「で、皆での旅行、楽しかった?」

 「……■■、なんで、そんな悲しい事聞くの?」

 「悲しい? 僕がここに残るのは当然でしょ、藍子」

 「……」

 

 

 

  この頃は、なんで双子の姉が、藍子が悲しそうなのか、その理由が分からなかった。

 今なら、何となく分かる。

 彼女は自分の影として生きるしかなかった自分を、そしてその生き方を肯定しか出来ない事を悲しんでいたのだと。

 今更ながら、別の言葉で返したかったと後悔している。

 だが、後悔は終わった後にしか出来ないものだ。

 すでに、とっくの昔に、手遅れになっている。

 

 

 

 「……本当に、それでいいの」

 「何か、間違いでもありましたか?」

 

 

 

  馬鹿馬鹿しいほどに真面目だったかつての自分は、愚かにもそのような言葉を返す。

 それがどれほど彼女を苦しめ、悲しませるか全く考えずに。

 ただ、当然といわんばかりに。

 

 

 

 「……いいの、変な事。 聞いてごめんなさい」

 「いいえ、お気になさらず」

 

 

 

  本当に、どこまでも、愚かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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縁の指輪 

    五の指輪 五刻目 人外戦場

 

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  不幸中の幸いか、その場に他の車は存在しなかった。

 ルシフの異能による、文字通りの空間転移によって脱出したカル達はゆっくりと、爆発炎上する自分達の車へと振り向く。

 まるで爆撃をくらった町のような無残な姿。

 その中、髪の毛一つ焦がさず、何者の干渉も受けない絶対的存在として、その獅子はいた。

 

 

 

 「久しいな、カル」

 「……相変わらず、礼儀知らずだな―― トロメア」

 

 

 

  街中で旧友にあったかのような声で二人は語り合う。

 カルは自らの手に、笛の柄を持つ剣『笛柄の剣』を持ち――

 トロメアは鋼鉄すら易々と引き裂く己が手の関節を鳴らす――

 瞬間、二人の姿が消え去った。

 

 

 

  ――!!

 

 

 

  激突、カルの剣とトロメアの拳がぶつかり合う。

 単純な腕力ならカルは絶対にトロメアに勝てない。

 トロメアの粗悪品ですら空母を沈めるほどの腕力を持っているのだ、本物がそれより劣るわけが無い。

 トロメアコピーが空母に穴を開けるなら、トロメアは空母を轟沈させる。

 しかしカルは、その一撃を受け止めていた。

 

 

 

 「相変わらず、不思議な異能を使う……!」

 「馬鹿力めッ!」

 

 

 

  瞬間、二人は後ろへと跳躍、軽々と10m以上跳び、間合いを離した。

 一歩や二歩の踏み込みでは絶対に届かないほど離れていても、二人の顔に緊張の色は消えない。

 人間の常識を超えた存在たちだ、距離など彼らの技の前には無価値となる。

 互いに一瞬でも油断すれば死が待つ事を知っていた。

 だが…… カルは口を開いた。

 

 

 

 「ルシフ、アスラルを連れて飛べ」

 「……どうしてかしら?」

 「こいつらの事だ、俺の襲撃だけで済むはずがない」

 

 

 

  顔色一つ変えず、カルの吐いた言葉。

 ルシフは即座にその意味を感じ取った。

 この都市において、彼らの狙う価値があるものとすればカル、もしくは――

 

 

 

 「アスラル!」

 「お気をつけて!」

 「当然だ」

 

 

 

  歴戦の戦士たる彼らは一瞬の躊躇も迷いも無く行動を開始した。

 ルシフたちの姿が黒い光に包まれ、その次の瞬間に消え去った。

 彼女の異能たる『死光の翼』の能力、空間改変能力による空間転移。

 紫の魔法を異能にて再現した、彼女のみの能力。

 知っている場所である限り、彼女は一瞬でそこへとたどり着く。

  そしてその転移の証たる光が消えるまで、トロメアの攻撃は無かった。

 本来なら何故見逃したと思うだろうが、トロメアなら当然の行動だ。

 彼はカルとの闘いを望んでいる、他はどうでもよいのだ。

 だが、カルはあえて、この戦いの火蓋を下ろすために問う。

 

