今、二人を結びつけるのは二つの指輪だった。

 淡い光が彼と彼女の周囲を回る、踊る、輝く、煌めく。

 まるで祝福するように、まるで祝うように、まるで――― 別れを惜しむように。




 「それじゃあ、運が良かったら」

 「いつか、遠い彼方の、星の下で」




  “彼”がその指輪を、手に持った剣で破壊した。

 まるでダムが決壊したように、壊れた指輪から光があふれ出す。

 もはや照明などの照らすための光ではなく、強すぎるそれは世界をそれだけに染め上げていく。

  世界が融けていく、まるでその光に侵食されているように。

 そして世界に罅が入った、光の浸食に耐え切れなくなったかのようにひび割れて砕けていく。

 砕けていく世界の中で、その中心で、彼と彼女は互いの笑顔を瞼に焼き付けるように見詰め合う。

 そしてゆっくりと、口付けを交わす。

 直後、二人は砕け行く世界に巻き込まれて―――











  ―――その時、その少年と少女は生まれた。

 互いに互いを分け合い、つがいでなければ空を翔べない鳥となる。

 しかし、少年と少女は幸せだった。

 たとえ世界がこの上ない絶望で満たされていても、二人ならそれを超えられると。

  少女は永遠に約束された、その深き幸せの牢獄に泣く。

  少年は永劫に契約された、その淡き喜びの無限に嘆く。

 だがそれは、決して悲しみでは無い。

  それはたとえ、何者であっても消す事も、変える事もできない――――




  その女性は、その二人の赤子を抱いた。

 一人は男の子、もう一人は女の子。

 だが、その二人が誰か、赤子を抱いた瞬間、理解した。

 思わず、涙が溢れ出す。

  ―――二人はこうしなければ、幸せになれなかったのか?

 ここにあるのは、とても赤子を祝福する物ではなかった。

 折れた弓と、焦げた何本もの矢。

 血塗れ、磨り減り、朽ち果てた、地面に突き立つ壊れた聖剣。

 その二つのみが、彼と彼女の生きた証だった。

 否、まだ二人いる。

  大きな、泣き声が響いた。

 それは、とても純粋な生誕の歓喜。

 何度も生き物の誕生を見、その慟哭を知る女性ですら幸せな気持ちにする、この上なく純粋な歓喜。

 この二人の赤子、この二人がいる。

  赤子は互いの腕を握り、笑う。

 女性は今にも崩れ落ちそうな体で、赤子を抱いて歩き出した。

 この二人がいるかぎり、まだ倒れるわけが無い。

 苦痛に顔をゆがめながら、獣道をすすみながら、女性は祈る。

 せめて、せめて―――




   ――――この二人に幸福を

   ――――二人の先に、希望の路を


   ――――そして何より、二人の愛が永遠であることを






















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                縁の指輪 
    四の指輪 七刻目 縁の指輪



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  飛び込んできた綾美を見たとき、彼女に誰か別の人間が重なって見える。

 心より深い所から、止めろという叫び声が聞こえた気がした。

 関係ない、綾美のためにやってるんだ、だから邪魔したら許さない。

 そういう事を考えて錬はその考え方の矛盾に気づく。

 今、自分は誰を傷つけようとしている!?

  錬の意識が、まるで転寝しているように、考える事すら億劫となり曖昧な意識が冷水をかけられたように一瞬で覚醒する。

 全身全霊を使って綾美へ向かう剣を止めようとする。

 だが、止まらなかった。




 (いいところなんだ、邪魔しないでよ)




  誰かの声がした、錬はその声に凍りつく。

 そしてその時、自分が力を望んでどんな悪魔と取引してしまったか悟った。

 何て愚かなのだろう、一時の渇望に負け、“月美と同じ所に陥ってしまった”。




 (俺の―――― (くは…はは、ははははははははははは―――) ―――無垢なる!)




