そこは死界だった。

 その場所に来て、真っ先に覚えたのは吐き気。

 次に悪寒、そして恐怖。

 あまりにも異質なその空気が、肉体を冒したからだ。




 「錬―――!」




  彼らの名前を叫びながら、刀冶はかつて中庭だった異界を駆けていた。

 そしてそのうちに、探していた少女の姿を見つける。

 すぐに駆けつけようとした時、違和感に捕らえられた。

  あの子の髪の毛は、赤かったか?

 彼女の髪の毛は真紅に染まっていた、まるで血を浴びたかのように。

 いや違う、赤く染まっていたのは彼女の来ている着物もそうだった。

 顔にも赤い絵の具のようなそれがたっぷりとついている。

 それは――― 血液だった。

  そしてその少女の手には、一振りの刀が握られていた。

 この屋敷の道場に置かれていた秋雨家の宝剣の一つだ。

 それにべったりと血が張り付き、地面へと血の水滴を落としている。




 「あはは、あはは、あはははははははははははははははははは」




  愉しそうに、あまりにも楽しそうに狂気の笑みが口から漏れていた。

 彼女からあふれ出る強烈な妖気、人間ではありえないほどのそれが刀冶の足を地面に縫い付けている。




 「無垢、なるぅぅううううう!」




  動けない刀冶の耳を、その咆哮が刺し貫いた。

 声の主は彼女の前に立っている錬、いや夜月。

 彼はもう一つの宝剣、丙子椒林剣を持って満身創痍の体を無理やり立たせている。

 彼女の体を染めているのは彼の血だったのだ。

  夜月は死織の後ろにいる刀冶を見て顔色を変えた。

 それは刀冶が顔をそらす事が出来ないほど冷たい瞳。




 「彼女は、彼女じゃない……… 秋雨の血には、落とし穴があったんだ。
  奴は、秋雨の中の、秋雨そのものにいたんだ―――!」




  擦れた声で夜月は咆哮する。

 夜月に対して、彼女は――― いや、彼女を乗っ取った存在は笑みを浮かべていた。

 その笑みはもう一人の彼女のモノでもない、それは全くの異質な存在。

  人では無い存在が無理に人の笑みを真似ているような、異様な笑み。

 だからこそ、その笑みは人間の笑みよりはるかに強く主の愉悦を表していた。




 「奴の名前は―――」

 「そういえば、貴方にも聞こえていたはずだな夜月」

 「死織を乗っ取ったか……… くそ、こっちもどれだけ持つか…」




  夜月の世界をゆっくりと、それが汚染を広げていた。

 それが、その薄っすらとした毒のような緑が奴である事は間違いない。

 …汚染されているのは死織だけでは無い、夜月も、だ。

 正確には、錬も彼女も、いつかは“こいつ”に飲まれてしまう。




 「させるかぁ… させるかッ!」




  悲鳴のような叫びとともに、夜月は死織を乗っ取った存在へと攻撃をしかける。

 それに奴は笑みを浮かべていた、それは酷く死織の笑みに似ていてそれが不愉快。

  夜月がありったけの怒りと闘志を込めて、叫ぶ。




 「無垢なるぅううう!」

 「どこまでも邪魔だな、秋雨め。
  仔の誕生を邪魔するのは生きている存在として下衆の行いだ」




  死織を乗っ取った存在、無垢なるはそう呟いた。

 ゆっくりとそれは夜月にとどめを刺すために剣を構える。

 やる気のなさそうなその動きとは裏腹に、その瞳は憎悪に燃えていた。




 「そう、どこまでも邪魔だ。 秋雨――― 神殺しの子らよ」








 










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                縁の指輪 
    四の指輪 三刻目 白の陣(魔王の結界)/氷狼の歌(レプリカ・コキュートス)



