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縁の指輪 
    一の指輪 一刻目 出会いと戦い、ナイフのひび割れ


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5月18日 午前1時15分


「ハァハァ……ハァハァ……ハァ………」
少年は、自らの手に持った血まみれのナイフを見つめた。
暗闇の中、周りに破壊されつくされた鬼の死体が落ちている中、唯一命を持つ少年、秋雨錬は立ちすくんでいる。
雨がその血を荒いながし髪を体にへばりつけていた。
「何で、だろう。 なんで、殺した。 殺す、必要は、無かった。筈だ。なのに、なんで、殺した。なん、で………」
『殺したかった。いや、殺さなければいけないからだ。 だろう』
「るっさい。 黙れ、ダマレ、黙れ!!」
『本当の事、言われるのが嫌なの』
錬は唇を変色するほど強く噛んだ。切れた唇が血を流しだし、痛みが少しだけ意識を直してくれる。
残骸を踏みしめて、夢遊病者の足取りで歩きはじめる。目的地はある。自分の家。
(いいのか。本当に、本当に)
家にこの血まみれの姿を出していいのか?
親がいないのは、いい。しかし家に、自分の聖域。唯一自分を偽らず生きられる閉鎖空間に、こんな姿を入れていいのか?
それが嫌だ。もし、この血まみれの姿の死臭や血の匂いが家にしみこんだら、もう自分の生きる道が無くなるかもしれない。
それでしか今、自分を保っているものは無いのだ。
(馬鹿か。 それ以外無いからそこへ向かうんだ)
無駄な足掻き、それは知っている。それ以外の何の意味が存在できるのだろうか?
しかしまだ、死臭がする。いや、違う………
(死に掛けの気配。 人、なのか?)
錬はそれを感じ、さらに裏路地に入り込んでいく。ただでさえ深い闇がさらに深まり不快感のみがそんざいした。
命あるものは闇を恐れる。正確にはその中にいる自分ではかなわない化け物に対してだ。
(化け物が化け物を恐れる理由は、無い、か)
本当に?
「……………女?」
裏路地の角を曲がった場所に、女が倒れていた。
多分年齢は同い年、つまり15か16。紫の腰までの髪が地面に、血と雨で垂れており肢体もだらしなく地面と壁に倒れていた。
いや、違う。血は彼女自身の物ではない。それにだらしなくでは無くつかれ切っているのだろう。
(この人も、人外?)
黒いはずの自分の瞳はその女を見て、蒼くなっている。
しかし、敵意や殺意は無い。つまり、ころさなくともいいのだ。こんな嬉しい事はそうそう無い。
その少女の肩に手を置く。しかしその瞬間、錬は固まった。生き物特有の暖かさが無いのだ。血が運ぶ活気や生命力が感じられない。
死んでいるのかと思ったが、そうではない。これが平常なのだ。彼女にとっては。
「……………起きて」
そういってから肩を揺らした。しかし、成果は無い。
錬はそう思い、考えることにした。この子をどうするか。
ここにおいていけば、確実に死ぬ。ただ生きていているのなら生き残れる可能性もあるだろう。なにせ人間では無いのだ。
しかし、彼女の様子や姿から見て彼女が追われているのは確かである。なんとか退けたようだが、次は無い。
この体力や状態では、赤子の手をひねるように殺される。
かといって助けるといってもどうすればいい。
自分の家に連れて行くと言う方法もある。しかし、その場合。そのあとが大変となる。
(殺さないで、いられるか?)
錬には、人外の血が流れている。その血が、他の人外の生存を許さない。
鬼を殺してしまったのも、そのせいだ。
しかし、多分大丈夫であろう。なぜなら、今、殺さないからだ。
(本当に殺そうとしているなら、もう、殺している)
錬は彼女を背中に担ぎ、歩き出した。






5月18日 午前3時00分

港。

「ココがニホンかぁ………」
男はなまりが多い日本語で、空を見上げながら言った。
服装は、別にかっこいいもださいも無い、普通。だ。
しかしその肩には鞄と共に、大きな布の塊があった。その大きさは大体彼の身長の半分ほどはある。
いかにも重そうな品物を、軽々しくその男は持っていた。
そして異質なモノがその左にもいる。
赤い皮コート、赤い軍帽子を被った男性。
別にアメリカ人の血が混ざった日本人に見える。外見上だけは。
物腰は歩いていても常に上半身を揺らしていない。これは暗殺者特有の癖だ。
肩にはハーネス。腰にはホルダー。どっちも口径が大きい拳銃が収められていた。そしてそれを赤い皮コートで隠している。
実際、凶器はコレだけではない。
そもそも彼自体がこの世界に他にいない最高の凶器なのだ。
アレフ・リキュール。最強の紅。紅の魔王。
「でしョ。 アレフ・リキュールさん」
「気安く呼ぶな。 犬」
なれなれしい口調で男はアレフの肩に手を回して言う。
しかしそれに反するようにアレフは冷たい口調でその手を払った。
男の手にナイフが握られており、そのまま肩に手が回されればアレフの首に突き立っていたはずだ。
同時にアレフの左腕はニューナンブ改<<スレイプニール>>をホルダーから抜き、男の心臓付近に突きつけていた。
指は振動だけで発射しかけないほど引き金を引いており、危険極まりない状態で止まっている。
なんて、連中だ。殺人と脅迫が日常茶飯事なのだろう。非常識ここにきわまり、だ。
「アァコロしたい。 ホントウなら貴方も処分されているのデスよ。 教会の懐が広くてよかったデスね」
「殺せると、思うか」
男の恨みで塗れた声。それを冷たくアレフは引き裂いた。
「……………チ」
「…………………吸血鬼の足取りを書いた紙はこれだ。 オマエなら見つけられるだろう。 勝手にやっていろ」
アレフは乱暴に紙を男の手にねじりこんで、立ち去ろうとする。
よほど腹にすえているらしく、時々悪態もついていた。
「クロード。 オマエは、俺が嫌いだが。俺もオマエが大嫌いだ」
すこしして、アレフはいなくなった。
その背中を見送ってから、クロードは呟く。
「違いマスよ。 今すぐ殺したいほど、キライです」





5月18日 午前4時00分


―――夢を見ていた。
逃げる夢、逃亡者の夢。
自分は何かから逃げていた。しかし、逃げているのに、何かは確実に笑いながら、自分を助けてくれた者達を殺して行く。
「や………めて」
無駄なこととはしっている。無論、止まってはくれない。
がむしゃらに走り続けて、ふと足元に気づくのだ。
助けてくれた人たちの死体で出来た地面に。その恨めしい視線に。
「イヤァァアアアアアアアアアアアアアア!!!」
いつも、夢はそこで途絶える。