 

 

 「いいのか、見逃して」

 「あっちはアンテノーラの獲物だ、俺はキサマと戦う事の方が大事だよ」

 「戦闘狂が―― お望みどおり殺ってやろう!」

 

 

 

  カルが疾走する、その速度はまさしく神速―― 下手をすれば錬のそれすら超えていた。

 天より叩きつけられる稲妻にも似た斬撃。

 その神罰に似た一撃を迎え撃つのは、薄汚れた茶色の拳だった。

 またも二人の激突は引き分けで終わり、その間合いは再度離れる。

  二人がこうして激突したのは、これで二度目となる。

 どちらも時間的な理由により決着はついていない。

  単純な身体能力と異常なまでの戦闘への勘によって猛獣を思わせる戦いを行なうトロメア。

 トロメアに比べ低い力を異能と技術を駆使し、場合によっては地形さえ味方にして補うカル。

 方向性こそ違うが、二人の能力は高い次元に存在する。

 故に、彼らの戦いは苛烈となる。

 

 

 

 「はッぁああああああああ!」

 「怨汚悪嗚嗚おおおおおオオオオオオオ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  何の冗談か、死んだはずの“彼女”の登場に、錬はその思考を放棄していた。

 ただ、それゆえに“彼女”の事を、感情を含めずに観察する事が出来る。

  最初に、彼女というのは間違いだった。

 彼だ、体つきを見ればすぐにその人間の性別が男性であるとすぐに分かる。

 だがそれゆえ、藍子といわれた綾美の妹との類似点が目立つ。

 顔立ち、声質、そういったものは全く同じ。

 黒色の背景の中、白色の円が目立つように、それがはっきりと認識できる。

 

 

 

 「……誰!?

 

 

 

  錬と綾美、凍りついた思考を先に雪解けさせたのは綾美。

 藍子の姿をしているからこそ、綾美はすぐに立ち直れた。

 

 

 

 「……こうして、我が我として会うのは初めてとなるな」

 「ふざけているの!?

 「改めて、名を告げるとしよう」

 

 

 

  瞬間、綾美も当然だが、凍りついていた錬ですらまたも驚愕する事となった。

 彼は綾美達へ、くるりと背中を向けてそれを見せる。

 人間ではありえない、“六対の腕”が、そこにあった。

 

 

 

 「我の名は月河祐騎、月河藍子の双子の弟となる」

 

 

 

  そして、その発言はその外見の衝撃すら超えていた。

 もはや錬達は驚く事すら忘れかけていたほど、連続した驚愕の数々。

 

 

 

 「見ての通りにバケモノなのでな、いなかった扱いをされていたと言うワケだ」

 「……人間、なんだよな」

 「一応、遺伝子的には人間ではある。 長い…… 世紀を跨ぐほど長い近親婚が起こした怪異だろうな」

 

 

 

  冷静に考えれば、彼を綾美の妹、藍子の双子と認める証拠など無い。

 顔立ち、声質なら作る事も出来る。

 だが、そうして双子を偽者が演じて信じさせるためには、このような事を、自分がバケモノという事を教える事はマイナスとなる。

 それこそが、彼の言っている事が事実だというコトを宣言していた。

  そして彼の存在を認めたとき、綾美の中で一つの疑問が氷解していた。

 確実に女性だったはずなのに、藍子を弟と感じた理由。

 “それは我の書いた分だ、二卵性とはいえ双子のせいか、そのころは身長に差が全くなかった”。

 子供の頃では、性別が違っても外見に変化はほとんど無い。

 綾美は、藍子と彼を一人しかいないと思い込んでいた故に、彼らを混同していたのだ。

 

 

 

 「……なんで、今まで、教えてくれなかったの、会って、くれなかったの?」

 「会ってどうした、逃げている間の姉上に、この事実を耐えられる余裕があるとは到底思えない」

 

 

 

  思わず、声を荒らげそうになった綾美だが、彼の言っている事はもっともな事だった。

 当時の綾美は精神的に追い詰められており、まともな対応が出来ると到底思えない。

 今だからこそ、その事が冷静に判断できる。

 