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  急速に空気が冷えていく。

 なんてことは無い、目の前の女性が自分の戦いやすいように陣を敷いているだけだ。

  フェンリ=アレクシア、聖十字最強の一人『戦獣』の名を持つ氷の獣。

 その能力は冷気を操るという話だが、これがその程度の物ではない事などすぐに分かった。

 たかがその程度の能力の保持者が、ここまでの威圧感を放てるわけが無い。




 「始めまして、トロメア」




  冷たい、氷のような声。

 その女性は倒れこんでいる少年、トロメアを冷めた目で見下ろしていた。

 トロメアが咆哮する。




 「フェンリ=アレクシア!」




  フェンリは剥き出しの敵意に対しても顔色一つ変えない。

 子供にどんな悪口を言われても本当にできた大人ならなんとも思わない、そんな感じだ。

 そんな彼女の様子にいつものように簡単に堪忍の尾は切れ、トロメアはその拳を振るう。

 だがそれはフェンリの左腕で受け止められていた。

  トロメアは驚愕に顔色を変えて、驚く。

 彼の腕力は素手で空母すら沈める事ができるほどの、馬鹿みたいな力を持っている。

 その最大威力の拳をどうやれば受け止められるのか。

  そんな爆走する列車を素手で止めるような事をやっていて、フェンリの顔には何も浮かばない。

 これだけ驚異的な事をやっておいて、彼女にはそれがとんでもない事だという自覚が何一つも無いのである。

 彼女にとってこのような事はあたりまえにできる事なのだ。




 「腕力は絶大だなトロメア、だがゆえに攻撃がストレートすぎる」

 「―――!?」

 「殴りあいたいなら、これぐらいしてみせろ」




  フェンリの右手が有り余る力に震えながら握りこぶしを作る。

 振り下ろされるそれをトロメアは両腕を交差させてガードした。

 だが右拳は振られず、代わりに自由となった左手がトロメアの腹部へと押し付けられる。




 「だから、これぐらいはしろと言ったんだ」

 「ごふぁ、ぐは!」




  何の予備動作も無く、左手が最大威力の打撃をたたき出した。

 それに内臓そのものに衝撃を加えられ、トロメアは大量の血を吐く。

 寸勁という技だという事はトロメアにも分かったが、威力が異常だった。

 もしトロメアは普通の人間なら、打たれた部分を中心に爆砕していただろう。




 「なぁあ、にぃい。 き、サマ…!」




  反撃に振るった拳は衝撃波を生み出し、フェンリへと向かう。

 だがフェンリは軽いステップでそれを回避する、十二分に余裕がある動きだった。

 そして砲弾のような速度でトロメアへと迫る。

 トロメアはそれに対して拳を振るうが、その一歩手前でフェンリはその速度を緩め拳を回避。

 驚くトロメアに微笑みかける。




 「インファイトとは………」




  今度はその右足が振り上げられる。

 どんな攻撃がくるか分かったが、トロメアにはそれを避ける事ができない。




 「こうやるものだ!」

 「ガァアアアア!?」




  振り下ろされた右足がトロメアの頭部を叩きのめす。

 そのまま地面まで振りきられた足がトロメアの頭を地面へとたたきつけた。

 しかし攻撃はそこで終わらない。

  今度は地を横に走る回し蹴り。

 それは倒れているトロメアを捕らえ、彼を軽々と数メートル吹き飛ばす。

 血の擬態が間に合わず、黒と銀の血を飛び散らしながらトロメアは三回地面をバウンドして、やっと立ち上がる事に成功した。




 「嘘だ、本体にダメージなんて!?」

 「この世界に完璧なんて存在しないさ」




  指を鳴らしながら、フェンリはゆっくりと首を回す。

 その余裕に対してトロメアは抑えきれない怒りを覚え、もはや人間とは思えない憤怒の表情を浮かべた。

 鬼のような形相、そうとしかいえない。




 「この尼ぁああ! 殺す殺すぶっ殺してやる、くそくそくそくそ、ぶっ殺す!」

 「悪口もありがちだな」




  激しい動きで服についた砂を叩き落しながらフェンリはトロメアに向かって歩き出す。

 それは散歩しているみたいに何気ない歩みで、もはや隙があるとか無いとかの話ではない。

 しかしそれを前にトロメアは知らず知らずの内に後ろに下がっていた。

