荒神 ――― 花嫁と荒ぶる神

  秋雨 ――― 神を殺す人造神

  天馬 ――― 人柱を産む忌神






  忘れられた、名の意味。

 おそらくそれらの正しい意味を覚えているのは、錬達の生きる彼らの現代に置いては秋雨と天馬の当主しか居ない。

 荒神はその中心だった巫女神『月夜』がいなくなったために弱体化し、その意味を失った。

 だがそれは決して消えたわけではない。



  天馬が人柱を望み、生贄の上に戦いのみに生きる悪魔を生み出す。

  秋雨が神殺しを行い、そして最後に自らが自らの行いにより死ぬ。



  失われた荒神の意味。

 それは他の二つとは違う、幸福な物かもしれない。










 「さて、それはどうかしら」




  昼夜は人里離れた山中を進みながら言う。

 自分の考えていた事に反論したのだ。

 荒神の意味は、この荒神昼夜が知っている。




 「どれもこれも五十歩百歩、どれも愚かで悲しすぎて、ある意味お笑いよ」




  くくくと笑って、目を細める。

 ある意味、もっとも荒神の名こそ邪悪で、尚且つ神聖かも知れない。

 おもえば月夜が荒神の本家から家出したのも、それが理由だろう。




 「そういえば……… あの時期だけね、月夜が心から笑ったのって」




  ふとあのときの光景を思い出し、彼女は悲しくなる。

 何処でどう間違えてしまったのだろう、そんな疑問が浮かぶ。

  月夜が荒神の家を出る決意をした時か。

 夕夜と昼夜、そして雨夜とその従者が共に出た時か。

 とある山奥で人より鬼に変じた男とあった時か。

 皆で鬼の山に行って、そこで暮らした時か。

 鬼とともに暮らしていた事か。

 雨夜が……………




 「違う、そうじゃない…… きっと」




  あまりにもあれは悪意と欺瞞、そして悪魔みたいな偶然に満ちていた。

 違和感こそ感じていたが確信したのは彼にあった時だ。

  許せない、そんな気持ちが生まれた。

 自分達の運命をもてあそび、道具として扱おうとする悪意達。

 それを覆し滅ぼすためならなんでもやる。

 そう… 決意していた。




 「でも……… ダメ」




  それでも、捨てられない物があった。

 胸の中で燃え続ける光がある、それだけはどんなことがあっても穢す事などできない。

 だから………




 「錬……… 綾美……… 今度、こそ…」




  決意を胸に、昼夜は神社へと向かっていた。







 










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                縁の指輪 
    二刻目 現実世界の牢獄―魂と心の重り、拒絶の世界―



