「さぁ、これで本当にお終いよ、このすれ違いだけの茶番もね」




  雫はそう言ってから月美に向かって歩き出す。

 堂々と威厳に満ちた歩み、しかしそれは滅び行く国の女王を思わせる悲しさがある。




 「………分かったわ、雫、アナタは私にとっての地獄――
  殺さなければ先に進めない、最大の壁…!」

 「本当に心から貴女が思ったことなら、認めてあげるわ」




  刀を雫は構える。

 出血で震える腕に従い、その剣先は震えていた。

 まともに剣を使えるとは思えないほど、その姿は危うい。




 「キサマを倒すわ、無垢なる」




  けれどそれは自信に溢れた宣言だった。

 思わず言われた月美すら怒りを感じるより先に威圧される、そんな言霊を秘めている。

 言葉のそうであるが威圧された事実に“月美”は怒りに震えた。




 「そうですか、いまさら力の差も分かりませんか。
  戦闘用に思考を組み替えないのもいいですけど、簡単に死なないでください」




  “月美”の言葉に、雫はにやりと笑う。

 それは隠しようの無いほどの嘲りと哀れみを込めていた。

 今度こそ“月美”の思考は怒りの赤で染まる。




 「………死んでしまえ」

 「そうね、そのとおり」




  笑顔で雫はとんでもない事を肯定した。

 だがそれに気づかず、理解する事を放棄し、“月美”は突撃する。

 数回の斬りあい、だがどれも雫が負けていた。

 何度も斬られて血があふれ出す――― 当然だ、もう雫に戦う力など無かったのだから。

 ただ―――



 「うぅ、う…ウウウ………」




  何とか無理をして体を起して、信吾は立ち上がる。

 雫の行ないたいのはただの時間稼ぎだった、文字通り死ぬ気での………

  隠し持っていた治療用護符を傷口に貼り付け、止血する。

 失った血は戻らず、視界はゆらゆらゆれて見れた。

 だがそれでも信吾は立ち上がっている、まだ諦める気は無い。

 そんな信吾を見て“月美”は歪んだ笑みを浮かべた。




 「信吾が起き上がるまでの時間稼ぎですか… 馬鹿にしてッ!」




  刀身が突き出され、雫の左肩を貫通する。

 派手な出血と共に雫は痛みの悲鳴を上げた。

 今までのように相手の戦闘力を奪うための攻撃ではなく、苦痛を与えるための攻撃。

 そしてそれを行なう“月美”の顔は笑顔だった。




 「貴女の悲鳴を聞くと落ち着きますね、さて… 信吾、諦めてくださいよ」

 「“お前”が俺の名前を言うな… 言っていいのは月美だ、お前じゃない」




  信吾は怒りすら通り越して、苦痛すら覚えていた。

 もう意味が無いのに今でも月美のふりをするそれが、この上なく苦痛。


  ―――殺してやる、と思った。

 月美の思いも、望みも何もかもを歪め続けるそれを―――


  信吾の目の色が、文字通り変わる。

 退魔の蒼、魔を狩る存在を示す純粋で美しく有りながらも残忍な蒼色に。

 丙子椒林剣がその手に現れ、握られる。

 ただ何も考えずその剣振るうためにその全身全霊を傾ける。

 滅すのは月美では無く“月美”だ、月美を乗っ取り芝居をし続ける“敵”だけを絶つ。




 「……… 秋雨… 何処までも邪魔をする気か」

 「俺は秋雨じゃない――― 荒神信吾だぁああああああああああああ!」




  秋雨ではなく、刃という一人の人間として貫く!

 駆け出す信吾、余裕を持って白い剣を振るおうとする“月美”は―――




 「させないわよ」

 「何ィ―――!」




  自分の肩に刺さった剣を強く握り締め、血を流しながら――― 雫は剣を押さえ込んでいた。

 “月美”の腕力ならそれすら突破し剣を振れるだろう。

 だが一瞬、一瞬が永遠と化す一瞬の決戦においてそれはもはや致死だ。




 「途神(としん)―――――!」




  ―――そのとき、“月美”は跳んだ。

 雫ごと、逃げるのではなく―――

  肉を剣で貫く感覚、そして物質では無い何かを壊す感覚。

 秋雨の業か、技は間違いなく月美を貫いていた。

 もし信吾が負傷していなければその瞬間にそらす事が出来ただろう。

  “何か”は月美の体を強引に動かして自ら剣に身を捧げさせていた………

 刀身は月美ごと、雫までも貫いている―――

 間違いなく致命傷だった。










 「だ―――い成功! イ――――――ハハハハハハハハハ!
  これで結界の復元を行なう巫女と出来損ないの無垢なるの処分が両方出来た。
  ヤ―――――――ハハ、これで言ったとおりになっただろうお姫ちゃん…
  “開放”してやるって―――」