  怒りで頭を支配されていても、かすかに残った冷静な部分が絶対に彼女には勝てないと警鐘を鳴らしている。

 それに得体の知れない恐怖もあった、子供じみた思考を持つトロメアにとって恐怖は行動を決定づける大きな要素。

 単なる異能者に過ぎない彼女が何故自分の本体にダメージを与える事ができるのか。

 そのありえない事に対する恐怖がトロメアを下がらせる。

  そして後ろに下がるトロメアを見て、フェンリは愉しそうに微笑む。

 もし真正面から微笑まれれば、同性でも顔を赤く染めてしまいそうなほど美しい笑顔。

 だがそれも今のトロメアにとって恐怖を呼び起こす悪魔の笑いにしか見えなかった。




 「どうした、何故下がる? お前の得意な間合いは私と同じ近距離のはずだ」

 「ひぃ………」




  擦れた声を出しながら、トロメアがさらに一歩下がる。

 それに対してフェンリが一歩進む、それにより互いの距離は変わらない。




 「さぁ、どうする」

 「あぁあああああああ!?」




  トロメアはその言葉を死刑宣告のように感じていた。

 ついにその恐怖に耐え切れなくなり、彼は悲鳴をあげ、フェンリに背中を向けて駆け出す。

 それは戦闘中にはあまりにも愚かな行為だったがフェンリは攻撃を仕掛けない。

 そしてすぐに彼の姿は見えなくなった、アレではもう弘平を追う気力など残っていないだろう。




 「私も甘くなったな、ここで仕留めておいたほうがよかっただろうに。
  まぁ私の氷狼の歌“レプリカ・コキュートス”が連中に効くと確認できたのが救いか…」




  自嘲気味に微笑みながら彼女は近くに隠しておいた自分の荷物を持ち上げた。

 かなり大きいバックで、ぎっしりと中身が入ったそれの重量はかなりのものだろうが彼女は軽々とそれを持ち上げる。

 そのバックを背中に背負って彼女は歩き出す。

 やはりバックの荷重があるにも関わらず軽快な歩みだ。

  そしてふと彼女は横を向く、その視線の先に漆黒の少女がいた。

 フェンリは彼女を見てポツリと呟く。




 「あんたが…」

 「……あの人の義娘さんね、いつもお世話になるわ」

 「いいのよ、こっちが好きでやってることだし」




  フェンリの口調が突然、優しくて砕けた感じへと変わった。

 いやそれこそが彼女の地なのだろう。

 圧倒的な力を持つ戦士としての表情は消えて、そこには優しい女が一人いた。




 「だからこそ、申し訳なく思うの」

 「気にしない気にしない、人の善意はありがたく貰っておきなさい。
  お礼は全部終わった後に好物のせんべいでもくれるとグー」

 「貴方はどうしてそんなに明るいの?」

 「んー」




  少女の問いにフェンリは右の人差し指を唇に当てて考え込む。

 すこしして満足げに微笑むと、少女にいった。




 「多分、これは私じゃなくてみんなの明るさ。
  義父やみんなが優しくしてくれる、だから私も微笑む事ができる、だから私も他人に優しくできるの」

 「………いいわね」

 「きっとあんたにもそういう場所があったはずだよ」

 「それはもう取り戻す事は出来ない場所に行ってしまったのよ、氷狼さん」

 「なら新しく作れ、諦める前に努力してんだろ、だから今、あんたは苦しんでるんだ」




  急にフェンリの視線が鋭くなる。

 それに含まれた強い思いに少女は驚く、なぜか彼女が自分に似ている気がしたからだ。




 「私は、私の居場所を守る、あんたと何処が違う」

 「………私は、アイツを倒すだけ」




  フェンリが気づくと、すでに少女の姿は無かった。

 最初からいなかったかのようにそこには何も無い。

  いや…、ただフェンリに一言だけ残して。

 それを聞いて、ポツリとフェンリは呟いた。




 「だから、何処が違う」











 「荒神昼夜……… まだ生きていたのか」

 「ごあいさつありがとう、黒の魔王ロキ」

 「……その名で呼ぶな」




  スカートにセーター、そしてその上に着込んだ皮ジャンパー。

 そんな独特すぎる服装をした女性、荒神昼夜は巨大な弓を構えて神社の屋根の上に立っている。

 足場の悪い屋根の上から撃ったにしてはあの弓矢はあまりにも正確な狙いだ。

 それが昼夜の弓矢に関する驚異的な技能を指し示していた。




 「ひさしぶり、錬」

