「千日手になってきたな……」




  カルは車の裏に隠れ、自分の持っている武器を確認した。

 剣はすでに何度もの激突に刃がいくらか欠けている、式神はほとんど使い果たした。

 使う気は無かったが、持っていた拳銃『ヴァンデッタU』を取り出す。

 生産ラインにおける初期ロットのものなので若干信頼性に難があるが―― 文句は言っていられない。

  トロメア自身も攻めの手を撃てずにいた。

 カルの武装の大半を削ったといえど、カルはトロメアの予想の上を行く男だ。

 何処にどんな武器を隠し持っているのか分かったものではない、それに――

  二人は今、ある意味、まともに戦っていなかった。

 そしてそれゆえに、今の状態が生まれているのだ。




 「来ないのかカル! 俺の目的はもう分かっているだろう!」

 「……豪勢な足止めだな、全く」




  カルはすでにわかっていた。

 本来のトロメアなら膠着状態になどなるわけがない。

 どんな場合でも自ら攻めていく彼に躊躇などありえない。

 その彼が膠着状態を作る理由など、それしかない―― すなわち、カルの足止めだ。




 「お前らしくないな! こんな小細工をするなんてさ!」

 「母上の命令だ、仕方あるまい」

 「このマザコン野郎!」




  車から上半身を出し、トロメアを拳銃で撃つ。

 正確な射撃で放つ弾丸は、そのままなら確実にトロメアの顔面を撃ち貫く。

 だがすこし首を動かすだけでトロメアはそれを避けて見せた。

 その間にカルは走り出し、トロメアからの逃走を図るが――




 「逃がすか!」




  後ろから迫る大質量の何か、振り返る愚を犯さずカルは横に跳んだ。

 そして真横を、自分のいた場所へ車が飛び込んでいく。

 言うまでも無く、トロメアが路上の車を投げてきたのだ。

 そして――

  爆発、炎上。

 一瞬の間に20m以上も離れたカルの頬に熱風が触れる。

 回避が遅れれば炎に抱擁されていたかもしれない、無論、その先には死が待つだけだ。




 「母上の頼みとあれば、見逃すわけがあるまいに」

 「……くそ」




  時間こそかければ、勝てないというわけではない。

 だがこの場を逃れるという意味で―― 今は千日手となっていた。

 カルが隙を作り逃げる、トロメアが阻止する。

 その繰り返しがすでに何度も行なわれていた。




 「使うしか―― ないか……」




  カルはとっさに自分の脳裏にある式を思い浮かべる。

 その式はあるモノにとてもよく似ていた。

 ある種の人間なら毎日のように触れているものだ。

 それは――




 (別に勝たなくてもいい、トロメアを出し抜いてあのホテルまでいけば…… いいんだ)




  すこし考えただけで、それが無理難題であることが分かる。

 トロメアの戦闘能力は間違いなく、世界者の中でも最上位に位置するはずだ。

 アンテノーラのように虐殺に向いているわけでも、ジュデッカのように高い指揮官としての能力を持つわけでもない。

 ただ、強い―― それだけに真っ向勝負しか太刀打ちする方法が無い。

 下手な小細工など力ずくで破壊する暴力の化身。

 それを相手に逃走など、無謀極まりない。

  だが、カルがこれから使おうとする力はその無謀を打破する事が出来た。

 すでに構築は済んだ、あとはタイミングを見計らい使うだけ。

 しかしすこしそのタイミングを間違えれば逆に不利になる可能性が在る。

 確実にトロメアを倒せる瞬間を見つけないといけない。

 ある意味、その方が難しいかもしれない。

  数発拳銃を撃ち、様子見。

 トロメアはかすかな身のこなしだけでそれを避けて見せた。

 様子見だ、けどここまで華麗に避けられると嫌な気分にもならない。




 「カル…… それで終わりか」

 「そんなわけないと分かっているくせに聞くな」




  勝負はまさに一瞬でつく、その瞬間が来れば。

 だがそこまではまさに詰め将棋そのものの失敗を許されない緻密な行動が必要だ。

 カルは自分の頬を伝う冷や汗をぬぐう事も出来ない。

 そんな余裕などどこにもないのだ――




 「さぁ、来るなら来い。 ただ待つのは退屈だからな」

 「……そっちから来ないのか」

 「残念ながら、今日はナシだ」

 「そうかい」




  拳銃を再装填しつつ、カルはトロメアを睨む。

 再装填という大きな隙を見せながらも、トロメアは動かない。

 それがトロメアからは攻めないという証拠。

 余計、事態打破が難しくなった。

 舌打ちしつつも、カルは戦いに集中していく。






















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                縁の指輪 
    五の指輪 八刻目 それぞれの戦い


