紫の魔法にて製作された特殊な閉鎖空間。

 そこでカルと複数の男女は話し合っていた。




 「世界の裏の騎士団、これで全員か?」

 「“死神”と“無効化”、それと“光竜騎士”が間に合っていません」

 「まぁ仕方ないか… それじゃあ今回の件でもっとも大事な話をしようか」




  戦術錬金で作られた椅子に座り込み、カルが周囲を見渡す。

 自分を覗いて12個の椅子、そのうち三つが埋まっていない。

 件の三人、死神(パーフェクト・デス)、無効化(アンチ・マジック)、光竜騎士(マテリアル・ドラグーン)の席だ。

 それらの席を見渡してからカルは天井を見上げつつ言う。




 「さて、問題なのは荒神、秋雨、天馬の三つの血筋だ」

 「荒神はたしか第二世界“セントラル”、秋雨は第三世界“ジ・サード”、天馬は第一世界“ザ・ワン”の家系だよな」

 「そうだ、そして奇妙な事にそのどれもが全く同じ時期にこのセントラルに集結している、最初からいる秋雨は別だがな」

 「………仕組まれていると?」

 「当然」




  カルは顔色一つ変えず、全く躊躇も無く断言した。

 そのあまりにも素早い回答に騎士団のメンバーは絶句。

 彼らの姿を見てカルにニヤニヤと笑みを浮かべる。

 おふざけが成功した子供にしては、その笑みは優しげであった。

 むしろ自分の知識を離したところで驚く子供を見ている大人のような包容力のある優しい笑み。

 だがすぐにその笑みは消える。




 「こんな偶然があるわけ無いだろうに、まあ誰が仕組んでいるのはいまだ不明だがな」

 「連中ではないのですか?」

 「まさか、あいつらにそんな小細工が出来るわけが無い」

 「つまりこの事象のは私たちが尻尾すらつかめない何かが干渉していると?」

 「運命といえば、それまでだがな」

 「嘘つきが! “運命”を憎んでいる汝が、それをいうか」




  椅子に座った女性が言う。

 それにカルは笑みで返す。




 「砲撃銃剣(ベヒモース・バイヨネット)… そうだな、その通りだ」

 「そっちは我と突撃魔槍(ストライク・ブリューナク)が調べる………
  しばらくこっちの任務は手伝えんぞ」

 「かまわない、時が来るまでにできるだけ不安因子は取り除くべきだ」




  ガタンと、音を立てていっせいに皆、椅子から立ち上がる。

 そして言葉無く闇の中へ次々と消えていく。




 「カル、君も気をつけてください」

 「分かっている、お前もな」




  カルが立ち去った後、全ての痕跡を消すために空間そのものが崩れ始まる。

 椅子に見せかけていた力場も構成を失い単なるエネルギーと化して消滅。

 ホンの数秒でそのちっぽけな異世界は消えつくした。

 後には、本当になにも残らなかった。






 










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                縁の指輪 
    負の壱の指輪 四刻目 反転世界―楽園が地獄に変わる時―



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 「イ――――――ハハハハハハハハハ!
  どうしたんだい可愛らしい子猫ちゃん、早く逃げないと殺しちまうじゃねぇか!」

 「く……うぅ…」




  げらげらと笑いながら女は吼える。

 女に対して月美は恐怖していたが――― 唐突にその恐怖が停止した。

 恐怖が強すぎてそれを感じる部分が止まったのだ。

 だがそのおかげで抜けていた腰も治り、立ち上がって駆け出すことができた。




 「あれぇ? 頑張るナァお姫ちゃぁああああん!
  ヤ―――――――ハハ、それじゃそれじゃあそれじゃぁぁぁあ、どれだけ逃げられるか試してあげましょうか、ねぇ?」




  ―――!!!

