「思ったよりは事態の進行が早いな… 優の鬼化だけでも大問題っていうのに…」

 

 「錬の発病、雪雄の紙園童子化…いえ、“私怨”童子でしたか?」

 

 「言葉遊びだ、それ自体に意味は無い“蜘蛛神子”(アトラック・ナチャ)、どちらでもすこし対処を間違えれば終わるのに変わりは無い」

 

 

 

  何処とも知れない世界、世界の狭間、虚数の世界、ありえざる空の下、その端っこにして中心にして深遠で、三人の男は話し合っていた。

 

 正確には話し合っているのは二人、一人は地面に座り込んでひたすら知恵の輪を解いている。

 

 足元にはすでに綺麗に分離させられた知恵の輪が20個以上は落ちていた。

 

 まるで何かの精神的な病気のように、二人の会話に意識すら向けず、ただひたすらに知恵の輪を解いている。

 

 

 

 

 「我は第三世界での仕事を終えたばかりなのですが…」

 

 「すまないな」

 

 「いえ。 望んで進んでいる道ですので」

 

 

 

 

  蜘蛛神子と呼ばれた少年は大きな旅行鞄を椅子代わりにして、世界を切り裂く者の話を聞いている。

 

 そう、彼の会話の相手こそ世界の裏の騎士団、その団長であるカル・イグニーニスだ。

 

 人並みはずれた寿命を持っているのか、人ではないのか……… 錬の前世の頃から全くその姿は変わっていない。

 

 変わったのはその雰囲気だ、以前よりはるかに鋭く、強い。

 

 

 

 

 「全ては12月、あの山で決着が始まるはずだ。 優と…おそらくは竜族の誰かを元にして顕現した邪竜……… それが連中の今回の計画の中核だからな」

 

 「あの山は魔界です、呪われた運命が集うにはふさわしい」

 

 

 

 

  手の中で蜘蛛神子は足元の少年から貰った知恵の輪を弄っている。

 

 しかし手先が器用でも知恵の輪は、高い構造を認識する能力とそれを解体する方法を考える知恵が必要だ。

 

 蜘蛛神子は数回ほど分解方法を試して失敗し、そして彼は怒りに任せて力任せに知恵の輪を分解――― いや、破壊した。

 

 

 

 

 「フゥ―――!」

 

 「虎みたく吼えるな、まったく我慢という物を学習しろお前は」

 

 「グルルルルルル………  落ち着きましたよ落ち着きまし落ち着きましたぜ」

 

 「そう言うならせめて捨てた知恵の輪を踏みにじるのはやめろ」

 

 

 

 

  獣じみた人格の持ち主だとは知っていたが、ここまで獣に近い思考となるとさすがのカルも呆れるしかない。

 

 普段は冷静な人物なのだが、いったんストレスが溜まるとすぐに切れる。

 

 そして切れると唸り声を上げて暴れだすのだ、力があるぶん赤ん坊よりたちが悪い。

 

 

 

 

 「……… もう行きますよ我は」

 

 「ああ、引き止めて悪い」

 

 「いえ、今度こそ頭が冷えました」

 

 

 

 

  蜘蛛神の子供はくるりと回ってカルに背中を見せた。

 

 彼の背中には名の由来となった六対の腕が見えている。

 

 正確には腕ではないのだが、自由に動かせ物も掴める――― 立派な『手』だ。

 

  彼はこの手とワイヤーを用いた戦闘から、蜘蛛を思わせる戦いを行なう。

 

 室内などの彼が本領を発揮する限定空間では、カルでも苦戦を強いられる事になる。

 

 

 

 

 「これで冷静に事態を進行させられる、助けて見せるよ、錬は――― わかってるだろう?」

 

 「レイはよく言ったものだ、姉のためか… な、『月河藍子ちゃん』」

 

 「そっちは彼女の名前だ、我は月河太助… 所詮は奇形児で隠し子さ」

 

 

 

 

  そう、その姿は、蜘蛛神子の姿はまさしく綾美の妹であった月河藍子と瓜二つ。

 

  綾美は知らなかっただろう、彼女の妹は二卵性の双生児だったのだ。

 

 ただし後から生まれた彼は、その異形ゆえにいないこととして扱われた。

 

 綾美が藍子を弟と感じていたのは、実際に弟だったからだ。

 

 二卵性でありながらそっくりな彼らは時々入れ替わっていたのだから。

 

  あの吸血鬼、レイ・ゼフィランスが『弟は無事だ』といったのは、まさしく真実だったのだ。

 