 

 

 「……つまりは、今、ここにいるということは――」

 「そうだ、秋雨。 我は、月河について話すつもりだ」

 「綾美」

 

 

  口を挟んだ錬は、その答えを聞いた時、身を引いた。

 錬はこのような無粋極まる行為をしたことに後悔を感じているのか、顔色は良くない。

 絞り出すような声で綾美の名前を呼び、後ろへとさがる。

 これ以上口を挟むつもりはないと、行動で言っていた。

 

 

 

 (ありがとう、錬)

 

 

 

  心中で彼の気遣いに礼を言いつつ、綾美は前へ一歩進んだ。

 これで後に下がるなんて事は出来ない。

 そもそも、下がるなんて気は最初から無い。

 だから彼女は――

 

 

 

 「教えて頂戴」

 

 

 

  真実を知るという苦痛へと進む道へと、自ら足を踏み入れた。

 一度、踏み出してみればあっさりとしたものだ。

 むしろその落差にあきれるほどであった。

 

 

 

 「それでは……お話いたします。

  月川が、秋雨の血統―― 神殺しを後世に残すための血筋であったということは知っておられますね」

 

 

 

  口調が、打って変わって真剣に、礼儀正しくなる。

 しかしその口調に、使い慣れていないなら出るはずの澱みはなく、その礼儀正しい口調に慣れていることが知れた。

 むしろこちらの口調の方が、慣れているという気がした。

 まるで礼儀正しい言葉遣いことが地であるといわんばかりに。

 

 

 

 「ええ、それはもう聞いているわ。 その関係の話は一通り聞いている」

 「……では、どこからお話いたしましょう」

 「あの時、私が吸血鬼となったあの日、何が起こったの」

 「レイ・ゼフィランスは、死織によってあの地へ導かれたのです。

  彼女が―― 性格には彼女を操る無垢なるが、秋雨を残さないために」

 

 

 

  その名前を聞いて、錬の顔色が変わる。

 思わず彼の襟元を掴んで問いただしたくなったが、何とか耐える。

 今は、綾美が話を聞いているのだから。

 

 

 

 「死織…… ですって?」

 「ええ、月河という『人間の純血種』は吸血鬼にとっては最高の食事です。

  死織はそれを知っていて、利用したのです」

 「死織本人が何故来なかったの」

 「当時は死織も完全ではなかったからでしょう。

  まだ肉体の支配を完全に奪い取っていなかったと思われます。

  そして――」

 

 

 

  不意に声色が変わる。

 そして、彼の口調は前の口調へと戻っていた。

 

 

 

 「当時、我は普段どおり藍子と入れ替わるために彼女と会っていた。

  そこに奴は来たんだ―― 惨殺した父の生首を左手に、母の死体を右手で引きずって、我の前に」

 「――ッ!」

 

 

  綾美はその言葉に息を飲んだ。

 父と母が殺されている事はとっくの昔に知っていたが、実際に聞かされるのはまた別の衝撃だった。

 しかし、そんな彼女の顔を見ても少年の口は止まらない。

 

 

 

 「藍子も我が前で吸血され、死んだ。 我もその次に殺されるはずだったが――

  そこで我はこの腕の使い方に目覚め―― 逃げ出したのだ」

 「……!?

 

 

  いや、止めなかったのではない、止められなかったのだ。

 演説をしている人が演説途中で興奮し、その口が止まらなくなるように。

 罪の自白をしている罪人の口が恐怖で止まらなくなるように。

 顔を伏せたまま呟くように語り続ける彼の声は、ある種の歪んだ興奮があった。

 自分の罪を話し始めたことで、感情を抑えられなくなっている証拠だ。

  綾美が考えていたよりも、おそらく彼自身が自覚していたよりも、彼の精神の底に沈殿していた罪悪感は根強かったのだろう。

 それこそ、一度目覚めれば心を壊すほどに。

  そして彼の口調はより加速する。

 もはや息継ぎをしておらず、抑制も滅茶苦茶だ。

 加速的に、彼の正気が壊れているのが手に取るように分かる。

 それを理解して、綾美は口を開いた。

 

