志麻恭司の朝は早い。
彼は一般人が起きる前より起きて家の支度を全て行う。大体4時前後には起床しているだろう。
彼にしか出来ない仕事。それは電気ポットの中に水を入れお湯を作っておくこと。食材が仕舞われている棚か
ら食パンを取り出しておくこと。リビングのカーテンを開けておき、窓を開け換気を良くする事だ。
全て精錬された無駄のない動き。言い換えるのならば匠の技である。
「おはよう」
<辛いと思ったことは無いのですか?>
「特には。好きでやっている事だし」
この少年は志麻恭司さん。自称13歳。彼はごく一般の中学生と思われがちな少年である。
<何処か行くのですか?>
尋ねると彼はどことなく恥ずかしげな表情を浮かべながらこう言うのだ。
「毎日してる事だし、もう日課だからね」
<まだ日も出てないのに、すごいですね……。あ、待ってくださいよ!>
「あ、ごめんごめんいつもの調子で忘れるところだったよ」
<酷いです!>
「あははは……」
身支度を整えた彼が向かう先。は、特に無いという。
とにかく、自宅であるマンションの階段を急ぎ駆け下る。そのままエントランスホールを抜けた先にはまだ闇
が周囲を占めるような姿を見せる、海鳴市の街並みが見える。
彼は深呼吸をし軽く屈伸運動を始める。
<体を使うのですか?>
「うん。ちゃんと準備運動しないと体がビックリしちゃって大変な事になるからね。やっぱりこういう事は入念
にしておとかないっと」
<もしかして結構危険とか?>
「そんな事は無いよ。日課なんだし今だってこうやって五体満足でピンピンしてる。だから大丈夫さ」
<はぁ>
彼は笑いながら私にそう告げると仄暗い整備された道路を走る。と、思われたが数メートル動いたところで急
に彼は何もない通路で立ち止まった。
「……やめようか、N○K職人番組の真似」
<持ち出してきたのは貴方でしょう!?>
笑顔過ぎて何故かやりきった顔だったからか、はたまた呆れていたのか。その時は私自身何も言えなかった。
「甘いスイーツにご用心」
起き抜けの身体に鞭打って早朝ランニングを10キロ程をこなす。
帰宅してから俺がやる事といえば、母さんが起きる前に朝食を用意しておく事だ。どの道俺に出来るメニュー
なんて物は限られているので、何を作っても母さんは特に何も言わない。
こうやって朝にランニングするのを日課にしてから朝食は基本、俺が作る事が出来る洋食と限られているのだ。
パンをトースターにセットする。ちなみに我が家ではサイフォン式などという高度な技術を使ったコーヒー
メーカーではなく、ごく一般家庭にある機材を使ってコーヒーを作る。
このコーヒーメーカーで作ったコーヒーだが、基本的に12時間以内に飲むといい。勿論酸化していくので酸
味が強くなっていき風味もまた格段に落ちていく為、好ましいのは2時間から3時間といったところだろう。
「誰を想像して説明しているんだってつっこみ受けそうだ。すぐ飲むから作る分量は2杯分だけどさ」
俺が二度寝するまでには若干時間が残っていたので今日は自分の分だけ凝った奴に変えてみようと思う。変化
するという程大層な物じゃないけれどね。
食パンを少し大きめなカップか何かで押し付けて型を取る。ちなみに取った方はそのまま口にいれ、食パンの
真ん中に穴をあけた状態のを使う。
フライパンを用意して弱火から中火くらいでバターをのせ温める。フライパンが温まったらパンを置く。そし
てそのあいた穴めがけて生卵を投入する。
後は簡単。卵が少し固まったらひっくり返して両面ともに焼く。実際焼くというには程遠い表現だけどこれ以
外に思いつかなかった。
「よっし、完成」
半熟卵の状態で仕上げたパンは何もかけずにそのままナイフを使って切り分けながら食べる。
「簡単な割に美味しいんだよね」
砂糖3個、ミルクを入れたコーヒー片手にもっきゅもっきゅと食べていく。
この間は家に居て急な来訪者かと思ったら、実は誘拐犯だったっていうオチはもう勘弁して欲しい。今日は何
処か出かけようかなと、思考の先が逃げに走るほど先日のはトラウマだ。
実のところあの日は朝から恐怖しか感じ無かったか物だから、あまり記憶から呼び覚ます事はしたくない。
と思考が停止しかけた時に自分の部屋ではないドアの開く音がする。
「ふわぁおはよう。準備は?」
欠伸を隠すことなく呆けた顔をしたまま現れたのは志麻美咲、俺の母親だった。
齢にすればもういい年齢だとは思うけれど、そのようは感じは一切見せず。
どうにも俺が小学校入ってから全くもって容姿が変わってない気がするのは、贔屓目に見てもちょっとあり得
ないと感じてしまうのは人間だからだろう。
言ってしまえば美人の類だ。色々とお得なのだろう、容姿が優れているというだけでもそれは武器だ。
だが考えても欲しい。今、俺の目の前にあるのはだらしなく着崩してしまったパジャマ姿の母親。という事が
現実なのだ。
「そこにあるよ。後はいつもどおり適当にね」
ロングヘアーにもなる黒髪をなびかせて歩く姿は美しいと感じるが。同時に今の格好は誰にも見せない方が世
の中の幸せに繋がるのではないかな、と考えてしまう。
「はいはーい、っと今日もちょっとだけ遅くなるから晩ご飯はよろしくね」
「うん、厄介事?」
「ま、ちょっとね」
最近、そんな母さんの仕事が夜遅くまでかかる事が多い。
ここ3日前くらいからか連日夜中になる前くらいだかに帰ってくる。大変だなと他人事のように思えるけれど
俺の為でもあるのだしそこは何も言わず心の中でがんばれ、と呟く事でしか俺の気は紛れなかった。
「うん分かった。あまり無理しないで」
「ふふん私を誰だと思ってるのよ、ちゃっちゃと済ませて帰ってくるわ」
「はいよ」
「あ、そうそう先日の事を聞いたけど。アンタ達の痴話喧嘩、後処理にエイミィさんたちが総動員だったらしい
って聞いたわよ? 何やったのよアンタは……。まさか迷惑ばかりかけてないでしょうね!」
「なんだよその痴話喧嘩って……こちとら死にかけたんだよ」
むう、まさかここまで話が伸びてるとは……。
なんだろうトイレットペーパーがシングルのつもりで少し長めに取ってしまったら実はダブルで、無駄になっ
ちゃたなぁとかそういう無情な現実を省みているような、今はそういう気分に似ている。
しかし我が母に伝わっているのはよろしくない。手回しが遅かったか……つまりは。
「それ以上いけない」
これが俺にできる最大限の配慮かつ母さんへの忠告だ。知りすぎた人間が待っている結末は死だ。
しかし、これがお気に召さなかったのか母さんはあろうことか俺に近寄り。
「何言ってるの!」
そう言いながら片手を持ち上げて――。
「がああああああああああああああああ!」
わわ割れ割れるいいい痛いすっごい痛いなにこれ叫ぶしかできああああああああ!