  アンテノーラが砕け散る無垢なるを感じ取り、笑う。

 全てが自分の思った通りに進んであまりに愉快で笑いが抑えられない。

  呆然となった月美に精神支配をかけて操る。

 考え方のパターンを思ったように変えるだけのそれは、これほど残酷な運命を紡ぎだした。

 それもこれも全てを悪意でゆがめる無垢なるのおかげだ。

 無垢なる自体は不完全で完全に月美を支配する事はできなかったが、最後の一瞬は上手く機能してくれた。

 死にそうになった時、巻き添えにするという機能を。




 「死も、一応“開放”だよな。
  嘘は言っていぜぇ………、ギ――――ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」



  赤い女は笑う―――

 どこまでも残忍に残酷に、全てを侮辱する。







 










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                縁の指輪 
    負の壱の指輪 六刻目 青空の下で―かなわない願いと ―




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  彼女の返り血を浴びた信吾の口が、本人に逆らい言葉を紡ぐ。

 信吾は自らの一撃で確実に致命傷を負った月美と雫を見て、呆然としていた。

  どこまでも事実は残酷に、二人を信吾は殺した。

 まるで恋人に問いかけるように、自分へと慰めるように、“信吾”は言う。

 ゆっくりと刀身を引き抜いて、二人が血に染まった地面に倒れこむ中、その声は―――




 「何時だって、お前は大事な誰かと共に神を殺すのだからな。 それこそが、秋雨だ―――
 ―――あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」




  正気に戻った時、信吾は悲鳴を上げていた。

 今こそ信吾は秋雨の正しい意味を知ったのだから、今なら分かる。

  ―――秋雨が神殺しを行い、そして最後に自らが自らの行いにより死ぬ。

 そう、こんな結末を迎えれば誰だって、自害する。

 自分の手で守ろうとした、救おうとした人を殺す。

 こんなものに耐えられるはずが無い!