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  破壊と神無という超常の異能、それは錬を恐ろしいほどの速度で消耗させていた。

 ゼロ相手に強がってみたはいいものの、実際にあまり長く戦えそうに無い。

 肉体に受けた傷は高速で再生しており、それによる問題は無い。

 だが精神的な疲労が高速で溜まって行く―― どこまで気を保っていられるか分からない、だから――




 「覇ァァッァァアア!」




  錬自身が驚くほどの、圧倒的な加速――

 まるで世界がスローモーションとなったような感覚。

 一瞬で彼はゼロの懐にもぐりこみ、その胸に左手を叩き込んだ。

 バシャと音を立てて、黒い泥が散る。



 「ガァ!?」



  ゼロは慌てて錬の左手が触れた場所を分離した。

 反撃の右腕―― 新しく生やした鬼の手は、錬の右手で振るう丙子椒林剣が粉砕する。

 破壊の力を込めたそれは、今まで以上の破壊力を発揮していた。




 (馬鹿――な……!?)




  明らかにおかしい―― 今までと威力が違いすぎる。

 錬の能力はゼロに劣っていたはずだ、だが今は―― 今の動きは何だ。

 完全に錬の姿を見失っていた。

 圧倒的な力を手に入れたはずの、自分が。

 ま け る の か ?




 「キサマ―― キサマァアアアアアアアアアアアアア!!!」




  その事実と、今まで圧倒していたという余裕を覆された事に、ゼロは怒った。

 錬を肉片一つ残さず破壊してやると振るった鉄拳は、見事に避けられる。

 繰り出された返し刃でその鉄拳はあっさりと切り裂かれる。

  ゼロとの攻防を圧勝で征した錬は、後ろに下がる。

 荒い息を吐くゼロを見下しながら、錬は腕の傷からいまだ流れる血を舐め取った。

 そして、まるで―― 吸血鬼のように、美味な飲み物を飲んだような笑顔を浮かべた。




 「夜月…… そういう事だったんだな……」




  錬は舐めた血が余りにも美味だった事に、今の自分の力の理由が分かった。

 犬歯の位置に生えた牙だけでも今の自分が何か分かるだろう。

 夜月こそが―― 錬の吸血鬼担当……

 彼の力を借りるという事、そして今の錬の状態、それらが起こした怪異。

 錬の吸血鬼としての姿、錬のもしかしての可能性。




 「人間とは比べ物にならないな」




  軽く体を動かしただけで、人間との差がすぐに分かった。

 単純な腕力、反射神経―― どれ一つとっても人間以上。

 それにこの状態は血の反発が片方が圧倒しているらしく、普段のような反発が無い。

 ……存分に戦う事が出来る。




 「ふ―― ははは! アハハハハハハ!」




  今は決め手が二つに増えた、右手の丙子椒林剣による破壊、左手の神無による消滅。

 どちらか、もしくは両方をゼロの再生限界まで叩き込む―― 今までなら無理だろうが、今の錬なら可能だ。

  吸血鬼化した事で思考回路が変わったのか、面白いほど殺意や憎悪、異常な興奮が沸いてくる。

 思わず笑い出してしまいそうなほど愉快な気分だった。

  まるで変な薬を飲んだみたいな、今までに味わった事の無い愉悦!

 楽しすぎて、狂ってしまいそうなほどだ!




