理由は十分だ!!」


ワイヤーの先端には、大きなぼろぼろのカッターナイフがくくりつけられている。
レイは錬の言葉に笑いながら、マントを広げた。
それで防げると思ったのだろう。
それは正しかった。
―――相手が錬でなければ。
ワイヤーを、錬は大きく早くすばやく左右に振るった。
それを合図に、カッターの刃が分離した。
錬がワイヤーを急激に左右に揺らしたため、削られていた折り目の部分が取れたのだ。
5の破片になり、刃が踊る。
マントに二つ、腕に一つ、目に一つ、そして左足に一つ突き刺さった。
血の代わりに漆黒の液体が飛び散る。
錬は壊す事が一番得意である。
このような器用な壊し方も可能だった。
いくら吸血鬼が夜目が効くとしても、血液で視界が狭まるのは防げない。
レイは隙を埋めるためか、魔術兵器を自分の周りで暴れさせた。
まるで刃のような鋭い黒が闇の中舞う。
錬もレイも、闇夜の中黒ずくめのせいで世界に溶け込んでいるように見える。
もし彼らが世界なら、その世界は悲しみで溢れているだろう。
レイが行動できないと知ってか、元人間の生き残った三人が錬へと走りだす。


「―――――………」


それらは、人間だったのだ。
子供もいれば、大人もいる。
だが共通することは、まだ未来があることだ。
なのに、彼らは人生を壊された。
彼らの未来はレイによりもぎ取られた。
だから、せめて。


「殺してやるよ、もうこれ以上苦しまない内に」


―――それしか思いつかないんだ、許してくれ。
錬はそう心中で言うが、口には出さない。
結局、彼らには届かないのだから。
錬は跳ねる。
一足で一気に3mは宙を舞い、青年男子(牙付き)の頭部をメリケンサックで殴りつける。
簡単に額が陥没し、倒れた。
ミスリルのナイフでトドメをさす。
次は12歳ほどの子供(牙付き)だった。
手には大きなナイフを持っている。
刃は血塗れの上、所々が欠けている。
これで斬られれば傷口を縫い合わせるのは不可能だろう。
だが持ち主が悪かった。
唯でさえアンデットになり運動能力が落ちている上、子供。
同年代の子供なら何とか避けきれるはずだ。
そして錬は15の男性、その基本的能力を凌駕している。
振り下ろされたナイフをかいくぐり、メリケンサックでナイフを叩き落した。
無表情に錬をみる子供(牙付き)の脳天に、いまだ血の一滴も突いていないミスリルナイフを突き刺す。
そしてひき抜いた。
のこりは男。
年齢的には二十代、生前は何らかの競技の選手なのか体格がいい。
それに、ほかの三体とは威圧感が違う。
特別に力を注いだ『特製』というコトだ。
錬はその男に注意を注ぎながらレイへと振り返る。
レイは体に抉りこんだ破片を、その周囲の肉ごと引きちぎって取っていた。
あのカッターは事前に錬がミスリルのナイフを削り、その粉を塗ってあったのだ。
極微量のミスリルでも、効果は絶大だった。


「グゥウウウウウゥゥウウ………」


手負いの獣のような唸り声を出しながら、レイは錬をにらんだ。
その視線を錬は笑って返す。
その時、『特製』が襲ってきた。
手に持つのは巨大なウォーハンマー。
これで叩かれればヒトなど唯の肉片だ。
予備動作無しなのに、ハンマーは高速で横に振るわれた。
錬は伏せてそれをかわす。
だが、『特製』はハンマーを高々と上げて振り下ろしてきた。
一瞬で錬は回避できないと知った。
しかし、防げないわけではない。
錬は右手のナイフを上へと上げた。
それは振り落とすハンマーを握った、『特製』の右腕を深々と抉る。
残った左腕で『特製』の左腕を左へと押しやる。
ウォーハンマーは、錬の人間一人分、左に叩き込まれた。
飛び散る土が錬に叩き込まれる。
十分な勢いを持った土は、それなりの痛みを錬に与えた。
だがすでにその時には、錬の視界は毒々しい緑に染まっており、錬は痛みを認識できていない。
それでも、筋肉が少しずつ機能を低下していく事は分かった。


「――――ハッ!」


立ち上がりながら、ナイフを『特製』の首筋に突き立てる。
そして横へなぎ払った。
何か透明な液体を撒き散らしながら、『特製』は倒れた。
………これでレイの用意した兵士は全滅だ。