  おもわず剣を取り、それで自分の首を斬ろうとして………




 「やめなさい……… 信吾」




  ふいに雫は信吾へと呟いた。

 流れ出た血のせいか小さくか弱い声。

 だがしっかりと信吾に届いていた。

  雫の声に剣を捨てて、信吾は駆け寄る。

 そして迷いも無くその血の池にひざをつき、雫と向かい合った。

 信吾の姿を見て雫はゆっくりと口を開いた。




 「私は最初から、信吾が月美と一緒にいなくなったら…… 死ぬ気だったから…」

 「し、ずく………」

 「くす……… 今更思い出したわ…… 私は、秋雨と月河と…もっともっと昔に……」

 「喋るな、今治療を…!」

 「無駄よ」




  治療用の護符を取り出した信吾を雫が止める。

 雫の出血は思ったより少なかった、だがそれは助からないという事を語るには少ないというだけだ。

 もう雫は死ぬのだ、それはどんな奇跡を使っても変わらない事………

  微笑みながら、雫は信吾の目を見て言う。

 それは伝えなければいけないことだった。

 昔、言った本人ですら忘れていたちっぽけな約束を、雫にとっては絶対だった約束を。




 「昔ね、月美がね…… 見たいって、いっていたモノがあるの」

 「……なんだい?」

 「青空、どこまでも届くほど広くて蒼い、空を見せる… そう約束したの」




  月美がもう覚えていないほど小さい頃の約束。

 だがそれを雫は覚えていた、だから彼女はそれを見せたかった。

 縛られた心で見る遠き空ではなく、明るい心で見る届きそうな空を。

 だがそれはもはや彼方だ、もう果たされない。

  だからこそ雫はやらないといけない事があった。

 ここまで来てしまったのは、自分が迷っていたせいだ。

 ゆえに今こそ、後が残っていない今こそやらなければいけないことが有る。




 「行って、月美を連れて… 空を見せてあげて、あなたといっしょに…
  此処の業は――― 私が地獄へ持っていく」

 「雫、お前!」

 「行けぇええええ!」




  いまだ迷う信吾に、今までに無いほどの大声で雫は叫んだ。

 その声に込められた思いが信吾を突き動かした。

 雫の叫びを、それに超えた願いを知り信吾は迷いを捨てた。

 雫を置いていけないという迷いを。

  月美を抱きかかえ、信吾は走り出す。

 目指すのは森の外、あの青空の下へ。

 そして、月美とともにその青空を見るために。




 「行け、行きなさい、信吾! 頼りない“親”だった私でもこれぐらいはしてみせる!」




  その叫びを背に、信吾はかける。

 呼吸もせず息が尽きる前に全力で、少しでも早く森を出るために、全速で。

 消えていく背中、そして見えなくなった時、雫はゆっくりと立ち上がった。

 流れ出た血は多く今も出血は止まらない。

  だがやらなければいけないのだ、結界が壊れた以上、文字通りの世界の終わりは近い。

 それを止めなければいけない。




 「さよなら、私のかつての子供たち………」















  息は、もう切れていた。

 涙を流しながら、信吾は森を進んでいく。

 抱きかかえた月美の体温が、ゆっくりと失われる。

 その感覚がどこまでも残酷に信吾の行いを語っていた。

 もしあの時、剣を振らなければ月美は死ななかったかもしれない。

  どっちが良かったのだろう。

 月美でなくなっても生きていたほうがいいのか、月美として死んだほうが良かったのか。

 かつての自分でなくなり生きてきた信吾はそれが分からなかった。

 ただ悲しかった、こんな結末が悲しかった。




 「――…―――………」

 「―――!」




  その時、月美が血を吐いた。

 驚いた信吾が月美の顔を見て、ゆっくりと目を開いた月美は信吾を見つめる。

 そこにもう“月美”はいなかった。




 「信…吾、ごめんなさい………」

 「いいんだ、喋るな」

 「わたしは………」

 「いいんだ……いいんだ………」




  傷口が痛いが、そんなものどうでもよかった。

 襲ってきた唐突な絶望と悲しみが、それより痛かった。

 月美がゆっくりと手を伸ばし信吾の頭を撫でる。

 普段なら恥ずかしい事だ、けどその手の感触が今の信吾には嬉しかった。

  進んでいく黒い霧に覆われた森、そこにはもうあの拒絶の意思は無い。

 ただ原始的な闇が広がっている。

 その中を、ただ歩く。

  長いのか、短いのか時間が進んでいるのか進んでいないのかわからなかった。

 不確かな時間、だがそれは信吾たちにとってはとても長い二人だけの時間。

 ただ互いの感覚を確かめ合い、それに消えていく時間を悲しみながらも喜びを感じる。

 彼が、彼女がいる、確かな実感だった。




 「ねぇ、信吾……」

 「なんだ月美」




  月美が、語りかけてくる。

 もう残り少ない時間に、月美にも言いたい事があった。

 月美にはこれが夢のような気がした、どこかで聞いた異国の恋の話。