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  やむ事が無い蝉の声が五月蝿い。

 夏であるとは知っているが、ここまで熱いのはそれでも許容できる物ではなかった。

 刀の手入れをしながら信吾が思うのは、昨晩の巫女姫の言葉。

 『ねぇ、月美を助けてくれません?』と、彼女は言う。

 あの狂気が夢のような、優しい言葉。




 「助けて、か………」




  けっきょく彼女はそれを言ったあと、すぐに立ち去ってしまった。

  その夜はあいている部屋に入って一晩を過ごした。

 仕事内容はあくまでしばらくの期間の護衛、敵が来なければ何もする事が無い。

 だが巫女神の言葉がどうしても気になる。




 「まさかそれが本題ではないだろうな」




  もしかしたらその『助ける』事が本当の依頼で、護衛云々は口実だったのではないか。

 そう勘ぐってしまう、同時にそれが理由ならば天馬の戦巫女を送ってもらわない説明がつく。

 いつもの感で戦闘がある事は当たったが、戦うだけの仕事の方が何倍も楽だろう。




 「やれやれ、厄介な仕事もあるものだ」

 「そうですか、苦労しますね」

 「それで何のようですか、雫様」

 「冷たい言葉」




  いつのまにかお茶を持ってきていたこの神社の巫女神、雫は信吾の独り言に割り込んできた。

 余りにもその割り込み方は強引で寝ぼけていたとしてもすぐに分かるだろう。

  まるで青い絵の具だけで書かれた絵に、一滴だけ零された赤い絵の具のような異彩。

 正気であってもその存在の異端さは変わっていない。

 むしろまともな受け応えが出来るだけ、もっとその異質さは目立つ。




 「繰り返すが、何のようですか」

 「この仕事の裏はどの位読めましたか?」

 「全く、皆無だ」

 「いった事の意味が分かった時点で、皆無ではありませんよ」




  微笑んでいた雫の目が、猫のように細まる。




 「嘘は、いけないわ」




  いきなり首元を掴まれて無理やり信吾は彼女と目を合わされた。

 すこし顔を動かせば唇が触れ合ってしまいそうなほどの至近距離。

 だが彼女の威圧感は、このまま信吾の喉笛を食いちぎるように思わせる。

 獣じみた、文字通りの威圧。




 「はっきり言うけど、貴方がいなくとも私が居れば戦力は十二分。
  貴方の来る意味は“そっち”にしか無い」




  まるで台本のセイフを言っているみたいな平淡な口調。

 怒っているようにも聞こえるし、逆に何も感じていないようにも聞こえる両極端な声だ。




 「で、俺はどうしろと」

 「簡単よ、此処にいてやらないといけないと思ったことをやればいい」




  くるりと、まるで遊び飽きた猫のように信吾から雫は離れる。

 その動と静の差が激しい動きは、何を考えているのか分からせない。

 どこまでが本音で、どこまでが嘘なのか。

 それすらも、不確か。




 「それじゃあそろそろ寝ます、よい昼を」




  普通なら変だと思いそうな言葉であったが、すぐにどういう意味か分かった。

 すこし早足で部屋から雫は出て行く。

 その時見えた横顔には、あの無表情と無機質な瞳があった。

 もう、そこに天馬雫という変わり者の少女はいない。

 いるのは一体の戦巫女という兵器だ。




 「だから天馬は嫌いなんだ」




  秋雨特有の天馬への偏見を隠さず言う。

 死んだ信吾の母、彼女の口癖だったがどうやらこの口癖は秋雨伝統らしい。

 たとえ秋雨から捨てられても、この血は捨てられない。

 そう思って、信吾は怒りを覚える。

 どこまで、俺を縛る気かと。




 「…………くそ」




  このままでは怒りを抑えれないと思い、信吾は立ち上がった。











  後悔先に立たず。

 まさにその通りだと思いながら月美は空を見上げていた。

  月美は自身の部屋がある小屋、その屋根の上で座り込んでいる。

 屋根に上がるのはそれなりに疲れる作業なのだが、ここなら邪魔など入らない。

 正確には、誰にも会いたくなかった。




 「何で、あんな事を言ったのよ、月美………」




  確かに信吾に言った事は確かであり、そう思っていた。

 だが彼を殺したくなるほどの衝動だったのかと聞かれれば、違うとしかいえない。

 それが自分の事なのに分からないのである。




 「ははっ、まだ私はここを楽園だと思い込みたかったんだ」