「甘いな、これで俺に勝つ気だったのか?」

「アア、これで勝ちだ」


レイが微笑んだ。
それに寒気を感じ、錬は後ろを、レイの視線の方向を見る。
小さな女の子がいた。
その手には鉄製のハンマーを持ち、顔は恐ろしいほど無機質な表情をしている。
錬はとっさに斬り倒そうとして………


「そいつは、月河藍子さ」


レイの言葉で止まった。
その名前は………


「綾美の………妹?」


藍子のハンマーが、錬のわき腹を強打した。









「どきなさい竜太!」

「どけません!」


秋雨家。
その玄関へ続く廊下にて、綾美と竜太が口論していた。
竜太が玄関側をふさいで、綾美がそれを通ろうしている。
体当たりも、別の道を試しても綾美はこの家から出られなかった。
綾美が能力を限界まで開放し、普通の人間ならショック死をしかねない殺気を叩き込んでも、竜太には効かない。
力も意思も格が違う。


「間違いなくレイは藍子を出してくる! 彼女は、私が………!」

「殺すのですか?」

「そうよ!」


あの後、錬が家を出た後、綾美はやっとレイが錬に立てた作戦が分かったのだ。
それは人間にしか効果が無いが、絶大な威力と悪意を持つものである。
つまり、善意を利用する事だ。
だがそれ以上に、綾美はやらなければいけない事があった。
藍子は、自分が殺してあげないと、いけないと思う。


「妹なんでしょう!?」

「もう! 私も藍子もヒトじゃない! なら、血のつながりなんて意味が無いじゃない!」

「それを否定して……… 自分を化物にしてしまう気ですか?」

「半分は怪物よ!」


綾美は叫びながら右腕をカギ爪に変形させて振るった。
対する竜太はそれを一歩下がって避ける。
一度ポケットに手を入れようとして考え直し、かわりに輸血パックを取り出した。
血を自由に変化させる―――まるで魔術のような―――力を使う竜太の、戦闘体勢だ。


「もう一度、言うわ。 どきなさい」

「だめです」


竜太は輸血パックを開けて、その中身を手にたらした。
即座に血液は形を作り、硬質化し、鋭い刃をもった小刀に変形する。
それを右手に持ち、綾美の方へ刃先を向けた。


「いいかげんにしなさい」

「それはアナタよ」


竜太は目を細めつつ言い返す。


「この剣でアナタを刺します。 死にませんが、今日一日程度は身動き取れませんよ」

「できる?」

「できます」


そして竜太は動いた。
何の予備動作も無く、すさまじい速度で綾美へ剣先を突き出す。
かろうじてその突きを受け流すが、竜太は間合いをつめ、腹を殴った。


「―――!」


綾美はその一撃で倒れた。
体をくの字に曲げ、壁を背にして倒れこむ。
だが即座に顔を竜太へ向けた。
竜太は小刀を綾美へと振りかぶっていた。
爪でそれを弾き、立ち上がる。
距離はほぼ零距離。
普通の長さの剣なら振れないが、小さい小刀なら問題は無い距離である。
無論、綾美の爪も使用に問題は無い。
しかし、力の差が大きすぎた。
綾美の攻撃は効かない、竜太の攻撃は効く。
それだけで、もう勝敗は決まっている。
だが、倒れたのは竜太だった。


「―――!?」

「睡眠薬よ……… 人間なら致死量をはるかに超えているけど、アナタなら1、2時間眠る程度でしょう?」


急激な運動は薬のまわりを早くする。
竜太が眠ったのを確認してから、枯れた声で綾美は呟いた。
だるかった。
もう体も、心も壊れているように、綾美は感じる。
倒れた竜太を見下ろし、ゆっくり腕を人間の形に戻した。
慣れてしまった動作、それは綾美自身に現実を突きつける。
『もう人間では無いのだ』と。


「もう、分かってるわ。 人間でない。 これは現実」



綾美は竜太に近づき、ポケットを探る。
そして4発式のリボルバー拳銃を見つけた。
綾美は知らないが、この拳銃はフォルサー・カンパニー『ヴァンデッタ』のプロトタイプ。
『ヴァンデッタPT』と呼ばれるものである。
装弾数4、無論正気とは思えない口径を持つ。
持ち主の反動を考慮していない構造と弾丸のせいで、もし普通の人間が使えば腕がもげるほどの反動がある。
だが綾美なら使用可能だ。
すこし銃をみて、考えた後それをふところにしまう。
そして、駆け出した。