 「昼夜姉さん………」

 「吹き飛べ!」




  白見がいつのまにかその手に握ったデリンジャーを昼夜に向けた。

 昼夜が屋根から飛び降りた後、まるでミサイルでも撃たれたかのように昼夜がいた場所が爆発する。

 単なる銃撃では絶対にありえない破壊力。

  攻撃が放たれるよりも早く落ちた昼夜は、余裕をもってその破壊から逃れる。

 そして白見と向かい合った。




 「話を聞かずに嫌いなら攻撃、本当に子供みたいねロキ」

 「…黙れ、不愉快だ壊す事しかできない女が!」

 「だから子供みたいなのよ、ロキ」




  今度は連射、何発もの銃弾が発射される。

 それを昼夜は神速の弓を放つ、それは込められた魔力で風を纏い弾丸をそらした。

 昼夜のはるか後ろで弾丸は爆発。

 爆風に髪を靡かせ、昼夜はそこに佇んでいた。

  他の魔法使いなど歯牙にもかけない、圧倒的かつ絶大な魔王の攻撃を前に彼女は全く怯まない。

 その気が違った人間が作ったとしか思えない弓を放ちながらも疲れた様子すらない。

 だがそれでも、白見に勝てるとはこの場に居るだれも思えなかった。




 「今度は防げない!」




  そう叫びながら白見はポケットに収めていたたくさんのパチンコ玉を投げた。

 放射線を描きつつ落ちていくそれは、間違いなく威力を非常識なほど強化された物に違いあるまい。

 だが今度はその数が問題であった。

 拳銃弾ほど早くは無いが、その爆発の規模も考えるとその爆撃の中心にいる昼夜に逃げ場などありえない。

  昼夜は弓を撃つのを止めて駆け出した。

 かなりの速度ではあるが、とてもではないが逃げ切れるほどではない。

 彼女はジャンパーで顔を隠しながら飛んだ、その後を爆発が襲う。

 爆風で吹き飛ばされながら昼夜は境内へと落ちた。

 ジャンパーは半ば炭化していたが、致命的なダメージだけは避けていた。

  痛みを堪えて起き上がろうとした彼女に、無常にも拳銃が突きつけられる。

 それは爆風の中を『自己否定』で疾走した白見のものだ。




 「王手だ、壊し屋」

 「どうしてそんなに殺しあうのが得意なのに、人付き合いは苦手なのかしら?
  それがとても疑問だわ」

 「とんでもない裏切りをされたからな」

 「裏切り? 貴方が向こうを勝手に信頼しただけでしょうに」

 「黙れ」




  その光景を頭をハンマーで叩かれているような痛みの中、錬は見ていた。

 鮮烈に脳裏に焼きつく、今にも殺されそうな昼夜の姿。

 プツリと錬の頭の中で何かがはじけた。

 指輪をつけているはずなのに、蒼く瞳が輝く。


  ――――あはははははははははははははははははははははははははははははは………


  あの気持ち悪い笑い声が脳裏に響く。

 たとえどんな毒物を使っても無理だと思えるほどの痛みが精神を襲う。

 だがその苦痛と笑い声の二重奏の中―――




 「餓ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」




  咆哮し、錬は駆け出していた。

 そのいきなりの変化に綾美は驚き、何の行動も取れない。

 獣でも出さないような殺意の咆哮を聞き、白見は錬の方を向く。

 だがその時には錬はすでに白見の目の前に居た。




 「な………」




  驚きの声を出す白見の顔面を、錬は掴む。

 そしてその蒼く濁った瞳で白見の目を見ながら呟いた。




 「昼夜姉さんから……… 離れろォオオオオオオオオオ!」




  人間のものとは思えないほどの腕力で、白見が投げ飛ばされる。

 何とか受身を取り白美は立ち上がるが、その時にはすでに錬の手に丙子椒林剣が呼び出されていた。

 そしてその剣を執り、鷹のように攻撃な跳躍を行う。

  その激烈な一撃を白見はデリンジャーの銃身で受け止めた。

 否定により強化されたはずのその銃身は錬の一撃で罅が入っている。

 それが錬が繰り出した攻撃の威力を語っていた。




 「錬――― 止めなさい! そいつに関わってはダメ!」




  昼夜が叫んで駆け出そうとするが、爆風のダメージで体がふらついており思ったように動けない。

 死なないくせに普通のルールにしたがう肉体を罵りつつ、昼夜はもはや足かせに近い弓を投げ捨てた。

 弓矢も投げ捨てて身軽になり、彼女は走り出した。