「まったくどうしてこういう子に育ったんだろうね」
「おーおーおーおーおーおーおー!」
<それ以上いけない>
「ただしいネタは用法、容量を守って正しくお使いください」
「母さん酷いや!」
「おーけー青二才はごーとぅーほーむ」
「帰っとるわ!」
「日常のスパイスに貴方も……れっつあーむろっく!」
「そんな痛い香辛料は出さずに戸棚にしまえ! ああもう寝る!」
痛い。
凄い痛い。どう痛いかって言えばいいのか表現に困るけど例えば部屋を出ようとして、それに対してその部屋
へ入ろうとする反対側の人がいきなり扉を開けて、見事なまでに扉に額をぶつけてしまうくらいに痛い。
「ありゃりゃ行ってしまった」
そんな声が背後から聞こえた気がするが気のせいだ気のせい。多分気のせ――。
「ならば隠しておいたあの秘蔵の和菓子的スイーツを仕事前に頬張るとしよう」
「何してんの。早く俺の分も出してよ」
いいか甘い物とはすなわち正義だ正義に従って何が悪いというのだろうか人とはおおまかに言ってしまえば動
物そのものだからこそ本能に抗う事はそうそう容易い事ではない目の前に飛び出された餌に全力で釣られるそれ
が人間だ利口だからこそ餌はしっかりいただき危険すら排除する事が出来る動物なんだ。
「何か真剣な事考えてるつもりでしょうけど、それただの屁理屈よ」
「ほほろ、ほははいへほ(心、読まないでよ)」
「……はぁ、どうしてこういう子に育ったのかしら」
幸せである、まる。
起きた。
「起床、外は晴天也っと。んなー」
ベッドから上半身だけを起こして全身で伸び。んぐぐぐぐぐ。
「9時前か、いい時間だし着替えて――今日はどうしようかな」
<たまには向こうの訓練でもしてみたらどうですか?>
「それもいいんだけど俺って一応客室にいる客みたいな扱いだから、そういう施設って使うのにも手続きが面倒
なんじゃないかなとか思ってるんだよね。こういう事であまり我が侭言うのも何だし」
<それはまた殊勝な心がけで>
「……随分今日はとげとげしいじゃないかルージュ。何だ彼氏にでも振られたか」
<何処をどう見ればそういう思考にぶち当たるのか、一度その脳みそを分解して二度と組み立て出来ないような
状態にしてから調べたい物です>
「よいしょっと。むむ、ご機嫌斜めで」
着替を終わりバングルになっているルージュを右腕に付けてこれからどうしようかと考える前に、大分言葉が
ツンツンしてるルージュのご機嫌を取る事から始めたほうがよさそうな気がしてきた。
「ルージュがまあそう言うのだったら、とりあえず色々と動いてみますかね」
<はあ……まあいいですけどね>
なんとなく分かった気がするのは、なんだかんだとルージュとの付き合いが長くなってきた証拠でもある。
大層長いって訳じゃないけれど、友人関係としての付き合いという意味合いでは十分な期間だろう。
事実、今こうして機嫌が悪くなったのも俺が魔導師として訓練しないという事に対して憤りを感じたのであっ
て、別段ルージュ自身に何かがあった訳じゃない。
要はこの短い間で2人にぼっこぼこにされたのが気に食わないのだろう。
最終的かつ短絡的に要約すれば『こうやってわざわざ私が力貸してやってるのにあの小娘達くらいに何で勝て
ないんだよこのウスノロ童貞』という、まあなんというか辛辣なお言葉が混じっているのである。
「とはいったものの、何処から攻めるべきか」
<単純に一番偉い人にコネがあるのですから、そこから攻めてみるのが定石じゃないのでしょうか>
「それが手っ取り早いか……。ただなぁ、クロノにはこれ以上借りを作りたく――」
<その台詞は貴方がSランクの魔導師くらいになってから吐いてください>
「はい、すいませんでした」
こうやって簡単にSランクくらい、なんて言えてしまうのがルージュだ。いやはやまったくもってどうしたも
のだろうか。
ただ事実借りを作りたく云々というのは口実であって、単純にクロノにお願いするのが苦手なだけだ。
どうしようかなと考えたところでリビングの電話が鳴り響く。
『ツッコミ不足なある意味浮浪男児になりかねなさそうな性格をしている志麻恭司という男が住んでいる家の電
話番号はここでいいのか』
理不尽だ。
電話を取ったら酷い言われような志麻恭司くん哀れ。
「矢継ぎ早にありがとう。しかしながら俺は敢えて問いたいそもそもにツッコミ不足ってのはアレかアレなのか、
つまるところネタに対して全て受け流すのでなく身体張って受け止めた上で世界にそんなボケを垂れ流すなよと
かそういう形で表す生き方をすればそのカルシウムが不足しています的に簡単に言われる事が無くなるんですか
ねえ」
『浮浪男児についてツッコミは無しか』
「そこまでつっこまなくちゃ不合格ってか!?」
『不適合だ』
「否定されたよ存在そのものを、酷いやこの言われよう! なんだ俺が悪いのか、実はそんな俺が悪いのではな
くて世界が悪いじゃないかって最近思うようになってきてやっとこの性格でも許容されてるんじゃないかってほ
っとしていたところだったのに!」
『はんっ』
「鼻で笑われたー! 畜生、お前が大事にしてるあの写真をエイミィさんにバラすぞおらぁ!」
『おいバカやめろ』
「で、何のようだクロノ」
電話の主はさっきまで話題にあがっていた悪ガキ青年クロノ・ハラオウンだった。
ガキなのに青年という矛盾にはツッコミはいれちゃいけない。お兄さんとの約束だ。
『君とのやり取りは本当に疲れるよ』
「楽しんでるくせにぃ」
ブツッ。ツーツーツー
「なんだよ切るほどに衝撃的な事実を突きつけられたってか!? 照れ屋だなぁクロノくぅん」
3秒。
『呆れて物が言えないくらいだよ志麻。君のテンションにはついていけない』
「逆に申し上げますが、結局3秒ともせずに電話をかけてきた貴方に私はむしろ関心を覚えてしまうほどに感動
しているくらいなのですが」
『安い感動だな』
「おい誰が安物の危険牌だって!」
『そこまで言ってないだろう!』
「どうせ俺は居酒屋で一番最初に頼んでもないのに出てくるお通しみたいな存在だよ!」
『君は未成年だ!』
「誰だよ俺が草餅についた草みたいな存在って罵った奴! 出て来いオラァ!」
『そりゃ食べずに捨てるけど』
「ゴミだってばよ!?」
『埒があかない!』
「で、なんの用事?」
『ああ……あ、そうだな。とりあえず僕が悪かった。なんていうか僕という存在そのものが君にここまで負担を
かけているとは思わなかった』
「……実は半分以上思ってたんだろ」
『全部だ』
ブツッ。ツーツーツー
『君は本当に疲れるな』
「お互い様だ」
一番最初にクロノから電話がかかってからまだ5分と経っていない辺りが怖い。
用件が中々出ないのは、言い難いからかはたまた渋っているからか。
「わざわざ携帯にかけず家にかけてきた辺り意味はあるのか」
『特に無い』
「電話切りますよ」
『待て待て謝るし用件も言うから切るのだけはもう勘弁してくれ』
「何で?」
『電話料金が無駄にかか――ツーツーツー』
「ざまあ」
2秒。
『僕に恨みでも!?』
「その喧嘩買ってやる!」
『よし売った!』
「クーリングオフ」
『分割金利・手数料は時空管理局が負担します!』
「その発言は録音されているので、脅し文句ができたな。リンディさん辺りで対クロノ脅は――ゲフンゲフン。
交渉材料に使わせてもらおう」
『ぐぬぬ……』
「おーおー憤ってますなあクロノ君。で用件は」
『ちょっと面貸せや』
「何処で学んだその日本文化。あー言わんでいい、なんとなく想像はつくから。後で関西弁話す子にはおしおき
ですねぇ、はい」
クロノに変な日本文化を教えた子には痛い痛いさせないとダメだなあと思いながらも、その時はクロノに会う
のだから都合がいいやとか思っていた。
だけどそんな自分を未来の俺が見たら殴ってでも止めたかもしれない。
こうして俺はひとまずクロノがいるアースラへと向かうことにしたのであった、まる。
アースラに到着。どうやって来たかって?