 爆発したような音を立てて砂塵が舞う、アンテノーラが地面を蹴り跳んだのだ。

 地面を爆発させるほどの膨大な力を使った跳躍は、いともあっさりと走って逃げていた月美を追い抜く。

 にやりと笑うアンテノーラと、戦慄する月美の目が合う。




 「あれぇ、ハンデをあげたのにぃぃぃ………
  ギ――――ハハハハハハ、お仕置きだよぉおおおん、グ―――――ハハハハハ!」




  髪の毛がまるで意思のあるように動き、地面に叩きつけられた。

 その威力は絶大で、着弾位置から離れていた月美を吹き飛ばし、木々を軋ませ、あげく建物の壁に罅を入れる。




 「うくッ………」




  げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら!

  あの赤い女の笑い声が、聞こえる。

 月美はゆっくりと自分の精神が摩り下ろされていると思った。

 嬲って、いるのだ………

 圧倒的な力の差があるのに、月美が一撃で殺されなかったのがその証拠だ。




 「なん、で!」




  叫びのように悲鳴を上げる。

 何で自分がこんな目にあうのか分からなかった。

 何で雫がいない、何で私は力が無い、何でこんな目にあう、何でこんなバケモノが、なんでなんでなんでなんでなんで………


  なんで、信吾が、こんな時に、いない。

 月美の心が、助けてと叫んでいた。




 「さぁ、どうでしょうかねェ… どうせ不幸だったって事だろう?
  こぉおおおんな、腐った地獄にいて可愛そう。
  こぉおおおおおおおおおおんんんな、くだらない人生を生きているのが可愛そう。
  あぁぁぁぁああああああああああんんんんんな、くだらない男を信じたのが可愛そう。
  つまりは……… ギ――――ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」




  赤い女は、言うのだ。

 月美が、絶対に聞きたくないとおもい、逃げ続けていた言葉を―――




 「つまりは、テメェが、不幸だってだけだろう?」




  一撃で何もかも、月美が信じていた事は壊れた。

 楽園と感じていた地獄に居た事も、壊れた戦巫女といることも、信吾が助けてくれなかった事も。

 みんな不幸で、片付けられた。

  ゴミ箱へゴミを捨てるように、なんの抵抗もなくするりと、それらは清算される。

 それだけで今までの月美の絶望も、希望も。

  だからこそ、それを月美は聞きたくなかった。

 それは甘美すぎる猛毒、耐え難い魅力を持つ芳しい匂いを放つ腐った林檎。

 今までのすべてがそんな一言で言い表せられるのが、耐え難く、恐ろしく、そして楽だった。

  ゆえに月美は悲鳴を上げてそれを拒絶する。

 認めるわけにはいかない、己の全てをかけてでも、それだけは認めてはいけない。

 認めてしまえばそれにしがみついてしまうから。

 海で溺れる者が、浮かぶ藁をつかむように。




 「違う、違う違う違う違う、違う違う違う違う違う違う違う違う、違うッ!」

 「イ―――ハハハハハハ、不幸不幸不幸不幸!
  そんな犠牲者の血統に生まれたことも、親に捨てられたことも、力が無いことも、大事な事をいえないのも!