 綾美が冷静なら気づいたはずだ、あの時の正しく言うべき言葉は『妹は無事だ』のはず。

 

 ただし、レイの襲撃にて力に目覚めた太助は、人ではなくなった、完全に。

 

 正しく、彼の言葉は正しかった。

 

 

 

 

 「姉上の恋の手助けをするだけですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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                縁の指輪 

    五の指輪 一刻目 聖十字軍<キャラバン>

 

 

 

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 「錬、調子はどうかしら?」

 

 「つい、耐え切れず薬を飲みすぎる以外は、大丈夫だよ」

 

 

 

 

  綾美が寝静まっている昼、吸血鬼である彼女はたとえ昼間に行動できるとしても昼に寝ることが多い。

 

 錬達にとってそれは、彼女に知られてはならない会話をする時には便利な事ではあった。

 

 少なくとも、この会話を彼女の前で言えば半狂乱になりかねない。

 

 

 

 

 「言っておくけど飲みすぎも危険よ、免疫が出来たらそれまでだから」

 

 「しかしな、毎日血を吐く身にもなってよ」

 

 「死ぬよりはマシよ」

 

 

 

 

  今回の吐血にて口についたままの血をハンカチで拭いながら錬は今回の分の薬を呑んだ。

 

 味は無い、ただ何かを飲み干したという感触があるだけである。

 

 だが効果は確かな薬品だ。

 

 

 

 

 「血の味のも慣れてきた。 でも、美味しくは無いな」

 

 「血の味なんて鉄みたいなものでしょ?」

 

 「味の問題じゃ、無い」

 

 

 

 

  そう、これは味の問題ではないのだ。

 

 錬は半吸血鬼、人と吸血鬼の間に生まれた忌子、それが血を美味しいと感じたとき、それは吸血鬼側に傾いている証拠なのである。

 

 まだ血のかすかな甘さと美味しさに気づかない、錬はそれこそが自分がまだ人間に近いという証拠だと思う。

 

 人間には、決してなれないのだから。

 

 どんな事をしても、自分が半吸血鬼であることは覆し様が無い。

 

  どうしてこうなってしまったと、錬は自問する。

 

 母や父を嫌っていたから、この事を離してもらえなかったのか。

 

 それとも彼らは錬を嫌っていて、だから帰ってこずお金だけ仕送りしてくるのか。

 

 思考が、悪い方向に加速的に進んでいく。

 

 決して良い方向という日の下に現われることはありえない。

 

 

 

 

 「どうも焦りに身が焼かれるんだ」

 

 「これで焦らないのなら、狂ってるわ」

 

 

 

 

  アスラルにも錬を蝕むものが分かる。

 

 自分で何か出来るなら、それをすればいい。

 

 しかし彼を蝕んでいる焦燥は、彼自身にはどうにも出来ないのだ。

 

 

 

 

 「俺にできる事は無い、っていうのはどうも気に喰わない」

 

 「そりゃね、いっそのこと彼に会えればすこしは違うんだけど…」

 

 「彼?」

 

 「世界最速の男、って自称する怪物よ」

 

 

 

 

  アスラルが言うには、その男の名前は光太助(ひかりたすけ)というらしい。

 

 最強の能力者に与えられる称号、色の三原色の一つ、黄色(イエロー)を持つ異能者。

 

 フリーの何でも屋、能力者の中では間違いなく最強。

 

 情報収集をもっとも得意にするが、現在は聖十字でも見つけられないらしい。

 

 

 

 

 「死んだのでは?」

 

 「死ぬのはありえない、少なくともあの能力を持っておりながら死ぬ事は無いわ…

  それほどすごいのよ、三原色というのは」

 

 「アスラルが言うなら、とんでもないな」

 

 「彼なら、まぁ… 色々横のつながりがあるから、主に第三に…」

 

 「第三?」

 

 「い、いえ、なんでもないわ」

 

 

 

 

  思わず他の世界の話をしてしまいそうになったアスラルはごまかしの言葉を口にした。

 

 錬は確かにこの世界以外に世界があることを知っているが、その細かい情報を知っているのとは全く異なる。

 

 聖十字以外でもほぼ全ての組織で、他世界の情報は最高機密となっているのだ。

 

  第三世界は第二世界より多くの獣人や魔法使いが存在する、第二世界のゲームにありそうな世界。

 

 科学技術は低いが、魔法に関係した技術や“混血児の問題解決”などは第二を超越する。

 

 いや、もし第二が公式的に人外の存在を世間へ明らかにすれば話は違うだろう。

 