 「邪魔をするな!」

 「餓ッ!」




  人のものとは思えない、殺意の叫び。

 それを放っているのが錬であることに、綾美は恐怖を通り越して呆けていた。

 どこかでそれを見たことがある気がしてならない。

 いや、むしろ自分がそうであったように思うのだ。




 「そう、あれは……… この場所で…」




  ずきりずきりと痛みが綾美の頭を襲う。

 それは質こそ違う物の、間違いなく錬を襲っている物と同様のもの。

 知らない記憶を知っているが故の矛盾の苦痛。




 「何なんだ、たとえその神眼を持っていてもその攻撃衝動は人じゃ無いものに固定されるはず…
  その瞳を持っていても、そんな風に影響を受けるはずが…」




  まるで悲鳴のような声で白見は言う。

 錬の攻撃は昔戦ったときよりも攻撃的で激しく、あの時のような余裕など無い。

 一撃の威力もそうではあるが、まるで嵐のような攻撃の乱舞は反撃の隙すら皆無。

 否定で強化された武器でも攻撃をうけるたびに致命的な損壊を受ける。

  ………魔王が間違いなく押されていた。




 「このぉ!」




  自分の座標を変更、一瞬で白見は10m後ろへと転移した。

 紫の特技である空間転移だが、擬似的なものなら黒にも使用できる。

 そして間合いを取った後、彼は一本のナイフを取り出した。




 「これが俺のジョーカーだ……… みんな死に絶えてしまえ」




  ナイフに耐え切れないほどの圧倒的な否定の力が込められていく。

 耐え切れなくなった時にさらに否定でそれを強化して補強、また限界まで否定強化する。

 その繰り返しにより、ホンの数秒でそのナイフは異常なまでの魔力強化を施された。

 限界を超えて強化されたナイフは今にも負荷に耐え切れず崩壊し、いつその魔力を暴発させるか分からない。

  そして彼の前に異様な空間が出現した。

 それはまるで黒い領域、光すら届かない歪められた空間。

 否定により全ての力のベクトルが一つの方向へ収束された空間の加速装置。

 この加速装置で先ほどのナイフを加速し撃ち出せばどうなるか……… それこそ超電磁砲“レールガン”すら超える最悪の砲撃だ。




 「…………お前、そんなもの此処で使う気か」




  錬はポツリと、顔を下に向かせ白見に見せないまま呟いた。

 普段の暴走とは違い、今の錬は異様なほど静かであり、ゆえに今までのは違う鬼気とした敵意がある。

 その問いに自分がどれほど危険な技を使おうとしているのか白見は気づく。

 一瞬、その迷った一瞬が致命的なミスとなる。

  白見が持っているナイフが投擲された丙子椒林剣により粉砕された。

 それをきっかけに孕んでいた魔力が単純な破壊力として顕現する。




 「自己否定―――!」




  黒の絶対的な防御魔法を展開した。

 一瞬だけ物理的な自分を喪失した白見はありとあらゆる物理的な脅威を無視する。

 それにより自ら生み出した魔力爆弾の爆発を避け、白見は自分の復元を開始。

  同じ術を使う竜伊よりはるかに早い時間で完全に戻った彼は周囲を見る。

 だが視界内に錬はいなかった。




 「どこへ!?」



  ふと、白見はありえないものを見て凍りついた。

 自分の影が巨大化していく様を。

 その意味を知った時、白見は頭上へとデリンジャーを掲げる。

 天空より落ちてきた錬の一撃が炸裂したのはその直後だった。

  その凶悪を通り越して悪魔的な攻撃は、強化されたデリンジャーすらも破壊して白見の肩を切った。

 辛うじてデリンジャーが受け流したため直撃は避けたが、右肩を深く切られた彼は流れ出す血を抑えながら後退する。

  耐え難い痛みに顔を歪めて白見は苦しんでいる。

 激戦の中で傷を負ったことこそあれど、これほど深いのは初めてなのだ。

 強すぎ、痛みに慣れていないからこそ苦痛が深く身を刻む。




 「痛い… くそ…、否定強化でも耐え切れないなんて、可笑しい、おかしいじゃないか」




  熱病で苦しむ病人のような弱弱しい声で白見は呟く。

 その口調こそ大人しいが、なのにそれを聞いた綾美が背筋が凍った。

 鬼気迫る… そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 だがこれは、そんな生易しい物ではありえない。