  みんなお前の知らない場所で決められて、お前はその流れに溺れているだけなんだから。

  あぁぁぁぁぁ、か・わ・い・そ・う。
  ア―――――ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」




  つまり、月美がいくら逆らっても無駄なのだ。

 生まれを自分は決められない、親に捨てないでということもできない。

 最初から雫や信吾のように力を手に入れられない事も。

 そしてあの時、信吾を振り向かなかった事も。

 みんな、月美のせいではない――― 運命の歯車に月美ごときが立ち向かったところで、潰されるだけ。

 ――― 本当に、ただ不幸だっただけ。




 「嫌―――――ぁあああ―――――!!!!」




  認めなくなかったのだ、自分が努力すれば報われる、頑張れば幸せになれる。

 ただ努力しないから報われない、頑張らなければ不幸でいるだけ。

 信吾の影響を受け、そこから抜け出そうと努力した頑張った。

  だからこそ、分かってしまったのだ。

 努力しても報われない、頑張っても幸福になどなれない。

 それらは全部、月美の知らないところで回る運命の歯車が決めているのだ。

 月美が何をやっても、無駄。

 それを知っていた、だから… 理解しないようにしていた。

  雫や信吾を憎いと感じていた事も当然だ。

 あの二人は運命に逆らえるほどの力を持っていた。

 自分はそれを持っていない、それも月美が決めた事ではない、不幸だからだ。


 ――――あはははははははははははははははははははははははははははははは………


  そして月美は、思った。

 自分はそうして不幸に呑まれて、ただ死んでいくだけなんだと。

 そう思ってしまうからこそ月美はその言葉から、逃げていたのだ。




 「お姫様、お分かりになりましたか?
  悪いのは、貴方ではないのですよ――― この世界です」




  赤い女は、優しい声で悲しげに言う。

 正気ならそれを無視することもできた、だが自分の精神的な支えを失った月美にはそれにすがるしかない。

 それが全てを狂わす猛毒だとしても、歯が欠けたでこぼこの歯車でも、歪んで腐った希望でも。



 「ただお姫様、貴女には一つだけ幸福な事があります。
  それは―――――」




  女はその赤い瞳で月美の瞳を覗き込む。

 本当に月美を心配しているような顔をしている、たとえその裏に見える本音が分かっていても。

 月美は、その言葉に、耳を貸してしまった。











 「はぁああああああ!」




  カルの使う武器『笛柄の剣』は、言ってみればヤスリに似ていた。

 柄に装着された笛が振るわれるとき音を立て、刀身を共鳴させて微細な振動を起こす。

 その振動により斬るのではなく、削り取って切断するのだ。




 「参ったな、なんで貴方がここにいるのですか?」

 「冷静なふりをするな、声が震えているぞ」




  カルと対峙する敵、世界者クリスは冷や汗をかきながら言う。

 世界者は死なない、そういうルールがある。

 だがその例外はあり、カルはその例外の一人だ。




 「くす、うしろ」




  雫がいつのまにかクリスの背にまわり、刀を振るう。

 交わす必要もないと、最初の内はクリスも思っていた。

 世界者に単なる物理攻撃は何の意味も成さない、単なる退魔武器も同じくだ。

  だが雫の一撃はクリスの動きを一瞬とはいえ止めることが出来る。

 回避しなければその後に繰り出されるカルの一撃が襲う。

 カルの一撃は、世界者すら殺す事が出来るのだ、喰らうのは非常に不味い。




 「舐めるなよ人形女!」

 「くふふ、ばぁか」

 「そういうな、本当なんだから」




  突然わき腹に痛みを覚えると同時に、クリスはすこしだけ吹き飛んだ。

 すぐの着地し、自分を襲った飛び道具を探す。

  それはまだ宙を舞っていた………

 扇が美しく空を舞っている、だが扇はすこしだけ血を浴び武器として使われた事を示している。

 無論単なる扇ではない、何らかの力を持つ魔の武器。

  クリスはすこしだけそう思ったが、すぐに違うと分かった。

 扇はありえない動きを描いてカルの手元へ戻る。

 その動きはどちらかというと動物のそれに似ていた。




 「式神、なのか!」

 「正解だ、式神“付藻神-扇一式”。
  生物の形を成さない式神は難しい、だがな武器に見せておけば“武器”に見えるだろう?」

 「ふざけてる!」




  式神とはあくまで擬似的な生物に式を見立てるものだ。

 最初から無機物支配をする蒼とは違い、根本的に生物以外の形を取らせる事が難しい。

 式神は生物という枷に囚われる。

 扇という生物からかけ離れた式神を作れる時点で、もはや式神使いとしては規格外だ。




 「ふざけているのは、いつもお前らだろう?」





  クリスの言葉にカルはそう言い返す。

 顔色一つ変えず、ただクリスをにらみつけて言う。

  カルの言葉に、クリスは戦慄に凍る。

 冷たい刃物のように、鋭い死の言葉。

 世界を切り裂く者(ワールド・セイヴァー)… 世界の裏の騎士団――― 団長。

 そんな肩書きを思い浮かべ、なぜクリスはカルを皆が恐れるのか理解した。

  世界者が殺せる、いやそんなものは関係無い。

 ただ世界者を、狩る、それだけを突き通す戦士の目。

 たとえ自分が滅ぼうが確実に敵を滅する、それを覚悟する必要も無く――― 常に行なえる。

 単純な、人の持つ強さ、その極限。




 「おいおい、苦戦してぇんじゃんんん。
  どぉおおしたのかなぁ、ねぇクリスちゃん!」




  突然、そんな女の声が聞こえてきた。

 げらげらと下品な笑い声とともに、狂気の赤が飛び込んでくる―――!