 だが第二はまだそこまで進んではいない。

 

 

 

 

 「とにかく、待つ事も戦いよ」

 

 「いやな戦いだよ」

 

 

 

 

  疲れ果てた声で錬は呟いた。

 

 ただ敵がいるのなら戦えばいい、しかしこの戦いは剣で切りつける事すら出来ない相手なのだ。

 

 その戦いに今までに無いほど、錬は消耗していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ルシフ=ヒアノーラは確かに世間より高い評価を受けている最強位の異能者だ。

 

 しかし彼女の事を知っている人物は総じてこう言う――― 駄目人間。

 

  趣味は本屋での立ち読み、しかも大声でゲラゲラと笑いながら。

 

 好きなことは推理小説を呼んでいる人物へ真犯人を教える事。

 

 とどめに、重度の猫かぶり。

 

 主にこの最悪の特徴は、かつて彼女がかの紫の魔王に育てられていた時期にできたものだ。

 

 そしてその魔王(人間失格)に似て、手のつけようが無い。

 

  だが、さらに彼女のことをよく知っている人物は彼女をこう言う――― 不器用で優しい女、と。

 

 

 

 

 「思ったより時間がかかったけど… 大丈夫“土姫”?」

 

 「貴公も僕をそう呼ぶのか!?!」

 

 「嘘よ、ごめん」

 

 「ゥウ!」

 

 

 

 

  霧深い森道を、少女と女性が一緒に進んでいる。

 

 余りにも深いその霧は、およそ20mほどで何も見えなくなるという異常さだ。

 

 しかし正確には霧ではない。

 

  白い、砂だ。

 

 雪のように白く、霧のように細かい砂が霧のように広がっている。

 

 つまりこれは砂塵と言ったほうが近い。

 

 これほど濃い砂塵なら呼吸は困難になりそうなものなのだが、むしろ心地よいくらいだ。

 

 通常の砂塵などではない、これは“地竜の里”を守る神域結界。

 

 つまり彼女達は今、そこから外界へ出ようとしているのだ。

 

  地竜、竜族の中でも翼を唯一持たない種族。

 

 ほとんどはワームという巨大なミミズを思わせる姿であるが、上位の地竜はそれとは全く異なる、むしろ神像めいた美すら持つ姿を持つ。

 

 ルシフの横にいる地竜の少女もそうだ。

 

 一度ルシフは彼女の本性を見たことがあるが、アレをミミズとはいえないだろう。

 

 神話に出てくるドラゴンより翼を取り、変わりに牙や爪といった凶器を巨大に凶悪にし、生体装甲ともいえるほどの分厚い皮膚を持たせればこうなる。

 

 そういう姿だ、実際、正直、それを見るまで彼女をミミズ呼ばわりしていたルシフは、一目見て前言を撤回した。

 

 あれはもはや移動要塞といっていい存在だ。

 

 

 

 

 「地竜族の足が遅いのは知っていたけど、足を引っ張りすぎよ姫」

 

 「姫と呼ぶな! 自覚しているが仕方ないだろうが、どう頑張ってもうまく走れんのだ!」

 

 「というか貴方の歩みの速度は悪い意味で特別よね……… 走って私の歩きより遅いんだから」

 

 

 

 

  走るのが遅いというより、少女は足元を確かめるのが苦手なのだ。

 

 普通に歩くには問題にはならないような木の根っこや石にも躓く。

 

 足元を見ているのに避けるというコトが出来ないのである。

 

 その理由は地竜の本来の移動法、戦車のように地形を破壊しながら進む事に繋がる。

 

 足元を気にせず行動するのが普通なので、人間の歩きが上手く出来ないのである。

 

 

 

 

 「急がないといけないわ、せっかく伯母に会えるのだから」

 

 「ふむ、それは嬉しいが――― なんだ、その妙に羨ましそうな顔は」

 

 「だって私に家族はいないし、まぁ「父様」と「妹」はいるけどねぇ」

 

 「何だそれは? 父と妹がいるではないか」

 

 「まあ詳しい話は聞かないで置いて」

 

 

 

 

  左手を左右に振るってそれ以上の詮索を拒否する。

 

 気軽な仕草だが、この癖を出したらどんなことをしても聞く事は出来ない。

 

 それを短い間に少女は理解していた。

 

 

 

 

 「しかしあの方も足が遅いだろうに、よくあそこまで忙しい仕事をやっておれるな」

 

 「大体は彼にまかせっきりだし、彼女は飾りよ」

 