言わせんな恥ずかしい。
「ようこそアースラへ」
「そのエ○ァのモノマネやめような。みっともないぞ」
「艦長代理を捕まえてみっともない呼ばわりはどうなんだ? 威厳もへったくれも無いな」
「その大仰そうな威厳っていうのを軽々しくジャーマンスープレックスしてるクロノが言う台詞じゃないだろ」
「ごもっともで」
用事も何も言われずただアースラに来いと言われたので、言われたままに来たけれどどうしたものか。現状で
は私服姿でウロチョロしてる一般人が、軍艦に迷い込んだような様相をかもしだしている。としか言いようが無
いだろう。
対して仕事がオフと聞いていたクロノが何故だか制服を着込んでいるのだ。いや、まあ艦長代理なのだから流
石に私服でうろうろしていい場所でも無いか。
そういう問題じゃない気がするけれど。
「とりあえずどうするんだ」
「ああ、ひとまずはアースラを本局に移す、話はそれからだな」
「つまり俺も本局に行っていいって事?」
「そういう事になるね、本来ならば正式な立場でない君を連れて行くのは正直なところ本局の人には快くは思わ
れないだろうけれど、あれから1月が経とうとしてるんだ、流石に心構えも変わってきただろう」
「前回来たのは魔力検査とか、あまり思い出したくない戦闘の記憶しか無いな」
ルージュ貰ってからすぐに駆り出されたもんな。何が何だか分からないうちに連れだされていたからずっと混
乱しっぱなしだったさ。
まさにど田舎に住んでいてそこが世界だと信じていたのに、急に都会へ行くことになって、連れていかれた世
界は自分の信じていた世界とまるっきり違っていたと突きつけられたような、そんな心境だった。
その後は大層凹まされたな。
「確かに気持ち的には落ち着いたかな。大体なのはとかフェイトが異常なだけであって俺が特殊じゃないって事
が一番理解できたし」
「まったく。あんなのがほいほいいられたら、こちらが困るくらいだ」
「だろうなぁ」
お互い苦笑するしか無かった。
想像するだけでもただ負けたという気分よりも、ああ次元が違うんだなっていう大まかな印象でしか記憶にな
い。単純な力比べで負けた上に勿論小手先の技術っていう奴でも負かされた。
この春休みで実際に戦ってみて理解した。
理屈で理解したのではない。体験してみてこれ以上とないくらいに心と身体で理解した。
世界が違う、と。
「でも諦めたつもりはないんだろう?」
「勿論だよ。だってさ、負けっぱなしは悔しいじゃないか。誰にだって負けたくない気持ちくらいあるだろ、俺
たち男の子なんだからさ」
「僕は彼女たちに負けた覚えはないけれどね」
「畜生、あとで呪ってやる」
「先日の恨み忘れた訳じゃないよ」
多分、フェイトとの時だろう。色々とクロノ自身尊厳を失ったからな、人として執務官としても。
でもって勿論誰が原因かというのをわざわざ突き詰めたらしく、いきなり人を出会い頭にバインドで縛り付け
た挙句、俺の目の前で翠屋のシュークリームを5個も食べやがったのだ。
流石にあの時の俺は発狂していた。クロノを本気で生かしておくべきかとか、どう拷問してやろうかとずっと
考えていたものだ。
「あの時の涙は忘れないよ。ちょっと赤くなってたっていうのは忘れておきたいけど」
「俺も一生忘れることは無いな。あ、思い出したらムカムカしてきた後でフェイトとゲームしよ」
「妹は僕の妹だぞ!」
「やだわ。リンディさんにアレだけ虐げられた挙句にエイミィさんにまで白い目で見られたのに、まだこんな事
言ってるわよこの執務官様は」
「ぐ、ぐぬぬぬぬ」
「どうでもいいけど、そこ開けてくれないと入れないんだけど」
「ああ……後で覚えておけよ」
転送装置から歩いてブリッジに着いた。
中に入るとそこには意外と言えば意外な人物がすごいどや顔で俺達の事を待っていた。
「遅かったじゃないか。歓迎しよう盛大にな」
「どうしてここにいるんだ……」
俺が疑問に思っていると、その意外な人物と同じようにブリッジにいたエイミィさんが答えてくれた。
「私がクロノ君に頼まれて連れてきたんだよ」
「ああ、なるほどなるほどそれで……ロリっ娘がいるんですね」
「誰が犯罪スレスレですね、だ畜生! 死ねバカキョージ!」
「誰も言ってねーだろそこまで!」
獲物持って振り回している赤毛の少女、もとい夜天の騎士ヴィータの姿があった。そこから追い掛け回された
がクロノの一声でお互い怒られた。世界は平和だなと感じた瞬間でもあった、まる。
後、実は本局についてからの記憶が無いんだが、どうしてだ。
「冗談なら笑い飛ばそう、冗談じゃないなら説明を求めよう。狂気なら俺はこんな所にいられるか、さっさと家
への道を探して帰るぞ!」
『最後のは素晴らしいくらいのフラグだな。ちなみに正解は2番目』
そっかこれ冗談じゃないんだ……。
アレから特に何事もなくアースラは本局についた。
いや本局についたのはいいけれど、結局の所クロノから何故呼び出されたのかとか、本局に居ていい理由だと
か、まあ色々と説明されなかったのが気がかりだったのだけれどそれすら無視されて。
記憶を呼び覚ますと。最後はアースラが本局に収容されるのを見ていたっていうのが最後なんだが。つまると
ころ最終的に気づいたらこの部屋に立っていたという事だ。
スピーカー越しに聞こえる声が無機質にすら思えてくる。
俺は今、大きい部屋に閉じ込められている。どれほど大きいかと言われると大体アリーナくらいの大きさか。
いや大きい部屋っていう言い方は違っているだろうな。
その部屋の対角線、更には視線を上にやるとそこにはその部屋全体を見下ろせる別室があった。勿論ガラス張
り――と思っていたのは俺だけで実際には違っていたらしい――なので俺がいる部屋の様子が丸見えの状態。
これは拷問だ。
『人聞きの悪い事を考えてそうな顔をしているが、冗談でも無いし狂気でも勿論無い。当然ながら喜劇でも無い。
紛れもない真実でこれが現実だ。直視して戦えリアルと。付きまとう仮想を脱ぎ捨てて目の前に見える壁をぶち
壊せ』
「適当な事見繕って誤魔化してるんじゃねえぞクロノ!」
『ははは、では僕はこれから本局でちょっとした事務仕事が残っているのでね。後は彼女に任せよう』
高見の見物状態だったクロノは部屋を退出したのか姿が見えなくなったと思えば、クロノと入れ替わりで入っ
てきたヴィータが口をにやりと歪ませながら俺も見た。
出てきた言葉は正直耳を塞ぎたくなる思いだったが。
『紹介された彼女だ。キョージ、君にはこれから戦ってもらおうこの現実と』
なんだろうこの理不尽さ。
「ああ、そうだな。いい加減逃げ腰じゃ行けないよな。何にしたって今あるのは夢でもなんでもない紛れもなく
現実だという事を――で納得できるかバカヤロー!」
『しょうがないなぁキョージ君は』
「バカにされてここまでコケにされてその上この仕打ってどういう事なんでしょうかねぇ!」
『にやにや』
「そういうのは口に出していう事じゃありません!」
ニタニタ口を歪ませて笑っているのがここからでも分かる。意地の悪い笑い方だ。
ちなみに理不尽というか、俺が現実を直視したくない理由の元凶はコレだ。
「ぷにぷに」
「可愛い生物だけどありえないよな。ああ、ありえないともありえんし、絶対的にありえる事は無い」
『変な活用してないで見るんだ。そうしてもってそいつと闘って勝て』
「どう見てもコレ、あのスラ○ムじゃないですかー!」
俺の前方にそこまで大きくない青い生物がふよふよと柔らかそうな身体を動かして、こちらを見ているのであ
った。
どうしてこうなった。
「説明!」
『説明しよう! このバーチャルエクスペリエンススペース。略してVEisでは部屋主の思考能力を介してリアル
化された敵対行動を取る何かが産まれる。生まれた何かは必ずその創造主に対し敵対心を持ち、また確実に攻撃
を仕掛けてくる。故にその疑似体験と共に危険を乗り越え、想像した物に打ち勝つことによって精神的な余裕を
得ると同時に、創造主本人の戦闘能力を高めるという効果を得ることが出来るのだ』
「ヴェイスねぇ……どうでもいいけど過程すっ飛ばして話すと。つまり目の前にいる奴に勝てばいいんだな」
とりあえず話半分に説明を聞いたが、ヴィータ本人も分かってないのかとにかく渡された文章をそのまま読ん
だらしい。なんとまあ都合のいい代物だろうか。
『最初はレベル1からだ』
「レベル1ね、最大いくつまであるんだ」
『レベル5らしい』
「手間が省けたというか、本当に都合がいいように物事が進んでいくな。不気味とも思えるよ」
『何か言ったか?』
「なーんにも、さて魔法無しにやってけないんだろう。ならさっさとバリアジャケットに」
『がんばれよキョージ』
待機モードからルージュを起動させて構える。
自分が想像したとはいえ得体の知れない物に違いは無い。まずは様子見で。
<さっさと倒してレベル5まで行きますよ>
「俺の作戦完璧にスルーですよね!」
こうなりゃやけだ。
ツインファクシで一気にクロスレンジまで迫り青い物体を蹴り上げる。
抵抗も無しにふわりと上空へと舞うス○イム。間髪入れずにツインブレイクを詠唱即発動して跳躍。上空から
かかと落としの要領で叩き落す。
「ぶに」
潰れた声――声といっていいものかどうか悩みどころだが――と同時に青い何かは掻き消えていく。
『レベル1クリア。はい次行くぞ』
「おめでとうの一言も無いんですか!」
『そんな事してる暇があったら次行くぞ』
「畜生、夢も希望もへったくれも無いなこの世の中!」
そう冗談交じりな泣き言を言っているとそれが気に食わなかったのだろうか、あろうことにルージュが。
<ヴィータさん次レベル4でお願いします>
「おいいいいいいいい!」