 「お前―――っ!」

 「ヤ―――ハハハ、おひさしぶりだなぁカル・イグニーニス!」




  赤い女、アンテノーラはその髪を振るい地面を叩く。

 カルはそれよりも早くその爆心地より飛びのいていた。

 爆発、粉砕、木っ端微塵。

 そんな破壊を避け、カルは二人の世界者をにらみつけた。




 「何のようだコキュートス・アンテノーラ」

 「弱ぁあああい、もの苛めはだめってことさぁ、ガ―――ハハ!
  クロスちゃんはやっと生まれたばかりのできたてほかほかなんですよぉ?
  それに殺す気でやるなんて大人げのないぃいい、ダ―――ハハハハハハハハハ!
  つまりは、じゃ・ましにきたってことだ、よぉおおおおん!」




  髪が踊る。

 風も無いのにアンテノーラの髪が複数にまとまって宙を舞う。

 それは神話に出てくるメデューサの蛇の髪。

 一匹一匹が地面を揺さぶる力を秘めた“巨人の拳”だ。

  対してカルは剣を両手で構える。

 雫はクリスと戦うので精一杯、支援は望めない。

 かなり消耗しているため、精神力を大きく削る非生物型式神はもう使えなくなっている。

 だが使えたとしてもそんな小手先の技が効かないことなどとっくにカルは知っていた。




 「カル・イグニーニス、ワ・タ・シ、アンテノーラちゃんでもアンタとは真正面から戦いたくない。
  さぁぁああああて、そこでクイズタイム、ラ―――ハハハハハ!
  問題でぇえええぇえええす、“私は何処から来たでしょう?”」

 「え………?」




  それに反応したのは、雫の方が先だった。

 クリスから離れ隙を疑っていた雫がそれに驚き思わずあさっての方向を向く。

 その先はさきほどアンテノーラがきた方向で、それ以上に重要な方向。


  その示す先は、神社だ。




 「そろそろ出血がヤバいところまでくるでしょう、リ―――ハハハハハハ!
  二者択一でぇえええす!
  “見捨てる”か“見逃す”か、ギャ―――――――ハハハハハハハハハハハハハ!」




  瞬間、様々な事が起きた。

 雫がクリスに背中を向けて駆け出す、その無防備な背中に攻撃を仕掛けようとする。

 そこへ飛び込んできた人影が体当たりをかけてクリスを倒し、その足へ赤い剣を突き立てた。

 悲鳴を上げる間に人影は駆け出し、雫を抱きかかえて疾走する。

 カルはアンテノーラへ扇を投擲して同じく駆け出した。

 扇は式神としての力を発現せず、アンテノーラの髪に打ち落とされる。

 だがその間に、三人とも脱出に成功していた。




 「アンテノーラ、どうして見逃した?
  “腕”を使えば………」

 「ワ・タ・シも手負いなんだぁ、実・は、キ―――ハハ!」




  不思議そうに問いかけるクリスに、アンテノーラは答える。

 その髪に隠されていて見えないが、その腹部は大きく斬られていた。

 右腕も肘から先が魚のように二つに下ろされていた。

 本来ダメージを受けないはずの世界者が、大怪我を負っている。




 「さぁぁあああて、これで、これでお話を面白くする作業お―――わり、さって帰ってお菓子片手に観賞しましょうぜ!
  ギャ―――――ハハハハハ、イ―――――ハハハハハハハハハハハ!」