  自嘲気味に笑う。

 生まれた時より縛られているこのちっぽけな箱庭の地獄。

 そこから抜け出せない以上、地獄である事を忘れたかった。

  だが、忘れたところでどうなる。

 結局その地獄の本質は変わらない、何で惨めで愚かな話だ。




 「馬鹿か、私は」




  顔を伏せ、呟く。

 頬を流れる“それ”を、たとえ鳥や太陽にさえ見せたくなかった。

  確かにここから歩いて出て行く事はできる。

 だがそれではダメなのだ、それでもこの地獄は心に残る。

 そして、ずっとずっと月美を縛るのだ。




 「なんで私はここで、こんなふうに生きなきゃいけないのよ!」




  怒りと衝動、そしてそれ以上の悲しさと絶望を込めて叫んでいた。

 信吾が憎かった。

 雫が憎かった。

 自分の生まれが憎かった。

 この世界が憎かった。

 あの森が憎かった。


 なにより、こんなに簡単に泣く自分が、殺したくなるほど憎かった。


  そんな思考をしていると、何か音が聞こえてきた。

 鋭い何かが風を斬る事によって起きる、美しくも冷酷な音。

 月美はそれがすぐに刀を振るう音だと気づく。

  一瞬、雫かと思ったが彼女は“今の彼女では”努力などしない。

 しかしその斬撃の音はまるで唄のように何度も唸る。

 月美は聞いた事があった……… あまりに完成された剣舞はまるで美しい舞踏に似ると。

  立ち上がって音が聞こえる方へ向く。

 そしてすぐにそれを、月美は後悔した。

  目をつぶり、あまりに集中しているせいで脂汗を薄っすらと流しながら、信吾は剣を振り続けていた。

 まるで見えない怪物を相手にしているように苛烈なそれは攻撃でありながら、舞でもある。

 剣が宙を切る音が終わる前に、新しい音が重なり唄となる。

 これを舞踏といわず、なんと呼ぶ。




 「……………ッ」




  その時、月美は自分がどんな顔をしたのか分からなかった。

 美しい剣舞に見惚れていたのかもしれないし、信吾と会ったことで怒っていたのかもしれない。

 だがどれかと聞かれれば、月美には答える事ができなかった。




 「どこにいく気だ」

 「気づいていましたか」




  逃げ去ろうとした月美の足を止めたのは、信吾の声。

 さっさと行かせてくれればよかったのに、と月美は思いつつも返事をした。

 思えば特に気配を消していたわけでは無いので仕方無い。




 「昨日の事なんだが………」

 「…………」




  その言葉を聞いた瞬間、月美の脳裏はわけのわからない怒りで沸騰した。

 “なんで今更昨日の話を穿り返す”と怒りが湧き上がる。

 自分でも理解できないほど濃厚な憤怒は彼女の、血が滲むほど強く握り締めた拳を震わせていた。




 「地獄と、ここを呼んだな」

 「考えれば分かるでしょうが!
  あの糞忌々しい森と、この檻のような神社を見れば!」

 「………そっか、お前は… この世界しか知らないのか」




  ポツリと、信吾は呟いた。

 信吾の呟きに月美は顔を青ざめさせる。

 それは信吾の言葉が正しい事の証明。




 「地獄と楽園を比べるか……… どっちが地獄なのかな」

 「………?」

 「月美、君が俺を迎えに来たときは気づかなかったのか…… いや、うつむいて見なかったんだろう。
  すこし薄暗い道へ入ってみろ、飢えた子供が死に掛けている所や、今日の食事を得るためにぼろぼろの体で春を売る女。
  腐りかけの死体に、死体から金のなる物を奪い取る奴……… 物乞いや、それを白い目で見る裕福な者達。
  笑いながら小金を投げ込んでそれを拾う所を笑い、馬鹿にして、自分がそいつより格が上である事を確かめる。
  ほら、これを地獄といわずになんて言うんだ――― 『地獄』はこんなに簡単に見つかる」




  淡々と、信吾は言う。

 余りにも他人事のような口調、だがそれはありふれた光景。

 そこに無くとも、すこし遠くの国や町に行けば簡単に見る事が出来る地獄そのもの。

 ヘタな絵巻に描かれたそれよりも、なお呪わしい。

 そしてそれは、信吾がよく見ている光景――― なぜならすこしの間とはいえ、自分もその領域に居たのだから。




 「それは……… この神社に比べれば…」

 「それじゃここで餓えて死ぬ事はあるのか、金を手に入れるためだけに殺される事はあるのか。
  不愉快という理由だけで嬲り殺される事があるのか……… いや、理由も無く殺される事があるのか。
  無いだろう、ここはそれだけ他よりマシだ」