 そこで出てくるお姫様のように、自分が感じられた。

 残念なのはこれが日本の恋話のように、最後に死しかないという事だ。

 だがそれもこの幸福の代価には、いいなと思う。

  そこでやっと月美は、それが何か気づいた。

 自分でもそれに驚いてから、口を開く。




 「私は、信吾が……… 好きなんだと思う」

 「そうか…」

 「私が、告白したら… 答えてくれる?」

 「もちろんだ」

 「そう………」




  それは迷いも無く断言できた。

 死に行く者に何を隠す必要がある、だからこそ… 普段ならいえない事が言える。

 あまりにも皮肉な話だ。




 「刃って、信吾の事なんでしょう?」

 「ああ、そうだ」




  その答えに月美は驚きなどしない。

 とっくに分かりきっていた事だった、しかしその刃だった人に聞きたい事があったのだ。




 「両親を見捨てた時、どう思いましたか?」

 「あの時はそれを何にも思わなかった、だから… 初めて“人”になったとき、後悔した」

 「私も、同じ… だよ」




  あのまま歪んだ欲望のまま暴れていても、一時は幸福だろう。

 だがそして正気に戻って苦悩し苦しみ悲しむのは、月美だ。

 月美へと戻った今でもまだ後悔で済んでいる。

 それは救いだった、死のいう未来を失う結果だとしてもそんな汚れた生だけは嫌だった。

 信吾と一緒にいるという今はあって、よかった。




 「……なんだ―――?」

 「え…―――?」




  信吾は立ち止まり、それを見た。

 先には、闇が、あった。

 道の先に広がる黒い霧、そしてその中で蠢く何か。

 見える――― 赤い瞳の、群れ。




  ―――それは異形だった、それは悪意だった、それは混沌だった、それは悪夢だった、それは虚像だった、それは湾曲であった。

 ――――まるで絵巻のように現実味が無いくせに妄想のように質量が無いくせに空想のように意味が無いくせにそれは一瞬でそれ以外を見ることをさせなくした。

 ――――まるで子供の書いた絵に出てくるデタラメなそれはそのくせにまるで世界を示すように余りにも絶対的というより孤高のような無限のような絶対のような。

 ――――決して今の人では理解できるはずもない無限の向こう側で泥のように蠢くまるで世界の深遠を覗き込むような地獄の感覚と感触。

 ――――赤い赤い赤い赤い赤*い赤い*い赤い**赤い赤**い赤*、瞳瞳瞳、合わされる焦点、その先にいる自分。

 ――――歪む歪む認識が歪む自分が立っているのか座っているのか泣いているのか怒っているのか哂っているのか不明。

 ――――そもそも生きるとはなんだ死ぬ*はなんだ立っているとは何だ寝ているとは何だ哂*ているとはなんだ不明不明。

 ――――此処は何処だ*来とは何処だ明日とは何処だ*をし*いるのか見え*いるのか聞こ*ているのか不明*明*明不明分からない。

 ――――混沌泥悪意憎悪夢幻想向こう理解法則真理矛盾闇侵食世界側原形外界道路道線路列車運命未来暗黒絶望絶望神話黒白朱緑紫蒼黄青赤魔竜境界それは***。

 ――――無限虚数*空生命無意味無垢幻*桃源郷楽園地獄*界奥儀秘儀無能全知最古限*異界並列直列電池悪魔電気計算回**計算式絶望秩序神*魔奇跡それは*。

 ――――*止静寂運命否定*解不*無数理解*解無理夢幻*悪夢絶望*絶*界世界**不明**世**界異**界**世界*則*則法****命原形全ての**―――


  ―――無限の**の中、*はその先の姿を***を見ていた。




 「信吾―――!」

 「ァッ―――!」




  意識が“向こう側”に持っていかれる寸前、月美の叫び声で信吾は意識を取り戻していた

 生より死に近い位置にいる月美は、信吾のようにあれに囚われなかったのだ。

  今度こそ意識を集中し意図して外界への防壁を張りながら、黒い霧より出てくる鬼を模した“それ”を見る。

 その鬼よりの圧倒的な―――、信吾も知らない気配。

 威圧感よりも威圧され、悪寒よりも体が震える、味わった事の無い気配。

 心が震える、鬼をもした“それ”は間違いなく最悪の敵だ。

 それも、今までに戦ったことの無いほどの。




 「駆けるぞ」

 「どこまでも」




  たとえ月美が無事であったとしても勝ち目など無いと信吾は確信していた。

 だがそれでもその絶望を乗り越えていかなければいけない場所がある、だからこそ。

 駆け出した、迷わず全力で、鬼達を超えて森を越えてその先の世界へと………















  血はとりあえず止まっていた。

 強引に術で出血を防いでもそれはあくまで時間稼ぎに過ぎない。

 まるで底が抜けたバケツのように、肉体という器に入っている命は流れだした。

 手で押さえたところでその流れをとめることなどできない。

 だがそれだけの時間が、最後の作業を行なう猶予をくれた。

  死に装束に着替えるという皮肉めいた事を考えても見たが、そんな余裕はさすがに無い。