飛び級っていうの優秀な人がするんじゃないのカナー。
『おっけ』
「何承諾してるんですかー! うわー何か目の前人形になっていく光が見え――」
『うっわー』
「うっわー」
目の前に現れたのは
俺はおろか、それを見下ろすヴィータも流石に引き気味な笑みを見せているようだ。
「なあ、これどういうのを対象に想像されるのを選択されてるんだ」
『今調べてる………………納得だ。主な構成材料は恐怖』
「これ当の本人に知られたら、悲しまれるんだろうな」
『アタシならとっとと逃げるに限るな』
白い、白い人がいるんです。
ツインテールで、赤い色をした宝玉を携えた杖を持った、そんな人。
「どうにでもなりやがれ。来い、偽なのはぁ!」
「悪魔で……いいよ。悪魔らしいやり方で話を聞いてもらうから」
『――ガクガクブルブルガクガクブルブル』
「お前が震えるんかい!」
すかさず構える。以前戦った時は寝不足の明らかに思考能力が低下したなのはが相手だったから隙をつけたん
だ。
今のなのははそうじゃない。
恐らく俺がなのはに恐怖すら覚えた出来事。それがあの闇の書事件の資料を映像で見せてもらった時の彼女だ
ろう。
彼女は魔導騎士と呼ばれる人たち相手にほぼ互角かそれ以上の強さで対抗し、そして最終的に彼女たちの納得
が行く結末に辿りついた。いや納得せざるを得なかったというべきか。じゃないとあの人たちが堪えた物を台無
しにしてしまう。
なのははいつもの時なら恐怖すら感じ無い、いい子だ。
だけどこの時のなのはは違っていた。自分の信念を自らが信じた想いを貫くために騎士たちを相手にした時だ。
「恐怖だけじゃないなこのVEisってのは。羨望も入ってるし、そしてなによりも美しいとも感じた。そう敢えて
言葉にするのならば驚嘆にも似たような感情だ」
「行きます!」
無限にも近いこの時間の中で、俺は自らの憧れと戦う。
これほど――
「嬉しいことはないだろ!」
「ディバインバスター!」
手加減一切無しの砲撃魔法。それが彼女らしさのいい所だ。
「全力で相手になろう。俺が勝てないと本気で思うまでずっとだ!」
避けきれない。無理だ、諦めよう。
馬鹿かそんな簡単に終わらせられるものかこんな楽しくて面白い事を。
ヴェールズシェルのシールド版を両手を使って展開。今俺が出来る最大限の防御を今ここに。
「ぐうううううううううううううう」
押し切られそうな勢いを持ったなのはのディバインバスターを、真正面から受けきる。バリアブレイクすらす
る彼女の魔法を受け止めつつ、構成が甘い部分の流せる魔力は全て受け流しながら。
ルージュのお陰だ。ルージュがいるから俺の集中力は全て受けきる事に専念出来る。受け流しているのは専ら
ルージュがしてくれている事だ。
叫ぶ。心の底から。
「っ負けられないだろうが!」
弾くことに成功。だが油断は出来ないなのはの事だ、すかさずやってくるだろアレが。
「アクセルシューター」
<防御ばかりじゃ埒があきませんよ>
「分かっている!」
詰将棋でもしているかのように正確に、また確実に戦場を支配していく。それが彼女のロジック的思考能力だ。
だが距離が離れているからこそ出来る芸当。この空間自体は部屋だ。戦えるほどの空間のある部屋だが、それ
でも距離は有限。
ツインファクシを使って一直線にそれこそ超スピードでなのはに詰め寄る。
「あれに対抗できる魔法はあるか!?」
<あるにはありますが、流石にツインファクシ使いながらじゃ制御しきれませんよ>
「なら任せとけ」
空中にいたなのはとの距離を詰める。詰める詰める瞬間的な勢いでその差を無くす。
止まる事はしない。止まればなのはが生み出した魔法の餌食だ。
勢いを止めることなくそのまま跳躍したまま、なのはを横切る位置でツインファクシを止める。そして飛ぶ事
によって出来た慣性に身体を任せたまま方向転換。
<グレイプニル>
慣性を殺さず生かしたままだ。そしてなのはの方に向き直り彼女に対してバインド魔法をしかける。
白く細い魔法による鎖がなのはに向かって走る。
<捕縛>
「ふっとべ!」
なのはを捕まえた鎖を掴んでそのままスイングの要領でなのはを放り投げる。
投げるつもりだった。
「うおわあああああ!」
<あの一瞬で拘束を解いたのですか!?>
油断していた訳じゃない。でも何処かで慢心があった。なんとかなるんじゃないかと。まったくもってそれは
意味を成さない思考だった。
超スピードのまま俺は天井に背中を打ち付ける。
「かはっ」
スピードで優ったところで、何もならない。ただ相手より速いだけ、速いだけでは相手に勝てない。
例えそれがフェイト以上のスピードをもってしても、届かなければ無意味だ。
<来ます>
何が来るってそりゃあ。
「うぐおおあああああああああああああああああああああ」
なのはの魔法が無慈悲にも天井で動きを止めていた俺に降り注ぐ。
1つ1つが重い、苦しい、泣き言だけ言いたくなる。何よりも届くことすら出来ない自分が情けなくて悔しい。
全弾が俺に当たる。身体動かねぇ。重力に逆らうことなく俺は地面に叩きつけられる。
「は、はは……だらしないよなぁ男の子。だらしねぇ」
『………………』
「ヴィータ何も言わないんだな。茶化さないんだな。ずるいよヴィータ。何も言わないっていう事はさ、分かり
きった結果を見ているって事だろ。経過すら見越して結果を見ているんだろ」
『キョージ……』
右手を握りながら、悔しさを隠さずに俺は立ち上がる。満身創痍とまでは行かないが、十分なダメージだ。身
体は勿論、心にもな。
「言ったろ、勝てないと心で実感するまでは挫けるまでは戦い続けるって」
「まだ動くんですか……もう抵抗はやめて下さい」
それにしたってどういう形で俺となのはが戦っているんだろうか。それが気になった。
「なんだかシチュエーション的には俺が犯罪者チックだな。じゃないとなのはが対立する理由が出てこないから
か?」
『設定的にはキョージが女教師に迫った挙句既成事実を作ろうとして女教師に覆いかぶさった所でなのはが登場。
その後なし崩しに何故そうなったのかを問うために魔法を使ってでも聞きただす。っていうシチュエーションら
しい』
開いた口がふさがらないとはまさにこういう事だろう。でもやらなくちゃいけない。
ツッコミは。
「細かいな、おい!」
『ツッコミどころが違う気がするんだが……』
でもそういう事すら今の俺には関係が無い。
「でもさ、どうだっていいんだそんな事。それより、なのはを倒すのが一番やりたくてしょうが無いんだ。勝ち
たいんだ勝ってみたいんだ無理だと無謀だと叫ぶよりも、それすらも超えて最後に立っているのがどっちなんだ
という極限を体験したいんだ」
『お前もシグナム並に、呆れるくらいバトルマニアだよ』
握る。冷や汗すら隠すように握る限界まで闘ってみたい。訓練のなのはじゃない、相手を知りたいと願う彼女
と闘う事がとても楽しい。
行くぜ、あのピリオドの向こうへ!
<志麻恭司先生の次回作にご期待ください>
「……生まれ変わるまで無理なのかな!」
<やれること、全部やりきる前に倒れないでください>
「おうけぃぼす。行こうぜルージュ」
<さっさと階段、登りつめてくださいね>
白い彼女が動き出す。
近接が弱点な彼女は確実に距離を測り、着実にこちらを包囲し、圧倒的な火力の元に相手をねじ伏せる。
だからって彼女が最強という訳ではないが、ここでは。
「俺が最弱で、なのはが最強……ああ楽しいね面白いね燃えるね!」
<喋ってないでさっさと対応してください>
「ツインブレイク」
弾丸を込める。届く、届かせるんだ。
「ツインファクシ」
速度で勝るならそれを利用しない手は無い。
全力で翻弄してやる。
「ディバインシューター」
「捕捉出来ないのなら、固めて一撃を狙うつもりの正攻法ならこっちにも手はあるぞ」
俺はなのはを中心点にして距離を詰めず翻弄するように直線で動き続ける。とにかく足を止めたら最後、なの
はが全力を尽くしてくる。だから絶対に足を止めちゃいけない。
それはさっきの事が物語っている。
なのはの周囲を何周しただろうか。それこそ数えきれないくらいにディバインシューターを振り切る思いで動
き続けた結果、なのはに隙が見えた。
「何処見てるんだなのは、行くぞ!」
背後を取った瞬間になのはへ向かって一直線。がこれは勿論フェイク。
反射神経が無いと思っていたのに、どうして反応してくるじゃないのなのはさん。背後にはディバインシュー
ターのスフィアがなのはを守るように2つ展開されていた。
それらに当たる前に俺自身が事前に展開していたフローターフィールドを蹴り出して90度右方向へと回避。
ディバインシューターは目標を見失ったまま直進して、掻き消える。
焦るな、これでもまだ足りないくらいだ。
回避先にフローターフィールドを展開、即座に先ほどと同じ要領で蹴り出して今度は180度旋回。目標は勿
論なのは本人。
「プロテクション・パワード」
「ぶち壊せぇ!」
例え盾が強固でも、盾である以上突破してみせる。だから俺はツインブレイクを付与した右足で思いっきり横
殴りに蹴った。
なのはのプロテクションにヒビが入る。これでもまだ、正直に言えば怖い。
ディバインシューターは全部で4つあった。目視しただけでも消えた事が確認できたのは2つしかない。
「くっ!」
「壊れる速度が遅すぎるんだよぉ!」
遅すぎる。これではなのはに防御以外の思考を与えてしまう。それが嫌なら。
「もういっぺん攻撃すりゃいいだろうが!」
蹴り抜ける事が出来ないのならそのまま軌道を逸らして身体をその勢いに任せたまま回転、左足でもう一度仕
掛ける。
なのはのプロテクションに入っていたヒビが一気に亀裂に変わった!