跳ね起きた。
少女はベットの上で数秒間、荒れた息を整えるため息をついた。
そして、ココが何処かと言う疑問に気づく。
「おはよう」
そして、部屋の壁に背中をつけて、毛布だけかけている少年に気づいた。
「貴方、は」
「秋雨、錬。 しかしまあ、あんな状態でよく風邪を引かないものだ」
錬は自己紹介の後、毛布を取って部屋から出て行こうとする。
そして少女は気づいた。
この少年は自分を裏路地から家まで運び、なおかつ自分のベットを渡して毛布だけで寝ていたのだ。
しかし、この部屋は暗い。分厚いカーテンを閉め切っているのだ。
つまり彼は自分の正体に気づいている。
「あ、ま………」
「大丈夫だ。 非常識なら慣れているよ」
意味不明な言葉を言って、錬は部屋から出て行った。
少女は服装が変わっていることと、体が拭かれているのに気づいて顔を赤くした。





5月18日 午前7時10分


「なんで、怒るの? 気に障る事でも言ったっけ?」
「人に触っておいて何を!?」
「ああ。そういうことか」
錬は台所で目玉焼きをつくっていた。そのときに、コレだ。
どうやら傷口などの治療をするために服を脱がせたのが気に入らないらしい。
しかし、実際には傷は無いと思っていたがそれは見た目だけであった。
内出血で膨れ上がったところが数箇所あり、そこに膿がたまっていた。それを針で取り除き消毒しておいただけだ。
それに………
「血まみれの女を見て興奮なんでしないって」
「―――――私に魅力がないとでも」
「そういう意味じゃないさ」
この女。面白い。
そんなふうに話を聞いていると―――少女には大変不愉快な事だが―――矛盾点というか間違いを言っているのに気づいていない。
それで慌てて後々に言い訳をして、さらに悪化させていく。
錬はそれを感じて、少しだけ笑ってみた。
しかし少女は弁解に忙しいらしく、こちらに気づいていない。
―――しかしそれは表向きの出来事でしかなかった。
錬はポケットに入れたままの右手に、折りたたみ式のサバイバルナイフをいれている。
そしてその足はいつでもテーブルを蹴り飛ばし、少女に切りかかれるようになっていた。
錬にはその自覚が無い。
無意識の内にそのような体制をとっているのだ。
それは、何故だろう。
………抑圧された人格と言うのを知っているだろうか?
たとえばここに一人の優等生がいるとしよう。
学校での授業態度も、成績もとても優秀だ。だが、それゆえに親から期待という重荷を背負わされる。
悪いことはできない。遊ぶことも出来ない。家に帰っても勉強。勉強。母からの期待。父からの期待。
それゆえに『優等生』を演じ続ける。
なら悪いことをしたい自分は何処へ行ったのか? 遊びたい自分は何処へ行ったのか?
答えは、内側。その言葉にならない想いは中へ中へと沈殿していく。
そして、もう一人の自分ができるのだ。
錬はその兆候は無い。しかし、どう見てもその体だけが他人に見えた。
「で、何で倒れていたの? 挙句傷だらけで返り血のおまけつき。 ……………そもそも、君、人間?」
「―――!?」
「言いたくなければいいよ。別に。 化け物は『コッチ』なんだからね」
錬は自嘲気味に笑いながら質問を取り消した。
少女には触れてほしくない話題だったらしいゆえに、少女は顔を怒りに染め上げていた。元々か?
「しかしお礼や名前くらいは教えてもらいたいんだけど? お金は要求しないからさ」
元々、お金など取れるような事をしてはいない。それに唯の気まぐれなのだ。彼女を助けたのも。
ただ単に、虎が獲物の親子のうち、子供だけを生かしてやったようなものだ。それがたまたま、死なずに生きていただけ。それだけ。
(そうだよな。化け物が他人を心配なんてしないよな)
「私は………」
「ん………?」
「私は、月河綾美です」
「つきかわあやみ。 ……………ああ、六年前の」
月河家、それは一年前に一家が変死体で見つかった家であった。
父、母、娘二人に息子一人の家族構成のうち、死体で見つかったのは父と母と息子だけである。
死体は血液を殆ど抜き取られ、ミイラの用に枯れ果てていた。
そして長女の綾美と末娘の藍子の二人は行方不明となっている。
その長女……………
この事件は吸血鬼事件と呼ばれたが、死体から全ての血液がなくなっていなかったと言う事から吸血鬼とは確認できず、
戦六も、教会も聖十字軍も動かない故に普通警察の捜査がずっと続いている。錬もそのような組織の存在をうすうすだがそのころには感じ取っていたので、
そいつらが動かないから不安は無いと、思っていた。
しかし、今、それを後悔している。事件がおきたときにそのままそこまで歩んで行き、元凶を殺しておけばよかった。
そうすればこんなめんどくさい事態にはならないはずだ。
「……………そろそろ行かないと」
錬はそう言って、歩き出した。中学の制服を着たまま、鞄を背負う。
「今日は、土曜日でしょう」
「ああ、休みだけど、委員会活動でね」
錬は中学校では、荒神優、鈴雪真紀、夏樹紗美と共に図書委員を行っている。
今日はちょうど、二ヶ月に一回の図書館整理なのだ。総勢一万はいかないが1000は超えている本を一個一個調べて片付けていくのだ。
楽とは言えないが、各クラスに4人、三年までありクラスも四づつ存在する。つまり4×4=16+αである。
αは教師など、それだけの人数でその上、ボランティアで10人は参加する。結局のところ、少しはマシ。
少しは、だ。コレだけの本の数、たかが十桁の増援でどうにかなるとは思えない。
しかしどうにかしなければいけないのだ。
「帰りは遅くとも午後六時、居なくなるもここに居るも勝手に決めて。ただし、その体で動き回らないほうがいい。まだ筋肉痛とかあるだろう。
 それに、ああ。そういえば……… 冷蔵庫に作り置きが有るから、チンして食べてくれ」
錬はさらに自分で作った弁当を手さげ鞄に叩き込み、三本の折りたたみナイフをポケットに押し込んだ。
そのまま、錬は家を出て行った。
綾美はテーブルに載った湯気を立てている麻婆豆腐を見つめた。
朝から食べるには、重すぎる料理であった………