 「でも、そこにはこんな理不尽な不自由は無い!」

 「それではお前はそれから逃れる努力はしたのか」




  今度こそ、致命的な言葉。

 月美が停止する、思考が動かない、反論を組み立てられない。




 「………そうだよな、要するにお前はここを地獄とか言っておきながらここから離れるつもりは無いわけだ」

 「―る―い………」

 「月美、はっきり言ってやろうか」

 「うる―い……」

 「知らない世界が怖いからって、それを勝手に敵にして威嚇するな」

 「うるさい!」



  自分でも驚くほどの大声で月美は叫んだ。

 他人から自分の自覚していなかった本音を言われるのはとてつもなく不愉快な事である。

 その本音をさらけ出された月美は、全力で信吾の言葉を否定しようと思考を走らせる。

 だがそんなことは意味が無い。




 「………そうだな、一つだけ教えてやろうか」

 「―――!?」

 「それはすでに通った道だ、“秋雨刃(あきさめじん)”という馬鹿がな」




  そんな事を、小さな……… しかし響くように聞こえる声で言う。

 月美が呆然としている間に、信吾はその場を立ち去った。

 小さな声で自分を罵りながら。




 「何が“通った道”だ、今も通っている最中じゃないか……… 愚か者」




  くくくと、信吾は意図せず笑みが漏れる。

 自嘲気味な笑みであり、同時に悲しげな笑みだった。

 楽しいや愉快を意味するはずの笑み、だが彼の笑みはその中には無い。




 「さぁ、あんな事を言ったんだ……… 責任は取れよ、刃」



  ―――忘れるな、秋雨の意味を。

 ―――この世界、最大最悪の咎人の意味を。








  反論など、できなかった。

 信吾の言葉は抵抗などできないほど、月美の核を刺し貫いていた。

 あまりにもその切っ先は鋭すぎて、痛みすら感じない。

 ただ致命的に、終わったとだけ思う。




 「卑怯者………」




  言いたい事があった。

 だがそれが口を割って出る前に、言いたい事を全て言って信吾は去ってしまった。

 一方的というには、彼女にも反撃の機会がある。

 そのタイミングを捨てたのは、自分自身だ。




 「愚かな女よ、私は」





  いつだって、気づいた時は遅かった。

 迷って、その迷っている中でさらに迷って……… 何時だって迷い続けている。

 そして迷っている事すら、忘却の彼方へ沈む。

  気づくのは、いつも手遅れ。

 ここにいるのだって、もっと自分か賢ければ………




 (―――! 考えるな!)




  まるで閃光のように、あの“時”を思い出す。

 憎いより、激しく焼け付く憎悪。

 どろりとあの時捨て去ったはずの負の思いが、心の底で顔を覗かす。

 まるで泥のように重く、粘りつくそれは―――




 「………嗚呼…、それでも私は月河なのよ…」




  犠牲者の血統。

 どこまでも、血が運命を、未来を縛る。

 このどうにもならない怒りさえ、その津波の前には無力だ。




 「こんな腐った世界、終わってしまえ…」

 ――――あはははははははははははははははははははははははははははははは………


  こんな事を考えていると……… 笑い声が聞こえる。

 でも………




 「秋雨刃、か…」




  その名前が、どうしても消えない。
















  べっとりと、粘りつく血が手のひらを濡らしている。

 自分が何でそんなになっているのか分からない、思い出したくもない。

 ただ、呆然と呆けている。




 ―――秋雨の一族とはいえ、ここまでの力を童子が発揮するとは………

 ―――いつか秋雨に生まれ来るモノか、まさにバケモノだな。




  周りに居る大人達は少年を汚物でも見るような目で見ていた。

 それは自分より弱いものを見ているからではなく、単純な恐怖を誤魔化すための嫌悪のせいだ。

  まだ十歳にも満たない少年でもその事が分かる。

 だからこそ、その大人達が薄汚い路上のゴミのように見えて……… だから居なかった事にして歩く。

 まずは、血を洗い流さないといけない。




 ―――勝手に動くな、殺すぞ餓鬼!

 ―――止めろ!




  大人の一人が歩き出した少年の前に立ちふさがった。

 まるでゴミを見るような目で少年は、その蒼い瞳で大人を見て。




 ―――ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?

 ―――ぁぁあぁぁぁぁぁあ!?




  一瞬でその大人は両手両足の関節を破壊され、達磨のように地面に倒れた。

 苦痛と精神的な衝撃で気絶を超えて死に掛けているそれを気にも留めず、少年は川の流れの音がする方へ森の中を進む。

 まずは、血を洗い流さないといけない。

  そう考えて歩いていると、今度は十五歳位の少女が立ちふさがった。

 少年は、その少女を見て脚を今度こそ止める。

 本能的に、少女が人間の理解を超える超絶的存在である事が分かったのだ。

  見た目の年の平均よりかなり低い、人形みたいな子。

 身長より長く、艶の有る黒色は夜の闇の中でも月明かりを反射して淡く輝く。

 漆黒の夜を思わせる異国の服装、ドレスと呼ばれるそれを着込んでおりながら森の中、汚れ一つ無い。

 肌は真珠のように白く、それ以上に血の赤を感じさせなかった。

  少女の唇が開き、言葉を紡ぐ。

 まるで鈴の音のように、澄んだ美しい声だった。




 ―――まだ目覚めには早いわ、未来の紡ぎ手も、覇道の獣王も、優しき破壊神も、反逆の忌神も………
 ―――彼が望み、奴が憎みながらも望むそれらが揃ってないわ、混血たる人造神よ。