「これなら!」
「バリアバースト」
「どわっ」
防御に亀裂が走った瞬間だっただろう。俺の攻撃を防ぎきることが出来ないと判断したなのははプロテクショ
ンごと爆発を起こさせて俺との距離を取っていた。
あれでも間に合わないのか。
「レイジングハート、バスターモード……ディバイン――」
行動が速い、絶対的にズレている。確実に俺となのはの間に認識のズレが生じている。実力が確実に想像して
いる以上の速度で違いが生じている。
「バスター!」
違う。最初から違いなんて分かっていた。ただつもりだっただけだ。
防御する。そこまでの強度をもつ防御魔法はもう使えない。なら回避する。故にツインファクシで横っ飛びす
るように避けろ。
瞬間、肉薄する桜色の魔砲。
まるでその空間にいた物を消失させるような威力。これが、彼女の得意としている最も簡単な砲撃魔法。
なんとか回避できたと安堵した時にはもう遅い。
「冗談じゃな――に」
「バインド。もうそこから動かないでね、君速いから」
ここまで読み切れるのか、あのなのはが。日常の姿じゃ想像しきれないなのはの姿が目の前にある。
「訓練という驕りなのか。いいや違う。そうやって現実を直視しなかった結果がコレだ。強いなぁなのは」
「全力、全開で――行きます」
なのはの眼前に俺が今までに見たことが無い大きな魔法陣が描かれている。
巨大な桜色の魔法陣。彼女のもつレイジングハートが周囲の魔力を掻き集めている。これが、あの。
「くっ、バインドが抜けれない!」
肌がビリビリする。アレから逃げろって本能が訴えてくる。耐えられるのなら耐えてみせろってなのはが全力
で撃ってくる。アレを、撃ってくる。
ならバインドから抜けるまでの時間を稼げ。
なのはが今しているのは。
「魔力を、吸収。違うこのフィールドに霧散した魔力素子を無理やりかき集めて収束させて自分の魔力と合わせ
てるのかこれは、これなら」
<バインドの構築を見破るのに時間が足りません>
「逆だ、そうだ逆流させれば」
<何を考えて……>
利用しているものがあくまでなのはだけならそこまで威力が出ない。もしくはチャージする時間が延びる。と
仮定すれば俺が全力を尽くすことはただ1つ。
勿論なのはの魔力をチャージし続けても同じ結果になるんだろうけれど、それでも時間稼ぎにはなるだろう。
やってみる価値はある。やらない意味は無い。
「霧散した魔力を吸収してチャージしているのならば、チャージする時間を延ばさせてもらおうか」
<時間稼いで――そうですかこちらでも全力を尽くせと>
「流石ルージュ。理解が早くて助かるね。こっちはこっちでやってみるよ」
構築するのは理屈じゃない、感覚で全てを理解しろ。
目の前に正解がある。真似るのは苦手じゃない。むしろ今まで誰かしらの動きを真似てきた。だからやれない
事はない。むしろ出来ないのならそれこそ本当に落ちこぼれのままだ。
理屈や理論で理解するのは苦手だ。だから全部思うがままにしてきた。だったら、諦めるな俺。
集まる魔力はほぼ桜色をしていた。
今もやってる、やってるんだよ集まれよじゃないと俺が倒れる。ルージュにも言われたんだ、やれることやり
きらずに倒れるなって。
「見えない、魔力が集まって……俺にもっと」
桜色の魔力から、少しづつ白い魔力が見えた。
分かった。理解出来た。これが周囲の魔力を集める方法。
出来た。出来たんだ。
「少しだけ時間稼げるのか、だけど集めた魔力どうする」
<どうするも何も自分で考えた魔法でしょう、どうにかしてください。バインドもうちょっとです>
「これ、感覚で、どうにか……もうちょっと掴めそう」
時間は稼げたけど、それでもなのはのチャージは止まらない。それどころかもう時間は無い。
俺の右足にいつも以上に大きい魔法陣が描かれるが、もう間に合わない!
「全力全開、スターライト――」
<動けます!>
「穿ち――」
互いに出来た魔法が放たれようとする。
収束したこの魔力を放出するなら、俺に無い弱点を補う形で可能になる魔砲という魔法を完成できる。
だが、圧倒的に俺の力量が足りてなかった。
「放て、なあっ!」
『マズイ!』
魔力が、暴走する。
制御しきれない。
「俺じゃ無理だってのかよ。目の前にいるのに!」
「ブレイカー!」
俺が見た最後の景色は、足元からあがる白い爆発と目の前に広がる桜色の織り交ざった、そんな自分の不甲斐
なさを象徴するかのような風景だった。
「騙してたって割にはこの見返りはちょっとないんじゃないかな?」
「悪いって言ってるじゃんか。あっちの執務官が全部仕組んだ事なんだしよ。アタシは関係無いって訳にはいか
ないからこうやって食事を奢ってるんじゃないか」
「奢ってもらわなくちゃ俺食べられないじゃないか、ここでの通貨なんて持ってないし。第一にこっちの方まで
来るとは思わなかったから財布も何も持ってきてない」
「感謝すべし」
「生意気な事言ってると、ハンバーグ一切れ貰っちゃうぞ」
「あああああ、返せよ!」
ひょいとフォークでヴィータの皿から切り分けられたハンバーグを拝借する。死ぬまで借りるぞ。
そうしてるとヴィータが若干の涙目で恨めしそうにこちらを見るが、今回に関しては向こう側に非があるので
何も言えないのだ。
何故かといえばそれは先程までの茶番劇から説明しなくてはならない。
「ったく、人の事気絶させて勝手に出来立てほやほやなシミュレーション機材に乗せてテストさせた上に、その
事実を黙って有りもしないシステムの名前まででっち上げて、おまけになのはのアレだって特別製だって言うじ
ゃないか。ずるくねーかそれ」
「あー、はいはい。すいませんでしたー」
「ぐぬぬぬぬ」
そうなのだ。つまるところ俺は全部してやられたって事だ。
あのなのは自体は確かに偽物だという事に間違いは無いのだが、俺が戦っていたのは現実ではなくあくまで俺
の脳内での戦闘という事らしい。
実際の所色々と原理とか発生とかそういうのがあって。一応現実と変わらない体験を行えるのであのバーチャ
ル空間での出来事ほぼ全てが現実にフィードバックされるという事らしい。
痛みや苦痛なんて物もその場だけで、最終的にはダメージにならないとの事。
あれだけの惨事を起こしたのに、こうやって時間経たずにして俺の身体がピンピンしているというのが何より
の証拠であろう。
「最後は目を見張ったがな。まさか高町のスターライトブレイカー、その一端をそのまま吸収したんだからな。
後の方はお察しだったけど」
「うっせ。がむしゃらだったよあの時は、あの場合ならチャージ時間を多少でもずらす事が出来るかもしれない、
っていう予測だけで動いたからね。ほんと感覚だけで魔法を理解するってのは難しいな」
「出来る人間のほうが稀なんだがな」
「そういうもんなのかな」
「そういうもんなの」
お互いに昼食を食べる。
今の時間は昼の時間から少し遅くなった時間だが、本局の食堂ではまだ食べている職員の人たちが沢山という
程ではないにしろ、それでもかなりの席を埋めていた。
そこにはクロノの姿はなく、またエイミィさんもいなかった。忙しいのだろうか。
「ところでアースラ組はどうした?」
「執務官は上司に呼び出しくらってそのまま帰ってきてないらしい。その相方も本局にいた艦長に捕まってどこ
か連れ去られたらしい」
「らしいらしいと随分曖昧じゃないか」
「アタシだってキョージの面倒見てたからな、そりゃ情報収集も無茶な話だって事だ」
「へいへい」
実のところ本局に居ても有名人は有名人。
ヴィータ自身はもう慣れたのか、それとも諦めなのか悪い意味でも良い意味でも俺たちは注目されていた。
至る所でこちらを見てはヒソヒソ話。別に口の形を見て読心する必要が無いくらい、彼らの表情は全てを物語
っていた。
好奇の目に晒されるというのは、リスクを伴なう行為だ。
それこそ、対象が英雄のような扱いならばそれはそれで有名人というキャパシティを得ることが出来る。だが
それだけじゃない。勿論、逆も然りだ。
単純な好奇心からくる目や、嘲りや嘲笑すら交じるのはいわゆる恐怖という物。
得体の知れない物という好奇心に混じった恐怖が彼らをそういう目にする。
「ふぅん……」
なんとなく感じるけれど、それらはほぼ全てヴィータに向けられていた物だったが途中途中で俺にもその視線
がぶつかる時があった。まあ苦笑い気味に応えておいたけど問題ないだろう。
中学生の子供みたいなのが珍しいのか、はたまたヴィータの隣に居る俺という存在が何者なのか気にでもなっ
てるのだろう。そんなもんだ。
何も悪いなんて言ってない。俺もそういう立場の人が居たら気になるし知りたくもなる。
例え学校で管理局の制服を着た人間がいきなり転入してきて、さらには同じクラスの人間がその人と知り合い
だった、とかそういう感じだ。
「まあ本人がどう受け止めてるかどうかってのは露知らずってね」
「何ブツクサ独り言なんて言っちゃってんだ。気持ちわるっ」
「ちょっと酷くないかそれ」
「ははん、図星突かれて焦ってるんだろ」
「うがー!」
全然気にして無いみたいだし、特にこれといって害があるような感じじゃないからな。問題ないのだろう。う
まくやっているんだなヴィータも。