 「急いで帰ってきて正解だったようだな」




    雫を助けた人影、それは間違いなく荒神信吾だった。

 予想もしていなかった助けに雫は驚き、自分がどんな格好をしているか知って顔を赤くした。

 お姫様抱っこだ。




 「し、信吾! あ、あの恥ずかしいのですが?」

 「我慢してくれ」




  思わず言った事に信吾はそう言い放つ。

 たしかに事態が事態なのであまりこだわる事はできないが、それでも雫は納得がいかない。

 すこしの間何とか下ろしてもらおうと手段を考えていたがそれどころでは無いことをすぐに思い出す。




 「信吾、急いで月美が…」

 「そっちの敵は俺が追い払った」




  信吾は抱きかかえたままの雫の問いに、そう答えた。

 そうアンテノーラに手傷を負わせていたのは信吾だったのだ。

 アンテノーラがクリスと合流したのも、実際には自分ひとりでは危険だったからなのである。

 話はすこし前にさかのぼる。











  全速で帰ってきた信吾が神社に入ったとき、真っ先に目に入ったのは血塗れで倒れこむ月美と、彼女にトドメを誘うとする赤い女だった。

 とっさに腰に手を伸ばし、赤い剣を抜き、信吾は突撃する。

 理性や抑制など一瞬で消し飛んでいた。

  あの赤い女には深い怒りと憎しみを、なぜか感じた。

 月美が倒れ伏せている姿をみて悲しみをなぜか感じた。

 それ以上に理由無く、純粋に月美を殺そうとしている赤い女が許せなかった。


  鎖がちぎれ、一瞬だけ秋雨が解き放たれる―――

 木箱が投げ捨てられ、信吾は駆け出す。




 「月美から離れろぉおお!」

 「おやおや、やっとお出ましかい………
  もうとっくに手遅れだよ、今度こそワ・タ・シ達の勝ちぃいいだ秋雨め、ダ―――ハハハハハハ!」

 「―――断神(だしん)!」




  その時、アンテノーラは引けと命令された気がした。

 違う、それは自分の根本が叫ぶ懇願であることに気づき慌てて引く。

 だがそれでも信吾の一撃はアンテノーラの腹部を深く切り裂いていた。

  神速、秋雨の持つ対神格用戦闘術。

 秋雨との戦いでの一瞬の隙は、すなわち死である。

 それを一撃喰らってからやっとアンテノーラは思い出していた。

  何瞬も遅れから黒と銀の血が噴出す。

 あまりにも鋭く素早い神速の一撃、神業というにふさわしい斬撃。

 アンテノーラは後ろへ跳び、信吾から離れた。

 距離にして15メートルほど、だがそれも信吾の踏み込みの前には存在しないも同然。

 あまりにも脆い防壁と信吾の持つ赤い刀身の刀、その二つにアンテノーラは冷や汗を流す。




 「赤い剣、なんで秋雨の手に封神剣の一本が………
  なんて最悪ぅうううな組み合わせだ、参っちまうぜ、ギ――――ハハハハハ!」




  いつもどおり狂気で叫ぶ。

 だがそれに戦慄を起こす何かが無いのは、気のせいか?

 それは本人が違うと知っていた。

 恐れているのだ、自分が、秋雨を、世界者たる、アンテノーラが!




 「くそ、出来損ないの人造神がぁああああ!
  ギ――ハハ、エ―――ハハハ、ムカつくんだよぉおお!」




  怒りを込めたアンテノーラの視線に、信吾は顔色一つ変えない。

 旅をする旅人が風に顔色を変えないように、立ちふさがる困難に顔色を変えず立ち向かう。




 「―――愚車(ぐしゃ)!」




  愚か者を引く車、その意味を持つ一撃。

 今度こそ反撃で仕留めてやるとアンテノーラは構える。

 完璧なタイミングで放たれる右の拳、だがそれは………

  グシャ!

 信吾の一撃は最初からそれを待っていた。

 放たれた拳を刀身が襲う、一撃で腕は真っ二つにされていた。

 溢れる血潮、苦痛に顔を歪めアンテノーラは跳ぼうとする。

 だがそれより早く信吾が彼女の頭部を掴んだ。

 ぎりぎりと、ありえないほどの腕力で頭蓋骨が軋む。




 「ひ………」

 「――――!」




  声に出されず口だけで信吾は叫ぶ。

 それをアンテノーラは見ていて、なんと叫んだか分かった。

 「くたばれ!」だ。




 「あぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!!!」





  甲高い女の悲鳴がそれを覆した。

 血塗れの月美が壁を背に立ち上がり、弓を構えている。

 矢には札が貼り付けられ、それから力が溢れている。

  信吾には月美が何をするのか、一瞬分からなかった。

 弓を放つ、何処へ、どうして?