  “錬の無垢なる”が嘲笑う、哄笑する、高笑いする。

 耳障りを通り過ぎて精神の毒と化した邪悪な笑い声、それを聞きながら錬はあの時の月美がどんな気持ちであの悪魔を受け入れたのか知った。

 自分に絶望した時、“こいつ”は来るのだ。

 その絶望という穴を通り抜け、人という世界―― 心 ――を穢すために、偽りの希望で汚すために。

 この邪悪は、来るのだ。











 「錬ッ――――!」




  遠い場所、マナが安定した深い森の最深部で漆黒の少女が叫んだ。

 思わず錬の下へ行こうとしたが、今動くわけにはいかない。

 ただでさえ、無理な行使をしたせいで分解寸前、今は動きたくとも動けない。




 「無垢なる、どこまで下劣な…!」




  歯軋りする、怒りが堪えきれない。

 どこまでも他人の弱みに付け入る、邪悪という概念にとどまらない下劣な悪意。

 どんな事にも秩序はある、そうだ――― 戦争にもルールはある。

 それすら、悪意で歪める、嘲笑う。




 「フェンリは――― 無理、力技でどうにかなる問題じゃない」




  フェンリは確かに最強級の力を持っている、ただし殴り合い限定だ。

 今回のような絡め手には全くの無力だ、むしろ力を持っているせいでそれで解決する以外の道を見つけられない。




 「力では無理、必要なのは――― 心だけ」




  無垢なるは精神のみの存在だ、故に人より精神的に強い。

 他人の自我を取り込むほどに……… だからこそ、人の心、精神のみが戦うことができる。




 「憎い……… この体になって、どうして大事な時に動けないのよ………!」











  いつか見たような、そんな感じがする光景だった。

 迫りくる剣先、一つ違うのはその剣を持つ男の顔、邪なる笑み。




 (違う、それは違う)




  助けるとはこんな笑みを浮かべながらできる事ではない、コイツは錬の思いを利用しているだけだ。

 憎い、今までに無いほどの憎悪。

 理不尽な怒りではなく、本当に怒らないといけないゆえの怒り。

 それが彼女を一瞬とはいえ、目覚めさせる。

  とっさに綾美は右手を迫り来る剣へとかざす。

 なぜか、それは分からなかったが何ができるのかは分かった。

 意識するのは三つ、練成(力を生み出す)、収束(力を一点に集める)、発現(力を発現させる)。

 アスラルが綾美に教えた、異能を使う上の重要なプロセス。

 そこまで至って、自分が異能を使おうとしている事を綾美は理解した。

  練習では全く理解できなかった力の流れ、それが手に取るように分かる。

 意識しなくともそれが自分に従うモノであると分かる。




 (どんな力でもいい、錬を――― こんな待ちがった事、認めない! 私は、認めるものかァアアアアアアアアアアアアアア!)




  ――――――――!!!




 「え――――」

 「キサマッ!?」




  夜月の一撃は、綾美の右手に止められていた。

 溢れる虹色の光、すなわち異能の象徴、『異界の光』。

 その光は夜月の一撃を見事、受け止めていた。




 「―――――ッ!」




  夜月が下がる、彼の顔には綾美を殺しかけた事への動揺は微塵も無い。

 そのことが彼が綾美を守る気が無い証明。

 自分を守れた事より、錬をこれ以上、おぞましい行為の理由に利用されないのが綾美は嬉しかった。




 「嘘つき――― 錬を、騙した」

 「うるせぇな、出来損ない」




  空気が凍る、夜月の声は今までと全く違う温度を持っていた。

 化けの皮を自ら剥がして、それは笑う。

 歪んだ、悪魔を思わせる笑みだった。




 「守ってやるといっただろ」

 「その錬の思いを免罪符にして、彼を乗っ取るな」




  すらすらと、綾美は自分の口が語るのを誇らしく感じていた。

 錬が守りたいと思っているのが嬉しかった、それを理解できていた自分が誇らしかった。

 だからこそ綾美は『異界の光』をより強く顕現させる。

 空間が歪む、その力は『異界の光』だけでも下位の異能に匹敵していた。

 その力を錬の思いを踏みにじるコイツを倒すために、使う。




 「―――――  錬は、渡さない」

 「むかつく………餓鬼が… イラつく… あぁもう知った事か!
  錬をすりつぶすのにいい道具だと思ったから助けてやろうとしたが――― 役に立たないゴミなら処分するだけだ!」