5月18日 午前8時15分 学校図書館


錬は本が好きか?
答えははいである。お金が少ないうえに、いつも買っている『有る物』のせいで、本が変えないのだ。
本といっても、好きなものは哲学である。
それなら自分の『無意識』も理解できるかも、と思っているから。
無意識での戦闘狂のような行為。
それは買い物にも及んでいる。何本もの………
「錬、どうしたんだ?」
「ああ、優クン」
錬は哲学のコーナーで、表紙ごとに分類していた。
実際には、この中学の哲学本は全て完読しており、タイトルだけでどんな内容かもわかるのだが、念には念を入れておきたい。
万が一にも、それが存在するのだから。
「どうか、してた?」
「意識がお花畑にいってったよ」
「………………………」
そうとう冷静というか、集中と言うか………そのせいで危険な状態と見えてしまったようである。
しかし、この友人もそうとう「喰えない」奴だ。
どこか、遠くのところで鬼の気配がする。鬼、なのだろうか?
(なら、いつか殺してやる)
―――何を!?
(鬼、なんだろう? 鬼そのもので無くとも、気配さえアレば殺すベキだ。殺せ殺せ、そのために、お前は力を持っているのだろう)
優から放している瞳が、蒼く染まっていく。指輪が音を立てて床へと落ちた。それを見て優が驚いたが、それより問題は………
「ち、近づくな!!」
「錬!?」
(殺せ殺せ殺せ殺せ殺せコロセコロセコロセコロセコロセ………)
今、近づかれたら抑制できない。
殺してしまう。あの時の鬼のように、あのときの―――
―――あの時のように―――
――――ドクン――――
(――あの時?――)
ホンのすこし前まで、自分の理性を焼きひき潰そうとしていた殺戮衝動が消え去った。
それは、不思議な光景であった。それが、数瞬だけフラッシュバックしたのである。
女の子が、いた。小さな、女の子、僕は、彼女と一緒に、笑っていた。幸せな、はず、の………
幸せな、はずの。光景。なのに、悲しみだけが積もっていく。
(ね。 約束)
(うん。約束)
――――約束。
何の約束なのか、それは分からなかった。しかし少女と僕は小指同士を重ね合わせて約束をする。
少女の満点の笑みが、どこか悲しげに見えた………
錬はゆっくりと指輪を拾い上げ、付け直した。瞳の色も元の黒に戻る。
いつの間にかポケットの中のナイフを抜こうとしていた右手も、ゆっくりと抜いた。
なんとか、なったのか?
錬を苛んでいた衝動は、まだ完全に消えたわけではないが、耐えれないほどでもない。
さっきまでに比べれば雲泥の差だ。しかし。
「どうしたんだよ錬!!」
「あ、ああ。あ、うん。 ……………いや、ちょっと、ね」
喉がガラガラだった。錬は哲学の本を乱暴に机に置き、廊下へと走り去っていった。
それを見て優は不思議がったが、すぐに自分の作業へと戻る。
変だと思っても………


綾美は錬の家にいた。
最初は外へ出ようとしたのだが、あまりにも外は明るく、それを見て家の中に戻ってきたのだ。
最初、朝では気づかなかったが、錬のベットの下には無数のナイフが置かれていた。
しかも、どれも手入れが行き届いており『刃物好き』が『使うため』に買うような『実用的』なナイフである。
つまり戦闘用。
挙句、血塗れのナイフも丁寧に刃を潰され燃えないゴミに洗われて出されている。ワケではない。
ナイフも全て研ぎなおされて元のようにおかれていた。
それはつまり、この家の主『錬』という男は、血塗れになるような事態に会う。もしくは会いにいっていると言う事だ。
もしかしたら、ここに居るほうが、危険なのでは無いか?
(違う。 こんな事態を楽しんでいた。なら、私が敵でもどうにでもできる力があると言う事………)
彼は気づかれていないと思っていたようだが、助けたのに彼は自分に警戒をしていた。
そう、綾美も彼、錬には敵かその他か。という認識しかないのだ。
(それでも)
それでも、彼に頼らなければいけない。
綾美の体は錬が指摘した通り、ぼろぼろだった。
関節はすこし大きく動けば激痛が走るし、筋肉も所々引きつっている。
握力もかなり危険な状態まで下がっていた。
(まだ。駄目)
綾美はそう思いながらも、錬の家の中を歩き続けている。
結局のところ、錬以外の人間は、いや生き物は綾美しか居なかった。
部屋は11、しかしほとんどの部屋が使われていない。
そう、両親の部屋も。少なく見積もって3年は帰って着ていないはずだ。
ホコリ塗れのベットに、ただ一枚。紙が置かれていた。
ただ一言が書かれた紙。
『もう、いなくていい。いないでほしい』
………部屋などで見つけた、錬の書籍と同じだ。
親にいなきていい。いないでほしい。そんな事を言えるほど、錬は両親を嫌っている。
(会いたくたって、会えない人だっているのに)
綾美には、それが大変不愉快だった。
両親が生きているだけでも幸せではないか。
なのにその幸せを放棄すると言うことは、父と母の愛を満足に受けられず、今を生きざるを得ない綾美にとっては悪いことにしか思えなかった。
その部屋が嫌いになり、さらに綾美は別の部屋へと向かっていく。
今度は、大きな部屋だった。
床は全て木。壁に立てかけられた掛け軸。
丁寧に折りたたんで置かれている胴着
とても使い込まれた竹刀と木刀が壁に立てかけられ、ここが剣道の道場である事を示していた。
しかし、綾美の目を引いたのはそれではない。台にしっかりと、手入れが行き届いて置かれている鞘入りの刀。
その鞘は鈍く輝き、そしてその刀からはなにやら剣呑な気配がする。
そんな、刀。
「何、コレ」
思わず手に取り、抜こうとした。
………しかし、抜けない。
確かに力は落ちているが、刀を抜くことぐらいはできるはずなのにビクともしない。
一瞬、刀が溶接でもされていると思い、綾美は鞘と刀の接着面を見てみるが結局の所それは無かった。
つまり、抜けないはずがないのだ。
………彼女に知識があれば、これは尋常な刀で無いことはそくざにわかるだろう。
が、しかし所詮15歳………本来中学三年程度の知識では、コレが何かは、推測すらできまい。
ただ、異常な品物だと分かった程度である。
(妖怪屋敷?)
錬の家は、実際に屋敷であった。広い庭にたくさんの部屋。和風の屋敷と言うのが合っている。
しかし庭の池は雨水が溜まっているだけで、魚のさの字も見つからなかった。
………どこか壊れている屋敷。生き物の気配が希薄な世界。
綾美はこんなところに住むことができる錬の神経を疑った。
命の無い。命を否定する屋敷。そして異常な刀に部屋の状態。
何か、嫌な予感がした。