 さすがに立っているのも大変になってきた、いつも簡単に行なっている事ができない。

 まるで自分が四足歩行の獣に退化した気持ちだ、二足歩行は身に余る。




 「……あとは、これ…ね」




  本殿の戸に差されたままの、雫の血を吸った短剣をゆっくりと引き抜く。

 一気に抜こうとしたのだが思ったより力が出ず、時間がかかってしまった。

 これも皮肉だがこの剣に血が無ければ儀式はもう出来なかっただろう。

 もうこれ以上の出血はそのまま死んでしまう。

 まだ、死ぬわけにはいかないのだから。




 「そもそも間違いだった… こんなふうに封じ込めるのではなく、最初からこっちでやってればよかったのよ…」




  これから行なう行為は成功しても、雫の未来は無い。

 ここの封印を行なった者も自分の死への覚悟ができなかったからこそこんな不完全な封印を行なったのだ。




 「でもそれもここまで、よ」




  床に落ちていた所を広い、自分の薬指につけた白い指輪『天麒輪』。

 長い時の中で、その本来の役割はもはや失われて誰も覚えていない。

 ただそれを使う物に時間を操る能力を与えるという力だけは分かっている。

 その能力を使い、あの森は時間を止められていたのだ。

 森の向こう側より現れる、あの災厄を封じるために。




 「結界式の書き換えを… しないと」




  結界はあくまでその中核を構成する要素にして、動力である天麒輪が外れただけだ。

 ただ指輪を付け直せば結界は再起動する。

 だがそれでは意味がない、ただこんな悲劇を永遠と繰り返すだけ。

 全てを、覆さなければいけない。

  短剣にこびりついた血を絵の具のように使い、床に見えない塗料で書き込まれた回路を変更していく。

 改変する部分は少ないが、どこまで自分が持つのか雫には分からない。

 もう意識が遠のき始めている、無論、その先は死だ。

 死ぬのは別に怖くない… ただそれが早く来るのだけはやめてほしい。

 まだ、やるべきことをすましていない。




 「自律起動も… 書き込み、終わり… あとは… しん、ご… あ…な……た…が…」



  完成させたとき、ついに誤魔化して動かしていた体にガタがきた。

 ふいに深遠へ沈む事へ抵抗していた意識が、一気に沈んでいく。

 自分を支えていた使命感という力が失われたみたいだ。




 「…ひ……る…、よ… あと…は………………――――――」





  最後に、大昔… 本当に昔の友人に一言、言いたかった。

 だがそれは叶う事無く、雫は――― 息絶えた。















  どうやって、生き抜いたか… 分からなかった。

 森の出口が見えたとき、信吾は思ったのは片手では月美を支えるのが大変だなという事だ。

 その左腕は肩から失われて全身は傷塗れ、もはや立っているのも限界だった。




 「月美………」




  話しかけるが、腕の中の月美は何も言わない。

 まだ信吾の事を見ているが、もはや喋る体力も無いのだ。

 動かない―――ふとももが食いちぎられた―――右足を引きずりながらも、月美が死なないことを祈り続ける。

  あのバケモノを振り切ったとは思えなかったが、もう追っては来なかった。

 別にそれに何かを感じる事はない、あるとすれば月美の時間を消費せずにすんだという事だけだ。

 自分の精神が磨り減っているのが自分でも分かる。

 普通なら発狂しそうなそれにも、信吾は冷静に、客観的に自分を感じていた。




 「あ………」




  そのとき、思わず童子のような声を信吾は上げていた。

 森を抜けた時、今まで全く見えなかった、明るい光が信吾達を包み込む。

 いままでの絶望のように暗い世界とはかけ離れた、美しい光がそこにある。




 「なぁ… 月美、見えるか…」




  見上げれば、あるのは青い空と雲、そして太陽だけだった。

 どこまでもどこまでもどこまでも、遠くを見ても先が見えないほど広い空。

 普段は何とも思っていないそれが、今は至高の宝石のように見える。

  月美もその空を見ていた。

 涙を流しながら、どこまでも続く青空、どこまでも届くほど広くて蒼い、空を見ている。

  信吾と月美は、ただその美しさに魅入られるしかなかった。

 そしてそこで信吾は膝をつき、倒れこむ。

 顔を空へ向けて倒れた二人、まるで一緒に寝転んでいるように見えた。




 「叶っただろ」

 ―――――うん。




  月美が喋ったのは幻想だったかもしれない、だが信吾にはそれが聞こえていた。

 ゆっくりと空を見たまま月美の目が閉じられていく。

 もう止める権利など信吾には無かった、ただ月美の最後を看取るだけだ。

  月美の目が完全に閉じられた後、信吾も自分も死ぬ事を理解していた。

 もう動く事のない月美の体を抱きしめて、微笑む。




 「こんな所にくるまで、お前を助けれなかった罰だ。
  ………一緒に逝ってやらないとな」