 「舐めるなァアアアアアア!」




  錬の笑いを侮辱と受け取ったのか、ゼロが吼えた。

  ゼロは全身から腕や翼等を生み出し、人外の姿へと変わっていく。

 錬はそれに対抗し、綾美達のように翼を生やそうと考えるが……できない。

 吸血鬼になっているならできるはず、そう思い、直後に錬はそれがどうしてか悟った。

 自分が半吸血鬼だからに違いない。

  そう、錬が想像したとおりの理由だった。

 錬は半分しか吸血鬼ではない、母親から受け継いだ力が大きいため吸血鬼になる事はできたが、それは完全では無い。

 残っている人間としての部分が、吸血鬼の肉体変形を受け入れない。

 当然の話だ、人間は翼が生えたり霧になったりなんかしない。

 それが頚木となり、異形への変形を妨げているのだ。




 「ちッ、変形できないからって…… 戦えないわけじゃないだろうが!」




  飛べないからとって前より不利になったわけではない、むしろ身体能力が上がった分は有利になっている。

 今までのように防戦一方ではない、復讐できるのだ。

 錬は今までの一方的に攻撃を受け続けていた事による憎悪と復讐の喜びに、暗い笑みを浮かべた。




 「むしろ、ゆっくり殺せるってのは―― 楽しみだよな」














 「アンテノーラ!」



  黒い剣を振りかざし、ルシフがアンテノーラへと襲い掛かる。

 普通に走っていくのではなく、空間を渡って目の前に出現しての斬撃。

 真正面からの攻撃でありながら、奇襲としか思えない一撃。

 アンテノーラは忌々しげに顔をゆがめながら、広げた髪でそれを受ける。

 力を秘めた髪はいくらか切断されながらもルシフの斬撃を跳ね除けた。




 「髪は女の命なのに―― 酷いねェエエエ! ギ――ハハハハハハ!」

 「なら本当の命も貰わせてもらう!」



  ルシフは思いっきり剣を振り上げる、あまりにも大げさな動きで隙が大きい。

 狙ってくださいと言わんばかりだ、なのにアンテノーラは大げさな動きで横に飛ぶ。

 瞬間、ルシフは転移してアンテノーラの真後ろに出現して剣を振り下ろす。

 さすがに大げさな動きをしただけあって、非力なルシフでもコンクリートの地面を深く抉った。

 人間に当てたなら深々とその肉体へと刀身が食い込むことだろう。




 「イヒャ――ハハハハハハ! 相変わらず卑怯臭いねぇ、真正面からこないのかしらぁぁ?」

 「礼儀を欠いた奴には応じた対応をするだけだ!」




  再度ルシフの姿が消え去る、空間を渡ったのだ。

 アンテノーラは周囲を見渡すが、ルシフの姿は何処にも無い。

 だが気配は依然としてそこにあった。




 「はは―― 上!」




  アンテノーラは上を見上げる、そこにはルシフが剣を投擲しようとしている姿があった。

 気づかれたと分かったルシフはまた虚空を渡って姿を消す。




 「ひひ―― 真後ろ!」




  真後ろに出現したルシフの横払いの斬撃をアンテノーラは髪で受け止める。

 しかし世界者にダメージを与える事の出来る黒い剣はその髪を易々と切り裂いた。

 髪という余計なものを切ったせいで斬撃は、アンテノーラの背中に薄っすらと傷をつけるにとどまる。




 「くひひひひ―― 逃げんなァアアアアアアアアア!」

 「やなこった」



  アンテノーラの髪が拳の形を作り、横薙ぎに振るわれる。

 だがルシフはそれ以前に言葉を残して虚空へと消えた。

  ルシフの転移の速さにアンテノーラは舌打ちした。

 彼女の転移は他の異能者や紫の魔法・魔術と異なり全く準備の動作も待ち時間もない。

 転移しようと彼女が思った瞬間、転移はなされているのだ。

 それをアンテノーラには止める手段が無い。




 「ギ――ハハハハハハ! 参った参った」

 「……降参でもする気か、しても殺すが?」

 「おーけー ……私もアンタ相手には―― 本気にならないと、いけないナァ!」




  瞬間、無数のワイヤーが千切れ飛んだ音がした。

 アンテノーラの髪が開く―― 手が左右に開かれた。

 そしてその右手に―― それはあった。

  まるでアンテノーラのように、血のように赤い表紙を持つ本だった。

 革表紙のようだが―― その皮はまるで人の皮を剥いで貼り付けたように見える。

 アンテノーラの綺麗な白い指がその本を開く。

 本のページは普通の本と同じく白い、だが文字は血で書かれていた。

 そして禍々しい獣が描かれた挿絵―― まるで、動物図鑑のようだ。