  狂人じみた笑みで口を歪め、夜月が駆け出した。

 繰り出す無数の斬撃、“夜月ではありえない錬の破壊”を纏う攻撃は一撃喰らえば文字通り分解される。

 だがそれは綾美に触れる事は無い、『異界の光』が壁となりそれを阻む。




 「あれが綾美ちゃんの異能…」

 「違うな、『異界の光』の変換能力だ。
  斬撃の運動エネルギーをすべて光と音に変換して弾いている」




  呆然と呟く昼夜の言葉をフェンリが否定する。

 たしかに綾美が攻撃を防ぐたびに閃光と大きな音が発生していた。

 『異界の光』はエネルギー変換能力を保有する、フェンリのように高位の能力者になれば物理法則すら能力を駆使し変容させる。

 綾美の『異界の光』はもっとも多い肉体強化型やフェンリなど少数の法則変換では無い、間違いなく防御に特化した『異界の光』。

 故に激烈な破壊力と連続性を誇る夜月の攻撃に付いて行ける。

 だが…




 「話にならないな、さっさと退場してもらおう」




  フェンリはそう言い放ち、駆け出した。

 夜月の攻撃を耐えている綾美の首根っこを掴み、後ろへ投げ飛ばす。

 そして冷気を纏った手で握りこぶしを作る、あまりに冷たいそれは空気すら凍えさせる。




 「何をす―――」「お前じゃコイツを倒せないだろう!」




  そんな事ないと綾美は反論しようとしたが、確かにそうだとも納得していた。

 『異界の光』が防御に特化しているというのもある、が、それ以上に“錬”を傷つけたくないという思いが攻撃を思考から消している。

 錬を助けたいとは思った、だがどうするというのだ。

 綾美は気づく、思いだけでは何も出来ないと。




 「どけ、邪魔だ」




  容赦なくフェンリは言う、圧倒的な力をもつ断絶の言葉を。

 軽くステップを踏む、遠距離からの氷撃は効果が全く無い。

 夜月を倒すには多大なリスクを負ってでも接近戦を挑むしかない。

  夜月はフェンリがステップを踏むのを見て、剣を両手で構える。

 それは変わった構え方で、剣先はフェンリと逆の背中へ進み、地面へ引きずっている。




 「疾―――ッ!」




  フェンリが先に動いた、夜月は剣を自分の体ごと回転させて振るう。

 まるで横向きのギロチンを思わせる一撃を、フェンリは恐るべき事にその刀身の上へ飛び乗る事でかわした。

  静止は一瞬でも満たない、夜月が剣を引くより早くフェンリの蹴りが放たれる。

 それを夜月は上半身を仰け反らせる事で交わし、その体勢から斬撃を放つ。

 無茶苦茶な状態から放たれたはずなのにとんでもない速度だった。




 「ちッ―――!」




  フェンリが舌打ちしながら後ろへ下がった。

 一瞬の攻防、だがどれも人離れした技の応酬、その中でフェンリが気づくモノがあった。




 「抵抗しているのか、少年………」




  夜月は反応こそフェンリより数段ほど早いが、それから行動に移すのが奇妙なほど遅い。

 今の彼は人間ではない、無垢なるという異形だ。

 無論、行動する速度も人間を超えてなければいけないはず。

 つまりは、無垢なるは何らかの妨害を受けている。




 「秋雨錬、尊敬に値するな」




  結論としては、妨害しているのは秋雨錬以外ありえない。

 無垢なるを一度でも受け入れてしまったら人間など一瞬で終わる、だがその絶対的な破滅に彼は今だ抵抗していた。

 勝ち目など無い、ホンのすこしだけ滅びを遠ざけるしか意味の無い惨めな抵抗。

 だがそれこそが人ももっとも根本的な力。




 「なら…… 指輪さえ渡せれば………」

 「ッ―――! フェンリ、指輪は持って来ているのね!」

 「昼夜?」




  フェンリの独り言に昼夜が反応して叫んだ。

 思わずその声にフェンリは振り向きかけ、思いっきり後ろへ飛ぶ。

 夜月がその隙を狙って攻撃を仕掛けようとしていたのだ。

 今度は接近されないように大量の氷弾をぶちまけ、近寄れるルートを潰している。




 「指輪がどうしたって!?」

 「指輪のリンクよ、その指輪なら錬のつけている指輪へ精神介入ができる!」

 「そうか! 元は強襲人形の操縦システム… 精神通信のシステムが残っていれば―――」

 「―――会話を楽しむ余裕が、あるのか?」




  太陽の輝きに影が射す。

 フェンリがその意味に気づいた時、その影は巨大化して人型を作っていた。

  夜月の奇襲、フェンリは氷により無数の弾丸を生み出す。

 雨のごとく、しかしまるでこの世界の法則に逆らうように真上に落ちる氷弾。

 だがことごとくそれは夜月の剣で無力化される。

 夜月が着地していた時、フェンリと彼の距離はまた離れていた。




 「―――昼夜、精神会話で語りかけるとして、どう時間を稼ぐ気だ」