錬は今、学校より早退して帰路へとついていた。
来た道は登り坂が多いため、帰りは下り坂が多い。錬はその下り坂を下って学校から離れていく。
見たことの無い記憶のフラッシュバック。そう、着物を着た少女。彼女が、約束と言ったモノ。
(何の、ヤクソクなんだ?)
自分は、その少女を知らない。知らないはずだ。記憶喪失などの問題は無い。
だから、知らないハズが無いのだ
しかし錬はあんな少女を知らない。しかし、なぜか懐かしく、悲しいモノを感じる。
(なんだか……………)
なんだか、イラつく。
錬は怒りに身を震わせた。なんで、自分がそんな幻想に振り回されなければいけないのだ!?
相当、気が乱れていたらしい。
ドン。
「あ、ごめん」
誰かと、ぶつかった。
そう、錬はかなり注意力が散漫になっており、目の前の人間すら見つけれなかったのだ。
しかし、悪夢は別のところから現れてしまった。
チャリィィイイン。
指輪が、『黒月の指輪』が甲高い音を立てて地面へと落ちてしまったのだ。
錬はがちがちと震える指と手で、何とか指輪を拾ってポケットへと押し込むことに成功した。
しかし、もう片方は、どうしょうも無い。
「はぁはぁはぁ………」
鞄から、ナイフを取り出し、歩き始める。
(今のは、ヒトジャ………無い。 なら、殺さないと、いけない)
ドクンドクンドクンドクン………
普段はここまで早く大きくなれば、気持ち悪くなる心臓の鼓動も、いまは心地よく感じる。
全身が今頃起きたと思ってしまいそうなほど、感覚が鋭くなった。
口の中では唾液と空気の味すら判別できる。空気の流れが分かる。………一瞬でスーパーマンだ。
「あはは、はは、ハハハハ、はハハはははハハハハ………」
気持ち悪いな、誰の声だ? ……………そうか、自分のか。
錬は集中しきって他の何も見えないと思えそうな瞳のまま、フラリと、振り返った。
ぶつかった男は、今裏路地に入り込んでいく。
おあつらいむきに。
神様がくれた幸運だ。楽しまなければいけないな。