 「な…… まさかそれは――」

 「あは――ハハハハハハ! 久しぶりに使うから、うまくできるかなぁ?」




  開かれた本の、挿絵の獣が―― 動いた。

 目が、11個ある目が一斉に動き、ルシフを見る。

 それは絵であるはずなのに動き、そして遠くからでも分かるほどの生命力に満ち――

 そして―― 絵に描かれた11個の目と蒼い体を持つ一角獣が本から飛び出してきた。




 「クッ――!?」

 「残ァァァァ念! “餓えた一角獣”はお前と同じ――」




  真正面から向かってくる蒼い一角獣を避けるために、ルシフはまた転移する。

 だがそのとき、気づいた―― 一角獣は転移した先でも真正面から向かってくる。

 また転移するが逃れられない、距離だけが高速で縮まっていく。




 「こいつも―― 転移を!?」

 「そいつは本来、虚層回廊にいる生き物でねェエエ! 転移は得意中の特異なの、ヒィーヒヒヒヒヒヒ!」




  繰り出された角が、ルシフの肩を裂く。

 神聖な生物といわれるはずの一角獣でありながら、飛び散るルシフの血を浴びるその姿は魔獣以外の何者でもない。

 ルシフの後ろへと駆け抜けていったのち、その一角獣は空に融けていくように消えていった。




 「さぁぁぁぁぁて、次はどの子にしよぉかなァ!? どの子も可愛くてお姉ちゃん目移りしちゃうよぉおおお、ゲ――ハハハハハハ!」




  狂った笑い声を上げながら、アンテノーラはとんでもなく速い動きでページをめくる。

 速読なんてレベルではない、どのページに何があるかを完全に理解していなければ到底できない速さだ。

 アンテノーラは下品に笑いながらも、目的のページを開いた。

 そこにも異形の挿絵が描かれている、いうまでもなくその絵も人外の獣を封じたものなのだろう。




 「甘い!」




  虚空を渡り現われたルシフが、彼女の持つ本を蹴り飛ばした。

 それで発動を阻止できると考えたからだ。

  しかしその直後、ルシフは見た。

 アンテノーラは笑顔だった、そしてその左手に―― もう一冊の本がある。

 否、蹴り飛ばしたはずの本がその手に戻っていたのだ。

 そもそも本当に蹴り飛ばす事ができたのか、それすらわからない。

 世界者に人間の法則は通用しない。




 「死・ね、アハ――ハハハハハハ!」

 「死ぬか!」




  アンテノーラの持つ本から、赤い巨大な口が出現した。

 それがルシフのいた場所を飲み込んだ、そしてそのまま本の中へ戻っていく―― 食べたものはそのままで。



 「はァァァァァい、これでルシフちゃんのページの出来上がり……?」

 「残念だったわね」



  突然、空間を引き裂きながらアンテノーラへと向かって剣が振り下ろされた。

 同じようにその空間の裂け目よりルシフが姿を現す―― 場所は先ほど、赤い口に飲み込まれた所だ。

 彼女は虚空を渡って避けるのではなく、一時的に別空間に逃れて捕食を回避したのである。

 それはただ避けるのではなく、相手の隙を突くためという攻撃的な回避だった。

  ルシフが拳をつくり、振り下ろす。

 次の瞬間、アンテノーラは地面に叩きつけられる。

 重力を倍化させられた、そうアンテノーラが気づいたとき、今度は宙へと待っていた。

 そしてまた地面へと強烈な勢いで叩きつけられる。

 重力軽減と倍化による攻撃、重力に縛られる地上の生物では逃れる術が無い凶悪な攻撃だ。

 アンテノーラですらそれは例外ではない、地面に叩きつけられ、そのまま押しつぶされていく―― なのに。




 「酷いよねぇ、これで体重計に乗ったら女の子を苦しめちゃうよ!? エヘ――ハハハハハハ!」




  彼女はすでに通常の10倍を超える重力を受けながらも、あろうことか立ち上がった。

 そして本のページをめくって、目的のページを開く。

 書かれていた挿絵は、赤い津波に飲まれていく人々の姿。

  あふれ出すのは赤黒い泥、ただの液体であるはずのそれは生物じみた動きでルシフへ襲い掛かっていく。

 まるで海の津波ごとく、迫りくる生きた泥の津波。

 ルシフは手を横に振るい空間の断層を作り出す。

 空間のシェルター、だがそれごと泥が包み込む……




 「さぁ、どうするのかァ―しら? ルシフちゃァァァァァァん」




  そう叫びつつも、アンテノーラは後ろへとんでもない速度で飛びのいた。

 いまだに重力という名の枷を付けられているとは思えない、まるで爆弾の爆風を思わせる動き。

 そしてルシフはアンテノーラのいた位置に出現した。