 「貴女が本当のレプリカ・コキュートスを使えばいいだけでしょう」

 「誰から聞いた…?」

 「貴女のお義父様」

 「相変わらず知人に対しては口が軽い」




  そしてフェンリは、その左手に指輪を取り出した。

 細く美しい指先でそれを遊びつつ、夜月を睨む。




 「で、話すのはお前か?」

 「綾美ちゃんに決まってるでしょう」

 「そう、だな。 受け取れ――― 奴を助けるんだろう?」

 「当然でしょうが!」




  その問いの答えをいう事も綾美を振り向く事無く、無造作にフェンリは指輪を彼女へと投げた。

 それが合図となる、夜月が駆け出す。

 フェンリは彼を正面に見据え、あろう事か両腕を広げた――― まるで抱擁するがごとく。




 「来い―――ッ!」

 「何をするか知らんが、貫通するだけ!」




  綾美が指輪を拾い上げた時、決着はついていた。

 夜月が剣で致死の突きを繰り出す、それを何層にも分かれたフェンリの『異界の光』が阻む。

 勢いを殺しながらも、次々と貫通される力場。

 そしてフェンリに突き刺さると思われた半瞬、フェンリの手が剣を挟んで止めていた。

 真剣白刃取りの変形、だがそれをも強引に突破し、剣先はフェンリの右肩に突き刺さる。




 「終わりだな!」

 「無駄だ、これではお前は破壊できない」

 「な、に、ぃ!?」




  破壊を行なおうと夜月はし、それに気づく。

 このまま剣を振るえばフェンリを破壊できる、しかし――― 剣はボンドで固定された木板のごとくピクリとも動かない。




 「レプリカ――― 『絶対停止』 ―――コキュートス。
  それが最大威力を発揮する零距離だ、お前の剣は私が望むかぎり永遠に静止し続ける」

 「なら―――」

 「させんよ」




  剣を手放し、錬が持ち歩いているナイフを取り出そうとした彼の手を、フェンリの掌が優しく包む。

 だがそれはほっそりとした優美な外見とはまったく別の、万力のような絶対的な力で夜月の動きを封じる。

 いや、違うのだ。

 夜月の手が、その筋肉が行なう全ての動きをフェンリの異能が停止させている。

 そのくせ血の流れなどの止めれば死ぬような部分は普段どおり、どこまでの精度を持てばこのような奇跡を起こせるのか検討がつかない。




 「馬鹿な、こんな………」

 「やれ綾美、指輪をつけて心の中で話しかけろ――― 言って置くが、死ぬなよ」




  その死ぬという言葉が綾美の心に刻み込まれる。

 精神会話、つまり精神を繋げると言う事――― それはつまり、綾美も無垢なるの脅威に晒されると同じ意味。

 かつて無垢なるに憑かれた少女であった綾美は、それが分かった。




 「当然でしょ、まだ私は――― 諦めれるほど、満足できるほど生きてない」




  指輪をゆっくりとした動作で綾美は左手の薬指にはめる。

 それは結婚指輪をつける指と同じである、黒月の指輪――― 人と人を繋げる『縁の指輪』を使うというのはそういう意味。

 彼と心を一つにする、結婚という儀式と同じ事。

  綾美の意識は、虚空へ溶けた。











  水蒸気が水となり、そして氷となる。

 その変化を感覚として捉えればこうなると思える、感覚だった。

 虚空へ溶けた『綾美』はそこで収束し、無限に近い0から絶対たる1となる。

 そして綾美は目を開いた。




 「暗い、ね……… 錬」




  そこは壊れた世界だった、天に輝く明かりは蒼い月のみ。

 地面を完全に照らすことはできず、綾美の人ではない目でも見通す事はできない。

 いや、この世界では人としての精神を持つ綾美は人間となる。

 精神が物質となる世界、すなわち精神の世界、それが此処だ。

  錬の世界はまるで、そうまるで終わった世界。

 荒廃しきった大地だった、自然によるモノではなく戦争などで荒廃した世界だ。

 倒壊したビル、ひび割れたアスファルトの地面――― 傷跡にも似た荒廃と破壊。




 「だから、破壊なんだ――― 錬の力は、『錬』の元は」




  異能はその存在のもっとも深層より発生する、そうアスラルから綾美は聞いた事がある。

 異能がそうだというなら、錬の力もその深層より生まれたもの。

 なら錬の世界は壊れていて、当然。

  でも今更、それは関係ない。

 今綾美がしなければ行けないことは別にある。




 「錬を、探さないと」




  長く持たないという事を誰にも聞かず、綾美は理解していた。

 元々、他人の精神に存在する事事態、危険極まりない事だ。

 肉体という器から離れた精神は、簡単な事で元の形を見失う。

 精神が元の形を忘れるという事は不可逆の変化をもたらす、つまりは発狂。

 狂う前に、崩れる前に、錬を見つけないといけない。