 「断言するのか?」

 

 「否定しようないし」

 

 

 

 

  またも否定の癖を見せながらルシフは少女の足元を自由な右手で指差した。

 

 そこには木の根が飛び出している、ルシフが警告しなければまた少女は転んでいただろう。

 

 ルシフのほうが驚くほどの驚きを見せて少女は木の根を飛び越えた。

 

 

 

 

 「はいはい無駄話時間はコレで終わり、足元は見てあげるからとっとと行く」

 

 「あ、待て、待てといっているではないか!」

 

 

 

 

  早歩きでさっさと進んでいくルシフを少女は慌てて追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  目覚めは、最悪。

 

 夏休みだからといって、午後に軽く寝たのは間違いだった。

 

 目覚まし代わりは――― 苦痛だったのだから。

 

 

 

 

 「―――ガっ、クぁ………」

 

 

 

 

  発作としては強くないほうだ、痛みで半狂乱になるほどではない。

 

 しかし視界が真っ赤に染まったような気がする苦痛だった。

 

 だがその真っ赤な視界に見える空が、アスラルを呼ぶことを出来なくする。

 

 今は、夜だ。

 

  今、もしもアスラルを呼べば綾美もそれに気づくだろう、そして錬を蝕む病魔に気づくはずだ。

 

 ましてや血を吐くのはもっと不味い、昼間なら誤魔化せるだろうが、夜中で吸血鬼としての能力を開放している彼女なら血の匂いに気づく。

 

 一度気づけばわかるはずだ、錬が何度も血を吐いていることぐらい。

 

 彼女は、錬より血を深く理解している。

 

 血と血の争いで死のうとしている錬より、はるかに。

 

 

 

 

 「………ッ……クッ」

 

 

 

 

  そして錬は仕方なくアスラルより貰ったもう一つの薬を取り出した。

 

 紅い包装紙に包まれた飴玉、痛覚を一時的に消す薬。

 

 あまりにも効果が劇的で肉体に与えるダメージが大きい、しかし今の錬に選択肢は無い。

 

 

 

 

 「不幸しかない選択肢って最悪だ」

 

 

 

 

  薬を口に含み、それが溶けこんだ唾液を飲み込んだ瞬間に苦痛は消え去った。

 

 とんでもなく効果がでるのが速い、その分、効果が切れたときの反動は大きいだろう。

 

 

 

 

 「最悪だよ、こんな状態で学校が始まったら俺どうすんのさ」

 

 

 

 

  にやにや笑いながら呟く、そもそも――― もう学校に行く余裕があるとは思えない。

 

 病魔もそうであるが、自分があの場所に帰れる自信が無いのだ。

 

 きっと普段どおりに挨拶し、授業をし、食事をとって、授業し、掃除し、帰る。

 

 何も変わらない毎日のサイクル、だからこそ変わってしまった自分を呪わざるを得ない。

 

  ただの汚れは、同じ汚れの中にいれば目立たない。

 

 それを認識できるのは、綺麗な白の中にいればこそだ。

 

 日常に帰れるからこそ、非日常をより強く感じてしまう。

 

 

 

 

 「錬――― 起きてる?」

 

 

 

 

  ふと、そんな声が聞こえてきた。

 

 綾美の、声――― それが分かった瞬間、比喩ではなく錬の心臓は確実に数瞬、止まっていた。

 

  言い訳を、ごまかしの言葉を必死で考える。

 

 どう言えばいい、どういえばこの状況を悟られずに済む―――

 

 

 

 

 「―――起きて、るよ」

 

 「こんな夜中まで起きてるなんて、不健康になるよ?」

 

 「……………」

 

 

 

 

  扉をすこしだけ開けて、そこから顔をのぞかせている綾美。

 

 彼女の何気ない言葉は、それでも今の錬を追い詰めるのには十二分だ。

 

 今の追い詰められている錬には、どんなものも自分にとって不利に思える。

 

 

 

 

 (不健康か、この状態はたしかに健康的とはいえないよな)

 

 

 

 

  血を吐くのが健康なら、風邪など病気に入らなくなるだろう。

 

 そんなくだらない事を考えながら、錬は不自然にならないように注意しながら綾美から顔を隠した。

 

 今の顔色は死人じみた青色のはずだろう、見せれば言い訳などできなくなる。

 

 難しい行為であったが、なんとか成功した。

 

 

 

 

 「神社の事、覚えてる?」

 

 「忘れる事なんて、できないだろ」

 

 

 

 