 正確にはそのすぐ隣、振るう剣は宙を切る。




 「ピーハハハハハハ! イヒヒヒ、ひぃいいいいいいか、引っかかったねぇぇぇえええええ!」




  瞬間、ルシフの出現した場所に泥が襲い掛かった。

 アンテノーラのいた場所に、まるで天井のようになって泥が待機していたのだ。

 今度は土砂崩れのように、泥がルシフへ襲い掛かる。

 そしてルシフは見た、さきほどまで自分がいたところ、そこに生えていた街路樹が枯れている様を。

 生命力を奪い取る泥状の生物、それがこの怪物の正体。

 感情を持たない故に冷酷無比な狩人……




 「このッ――!」




  本能というプログラムに盲目に従う存在。

 それから避け続けるのは不可能、そう判断したルシフは最大の奥の手を放つ。

 異能の光が走る、それは今まで以上の輝き。

 ルシフが異能の限界出力を引き出す―― すなわち空間を歪める力も最大限に。

 そしてルシフは両手を叩き合わせる、瞬間――

  怪異たる泥は一瞬にして、消滅した。

 最初からなかったものだったかのように、跡形もなく。

 通常の異能をはるかに超える反動に、ルシフは顔を苦痛に歪める。




 「あはは、スゴーいねぇ…… あの汚毒の泥を、まさかこの世界から追放しちゃうなんて―― 消えちゃったら回収不能、リーハハハハハハ!」

 「無駄使いした、な……」




  ルシフの異能、その奥儀とも言える『世界追放』は、ありとあらゆる存在をこの世界から文字通り消し去る力だ。

 文字通りの一撃必殺、しかしその負荷は普通の異能とは比べ物にならない。

 ルシフだからこそ使える能力、しかし何度も撃てるものではない。

 最高の異能者にも、許されない行為なのだ―― 存在の消滅は。




 「くひひ――ハハハハハハ! いいねぇ、これだけ可愛い魔獣ちゃんを行使できるのは久しぶりよぉ〜。
  かーん、 簡 単 に死なないでよねぇぇぇぇ、ギヒ、ギヒャーハハハハハハ!」

 「予想よりも―― 苦戦するな」



  剣を構え、ルシフは呟く。

 彼女の予想ではアンテノーラを撤退させるほど痛手を負わせるのは簡単なはずだった。

 基本的に一体多数、集団虐殺に向いたアンテノーラは一体一、タイマン勝負に弱い。

 弱いといっても世界者だ、下級の竜ごときなら惨殺できる。

 だがルシフの力は上位の竜にも匹敵している、それを知っていたからこその予想。

 しかしそれはアンテノーラが隠していた能力により覆された。

  本、それに封じられた魔獣の召喚と使役、それがアンテノーラの力。

 一体どれほどの魔獣が封じられているのか、遠目から見た限りでは本は辞書程度の厚さだ。

 しかしいまだに高速でめくられていくページに限りは無い。

 何処かでループしているのか、永遠にページはめくられ続けていく……

 それはすなわち封じられている魔獣にも限りは無いという事……

 ルシフは行なったのは、大海を赤く染めるのに自分の腕を切ってその血を流し込んだようなものだ。

 焼け石に水、まったく無駄な行為。




 「だが―― 負けられるか!」




  異界の光を輝かせて、ルシフは虚空を舞う。

 彼女の異能は普通の紫のように重力制御や引力制御等といったものを直接操る事は出来ない。

 紫の魔法使いなら、ルシフよりはるかに強力で広範囲を攻撃できる重力支配等でアンテノーラを魔獣ごと潰せるはずだ。

 しかし、他を凌ぐ精度と威力の転移と、それを応用した攻撃が主な彼女にとってアンテノーラの力はあまりに相性が悪い。

  ルシフはアンテノーラとは逆に、一体一を得意としている。

 つまり、この状況はルシフが圧倒的に不利。

 なのに、ルシフは引かない。

 彼女にとってアンテノーラから引くという事は、彼女が言う『弱いことが罪』を認める事だ。

 それはたとえ死んでも許せない事だ。

  ルシフの異界の光、それが黒い翼を形作る。

 その翼はルシフの背中を中心に広がり、まるで黒い後光のように見えた。

 翼より光が走り、アンテノーラへと向かう。

 それをアンテノーラは紙一重で避けたが、その後ろにあった街路樹を光は通過する。

 そして、街路樹は光が通ったラインから切れ目が入り、街路樹はばらばらになった。

 ――空間の断裂を放つ攻撃、空間のナイフとも言うべき攻撃だ。




 「そうだよねぇ、そうじゃなけりゃ私が来た意味が無いじゃん!
  ヒヒヒ、さぁ今からルシフちゃん惨殺ショーの開催でぇぇぇす。
  みなさんビデオの用意をしてお待ちくださァァァァァァい、ルーハハハハハハ!」