 「さぁ――― 行くよ、綾美」




  自分を激励して、綾美は歩き出す。

 道しるべなど無いが、何となく錬のいる方向が分かった。

  世界はつながりが歪だった、森を歩いていたと思えば廃墟にいて、廃墟にいたと思えば湖の畔にいる。

 どれも錬の心の何かが綾美に分かるイメージとなったものだ。

 英語を日本語に変換するように、綾美に理解できるモノに置き換えられた錬の世界。

 だからどれが錬の何を示しているのか、曖昧だが感じる事ができた。




 「廃墟は力、湖は安らぎ……… ―――森ね」




  逆にどんなモノか感じ取れないなら、それこそが綾美と錬の差異となる。

 森は錬にとって何か分からない、つまりそれこそが錬のみの持つ世界。

 その先に、錬はいる。

  世界は万華鏡でもあった。

 すこし視点を変えるだけで森から他の世界へ変わってしまう。

 うまく森の方向を捕らえないと見失ってしまう、そうなれば永遠に錬を見つける事は不可能となる。




 「距離は、関係ない」




  この世界において距離とはその精神とどれだけシンクロしているかを示す物だ。

 森を辿りゆっくり錬へその心を重ねていく、歩くという行為はそのための手順。

 まるで巫女の踊りのように、神(錬)へ捧げる舞(歩み)。

 綾美はただもくもくと、その舞(歩み)を進める。






  人は、一つの事に集中すると他が見えなくなる。

 歩む事だけに集中していた綾美は、どれほど時間が立ったかもはや忘れてしまった。

 だがその時間を忘れるほどの集中が、彼女を彼の元へとたどり着かせる。

 そこへたどり着いたとき、その場所が最果てであると知る………




 「遅れてごめんね、錬」




  錬は、血塗れで木に背中を預けて眠ったいた。

 その血は彼の血もあったが、大半は返り血。

 広がる森、その所々に存在する“錬とそっくりの死体”。

 無垢なるとなった夜月の残骸。




 「せっかく来たって言うのに、寝てるなんて………」




  そう見えるのは見掛けだけだと、綾美にも分かっている。

 これは錬の自閉状態がイメージとなっているものだ。

 無垢なるの汚染を逃れるための自己の閉鎖、即ち其処までしなければいけないほど無垢なるの汚染は進んでいるのだ。




 「助けるほうと助けられるほうが逆じゃない」




  綾美も女の子として、白馬の王子様の想像をした事はある。

 しかし一度助けてくれた人を助けに行く上に、相手はお休み中。

 そして王子様は返り血で血塗れだ、もはや滅茶苦茶である。

  でも綾美はこう思う、むしろ自分にはその方がお似合いだと。

 なぜなら自分は吸血鬼、物語で言えば悪役だ。

 無垢な白は似合わないのだ、そして錬も………




 「………自分だけ自分についた血を拭わないでよね錬」




  なんで自分がそんな事を言うのか綾美にも分からない。

 けど分かる事がある、それは錬の下にたどり着いたという事だ。

 


 「―――逃がすものか……… 貴方は私が唯一心から望んで――― 得た者なんだもの」




  愛かもしれない、でも歪んだ愛だろう。

 錬が自分の前からいなくなるのが嫌だった、そもそも綾美は心の中で錬の記憶など戻らなければいいとすら思っていた。

 彼が望んでいたから来たのだ、そうでなければ来るはずなど無い。

  眠る錬の顔へ、己の顔を近づける。

 どうすれば錬の精神の最深部へ行けるのか、今なら分かる。




 「      よ、錬」




  口付けを交わした。

 錬へ自分の意思が流れ込むのを実感として感じる。

 ある意味幸福にも似た瞬間、そして綾美は真の意味で錬の精神へ入った。


  それは諦めと憎悪という鎖で覆われ閉鎖された世界。

 暗い暗い森の中、木々の間を鎖が走る。

 底に彼は居た、彼女とともに。




 「え―――」




  綾美は彼女を見て凍りつく、恐ろしかったからではない。

 知っていたからだ、なぜなら彼女は自分だったのだから。




 「月美――― 刃?」




  しかし彼らが見えたのは一瞬だった。

 なぜなら此処は綾美が望んで飛んだ場所ではない、たまたま通過した場所に過ぎない。

 次の瞬間、彼の元へ綾美は到着する―――




 「迎えに来たよ、錬」

 「―――――綾美?」




  綾美は錬の目の前に現われて微笑む。

 錬は綾美が突然現われたのを見て、絶句している。



  やっと、綾美は、錬と、再会、できたのだ。







次回 縁の指輪
四の指輪 八刻目 踊る因果







作者蒼夜光耶さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。