5月18日 午前8時40分 裏路地


「全く、もっとマシな場所を選べないのか? 春樹」
「場所を選んだのは春樹じゃないよ。 ロキ」
「その名で、呼ぶな」
白見は私服で、黒と白の色だけで構成された服で暗い裏路地にいた。
その服の黒色の部分が路地の闇と混ざり合い、闇自体が彼のように見える。
(これは、錯覚だよ。ねぇ春樹)
自分にそれを言い聞かせないと、そのまま誤解しきってしまいそうになる。しかし、それでも彼には異物と言う気配がある。
同じ魔王でも、何となく、毛色ではなく存在が違うのだ。
そう、同じ存在のはずなのに、同じヒトであるはずなのにナにか違うのである。
人類で言えば、日本人と外国人の違いではない。サルと、ヒトの違いだ。
根本的な所でズレている。
何か、違う存在。
「で、やっぱり第五階位?」
「アーシアに確認したけど………残念ながら、間違いなく侯爵級支配吸血鬼だよ」
「ああ、やっぱりね。 何て嫌な………」
侯爵級支配吸血鬼。戦六では吸血式生命体甲種と呼ばれている。場合によっては世界の存続にかかわる存在だからだ。
支配吸血鬼の力はたくさんある。
肉体を変化させる力に長けているのだ。
自らを蝙蝠や狼に変形させる『肉体変質能力』、相手の血液を奪い、自らの体液を流し込むことにより自分の配下である『従者吸血鬼』に人間を変えること。
しかし日光を浴びれば、簡単に細胞が破壊される。清らかな水に触れるとやけどを起こす。エクストラエクストラエクストラ………
そんな光の下では病弱な存在であるが、闇の中では絶大な力を誇る。闇の暴君。
男爵、伯爵、侯爵、公爵、帝の五段階の力のさがあり、帝に近ければ近いほど力が増す。
特に帝は今いるのは3人だけだが、その一人を殺すのに『教会』と『聖十字』はかなりの損耗を受けたのだ。
いまでは『ヒトの世界に手を出さない』という条件の下、普通に生きていることを約束されている。
これなら、可笑しいと思うだろう。
なぜそこまでの力を持つ存在が『約束』しなければいけないのか? それは『教会』と『聖十字』の切り札に以来する。
『教会』の第一階位『聖剣』、第六階位『聖典』、第十三階位『聖銃』。
『聖十字』の『黒翼のルシフ』、『戦獣フェンリ』、『眼光のアスラル』。
………どれも場合と状況と事態によれば魔王すらしのぐ力の持ち主だ。
彼らが本気で動けば、帝とて勝つことは不可能である。
特に『聖剣』と『黒翼のルシフ』は無敵という言葉が白々しく感じるほどの強さの持ち主だ。
さすがに、帝も彼らが居る限り動かない。いや、居なくとも動けないだろう。
まだこの世界には、どちらにも所属していない化け物がいるのだ。
戦六もその一つであり、まだ人前に現れもしない存在もいるはずである。
それらが全て消えることはありえない。
つまり、結局のところ動けないというわけだ。
そして、『教会』。
吸血鬼やヒトの敵を殺すのを生業とする組織である。
魔法使いや魔術士もその『敵』に入る可能性があり、ほぼ全ての魔術士と魔法使いが彼らの元へとついていた。
しかしのところ、あまりにも強い魔法使いや魔王は『教会』の支配を嫌い、自分達で『教会』が手を出せない場所にいる事がいつもの事だ。
アーシアや霧龍がその代表である。アーシア自身はその力ゆえに『教会』も手が出せないし、霧龍はそもそも何処に居るかもわからないありさまであった。
しかし、彼らも危険視するのが『教会』の懐刀『階位』である。
全゛12"階位。『聖剣』『聖刀』『聖鈴』『聖双』『聖槍』『聖典』『聖斧』『聖弓』『聖短』『聖鏡』『聖手』『聖杖』
そして居ないように扱われている『聖銃』で13。
どれも吸血鬼に対しては無敵に近い力を持っており、特定の階位の存在は吸血鬼以上の化け物で固まっている。
その第五階位が吸血鬼を殺しに日本に来たのだ。
春樹達が警戒するのは、吸血鬼相手ではない。それなら白見と春樹、そしてアーシアまでが警戒することなどありえない。
問題は『第五階位』の方だった。
支配階級吸血鬼………つまり俗に言う『主人』を主に倒している『教会』の中で、人意外を例外なく殺す狂人だ。
別の異名は『殺鬼狂』『宗教の犬』『狂人』………殺さなくてもいい。じっさい殺さない付人、隷属吸血鬼を殺すのを楽しんでいる。
支配から逃れられ、喜ぶ付人に無造作に刃物を付き合ってるのだ。その上、一撃で殺さず痛めつける。
普通は心臓を杭で打つなどで一撃で滅す。しかし、彼は再生が出来なくなるまで攻撃して殺すのだ。
その上、実力だけは超一流。いいうわさは『人』には優しい。だけ。それ以外には、最悪の人物である。
そんな『嫌な奴』が日本へとくるのだ。警戒しない理由が無い。
戦六は事件を彼が起こすのを待っている。それさえあれば『教会』に『第五階位』を消す口実ができる。
『第五階位』でも戦六全員を相手には勝てない。確実に始末されるだろう。
しかし、事件や自体がおきてからでは遅いのだ。
もし蒼や紅の魔法使い、魔術士が殺されれば………教会も確かに『第五階位』を捨てるであろう。
しかし、それで育て親というべき魔王が許すだろうか?
そうなれば、魔王も『教会』を許しはしまい。負けはしないだろうが、双方に大幅な戦力の低下が起きる。
そして、人外の『敵』たちが行動しやすくなってしまうのだ。
魔王にとっては両方とも避けなければいけない事態である………
「そうだな。 そうだな。 春樹、オレが抑止力になれればいいが………」
「無理だよ。 そういうところは鋭そうだから………それに、皇鬼………いや、竜太がどうにかするって」
「竜太が? それは珍しい」
「だね。 ……………おっと」
そこまで会話したところで、春樹は腕時計を見て驚いた。
どうした? と白見が聞くと、春樹は慌てふためいて立ち去っていってしまう。
(どうしたんだよ? 全く)
この路地裏はすこしの大きさの公園のようになっており、
入り口はビルとビルにはさまれた小さな道のみだけであり、その入り口も普通の人間が入れないように瓦礫でふたがされている。
つまり秘密の会話にはいい場所というわけだ。春樹はこのさっさと立ち去ってしまっており、白見もこれ以上ここに居る意味が無くなった。
その瓦礫を乗り越えようとして………
瓦礫から飛び出してきたナイフを回避した。
「何ィいい!?」
白見は叫びながら、瓦礫を貫通して飛んできたナイフを避ける。
飛んできたのは市販の、店で帰るような大量生産の安物ナイフである。
決してこんなとんでもないことが出来るナイフではない。いや、たとえたった一振りのすばらしいナイフだとしても不可能だ。
この瓦礫の中には鋼で出来た物も混ざっているのだ。不可能なはずだ。
(やっぱり、コイツだ……… コイツにしてよかった)
錬は暴走している。さっき春樹と白見の気配を感じて強い方、つまり白見に狙いをつけたのだ。
彼の瞳は蒼に染まり、その圧倒的な殺意は白見へと向けられていた。
(オイオイ………破壊の瞳? 何でこんな化け物に襲われなければいけないんだ!?)
白見はその蒼い瞳を知っている。
破壊の瞳と呼ばれる最強の能力の一つだ。この能力の前に意味は存在できない。
不死たる存在もその不死のルールが破壊されれば不死で無くなる。
どんなモノも破壊できる最凶の力。
現象すら干渉すると言う意味では、黒の魔法に近い。否定と同じ、いや、格闘魔法の総合で考えれば否定以上かもしれない。
全てを破壊できる力。
錬は白見が自分と似た力がある事が理解できた。だから、ただの短いぶつかるという接触でも覚醒したのだ。
確実に、しとめなければいけない。
厄介だ。コイツだけが自分と同じような力を持っている。だから、危険だ。
錬は短い思考で『殺す』事を決める。鞄から残ったナイフを取り出し鞄を放棄する。
二つとも店で購入できる程度のナイフである。しかしそれでもこの瞳が在れば何でも破壊できるはずだ。
「ちょっと………待てよ!!!」
「煩い。 どうする? どう殺されたい? 頭を壊す、心臓を潰す、脳髄を引きちぎる。 決められないならフルコースでもいいぞ」
そのあと、あははははと笑いながら、錬が白見の視界の中で巨大化した。
いや、違う。爆発的速度で白見に肉薄してきたのだ!
「―――!!」
とっさにデリンジャーを二丁引き抜き、ナイフをその銃身でさばいた。
ガチン! バキャン。
しかしナイフにより、デリンジャーは両断されてしまった。そのまま勢いを殺さず迫るナイフを白見は逆に錬の方へ跳躍することにより避ける。
「見えるんだよ………」
「―――?」
錬の真後ろに着地した白見を見ず、錬は呟く。それを可笑しく感じながらも白見は熱いわけでも無いのに汗が出てきた。危険だ。何か、危険だ。
錬は後ろを見ず、回転しながらナイフを投擲してきた。
それは見ていないのに異常なほど正確でその上とんでもない速度をもっているそれを、白見はワイヤーを振り回し、それに絡めて防いだ。
「見えるんだよ。 どうすれば効率よく殺せるか。どうすれば、壊せるか。 どうすれば、殺せるか」
「………同類かよ!?」
コイツも………人間じゃ無い………
錬の動きはあまりにも荒々しく、まるで獲物を喰おうとする獣のようであった。しかし喰うためではない、殺すため、それだけだ。
獣以上の、獣。いや違う、こいつは、死を餌にしているのだ。死を喰う獣。
(……………コイツ………なんだ? 何で、殺せない)
錬にも白見の事がよく分からなくなっていた。今までの雑魚なら簡単に殺せた。少なくとも今までの二発で、二撃で間違いなく。
なのに、殺せない。何故なのだろう。こいつはまるで自分の事を知っているようだ。手が見られているのだろうか?
しかし、今始めてあったはずなのに………何故?
(関係、無い!)
そうだ。どうでもいい! 何でも、やる! 死ぬまで、やる!
「ガ!」
ナイフを軸に右足で回し蹴りを繰り出す。それを白見は右手で防いだ。
してやったり。
錬はさらにその右足を軸に、ナイフを白見の頭を目指して振るう。しかし変わりと言わんばかりに白見はワイヤーをナイフにぶつけた。
そのままナイフにワイヤーが絡まり、ギチギチと拮抗する。
「何をぉおお!!!」
ワイヤーを引っ張り、ナイフを白見は奪い取った。それに錬は目を見開く。
どうやら信じられないらしい。しかし、言葉代わりに奪ったナイフを錬へと白見は突き出した。
しかし白見からみればコイツは破壊人形だ。破壊衝動に従うまま壊し続ける化け物。だから、遠慮はいらない。
本当に、そうなら。
ガァン!
白見の繰り出したナイフは、錬のナイフの腹が防いだ。しかしその衝撃で錬は吹き飛んでしまった。
錬は地面に一回、二回バウンドしながらも、反動でたちあがる事に成功した。
チャリン………
しかしその反動でポケットから指輪が落ちてしまう。無論、それを白見は見落とさない。
(封印の指輪!? よし、アレがあれば………)
それが白見にはどのような名前の指輪なのかは分からなかった。しかし、それでも強力な封印の力を持つことだけはわかる。
あれを、着けられれば殺さないで済む。
(しかしぃ………)
この指輪を使うためには、三つの関門があった。
一つは、指輪は錬―――その名前を白見はしらない―――の後ろに落ちていること。
つまり拾うには錬の猛攻を突破して後ろに出るしかないのだ。
そして二つめ、どうやって錬に指輪をつけさせる?
これは危険だが、破壊されないように『破壊できる』を否定したワイヤーでナイフをもぎ取り、後ろに回ってつけるしかない。
しかしワイヤーで身動きを封じることが前提だ。しかもこのワイヤーは極細で、肉を食い込み切り取ることを前提としている。
殺しかねない。だからナイフを奪わないのだ。ナイフで殺されることを防いでくれる事を祈る。
最後。この指輪が効かない可能性。
なぜならこんな指輪を持っているのに暴走しているのだ。ありえない事ではない。
しかし、これしか方法が無い。『否定』では『無いモノ』は否定できないのだ。
そう、暴走ではなくこれが何時ものことなら、もう駄目だ。
(分の悪い賭けはキライだけど………やるしかない!)
ズシャ。
ワイヤーを振るうと見せかけて、白見はスライディングで錬のナイフをかわして後ろへと進む。
錬は瞬間的に反応。真後ろを、つまり白見を見る。
そのときにはもう白見は指輪を拾って立ち上がっていた。
錬はそれに、正確には指輪に反応して残ったナイフを地面に対して縦に構え、白見に突撃する。
(早い、が!)
白見のワイヤーが走った。地面に対して水平に。
ナイフの刀身付近にワイヤーが飛んでいく。ナイフを軸にその先のワイヤーは絡まった。
ナイフはそれで使えなくなる。
「――――――!?」
(戦いなれはしていない!)
確かに、錬は衝動に流されて暴れているだけだった。その上、彼より強い敵は現れなかったのだ。
そのせいで、こんな絶体絶命の危機に対しどうすれば対抗できるのか分からなくなってしまったのである。
しかしコレは白見にとってはこの上なく嬉しい誤算であった。この一瞬の隙だけで勝てる。
戦いはほんの半瞬でも呆ければ負けるのだ。それが理解できていない以上、どんなに多くの戦いを経験しても玄人には成れない。
永遠に素人だ。
ワイヤーを放り投げ。二つめのワイヤーを服の左袖から引き出しながら、白見は駆け出した。
使えなくなっているナイフに執着し、全く動けなくなっている錬は彼が迫って来ているのを見てやっとナイフをほうり捨てる。
(遅い―――!!)
しかしその判断と反応はあまりにも遅すぎる。その遅さに白見は薄笑いを浮かべながら、その腹に重い平手をぶつけた。
衝撃で『く』の字に曲がる錬の頭を掴み、ひざを上げて頭をぶつける。
これにはさすがに耐え切れなかったらしくふいに錬の体から力が抜けていった。………気絶したのだ。
手を放して数歩白見は下がる。その前で錬はゆっくりと倒れていった。
「殺鬼人………なんて厄介な」
(さつ……き、じん?……)
しかし、実際には錬はまだ意識を失っていなかった。 白見の呟いた代名詞が、自分を意味する言葉と言うことはわかったが、錬は言葉を記憶する事しかできない。
口を開いて「なんですか。それは」と聞きたくとも、体が動かないのだ。
遠くなる意識の中で、錬は嫌な夢を思い出そうとしていた………