 

 

 「わかってはいたんだあの後どうなるのかはお姉さんを助けなければいけなかったのに自分の身を大事にして我は逃げ出したんだ」

 「……止めなさい」

 「いまさらつみをじはくしてみぐるしいとはわれでもおもっているけどそれでもわれは――」

 「止めなさいといっているのよ!」

 

 

 

  気づいたとき、綾美は彼の頬を平手ではたいていた。

 祐騎は狂気に堕ちる間際に、苦痛で正気に戻されて目を見開いている。

 しかしその正気も瞬く間に狂気へと雲っていって――

 思わず綾美は、祐騎を力いっぱい抱きしめていた。

 

 

 

 「姉、上……?」

 「……無理をして、言わなくていい」

 「……うん」

 

 

 

  ふと、抱きしめた少年のぬくもりに、昔の思い出が蘇る。

 昔、よく泣いていた藍子を、よくこうして抱きしめた事があった。

 その感覚が、すこしだけ抱いていた彼への疑惑を溶かす。

 彼は、間違いなく、自分の弟なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 「あの雰囲気、居づらいからな」

 

 

 

  綾美が気づかないうちに、錬は屋敷の外へと出ていた。

 そもそも普段、錬は“綾美を気遣って気づかれやすく”している。

 邪魔なその誓約を止めれば、他に意識を向けている綾美に気づかれる事などありえない。

 秋雨の血は伊達ではない、錬は今までの“狩り”の経験により高い隠密能力を手に入れている。

 主に、奇襲を仕掛け、一撃で仕留めるために。

 

 

 

 「一緒にあの場所にいるには、血を浴びすぎた……な」

 

 

 

  きっと、それがあの雰囲気に拒絶されていると感じた理由。

 戦争を経験した人間の一部には、平和に馴染めなくなり心身を病む者がいるという。

 血を浴びてきて、無数の死を―― 人間相手ではないとはいえ生み出してきた錬は、重すぎるほどの業(カルマ)を背負っている。

 今更、自分が異質な存在である事を再度、実感した。

  思い浮かべてしまった考えにより生まれた感情を、顔に出てきていたそれを隠すために空を見上げる。

 無性に虚しく、悲しかった。

 そんなネガティブな感情状態だったからこそ、それに気づけたのかもしれない。

 

 

 

 「……空気が―― 違う」

 

 

 

  それは余りにも小さな変化だった。

 普段なら、戦闘に向けて意識を鋭敏としていなければ気づかないような変化。

 ピリピリとした、肌を刺すような、戦場特有の空気。

  瞬間、錬の目が細められた。

 即座にその感覚は戦闘に特化した状態へと変化する。

 そして、鋭敏となった感覚がそれを捕らえる―― 確かな、血と戦場の気配を――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ここを絶対に通すな!」

 

 

 

  狼の顔を持つ獣人が、巨大な対戦車ライフルを両手に持ち、道路の真ん中に立った。

 まるで彼の叫びが合図になったように、地面から厚さ50cmを超える特殊合金の装甲板が突き出した。

 戦闘状態となった連絡が街中のテレビ、ラジオ、あらゆる情報機器へと流れ、非戦闘員は地下のシェルターへと退避していく。

 そう、この都市は聖十字軍の支配下にあるのではない―― こここそが聖十字軍の支部そのものなのだ。

 

 

 

 「隊長、簡易防壁展開しました」

 「来るぞ―― 油断はするな、すれば…… 死ぬぞ」

 

 

 

  異能者の男達が虹色の光、『異界の光』を纏った。

 その前方に待機した男女が、一瞬にして獣の顔を持つ獣人へと変化する。

 彼らの手には普通の人間が使うにはあまりも強力で重すぎる重火器、だが彼らの腕力なら片手で振り回す事ができる。

 だが、そんな凶悪な武装をしても彼の顔には戦慄が張り付いていた。

  ゆっくりと、死臭にも似た忌々しい威圧感と共に、大型トラックが視界に入ってくる。

 各人がそれを見て、各々の武器を構えた。

 そして――

  対戦車ミサイルやバズーカ砲を初めとする重火器、砲撃系の異能が放たれた。

 耳がおかしくなりそうなほどの音と、目が狂いそうなほどの閃光が生まれる。

 爆発が終わっても、生まれた業火は消える事は無い。

 だが地獄の業火を…… まるで散歩するような気楽な動きで、女が歩いてくる。

 