色々とこの春休み前に事情を聞かされて、それでもこういう関係でいられるってのは本当に貴重なのだろう。
楽しいと思う。
優越感からとかそういうのじゃなくて本当に打算的な物が何もない関係ってのは、疲れないし不愉快にならな
いし、何より心地いい。
俺は日常を守るが故にそういう事に気付けてなかったけれど。変わっても変わらぬ関係っていうのも本当にあ
るんだろうな。それがなのはの思い描いている未来なのかもしれない。
「ヴィータ、今楽しいか?」
「あん、いきなりなんだよ気持ち悪い」
「いいじゃない。楽しいかって聞いてるんだイエスかノーで答える簡単なお仕事だろ」
「何が仕事だ。そうだな、楽しいって言われれば楽しいだろうな。アタシ達が何者であろうが関係なく付き合っ
てくれる奴もいるし、それが気になって奇異の目で見てくる奴だっている。だけどアタシはこう思うんだ『悪く
ないなこういうのも』ってさ」
「そうか、いいんじゃないの。だから、そのプリン1個くれ」
俺の尊大な態度に何故か敬う事すらせず、苦虫を噛み潰したような表情になるヴィータだった。
「道理を通すならまず理屈からっていう格言を知らないのかキョージは。あと隙だらけだ」
「あん?」
何を言っているんだこの小娘は、とか生意気な事を思っているとヴィータが何を伝えたかったのか分かった。
視線を降ろした先、つまり俺の昼食があるトレイなのだが。こ、こいつは……。
「なんで俺のおかずないんですかねぇ、っていうか主食しか残ってねぇ!」
「ほはへははふひ(お前が悪い)」
「きちんと飲み込んでから喋……いいや吐き出せそれ俺のだろ!」
「んっく。やだキョージ卑猥」
「ちっくしょおおおおおお!」
無情にもコッペパンしか残っていなかった。おまけにデザートまで食べられてますよ。
分かったよヴィータ。君がこんなにも愛しいなんて思っても無かった……。
「だから表に出ませんかねぇ!」
「やだよ1人でやってこい」
「なんだよこれ。俺が不幸すぎて涙出ませんかね。ほらちょっと涙目じゃないですか」
「うっざ」
「ぬおおおおおおおおおお」
心底嫌そうな顔で言われた。なんだろうこの理不尽を通り越してもう怒りも悲しも生まれない。敢えていうな
ら無気力。そう無気力だ。
「うぼー」
「うわっ、キモッ」
「もうどうしろってんだよ!」
修正パッチ当てました。でも10割コンボは復活しちゃいました次回のアップデートまで待ってね。みたいな
感じで。そんな事露知らず。いたいけな少年がゲームセンターで格闘ゲームに勤しんでいたら。乱入されて、更
には封印されていた10割コンボを決められて、もうどうしたらいいんだろうかと。こう途方に暮れる様ってい
うのかな。
つまりはそういう事だ。
この世には神も仏も無い。
そんな事ばっか考えていたらヴィータが両手を上げて、似非外国人のような発言をした。
「タネモシカケモアリマセーン」
「あん?」
いきなり頭がおかしくなったのだろうか。なんていうか可哀想な子。とか思っているとその理由が分かった。
またしても先程と同じように視界を下に向けると、さっきまで何も無かったはずのトレイにおかずが全て綺麗
に戻っていたのだ。
「どういう事だってばよ」
「そのネタはどうなんだ、おい」
「すいませんでした」
「分かればいい分かれば。まったく馬鹿のように引っかかってすげぇ楽しかったぜ」
「理不尽だ。理不尽すぎる……」
この後、どうやってやったのかヴィータに問い詰めたが全然仕掛けを教えてくれなかったのは言うまでもない。
本局の人達もこういう騒ぎはやはり特殊だったようで、途中から退席する人が多かったらしく。ヴィータと俺、
2人共々リンディさんに呼び出されてこっぴどく怒られた。
怒られて、正座させられて。
で、気づいたら井戸端会議になっていた。
そうして、新しい訓練方法はまだテスト段階なので実装はまだ無理。かつ調整も必要との事。その間は別の訓
練方法で魔法の腕を上達させても構わないとお墨付きを貰った。
テストに協力した。という名目があった以上、俺の立場でも本局のトレーニングはある程度受けてもいいと上
からお達しがあったらしい。
裏で何があるのかは分からないけれど、存分に使わせてもらえるのなら何も言えない。
こうしてこの日から俺は本局に行くことが半ば合法化することになり。トレーニングも受けられるようになっ
たという事が何よりの戦利品だろう。
そういえばなんでヴィータだったのだろうか、暇だったのかな。っていうのを口に出したらヴィータに怒られ
た。何故だ。
そんな事でも日常のやりとりのように楽しんだ、まる。
本局から地球へと帰ると夕方を過ぎていた。予定していた時刻よりも大幅に遅くなってしまっていたが、元々
世話になるのはハラオウン家だった為、仕事終わりのリンディさんと一緒に帰宅した。
クロノとエイミィさんはまだ仕事という事で、俺はそれ以外の人達とハラオウン家にて夕飯をご馳走になった。
勿論手伝いはした。
その後だが、今日はまだ終わりじゃない。
1度家に戻る。準備身支度を終えて向かうは海鳴のとある場所。
「すいませーん」
辿り着いた場所はあの道場だ。
「開いている。入って来い恭司」
「失礼します。ってあれ、今日誰もいないんですか」
「ああ、皆用事で席を外していてな。生憎、今日ここにいるのは俺と恭司だけだ」
「はあ……」
身支度と言っても運動し続けた状態だったのでシャワーを浴びて、動きやすい格好になっただけだ。
持ち物も何も無い。
本来ならばここに持って来るべき物は1つだが、俺にはそれが許されていない。
それが初め、俺が道場に来るとなってからの決まりごとだ。
『剣は教えられない。だから剣を持つな』
絶対不可侵の条約と言っても過言では無いだろう。
ここに足を踏み入れてからはその約束事を違えた事は無い。それはお互いの信頼を守ると同時に、俺自身を気
遣ってくれているという無条件の心遣いだからだ。
ここ5年くらいは毎晩来ていたけれど、今年に入ってから。いや、実際にはルージュを持ってからどうしても
道場に行きづらいような感じがしていた。
それは俺がなのはと同じ力を得ただけではなく。
魔法という力を持つことによって、士郎さん、恭也さん、美由希さん。他にも沢山の人の思いを踏みにじって
いる。そんな気がしてならないからだ。
「余計な事を考えているだろう」
「…………隠し事は本当に出来ないですね」
実の所、先日に士郎さんからも同じことを言われた。
余計な事を考えている、か。
思い上がりだけで人を判断するな。と士郎さんからは言われた。多分、恭也さんも同じ事を思っているのだろ
う。
必要の無い気遣いはその人を傷つける。
俺はそうとも言われた。気をつけろ、とも。
「すいません」
「何を謝る必要がある。どうせ魔法を手にしたからって変に俺や美由希に気遣っている訳なんだろう。お前はど
うしてそういう所で引っ込み思案になるんだ」
「性格なんでしょう」
「ああ、性格だ。どうしようもないくらい性格だな。ならば今日はそのしがらみでも断つか。恭司魔法を使え、
全力で俺に向かって使うんだ」
「え……?」
恭也さんがはじめ何を言っているのか理解出来なかった。というより理解したくなかったというのが正解なの
かもしれない。
「お前は何度も立ち止まる。幾度となくな。それこそ、これからも同じように止まってしまうだろう。いい加減
その性格にも慣れた。だからここでは、この道場に行きづらいというその感情を綺麗サッパリなくしてやる」
「やっぱ分かってたんですね」
「分からないでか。お前の事を小さい時から見てるんだ。どうせこの先にも挫折するだろう。その度に俺が出て
くるかもしれんし出てこないかもしれん。だから今回は俺がその根性を真っ直ぐに矯正してやる」
全部お見通しという事だった。
隠し事をしようがしまいが、何を考えているかなんてこの人達には筒抜けなんだろう。いや怖いというよりも、
諦めがつく。
こうして、道場で恭也さんを前にして立つのは流石に怖い。
だけどどうしてだろうか。
心の奥底で煮えたぎるようなこの感情の渦だけは、自分でも誤魔化し切れない。
「恭也さん。楽しんでいるでしょう」
「ああ。流石になのはやなのはの友達には頼める事では無いからな。だったらこうやって恭司の思いと一緒に試
してみるのが一番じゃないのか」
「一石二鳥って奴ですか」
「相違ない」
恭也さんでも、今日の事はもしかしたら楽しみだったのかもしれない。
あまり感情が表情に出ない恭也さんが、なんだか楽しそうに何より不敵に笑っているからだ。
それには俺も返さなくてはいけない。
自分の思いの丈を語るように。自分でも分からない感情を拙い言葉で表に出すように。
「俺も。実の所楽しみなんですよ」
「ほう。それは重畳だ。俺もこうして剣を取る事を生きがいとしている以上、もしかしたらお前もまた魔法を取
る事を生きがいとしているのかもしれんな」
「どうなんでしょうね。俺にも自分の事が全部分かる訳じゃないんで、正解なんて無いかもしれません」
「人なんてものは得てしてそういう物だ。誰も自分の事を全部分かっている訳じゃない。だけど誤魔化せない物
があるのならば、それは自分の中でも揺ぎ無い物だ」