そうだ。何か………大事な、何か。
それをなくした気がするのだ。それに記憶も夢も想いも砕けてしまえばそれまでか。
自分は、まだ自分に気づいていない。自分の事なのに自分の事が分からない。
自分の『異常』さ。この瞳、この力。この………
そうだ。自分こそが『敵』の敵。
さぁ。思い出せ。
………それとも、思い出せなくしているのか? お笑いだな。
あの二人か? そうかあの二人かぁ!? あの二人に封印されたのか!
くそ。 忘れてしまうのか! 俺を忘れてしまうのか!? くそう。出れるのは少しの間だけか!
あの尼め。あの豚め! オレを消し去るつもりか!
だが………アァハッハッハッハッハッハッハッハハハハ!
俺を消せると思うのか!? たかが人が?
そうかそうかそうかそうかそうか。愚かな愚かな愚かな愚かな愚かな! 俺は―――だぞ。
それがたかがこの程度の封印で? そんな、可笑しい!? そんな。
………そうか。お前もか!?
何故だ! 何故だ! 何故ぇだ!
お前と俺は同類のはずだ! なのに、なんでだぁぁあああああああ!











雨が、降り始めている。
まだ弱い勢いの水滴の群れの中、闇が多い尽くす道を綾美は歩いていた。
光が無ければそれなりに楽な道のりだ。しかし肌が泡立つ事は避けれない。
日光は、綾美にとっては猛毒なのだ。
猛毒は濃度が薄くとも毒である事は変わらない。死にはしないが。
それでも気持ちいいと言えるものではない。
昔は、日光の下で弟とともに遊ぶことを最大の楽しみにしていた。
それが、今ではもう、永遠にできない。
それを思うと綾美の中ではどろどろした、黒々しい感情があふれ出す。
憎しみや憤怒、憎しみなどと言う決して好ましくない感情だ。それが壊れた蛇口から流れ出る水のように溢れ出してしまうのだ。
これは呪いだ。そしてアイツはタタリだ。
自分を呪いの一族と変え、明るき太陽の下で生きられない化物にしたタタリ。
それにいまだ追われている。最悪にして、災厄のタタリ。
これ以上考えると、思考が悪い思考へと流れていきそうだ。それをごまかす為に一つ、言いたい事を言ってみる。
「どこへいったのかしら」
錬の家から持ってきた腕時計の示す時間は午後3時………もうとっくに学校の活動は終わっている。
さすがに三時間も予定時間から立ち、さすがに綾美も心配になったのだ。
歩き出して思ってみれば、綾美は錬の学校がどこか知らないことに気づいた。
しかし動かないで居るよりはマシなため家から飛び出し、ここにいる。
―――。
小さな、本当に小さい音。それに綾美は驚くほど速い速度で振り返った。
猫だった。 小さな猫が視界から立ち去っていく。
それを数秒見つめてから、呟いた。
(………臆病ね。私)
今は人通りが天気や時間のせいで少なく助かったが、人の気配、とくに自分の後ろの気配には異常なほど敏感に反応してしまう。
逃亡者とは、こんなものだ。
(……………つかまるもんか)
そうだ。つかまるもんか。なんどでもいくらでも逃げてやる!
そう決心しながらも、彼女は逃げるためでなく見つけるために歩んでいる。
なんと、なく、だが、居そうな場所が分かるのだ。
理由は分からない。しかし便利だからいいだろう。
綾美も電子レンジの原理は分からないが、便利だからいいのだ。
たとえどういうしくみも分からなくとも、使えれば問題はない。
現に、その場所にきてからは。

そこは、裏路地だった。

入り口が狭く、中が広場のような場所。その入り口を支配する瓦礫の山、その中に、錬は倒れていた。
血を吐いて、倒れふしている。
死んではいないが、重症かもしれない!
「あぁあ!」
叫びながら、急いで駆け寄って瓦礫から助け出す。
内臓にダメージでもあったかと思ったが、それは無く。唇が切れているだけのようだ。
それに安堵の声をだし、目を覚まそうと呼ぼうとして………