  ゆっくりと、微笑む。

 ここまで心の底から微笑んだのは、初めてでどうやればよいのか分からなかったが、笑顔を作れた。

 死に抵抗する事無くその目を閉じてその時を待つ。

 そして、その心臓が止まった時、異変は起きた。















  森の中にあった霧が、鬼が神社へ流れ込んでいく。

 いや神社へと吸い込まれているのだ、そしてその霧や鬼は一つにまとまり、新たな形を生み出そうとしていた。

 だがそこで全てが停止した。

  停止結界、前のように生易しい物ではなく完膚なきまでに時間の果てへ全てを追放する力。

 その檻に閉じ込められ霧達はゆっくりと消えていく。

 この流れている時間に取り残されていくのだ、そしてそれは神社の中に倒れている雫の死体にも襲い掛かっていく。

 だが流れるその力が雫を消し去るより早く、何者かが駆け寄り彼女を抱きかかえた。

 そして駆け出していく。




 「いつだって、貴女は自分を苦しめすぎるわ、夕夜」




  その何者かは、荒神昼夜だった。

 停止してもはや異質な法則が支配するその空間にて、何事もないように存在している。

 しかしそんな彼女の頬は、涙が流れていた。




 「信吾………、いい子… だったでしょう?」




  そう、彼女が信吾の義母で… 雫に信吾の事を離した人間だったのだ。

 きっと助けられなかった雫を助ける事が出来ると、善意から信吾を送ったのに、その結果…

 昼夜は、でも後悔はしていない。

 だって雫の顔は、笑顔だったのだから。




 「――― 死ねたら、一緒に逝ってあげたかったわ」



  そういいつつ、彼女は神社の外へと飛び出した。

 そしてその直後、神社の中が漆黒に染まる。

 ついに光すら制止したのだ、そしてそれを境にまた新たな変化をしていく。

  何事も無かったかのように、朽ちる事無く永遠をそのままに存在するように変容して、神社が蘇る。

 そこにはもうあの霧はない、ただ閉じ込められた蝉が泣き、風が永遠に同じ場所を吹き続ける。

 それが昼夜には、この世界の縮図に見えた。















 「俺は、なんでこんな事をした?」




  黒い剣を持ったまま、“拒絶のコウ”は呆然と呟いていた。

 足元には霧より生まれた鬼達の死骸が落ちており、“拒絶のコウ”の力によって消滅していく。

 それを背に、歩き出す。




 「俺は、なんでこんな事をした?」




  最初はただ、見ているだけの気だった。

 ただ拒絶するだけの自分にとって、世界とは無価値であり、他人とは無意味だった。

 自分の思ったように行動して、他人を跳ね除けて傷つけてただ存在する、それだけが自分。

 なのに。

  あの時、死に行く少女を抱えた男を見て、自分はなぜか悲しくなる事に気づいた。

 あとはそのときうまれた衝動のまま、男達を追いかける鬼をなぎ払う。

 信吾たちが逃げられたのは、追ってくる鬼達をコウが倒したからだ。

 別に助ける気など無かった、はずだった。

 しかし気づいたときは、すでに敵を全滅させた時。




 「俺は、なんでこんな事をした?」




  他人を理解しない、他人を理解したくないからこそ、自分の事は自分が一番よく理解していると思っていた。

 でも今は自分がなぜあんな事をしたのか、なんでしていたのか分からない、理解できない。




 「……………いた」




  考えている間に森を抜けて、コウは彼らを見つけた。

 離れていてもすでに死んでいる事は分かった、なぜかそれに心が震える。




 「葬らないと…」




  なぜか彼らの死体を、蟲や獣に貪られたくなかった。

 力を振るい、近くの木々や燃える物を消滅させる。

 そして火を生み出し、二人の死体に放つ。




 「…なんで、だろう?」




  “拒絶のコウ”は消えていく彼らを呆然と見ながら、そう呟く。

 やはり分からなかった、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。

 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで………




 「なんで、笑顔で死ねるんだ?」




  あの二人の死に顔は見ている者が幸せになるほどの、美しい笑顔だった。

 血や怪我などあの笑みの前には無意味、そんな美しい笑顔だった。

 そんな笑顔に、なんでその笑顔をして死ねたのか、なんであんな笑顔をできるのか、そんな疑問が生まれる。




 「なんで、笑顔で死ねるんだ」




  頬を流れる涙を知っていながら、彼はそれを拭わない。

 その答えを知るのは、はるか遠い話………













次回 縁の指輪 
四の指輪 四刻目 真実断章 T







作者蒼夜光耶さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。