「分かりました」
恭也さんが道場の奥へと進む。
倣うように俺も、距離を開けたまま道場の中心へと近づいていく。
「今日は俺も剣を取ろう」
「なら俺は魔法を手に取りましょう」
「ここまで言うのも可笑しい話だが。魔法は簡単に使っていものなのか?」
「いいんです。今日、この場では許されるでしょう」
「そうか」
無粋なルールなど無視してしまえ。
今この場に必要なのは、力と力だ。
その先にある物を理解しろ。
「恭也さん。お互い容赦無しなんですよね」
「当たり前だろう。迷うことを断ち切るのに迷ってどうする」
「まったくもって」
そう発言した時にはもう恭也さんの姿は捉えきれていない。
神速。
これが、人間という限界を超えたかのような超感覚と超スピードで展開される奥義。実際には恭也さん本人が
速く動いている訳ではないが、使われてるこっちの身としてはそっちのほうが説明がつきやすい。
神速を使われていると理解した瞬間にはバリアジャケットに着込んでいたが、反応できる自信はない。だから
俺も。
「ツインファクシ」
恭也さんと違う所は、常人の感覚でこの超スピードに付いていかなくてはいけない。という決定的な差がある。
例え俺が早く動けたとしても、それすらも捉える感覚で恭也さんは俺を補足し攻撃する。
恐らく恭也さんが取る行動なら、鋼糸だ。
風を切る音。
正解だ。しかし何処からやってくるかも捉えられない。俺の防御魔法では物理攻撃に対してアドバンテージを
持てない。それでも並の攻撃ならばまだ防ぎようはある。
「ヴェールズシェル!」
勘だ。
右前方にシールド状で展開しておく。
瞬間、甲高い鉄と鉄がぶつかり合うような音がして響いていた風切り音は消えた。
「遅いぞ恭司!」
「そっちが速すぎるだけです!」
鋼糸はフェイクで、本命は俺の死角に陣取っていた恭也さん本人か。それでも諦めてたまるものか。
「くうっ」
「ふんっ」
超スピードの中、身体を壊すかのような勢いで無理やり反転。恭也さんの攻撃に備える前に右足で中段蹴りを
する。
だが当然と言わんばかりに見切られていた。そのまま攻撃をした右足に衝撃が走る。蹴られたみたいだ。
「があああっ」
「それでも俺たちの訓練を見てきた男の動きか」
これが貫って奴か。実際に見ているのと、体験するのでは大違いだ。
まだ、来る。俺だったら絶対に見逃さない、こんなチャンス。だったら俺は。
「グレイプニル」
「ぬっ」
蹴り抜かれた右足の勢いをそのままに吹き飛ばされて、その追撃とばかりにくるだろう恭也さんの動きをまず
は止め、攻撃に転じる。
そう思っていたのに。
「甘いぞ恭司。攻撃を当てたいのなら、当てろ」
「嘘だろ……」
視線の先。俺の理解の範疇すら超えた恭也さんの動きがあった。
ほんの少しだ。本当に少し横にブレたかと思ったら。恭也さんはグレイプニルの捕縛対象位置からおおまかに
見ても5mものズレが生じていた。
どれだけ超人に近いんだこの人は。
「行くぞ」
「くっそ。まだこっちは攻撃もできちゃいないっていうのに」
戦慄すらする。並の人がここまで戦えるという世界を知る事になったのは確かに何年も前の話だが。ここまで
体験することは無かった。精々が達人まではいかないものの、ある程度その世界に精通している。という人くら
いしか体験は無い。
それらすら超越したような塊が目の前に立っている。
ツインファクシで再度、動く。
それすら生ぬるいと言わんばかりに、俺の左足へと飛針が刺さる。
これでも魔法使ってるんだぞ……。
「まだまだだな恭司。遅いのではない。理解が足りていない」
「恭也さ――かはっ!」
「猿落としだ」
蹴りを胴体に、そのまま反転して地面へと俺は叩き落とされる。
衝撃で肺に入っていた空気が一気に押し出された。流石にバリアジャケットがあってもこれは痛い。勿論飛針
だって刺さってるだけあって、痛くない訳じゃない。
「ぐぅっ」
「まだだ。来い恭司」
「うああああ!」
冷静に判断しなくても分かる。もう力量の差は歴然だという事に。
だからもういい。小手先の魔法なんて意味が無い。
「分かってるじゃないか、だが足りない」
「ツインブレイクセット!」
だったら俺が今得意として動ける物はなんだ。
今まで模倣してきた。あの人達の動きだろ!
「うおおおおおおお!」
「そうだ。魔法があってもなくても恭司は恭司だ。何が変わったのではない。変わったのはお前の心だけだ」
上段蹴り、と見せかけてツインファクシ。
「流石に魔法があればキレも変わるな」
瞬間に恭司さんの後ろに回るも、当然ながらそれに対応し切れるのが恭也さんの強さだ。
ならばその対応速度も利用させてもらう。
「うりゃぁ!」
俺の蹴りを阻むかのように刃の無い小太刀が俺に襲いかかる。だがそれも読んだ!
軌道修正させた右足の蹴りは小太刀に対して。
「――ブレイク!」
「ぬっ」
畳み掛けるんじゃない。俺の戦いは。俺の本当の戦い方は。
その思考の裏すら凌駕する。圧倒的な読みの差だ。
砕けた小太刀を見る前にグレイプニルを仕掛ける。何に?
「こうではなくてはいけないな、恭司」
「何言ってるんですか。神速すら使ってない恭也さんなんて怖く無いですよ」
小太刀は左手だけだ。攻撃を仕掛けたのは左手の小太刀だけ。なら右手は何をする。
つまりは鋼糸で俺の動きを縛るために準備と間を図っていただけに過ぎない。ならば捕捉する対象は鋼糸に対
して。
今ある現状が全てを物語ってくれていた。
「鋼糸をその捕縛で抑えきるまで読み切っているとはな」
「当然じゃないですか。恭也さん癖強いですから」
グレイプニルは俺の右足に巻き付こうとしていた鋼糸を捕縛。
そして。
「例え認識にズレがあったとしても、それを埋める何かで補えればいいんです。故に俺は魔法で補う事を余儀な
くされてそれを補正させただけ」
恭也さんが神速で動いた。
こっちでは捉えきれないのは分かっている。当然向こうだってその認識を理解した上で使用している。だから
こっちは全て勘で動くしかない。でも本当にそうだろうか。
読み切れ。
恭也さんが尽くした手を恭也さんが使ってくるだろう手を何通り何十通りという差を、認識で現実と埋め合わ
せろ。時間は、無い。
「そうか」
こっちが予測不可能な動きをしても恭也さん相手には捉えられてしまう。だったら行動に制限をかければこち
らとしても。手はある。
神速から動いてまったく間が無い状態。思いついたのはフローターフィールドで上に飛ぶ事だ。
だが、それを待っていたかのように。
「鋼糸!?」
道場の上には鋼糸が張り巡らされていた。読み違えた!
なのはの事を知っているなら魔法で空を飛べるという事も理解していた筈。それなのに、その前提すら考慮し
なかった俺の負けだ。
「ブレイク!」
オーバーヘッドキックの要領で上空にあった鋼糸を切る事に成功したが、恭也さんはそれを逃さないだろう。
だったら全力で防御だ。
「ヴェールズシェル!」
「徹!」
「――っ!?」
轟音が鳴り響いている。衝撃が先に、音が遅く聞こえてくる。
ああそうか、吹っ飛んだ。文字通り完膚無きまでに吹っ飛ばされた。
防御ごと衝撃を俺に貫いて持っていったのだ。まさか魔法の防御ですら徹してくるとは思わなかったのだ。
「魔法でも問題ないようだな」
「けほっけほっ……そうみたい、ですね」
今日は本当にやられっぱなしだな。
それでも、だんだんとだけど分かってきた事がある。
「徐々にだが分かってきた事があるな」
「恭也さんも、ですか」
「ああ」
まったくもって。
「魔法も万能じゃない。俺の弱点と言えばもしかしたら空が飛べない。というくらいになる可能性もあるな」
「あながち冗談に聞こえないから、困りますけどね」
実際のところなのはと恭也さんが闘って、どっちが勝つかと言われると言葉に詰まる。
勿論、それがはのはではなくて他の人でもだ。
俺がこのようにやられているのは、俺自身が弱いという点を入れたとして。それでもそれを上回るほどにダ
メージは確実に蓄積している。
あながち人の戦闘術っていうのでも、魔法に対抗しうる物に違いないのかもしれない。
「上を目指すなら恭司。お前が得意としているものを唯一無二の物としなくては意味が無い。だから最後くらい
は本気を出せ」
「最初っから本気ですよ。まったく人を煽るのが本当に得意な人だ」
「俺に勝ったら翠屋でシュークリーム1年分を俺の給料から出してやろう」
「これから本気出す」
負けられないな。この戦い。誰かの為でなくあくまで自分の為に戦うというのはあまり興が乗らないけれど、
それでも。
「スイーツとならば話は別です」
「お前がとことん不憫に思えてくるのは何故だ」
「何の話ですか」
「構わないならそれでよし。来い恭司」
「一生食べ続けてやる!」
「それはそれで、かーさんが喜ぶだけなんだがな……」
得意。恭也さんも言う俺の得意な物。俺にだって本当は分かっていない誰にでも言われる。
お前の得意な事をそのままやり通せばいいんじゃないか、と。
これは悪友の弁だったか。
生き続けるのは辛いけれど。それでも楽しめる事があるのなら、人が生きていく理由にはなる。
「真っ直ぐに」
「来い!」
「うおおおおおおおおおおおおおおお!」
やるなら前のめりに!