「ふん。男と一緒とは。 ずいぶん暇そうだな」

重い男の、声。死という名の、恐怖。
なんで、ここに。
コイツから逃げていたのだ。こいつが怖く、コイツが恐ろしく逃げ続けていた。
逃げるために、寒い空の白でも常に脅えながら生きている。
それなのに、この男は笑顔で………笑って生きている。
なんて……………
「あぁあぁぁぁああああああああああああああ………」
「どうした。 せっかく『親』が来てやったというのに」
「いやぁぁあああああああああああああ!!!」
綾美は地面に落ちていた錬のナイフを拾い、その男に突撃する。
その男は、赤い瞳をしていた。鬼とは違い縦に裂けてはいないが、それは血で出来ているように紅く、紅い。
口からは大型犬のような牙が見えている。まさに、吸血鬼。
ドガ!
ナイフが立てたとは思えない音を立てて、そのナイフは先端のみ男の腹部に突き立ち、他は衝撃に耐えれず壊れてしまった。
それでもかなり重い一撃だ。下手をしたらチタンの壁も経こむはずだろう。
しかし、男は無傷である。そして近づいてしまった綾美の首を掴み、大根でも抜くかのように持ち上げた。
「おいおい。 逃げるのに精一杯の屑が、勝てると思っていたのか」
「―――――――!」
「安心しろ。弟は無事だよ。 まぁ。人間は、諦めてもらったがな」
「―――!!!」
綾美は『弟』と言う単語に反応し、体をよじり逃げようと暴れている。
それを手の中で暴れる子猫を見ているかのように、男はにやりと、嫌な笑みを浮かべた。
そして。