「ごふ…… がふぁ………」


血を吐きながらも、錬はレイと藍子から離れた。
肋骨の一本が折れ、肺も痛めたらしく吐血するのは止めれない。
だが、すぐに痛覚を無視して立ち上がる。


「人間のクセをして、よくまぁそこまでタフだな」

「お前よりは……… マシだ」


新しい武器を両手に取り出す。
右手には肉きり包丁、左手にはサバイバルナイフ。
それらを構えレイへ向きかえる。


「形勢逆転、というやつか」

「……………言ってろ」



世界が…… 汚れていく


錬は自分の意識が薄れていくのを自覚している。
そして、それが力になることを、錬は知っていた。
だが同時にそれが危険極まりない事とも知っている。


(今度はいつ、還ってこれるやら………)


ただし、この汚れた世界を見続ければ、そのにとらわれる。
帰還できるのはいつか分からない。
見ている間は錬は唯の怪物になる。

………人間の姿をしている、怪物に。


(それでも、いい)


こいつは、倒す。


(藍子を避けて、レイを殺せるか……… YES、どうにでもなる)


必要なものは牙と力、そして速度。
いらないものは痛み。








はははは………そうだ。
それで、いい。








「……………!」


肺がきしんだ。
言葉にもならない息が、喉から搾り出される。
世界の時間が伸びる。


「な……!?」


その速度に、レイは反応する暇も無くその額にナイフを突き立てられた。
手で速度を殺し、レイのかなり後方で止まる。
錬は気づいていなかったが、その動きは死織と全く同じであった。
レイはナイフを引き抜き、綾美のように手を爪に変える。



「―――――ッそい」


肉きり包丁をその変化した腕とまだ変化していない境目に叩き込む。
そして神経を遮断する。
だが変化は止まらない。
包丁を境目に、変化した腕と変化していない腕がはがれた。
別の物質に変質する変化と、変化していない部分で細胞の結合が出来なくなったのだ。
錬は包丁を引き抜き、首へ突き立てようとする。
だが、その前にあの黒い帯が錬を投げ飛ばした。


「《サーペント》!?」


自律行動か………


それを理解して着地する。
同時に藍子がハンマーを片手に突撃してくる。
錬はコートを脱いで投げつけた。
コートに包まれた藍子は、機械的な反応で破ろうとする。
だが鉄線を仕込まれたコートは、その程度で破壊できない。
錬は足止めの効果を確認してから、一つの黒い影となりレイを狙う。
《サーペント》がうねる。
それによりレイは動きを阻害され、回避行動が取れない。
「馬鹿め」と心の中で錬は呟く。
《サーペント》の動きはめちゃくちゃでぶつかる事もあった。
その中へ飛び込んでいく。
浅くわき腹を《サーペント》が抉る。
左腕を《サーペント》が貫く。
だが、錬は止まらない。
包丁をレイの首筋に叩き込み、ミスリルのナイフを構える。
背中を数本の《サーペント》が切り刻む。
しかし、錬のナイフはレイの頭部へ突き刺さった。


「がは………」

「早く、くたばれぇッ………」


《サーペント》が錬を攻撃する。
藍子も襲ってくる。
《サーペント》の刃が錬の頬を抉った。
藍子のハンマーを左腕に受ける。
鈍い音を立てて、左腕の骨が砕けた。
その痛みに顔をゆがめても、ナイフでレイの急所を刺し続ける。
ミスリルのナイフが吸血鬼の骨で削れて行く。
砕けていく、壊れていく。
それに比例し、レイも壊れていく。
ついに刀身が砕け、無数の破片となった。
同時にミスリルは粉々に砕け散る。
この攻撃は、レイに致命傷を与えた。
「何故だ」と言う顔をしながら、地面に倒れる。
藍子も命令をするマスターの力が無くなり、糸の切れた操り人形のように攻撃をやめた。
《サーペント》も力を失い、地面に落ちて黒い液体と化す。
錬も地面へと倒れこんだ。
力なくナイフの柄を手から離す。
そして、ポケットに手を伸ばし指輪をつけた。

これこそが、この戦いが終わった合図だった。









気配が消えた…


町中でに、錬に向け放たれていた殺気は消え去った。
綾美はそれを感じ取り、走る足を止める
世界が一瞬で静寂と化した。
その急激な変化に、綾美は錬がレイを倒した事を理解した。