  いつの間にか、他に居た大人たちはみな時間が止まったかのように動かない。

 少女が、月を思わせる白い肌をした手で少年を指差した。

  見えない何かが、少年へ直撃する。

 それが孕む力は少年の目には見えたが、反応などできないほどそれは速い。

 闇に意識が溶け込んでいく。




 ―――私は恋をした事が無いのだから、まだ世界に終わってもらっちゃ困るのよ。
 ―――眠りなさい、まだ……… あなたは“そこ”にいなさい。




  夢は、いつもそこで終わる―――











 「昼寝でも、見るようになるとはな」



  信吾は目を覚ましてから、自分の夢にそんな感想を漏らした。

 あの時、両親の死んだ後におきた事。

 血に濡れた手の感触と、少女の持つ威圧感を忘れる事ができない。




 「帝級吸血鬼“吸血鬼の女神”か……」




  あの少女を、義理の父たる荒神の男はそう言っていた。

 主に人の血を主食とする、表の世界でも有名な人外の種族。

 その中でも無敵と呼ばれる帝級の中で、もっとも古く強い力を持つ女神。

 吸血鬼の中で、彼らが神聖視する“生まれたときからの吸血鬼”。

  なぜあの時、彼女があそこにいたのかは分からない。

 ただ、信吾は自分だけが持つ確信を持っていた。

 彼女はあの時、“あの時の信吾”に会いに来ていたのだ。




 「人造神か……… ああ、そういえば秋雨がそういえるよな」




  秋雨が望むのは、必要なら神話に出てくる神でも倒す事が出来る神の製作。

 その血統こそ気が狂いそうなほどの長い時間をかけて作られた神の苗床なのである。

 あとはその血をすこしでも長く伸ばし、“それ”が生まれてくるのを待つ。

  天馬が生まれた子供を薬物などで強化し、魔を殺す兵器を作るのに対して秋雨はあくまで生まれたときの才能での強さを望む。

 その正反対の行動の先、だがしかしその結果はどちらも同じだ。

 すなわち、人の手にて神を生み出す。

  そこまで考えたところで、信吾は立ち上がった。

 寝起きのせいかいやな事ばかり考えてしまうため、顔でも洗ってこようと思ったのである。

 しかし彼は考えるべきだった。

 泣きっ面に蜂という諺があるように、不幸は続けてやってくるという事を。










 (まずったな)