その腹からナイフが突き出した。

「ウォオオオオオオオオ!?」
「………お前 人じゃないな」
錬であった。錬がいつの間にか男の真後ろに移動し、その腹に拾ったナイフを突き立てたのだ。
見事にナイフは貫通する事に成功しており、すごいとしかいえない技である。
それに、綾美は地面に着地してからも腰が砕けて立つことが出来ない。
そう、今頃分かったのだ。
彼が血塗れの理由。それは、このような事をしているから。
つまり、彼は。
タタリを殺す、モノ。
ザシュ!
「ガァァァアアアア!」
「疎い! ぞ!」
錬は勢いを殺さず、ナイフを払い近い右腹から引き抜いた。それにより半ば胴体が切断され、男は叫んだ。
その喉を錬は掴み、ナイフを突き立てて気道をひき潰す。
ナイフがそれにより半ばから折れて、錬は舌打ちしながらもその喉の傷口に右拳をたたきつけた。
男はこれには耐えれず、かなりの距離を飛んでいった。
「………つ、強い………」
綾美は呆然と呟くことしか出来ない。
たとえ不意打ちを言えど、腕力は上昇しない。それなのに胴体を切断したりと機械も顔負けする芸当をするだけではなく確実に次の手につなげているのだ。
将棋や囲碁や、チェスにも言える事である。つまり、決して敵に攻撃の機会を与えない事。これが勝利するのに大事な事の一つである。
どんなに防御が強くとも、攻撃できなければ勝ちは無いのだ。
それに対し、錬は『攻撃』だけで『殲滅』寸前まで送る事ができる。
まさに、殺し人(ころしびと)。
「な、ななななな、なんだ! お前は!」
「もう再生したか……… 綾美! ナイフを! オレの鞄の中にある!」
そう叫びながらも、錬はポケットからカッターナイフを取り出し、一気に刃を全て引き出した。
カッターナイフは市販されているだけの物だが、刃の切れ目と切れ目の間がはんだごてで埋められている。
本当のナイフに及ばなくとも、通常の物よりはタフになっているはずだ。
それを右手に持ち、下にブラリと下げた独特の構えを取った。構えの無い構え。
「おい。吸血鬼。 お前、綾美の何だ」
「ほう………」
錬は時間稼ぎもかねて、自分が疑問にしていた事を言った。
最初はただの疑問であったが、それは予想以上の効果を挙げる。男は笑みを浮かべて。そう余りにもイヤらしい笑みを浮かべて言う。
「本人から聞いていないのかね? オレは………」「錬!!」
シャ!
男の言葉をさえぎったのは、綾美の声と風きり声だった。
余りにもタイミングがよく、錬には綾美が、言葉をさえぎるために行ったとしか思えなかった。
しかし、これは時間稼ぎが終わったと言う意味でもある。
飛んできた市販ナイフを左手で受け取り、右手のカッターと交換した。
その後に、錬はギロリとした視線を男へと向ける。
「この話はナシだ。 今から、貴様を殺す」
錬はそう宣言し、走った。
男はすでに喋れる位に回復はしていたが、全快ではない。まだ胴体が4分の1ほど切れているし、喉の皮膚も治りきっていない。
それゆえに反応がすこし遅れたのか、錬のナイフを避けようとせず右手で受け止めようとした。たしかに何度でも再生できるなら有効な防御だろう。
自分の体を盾にすることは。
しかし錬にそれは効かなかった。
カッターナイフの一振り、それによりまるでバターでも切るかのように男の腕は指先から肘までに切り込みを入れた。
「―――――――!!!」
グシャ!
錬はそのカッターナイフを右へと払い、二つになった肘先の外側を斬り飛ばした。
生々しい音と共に、中指半分と薬指、小指そして肘から先の骨ごと肘先の一つは地面へと落ちる。
そしてもう片方の腕は骨を失いくらげのように垂れていた。しかし、血は流れない。
「化物め」
錬は右手のナイフを、人間で言えば大動脈がある所につきたてた。
そのまま上へと切り払う。
「化け物は貴様だろ?」
しかしそれにも男はひるまない。逆に鋭く伸びた爪が目立つヒグマの様な左腕を錬へと振り下ろす。
錬はそれを左手のカッターナイフで受け止めた。
爪は勢いをそがれた事と共に、流されてあさっての方向へゆく。
カッターナイフは受け止めた衝撃に耐えれず砕けてしまう。
その間に錬は右足を跳ね上げ、男を蹴る事により発生する反動で離れた。
それでかなりの速度で間合いを取った後、残ったナイフを両手で水平に構える。
安物のナイフだが、彼の今までの行動を見れば分かるとおり、これで鉄すら簡単に切断できるはずだ。
そして錬は突撃しようとして………
「止めよう」
「は?」
「……………今は負けそうだ」
「今頃気づいたか」
錬はその彼の言葉に、ギロリと目を見開いた後言った。
「そうだな………四日後、だな。 そのときに決着をつけよう」
「ふざけるな。ここでお前がシねばそれでジ・ENDだ」
「ハンデだよ。 そろそろ、本気で行こう」
ブチャ
一瞬の音。その短い音の間に男の腕の傷口から肉があふれだし、それが形を取り収束し腕は復元された。
「な………」
「何を驚いている? 侯爵級吸血鬼なら当然の芸当だろう……… まさか、侯爵と戦うのは初めてか?」
無論、初めてである。そもそも錬が吸血鬼と戦ったのは今回が初めてなのだ。
それでも鬼のように引き裂いて引きちぎれば殺せると思っていた。
―――とんでもない勘違いだ。
再生能力は鬼の比ではない。まさかあそこまでの大怪我を一瞬で治されるとは………
しかも今もっている唯一のナイフも、刀身に無数のほころびがありヒビもかなりの数がはいっていた。
もう一度使えば、確実に壊れる。
「………一撃で、殺せるか。お前」
「できないということは、お前が知っているはずだろう?」
「だな」
くそ。
錬は自分の用意不足を呪った。しかし、よく考えればナイフを三本も持ち歩いているほうが異常なのだ。
ただ、相手が悪かったのだ。
まさか吸血鬼を相手にするなどは考えていなかった………
刀が在ればよかった。刀や剣ならまだ数回は斬れただろう。
しかし無いもんはしかたない。どうすれば、いい。
「なら一撃でお帰りいただこう」
「決めるのは、俺だろう」
「いんや………」
そう思ってから、錬はぼろぼろのナイフで構えた後笑みを浮かべた。
凄惨な、修羅のような笑みであった。その笑みを後ろから見た綾美ですらも、絶句せざるを得ない化物。
「決めるのは、俺だ」
錬は断言した。
「面白い! 面白いぞ! お前は! 面白い! 実に、面白いぞ!!!」
ドォン!
とんでもない加速であった。男はそれで数メートル離れた錬に半瞬で隣接する。
その勢いのまま繰り出された必殺の拳。それは錬の左腕に掴まれた。
避けられて脇下に掴まれたのだ。そのまま錬はその左脇を後ろへ動かす。
その勢いに影響され、男の体もその分錬へと近づいてしまった。
「―――!?」
「くたばれ!」
ドガ!
ナイフの底が、男の脳天を打ち砕いた。
ひび割れた刀身のナイフはなんとかその衝撃に耐えれたが、男は溜まったものではない。ナイフの底と同じ形に頭蓋骨が陥没してしまっている。
そして錬はナイフを逆手に構え、振り落とした。
バキャン!
ナイフはこれには耐えられず、ついに崩壊した。
砕ける破片とは別に、柄の底が頭蓋骨を突き破り脳までたっする。
「ガァァァァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!」
「たとえ不死身の化物でも……………脳みそかき混ぜられれば苦しいだろう?」
ドガ!
男が苦し紛れに繰り出した拳が、錬を吹き飛ばした。
ガシャン! ガタン! ダガン!
瓦礫の中に落ちながらも、錬は柄だけのナイフを持ったまま立ち上がった。これは賭けであった。実のところ柄も持つかどうか不安だったのだ。
しかし、もってくれた。一泡吹かせれた。
よし、逆襲もできる。俺なら、できる。
錬はそう自分に言い聞かせた。目の前の男が、まだ生きているから、だ。
「な。 『今は負けそうだ』………正解だろう。 お前なら、瀕死でも俺を殺すだろう」
「………まだ、死なないのか………」
―――ドクン―――――――――
またか。
錬は自分の胸を掴み、男をにらんだ。また、あの衝動が噴出してくる。そして、聞こえる。
―――コロせ―――――――――
と言う声が。いや、声ではない。感情。意思。そして、自分。
そう、自分自身。
「――せ――せ―――――……………」
錬は顔を手でわしづかみにして、ふらついた。
突然の異常。しかし、それ以上に………」
「こ―す―――こ――して―る―こ――ころ―………」
それ以上の、錬の殺気。殺意を直接浴びていない綾美にも、肌に寒気以上の何がが走った。
しいて言うなら、絶望。生きることができないことへの、絶望。
「………参ったな。 今の状態では勝てない………か。 死織がいったとおりだ」
―――ドクン!――――――――
し………おり?
―――ドクン! ドクン! ドクンドクンドクンドクン……………
「教えろ! 死織はどこだ! 何処に居る!?」
いつの間にか、錬は気づかないうちに叫んでいた。
誰かも、知らない名前を。
「さぁな。 そのうち挨拶にでも来るのでは無いのかな。 では、四日後、あおう」
「いまだ! 今、教えろぉおおおおおお!!!」
蝙蝠の羽をはやし、飛び去ろうとする男へ、錬へ飛び掛ろうとした。
それを後ろから綾美が止める。
「な………」なにをする。
錬はそう、綾美に叫ぼうとした。ズリ………
血で、湿った靴により滑るまでは。 そう、錬の体は、限界以上の行使をされて引きつぶれた毛細血管より噴出した血で、すでに血塗れであったのだ。
無論、その状態でろくな行動はできない。今頃錬は、血液を失いすぎて冷え切った自分の体に気づいた。
ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチ………
歯の根が噛みあわない。体が寒さに震える。血を失いすぎている。
「俺の名前はレイ。 レイ・ゼフィランス! 覚えておけ!」
「教えろ! 教えろ! 教えろ! 教えろ教えろ教えろ教えろ教えろ教えろ教えろ教えろ教えろ教えろ…………………………………!!!」
錬は壊れたラジカセのように叫んでいた。
ガチガチと震えているはずの口が、その言葉を言う時だけは言うことを聞いてくれる。だから、叫べた。
しかし、返事は、無い。
もう、男は影も形も見えなかった。
ドタン。
錬はついに立っていられなくなり、ひざを地面についた。
それをスイッチにしたかのように、地面が血で染っていく。
綾美が急いで錬を背負った。このまま、寒い外に居れば命の保障が無い。
しかし………
錬の着ていた、制服のYシャツの白は、血で紅に染まっていた。
それを触った綾美は、液体で膨らんだ化学繊維の感触に愕然とする。ゆっくり手を放して………血でそまった自分の手を見た。
急がないと………
綾美は錬を担ぎ、家へと向かっていった。







もう一度。港。

「ふぅ………やはり船とは嫌なものだな」
その男は、やっと日本へとたどり着いた。
巨大なバック………1m80はある男の身長より長く大きい二つのバックを持ち、船から下りる。
しかし………
男は持っていた十字架を、Tと刻印された十字架をポケットに入れて男はいう。
「愚か者の天罰。 天罰………天からの罰。 違うな。これは化物が化物に下す共食いだ。これは共食いか。か。」
そのあと、豪快に笑い。歩き出した。















次回 縁の指輪 
一の指輪 二刻目 鬼と刀、そして織姫。





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