  綾美の小さな声を背中越しに聞き、錬も小さな声で綾美へと返した。

 

 いや、今の状態では出したくても大声など出せない、それほど心身共に消耗している。

 

 

 

 

 「なんだか、色々あって……… 正直、今までの何も知らない自分が馬鹿みたいに思えるの」

 

 「馬鹿か… むしろ幸せなんだろうな、知らないが、よかったと思える」

 

 

 

 

  知らなければ、自分が人間だと思い込むことが出来た、はずだ。

 

 例え、心中で疑っていても表面上は人間でいることが………

 

 だがそれももうできない、もう知ってしまった。

 

 知らなければなど、もはや可能性の果てにしかない幻想に過ぎない。

 

 

 

 

 「でも知ってしまったからには、知らないままでいるなんてできない」

 

 「錬、でもそのせいで貴方は『無垢なる』っていう爆弾を抱え込んだのよ」

 

 「むしろその爆弾を知らないままでいたほうがヤバイだろ、その分は知っただけマシだ」

 

 「でも…」

 

 「心配するな、うまくいくよ。 アスラルだって手伝ってくれるじゃないか」

 

 

 

 

  こういう話は、アスラルを出せば何とか誤魔化せる。

 

 錬は今までもこのような状況を――― この数日におきたこのような状況を ―――誤魔化す方法として彼女をよく使っていた。

 

 そう言われてしまえばアスラルを信頼している綾美は納得する以外に無い。

 

 だが今日は違った。

 

 

 

 

 「それでも、不安なの!」

 

 「あや、み?」

 

 「錬の方が苦しいのは知ってる、でも…」

 

 「言うな!」

 

 

 

 

  綾美の言葉は、聞くわけには行かないと錬は悟った。

 

 自分が分かっていることだからこそ、他人に言われたくない事がある。

 

 

 

 

 「ご……… ごめんなさい」

 

 「すまない、眠れなくて苛立っていたみたいだ…」

 

 「うん、いいの。 ――― おやすみ」

 

 「ああ、おやすみ」

 

 

 

  綾美を安心させるためにも、錬はベッドへ横になった。

 

 痛みはもう無いが、とてもではないが今の気分で寝付けるとは思えない。

 

 気配で綾美が去ったのを――― 音でその足跡が悲しげだったのも ―――感じ取って、それでも錬はベッドの上にいた。

 

 体が重く、立ち上がれない。

 

 錬が思った以上に、疲労が蓄積していた肉体は睡眠を欲していた。

 

 

 

 

 「………自分が自分の体に振り回されてどうする」

 

 

 

 

  呟いてみて、心底、自分が嫌になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「一応、眠れたんだ………」

 

 

 

 

  ぼんやりとした頭で、自分が寝れたのを理解する。

 

 といっても、おそらく寝たのは一時間程度だろう。

 

 夢すら見れないほど、浅く現実をさまよう眠りだった。

 

  寝起き特有の気だるさを耐えてベッドから立ち上がった。

 

 すこし体が重いが問題になるほどではない。

 

 

 

 

 「えっと… まずは冷蔵庫に入れた昨日の残り物を………」

 

 

 

 

  朝食をどうするか歩きながら考える。

 

 朝食などはアスラルが今の状態を考慮し、自分が作ると言ってきたのだが、錬はそれを断った。

 

 これは今の自分を支える物の一つだからである。

 

 日常は罅があっても、消えていない。

 

 

 

 

 ――――

 

 「ん………?」

 

 

 

 

  誰かが話し合う小さな声、高い聴力でなければ拾えないほど小さな声。

 

 片方は女性のアスラルの声。

 

 もう一人の声は、話しているような気配はするが声は聞こえない。

 

 

 

 「……を……へ…」

 

 「―――――――――」

 

 「じ…んが……って…」

 

 「―――――――――」

 

 「…うが……した…ですか」

 

 「―――」

 

 「はい…かり……た、ではと…様」

 

 

 

  錬はいつの間にか、自分が足音と気配を断っているのに気づいた。

 

 何となく、何となくだが今のアスラルに気づかれるわけには行かないと思ったからである。

 

 アスラルがいるのは錬の部屋へ続く廊下の、玄関へ曲がる所。

 

 今は見えないが錬から見て、壁に突き当たってから曲がってすぐに電話がある。

 

 アスラルの気配はそこからだ。

 

  電話だったのだ、それなら相手の声など聞こえるわけが無い。

 

 会話だと気づく事が出来たのはアスラルの口調だったのだろう。

 