 

 

 「ギィ――ハハハハハハ!!! たァのしいィィ、お出迎え、あァァァアりがとうさァァァアん! ゲェ――ハハハハハハ!!!」

 

 

 

  最悪な、笑い声。

 人の尊厳すら踏みにじる、悪魔の哄笑。

 その発生源たる世界者『アンテノーラ』は、まるで何かを誇るように、両手を広げて防衛線を張る聖十字軍へと両手を広げて見せた。

 

 

 

 「じゃあお礼といきますか、ギャ――ハハハハハハ!!! ではでは――

  皆様お集まりのところで、本日の目玉をご紹介します」

 

 

 

  まるでピエロのようなおどけた声、しかしそのような声では到底隠し切れない悪意があった。

 そのとき、聖十字軍の隊員たちはやっとそれに気づいた。

 あまりにも邪悪な存在感の大きさを誇るアンテノーラに気を取られていたせいもある。

 しかし…… 見えてきても、それには存在の気配が無かった。

  業火の中から、いや…… その業火の中、大破したトラックより“それ”は這い出してきた。

 人だった、極普通の普通に道を歩いている男性、女性、子供…… 老若男女の人間たち。

 だが例外なく―― その目には生気が無い、生きている存在感が無い。

 死人を思わせる濁った瞳、異様なほど唾液が溢れ、よだれを垂れ流しながら荒い息を吐く口。

 正気ではない、それどころか――

  肉がちぎれる音、骨格が軋む音、耳を塞ぎたくなる異音が響いた。

 その音の発生源は、トラックから出てきた人間たち。

 鬼化を思わせる異常な変化、獣人たちは変化させまいともう一度、重火器と異能を放つ。

 

 

 

 「イヒ――ハハハハハハ!!! いいねぇぇぇえええ、いい殺気だよぉおおおん。 でも――」

 

 

 

  アンテノーラは動かない、自分の背後にいる彼らが攻撃を受けても助けない。

 自分に当たる攻撃だけをその髪で跳ね除けて――

 

 

 

 「ギヒヒヒ、枝毛になるかな、イヒヒヒヒヒヒ」

 

 

 

  そんなふざけて事を呟いた。

 本当なら背後の味方を守るのが当然のはずだ、それに必要な力など十二分に持っている。

 しかし守らない、なぜなら――

 

 

 

 「馬鹿、な!?

 

 

 

  爆炎の中、黒い影が立ち上がった。

 “それ”が振るった翼により風が生まれ、炎が消え去る。

 下手な風力操作の異能者よりも強力な風だった。

  そして炎が消えた事で、“それ”の全貌が見えた。

 一言で言えば―― いや、一言で形容などできない。

 あるものはワニの顔を持ち、あるものはタカの顔を持ち、あるものは獅子の顔を持ち――

 またあるものは象のような体を持ち、またあるものは蛇のような細長い体を持ち――

 全く別々の姿を持っておりながら、それらは異教の邪神像にも似た禍々しい美しさと統一感があった。

 キメラなぞ、この存在たちの前ではまるで継ぎ接ぎだらけの屑鉄だろう。

 そしてもっともその存在の中で目立つのは、一体の例外もなく蝙蝠の翼を持つ事と、何らかの角を頭部に持っていることだった。

  呆然と、獣人の一人が質の悪い病気にかかっているような呆然とした声で呟いた。

 目の前にいるあの存在たちを信じられないのだ。

 思わず、現実逃避するほどに。

 

 

 

 「あ…… 悪魔?」

 

 

 

  そう、それは間違いなく、悪魔と呼ばれる存在と同じ姿をしていた。

 まるで何処かの神話から抜け出してきたような、その姿。

 今までの消え去りそうな気配など微塵もない、禍々しい存在感と病んだような歪んだ生命力。

 目前に立つ人を絶望させるには十分すぎる…… 例えそれが獣人といえど―― 彼らの前では凍りつく。

 

 

 

 「ひッ――!?