 「うぁああああああああああああ!」




  闇が集まっていく。

 ありえないほどの速度で魔力とマナが融合し、膨大な力が白見へと集う。

 脅威を感じた錬がこれより彼の行なう行為を妨害せんと走るが、圧倒的な力の濁流がそれを拒む。

  そしてあの歌が詠唱される…

 黒の、最終到着点… 禁断魔法。




 「我は……黒、終わりにして終焉にして絶望にして…始まりたる……… 黒」




  抑制に欠けた淡々と歌われる呪文、それが紡がれるごとに威圧感と力が増していく。

 それに対し、錬はあの力を行使した。

  錬の瞳が澱んだ蒼から同じく澱んだ赤へと変わる。

 ありとあらゆる人外の力を否定する力が彼の持つ剣の刀身を覆う。

 そして彼は跳ねようとした時、飛び込んできた昼夜が彼を後ろから抱きしめて拘束した。




 「止めなさい! 錬、それ以上、その力を使ってはダメ!」

 「手を離してよ、昼夜姉さん」




  昼夜を見る事無く、錬は淡々と言う。

 だがあまりにもそれは錬にしては不自然な口調で、思わず事態を見守る事しかできなかった綾美ですら叫んでいた。




 「錬! もう、止めて!」

 「………月河?」




  ポツリと綾美を見て、錬は驚きながら呟いた。

 彼の驚き方はまるで綾美ではない誰かを見たみたいに。


  その間にも黒の魔王の絶対的な魔法が完成へと近づいていく。


  昼夜が錬を抱きしめたまま、ゆっくりと式をくみ上げる。

 式事態は単純だが、これしか状況を打破する手段が思い浮かばなかった。

 この場所事態がこの状況を踏破する。




 「因果を超え…論理を無視し、摂理を砕く…」

 「間に合え… 回れ、天麒輪!」




  その時、世界が止まった気がした。

 音が無くなり、自分の感じている感覚すら不信感を覚える。




 「これは白の…!?」

 「過去よりの痛みを今に示せ、過去視!」




  錬を抱きかかえたままの昼夜の薬指に、その指輪が出現していた。

 美しい白をメインカラーにした指輪。

 それを見た白見が顔を青くして、その名を呼んだ。




 「天麒輪、まさか……」




  世界が歪んだ。

 時間という概念そのものが、回る天麒輪とあわせてありえない流れへと変容する。

 ぐにゃり、そんな擬音が似合いそうな異様な変化。

  術を行使した本人である昼夜を除く皆がその流れに引きずり込まれる。

 錬と綾美はともかく、魔王たる白見すらもその流れには抵抗する事が出来ない。




 「くそ、今一歩のところで… 昼夜め…」



  錬が“錬ではない声”で罵る。

 だがその罵りも流れの前に霧散して行った。











  気づいたとき、白見は町の中に居た。

 その町を見渡して彼は思わず悲鳴を上げる。

 なぜならその町こそ、彼の罪なのだから………




 「うああああああああああああああああああああああああああああ!」




  その場所で母と共に歩む子供を見たとき、彼は自分の罪に刺しぬかれた。











  彼はいつもどおり、この茶屋で依頼人が来るのを待っていた。

 茶を飲んでくつろぎながらも刀を離す事はできない。

 もはや自分の体のようにしっくりくるそれを手放すなど彼には想像もできなかった。

  そんな彼を錬は彼となって見ている。



 「遅れたな、お前が件の………」

 「はい月河月美と申します」



  彼の前に現れた巫女の少女。

 彼女は鷹のような目を持つ彼に、恐れなど感じず話しかけていた。

  そんな彼女を綾美は彼女になって見ている。

 二人ともそれが誰なのか、もう分かっていた。




 「貴女が荒神信吾殿ですね」

 「ああ、そうだ」




  荒神信吾はそう返しながら立ち上がった。

 彼は退魔師の組織たる『群雲』に所属する剣客。

 異様なほどするどい感で、確実に戦闘がある事件のみを取り扱う凄腕だ。

  月河月見は彼の目をじっと見つめている。

 彼女はこの近くの神社にて人外殺しの巫女神を守っている巫女。

 その弓と術によって巫女神を守る人外狩り。

  そして二人とも、それぞれ錬と綾美の前の存在。

 過去視により記憶を受け継いでいない錬達にもそれは色濃く刻み込まれる。

 前世の記憶が無いはずの二人に語りかけていた………








次回 縁の指輪 
負の壱の指輪 一刻目 心無き巫女の神












作者蒼夜光耶さんへの感想、指摘等ありましたらメ−ル掲示板に下さると嬉しいです。