  井戸の前まで来て、信吾は思わず立ち止まってしまった。

 井戸には先客がいた……… 先客は月美であり、信吾は彼女と目が合う。

 あれほどの事を言った後なのでかなり気まずい。




 「どうしました」

 「あ、いや…」

 「私は気にしてませんよ、ええ全く」




  その口調と態度が言っている事とは正反対だった。

 しかし信吾を敵視していると言うには違うような感じがする。

 むしろ尊敬と軽蔑と怒りと憎悪がごちゃ混ぜで、無関心でそれを誤魔化そうしている。

 そういうように信吾は感じた。




 「それで、何のようですか」

 「顔を洗いに来ただけだ」

 「そう………」




  彼女の横を通り、信吾は井戸から水を汲んだ。

 水は異常なほど澄んでおり、すこし口に含んでみると不味かった。

 それは不純物が何一つ無いゆえの不味さ。

 これも、あの森のように死の気配を感じさせる。




 「一つ、聞いていいですか」

 「何だ」




  手ぬぐいで顔を拭いた所で月美が信吾に話しかけてきた。

 振り向かず、彼女の気配を後ろに感じながら信吾は言う。

 すこし時間をかけて、月美が語る。




 「秋雨刃とは、どういう人物なのでしょうか」

 「両親が死ぬところを前にして、何も出来なかった餓鬼だ」




  まるでその光景を見ていたみたいに、断言した。

 その余りにもはっきりとした言い方に月美は絶句する。




 「でもそれは…」

 「童子だから仕方ない、そうじゃないな…… 助ける力はあったはずだ、秋雨のモノならな。
  秋雨はそういうように生まれてくる」




  そこでやっと信吾は月美を見た。

 月美は信吾の瞳にある、自分とよく似たそれに魅せられる。

 間違いなくそれは、後悔と自己嫌悪だった。




 「だとすれば、その秋雨の子は……… 他人の死をどうでも良いと思っていたという事だ。
  それが肉親だとしても、な」




  少年はあの時、親の死をどうでもいいと思った。

 元々秋雨にとって子供は実験作品と、次の子を産むための血のつながりに過ぎない。

 それゆえに少年も戦闘技能ばかりを磨かれ、同時に普通ならあるはずの愛情や絆を磨耗させ………

  最後のところで、彼らは過ちに気づいたはずだ。

 すでにそれは子供ではなく、唯の他人。

  父だった男は死ぬ寸前に地面に倒れたまま刃に手を伸ばして助けを求めた。

 だがその子は、足が取られて戦いにくくなるという理由でその手を蹴り飛ばしたのだ。

 そんな事をするのが人間のはずが無い、彼らは知らず知らず我が子を異形へと変えていたのである。

 もうとっくに手遅れの状況でやっと悟ったのだろう。

 最後の表情は、絶望一色だった。




 「まあ問題のその餓鬼はいろいろあって秋雨から居なくなり、やっと普通の人間として育てられた。
  そして普通の人間らしい思考を取り戻したところで、いまさら後悔をしていると言うわけだ」

 「まるで…」

 「“自分の事を言っているみたい”か?
  そこらへんは自分で考えてくれ、俺の言う事じゃない」




  すでに月美には分かっていた。

 信吾の口調と態度が、言葉より雄弁に語っている。

 その秋雨刃という人物が誰であったのかを。

  そしてそれに気づいたとき、綾美はふと思った。

 彼が、強いと。

 もし自分も………




 「私も、強くなれれば……」




  此処から出て行けないのは、覚悟が足りないから。

 なら強くなって、その足りない分の覚悟を手に入れることが出来れば。


  自分の意思で、この地獄を出て行くことが出来る。


  月美には、その考えがまるで革命みたいに思えた。

 今まで暮らしていた闇色の地面と空の世界が砕け散り、光溢れる世界に生まれ変わる。

 それを革命という以外に、何と言う。




 「決めました」

 「何を決めたんだ?」

 「私も、その秋雨刃のようにこの状況を打破して見せます」




  そう言い放ち、月夜は身を翻して風のように去っていった。

 いきなりの変わりようにきっかけとなった信吾の方が驚くぐらいだ。

 しかしそれ以上に気になっていることがある。

 気づいたのはついさっきだが、間違いなくそのずっと前にいたはず………




 「何を隠れてコソコソやっている」

 「………………」




  信吾の言葉に、雫が近くの木より飛び降りてその姿を見せた。

 今は兵器でなく天馬雫らしく、くすくすと可愛らしく笑っている。




 「なかなか初々しいですわ」

 「何時から聞いていた」

 「当然、最初から最後までですわ」




  まるで子供のように雫は笑う。

 ただ邪気の欠片も無いその笑みも、やはり人外じみていた。




 「もしや、俺を雇った理由というには………」

 「もちろん、貴方の過去を調べての上です………
  秋雨の“二人目の成功作にして暴走体”… ねぇ、秋雨刃」




  秋雨刃と昔呼ばれていた男はその言葉に曖昧に微笑む事しか出来なかった。

 彼の笑みを見てくすくすと雫は微笑む、それは自分の企みが成功した勝者の微笑み。

 そんな微笑みを見て、信吾は自分の事を知っている人間を考える。

 すぐに秋雨刃の事を知っており、それを他人に話す存在に気づいた。




 「またか… 義母上…」




  思わず信吾は頭を抱え込んだ。








次回 縁の指輪 
負の壱の指輪 三刻目 歪んだ願い―希望穢す絶望、唯一の光(闇)―







作者蒼夜光耶さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル投稿小説感想板に下さると嬉しいです。