 「どっちが惨殺されるかな!」



  アンテノーラが本を開いた。

  ルシフが光の剣を発射した。

  出現した魔獣と、空間の断裂が激突して、血が舞った。











 「やっぱり、訓練していても実戦経験が無いと役立たず、だったね」



  そう言いつつ、地竜であり聖十字軍総司令・朝露薫由里は悪魔の顔面を踏み砕いた。

 彼女はホテルの正面入り口をたった一人で守っている。

 それは戦力が足らないという事もあるが、彼女自身が望んだ事でもある。

 自分で救えるものは救ってみせる、それが彼女の理念。

 それを覆す事も逃げる事も、彼女にはありえない。

  地竜の戦い方は、ある意味強引極まりないものだ。

 ただその圧倒的な攻撃力と防御力で正面から打ち砕く。

 彼女の拳は岩どころか鉄の塊を砕き、彼女の皮膚はバズーカの直撃でも火傷一つしない。

 そして地面を操る力で極々狭い範囲に地震すら起こす事が可能だ。

 ただしそれでも地震は地震、味方の識別などできず皆まとめて倒してしまう。

 それゆえの、単独戦闘、それこそが地竜という種族なのだ。




 「派遣部隊が来るまでは持ちこたえないと、ね。 よーし、ボクも頑張るぞ!
  それでカルにご褒美として頭を撫でてもらうんだ、うふふふ〜」




  そんな軽口を叩きつつも、迎撃の手を弱めない。

 返り血を浴びながらなのでその姿に可愛げなど全く無かった。

  地面にたたきつけた悪魔の翼を引きちぎって、首を踏んでへし折る。

 高い戦闘力を持つ悪魔が、まるで工場のベルトコンベアーのように流れ作業で破壊されていく。

 その作業じみた光景こそ、彼女の圧倒的な力を象徴していた。




 「裏口はあの子達が守っている事だし、ここは守りきったも同然だよね〜」




  実際に、彼女にはココを守れるという絶対的自信があった。

 そもそも悪魔の攻撃手段では竜である薫由里を倒せず、薫由里からは簡単に倒される。

 彼女を突破できたところで、ロビーには対魔用の銃器を持った者達が待ち構えており、入ってきたものに容赦なく集中砲火を放つようになっていた。

 限られた入り口ではよける事も出来ず倒されるはずだ、それにはさすがに処理できる限界数があるが―― それほどの数を彼女が通すわけが無い。

  裏口はもっと簡単だ。

 裏にいるのは同じ地竜である山寺章子と、カルの仲間の二人だ。

 一人一人の能力はさすがに薫由里には敵わないが、カルの仲間は連携が得意で二人合わせれば薫由里ですら苦戦する。

 章子も薫由里ほどではないが高い力を持った竜。

 この三人、しかも彼女達にとっては有利な場所だ、危なげなく敵を処理してくれるだろう。




 「でも、世界者の攻撃にしては雑だよね。 うん、目的はこのホテル以外にあるというコトかな?」




  間違いなくその予想は当たっている、そもそもココが目的なら戦力を分散させる必要など無いはずだ。

 おそらくこのホテルへの攻撃は陽動だろう、しかしそうと分かっていてもここを留守にする事は出来ない。

 時間にして戦闘開始からすでに2時間ほどが立っている。

 長いか短いといえば、かなり長い。

 すでに敵は本来の目的を果たしているかもしれない。

  心配事はまだある、それは錬と綾美の事だ。

 彼らを招いた時にこの事態、彼らを助けるはずがとんだ災難に巻き込んでしまった。

 けっきょく、自分は他人を傷つけるんだ。

  ひっそりと、誰にも気づかれる事なく、彼女は涙を流した。









次回 縁の指輪
五の指輪 九刻目 とりあえずの幕引き






作者蒼夜光耶さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。