 

 

 

  兎の獣人である少女は自分が持つマシンガンを捨て、背中を見せて逃げ出した。

 獣人という種族は、自らの特徴である動物の性質を受け継ぐ。

 兎という草食動物である事、そして今まで前線に出ず、後方支援に徹してきた彼女には前線の雰囲気は毒だったのだ。

  他の獣人や異能者が反応する余裕も無かった。

 逃げ出そうとして他の仲間から離れてしまった彼女へ、悪魔の一体が襲い掛かる。

 

  嫌な音だった。

 

  肉を噛み千切る音を何倍に大きくして、悲鳴と断末魔を混ぜた音。

 ベチャと地面へ、かつて少女だった肉と血がぶちまけられた。

 

 

 

 「キサマァァァァァアア!」

 

 

 

  隊長である狼が少女を食い殺した悪魔へと突撃した。

 すでにライフルは捨て去り、本来の武器である手甲と、それに装着された爪を振りかざす。

 歴戦の戦士である彼の一撃はさすがに聖十字最強の彼女達と比べるのは残酷だが、強力だ。

 戦車でも十分、単独で破壊できる。

 ……しかし、相手が悪かった。

 

 

 

 「な……!?

 「グゥググググウゥウウウゥ……… ガァガァァアアアアアアアアアア!」

 

 

 

  一撃は確かに当たった、が、『悪魔』は自らの腕の皮膚を―― 下手な装甲よりも頑強な皮膚を用いて彼の爪を受け流したのだ。

 見た目とは違い、圧倒的に素早く、そして高い戦闘技術を持っているのだ、この『悪魔』は。

 反撃として放たれた拳を間一髪で避けて、狼は大げさなぐらい後ろへと跳躍する。

 だが間合いを離すことが出来ない、彼が逃げるよりも速い速度で『悪魔』が踏み込んできたからだ。

 殺られる、そう狼の獣人は覚悟して、次の瞬間、ばらばらとなって散っていた。

 

 

 

 「た、隊長……?」

 「そんな…… 馬鹿な」

 

 

 

  時間にして20秒にも満たない、惨殺。

 信頼していた隊長が、自分達の目標でもあった彼が、たったそれだけで今までの彼の人生は無意味となった。

 余りにも、呆気ない死に様。

  ガチャリと、音を立てて誰かが持っていた武器を地面へと落とした。

 音としてみればとても小さな音だ、騒がしい場所なら聞こえなくなる程度。

 しかし、その音はその場にいる者達の戦意を破壊するには十分すぎた。

  あるものは悲鳴をあげて、武器を捨て逃げ出した。

 またあるものは銃器を乱射し、何人かの仲間を撃ってしまった。

 意味も無く武器を振り回し始めた者がいた。

  そのような混乱を見て、アンテノーラは何処からか写真機を取り出し、その様を撮る。

 すぐに現像され吐き出された写真を見て、にやりと微笑んだ。

 その微笑みだけみれば、それはこの上なく幸せそうな美しい微笑。

 だが続く言葉がそれを悪意と邪悪へ塗り潰す。 

 

 

 

 「いいねぇえええええ…… これだから弱いものいじめは止められないぜぇ! ギヒィ――ハハハハハハ!

  でもぉ―― もっと楽しくなるのはこれからなんだなぁ」

 

 

 

  右手を高々と掲げて、指を鳴らす。

 それを合図にして『悪魔』達は跳躍した。

 混乱している獣人や異能者たちの中に飛び込んで、腕を振るい、何人もの人間を肉と血に分けた。

 紅い霧で、その場が染まる。

 

 

 

 「さぁ―― 殺戮パーティーの開幕だ、さぁさぁさぁさぁ、たっぷりと楽しもうぜぇ。

  イッィヒヒイィヒィヒイイイイイイ―― ……ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

 

 

  殺戮が、始まる――

 まるで鼠をいたぶる猫のような残酷さで、彼らが終わっていく。

 都合のいい主人公は、救い主は―― まだ来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回 縁の指輪

五の指輪 六刻目 最強の意味・最弱の価値

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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