一点突破のみ!
加速、加速加速加速しろ!
「だらっしゃあああああああああああ!」
「虎切!」
ふっ飛んだかのように暴れて突き進む俺の前に一閃が飛来する。
俺の右脚が打ち負けるか。
恭也さんの抜刀が負けるか。
これで決まる!
撃ちあった瞬間爆音がした。ような気がする。
普通の道場じゃありえない騒音を出し、周辺地域にご迷惑をかけたのは言うまでも無い。
「すいませんでした」
「謝るだけなら警察はいりません。というか家に帰ってきてみたらいきなりこの家の方ですか、と問われ。次に
やってきたのがこの家から異音がすると言われ。その事でお話があるのですか、と発言を待たれたのですが」
「すいませんでした」
「お、おかーさんもうそれくらいに……」
「すいませんでした」
「恭ちゃん。一体何があったの……それにきょー君なんて傷だらけになって――ああああ!」
「はい、すいませんでした」
「やれやれ、2人ともとりあえずそれくらいにしておこう。大方の事情も察したし、僕たちが家を離れていたも
の1つの原因だからね」
「すいませんでした」
俺と恭也さんはひたすらに謝り倒すしかなかったんだ。
あの爆発音の後。俺は半分意識を失っていたし、恭也さんも余波なのか動けなかったみたいで、道場で2人し
て倒れていた。
当然ありえないような大きな音に何かあったのでは、と気になった善良なる一般市民が通報してくれたみたい
で。
なし崩し的に高町家へと集まる警察の方々。で、応対出来ない俺たちに変わって丁度帰宅していた他の高町家
の方々が応対。
理由も何も分からないまま対応して、右往左往。そして家に戻って早速道場を見てみると横たわる俺と恭也さ
ん。ちなみに、このちょっと前くらいで俺は意識を覚醒させていたのだった。
原因が俺らと分かると。桃子さんが一番に怒り、なのはが止めに入って、美由希さんが何故かむくれて、士郎
さんが訳知り顔でなだめていた。
というのがここまでの経緯。
桃子さんは士郎さんがなんとかするから、と言って2人とも自室に入ったまま戻ってこなくなった。
するとリビングでいたたまれなさそうにしている俺を見たなのはが、お茶を持ってきてくれたようだ。ただ無
言でテーブルの上に置くだけだったが。
「あっと、その……」
「おにーちゃんと戦ったの?」
「う……。やっぱ分かる?」
「当然だよ。何年も2人の事見てれば大体何があったかなんて分かるもん」
ため息混じりに言うなのはは心底呆れたように言った。
ここまで言われてるのも恥ずかしい物だけれど。なのはの言っていることは間違ってないんだろうなと、思い
つつも何故なのはも不機嫌なのかというとこが気になった。
「恭ちゃん、ずるいよきょー君と戦うなんて。わたしだって戦いたかったのに!」
「そうは言うがな美由希。お前は俺だけ仕事と分かっていて皆と食事に出かけたんだ。それくらい役得だと思わ
せておけこの馬鹿弟子が!」
「酷い、なんでデコピン!?」
リビングのドアが開いたと思えば、いつもの兄妹漫才が始まっていた。相変わらずだなぁこの2人も。
こちらに気付いたのか気まずそうに2人ともリビングに入ってくる。
「で、美由希さんがむくれてたのって恭也さんが俺と戦ったからなんですか」
「違うよきょー君。違うんだよ」
「この馬鹿弟子が。何度同じことを言わせれば気がすむんだ」
「いだっ!」
「おにーちゃん、それくらいにしないとおねーちゃん壊れちゃうよ」
「なのはが言うなら仕方ない」
「妹に対して態度の違いがあからさますぎないかなぁ!」
美由希さんは痛そうにおでこをさすっていた。いや、本当にアレ痛いんだよ。ぺしっじゃないんだよ、ゴスっ
なんだよ。分かるかな違いが。
談笑も束の間で恭也さんが真剣な顔をして、こちらを見ていたのに気づいた。
「そのあまり言い訳をしたくないんだが」
「いいんですよ恭也さん。あれくらい言ってもらえるくらいが丁度いいんですよ俺は。分からず屋の屁理屈ばか
り並べる人間なんですから」
多分、謝りたかったのだろう恭也さん的には。
恐らく好奇心の方が強かったんだと思う。だから余計にそう思えてしまっているのかもしれない。だけどそれ
だけでは恭也さんが発したあの戦いの前の言葉や、戦いの最中の言葉が嘘には聞こえないのだ。
だからといって先程の戦いが必要の無いものかと問われれば、俺はこう声を大にして言うだろう。必要だった
し感謝の気持ちで一杯だと。
この家に来るまでの気持ちはどこにも無い。
今はまたここに来てもいいんだな、と。そう思えるくらいにはなっていた。
「だから、いいんです。俺は恭也さんには感謝しきれない程色々な物を貰ってる。勿論、美由希さんやなのはか
らも貰ってる。だから俺はそれだけでいいんですよ」
「そうか。なら俺はもう何も言うまい」
満足気な笑みをこぼした恭也さん。俺はそんな恭也さんを見ているのが一番好きなのかもしれない。
だが、それには不満気な人もまだいるようで。
「うー、きょー君ずっるいなー。そんな事言っちゃう子にはおしおきだー!」
「ちょっ、美由希さん何してるんですかなんでこっちに近寄……ってなのはぁ!?」
近寄ってきた美由希さんからとりあえず身体だけは離しておこうと思った矢先。後ろからなのはに羽交い締め
にされていた。
「逃がさないよ恭司君」
「超笑顔ッスね、なのはさん!」
「おねーちゃん今だよ!」
「合点承知」
「うわーん。助けてー」
こうして俺の春休みは平和に閉じられようとしていた。この先何があってもこういう関係でいられたら、とか
そんな無情な願いを抱いたりしたけれど。元気に過ごしていたよ。
誰にでもある小さな願いは、誰にでも叶うといいのにな、と。本当に思った。
「うっひっひー」
「あ、あはははあはははははははは!」
だからってシャツめくられてくすぐられるのは、もう勘弁して欲しい……。
ちなみに桃子さんには翠屋の手伝い1日で許してもらえた。けれど別に何も言わなくても許したのに、と手伝
い後に言われても。それこそ後の祭りという奴だろう。
【あとがき】
色々とありましたが元気です。
Twitterも2009年のクリスマス・イヴから始めてますが、かなりのめり込んでます。楽しいですね、はい。
正しい使い方なんて無いからこそ、自由に使えるwebサービス。言ってしまえば無法地帯かもしれません。
IDは晒しませんが、恐らく検索をかければ結構簡単に見つかると思います。そうとう酷いpostをしているので
フォロー等がありましたら用法、容量をよく守ってあげてください。TLが汚れると思います。リプ等くれたらう
しい限りでございます。
本編に関して実は結構先まで出来てます。投稿する勇気というか、今後の展開次第で訂正しなくちゃいけない
部分が出るかもしれないという恐怖心から手元にずっと置いてあります。
早い話が完結させれば一気に投稿できる事になると思います。
ゲームばかりやってるせいですね。猛省ですわ。
今作、音楽ばかり聴きながら執筆しました。特にバトル場面では次で紹介するのをずっと聴いてましたよ。
アルトネリコ2〜世界に響く少女たちの創造詩〜より『Vrtra』です。
YouTubeにも置いてあるので曲名と作品名で検索かければすぐ見つかると思うので、是非聴きながら読んでみ
るといいかもしれません。
また最後となりましたが、読者の皆様とこのSSの展示をしてくださったリョウさんに感謝を。
では次にお会いできる機会を楽しみにしています。