 それを考えて気づいたとき、信吾はアンテノーラを手放し駆け出していた。

  錯乱している月美は、弓を放つ。

 それはアンテノーラを目指し、その周囲と信吾ごと爆砕。

 信吾は爆発から逃れてはいたがアンテノーラが跳んで逃げているところを見ていた。

 月美は助かったと思う。




 「月美、止めろ! 敵は逃げた!」

 「あぁああああああぁぁぁあぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!!」




  矢がなくなっても、月美は弓を射ようとしていた。

 いや完全に錯乱してしまった月美は矢がなくなっていることにも気づかないのだろう。

 ただ無意味に敵意と拒絶を他の存在に行なう。




 「いいかげんに、しろ!」

 パシンッ!

 「――――!」




  駆け寄った信吾は一瞬の躊躇の後、月美の頬を平手で叩いた。

 その痛みに月美が正気に戻ったところで、信吾は彼女の目を見る。

 月美が自分を認識して冷静になった所でゆっくりという。




 「血は」

 「大丈夫です、見た目ほど酷くは有りません。
  自分で処置できます」

 「分かった」

 「行ってください、雫様と客のカルと言うお方が別の敵を追っています」

 「…いいのか」




  不安げに信吾が言う、月美の今の姿を見ていればそれは当然だ。

 だが月美はその問いに、微笑んで言った。




 「はい」




  信吾はその笑みで覚悟を固め、駆け出した。

  ただ此処で気づいていればよかったのだ。

 月美が自分の血を舐め、彼女らしくない微笑みを浮かべていた事に。

 そして彼女の持つ弓にその弓を持ってきた女の長い赤髪が絡まっていた事に。

 致命的に、何もかもが互いの勘違いに気づいていなかった。















  カルは信吾は雫を抱きかかえ走っている間に、すでに遠く離れた場所に居た。

 最初の内はアンテノーラ達の追撃から信吾を守るために後ろに付いていたのだが、その心配が無いと知ると気づかれない内に離れたのである。

  木に背中を預け、常に携帯している瓶から赤い液体を一滴だけ飲み込んだ。

 エリクサーと呼ばれる最高位の霊薬、死んだ者も一滴で生き返ると神話では歌われる。

 実際はそこまで強烈な品物ではない、神話通りの効能なら強力すぎて誰にも使えない。

 だがそれでもカルの失った体力や精神力を一滴だけで大部分回復させていた。

 しかしそれでも言葉ではいえない疲労が残っている気がする。

 いや確かにそうなのだろう、最高位の霊薬だろうがそれでも治せないものは必ずあるものだ。




 「これ以上は俺個人では限界だな」




  エリクサーを使えば肉体的な限界には囚われない、何日でも寝ずに全力で戦い続けることが可能だ。

 だが今回はあまりにも目立ちすぎた、まさか世界者の切り札たるコキュートスが出てくるとは思っていなかったのである。

 カルなら倒す事が出来ない相手ではないが、下手に目立てば他の世界者にカルの事が知られてしまう。

  まだ、時は満ちていない。

 駄目なのだ、今はまだ全ての準備が整っていない、こんな準備期間が与えられた事がありえない奇跡。

 その奇跡はあまりに脆く、波により簡単に崩れてしまう砂の城を思わせる。




 「くそ、イラつくな。
  戦う力があるのに、助けられるのに、助けてはいけないなんて!」




  カルは冷静な青年の仮面を捨て、怒りをあらわにしていた。

 ここで退場するしかないと知っていていても、理性では分かっていても割り切れない。

 あの時の彼もそんな思いを味わっていたのかと、今更思う。




 「あとは、お前しだいだ…」




  結局会えなかった男に、カルは希望を託す。

 祈りがどれほど意味を持つかは分からなかったが、それでも祈らずには居られなかった。


  きっとそれが未来を変えるちっぽけな力なのだから。








次回 縁の指輪
負の壱の指輪 五刻目 そして聖域の終わりは始まる





作者蒼夜光耶さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。