 人の会話というのは一人で離しているのとは全く違う気配があるものだから。

 

 

 

 

 「アスラル、おはよう」

 

 

 

  だから、錬は曲がり角を曲がってすぐに、そう話しかけていた。

 

 その朝の挨拶、だがそれに返ってきたものは。

 

 

 

 

 「―――――!」

 

 

 

 

  驚愕だった。

 

 アスラルは受話器を驚いて手放してしまい、受話器は床に落ちて音を立てる。

 

 気配を立っていた状態から、いきなり離しかけたのだ、驚かれても仕方ない。

 

 しかし、なにか………

 

 

 

 

 「驚きすぎだよアスラル」

 

 「え。ええ……… 気配が全く無かったから敵かと…」

 

 「眼帯外されなくて良かったよ」

 

 

 

 

  もっと早く気づかれていたら、アスラルの眼光を喰らっていたかと思うと錬はゾッとした。

 

 話で聞く限りでも視界内の物質をいくらでも爆砕するという、非常識すぎる魔眼。

 

 たとえ自らの死の現象を壊す事で即死を避けられるといっても完璧ではない。

 

 自分以外、自分の真横や真後ろを爆破されれば切り払えないし、爆風で死ぬ。

 

 錬は朝から死ぬ可能性があったことに、思わず脱力してため息をついた。

 

 

 

 

 「で、電話は終わったの?」

 

 「電話? ああ、それね。 まあ色々あったけど、終わったわ」

 

 

 

 

  ふと、錬はその言葉に違和感を感じた。

 

 電話での会話で、「色々あった」とはどういうことだろう。

 

 しかし電話とはいえ、他人の会話を盗み聞きしていた罪悪感でそれを聞く事ができない。

 

 

 

 

 「ねぇ、確認しておくけど――― しばらく暇よね」

 

 「残念な事に予定は入っていないよ」

 

 

 

 

  予定となる事があれば、それで気を紛らわせることができるのだが、少なくとも学校が再会するまで何の予定も無い。

 

 夏休みに会った大きな予定は学校の図書館の整理があったが、エギレティスの戦いの日に終わっていた。

 

 

 

 

 「だったら、錬。 貴方と綾美ちゃんに会いたい人がいるの」

 

 「アスラルの知り合い?」

 

 「ええ、ある意味、最も古い知り合い」

 

 

 

 

  アスラルは深く息を吸い込んだ。

 

 長い時間をかけて吸った空気を、同じだけ長い時間をかけて吐き出す。

 

 そして、まるで楽しい事があった少女のような声で言う。

 

 

 

 

 「ええ、私の義母で――― 聖十字軍の総司令、朝露薫由里(あさつゆかゆり)よ」

 

 「初耳だけと、それって…」

 

 「はっきり言うわ、貴方に聖十字軍を統べる女が会いたいといっているの―――」

 

 

 

  いつの間にか、アスラルの口調は氷のように冷たくなっていた。

 

 どこからそうなったと思い出してみるが、それは……… 「会いたいと言っている」という言葉だ。

 

 彼女はそこから、義母を自慢しているような口調でなくなった。

 

 まるで会いたいと言われたことが不愉快であるように。

 

 

 

 

 「―――そして、私は反対よ。 彼女は何もかもを救いたいと考えている偽善者。

  自分の手の平で掬える救えるいのち)の限界を分かっていない。

  救う事が出来ないかもしれないのに、手を伸ばす――― だから、会わせたくない」

 

 「いいよ、それでも――― 救われなくとも、自分で自分を救えばいいし」

 

 「はぁ、最初から駄目と覚悟して行くわけね… なら、いいわ。

  出発は明日、迎えが来るわ。

  綾美には私から話しておくから、泊まりになるから用意しておいて」

 

 「分かった」

 

 

 

  錬はそれだけ言って今度こそ台所へ足を進めた。

 

 用意しておいてといわれたが、朝食(綾美にとっては夜食)を用意して食べてからでも遅くは無い。

 

  たとえ、救われなくとも手を伸ばされた事に意味がある。

 

 それを錬は知っている、だから、アスラルの話に乗る事が出来た。

 

 錬にとっての昼夜、そういう存在だからだ。

 

 

 

 

 「アスラルは心配しているだけだ―――」

 

 

 

  小さな声で錬は呟いた。

 

 

 

 

 「―――救えなかった命で、義母が傷つく事を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回 縁の指輪

五の指輪 二刻目 終焉存在<ライフロスト>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





作者蒼夜光耶さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。