「………とんでもない…」


とんでもない強さ。
錬の力を、改めて理解した。
だがその後から、今度はとてつもない気配が綾美の身を振るわせた。
殺気というのも生易しく感じてしまうほどの、圧倒的な鬼気。
それが、レイの気配に取って代わり表れたのだ。


「――――――!!」


一瞬、綾美は逃げようとしていた。
その気配から、無意識に体が逃避しようとしたのだ。
震えた手でヴァンデッタPTの冷たい鉄に触れる。
死を内包した弾丸を内蔵するその鉄の感覚が、綾美に覚悟を決めさせる。


「お嬢さん」

「―――――!」


全く気配が無かった後ろから、声がした。
ヴァンデッタPTを構え、後ろを向く。
そこには、一人の男がいた。
巨大な1m80はある男の身長より長く大きい二つのバックを持っていた。


「道案内を頼みたいのだが?」

「………誰?」


警戒を解かず、銃口を男の額に向けて言う。
男はゆっくりポケットに手をいれ、Tと刻印された十字架を出した。
そして、堂々とした態度で言った。


「教会第一聖典『アノウ・セブンロード』だ、よろしく、吸血鬼のお嬢さん」








「………ふ、はは、はは。 ははは………」

「…………?」


錬はふいの、力無い笑い声に顔をあげた。
壊れた顔面で、口でレイが笑っていた。


「はははァ……… アイツの、死織の言った通り、お前は唯の化物だ……」

「………………………?」

「お前は相手を殺すためなら自分なんてどうでもいい。
 それを人間といえるのか………?
 NOだ。NOだNOだNOだNOだNOだ、NOだNOだNOだ
 NONONONONONONONONONONONO……………」

「ゴキブリが、うるさいデスネ………」


轟音。
レイの頭部が、飛んできた槍で爆砕した。
錬は即座に槍が飛んできた方向を向く。
そこにはあの発音が変な神父が、左腕に聖書を持って立っていた。


「ヤぁ、おひさしぶりデス」

「………そうだね、おひさしぶり」


なにがだ、つけてたクセに………


心の中で呟く。
錬は彼が、校庭の入り口でこの戦いを見ている事を知っていた。
そして、この男がとてつもない危険人物であることも。
男は、ポケットに手をいれXと刻印された十字架を取り出し、笑いながら言った。


「改めマシて、教会第五聖典『クロード・G・エンセンス』デス」

「秋雨、錬だ」


ゆっくり、悲鳴を上げる体に無理を聞かせ立ち上がる。
サバイバルナイフをポケットから取り出し、刃を出した。


「見ていましたがナカナカすごいものデシタ、アナタなら聖典にもなれますネ」

「………今は取り込み中だ」

「デスよネ……… だから、ごみ掃除デス」


クロードは高速で、錬が知覚できる限界近い速度で動いた。
黒い地に、金の細工を施された槍に――レイに投げつけた槍に――と走る。
神槍『グングニール』。
黒い五番目のオリハルコンとミスリル、そして純金により作られた剛なる槍。
その巨大な槍の柄に手をかけ、クロードは走り始める。
そしてそれを助走に槍を投擲した。
槍は藍子の腹に突き刺さり、彼女を消し飛ばした。


「な………」

「ごみハごみ箱ヘ、デス」

「………………」

「さてと、改めて勧誘シマショウ」


また高速移動で槍を回収し、男は錬へと向きかえった。


「教会……… カンタンにイエバ人類の敵を滅ぼす存在デス。
 いわば人類がヘイワに暮らしているのはワレワレのおかげなのデスヨ」


槍を、とてつもなく重そうな槍を軽々と持ち上げて、肩に担ぐ。
錬はいまさら理解した。
クロードは、この男は狂信者だと。


「だから、人類を脅かすごみは殺しマス。
 アナタにも選ばれたチカラがアリマス、どうデスか?
 一緒に『世界の守護者』を目指して」

「……唯一つ、いえる事がある」


錬は黒月の指輪を外した。
右腕でポケットに指輪を押し込み、ナイフを引き抜く。
クロードは、錬の行動を無言で見ている。


「こっちから願い下げだ、狂犬」

「アナタは聖典を汚しマシタ、死で償いなさい」


クロードは槍を構えた。
両手で柄を持ち、矛先を錬へと向ける。
ナイフを構え、錬もその剣先をクロードに向けた。
そして、同時に言う。


「行くぞ」


教会第五聖典と、錬の戦いが始まった。






















次回 縁の指輪 
一の指輪 四刻目 涙の結果